第73話 魔将軍の死闘
魔族に、同胞愛と呼べるような感情はない。
人間との戦いに敗れて死んだ者がいたとしたら、それは人間を憎んで仇討ちに燃えるよりも、人間ごときに敗れた者の非力さを嘲り蔑むべきなのだ。
ゴズム岩窟魔宮内部。大広間の1つを満たす、この者たちとて同様である。
保存液に漬けられた、キマイラやマンティコア。サイクロプスの眼球や、ワイバーンの臓器の一部。
水晶に閉じ込められたデーモンやサキュバス、イフリートにベヒモス。
当然、全て屍である。いかなる魔力を用いても、蘇生する事はない。
腐敗を免れる術法を施されて数百年間も保存され、魔獣人間の材料として少しずつ切り取られてゆく。そんな扱いを受けてきた、もはや死体とも呼べぬ惨めな肉塊の群れ。
人間に敗れ、捕えられた魔族の、成れの果てである。
デーモンロードの心に、哀れみはない。このような目に遭った者ども自身が、非力であったというだけの事だ。
哀れみはない。が、してやれる事が何一つないわけでもなかった。
「……眠れ」
一言だけの呟きに合わせ、デーモンロードの右手が炎を発する。
燃え上がる右手を、デーモンロードは横薙ぎに振るった。炎が、赤い大蛇の如く伸び、紅蓮の鞭となって大広間全体を薙ぎ払う。
薙ぎ払われたものたちが、片っ端から灼け砕けた。
水晶の塊が、内包していたデーモンやサキュバスの肉体もろとも爆発し、燃え散って消滅する。
柱の形をした容器が砕け散り、溢れ出した保存液が一瞬にして蒸発し、漬けられていたキマイラの肉体やサイクロプスの眼球が灰に変わる。
数百年も前から魔獣人間の材料にされ続けていたものたちが、ことごとく火葬されていった。
「ああ……何と、もったいない……」
魔獣人間サーペントエルフが、うっかり声を漏らす。
デーモンロードは、隻眼で睨み据えた。
「……良く聞こえなかったのだがな」
「お、お聞かせするような事ではありませんよ」
サーペントエルフが、卑屈な声を発した。
美しかった顔の左半分には、銀色の仮面が貼り付いて、傷跡を隠している。
そんな傷跡がなくとも、この男の顔は充分に醜い、とデーモンロードは思う。一見、美しく整った顔に、腐りきった内面の醜さが、腐汁の如く滲み出ているのだ。
このような醜悪さを、デーモンロードは嫌いではなかった。
魔獣人間とは、人間という生き物の持つ、時として魔族をも上回るほど暗く醜悪な内面を、物理的な段階にまで高めた怪物である。使いこなせば、純粋なる魔族よりも凶悪かつ効果的な戦力となり得るのだ。
「レグナードで最も心卑しき魔法貴族シナジール・バラモン大侯爵よ。お前に、1つ訊こう」
魔獣人間サーペントエルフの、人間であった頃の名を、デーモンロードは口にした。
「魔獣人間に関する、貴様の技術……ゴルジ・バルカウスよりも、上であるか? 下であるか」
「……愚問の極みでございますよ、デーモンロード殿」
シナジール・バラモンの卑屈な口調に、意地あるいは誇りと言えなくもないものが、ほんの少しだけ宿った。
「ゴルジ・バルカウスの作品など、せいぜい人間をいくらか強くした程度のもの……私は、竜をも倒せる魔獣人間を作り上げて御覧に入れる。期待なさい?」
「竜を……か」
デーモンロードは苦笑した。
竜がいかなる生き物か知らぬ輩が、まったく好きな事を言うものだ。
20年前、デーモンロードは赤き竜に仕えていた。
忠誠心など欠片もなかった。にもかかわらず、仕え続けるしかなかった。
認めなければならない。自分は、赤き竜を恐れていたのだと。
その恐るべき怪物の血脈が、この世に残ってしまった。
(相変わらず、わけのわからぬ行動を取り続けておられるようだな……竜の御子よ)
赤き竜が、人間の王女に産ませた怪物。どうやらこのバルムガルド王国に入り込んで来ているらしいという報告が、配下の魔物たちから上がって来ている。
