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第68話 裏切りの魔獣王子

 秀でた暴力の持ち主は、欲望のままに悪事を働く事が出来る。

 その一方、善行と呼べるような事が、全く出来ないわけでもない。例えば、弱き人々を暴力で脅かす者どもを、より強大な暴力をもって排除する。ガイエル・ケスナーが、大いに行っていた事だ。

 メイフェム・グリムはそれをやって、タジミ村におけるシーリン・カルナヴァート母子の生活を確保していたようである。

 ヴァスケリアのサン・ローデル地方において領民を大いに殺戮した女魔獣人間が、しかしタジミ村の人々にとっては、いなくてはならぬ強力な用心棒であったのだ。メイフェム・グリムがいたからこそ村人たちは、何の役にも立たぬ非力な王族母子の面倒を見ていたのである。

 そのメイフェムが、いなくなってしまった。

 自分たちが彼女の代わりを務めるべきなのだろうか。

 そんな事を考えながらティアンナは、タジミ村の農道を歩いていた。朝の散歩、のようなものである。

「貴女は王族として、とてつもなく軽率な事をしている。とは思うけれど……」

 隣を歩くシーリン・カルナヴァート元王女が、溜め息をついた。

「……私に言える事、ではないわね」

「姉上には、感謝しております」

 ティアンナは言った。

「貴女が大人しく傀儡の女王となってしまわれていたら、ヴァスケリアは今頃、大変な事になっておりましたから」

「今でも大変なのでしょう? でも貴女や、それに兄上が頑張っておられる、とは聞いていたわ」

 シーリンが、懐かしそうに微笑んだ。

「……兄上は、お元気?」

「元気に怒っておられます。捨て扶持で安穏と暮らす夢が大いに遠のいた、とね」

 自分がこんな所にいるせいで玉座に座る羽目になってしまった兄モートンの顔を、ティアンナは思い浮かべた。

 エル・ザナード1世失踪後のヴァスケリアに致命的な動乱が起こっていないのは、まぎれもなく新国王ディン・ザナード4世……モートン・カルナヴァート元副王の力量によるものである。

 兄が頑張ってくれている間に、やり遂げておかなければならない事が、ティアンナにはあるのだ。

「姉上……ゴルジ・バルカウスという方を、ご存じですか?」

「メイフェム殿から聞いているわ。バルムガルド王国に魔獣人間という戦力をもたらした……元凶、という事になるわね。貴女に言わせれば」

 魔獣人間が国王に仕え、失踪した重要人物を捜し連れ戻すような仕事をしている。

 ここバルムガルドでは、魔獣人間の実用化が、そのような段階にまで達しているのだ。

 一刻の猶予もない。早急にゴルジ・バルカウスの命を奪い、彼の研究の産物をことごとく破壊せねば。

 ティアンナは、そう思うのだが。

「いよう。どうだい景気は?」

 ゼノス・ブレギアスが、朝の農作業にいそしむ村人たちに声をかけている。魔獣人間グリフキマイラの姿で、のしのしと歩きながらだ。当然ながら全裸であるが、腰の辺りに、リグロア王家の剣を鎖で結わえ付けてある。

 魔獣人間に声をかけられた村人たちが、怯え、震え上がり、硬直しながら愛想笑いで応えた。

 そんな村人たちにマチュアが、おはようございます、と大人しめな挨拶をする。

 頭の3つある大柄な魔獣人間が、若い女2人と小さな少女1人を引き連れて歩いている。その様を、村人たちはどのように見ているのだろう。女子供3人がこれから怪物に喰い殺される、などと思っている者も、いるのではないか。

