第65話 炎の闘士たち(前編)
何日か前に1度、血を吐いた。誰にも見られなかったはずである。
国王が病に倒れた、などという噂を流させるわけにはいかない。ジオノス2世の失脚を目論む者どもを、勢い付かせてしまう事になる。
そういった輩は、レボルト・ハイマンがあらかた始末してはくれた。
だが国に腐敗をもたらす者どもは、すでにある腐敗の中から、際限なく蛆のように湧いて出るものだ。
ここバルムガルドは、繁栄しながら腐敗しつつある王国である。
その責任が自分にある事を、ジオノス2世は自覚してはいた。
国の腐敗を取り締まるのに、最も必要なものは何か。国を思い腐敗を憎む、清廉なる愛国の志か。優れた政治的能力か。
違う。暴力だ。
腐敗をもたらす者どもを有無を言わせず排除し、それに対するいかなる批判をも封じ込める、圧倒的な暴力。それさえあれば、10年かかる改革を1日で成し遂げる事が出来るのだ。
人間ならざる者が、人間の政に介入するべきではない。レボルト・ハイマンのその言い分は、ジオノス2世とて理解はしている。
人間ではないものによって、人間の政治も軍事も乗っ取られてしまう。その危険性は、レボルトに語られるまでもなく、充分に理解は出来る。
だがレボルトも、理解してくれているのだ。今のバルムガルド王国を立て直すには、暴力が必要不可欠であるという現実を。
だから彼は、自身の信念に背いてまでも魔獣人間として力を振るい、腐敗なす者どもを片っ端から処分してくれている。
そのレボルト・ハイマンと、しかし連絡がつかなくなっていた。シーリン・カルナヴァート元王女を発見し、ヴォルケット州タジミ村へと向かったきりである。
シーリン元王女の身柄を確保したのなら、そろそろ彼女を伴って王宮へと戻っても良い頃だ。
確保、出来なかったのであろうか。
レボルトの力をもってしても、人間の女性1人を捕えるのに成功していない。それは何を意味しているのか。
「何者かによる妨害……としか思えぬ」
王宮の中庭、国王専用の瀟洒な東屋である。
ジオノス2世は深々と椅子に座り、言った。眼前に跪く、3つの人影に向かってだ。
「レボルト将軍を妨害し得る力を持った何者かが、いるという事だ。そなた、心当たりがあるのではないのか?」
「……ない事も、ございませぬが」
3人のうち1人、枯れ木のような身体をローブに包んだ男が言った。顔には、のっぺりとした仮面が貼り付いている。
「無論そなたを疑っておるわけではない……だがゴルジ・バルカウスよ。自身の作り上げた怪物どもを、そなた今ひとつ制御出来ておらんのは事実であろう? 好き勝手に振る舞い、結果としてレボルトの邪魔をしておる魔獣人間も、いるのではないか」
「陛下の御明察……返す言葉も、ございませぬ」
ゴルジ・バルカウスが、少なくとも口では恐縮している。
この男の目的は、見え透いていた。国王ジオノス2世の権力を利用し、バルムガルドで思うさま魔獣人間製造を行う事だ。国民を、材料として。
人間ではない者どもに、国を乗っ取られる。その第一歩を、ジオノス2世は踏み出してしまった。
バルムガルドの最も愚かなる王として、名を残す事になるかも知れない。
それがわかっていて、なお必要とせざるを得なかったのだ。人間ではないものの強大なる暴力を。人間の王国を立ち直らせ、より富ませるために。
「……ぐ……っ……」
ジオノス2世は、込み上げてくる咳をこらえた。今、咳をしたら、血を吐いてしまう。
医者にはかかっていない。
医者という人種を、ジオノス2世は信用していなかった。医者に殺された王族は大勢いる。ジオノス2世自身、何人もの医者を抱き込んで、政敵を始末してきたものだ。
教会には、癒しの力を使える聖職者がいない事もない。だが軽い怪我ならともかく、老体の人間を蝕む病を取り除けるほどの者はいない。
自分の命が、尽きようとしている。それは誰よりもジオノス2世自身、身体で理解している事だ。
急がなければならない。やっておくべき事は、山ほどある。王国内の腐敗の一掃。そして隣国ヴァスケリアの併呑。
自分の存命中にそれらを成功させるには、魔獣人間という国王直属の暴力が必要なのだ。
このゴルジ・バルカウスという男の力が、どうしても必要なのである。
数年前、ゴズム山脈にて、レグナード魔法王国の遺跡が発見された。