竜の御子の行動を観察していると、完全に魔族と袂を分かって人間の味方をしている、とは必ずしも言い切れない部分があった。確かに人間どもを助けてはいるが、それを遥かに上回る数の人間を殺戮してもいる。
竜に人間の血など入ったせいで、本当に理解不能な怪物が出来上がってしまった。
(だから私は、人間の王女など娶る事には反対したのですぞ。帝王・赤き竜よ……)
今だけでなく、あの時もデーモンロードはそう思った。
思っただけで、しかし赤き竜による決定に異を唱える事など出来はしなかった。
とにかく竜の御子が今後、魔族に対していかなる行動に出ようとも、それに対応出来るだけの戦力を整えておかなければならない。
「この岩窟魔宮の設備を使い……見事、魔獣人間という戦力を作り上げて見せよシナジール・バラモン」
デーモンロードは命じた。
「材料は、我ら魔族がいくらでも提供してやる。体毛、爪の破片、血液の雫……要は肉体の一欠片でもあれば良いのであろう?」
「いかにも。最小の提供物から、最大の戦力を作り上げる……それが魔獣人間製造の真髄でございます」
応えながらシナジール・バラモン……魔獣人間サーペントエルフが、恭しく跪く。
この男とて、強力な魔獣人間を作り上げてデーモンロードに叛旗を翻す、くらいの事は考えているだろう。
それをさせないためには、デーモンロード自身が、圧倒的な力を見せ続けるしかない。
(そう……魔族は、力なのだ)
屈辱そのものの記憶を甦らせながら、デーモンロードは己の顔面に片手を触れた。左目を切り裂いて走る傷跡を、指先でなぞる。
リムレオン・エルベットの斬撃によって刻み込まれた傷跡。
白く輝く魔法の剣に、顔面の左側を切り裂かれる。そして視界が半分、消滅する。
あの時の激痛と、それを上回る屈辱は、この先、何千年生きようと忘れる事はないであろう。
いかなる治療手段を試みても、この傷跡だけは何故か消す事が出来なかった。
戒めとしてはちょうど良い、とデーモンロードは思う事にしていた。
魔族は力。力押しこそが魔族の進むべき道。
その真理を忘れて回りくどい小細工に走り、結果として人間相手に不覚を取った。そんな己自身への、消える事のない戒めだ。
そんな戒めの残る顔で、デーモンロードは何気なく見渡した。火葬された魔族が灰となってぶちまけられた、死の光景。
その一角に、デーモンロードは隻眼を止めた。
灰の中に、何かが埋まっている。
壺であった。生首ほどの大きさの、古びた壺。しっかりと栓が閉められている。
陶器か、金属製か、材質は不明だ。明らかなのは、デーモンロードの一撃を受けても亀裂すら入る事なく中身を守った、その驚くべき強固さである。恐らくレグナードの、それもかなり強力な魔法貴族によって、何かしら魔法的な防護処理が施されているのであろう。
デーモンロードは歩み寄り、その壺を拾い上げた。
たぷっ……と、壺の中で液体が波打った。
「これは……」
デーモンロードは息を呑んだ。
壺越しに伝わって来る微かな、だが確かな熱さ。間違いない。命ある液体、とでも言うべきものが、この中には閉じ込められている。肉体を失い、このような液体となりながらも保たれ続ける、禍々しいほど熱い生命。
竜の血液である。
あらゆるものを灼き尽くす、この世で最も扱いに慎重を要する物質。
「……ゴルジ・バルカウスめ、このようなものまで魔獣人間の材料にしておったか」
竜という種族は、魔族の中でもかなり特異な存在である。人間とは最もかけ離れた巨大な姿・強大なる力を持つ一方、人間との間に驚くべき親和性を示しもする。例えば赤き竜とレフィーネ・リアンフェネット王女のように、子を生す事が出来る。
それだけではない。