 その怪物の頭の上で、フェルディ王子がはしゃいでいた。

 獅子、山羊、荒鷲。3つの頭部に囲まれ、きゃっきゃっと楽しげな声を発している。小さな手で、獅子のタテガミや山羊の角をいじり回しながらだ。

 赤ん坊を頭に乗せてのしのし歩くグリフキマイラの姿は、まるでフェルディ王子に騎乗され操られているようでもある。

 シーリンが、しおらしい言葉を発した。

「……ごめんなさいねゼノス王子。息子が、とんだ御無礼を」

「なぁぁにをおっしゃいますかお義姉(ねえ)さん。可愛い甥っ子にこんなに懐かれて、俺ぁ最高に幸せっすよ」

 獅子の口が世迷い言を吐き、山羊の口と鷲のクチバシが嬉しげな奇声を発する。そんな3つの頭部に囲まれ、フェルディ王子がさらにはしゃぐ。

 ティアンナは、腕組みをした。今、実に難しい決断を迫られている。

 姉と甥には、やはりメイフェム・グリムの代わりとなる存在が必要なのだ。

 この村にゼノス・ブレギアスを置いてシーリン母子の保護を任せ、ティアンナが1人でゴルジ・バルカウスの所へ向かうべきか。

 だがゼノス王子の助力なくしてゴルジを討ち取る事が、自分に出来るのか。

(私1人では何も出来ない……それは、わかりきっていた事なのに……)

 ティアンナは空を見上げた。

 同じ空を、見つめているのであろうか。

 強い殿方に頼りきって生きる。それがどれほど楽で何の苦しみもなくいられるかを教えてくれた、あの若者も。

(ガイエル様……私はやはり、貴方がいなければ何も出来ないのでしょうか……)

「あ、あのう……」

 マチュアが、声をかけてきた。大きな瞳を震わせ、不安げにティアンナを見上げている。

「何ですか? マチュアさん」

「ティアンナ姫は、ヴァスケリアの女王様……なんですよね……」

 今は違う、と説明する暇を、マチュアは与えてくれなかった。

「メイフェム様は、どうなってしまうのですか? あの方は、サン・ローデルで大勢の人を殺して……でも、マチュアの事は助けてくれて」

「……難しい問題ですね、それは」

 崖下に落ちたというメイフェム・グリムが、もし生きているのだとしたら。ヴァスケリア王族としては当然、放置しておくわけにはいかない。

「捕えて、死刑を宣告せねばならなくなる……かも知れません」

「じゃあ、このまま……し、死んでしまっていた方が、メイフェム様は幸せ……なのでしょうか……」

 言いながら、マチュアが青ざめてゆく。

 ある意味、シーリンやフェルディ以上にメイフェム・グリムを必要としているのが、この少女なのかも知れない。代わりではなく、メイフェム本人を。

「安心しな、お嬢ちゃん。メイフェム殿は生きてるぜ」

 ゼノスが言った。

「崖から落っこちたくれえで死んじまうようなら、兄さんたちとの戦いでとっくに殺されてらぁな……それよりお義姉さん。メイフェム殿を崖の下に落っことしやがったのは、あのレボルト・ハイマンの野郎なんだって?」

「……はい。貴方と同じく、魔獣人間となっておられました」

 シーリンが俯いた。

「メイフェム殿は、私のせいでレボルト将軍に……」

「レボルトくそ将軍が、あんたを連れ戻そうとしてやがると。そうゆうワケなんだな」

 フェルディを頭に乗せたまま、グリフキマイラは考え込んだ。この男でも何か考える事があるのか、とティアンナは思った。

「……なあティアンナ姫。俺たちの結婚、もうちっと待ってもらってもいいかな」

「いいわよ。千年でも一万年でも待ってあげる」

 ティアンナは即答した。

「……どうして貴方がそんな気になったのか、一応は訊いておいてあげましょうか?」

「クソ国王のジオノス2世が、魔獣人間なんぞ使って義姉さんを取っ捕まえようとしてやがる。そいつを、まず何とかしねえと」

「ゼノス王子……私の事など、どうかお気になさらず」

「1度、気になっちまったもんを、気にすんなってのぁ無理なんスよ義姉さん」

 シーリンの言葉を遮り、ゼノスは言った。

「俺の嫁さんの姉上が難儀してるってのに、知らん顔して俺たちだけ幸せになるなんて出来ねえよ。なあ、ティアンナ姫?」

「先程からの貴方の言葉、訂正しなければならない部分は多いけれど」

 ティアンナは言った。

「とりあえず、ほんの少しだけ……貴方を見直したわ、ゼノス王子。他人のために何かをしようという心が、全くないわけではなかったのね。魔獣人間にしては、見上げたものよ?」

