第72話 人を守る力
マチュアが目を閉じ、念じた。可愛らしい右手が、淡く光を発する。
その光が、村人の血まみれの左肩に、優しく降り注ぐ。
がっしりとした中年の男性で、森での伐採作業の最中、倒れて来た木にぶつかったらしい。
そうして負傷した左肩からの、出血が止まったようだ。
「おお……」
血の止まった左肩をさすったり、左腕をぐるぐる回して見せたりしながら、その村人は驚き喜んでいる。
マチュアが目を開き、尋ねた。
「……お具合は、どうですか?」
いくらか疲労の滲み出た口調である。気力の消耗が、やはり大きいのだろう。
「治った……治っちまったよ、お嬢ちゃん」
動くようになった左腕で、村人は力こぶを作った。
「ありがとうなあ。すげえよ、あんた小っちゃいのに」
「……本当に凄いわ、マチュアさん」
ティアンナは、心からの賛辞を口にした。
「こんな小さな女の子が、癒しの力を使えるなんて……一体どこで身に付けたの?」
「メイフェム様が……基本を、教えて下さったのです」
俯き加減に、マチュアが答える。
この少女には、やはりメイフェム・グリムが必要なのだ。
タジミ村のはずれの、森の近くである。その森の方から、
「おぉーい、心配すんなお嬢ちゃん。メイフェム殿は生きてるって、絶対なあ」
ゼノス王子が、のしのしと歩いて来た。
今は人間ゼノス・ブレギアスの姿だ。たくましい裸の上半身にはまだ包帯が巻かれているが構わず、大きな荷物を運んでいる。
そのまま攻城兵器として使えそうな、巨大な丸太である。
それを1人で軽々と左肩に、天秤棒の如く担ぎながら、ゼノスは普通に歩いて普通に喋っていた。
「あの人のしぶとさってのぁ普通じゃねえんだから……おう村長さんよ、コイツどこまで運びゃあいい?」
「む、村の広場まで運んで下さると……こら! 何をしておるかお前たち」
ゼノスが担いでいる丸太に、村の子供たちが何人も、腰掛けたり跨がったりしていた。村長に叱られながらも、はしゃいでいる。
「村長村長、この兄ちゃんすげえんだぜ! 頭突きで木ぃぶち折っちまいやがんの!」
「はっはっは、真似するんじゃねえぞう」
笑いながら、丸太と子供たちを担いで歩くゼノス。
それを見てフェルディ王子が、シーリンの腕の中で、短い手足をばたつかせて喜んでいる。
「おおフェル坊、見てな。叔父さん、しっかり働くからよ」
などと言いながらゼノスが、子供たちを満載した丸太を軽々と担いだまま、村の広場へと向かう。
その子供たちが、問いかけている。
「なあなあ兄ちゃん。あんた兄ちゃんなのに、叔父さんなの?」
「おうよ。フェル坊は、俺の嫁さんの姉さんの子供だからなあ」
「嫁さんって、あれ? あの恥ずかしい鎧着たお姉ちゃん?」
「オッパイちっちぇー。あんなのがいいのかよ兄ちゃん」
「はっはっは、クソガキてめえコラ。あんま調子こいてんと喰っちまうぞう」
「兄ちゃん兄ちゃん、あんたバケモノに変身出来るって本当? おいらの父ちゃんが見たって言うんだ」
「おおよ。悪い奴が来たら、いつでも変身してやるぜい」
そんな会話をしているゼノス王子と子供たちを眺めながら、シーリンが言った。
「ねえティアンナ……結婚、してあげてはどう?」
彼女の細腕の中でフェルディ王子が、賛同するように喜びはしゃぐ。
「フェルディも懐いてしまっている事だし。この子の叔父上としても、私の義弟としても、申し分なく頼れる方だと思うわ。ゼノス王子は」
「……ヴァスケリア王族に魔獣人間を迎え入れよとおっしゃるのですか、姉上は」
睨むティアンナの眼差しを、シーリンは微笑みで受け止めた。
「貴女……魔獣人間は嫌い?」
「ダルーハ卿との戦いは、魔獣人間たちとの戦いでもありましたから」
ダルーハ軍の魔獣人間たちは皆、その力を破壊と殺傷のためにしか使わない、危険でおぞましい怪物ばかりであった。あの戦いを経験したら、魔獣人間という生き物に何か美点を見出す事など出来はしない。
