第71話 禍いの炎は再び燃える
あの時と同じだ、とアレン・ネッドは思った。
目の前が真っ暗になり、その暗黒の中でチカチカと光が閃く。じんわりと熱さを伴う痛みが、顔全体に広がってゆく。
殴られた時というのは、そんな感じだ。あの時、ダルーハ軍残党兵士たちから暴行を受けた時も、そうだった。
「そりゃローエン派の教えに反するんじゃねえのかい、兄ちゃんよ」
倒れたアレンを取り囲みながら、男たちは言った。
「俺たち敬虔なローエン派信徒がよぉ、何で世俗の役人どもに税金なんざ払わなきゃいけねえんだ?」
「払わなくていいっつったのアンタ方だろうがよ、ああ?」
「それがてめえ、いきなり政策が変わりましたで俺らが納得すると思ってんのかゴルゥア!」
1人が、蹴りを入れてきた。
アレンは倒れたまま身を丸め、顔面と股間だけは守った。
背中に、尻に、脇腹に、男たちの蹴りがガスガスと降って来る。
「役人の搾取から俺らを守ってくれンのが教会の役目じゃねーのかよ、おう! おう! おう!」
「ふざけんじゃねえ、俺ぁ銅貨1枚だって払わねえからな! どうしてもってんなら俺らの分までテメーが払え!」
ガルネア地方、リュセル村の唯一神教会。その礼拝堂前の広場でアレンは今、村人5名による暴行を受けていた。5人とも、20代から30代の男である。
ローエン派信徒に与えられる特権……兵役免除及び納税免除が目当ての、にわか入信者である事は、誰の目にも明らかな輩だ。
「……申し訳、ありません……」
そんな男たちに蹴り転がされながら、アレンは恐る恐る声を発した。
「ですが私たち真ヴァスケリアの民は、バルムガルドに頼らぬ、自前の財源を持たなければならないのです……」
真ヴァスケリア。それがガルネア・レドン・エヴァリア・バスク・レネリア計5地方の、国家としての名称である。
元々ヴァスケリア王国北部・東部の領土であったこの5地方は、今や1つの独立国となり、ラウデン・ゼビル侯爵とクラバー・ルマン大司教による政教両面からの統治を政治体制としていた。バルムガルドに嫁いだシーリン・カルナヴァート元王女が、近いうちに女王として擁立されるはずである。
「独立した国としての財力を、持たなければならないのです……だから、どうか税金を」
言おうとするアレンの口元に、男の1人が蹴りを入れた。唇がザックリと切れて、鮮血がしぶいた。
「国なんぞより俺ら1人1人の自由と幸福を守れってんだよ! そーゆうモンだろ宗教ってのぁよおおおおおお!」
「俺らの生活も守れねえで、何が独立した国だ! 寝ぼけた事言ってんじゃねえよバァーカ!」
血まみれの顔面を庇うアレンに、男たちはなおも容赦なく罵声と蹴りを浴びせてくる。
顔を覆う掌の下で、目を閉じたり開いたりしながら、アレンはちらりと見た。クオル・デーヴィが、そそくさと礼拝堂の中に姿を隠してしまうところを。
仕方がない、とアレンは思った。こういう暴力的な場面での勇敢さをクオルに求めるのは、酷というものだ。
クオルは何も悪くない。さらに言うなら、この男たちも悪くはない。
これまでのローエン派のやり方に問題があった、という事である。
バルムガルド王国が援助として恵んでくれた金を盛大にばらまき、信徒に様々な特権を与えてきた。
それはバルムガルドによる援助なくしては1日も生きられない、奴隷以下の人間を量産するに等しい愚行である。
それを最初に叫んだのは、マディック・ラザンであった。
声高に叫び過ぎて彼は教会を破門され、この地を追われて姿を消した。
クラバー・ルマン大司教が権勢を振るっていた頃は、何かを叫ぶ事すら出来なかったのだ。
そんな状況が多少なりとも変わったのは、ラウデン・ゼビル侯爵が乗り込んで来てからである。
