第74話 紅蓮の魔獣戦士
おかしい、とゴブリートは思った。
こんなはずではない。自分の魔獣人間としての力は、こんな事をするためのものではないはずなのだ。
「ええい……何だと言うのだ、まったく」
ぼやきながら、蹴りを叩き込む。槍のような飛び蹴り。短くとも強靭な右足が、トロルの左胸に突き刺さる。
心臓を蹴り潰した感触を、ゴブリートはしっかりと踏み締めた。
絶命したトロルの巨体が、吹っ飛んでオーク2、3体に激突し、彼らを下敷きにして倒れる。
ゴブリートは着地し、周囲を睨んだ。
赤き竜戦士が身を休めている、名もなき集落である。
住民の男たちが、あちこちで健気にも武器を携え、戦おうとしている。戦ったものの力及ばず負傷し、仲間に介抱されている者も多い。女子供は家々、と言うより小屋の中に隠されているようだ。
何と戦っているのかと言えば、集落に攻め入って来たオーク兵士の群れだ。総勢100匹以上はいるであろう。
5匹ほどトロルが混ざっていたが、それは皆殺しにした。今ゴブリートの周囲には、心臓を粉砕されたトロルの屍が5つ、横たわっている。
主にオークとトロルから成る怪物どもの部隊によって、この集落だけでなく、あちこちの村や町が襲われているらしい。
まるで300年前の、あの時のように。
「300年経っても、魔物どものやる事は変わらんな……うん?」
睨みつけるゴブリートの視線の先で、何匹かのオークが、10歳くらいの女の子を1人捕まえていた。
「きゃああっ! お、お母さぁーん!」
悲鳴を上げる少女の身体から、オークどもが衣服を破き剥がす。豚そのものの顔面を、さらに醜くニタニタと歪めながらだ。
助けを求められた母親が、血相を変えて小屋の中から走り出て来る。そこへオークの1匹が、大斧を振り下ろそうとする。
何も考えず、ゴブリートは動いた。身体が、勝手に動いていた。
大斧を振り上げていたオーク兵が、真っ二つにちぎれた。ゴブリートの左拳が、腹の肉と臓物を殴り裂いて脊柱を叩き折っていた。
小さな女の子1人に嫌らしく群がっていたオークたちが、次々と倒れてゆく。倒れた身体から、ころころと生首が分離する。
ゴブリートの翼が一閃し、彼らの頸部を薙ぎ払っていた。
助かった女の子が、ほとんど裸のまま呆然と地面に座り込み、やがて泣きじゃくりながらゴブリートに向かって両手を合わせ、頭を垂れる。
「やめろ!」
怒鳴りつけながら、ゴブリートは右腕を振るった。
炎の体毛が燃え上がり、紅蓮の波と化して宙に広がり、3、4匹のオーク兵を焼き砕いた。遺灰が、大量に舞い散った。
「くそっ……俺は一体、何をしているっ」
そんな言葉を吐きながらも、ゴブリートの身体は勝手に動き続ける。オーク兵士たちを、拳で殴り裂き、蹴りで粉砕し、翼で叩き斬り、炎の体毛で焼き殺す。
集落の民を、結果として助けてしまっている。
「これも貴様が……とっとと目を覚まさぬからだぞ、赤き竜戦士よ!」
魔獣人間の小柄な全身で、炎の体毛がゴォオッ! と大型化する。そして、逃げ腰のオーク兵団を焼き払う。
焼き払われたオークたちが、サラサラと粉雪のような灰に変わった。
「そこまでだ、魔獣人間!」
まだ生き残っている怪物たちの中から、声をかけてくる者がいる。
そんな事を言っている暇があったら不意打ちでも仕掛けて来れば良いものを、と思いながらゴブリートがそちらを睨む。
集落の男が3人、オーク兵たちに捕えられていた。うち1人は負傷し、頭と右肩から血を流している。
「痛え……痛えよぅ……」
「た、助けてくれえぇ……」
情けない声を発する男たちに、オーク兵士たちが槍を突き付けている。
そんなオーク兵団を率いているのは、オークでもトロルでもない1体の怪物だった。筋肉の盛り上がった人型の肉体から、翼と尻尾を生やした魔物。デーモンである。
「動くなよ、魔獣人間。貴様が少しでも不穏な動きを見せる度に、こやつらを1人ずつ殺してゆく」
捕われた3人の男に三又の槍を向けながら、デーモンがそんな事を言っている。
先程までは勝手に動いていたゴブリートの身体が、勝手に動きを止めてしまった。
人質を気遣わねばならぬ理由など、ありはしない。頭ではそう考えられても、身体が動かない。
「ふ……報告通りよな」
デーモンが笑った。