あらゆるものを灼き溶かす竜の血が、人間の肉体に対してのみ、極めて稀にではあるが、凄まじく特殊な変異現象をもたらす場合があるのだ。
それを19年前、身をもって実証した人間がいた。
名はダルーハ・ケスナー。あの男は赤き竜の返り血を浴びて死にかけ、辛うじて一命を取り留めた時には、竜の力を受け継ぐ異形の超戦士へと進化していた。
もちろん普通の人間が竜の血を浴びたところで、ああはならない。跡形もなく灼け死ぬだけだ。
返り血を浴びるほどの接近戦で、竜を倒す。そんな事が出来るほどの勇士でなければ、ダルーハのようにはならない。
この壺の中身は、もちろん赤き竜ではない、もっと古い時代の竜の血であろう。
だがデーモンロードは、今は亡き、かつての主に語りかけていた。
(これを浴びるだけで……赤き竜よ、貴方の力を得られるのであれば……)
もちろん、わかっている。竜の血液が変異をもたらすのは、人間の肉体に対してのみだ。デーモンロードが今これを浴びたところで、より強大な魔物に進化出来るわけではない。全身が灼けただれるだけである。
「シナジールよ、これを使って……竜の力を持つ魔獣人間を作り上げる事は、出来るか?」
「お任せを。最強の魔獣人間を誕生させて御覧に入れましょう」
サーペントエルフが恭しく安請け合いをした、その時。
「……やめておけ。それは、うかつに使うものではない」
言葉と共に、何かがドサッ、ドシャアッと、大広間の床に投げ出された。
翼と尻尾を生やした、筋骨たくましい人型の生物が2体。両方とも屍だ。片方は脳天から鮮やかに叩き斬られ、もう片方は首を刎ねられている。
岩窟魔宮の内部警護に当たっていた、デーモンたちである。それが斬殺されているという事は、侵入者……と言うより、殴り込んで来た者がいるという事だ。
その何者かが、規則正しい軍事的な足音を響かせ、大広間に歩み入って来た。
「ほんの2、3滴で、私の体内は灼けただれた。灼けながら蠢き、別のものへと変わっていった……あの激痛苦痛に耐えられる者など、そうはおらん」
黒い甲冑に身を包んだ剣士。
最初は、そう見えた。マントのような皮膜の翼と、黒い大蛇のような尻尾を生やした、異形の剣士。
その力強い肉体を覆っているのが、甲冑ではなく生身の甲殻と鱗である事が、やがてわかった。
そんな全身が、今はドロリと返り血にまみれている。ここへ来るまでに、警護の魔物たちを多数、斬殺してきたのだろう。
左の前腕からは外骨格が広がって楯を成し、右手には湾曲した幅広の長剣を携えている。
首から上は、角の生えたカボチャだ。鋭く吊り上がった両目と、牙を剥いた大口が刻み込まれ、そこから燃えるような光が溢れ出ている。
荒れ狂う竜の力を、ずっと格下の魔物であるジャック・オー・ランタンを混ぜる事によって中和し、安定させ、どうにか完成させる事の出来た魔獣人間であろう。
「……ゴルジ・バルカウスの、遺作の1つか」
デーモンロードのその言葉に、黒い竜の魔獣人間がピクッ……と不穏な反応を示した。
「遺作、とほざいたな……ゴルジ・バルカウスは、やはり死んだのか」
「あの醜悪非力なる愚か者は、我らの新しき主デーモンロード殿が討伐なされたのですよ」
サーペントエルフが、得意気に口を挟む。
「お前も魔獣人間ならば、ゴルジへの忠誠など捨ててデーモンロード殿にお仕えなさい? 私の部下として使ってあげます」
「奴への忠誠など、元より有りはしないが……」
竜の魔獣人間が、デーモンロードに対して炯々と眼光を燃やす。
「ゴルジ・バルカウスは、いずれ私の手で始末するつもりであった。が……今しばらくは、奴の力が必要だった。貴様らのような魔物どもと戦うために、な」
「ほう。何のために我らと戦う」
デーモンロードは訊いてみた。
「まさかとは思うが、この王国を……人間どもを守るためか? そのために魔獣人間になった、などとぬかすつもりではあるまいな」