ローエン派の傀儡に等しかった領主たちが、彼によって全員殺害され、クラバー大司教は一気に力を失った。
バルムガルド国王ジオノス2世による後ろ楯を得たラウデン侯は、ヴァスケリア北部東部5地方を統べる大領主となり、様々な改革を断行したのだ。
その筆頭が、それまでローエン派信徒に与えられていた様々な特権の廃止である。
ラウデン侯はクラバー大司教に対し、ほぼ恫喝に等しい交渉を行い、これを認めさせたらしい。
ローエン派の信徒も、そうではない一般人民と同じように、税を払わねばならなくなった。
それを受け入れようとしない者たちが、しかし武力を有するラウデン侯爵に何か物申すでもなく、武力を持たぬアレンのような下級聖職者に、こうして怒りと憎しみをぶつけて来る。
仕方がないのだ、と己に言い聞かせながら、アレンは顔と後頭部と股間を庇い続けた。
男たちが罵詈雑言を吐きながら、アレンの尻や背中を蹴りつけ、脇腹を踏みにじる。
(もしも私が……徴兵されて、戦に出る事になれば……こんな目に遭う程度では、済まないだろうな……)
そう思い続ける事で、アレンは痛みに耐えた。
ローエン派信徒の納税免除の特権は、撤廃された。だがもう1つの特権、兵役免除の方は、そのまま残ってしまったのだ。
大領主となって早々、大規模な徴兵を行うと宣言していたラウデン侯だが結局、ローエン派信徒はおろか一般人民に対する徴兵すら、今に至るまで行われていない。
ラウデン侯爵が、ローエン派関係者にも税を納めさせるため譲歩したのだ、と言われている。
だがアレンは、あのアマリア・カストゥールが何か政治的な事をしたのではないか、と思っている。
クラバー・ルマン大司教の秘書。聖女などと呼ばれ、唯一神教ローエン派の全てを陰から動かしていると言われる尼僧。彼女の言葉添えがなければ、クラバー大司教は己のその日の行動すら決める事が出来ない。
ラウデン侯爵による恫喝まがいの交渉に、実際に応対したのは、大司教ではなく秘書アマリアの方であろう。
彼女とラウデン侯との間で、どのようなやり取りが行われたのかはともかく。兵役が課せられる事はないとわかって安心してしまった自分が、アレンは情けなかった。徴兵に応じ、ここ真ヴァスケリアの自前の戦力の一部となる。その覚悟は、決めていたつもりなのだが。
「楽な生活が出来ると思って入信してやったのによぉ、全然意味ねえじゃねーかクソボケがッ!」
男の1人が、アレンの頭をガスッ! と踏み付けた。
(これも、罰……なのですね、唯一神よ……)
衝撃に揺れる脳の中で、アレンはぼんやりと思考した。
(私は今朝も、夢の中で……エミリィに、あんな事やこんな事を……その罰なのですね……)
「お取り込み中……なのかしら?」
声がした。冷ややかな、若い女の声。
「見たところ、特に重要な用件で取り込んでいるわけではなさそうね……それなら、私の用事を先に済まさせてくれないかしら」
灰色のローブをまとう、地味ながらスラリと優美な姿が、いつの間にか教会の敷地内に入り込んで立っていた。
若い娘である。20歳の少し前、であろうか。さらりとした髪に囲まれた顔立ちは、美しいが険しい。
エミリィの方がずっと可愛い、とアレンは思った。
「何だてめえ……」
男たちの敵意に満ちた問いかけに、その娘はとりあえず答えた。
「私はイリーナ・ジェンキム。単なる通りすがりの旅人よ……この教会の司祭様は、癒しの力を使えるそうね? 私、ちょっと怪我をしてしまって」
そう言って彼女は、軽く左手を掲げて見せた。
白く繊細な手に、痛々しく包帯が巻かれている。
自分は見ての通りの状態であるからクオルに任せるしかない、とアレンは思うのだが、そのクオルは礼拝堂の入口付近に隠れ、相変わらず怯えている。