その内部奥深くで300年の眠りについていた、巨大にして醜悪なるもの。それがゴルジ・バルカウスの本体である。
岩窟魔宮と名付けられた、その遺跡……レグナード時代の魔獣人間製造施設は、形としては現在、バルムガルド王家の管理下にある。だが実質的には、ゴルジの自宅のようなものだ。
いや。あの遺跡そのものがゴルジ・バルカウス自身である、と言うべきかも知れない。
今ここにいる仮面の男など、いくらでも量産可能な分身体に過ぎないのだ。
ゴルジ・バルカウスという存在がある限り、バルムガルド王国は、魔獣人間という戦力をずっと持ち続けていられる。
そう。傀儡国家建設などという回りくどい手段を用いずとも、魔獣人間の軍勢でヴァスケリア王国を直接的に侵略・征服する事が、決して不可能ではないのだ。
それを実行した場合の問題点は1つ。ヴァスケリアを征服した魔獣人間たちが、バルムガルドからの命令……人間の下す命令に、果たして従ってくれるのか、という事である。
ヴァスケリアが、魔獣人間の支配する独立王国となって牙を剥き、叛旗を翻す。そうなってしまう可能性の方が、高いのだ。
魔獣人間は、あくまで影の存在でなければならない。大々的な対外戦争になど、投入するべきではないのだ。
レボルト・ハイマンはそう語る。ジオノス2世も、理解はしている。
だからヴァスケリアは、やはり傀儡国家を通じて間接的に侵略・併呑してゆくのが最も望ましい。
「レボルト将軍が、まだお戻りではない……との事でございましたか」
ゴルジが言った。
「将軍の御身に、何か不測の事態が生じたのやも知れませんな」
「それを調べてもらうために、そなたを呼んだのだ」
レボルト・ハイマンには頼り過ぎている、とジオノス2世は思う。腐敗の取り締まりから失踪者の捜索まで、ありとあらゆる面倒事をあの将軍に押し付けてしまっていた。
せめてヴァスケリア併呑くらいは、レボルト将軍の……魔獣人間の力を借りず、人間の政治力をもって成功させねばならない。
そのためにもシーリン・カルナヴァート元王女を、何としても連れ戻さなければならないのだが。
「シーリン殿下及びレボルト将軍、御両名の捜索を……どうか、この者たちにお命じ下さいますよう」
後方に控える2つの人影を、ゴルジは紹介した。
跪く、2人の男。ともにマントとフードで全身を覆い隠している。
片方は優美な長身で、顔は見えないが、優男であろうと想像は出来る。
もう片方は、マントの上からでも筋骨隆々たる体格が見て取れる巨漢だった。
ゴルジ・バルカウスが連れて来たのである。人間であるはずがなかった。
「魔獣人間か……そなたの自信作、というわけかな」
「言葉に気をつけなさい、人間の国王よ」
優男の方が、許可もなくユラリと立ち上がりながら言う。
「我々はゴルジの作品などではありませんよ。レグナード魔法王国の在りし日より時を経た、真の魔獣人間……叡智と力そして美をもって、貴方がた愚劣・脆弱・醜悪なる人間たちを導いて差し上げるため、大いなる覚醒を遂げたのです。さあ、歓喜なさい?」
「岩窟魔宮の最奥部に封印されていた者どもか……!」
ジオノス2世は、息を呑んだ。
「ゴルジよ、そなたが封印を解いたのか?」
「ゴルちんに、そんなコト出来るワケないじゃない? アタシらが自力で目覚めちゃったのよん」
巨漢が、やはり許可もなく立ち上がりながら、野太い声を発する。
「そーゆうワケだからぁ、何か面白いコトさせなさいよねぇ。アンタみたいなジジイじゃなく、可愛くて綺麗な男の子が絡んでくるようなコト……何かないのォ?」
「やめんか。国王陛下の御前なるぞ」
ゴルジが叱りつけた。あるいは、挑発した。
「この時代、お前たちの力を知る者など生き残ってはおらん。口で言うほどの力を、貴様らが本当に持っているのかどうか……まずは、それを陛下にお見せするのだ。戦いもせず赤き魔人から逃げて来た者どもに、果たしてどれほどの力があるのかをな」
「……言ってくれンじゃない、弱虫ゴルちんのクセに」
巨漢が、低く剣呑な声を発した。
「確かにバカが1匹、殺されちゃったけどォ……それだけでアタシらの力、見切ったつもりになられちゃ困るのよねぇえ」
「だから、その力を見せてみよと言っているのだ。この私にもな」
「まあ確かに、この私の美と叡智そして力、まずは人間の国王に見せておくべきでしょうかねえ……いいでしょう。そのレボルト将軍及びシーリン殿下なる者たちを、捜し捕えて来れば良いのですね?」