「我が名はレボルト・ハイマン。魔獣人間であろうとなかろうと、バルムガルドの軍人よ。この国の民が納めてくれるもので、命を繋いでおる……ゆえに、守らねばならん」
幅広く厚みある片刃の剣の、湾曲した切っ先が、デーモンロードに向けられた。
「地獄へ帰れ、魔物ども……人間の世界への介入は、一切許さぬ」
「醜悪にして愚劣なる者が、私たちに刃向かうのですか……ッ!」
サーペントエルフが左手を掲げ、攻撃を念じた。
その左手がバチッ! と電光を帯びる。
小さな太陽のような火球が、いくつも空中に生じ、浮かぶ。
それら全てが、
「この大侯爵シナジール・バラモンが! 直々に罰を与えて差し上げます! さあ感謝なさぁあい!」
一斉に放たれた。
轟音を発する電撃光が、燃え盛る火の玉たちが、レボルト・ハイマンに襲いかかる。
幅広の片刃剣が一瞬、防御の形に構えられた。
サーペントエルフの稲妻が、その刃を直撃する。直撃した電光が、片刃の刀身にバリバリと絡み付く。
シナジールの電撃がレボルトに絡め取られてしまったように、デーモンロードには見えた。
激しく帯電する片刃剣を、レボルトがそのまま縦横に振るう。
火球が全て斬り砕かれて火の粉と化し、弱々しく散り消えた。
「ほう……」
デーモンロードが思わずそんな声を発してしまうほどの剣技である。
自身にエルフを合成する事で強大な魔力を得たシナジール・バラモンとは違う。このレボルト・ハイマンという男、魔獣人間となる前から、過酷なる武術の修練を積んでいたに違いない。
(こやつ……使い物になる)
などとデーモンロードが思っている間に、レボルトは踏み込んでいた。
「ひぃ……っ」
そんな声を漏らすサーペントエルフの喉元に、片刃の切っ先が突き付けられている。
「貴様は……強い者に対して卑屈にしかなれん性格のようだな。だから、このデーモンロードとやらに逆らえないのだろう」
剣を突き付けたままレボルトが、優しい声を発している。
「まあ気にするな。強い者を恐れるのは当然の事……デーモンロードは私が始末してやる。貴様はその後で私の配下となり、赤き魔人と戦うのだ」
(赤き魔人……だと?)
デーモンロードにとっては、聞き流せぬ単語であった。
竜の御子が、この王国に入り込んでいるという。
赤き魔人。竜の御子を言葉で表現するとしたら、確かにそうなる。
レボルトが、シナジールの喉元から切っ先を離し、デーモンロードの方を向いた。
サーペントエルフが、へなへなと崩れ落ちて尻餅をつく。半分、仮面で隠された美貌が、滑稽なほどに引きつり青ざめている。
そんなものを一瞥もせずにレボルトは、片刃の長剣をビュッと構え直す。
デーモンロードは、まず誘いの言葉をかけた。
「貴様こそ我が配下に加われ、竜の魔獣人間よ。税で人間どもに飼われるなど」
「貴様に飼われろ、とでも言うのか……!」
レボルトが、挑みかかって来た。
デーモンロードは、右手を振るって応戦した。
その右手から炎が生じ、燃え盛る鞭となって伸びうねる。
大蛇の如く襲い来る炎の鞭を、レボルトは左腕の楯で打ち払った。打ち払われた炎が、ちぎれ砕けて火の粉と化す。
それを蹴散らして、レボルトが踏み込んで来る。
刺突にはいささか不向きかと思われる片刃の切っ先が、しかしデーモンロードの左胸へと、鋭く突き込まれて来る。
とっさに後退してかわしながら、デーモンロードは左腕を振るった。炎が生じ、だが鞭ではなく剣の形に燃え固まって、左手に握られる。
間髪入れず襲いかかって来たレボルトの斬撃を、デーモンロードは炎の剣で受けた。
分厚い片刃の刀身と燃え盛る紅蓮の刃が、激しくぶつかり合って火の粉を散らす。
その間、デーモンロードの右手でも、ちぎれた炎の鞭が剣となり、斬撃を繰り出す。