「……姉ちゃんよ、そのくれえの怪我なら引っ込んでてくんねえか」
男たちが、女性に対して剣呑な声を発している。
「こちとら生活かかってんだよ。この司祭様と、きっちり話つけねえ事にゃ」
「……生活がかかっているなら、働いたらどうなの」
イリーナ・ジェンキムが恐れた様子もなく、さらに冷ややかな口調で言い放つ。
「そんな弱い者いじめに没頭したところで、生活の足しになるわけではないでしょう?」
「何だこのクソアマはぁあああああ!」
男たちの暴力性が、怪我人の女性に向けられてしまう。
「いけない……!」
アレンは1人の男の足にすがりつき、だが即座に蹴り払われた。
非力な司祭を蹴り飛ばして一顧だにせず、男たちが足取りも荒々しくイリーナに歩み迫って行く。
「そんな怪我じゃ済まねえ目に遭いてーようだなああああ!」
「駄目だろオイ! 俺らローエン派にそんなナメた口きいちゃあ」
「神罰って奴を身体で思い知りやがれ!」
聞くに耐えぬ言葉に返事をする事もなく、イリーナは左手を下げ、代わりに右手を掲げた。こちらは無傷である。包帯ではなく指輪が、綺麗な中指に巻き付いている。蛇の形をした、指輪。
それが、光を発した。
空中3ヵ所に、その光が投影される。
光の紋様が3つ、出現していた。正確な円と、その内部を満たす文字あるいは記号のようなもの。
光で空中に描き出された3つのそれらが、何かを地上に産み落とした。がしゃ、ガシャッ、がしゃっ、と金属的な着地音が3回、立て続けに響いた。
光の紋様の中から現れ、降り立ったものたち。それは、3人の騎士であった。露出の全くない鈍色の全身甲冑に身を包み、それぞれ長剣を、槍を、戦斧を携えている。
イリーナに乱暴を働こうとしていた男たち5人が、立ち止まって固まった。全員、何が起こったのか理解出来ずにいる様子だ。
うち1人が倒れ、地面に脳髄をぶちまけた。頭を、叩き割られている。
甲冑騎士の1人が、いきなり襲いかかって戦斧を振り下ろしたのだ。
「な……」
何だてめえ、などと言おうとしたのであろう2人目の男の口に、槍が突き刺さった。
甲冑騎士の2人目が、踏み込んでいた。
踏み込みと共に繰り出された槍の穂先が、男の口から入って後頭部からズブリと現れ、そのまま3人目の男の側頭部に突き刺さる。
人間の頭2つを串刺しにした槍を、甲冑騎士が無造作に振り回す。後頭部と側頭部に大穴の空いた2体の屍が、ドシャッと放り捨てられ石畳に横たわる。
生きた人間が、死体という物に変わる光景。それを見るのが、アレンは初めてではない。とある人間ならざる若者が、嫌になるほど見せつけてくれたものだ。
彼は今、どこで何をしているのか。
アレンがそんな事を思っている間に、3人目の甲冑騎士が長剣を振りかざし、残る2人の男に斬り掛かっていた。
「ひぃっ、ななな」
「何だ、何だよおぉおぉ」
悲鳴を垂れ流しながら、2人が倒れた。倒れた身体から、ころころと生首が分離する。
首を刎ねたばかりの長剣を、妙にぎこちなく振り構えながら、甲冑騎士が左右を見回す。
が、もはや彼らの獲物となるべき者はいない。先程まで凶暴に喚いていた男たちは、今や5人とも屍だ。
ガイエル・ケスナーによって叩き潰され、引きちぎられ、ぶちまけられたダルーハ軍残党兵士らと比べて、この5つの死体の何と綺麗な事か。アレンはつい、そんな事を思ってしまった。
殺戮を終えた甲冑騎士3人が、光に包まれてゆく。と言うより、光に変わってゆく。あるいは戻ってゆく。白い光の粒子となり、キラキラと宙を流れて行く。
優雅に掲げられた、蛇の指輪へと向かってだ。
「あらあら……人が死んでいるわねえ? 一体どうしたのかしら」
イリーナ・ジェンキムが、冷ややかな声を発した。