「このところ増えておるらしい。魔獣人間のくせに人間を守ろうとする、理解不能な者どもがな……我らの力を中途半端に受け継いだ、不完全な怪物の分際でだ。一人前に、正義の英雄でも気取っておるつもりか?」
「……不完全な怪物の力、まだ見足りないようだな」
「おっと、だから動くなと言っておる」
デーモンの言葉に合わせ、オーク兵たちが槍を動かす。いくつもの穂先が、捕われた男3人の身体をチクチクとつつき回した。悲鳴が上がった。
「いっ痛! いて、いてててて! やめてくれええええ!」
「たっ頼むアンタ、たたた助けてくれよおおおおお!」
俺たちに構わず戦ってくれとは、なかなか言えぬものである。にしても、助けてやる理由などはない。
なのに、ゴブリートの身体は動かなかった。同じく人質を取られ、ゴルジ・バルカウスにいいように攻撃されていた、赤き竜戦士のように。
(貴様も……この、わけのわからなさに苛まれていたのか……)
「デーモンロード様はおっしゃった。戦力として使えそうな者がいたら、連れて来いとなあ」
デーモンが言った。
「我らと共に来い。人間どもはな、守るよりも虐げ殺した方が楽しいぞ? その楽しみを知れば、貴様も成れる。不完全な怪物から、完全なる怪物へと」
魔物の世迷い言になど無論、ゴブリートは聞く耳を持たない。
その世迷い言の中に、しかし1つだけ、聞き流す事の出来ぬ単語があった。
「デーモンロード……だと?」
戦うために魔獣人間となった。数多くの敵と、戦ってきた。連戦連勝とはいかず、何度かは敗れた。敗れた相手に対しては、しかし必ず報復戦を挑み、勝利してきた。
唯一、その報復を済ませていない相手がいる。
「奴が……動き始めたと言うのか」
「言葉を慎め愚か者! 赤き竜亡き後の偉大なる魔族の帝王に対し、何たる言い種であるか!」
デーモンの左手から、火炎の球体が発生し発射され、ゴブリートの顔面を直撃した。
そこそこの熱量と衝撃に、ゴブリートは顔をしかめた。
「我ら魔族の時代が築かれるのだ! 偉大なるデーモンロード様の御手によって!」
デーモンが興奮し、喚いている。
「竜などという、わけのわからぬ輩に! もはや大きな顔はさせぬ! 魔族の頂点に立つべきは、我ら悪魔よ! なあ魔獣人間、貴様らも働き次第では魔族の端くれに加えてやろうではないか。だから働け! デーモンロード様の御ために働くのだ!」
「……なるほど、貴様も働いているのだな」
声がした。
骨の折れる凄惨な音も、同時に響いた。
男3人を捕え、槍を突き付けていたオーク兵士たちが、ことごとく倒れてゆく。全員、頭部がおかしな方向に垂れ下がっている。頸骨を折られていた。
長い足が、優雅に着地する。
オークどもの首を叩き折った蹴りの動きを、ゴブリートの動体視力は辛うじて捉えていた。
「ならば俺も、そろそろ働くとしようか。この集落の者たちには世話になってしまったからな」
そんな事を言いながら、助けた男3人を背後に庇って立つ若者。その力強い裸の上半身には、幾重にも包帯が巻かれている。
秀麗な顔立ちには不敵な微笑が浮かび、鋭い眼差しがゴブリートに向けられる。長めの赤い髪は、まるで炎だ。
「貴様……!」
デーモンが、三又の槍を構えた。いくらか狼狽しつつも、相手が怪我人とわかって徐々に余裕を取り戻す。
「……人間にも、活きの良い若造がいるものよな。そのような様で我らに戦いを挑むとは。まるでダルーハ・ケスナーのようだ……が、もはや奴はおらぬぞ人間ども。貴様たちを守る者は、もはやおらん。悪あがきは、やめにせよ」
「そうか……あの男にも、人間を守っていた時期があったのか」
赤毛の若者が、何やら感慨深げに言う。
「奴の真似をするわけではないが、貴様らは皆殺しにする……俺は、残虐なのでな」
「痴れ者が!」
デーモンが、三又槍で突きかかって行く。
赤毛の若者が、ゆらりと身を翻した。その左手が、三又の穂先を、はたき落とすように受け流す。
受け流しの動きを終えた左腕が、間髪入れず鉤型に曲がり、打ち込まれる。
前のめりに泳いだデーモンの顔面に、若者の左肘がグシャ……ッとめり込んだ。ちょうど眉間の辺りである。
一瞬、静止したデーモンの巨体が、やがて地響きを立てて倒れ伏した。すでに死体だった。
(こやつ……強くなっている……!)