「いえぇぇぇい、ティアンナ姫に褒められたぜえぇえ」

 ゼノスが、演武のようでもある珍妙な踊りを始めた。楽しげに揺れる3つの頭の中央で、フェルディも喜んでいる。

 この上なく楽しそうな2人の王子を観察しながら、ティアンナは考えた。

 姉母子の身の安全を確保するには、どうすれば良いか。

 これからも行動を共にし、シーリンを捕えに来る者たちを撃退し続ける。あるいはヴァスケリアに連れ帰り、国王ディン・ザナード4世に保護を求める。

 どちらにせよ、ゴルジ・バルカウスとの戦いは後回しにせざるを得ないか。

(否……それよりも)

 ガイエル・ケスナーなど問題にならぬほど残虐な考えが突然、ティアンナの頭に浮かんだ。

 ゼノス・ブレギアスに、祖国リグロアの仇討ちをさせてやれば良い。

 すなわちバルムガルド王宮に魔獣人間グリフキマイラを殴り込ませ、国王ジオノス2世以下、バルムガルド現政権の中枢に在る者たちを皆殺しにさせる。その過程でゴルジ・バルカウスを戦いの場に引きずり出す事が出来れば、これを討つ。

 シーリンを捕えようとする者たちを根絶出来ると同時に、上手くすればティアンナの目的をも果たせるのだ。

 その後、フェルディ王子を新国王として擁立する事が出来れば、ヴァスケリアによるバルムガルド併呑も夢ではない。

 ティアンナが己の肉体を捧げて哀願すれば、ゼノスはそのくらいの事はしてくれるだろう。

(いけない……いけないわ。強大な暴力があると、本当に何でも出来てしまう……)

 赤ん坊を頭に乗せ、楽しく踊っているグリフキマイラ。その姿を見つめ、ティアンナは思う。

 この男と、あるいはガイエル・ケスナーと行動を共にしている時、何度も思ったものだ。自分にも彼らほどの力があれば、と。

 殿方に汚れ役を押し付ける事もなく、自分の力でダルーハ・ケスナーを討つ事も出来たのに、と。

 だが、今は思う。

(私にゼノス王子と同等の力があったら……今、考えた事を、迷いなく実行に移していた……)