それは、レボルトの楯で受け止められた。
デーモンロードの右手に、微かな痺れが走った。
このレボルトという魔獣人間の剣士、楯の使い方も巧みである。炎の剣ではない、実体ある金属製の剣であったら、叩き折られていたかも知れない。
(こやつを我が配下に加える事が出来れば、魔法の鎧の装着者どもとて恐れるに足りん)
デーモンロード単身では、あの者たちには勝てない。無念ながら、それは身体で思い知ってしまった。
少なくとも1名、腕の立つ配下の者が必要だ。
では、いかにして配下に加えるか。
力で叩きのめし、忠誠を誓わせる。それしかない。
魔族には、それしかないのだ。
左右2本の炎の剣が、紅蓮の嵐となって襲い来る。
燃え盛る斬撃を、刺突を、ジャックドラゴンは片刃剣で受け流し、あるいは楯で弾き返した。
防戦一方、に追い込まれつつある。それをレボルトは自覚せざるを得なかった。
隻眼とは思えぬ正確さでデーモンロードは、重量・熱量を兼ね備えた攻撃を立て続けに叩き込んで来る。
炎の双剣が、片刃の実体剣及び甲殻の楯と激突し続け、際限なく火の粉を散らせた。
(ぐっ……こ、これが、作り物の怪物でしかない魔獣人間とは違う……純然たる、魔物の力……)
声には出さず呻きながらレボルトは、炎の剣を楯で受けた。甲殻の楯が砕けてしまいそうな衝撃が、左前腕を痺れさせる。
左手が痺れている間に、レボルトは右手で片刃剣を振るった。
その斬撃は、しかしもう1本の炎の剣に弾かれてしまう。
「貴様に、1つ訊こう……」
いくらか間合いを開いて双剣を構え直しながら、デーモンロードが言う。
「赤き魔人とは一体、何者なのだ?」
「……それを、私が知りたいのだがな」
会話に応じつつもレボルトは、姿勢低く踏み込んだ。黒い大蛇のような尻尾が、後方になびく。
幅広い片刃の長剣が、デーモンロードの太い両足を狙って、横薙ぎに閃いた。
青黒い悪魔の巨体が、滑るように後退し、その低い斬撃をかわす。
追いすがり、剣を突き込みながら、レボルトはなおも言った。
「ダルーハ・ケスナーの息子、であるらしい。竜の血を浴びた怪物の息子……人間よりも貴様らに近い存在であるのは、間違いなかろうな」
「ダルーハの息子……か」
突き込んだ剣が、炎の刃に打ち返される。
もう片方の炎の剣が、反撃の形に一閃する。
レボルトは後ろに跳んでかわしたが、今度はデーモンロードの方が追いすがって来た。
「実はな、そうではないのだよ。ダルーハが、己の息子として育てたのだ……赤き竜の血を受け継ぐ、怪物をな」
「……何でも構わん、赤き魔人の正体など!」
レボルトは、怒声と一緒に炎を吐いた。カボチャの形をした頭部が、裂け目のような大口を開き、そこから球状の火炎を発射した。
デーモンロードの顔面で、爆発が起こった。至近距離からの、火球の直撃。
「うぬ……ッ」
筋骨隆々たる青黒い巨体が、後方に揺らぐ。隻眼の顔面には、しかし見てわかるほどの外傷はない。
竜の力を持つ魔獣人間の火球も、この怪物に対しては、顔面強打程度の一撃にしかならないようである。
構わずレボルトは、
「何であれ、貴様らもろとも討ち滅ぼすまでよ!」
怒りの気合いを宿した火球を2つ、3つと立て続けに吐き出した。
全て命中し、デーモンロードの強靭極まる体表面で爆発する。
筋骨たくましく青黒い巨体が、爆炎と爆風に圧されてよろめき、だが辛うじて倒れず踏みとどまっている。
レボルトは床を蹴り、太く長い尻尾をなびかせて踏み込んだ。
片刃の長剣が、斬撃と刺突の中間のような形に一閃する。
手応えが、レボルトの右手を震わせた。
デーモンロードの分厚い腹筋がザックリと裂け、消化器官と思われるものがドバァーッと噴出する。独立した生命体の如く脈打ち蠢く、悪魔の臓物。
それをデーモンロードは、