炎の体毛の下で鳥肌が立つのを、ゴブリートは止められなかった。
赤き竜の戦士。ベヒモスワームに叩きのめされ重傷を負った時と比べて、明らかに腕を上げている。力を増している。
重傷を負い、万全の状態ではない時に、ゴルジ・バルカウスと死闘を繰り広げた。死の寸前まで追い込まれ、しかし生き延びた。
あれが、この赤き竜戦士にとって、数ヶ月の修行にも勝る試練となったのは間違いない。
(こやつが、このまま万全の状態となったら……俺など、容易く殺されてしまうかも知れんな……)
ゴブリートの身体は鳥肌を立てて震え、心は熱く燃え上がりながら震えた。
それを押し隠すように、ゴブリートは口調を冷たくした。
「ようやく、お目覚めとはな……ずいぶん、のんびりと寝ていたではないか」
「騒がしくて目が覚めた。まさか貴様が、俺の周りをうろついていたとはな」
人間の姿を着た赤き竜戦士が、斬撃の如く鋭い視線を向けてくる。
「……貴様、何が目的だ? 俺の命を奪う機会なら、いくらでもあったはずだが」
「俺の目的はただ1つ……戦う事だ」
今やオークの1匹も生き残っていない怪物たちの、屍や遺灰を見渡しつつ、ゴブリートは答えた。
「このような雑魚どもではない……俺の魔獣人間としての力を、全て叩き付けるに相応しい相手とな」
「ならば、俺が相手になってやろうか」
赤毛の若者が言う。
「俺は、どうやら貴様にも少々、世話になってしまったようだからな……せめてもの礼だ、手加減をしてやる」
「ほざくな小僧。俺と戦いたければ、まず身体を癒せ」
ゴブリートは背を向けた。赤毛の若者に、そして集落の民に。
とりあえず、自分の身を守る戦いが出来る程度には、この竜戦士は回復しているようだ。ゴブリートが保護者の如く付きまとってやる理由は、もはやない。
この怪物が身体を癒している間に、もう1つ、済ませなければならない用事が出来てしまった。
(デーモンロード……貴様との、決着を)
「魔獣人間ゴブリート……そう名乗っていたな、貴様」
歩き始めたゴブリートの背中に、赤毛の若者が声をかけてきた。
「人間としての名も、あるのだろう? ぜひ聞きたいものだ……俺は、ガイエル・ケスナーという」
「俺は魔獣人間。人としての名前など、とうの昔に捨て去った。今さら探して拾おうとは思わんよ」
振り返らず、歩みも止めずに、ゴブリートは言った。
「……切り札に頼らぬ戦い方が、まあ出来ているのは認めてやる。その調子で腕を上げておけ、ガイエル・ケスナー」
ガイエル・ケスナー。
どこか禍々しく響くその名を心にとどめながら、ゴブリートは集落を出た。何か声をかけたそうに落ち着かなげに見送る住民どもの視線を感じたが、それらは無視した。
(ガイエル・ケスナー……貴様は、俺を殺す男になるかも知れん。晴れやかな気分で戦いたいものだ)
今は、晴れやかな気分とは言えない。何しろ、まだ報復を済ませていない相手が、すぐ近くで動き始めているのである。
「デーモンロード……! 300年前は悪魔族の一戦士でしかなかった貴様が、今や魔族そのものを統率する身か」
ゴルジ・バルカウスも無論、始末しなければならない。が、そんなものはデーモンロードを討ち滅ぼすついでに済ませてしまえば良い。
ゴブリートは、立ち止まった。
一時的な住処としている、洞窟の前である。
4体、いや5体。首から上の潰れたオーク兵士の死体が、捨てられている。
6体目が、洞窟の中から放り出されてゴブリートの足元にドシャッと横たわり、脳漿をぶちまけた。
何者の仕業であるのかは、考えるまでもない。ゴブリートは洞窟の中に歩み入った。
寝台のような大岩に腰を下ろした若い女が、ギロリと睨みつけてくる。
光の当たり方によっては白髪にも見えてしまう、銀色の髪をした娘。人間の美貌を被ってはいるものの、その眼光には、魔獣人間の凶暴性が剥き出しになっている。
「……まあ、そう睨むな」
声をかけつつ、ゴブリートは見回した。
洞窟の内部にも、首が折れたり頭蓋骨が凹んだりしているオークの屍が散乱している。