 踊っていたグリフキマイラが突然、動きを止めた。獅子の目が、山羊の両眼が、荒鷲の瞳が、油断なく周囲を睨む。

 おかしな気配のようなものを、ティアンナも感じてはいた。

「……やはり貴殿であったか、ゼノス王子」

 人影が3つ、ゆらりと歩み寄って来たところである。

 ローブあるいはマントに身を包んだ、3人の、恐らくは男。村人たちではない。訪問者、と言うより侵入者だ。

「何だ……ゴルジ殿じゃねえか」

 ゼノスが、嬉しそうな声を出した。

「わざわざ迎えに来てくれたんかい、もしかして」

「道に迷っておるのでは、と思ったのでな。案の定であったか」

 3人のうち最も体格の貧弱な男が、言った。枯れ木のような身体をローブに包み、楯の如く平らな仮面を顔に貼り付けている。

 ゴルジ殿。ゼノスに今、確かにそう呼ばれた仮面の男が、さらに言う。

「レボルト・ハイマン将軍が、この辺りで消息を絶ったそうな。ゼノス王子、何かご存じではないのか」

「……俺じゃねえよ。メイフェム殿が、崖下まで道連れにしちまったんだとさ」

「どうも姿が見えぬと思ったら、そのような事を……まあ、連絡を密にしておかなかった私の責任であろうな」

 仮面の下で、ゴルジは溜め息をついたようだ。

「……してゼノス王子、そちらの姫君が?」

「おうよ。俺の嫁さん……エル・ザナード1世こと、ティアンナ姫だぜい」

「ゴルジ・バルカウス……貴方が?」

 枯れ木がローブを着たような仮面の男を、ティアンナは睨み据えた。

 その眼光を仮面越しに受け止めつつ、ゴルジ・バルカウスが跪く。

「御拝謁の機会を賜り、恐悦至極に存じます……エル・ザナード1世陛下」

「仮面を被ったままの拝謁とは無礼の極み、と思ったけれど」

 ティアンナは、魔石の剣を抜き放った。

「脱ぐ必要はありません……おぞましい素顔が、たやすく想像出来るから」

「お、おいティアンナ姫……」

 困惑するゼノスの言葉を、ティアンナは口調鋭く遮った。

「ご苦労様ねゼノス王子。私の目的も訊かずに、ここまで案内してくれた事……本当に、感謝しているわ」

 魔石の剣が、白い光を帯びてゆく。少女の微弱な魔力が魔石で増幅され、刀身に流れ込んでいるのだ。

 白色の攻撃魔力を帯びた剣を恐れた様子もなく、ゴルジが言う。

「貴女様の目的とは、このゴルジ・バルカウスの命……で、ございましょうか」

「貴方の目的も、一応は訊いておいてあげるわ。私に何か用事があって、ゼノス王子を差し向けたのでしょう?」

 訊くまでもないか、とティアンナは思った。魔獣人間が大きな顔をしているバルムガルド王国の現状を見れば、この男の目的は明らかである。

「我が目的は、ただ1つ。人間という生き物が持つ可能性を、開花させる事でございますよ……魔獣人間という形で、ね」

 思った通りの答えを、ゴルジは口にした。

「そうせねば人間は滅びます……滅ぼされてしまうのですよ」

「私には、貴方こそが人間に滅びをもたらす存在であると思えますが」

 現在バルムガルドで行っている事をゴルジは、ヴァスケリア王国でも行おうとしている。

 そのために彼は、女王エル・ザナード1世を、懐柔するなり拉致するなり、とにかく自分の陣営に引き込むべく、ゼノス・ブレギアスを派遣したのだ。

「……今の私は女王ではありません。私を引き込んだところで、ヴァスケリア一国を私物化出来るわけではありませんよ」

「それは御謙遜が過ぎましょう。ダルーハ・ケスナーを討ち、大いなる復興をもたらしたる女王……ヴァスケリアの民は、エル・ザナード1世陛下の復位を心待ちにしております」

「ヴァスケリアの民を代表するような口をきくものではないわ……」

 ゴルジと会話をしながらもティアンナは、会話に全く参加しようとしない2つの人影を、油断なく観察した。

 ゴルジが伴って来た、2人の男。マントとフードで、顔も身体も覆い隠している。片方はすらりと背が高く、もう片方は筋骨隆々の巨体である。

 彼らを紹介しようともせず、ゴルジは語った。

「逆賊によって擁立されたる女王を、認めるわけにはゆかぬと。そのような立て前でジオノス2世陛下は、そちらのシーリン・カルナヴァート殿下を傀儡として用いようとしておられます……が、私の見たところ、ヴァスケリア王国に君臨なさるべき御方はエル・ザナード1世陛下ただお1人にございます」

「……何故、そのように買い被って下さるのでしょうか」

「貴女は、ヴァスケリアの民を守るためとあらば手段を選ばぬ御方であらせられる」

 仮面の下で、ゴルジの両眼がギラリと輝き、熱く鬱陶しくティアンナに向けられる。

「知っておるぞ。ヴァスケリア国内では、かの赤き竜の残党が勢力を盛り返しておるのであろう。3つか4つしかない魔法の鎧で、それらの災厄を鎮められるのであろうか? 鎮められぬ災厄で、ヴァスケリアの人民が苦しんでいる。となれば、貴女は必ずや認めるであろう……魔獣人間という戦力を、国家として保持する事を」

 黙りなさい。などと言う代わりに、ティアンナは踏み込んでいた。白く輝く魔石の剣が、一閃した。

 楯のような仮面が、真っ二つになった。素顔が明らかになる前に、鮮血と脳漿の混ざり物が大量に噴き上がった。

 弱々しく倒れゆくゴルジを、他の2人が嘲笑う。

「うぷっ……ゴルちんダサッ」

「語りに熱中して無様を晒す。そういうところも300年前から変わりませんねえ」

 ゴルジの仇を討とう、という気は、今のところはないようだ。

 終わったのか。

 ティアンナは、胸中で疑念を渦巻かせた。ゴルジ・バルカウスを殺す事に、自分は成功したのか。女王失踪などという醜態を晒してまでバルムガルド王国に潜入した、その目的は果たされたのであろうか。