「そう……貴女は戦っていたのよね。でも私たちには、戦う力がないから……」
赤ん坊を抱いたまま、シーリンは空を見上げた。
「力のある誰かに、守ってもらうしかなかったのよ。メイフェム殿、ゼノス王子……魔獣人間の方々が、私たちを守ってくれたわ」
「私どもも同じでございますよ、シーリン・カルナヴァート殿下」
村長が、おずおずと会話に加わってきた。
「あのメイフェム様も、ゼノス王子も……人間ではない方々が、この村を守って下さいました」
「俺たちを守ってくれるなら、人間じゃなくたって何だって構わないさ」
マチュアに怪我を治してもらった男が、溜め息混じりに言う。
「この国の、お偉い人間の皆様が、ろくでなしばっかりだからなあ……ジオノス2世陛下も、昔はいい王様だったんだが。最近は、ちょっとな」
「俺たちはもう、人間じゃない人たちに頼るしかないのかなあ」
別の村人が言う。
ティアンナは思った。この村にはやはり、ゼノス・ブレギアスの存在は必要不可欠なのだ。
ゴルジ・バルカウスの討伐には、ティアンナ1人で向かわなければならない。ゼノスは、この村に置いてゆく。破壊と殺傷にしか使えぬ魔獣人間の力を、村人たちのため、せいぜい役立ててもらうしかない。
思考を、ティアンナは中断した。
嫌な空気が、二の腕の辺りに、ぞわぞわと触れてきたのだ。
姉や甥や村人たちを背後に庇いつつ、ティアンナは魔石の剣を抜いた。
「? どうしたの……」
シーリンが、言いかけて息を呑む。村人たちが、怯えて固まる。
武装した一団が、こちらに歩み寄って来ていた。黒い鎧に軍装を統一された、体格の良い兵士の1部隊。
人間ではなかった。全員、首から上は豚である。猛々しく凶暴性を漲らせたその顔は、豚と言うよりも猪か。
オークである。それも山賊まがいの悪事を働く野良オークとは違う、精鋭と呼べるほどに鍛え上げられた兵士の一団である事が、ティアンナにはわかった。
そのオーク兵団の中に1体だけ、オークではない生き物がいる。岩のような外皮に覆われた、筋骨隆々の巨体。肉食類人猿のような顔面。携えた大型の戦斧は、城の石柱をも一撃で粉砕してしまいそうだ。
トロルである。凶暴で知性の欠片も感じさせない怪物であるが、人間と言葉で会話をする事は出来るらしい。
「デーモンロード様はおっしゃった……このゴズム山脈全域を魔族の要塞とするゆえ、人間どもを追い払えと」
肉食しか出来そうにない牙だらけの口から、トロルが流暢な人語を発する。
「脅して追い払うのが面倒ならば、皆殺しにしても良いと!」
デーモンロードというのが何者であるのか考えている暇もなく、オーク兵の群れが一斉に襲いかかって来る。槍、鎚矛、大型の剣……様々な武器が、ティアンナのみならず村人たちにも襲いかかる。
魔石の剣を掲げ、ティアンナは攻撃を念じた。
少女の微弱な魔力が、魔石で増幅されて刀身へと流れ込む。
雷鳴が轟いた。
魔石の剣が、電光を発していた。細身の刀身から溢れ出した何本もの稲妻が、オーク兵たちを直撃する。
大剣や鎚矛を村人たちに叩き付けようとしていたオークの群れが、バリバリと感電しながら動きを止め、痙攣する。
痙攣する彼らの身体が1つ、2つ、血飛沫を噴いて倒れた。
ティアンナの斬撃。電光をまとう細身の刃が、感電中のオークたちを、まさに落雷の如く襲う。
さらに2体のオーク兵士が、黒い鎧もろとも叩き斬られ、噴出した臓物を電熱で焦がしながら絶命する。
その凄まじい焦げ臭さに耐えつつ、ティアンナはとっさに身を低くした。艶やかな金髪が、フワリと舞い上がる。
鎚矛が1本、横殴りに唸って、その金髪をかすめる。
空振りした鎚矛を構え直したオーク兵が突然、グシャアッ! と吹っ飛んだ。
暴風のようなものが殴り込んで来て、さらに2匹、3匹とオークたちを薙ぎ払う。黒い鎧もろとも潰れひしゃげた肉の残骸が、様々な方向に飛んで行く。
ゼノスが、両腕で丸太を振り回しながら駆け寄って来たところだった。
「おう俺もよォ、めんどいからテメエら皆殺しにさせてもらうわ!」