(さあ……またしても人間ならざる者どもが、そなたを捕えに行くぞ。シーリン王女)
ここにはいない嫁に、ジオノス2世は心中で語りかけた。
(一刻も早く、戻って来い。さもなくば……この怪物どもを使って、そなたの祖国を侵略蹂躙せねばならなくなるかも知れんのだぞ)
改革を行えば、切り捨てられる者が必ず出て来る。
ヴォルケット州大守スタン・ルービット侯爵は、腐敗した地方貴族のまさに典型とも言うべき人物だった。だから処刑した。
その煽りで州軍兵士たちが職を失い、兵員住宅を追い出され、集落を作っての貧しい生活を余儀なくされているという。
哀れ、と思うだけならば簡単だ。
哀れな者たちを、しかし1人残らず救ってやれるわけではない。いくらゴルジ・バルカウスが最高傑作と誇る魔獣人間であろうと、そこまでの力はない。
「この近くです、将軍」
ミリエラ・ファームが、先導して山道を歩いている。
緑のほとんどない、岩山である。ここを歩き抜けると、いくらかは緑豊かな場所に出る。
そこに、改革で切り捨てられた者たちが、集落を作って暮らしているらしい。
彼らを、巻き添えで皆殺しにしてしまう事になるかも知れない。
それで赤き魔人を倒す事が出来るなら、安い犠牲だ。レボルトは、そう思い定める事にした。あの怪物が負傷している、この好機を逃すわけにはいかないのだ。
レボルトが今、着用しているのは、粗末な歩兵用の軍装である。女性用の甲冑に身を包んだミリエラと一緒に歩いていると、妙齢の女騎士が若い兵士1人だけを引き連れているような様となる。
その女騎士が、歩兵姿の将軍の方を、ちらりと振り返って言う。
「……陛下にお知らせしておかないで、よろしかったんでしょうか?」
「赤き魔人を、確実に仕留めてからで良い」
レボルト・ハイマンが、シーリン元王女を連れ戻しに行ったきり連絡を絶った。王都では、そのように思われているかも知れない。
「……陛下には、ぬか喜びをしていただきたくないのだ」
「ぬか喜び……ですか?」
ミリエラが、怪訝そうな顔をする。
「怪我して弱ってる赤き魔人を、将軍が……その、仕留め損なっちゃうかも知れないと?」
「手負いであろうが何であろうが、あの怪物に確実に勝てる自信など……持てはせんよ、私はな。ミリエラよ、お前はどうだ?」
「勘弁して下さい……」
ミリエラは、泣きそうな声を出した。
「あのバケモノが怪我してようが何してようが、私なんかが勝てるわけありません……だから、将軍にお知らせしたんです」
「そうであったな。あやつは、私が倒さねば……」
言いつつ。レボルトは苦笑した。
負傷している相手を、全力で襲って殺す。それを、倒す、などと言えるのか。倒すとは、戦いで打ち勝つ事を言うのではないのか。
自分が今、やろうとしている事を、戦いなどと呼べるのか。
(愚かなりレボルト・ハイマン……貴様は今から、武術の試合をやりに行くわけではないのだぞ)
レボルトは、自身を叱りつけた。
自分が今から行うのは、戦争である。
戦争とは、すなわち弱っている敵を確実に攻め滅ぼし、自国の損害を未然に防ぐ事。正々堂々の戦いなど、許されはしないのだ。
(宿敵……などと思っているわけではあるまいな? 私は、赤き魔人を……)
過去に1人、レボルトにとって、宿敵と呼べるような者が、いる事はいた。
ラウデン・ゼビル侯爵。ヴァスケリア王国随一の豪将。
国境の戦において、レボルト率いるバルムガルド王国軍4万を、小兵力で大いに苦戦させてくれた人物である。
あの戦は結局、赤き魔人によって台無しにされた。
その後、自分はこうして人間をやめ、ラウデン侯は今やヴァスケリア東部北部の独立地方を束ねる大領主である。人間の政の、表舞台で戦わねばならぬ身となったのだ。
人間の政に関わってはならぬ者と相まみえる事など、もはや有り得ない。
(赤き魔人は、私が殺す……もはや貴公を助ける者はおらぬぞ、ラウデン侯)
この場にいない者に語りかけつつ、レボルトは立ち止まった。
ミリエラも、立ち止まっている。
山道を見下ろすように鎮座する、巨大な岩。その上に子供が1人、立っていた。
背中から黒い翼を生やした子供。最初は、そう見えた。
身長は、10歳かそこらの少年と同程度。だがその小さな身体は、岩石の如き筋肉でガッチリと固まり、しかも所々が燃えている。まるで体毛のような炎。それは、この少年……のような生き物の、体内から発生しているようだ。