 そうではない事が、すぐに明らかになった。

「そう……それよ。ヴァスケリアに禍いをもたらすもの、と判断するや否や、迷いなくそれを排除する。暴虐なる手段をも辞さずにな……」

 叩き斬られたゴルジの死骸が、言葉を発している。喋りながら、死骸ではないものへと変わってゆく。

 切り裂かれたローブをさらに破きながら、細身の屍がメキッ! と膨張する。

 露わになったのは、甲虫のような外骨格だった。

「貴女は、必ずや受け入れるとも……魔獣人間という手段を、ヴァスケリアの人民を守るために……」

 トロルほどもある、巨大な人型の甲虫。それが、むくりと立ち上がる。

「ヴァスケリアの王は、貴女のような人物でなければならぬ……復位せよ、エル・ザナード1世。ディン・ザナード4世など、私が魔獣人間を送り込んで暗殺してやる」

 その頭部は、頭蓋骨の形に固まった甲殻である。それが、狂気そのものの声を発している。

「そして……傀儡の女王など、要らぬ」

 人型甲虫の右手が、シーリンに向けられた。五指そのままの形をした巨大な爪が、バチッ……と紫色の電光を帯びる。

「ゴルジ殿……! 何やってんだ、あんた……」

 ゼノスが、息を呑みながら声を引きつらせる。

 シーリンに向けられた右手の帯電を、少しずつ激しくしながら、ゴルジは答えた。

「傀儡政権を使ってのヴァスケリア併呑、などという回りくどい戦略は潰す。そうすれば陛下とて、魔獣人間の軍勢による直接のヴァスケリア侵攻に踏み切らざるを得なくなる……おわかりかエル・ザナード1世陛下。レボルト・ハイマン将軍率いる魔獣人間軍団が、バルムガルドから貴国へと攻め込むのだぞ。そうなれば貴女とて、魔獣人間という戦力を求めざるを得なくなるはずだ……安心せよ、このゴルジ・バルカウスが力を貸して進ぜる」

 立ちすくむシーリンに向かって、ゴルジの右手から、紫色の電撃光が迸る。

 否。迸る寸前で、ティアンナは斬り掛かった。

「させない……!」

 白い魔力光を帯びた剣が、ゴルジの右手を切り落とすべく一閃し、そして空振りをした。

 ゴルジが回避した、わけではなかった。

 人型甲虫の巨体そのものが、その場からグシャアッ! と吹っ飛んでいた。

「ゴルジ殿のバカやろう!」

 ゼノスだった。グリフキマイラの力強い右拳が、超高速で弧を描いて唸り、ゴルジを殴り飛ばしたのだ。

 フェルディ王子が、母親を救うべく、三つ首の魔獣人間を駆り操っている。ティアンナには、やはりそのように見えてしまう。

 様々な体液にまみれた甲殻の破片が、飛び散った。

 人型甲虫の巨体が、今や原形なき肉の残骸に変わり、発射寸前で潰された紫の電光にパリパリと絡まれながら宙を舞う。そして落下し、地面にぶちまけられつつも声を発する。

「がっ……ぐ……わ、私を裏切るのかゼノス王子……」

「俺だって、裏切りたかぁねえよ……あんたは俺に、この馬鹿力をくれた恩人だからなぁ……」

 頭に赤ん坊を乗せたままグリフキマイラが、体液まみれの右拳を震わせて呻く。

「恩人でもなあ、許せる事と許せねえ事ってのがあんだよ……俺の! 義姉さんを! 殺そうとしてんじゃねえ! しかもコイツの目の前でよおおおおおおおッ!」

 頭上のフェルディを指差しながら、ゼノスは獅子の口で吼えた。

 ひしゃげた肉塊と化したゴルジが、弱々しく蠢きながら萎びてゆく。そんな様でも、言葉を発している。

「ふ……そうか、私を許せぬかゼノス・ブレギアス……それも良い、好き放題に振る舞ってみよ。要は貴様が……あの赤き魔人から、人間という種族そのものを守る……力と、なってくれれば良い……」