巨大な丸太が暴風の如く唸り、さらに3匹のオーク兵を叩き潰し吹っ飛ばす。
先程までその丸太に乗っていた子供たちは当然、地面に下ろされ、今は悲鳴を上げて逃げ惑っている。そこへも、オーク兵士たちが襲いかかる。
ゼノスが、丸太を投げつけた。
子供たちを襲おうとしていたオーク兵5、6匹が、丸太の下敷きになった。
逃げて来た子供たちを自分の背後に集めながら、ゼノスはリグロア王家の剣を抜き放った。
そこへ隊長格のトロルが、
「ほう、我らに刃向かうか人間ども……」
戦斧を振りかざし、襲いかかる。
「ダルーハ・ケスナー亡き後の人間どもに、我ら魔族と戦う力があると言うなら見せてみろ!」
ダルーハ・ケスナーの名前が出た。
つまりこの怪物たちは、赤き竜の残党か。ヴァスケリア国内で勢いを取り戻しつつあった彼らが、バルムガルドにまで入り込んで来たという事なのか。
だとしたら、とティアンナは思う。自分はヴァスケリアの王族として、責任を感じなければならないのだろうか。
トロルの戦斧とリグロア王家の長剣が、ぶつかり合って火花を散らせた。
その火花が消えぬうちに、ゼノスの剣が、トロルの分厚い左胸に深々と突き刺さる。戦斧を振るおうとしていた巨体が、一瞬ビクッと痙攣し、硬直した。心臓を正確に穿たれ、絶命したのだ。再生能力を有するトロルが、その再生を開始する前に、一撃で身体機能を停止させられてしまったのである。
ティアンナは確信した。このゼノス・ブレギアスという剣士、魔獣人間となる前から、過酷なまでに武術の修練を積んでいたのは間違いない。
トロルの屍を蹴って、ゼノスが剣を引き抜く。そうしながら見回す。
怪物たちの数は、あまり減ったようには見えない。否、明らかに増えている。
トロル1体に率いられた、オーク兵士10体前後。その部隊が3個、いや4個、周囲に群れて、ゼノスとティアンナそれに村人たちを取り囲んでいた。
「おい小僧、貴様もしや……人間では、ないのではないか?」
トロルたちが、口々に言う。
「魔獣人間……か?」
「ゴルジ・バルカウスの遺作の1つ、か」
「ふむ、デーモンロード様のおっしゃった通りよな……魔獣人間は、我ら魔族への厄介な対抗手段となり得る」
「ここで叩き潰しておくまでよ」
ティアンナは耳を疑った。
ゴルジ・バルカウスの遺作。今、確かにそう聞こえた。
自分が国王の責務を放り出してまで討伐せんとしていた相手が、すでに故人となっているのか。
油断なく長剣を構えたまま、ゼノスが言う。
「な、なあティアンナ姫。俺、ゴルジ殿のイサクらしいんだけど……イサクって、何?」
「……後で教えてあげるわ。それより貴方、戦えるの? 怪我は大丈夫なのでしょうね」
「うわーん!」
ゼノスが突然、泣き出した。
「ティアンナ姫が! 俺の事、心配してくれてるよぉおおお!」
滝のような涙が飛び散る、と同時にゼノスの身体が猛然と動き、リグロア王家の剣が嵐の如く唸って弧を描く。
オーク兵士が、少なくとも5匹以上、真っ二つに叩き斬られた。血よりも大量の臓物が、ドバドバと噴き上がる。
「いや、貴方の事を心配したのではなくて」
怪我人が村人たちを守れるかどうかが心配なのだ、とティアンナは言おうとするが、ゼノスはもはや聞いてはいない。
「俺なら全ッ然大丈夫! 今の言葉だけで俺、3回くらい死ねるからよ!」
感激の涙をまき散らしながら、ゼノスは暴れた。包帯の下の筋肉を躍動させ、リグロア王家の剣を縦横に振るう。
応戦を試みるオーク兵たちが、構えた槍や大剣もろとも両断され、内臓模様の断面を晒した。
配下のオーク兵団を守るため、ではなかろうが、トロルたちが動いた。様々な大型武器を、多方向からゼノスに叩き付ける。
それらを片っ端から、リグロア王家の剣で弾き返しながら、ゼノスは叫んだ。
「ティアンナ姫! そーゆうワケで俺は大丈夫だからさ、義姉さんや村の連中と一緒に逃げてくれよ!」
「逃がしはせぬ……逃がすわけがなかろうっ」