彼女の右手、繊細な中指に巻き付いた蛇の指輪が、先程まで甲冑騎士たちであった光の粒子を、1粒残らず吸収してしまう。
礼拝堂前の広場には、5つの死体だけが残された。
それらを何喰わぬ顔で見回し、イリーナはなおも言う。
「恐いわねえ、犯人はどこへ消えてしまったのかしら……ねえ、そこの貴方」
冷ややかな眼差しと問いかけが、アレンに向けられた。
「犯人を見た? 見ていないわよね? もちろん」
「……はい。私は、何も見ておりません」
そう答えるしかないまま、アレンはよろよろと立ち上がった。
「それより、旅の御婦人……その、お怪我をなさっているのでしたね」
「この村の教会には、癒しの力を使える司祭様がいらっしゃると聞いたわ。もし貴方がそうなら」
イリーナの冷たく険しい美貌に、少しだけ、本当に少しだけ、気遣わしげな表情が浮かんだ。
「私の怪我を治して欲しいのはもちろんだけど、その前に……貴方が御自身に、癒しの力を使うべきね」
「それは……どうか、お気遣いなく」
軽く片手を掲げ、アレンは念じた。
イリーナの左手が一瞬、白い光に包まれた。
「あら……」
少しだけ驚いた様子で、イリーナは己の左手を見つめ、包帯をほどいた。
傷1つない、綺麗な素手が現れた。
いかなる傷を負っていたのかは不明だが、とにかく一筋の傷跡も残っていない左手をまじまじと確認しつつ、イリーナが言う。
「……おいくら、かしら?」
「いえ、お代をいただくような事では」
答えながらアレンは、己の身体に片手を触れた。
淡い光が、全身を包み込む。身体じゅうで熱を持っていた激痛が、急速に薄れてゆく。
この癒しの力がある限り、殴る蹴るの暴行くらいは、いくら受けても問題はない。
とは言え、このイリーナ・ジェンキムという初対面の婦人に、結果として助けてもらったのは事実である。
「どうも……助けていただいて、ありがとうございました」
「貴方たちは、無償で人を治しているの?」
アレンの謝礼を無視して、イリーナは訊いてきた。
「その癒しの力、身に付けるのは楽ではなかったのでしょう? お金儲けに使っても、罰は当たらないと思うわよ」
「私ども聖職者は、日々の衣食住を保証されておりますから」
何かをして金銭を要求するなど、だから許されはしないのだ。そう言葉を続けようとしたアレンだが、イリーナが先に言った。
「その保証……バルムガルドから出ているお金によるもの、なのでしょう?」
「それは……!」
息が詰まったように、アレンは絶句した。本当に息が詰まってしまう思いだった。
イリーナは、なおも言う。
「自前の財力を持たなければならない。貴方、そんな事を言っていたわね……ごめんなさい。実は少し前から、隠れて見ていたの」
自前の財力を。自分は何と身の程知らずな事を言ったのだろう、とアレンは思った。自分で出来ていない事を、他人に求めていたのだ。殴られても蹴られても、当然だ。
「自前の財力を得るためには、何か商売をするしかないと思うわ。身につけた技術を使って、平和的にお金を得る。それは唯一神の御心に反する事かしら?」
金をもらって、癒しの力を使う。そんな事をして発覚すれば、間違いなく教会を破門されるだろう。あの友のように。
(マディック……私に、君のような気概があれば……)
「何と……何という……」
クオル・デーヴィがようやく礼拝堂の中から、よろよろと歩み出て来た。そして、男たちの屍の傍らに跪く。
「何という、酷い事を……」
「……それは、私の事かしら?」
アレンに対してはいくらか穏やかだったイリーナの顔が、再び険しく引き締まった。
それに気付いた様子もなく、クオルは嘆く。
「この方々にだって、人生があったのだぞ。家族が、いたのだぞ……それを、このように……ひど過ぎる! この人殺しの魔女め!」