「俺は、こやつらの仲間ではない。あまり恩着せがましい事を言いたくはないが」
「……私を助けてくれた、というわけね」
銀色の髪をした、少なくとも外見は若い娘である女魔獣人間が言う。
人間の男であれば大いに欲情するのであろう、美しい裸身。形良い両の乳房は、しかし今は包帯で隠れてしまっている。
その胸の包帯に、銀髪の娘は片手を触れた。
「助けた女を、裸のまま洞窟に放置しておくというのは……どうなのかしらね」
「俺も、お前に付きっきりというわけにはいかんのでな」
ゴブリートは応えた。
「俺の留守中に何かあって、お前が命を落とすようなら……まあ、それまでの運命だったという事だ」
「……一応、感謝はしておくべきね」
言いつつ彼女は、何か念じたようである。
胸の包帯に触れている片手が、淡く白い光を発した。
「ほう……」
ゴブリートは目を見張った。
間違いない。およそ300年ぶりに見る、唯一神教の癒しの力。
レグナード魔法王国時代の唯一神教は、魔法文明に害をなすものとして迫害され、ほとんど地下に追いやられていたものだ。
それがこの300年の間、3つの宗派に分かれつつも隆盛を極め、レグナード以後の人間世界に、多大なる影響を及ぼすに至ったようである。
「お前は、唯一神教徒であったのか。魔獣人間となりながら、信仰を保ち続けるとは」
「……貴方も、どこか怪我をしているなら治してあげるわよ?」
尼僧である魔獣人間が、あまり優しくない口調で、優しい事を言う。
ジャックドラゴンとの戦いで負った傷も、魔獣人間の回復力で、ほぼ自然完治した。とりあえずゴブリートの肉体には、癒しの力は必要ない。
「俺はいい。それより、この近くの集落で怪我人が出た。そいつらを治してやれ」
あの集落に対する、自分の最後の世話焼きだ、とゴブリートは思った。
「……その怪我人どもの中に、ガイエル・ケスナーという怪物がいる。他の者のついでで良い、そいつも治してやってくれ」
「ケスナー……?」
銀髪の尼僧が呟いた。あの赤き竜戦士と、もしや顔見知りであるのか。
そんな事よりも、と思いながらゴブリートは、足の踏み場もなく散乱したオーク兵たちの死体を見渡し、観察した。
頭を陥没させ、あるいは首を奇怪な方向にねじ曲げ、または口から臓物を吐き出した、屍の群れ。
武器も持たぬ裸の娘が行った、虐殺の光景である。
「これは……唯一神教の、聖なる武術か?」
「まあ……ね。自分では、極めたつもりでいたのだけれど」
銀髪の尼僧が、俯いて唇を噛む。
極めたつもりの聖武術が、あの魔獣人間ジャックドラゴンには全く通用しなかったのであろう。
あれと戦って生きていられただけで大したものだ。などという無意味な慰めを口にする代わりに、ゴブリートは踏み込んだ。
銀髪の娘が、ハッと顔を上げる。緊迫した美貌が、美しく鍛え込まれた裸身が、メキッ! と痙攣した。
包帯が、ちぎれて飛んだ。
叩き殺す。
そんな本気の殺意を宿したゴブリートの右拳を、女魔獣人間は両腕及び左膝で防御した。
防御しつつも、彼女は後方に吹っ飛んでいた。
むっちりと筋肉の増大した黒い裸身が、左右形の異なる翼をはためかせて体勢を直し、着地する。地面を掴み裂くかのような爪を備えた、両足でだ。
「貴方は……!」
上半分は猛禽のクチバシと化しつつ下半分に美貌の面影を残した、女魔獣人間の顔に、驚愕の表情が浮かぶ。
「その技……貴方も、まさか……」
「よくぞ防いだ」
ゴブリートは、にやりと微笑みかけた。
「忘れるな。お前は、俺の本気の拳を防いだのだ」
驚愕に固まったままの女魔獣人間に、ゴブリートは背を向けた。翼が、マントのようにはためいた。
「強敵と戦う事があれば思い出せ……俺の本気の不意打ちを防いだお前に、もはや防げぬ攻撃などありはしない」
またしても余計な世話を焼いていると、ゴブリートは頭ではわかっていた。
魔獣人間の牝を1体、洞窟の中に残して歩み去りつつ、ゴブリートは苦笑し、すぐに表情を引き締めた。
「余興は終わりだ……決着をつけるぞ、デーモンロード」