「ぬぐぅうッ……は、はらわたを晒すのは……不覚にもダルーハめに叩き斬られた、あの時以来よなあああああああ!」
左手でグチャリと掴み、己の腹の中へと強引に押し戻した。
そうしながら、突進して来る。
「こやつ……!」
驚愕するレボルトに向かって、炎の剣がゴォオッ! と巨大に燃え上がりながら、叩き付けられて来る。
斬撃、と言うよりも衝撃。
ジャックドラゴンの身体は、嵐に吹かれた木の葉の如く吹っ飛んでいた。
甲冑のような黒い外骨格が裂け砕け、剥き出しとなった筋肉が焼けただれる。
そんな状態でレボルトは床に激突し、転がった。
「ぐっ……ぅ……」
声は、辛うじて出る。苦痛の呻きだけならばだ。
右手では片刃剣が、折れた、と言うよりも砕けていた。
起き上がろうとするジャックドラゴンの喉元に、大型化した炎の剣が突き付けられる。
「真の勇者とは……貴様の事を言うのであろうなあ、レボルト・ハイマンよ」
ビチビチと暴れ蠢く臓物を、左手で己の体内へと押し込みながら、デーモンロードは右手で炎の剣をレボルトに向けている。そうしながら、苦しげに楽しげに笑う。
「よもや竜の御子に戦いを挑もうとしておったとは……ふ、ふふっ、ふっはははははは! 勇敢過ぎて笑いが止まらぬ」
「……殺せ……!」
そんな言葉を発するのが、レボルトは精一杯だった。
「私を生かしておいたところで、貴様の役になど立ちはせん……」
「そう死に急ぐな。私はな、お前に生きる道を示してやろうと言うのだ」
デーモンロードが、世迷い言を吐いている。
「その姿、その力……無理をしてまで人間の側に居続ける事もあるまい? 魔族の将として、生きてみよ」
「…………」
それも良いか、とレボルトは思い始めていた。このまま魔族の軍門に降る。そうすれば、いずれデーモンロードの寝首を掻く機会が巡って来るかも知れない。
あるいは自分の立ち回り方次第では、赤き魔人とデーモンロードを戦わせて共倒れさせる事も、不可能ではない。
「たっだいまぁ。帰ったわよン、御主人様ぁ」
野太い声が聞こえた。気配が、ぞろぞろと大広間に歩み入って来る。
立ち上がれぬまま、レボルトはそちらを見た。
入って来たのは、民衆だった。
ゴズム山中の、村々の民であろう。ゼノス王子に守られたタジミ村と違い、魔物たちの襲撃に抗する術も持たず、捕えられて来た村人たち。老若男女、100名近くはいるであろうか。
皆、一様に暗く疲れきった表情をしていた。負傷している者もいるようだ。泣きじゃくっている幼い子供も、少なくない。
そんな民衆の一団が、オーク兵士の部隊によって連行されて来たところである。
そのオーク兵たちを率いているのは、1体の魔獣人間だった。
巨体である。その全身で、極彩色の茸が無数、隆々たる筋肉の形を成しているのだ。
口からは幾本もの、ミミズあるいは蛸足のような触手が生え、言葉に合わせて蠢きうねる。
「いろんな所から人間ども、かっさらって来たわよぉ。もちろんウッフフフフ、ぶっ殺した数の方が多かったりするけどぉ」
「貴様……! うぐっ……」
起き上がろうとしたジャックドラゴンの胸板を、デーモンロードが片足で踏み付ける。
ざっくりと甲殻が叩き斬られた胸を、容赦なく踏みにじられながらも、レボルトは声を発した。
「貴様ら……バルムガルドの民を、どうするつもりだ……」
「魔獣人間に作り変える。片っ端から、ことごとくなあ」
デーモンロードが答える。それ以外の答えなど、あるわけがなかった。
今ここにいる村人たち、だけではないだろう。
ゴズム山中の村々のみならず、下手をすると今頃、王国全土の町村が、デーモンロード配下の魔物どもに襲われている。今頃でなくとも、いずれはそうなる。
大勢の民が、こうして拉致されて、魔獣人間製造の実験台となってしまう。ゴルジ・バルカウスではなく、魔族によって。