「あ……あぁ……」
ミリエラが、へなへなと尻餅をついた。
そんな彼女を一瞥もせず、炎をまとうその怪物は、岩の上からレボルトを睨み据えている。
高熱量そのものが凝り固まって出来たかのような、真紅の眼球が2つ、肉食類人猿を思わせる獰猛な顔面に埋まっているのだ。
頭髪はやはり燃え盛る炎で、その中から2本、力強い角が生えてねじ曲がり、渦を巻いている。
「し、将軍……こいつです……」
ミリエラが、声を震わせた。
「赤き魔人の炎を浴びて……全然、無傷だったバケモノ……」
「ほう」
真紅の眼光を、レボルトは見上げて受け止め、睨み返した。
炎をまとう怪物が、言葉を発する。
「どこへ行くつもりだ、魔獣人間」
「何故そんな事を訊くのだ、魔獣人間」
言葉を返しつつレボルトは、相手を観察した。
自分たちと同じくゴルジ・バルカウスの手による魔獣人間、なのであろうか。見ただけでは、わからない。
わかる事は、ただ1つ。
赤き魔人に勝るとも劣らぬ危険な相手と出会ってしまった、という事だ。
「貴様がな、そのように殺す気満々で歩いているのが、どうにも気に入らんのだよ。その殺気……誰に対してのものだ? 誰を殺そうとしているのだ、貴様は」
子供ほどの大きさの怪物。その全身で、炎の体毛が燃え上がり揺らめく。真紅の眼光が、激しさを増す。
「1度だけは警告してやる……引き返せ。ここから先に進む事は、俺が許さん」
「貴様は……赤き魔人の、仲間なのか」
全身がメキ……ッと震えるのを、レボルトは止められなかった。
「あやつを、守ってでもいるつもりか」
「赤き魔人、と呼ばれているのか。あの竜の戦士は」
炎の怪物が、白く鋭い牙を剥いて、凶猛に微笑んだ。
「あれは俺の獲物だ……手出しは、させんぞ」
父は、弱い者いじめが大好きだった。
弱者という生き物を、憎悪していた。いわゆる無辜の民と呼ばれる人々に、深い深い恨みを抱いていた。
自分はどうか、とガイエルは考えてみる。別に、恨み憎しみなど抱いてはいない。無辜の弱者たちに対していかなる感情を抱いているのか、と訊かれれば、好きでも嫌いでもない、としか答えようがない。
苦手、というのが最も近いか。
積極的に助けてやるのは面倒臭い。だが見殺しにしてしまうと、気分が悪くなる。
ガイエルにとって無辜の民とは、そういう厄介な存在だった。
特に厄介・苦手という事もなく扱えるのは、こういう連中である。
「こ……このバケモノ野郎……」
「あんまり俺らに逆らうんじゃねえぞクソが……大人しくしてりゃ命だけは助けてやったのによお!」
口々に虚勢を張りながら男たちが、様々な武器をガイエルに向けつつ、後退りをしている。
長剣、槍、戦斧、革鎧に鎖帷子……武装の統一されていない、荒くれ男の集団。見ただけでわかる、山賊団である。
ここヴォルケット州ではつい最近まで、山賊・強盗の類が賄賂を払って大守と結託し、大手を振って悪事を働いていたという。
大守が代わり、そのような腐敗は一掃されつつあるらしい。が、こういう者どもが即座に消えて失せるわけではない。
200人近い山賊たちが、この集落を襲った。そして今、100人にも満たぬ少勢となり、怯えを露わにしている。
他の100名前後は、屍となってガイエルの周囲に転がっていた。首の折れた者、眼球の飛び出た者、内臓を叩き潰された者……どれも人間の形を充分にとどめた死体である。
やはり本調子には程遠い、とガイエルは思わざるを得なかった。
粗末なズボンとブーツだけを着用した、上半身裸の姿である。力強い胸板には包帯が巻かれており、その格好は傷病兵さながらだ。
山賊どもが侮って攻撃を仕掛けて来るのも、無理はない。
「俺はな、貴様たちが逆らおうが大人しくしようが、命を助けてやらない事に決めた」
山賊たちにガイエルは、声をかけながら、ゆったりと歩み迫って行った。
「だから、さあ死に物狂いで抵抗して見せろ。窮鼠猫を噛む、と言うではないか? 命を捨てて戦えば、もしかしたら俺を倒せるかも知れんぞ……見ての通り俺は今、手負いなのだからな」
皆殺し、以外の選択肢は有り得ない。
この集落を脅かすものは見つけ次第、根絶やしにしておかなければならないのだ。ガイエルがいなくなっても、集落の人々が平和に暮らせるように。
(俺は……思い上がっているのか?)