「赤き魔人……?」

 ティアンナにとって、聞き逃す事の出来ない単語である。

「それは一体、誰の事です……」

「この場にいる者たちの中では、貴女が最もよくご存じのはずであろう……あの怪物の事は……」

 憎悪と、それを上回る恐怖が、ゴルジの口調に宿る。

 間違いない、とティアンナは思った。ゴルジ・バルカウスは、あの若者と出会ったのだ。

 どこで、なのか。まさか彼が今、バルムガルド王国にいるのか。

「上手く飼い馴らしておられる……つもりであろうが、女王よ……あれは、いずれ人間という種族そのものに大いなる禍いをもたらすであろう……そうなった時、最も必要となるのは……魔獣人間という、力」

「笑わせないで」

 死にゆくゴルジの言葉を、ティアンナは容赦なく断ち切った。

「あの方が、人間という種族の敵に回って本気で暴れ始めたとしたら……魔獣人間ごときの力で止められはしません、絶対に」

「魔獣人間ごとき……とは聞き捨てなりませんねえ」

 ゴルジの同行者2名が、ティアンナの言葉に、不穏な反応を示す。

「我ら魔獣人間に頼らねば身を守る事も出来ぬ、非力・醜悪・愚劣なる人間風情が……」

「あぁんもう、女ってムカつく! この女、特にムカつく!」

 筋骨隆々の巨漢が、フードとマントを脱ぎ捨てた。

「ねえゴルちん、コイツ殺しちゃっていい? イイわよねえ? ねえ? ねえ?」

 隆々たる筋肉と思われたものは、全て茸だった。

 その大柄な全身で、色とりどりの茸が、胸板や腹筋や僧帽筋、三角筋、上腕二頭筋その他の形に盛り上がり、固まっているのだ。

 首から上も茸の塊で、顔面らしきものはない。ただ、恐らくは口であろうと思われる部分から、蛇のようなものが何本も伸びてニョロニョロと蠢いている。蛇と言うよりは、ミミズか。タコの足、に見えない事もないそれらが、

「うっふふふ……どう? 触手よ触手。ちょっと期待しちゃってる? やーねぇ」

 言葉に合わせて、ウニュウニュと嫌らしく揺らめきうねる。

「だけどねえ……あざとい下着鎧なんか着ちゃってるバカ女の身体になんて、使ってあげないわよーだ。あたしのコレはねえ、可愛くて綺麗な男の子をニュルニュルうにゅうにゅ虐めて可愛がってジュルジュルしゃぶってあげるためにあるのよん。アンタみたいな露出趣味の低能オンナはぁ……この魔獣人間マイコフレイヤーが! その使い道なさそうな脳ミソ引きずり出して、代わりに馬糞ぶち込んじゃうんだからぁあああああああッ!」

「……ゼノス王子……こやつらを倒し、エル・ザナード1世陛下……及びシーリン・カルナヴァート殿下を、守ってみせよ……」

 ゴルジが、最後の言葉を発した。

「こやつらを、倒せぬようでは……赤き魔人には、勝てぬ……ぞ……」

「赤き魔人なんて奴の事ぁ知らねえが」

 言いつつ、ゼノスが身を屈める。

 3つの頭に囲まれて居座っているフェルディ王子を、ティアンナはそっと抱き上げた。

「とにかく、このクソどもは俺がぶち殺す……クソ野郎だって事ぁ、見ただけでわかっちまう。あぁーやだやだ。可愛い甥っ子の目の前で、テメエらのド(ぎたね)えハラワタぶちまけにゃならねえたぁな」

 赤ん坊の騎乗から解放されたグリフキマイラが、魔獣人間マイコフレイヤーと対峙する。

 ゴルジはすでに、物言わぬ肉と外骨格の残骸と化していた。

 叔父を自称する魔獣人間に向かって名残惜しげに手足をばたつかせるフェルディ王子を抱いたまま、ティアンナは考えた。

 ゼノス王子が、ゴルジ・バルカウスを討ち取ってくれた、という事になるのだろうか。

 何となく、違うような気がした。この人型甲虫を1匹、叩き潰したくらいでは、ゴルジ・バルカウスの命を奪った事にはならないのではないか。

 それを考えるよりも今はまず、この場を切り抜ける事が先決である。

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