「人殺しの魔女。否定はしないわ……臆病者の司祭殿よりは、ましだと思うけれど」
イリーナの右手で、蛇の指輪が光った。
空中に1つだけ光の紋様が生じ、そこから甲冑騎士が現れ、クオルの眼前に着地する。
「ひっ……!」
尻餅をついたクオルに、甲冑騎士が槍を突き付ける。
「私……貴方たち以外にも1人、ローエン派の聖職者を知っているわ」
イリーナの口調は、殺意に近い冷ややかさを宿していた。
「役立たずで、そのくせ言う事だけは立派で……けれど言うだけではなく、きちんと行動をしていたわ。その行動が常に良い結果をもたらしたかどうかはともかく、行動をしない傍観者よりはずっとまし。まったく、何という事かしらねえ」
イリーナが、溜め息をついた。
甲冑騎士の槍が、ずいとクオルに近付けられる。
「噂には聞いていたけれど、ローエン派は本当に腐っているのね……役立たずのマディック・ラザンが、ましに思えてしまうなんて」
「ま、待て。待ってくれ」
怯え震えて口もきけずにいるクオルの代わりに、アレンが命乞いをした。
「どうか許して欲しい、クオル・デーヴィに悪気はないんだ。彼はただローエン派の教義に忠実なだけで……そ、それよりも」
アレンは、喋りながら息を呑んだ。
「貴女は……マディック・ラザンの知り合いなのか? 彼は今、どこで何を」
「戦っているわ」
イリーナは、遠くを見た。
「私は、その戦いを手伝う事が出来ない……足手まといにしか、ならないから。こうして、あてのない旅をしているの」
このような甲冑騎士たちを自在に操る力を持ちながら、足手まといにしかならない。そのような戦いが、どこで行われているのか。
そんな戦いに、マディックは身を投じているのか。
ある1人の若者が、この地を去る時に言い残した言葉を、アレンは思い出さずにはいられなかった。
(平和主義のローエン派も、いずれ戦わねばならぬ時が来る……貴方の言った通りになりつつあるのか? ガイエル・ケスナー……)
治療液に漬けて回復してやった、までは良い。
問題は、そうして復活してきた魔獣人間2体に何か使い道があるのか、という事である。
「今……何と言ったのです、ゴルジ・バルカウスの分際で……」
サーペントエルフが、怒りと屈辱に身を震わせている。
ゼノス王子に叩き斬られた身体は、完全に治っていた。しかし顔面に刻み込まれた一筋の刀傷だけは、何故か治療液でも完治させる事が出来ず、傷跡となって残ってしまった。
その顔をサーペントエルフは、怒りで青ざめさせている。
構わず、ゴルジは言った。
「エル・ザナード1世女王に危害を加えてはならぬ、と言ったのだ」
ゴズム岩窟魔宮の奥深く、ゴルジ・バルカウスそのものと言うべき大広間である。
岩肌と融合した各種体組織を振動させながら、ゴルジは説明をしてやった。
「人間という種族そのものが、魔獣人間という戦力を保有する……私のその理想を達成するためには、あの女王の存在が必要不可欠なのだよ。貴様たちに語ったところで理解出来るとは思わぬがな」
「あの小娘は……醜悪・愚劣・非力なる者の分際で、美しく叡智と力の溢れるこの私に対し、許し難き罪を犯したのですよ……美しく叡智ある者として私は! あの小娘に! 罰を与えねばならぬ! それをお前ごときが禁ずるなど」
「美しいとか叡智とか、何回も言ってんじゃないってのよ。ウザいったらありゃしないんだから、もう」
マイコフレイヤーが、舌打ちのように触手を跳ねさせ、吐き捨てる。こちらも、ゼノスにほぼ両断された胴体が完全に繋がり癒えており、全くの無傷である。
無傷ではない美貌を醜く歪め引きつらせ、サーペントエルフはそちらを睨んだ。
「今のは……私に対する台詞、ですか? 作られし者の分際をわきまえず……」