ガイエルは、突き込まれて来た槍を左手で払いのけつつ、右手を握り拳にして前方へと叩き込んだ。
槍を持った山賊の1人が、衝撃と共にのけ反った。顔面が拳の形に凹み、そこから眼球が噴出する。
その屍を蹴散らすような感じに、ガイエルは身を翻して右足を、続いて左足を振るった。炎にも似た赤い長髪が燃え上がるように舞い、包帯を巻かれた半裸身が竜巻の如く捻転する。
左右の回し蹴りが続けざまに一閃し、襲い来る山賊たちの剣を、槍を、戦斧を、弾き飛ばした。
蹴り終えた足でガイエルは着地し、踏み込み、左右の拳を振るい打ち込み叩き付けた。
得物を失った山賊たちの、顔面に、腹に、拳の形が刻印されてゆく。飛び出た眼球が、吐血の飛沫が、凄惨に噴き上がる。
「駄目だ……こんなものでは……」
呻きながらガイエルは、右の手刀を山賊の1人に叩き込んだ。頸骨をへし折る手応えが、強烈に返って来た。
首をおかしな方向にねじ曲げた山賊の屍が、壊れた人形のように倒れ伏す。
首を刎ねる事が出来ない。槍や剣を叩き折る事も出来ない。
包帯の内側では傷がほぼ塞がり、そのさらに内側では、破裂していた各種臓器が修復されつつある。
が、完全ではない。
魔人に変わる事も出来ず、こうして人間の姿を保っている時の戦闘能力も衰えている。
仮に今、あの怪物たち……魔獣人間ゴブリートと他2体が攻めて来たら、自分は確実に殺される。集落の人々も、皆殺しにされる。
(……やはり思い上がっているな、俺は)
苦笑しつつ、ガイエルは見回した。
元々はヴォルケット州軍の兵士であったという男たちと、その妻子である女たち子供たち……集落の住人ほぼ全員が、木陰や小屋の中から、じっと視線を向けてくる。皆、不安げに息をひそめている。
ガイエルがいなければ、この山賊どもによって大いに蹂躙されていたであろう者たちだ。
(俺は、こやつらを守ってやるつもりになっている……まさしく思い上がりよ)
自嘲と共に、ガイエルの右足が斜め後方に跳ね上がり、強盗1人の腹を直撃する。
臓物を蹴り潰した感触を、ガイエルは踏み締めた。
山賊は倒れ、大量の血を吐き散らしながら、ガイエルの足元でのたうち回る。悲鳴も呼吸も、吐血で潰れている。
一撃で殺してやれなかった。苦しい思いを、させてしまった。
「すまん……」
蹴り終えた右足をガイエルは振り下ろし、苦しむ山賊の首を踏み折った。
ガイエルは感じた。自分の身体が無意識に、激しい動きを避けている。修復中の内臓が再び破裂するのを、恐れている。
だから力が入らず、技の切れも鈍る。山賊たちを、一撃で楽にしてやれない。
「俺が未熟なせいで、お前たちに苦しい思いをさせている……本当に、すまん」
心から謝罪をしつつガイエルは、左足を高速離陸させた。長い脚が、鞭の如くしなって高々と弧を描く。
その弧に触れた山賊2人が、頭から血を噴いて倒れ、動かなくなった。
出来るだけ楽に死なせてやるには、やはり首から上を狙う事だ。
「ひぃ……ま、待ってくれ……」
生き残っている山賊たちが、この場では最も適切と思われる手段に出た。命乞いである。
「ご、ごめんなさい! 許して下さい!」
「もう山賊なんてやめるから! やめますから命だけは!」
「おお俺らだって好きでこんな事してるわけじゃねえ! わかるだろお? 山賊でもやらなきゃ今の世の中、生きてけねえ……」
「すまんなあ。その手の話は、もう聞き飽きているのだよ」
口調穏やかに、ガイエルは命乞いを断ち切った。