「やめろ……頼む、やめてくれデーモンロード殿……」
レボルトは、言葉遣いを変えるしかなかった。
「わかった、貴公の配下となろう……魔獣人間など不要となるほど、私が魔族のために働いて見せる。だから頼む、民衆には手を出さないでくれ!」
「ならば、そのまま私の足の裏を舐めろ……と言えば、本当に舐めてしまうであろうな。今の貴様は」
デーモンロードが、ジャックドラゴンの胸板から足をどけた。
「レボルト・ハイマンよ。貴様の人間どもを守ろうとする気持ち、かつてのダルーハ・ケスナー程度には本物であるようだな。泣かせる話ではある……だが魔獣人間は、人間どもを材料とする無尽蔵の兵力よ。手に入れぬ、わけにはゆかん」
オークの兵団が、村人たちに槍を突き付け、どこかへ引き立てて行こうとする。
「およそ100名といったところですか……第6から第9実験房へ25名ずつ、分けて監禁しておきなさい」
シナジール・バラモンとか名乗った半仮面の魔獣人間が、オークたちに指示を出している。
「この私が直々に手を加え……全員を、立派な魔獣人間にして差し上げます。人間たちよ、感謝なさい?」
「やめろ……!」
起き上がろうとするジャックドラゴンの腹部に、
「あらあら、なぁーに? このボロ雑巾みたいなのォ!」
重い衝撃がズドッ! と叩き込まれた。茸の魔獣人間による、蹴りだった。
身をへし曲げ、苦悶の呻きを噛み殺すレボルト。その頭を、シナジールが思いきり踏みにじる。
「ゴルジ・バルカウスの醜悪なる作品が!」
どこか嬉しそうに怒り狂いながらシナジールが、ジャックドラゴンの頭を何度も踏み付ける。
「身の程知らずの出来損ないが! まさか私に勝ったなどと思ってはいないでしょうねえ? 先程の私は、お前のあまりの醜さに吐き気を催して真の力を出せなかっただけ! 本気になればこの通り貴様など! 私の足元にも及ばぬという事、思い知りなさい! さあ思い知りなさぁああああいッッ!」
「た……頼む、デーモンロード殿……」
踏まれながらもレボルトは、シナジールなど無視して懇願した。
「わかった、全員助けろとは言わぬ……魔獣人間とするのは、15歳を超えた男子のみ……に、してくれぬか……女子供だけは、どうか助けていただきたい……頼む……」
「世迷い言が聞こえますねぇ、気のせいでしょーかああああッ!?」
「やめよ」
狂ったようにジャックドラゴンを踏み付けていたシナジールの動きが、デーモンロードのその一声だけで止まった。
怯えて黙り込んだシナジールを押しのけるようにデーモンロードが、片膝をついて間近からレボルトを見下ろす。
「……私の役に立ってみろ、レボルト・ハイマン。魔族の将として武勲を立てれば、望みも叶うであろう」
「…………」
下から睨み返す事しか出来ぬままレボルトは、自覚をしていた。自分の発言が、考えが、唾棄すべきものであると。
15歳以上の男は全て見殺し。女子供を助ける努力をする事で、その見殺しの罪から逃れようとしている。
(貴様は……とてつもない卑劣漢だな、レボルト・ハイマンよ……)
「では早速、1つ役に立ってもらおうか」
デーモンロードが獰猛に微笑み、牙を見せる。
「竜の御子……貴様が言うところの赤き魔人か。その所在は、掴めておるのか?」
「……掴んでいる。ここから、そう遠くない集落だ」
隠す事なく答えながらレボルトは、デーモンロードの顔を睨み、観察した。
左半分に刀傷を走らせた、隻眼の異相。
この怪物に、これほどの傷を負わせた者がいる、という事だ。
(誰かは知らぬ……が、託すしかないのか……)
立ち上がれぬままレボルトは、この場にいない者たちに、心の中で語りかけた。
(ゼノス・ブレギアス、それに魔獣人間ゴブリート……貴様たちに、託すしかないのか……事によっては赤き魔人、貴様にも)