「そうねえ、確かにアタシを魔獣人間にしてくれたのはアンタ。だから今まで御主人様扱いしてやったけどぉ……あーんなヘタレっぷりを見せられちゃあねえ」
「この……出来損ないが……ッッ!」
「出来損ないは貴様ら2匹ともだ。いい加減にしておけ」
ゴルジが言うと、魔獣人間2匹はとりあえず争いをやめた。そして互いに向けていた敵意を、ゴルジに集中させる。
「2匹とも……ってアタシ含むって事? ふぅーん。ゴルちんのクセに、そーゆうコト言うんだぁあ」
「ゴルジ・バルカウス……この世で最も醜悪愚劣なる者が、私に対し! 何たる物言いをするかああああああ!」
サーペントエルフの怒声に合わせ、いくつもの火球が生じて浮かんだ。燃え盛る流星のように、それらが一斉に飛ぶ。
同時に、サーペントエルフの両手から、電光が迸る。
周囲で蠢くゴルジの体組織を、片っ端から灼き尽くすべく放たれた攻撃魔法。
それらがバリバリバリッ! と阻まれ、消え失せた。
灼かれる寸前だった各種体組織が、紫色の電撃光を発生させたのだ。防護膜の形に大広間全体を奔ったそれが、サーペントエルフの火球と電光を、全て打ち砕いていた。
そして、魔獣人間2体を襲う。
滑稽な悲鳴が上がった。
マイコフレイヤーが、サーペントエルフが、紫色の電光に絡み付かれて倒れ、焦げ臭さを発してのたうち回る。
「ぎゃ……ぴぃいい……や、やめてゴルちん様ぁあああ」
「あうっぐ、ひっぎぃいいいいいいい!」
絶叫を激しくするサーペントエルフに、ゴルジは嘲笑を浴びせた。
「この岩窟魔宮内部で、私に戦いを挑むとは……あまり叡智ある行いとは言えんなあ」
「ひっぐ……ま、ままま待ちなさいゴルジ・バルカウス」
サーペントエルフが、起き上がろうとして失敗し、へたり込みつつ言う。
「ああ貴方の力は、よくわかりました。利用して差し上げます! かかか感謝なさい」
もはや会話の相手をしてやる気にもなれずゴルジは、電撃を激しくした。
紫色の稲妻が、大広間全体を駆け回りながら、轟音を立てて膨張してゆく。
その激烈なる雷鳴の中、サーペントエルフが必死に叫んだ。
「わっ私の目的は魔獣人間の本分を尽くす事! 愚劣非力醜悪なる人間どもを、管理し守り導く事! 人間という種族そのものを守らんとする貴方の理想とは同調出来るはず、どっどどど同調なさい早くなさい、ひぃいいいいいい!」
「貴様ごときが魔獣人間の本分を口にするでないわ……出来損ないがッ」
罵り呻きつつも、ゴルジは思う。期待はずれとしか言いようのない輩であったが、たった1つだけ、喜ばしい事をしてくれた。
レグナード魔法王国の切り札とも言うべき魔獣人間たちよりも、今この時代にゴルジ自身が作り上げた魔獣人間の方が、どうやら優れた力を持っている。それを、この2匹は証明してくれたのだ。
「ゼノス王子とレボルト将軍がおれば良い……メイフェム殿も、もしかしたらまだ何かやってくれるかも知れん。つまり貴様らは要らぬという事だ……死ね」
極限まで膨張・激烈化した紫の電光を、ゴルジが魔獣人間2体に思いきり叩き付けようとした、その時。
「要らぬなら私がもらおう。使い捨ての戦力にはなる、かも知れんからな」
穏やかに、声をかけられた。
大広間の入口に、人影が1つ、岩壁にもたれて立っている。
身なりの良い、恐らくは貴族階級の、初老の男……に見えるその男が、さらに言った。
「ついでだ。この魔獣人間製造施設は、私がもらって行くぞ」
「何だ、貴様は……」
ゴルジは問いかけたが、この男が一体何者であるのか、わかっているような気もした。
「いや、貴様……まさか……?」
「身体を癒しながら、私は考えたのだ」
紫色の雷が荒れ狂う大広間に、初老の男は、恐れた様子もなく歩み入って来る。