トロルたちの中で特に大柄な1匹が、巨大な戦鎚を振り下ろす。それをゼノスは、剣で受けた。
戦鎚の長柄と、リグロア王家の剣が、ぶつかり合って交差し、噛み合う。押し合いの格好になった。
「デーモンロード様が、お起ちになったのだ。もはや人間どもに逃げ場など、あるわけなかろうがあ?」
「ぐっ……」
ゼノスのたくましい上半身で、包帯にじっとりと血が滲んだ。
「ゼノス王子……!」
助勢しようとするティアンナを阻む形に、オーク兵たちが襲いかかって来る。
襲い来る大剣や鎚矛をティアンナは、電光をまとう剣で、次々と受け流した。
得物から電撃を流し込まれたオークたちが、感電し、硬直する。
それを好機として、マチュアが進み出た。そして愛らしい片手をゼノスに向け、念ずる。
癒しの力が、発動した。
ゼノスの全身が一瞬、淡く白い光に包まれる。
「うお……ぉおおお……」
トロルの戦鎚に押し込まれながらも、ゼノスは声を震わせている。
震えるその声が、やがて雄叫びに変わった。
「おお……おおおぁああああああああああ!」
血の滲んだ包帯が、ちぎれ飛んだ。
その下から筋肉と獣毛が盛り上がり、翼が広がる。
リグロア王家の剣が、トロルの戦鎚を押し返した。
押し返されて揺らいだ巨体が直後、真っ二つになった。脳天から股間までを、リグロア王家の剣が、まっすぐに走り抜けている。
両断されたトロルの屍を蹴散らして、ゼノスは踏み込んだ。3つの頭部を振り立て、叫びながら。
「おおおお、ティアンナ姫がいなかったら惚れてるとこだぜお嬢ちゃあああああん!」
魔獣人間グリフキマイラ。マチュアによって癒された無傷のその巨体が、猛々しく踏み込みながら、右手で剣を振るう。左手で、猛禽の爪を振るう。
トロルの1体が真っ二つになり、別の1体が首をもぎ取られた。
果実の如くもぎ取ったトロルの生首を、左手に掴んだまま、ゼノスが口を開く。
雄叫びと融合した炎が、獅子の口から迸り出て、オーク兵の群れを焼き払った。大量の遺灰が、熱風に舞う。
「ゼノス王子……村の皆さんを、どうか守って……」
気力を使い果たしたマチュアが、意識を失いながら倒れてゆく。
「マチュアには……こんな事しか、出来ません……から……」
その小さな身体を、ティアンナは抱き止めた。
「……よくやってくれたわ、マチュアさん」
声をかけても応えはない。マチュアは、気を失っていた。
彼女に助けられた、と言ってもいいゼノスが、
「おう村の衆! こいつらは俺が皆殺しにしとくからよ、畑の肥やしにでもしてくれやあ!」
叫び、剣を振るい、左足を跳ね上げる。叩き斬られたトロルが、蹄に蹴りちぎられたオークが、吹っ飛びながら臓物をぶちまける。
フェルディ王子が、目をキラキラ輝かせて喜びはしゃいだ。そんな息子をシーリンが、視界を塞ぐ形に抱き締める。
が、目を輝かせているのはフェルディだけではなかった。
先程ゼノスに運ばれていた子供たちが、魔獣人間グリフキマイラが繰り広げる虐殺の光景に、熱っぽく見入っている。瞳の奥で、純粋な憧憬の思いを燃えたぎらせながら。
見ては駄目、とティアンナは言おうとして、思いとどまった。
子供が強い者に憧れるのは、当然なのだ。
加勢の必要は、全くなかった。
トロルもオーク兵士も皆殺しにし終えたゼノス・ブレギアスが、頭の3つある魔獣人間の姿のまま、浮かれている。
獅子、山羊、荒鷲。その3つの頭部に囲まれて、1人の赤ん坊が無邪気にはしゃいでいた。
シーリン・カルナヴァート元王女の息子、フェルディウス・バルムガーディ王子。
ジオノス2世の孫である赤ん坊が、今は三つ首の魔獣人間に騎乗し、きゃっきゃっと喜んでいる。
バルムガルドの王子によって乗り物にされているリグロアの王子を、村の子供たちが囲んでいた。皆、異形の魔獣人間を、英雄を見る目で見上げている。
子供たちにちやほやされながらゼノスは、フェルディウス王子を頭に乗せたまま、演武のような舞踊のような、珍妙な踊りを踊っている。