「魔法の鎧と、魔獣人間……この2つの手段を、人間どもから奪っておかねばならぬ。問題は、どのように奪うかという事だ。完全に破壊し尽くしてしまうべきか、無傷で奪って我らが使用するか」
もはや会話を続けようとはせずゴルジは、荒れ狂う紫色の電光を全て、初老の男に集中させた。
魔獣人間2体を灼き殺すためのものであったはずの電撃が、岩窟魔宮を崩落させかねない雷鳴を響かせて、1人の男を直撃する。何の変哲もない初老の人間にしか見えない男をだ。
その男が、ゴルジの全魔力を宿した電撃の嵐に灼かれながらも、普通に声を発している。
「とりあえず使ってみる事にした。何しろ上手くゆけば、人間どもを材料とする、無尽蔵の兵力を得る事が出来るのだからな」
大型の翼がバサッ! と羽ばたき、紫の電光を打ち払った。青黒い、皮膜の翼。
先程まで初老の男の姿をしていたものが、ゴルジの電撃を弾き飛ばしながら、正体を現していた。
「人間どもが持つ、我ら魔族へのもう1つの対抗手段……魔法の鎧を叩き潰すために、使わせてもらうぞ」
強靭な青黒い外皮に包まれた、筋骨隆々の巨体。翼を広げ尻尾を伸ばしたその姿は、悪魔、としか表現のしようがない。比喩表現としての悪魔ではない。純然たる、1つの生命体としての悪魔である。
頭から生えた2本の角は、まるで発狂した鍛冶屋が作った刀剣の如く、ねじれ渦巻いている。
猛獣のようでもあり、猛禽あるいは怪魚のようでもある顔面には、一筋の傷跡が、左目を断ち切りながら走っていた。
「ゴルジ・バルカウス……我らへの対抗策として魔獣人間という手段を選んだ貴様の、目の付け所は悪くなかった。だが悲しいかな、人間どもの理解は得られなかったようだ」
隻眼の悪魔が、そう言ってニヤリと牙を見せる。白く鋭い牙。
この怪物は300年前、魔獣人間の試作品を何体も、その牙で喰いちぎり噛み砕いていたものだ。
「誰にも理解されず、ただ人間という種族そのものを守ろうとした……滑稽なほどに哀れなる者よ。滅びて、楽になるが良い」
「デーモンロード……!」
禍々しい名を、ゴルジは口にした。
「貴様……貴様は……!」
「魔獣人間の研究は全て、我ら魔族が引き継いでやる」
デーモンロードが、左手を振り上げる。振り上がった左手が、燃え上がる。
その炎が大蛇の如く伸び、燃え盛る鞭となった。そして、振るわれる。
ゴルジは魔力を振り絞り、電撃を発生させた。
紫色の放電光が、轟音を発して駆け巡り、大広間全体に広がるゴルジの体組織を防護する。
その電光の防護膜が、炎の鞭に薙ぎ払われ、打ち砕かれてゆく。防護対象である、各種体組織もろともだ。
(死……ぬ……? 私が、死ぬのか……)
岩肌と融合した自分の身体が、炎の鞭によって片っ端から焼き払われ、焦げ砕けてゆく。それを感じながらゴルジは、心中で呆然と呟いた。
「お……おお、素晴らしい力……いいでしょうデーモンロード、貴方を利用して……あっ、いや! 貴方に利用されて差し上げます。感謝なさい?」
「あはっ……見ぃつけた、新しい御主人様あぁ」
魔獣人間2匹がデーモンロードの背後に隠れ、そんな事を言っている。
が、このような者どもなど、ゴルジはもはやどうでも良かった。
人間どもの理解は得られなかったようだ。
デーモンロードのその言葉だけが、脳裏に反響している。
(そ、そうだ……貴様たちさえ、私に協力していれば! 私の邪魔をしなければ! 魔獣人間の研究は、もっと飛躍的に進んでいた! このデーモンロードめの復活にも、備えておく事が出来たのだ! そもそも貴様らが、こやつを仕留め損ねたせいで!)
そんな恨み言を繰り返す思考器官を、炎の鞭が直撃する。
(責任を、取れるのであろうな……リムレオン・エルベット……)
それが、ゴルジ・バルカウスの最後の思考となった。