その周囲では村の大人たちが、トロルやオークの屍を片付けている。
そんなタジミ村の光景を、レボルト・ハイマン……魔獣人間ジャックドラゴンは、木陰から見物していた。カボチャに目と口が刻み込まれたような顔に、苦笑を浮かべながら。
「あの小僧が……よくもまあ、立派な怪物になったものよ」
立派な怪物、としか言いようのない戦いぶりだった。確かに、ゴルジ・バルカウスが傑作と自慢するだけの事はある。
ゼノス王子をレボルトの味方に引き入れる事が出来れば、あの魔獣人間ゴブリートによる妨害を突破し、赤き魔人を間違いなく討ち取れるだろう。
だが、状況が変わった。
実はタジミ村だけではない。ゴズム山中の村々や集落が今、同じような怪物たちによる襲撃を受けているのだ。
ここへ来るまでにレボルトは、トロル・オークから成る部隊を10個近く虐殺殲滅し、3つの村と2つの集落を救ってきた。鎧状の黒い外骨格や鱗が、今は怪物どもの返り血でドロリと汚れている。
もちろん救助が間に合わず皆殺しにされてしまった村も、1つや2つではない。
ここバルムガルド王国にも無論、トロルやオークは棲息している。だがレボルトの知る限り、せいぜい山賊程度の規模でしか群れる事はなかった。そんな怪物たちが、まるで軍事行動の如く、大規模な殺戮を行っているのだ。
しかもレボルトの聞き違いでなければ、トロルの1匹が、確かゴルジ・バルカウスの名を口にしていた。
ゴルジの身に、何事か起こったのではないか。
この怪物どもの大規模な行動は、それと何か関係があるのではないか。
調べてみる必要がありそうだった。事によっては、赤き魔人の討伐を後回しにせざるを得なくなるかも知れないのだ。
「それにしても……」
呟きながらレボルトは、木陰から目を凝らした。ゼノス王子の近くに立つ、2人の若い婦人に向かってだ。
1人は、シーリン・カルナヴァート元王女。
そしてもう1人は、まるで下着のような鎧に細身を包んだ、剣士姿の美少女。
見間違い、ではない。レボルトも1度、使者として謁見の機会を得た。
ヴァスケリア王国前女王、エル・ザナード1世。
叛乱に遭って生死不明と言われていたが、やはり死んでなどおらず、何故かバルムガルド国内にいる。
「一体どういうつもりなのだ……まさか、とは思うが」
レボルトの頭にまず浮かんだのは、この女王は自ら赤き魔人を引き連れて、バルムガルド王国内で破壊活動を行うつもりなのか、という事である。
だが今、彼女は赤き魔人と行動を別にしている。
大切な戦力を、あのような集落に置き去りにしたまま、エル・ザナード1世は何をしているのか。
「……まあ良い。貴女のお命も、今しばらくは預けておこう」
木陰からは相手に聞こえぬ声で、レボルトは呟いた。
怪物どもが、軍勢規模で動き始めた。
これは、下手をするとヴァスケリア王国と和睦せねばならなくなるかも知れない事態である。ヴァスケリアの王族に、うかつに危害を加えるべきではなかった。
レボルトは、これからの行動を決めた。
まずは1度、岩窟魔宮に戻る。ゴルジ・バルカウスの身に何事か起こったのであれば、それを確かめなければならない。
オークにトロル、もしかしたらこの先もっと強力な魔物が出現するかも知れない。とにかく、そんな怪物たちによる軍事的規模の殺戮に対抗するためには、ゴルジの力が……魔獣人間という戦力が、やはり必要になる。
実際このタジミ村も今、間違いなく、魔獣人間によって守られたのだ。
その魔獣人間が、フェルディウス王子を頭に乗せたまま、相変わらず楽しげに踊っている。周囲の子供たちが、それに合わせてはしゃいでいる。
そんな喜びの光景に背を向け、ジャックドラゴンは歩き出した。
歩きながら、レボルトは思う。
かつては狂人の誇大妄想としか思えなかったゴルジの考えが、しかし実は正しかったのだと、今は認めざるを得ない。
民衆を守るためには、魔獣人間という力が必要なのだ。
「貴様の思い通りだな……嬉しかろう? ゴルジ・バルカウスよ」