「それにだ、俺は言ったぞ? 貴様たちが逆らおうが降服しようが、命はもらうと……人の話は聞かなければいけない」
「待て、待ってくれ……」
そう言ったのは山賊たちではなく、集落の住人の1人である。
名はレナム。この集落の統率者と言うか、代表者と言える男だ。
「もういいだろうガイエル・ケスナー殿……助けてくれて、感謝する。だがもう充分だ。こいつらに、もうこの集落を襲うような力はないだろう。生かしておいても危険はない」
「間違えるなよ。俺は別に、貴様たちを助けたわけではない」
レナムを睨み据え、ガイエルは言った。
「見ての通り俺は傷を負い、すこぶる機嫌を悪くしていた……そこへ、こやつらが出て来てだ」
言いつつガイエルは、土下座をしている山賊の1人を、胸ぐらを掴んで引きずり立たせた。
「俺を、非常に不愉快にさせる言動を晒した……だから殺した。それだけの事だ」
胸ぐらを掴まれた山賊が、女子供のような悲鳴を上げて泣き出した。耳障りな泣き声である。拳を叩き込んで永遠に黙らせてやるのは簡単だが、
「我々だって最初は、あんたに対して強盗行為など働いた」
レナムが、それを止めた。
「だけど殺されずに、助けてもらったじゃないか」
「貴様たちは、ただ運が良かっただけだ……」
言いながらもガイエルは、泣き喚く山賊を、放り捨てるように解放した。
「が……お前たちには、こうして傷の手当てまでしてもらった恩がある。世話にもなっている。ここは言う通りにしておこうか」
解放された山賊が、泣き止まぬまま背を向け、逃げ出して行く。他の山賊たちも、それに続く。
100体を超える屍を残し逃げて行く彼らを、集落の男たちが、女たちが、子供たちが、じっと見送る。
「……世話になってるのは、俺たちの方さ」
男の1人が、進み出て来て言った。確かサードゥ・ミスランとかいう、妻子持ちの元兵士だ。
「あんたのおかげで、大いに助かってる……本当に、ありがとう」
「やめろ……」
ガイエルは顔を背けた。
こんな事をしている場合ではない、と思った。このバルムガルドという広い国から、ティアンナ1人を探し出さなければならないと言うのに。
(くそ……俺は一体、何をしている……!)
雷鳴、のような轟音が、響き渡った。
逃げ去り、今にも視界から消えようとしている山賊たちが、砕け散っていた。高々と噴き上がる手足や生首、臓物、その他様々な人体の破片が、空中で灰に変わってサラサラと舞う。
紫色をした電光が、山賊たちを襲っていた。
「な……何だ……?」
サードゥが、レナムが、呆気に取られている。
特にそんなつもりはなくとも彼らを背後に庇う格好になりながら、ガイエルは見据えた。紫の電光の発生源たちが、ゆっくりとこちらに歩み寄って来る様を。
「……久しいな、ダルーハ・ケスナーの息子よ」
馴れ馴れしい口をききながら、歩み寄って来る者。それは痩せた身体にローブをまとい、楯のように平らな仮面を顔に貼り付けた、奇怪な男だった。枯れ木を思わせる両手に、パリパリと紫の電光をまとわりつかせている。
1人、ではなかった。
「と言っても、この姿ではわからぬか……」
「だが私にはわかるぞ。貴様がそのように、人間の皮を被っていようが」
「その下に、おぞましく凶暴な怪物を隠している事がな……」
「その怪物に、かつて我らは大いに殺戮された」
「だが無駄な事。このゴルジ・バルカウスを殺し尽くす事など、出来はせんよ」
同じく痩せた体格、同じローブ、同じ仮面……ゴルジ・バルカウスと名乗った男たちが5名、紫の電光を両手でくすぶらせ、近付いて来る。
山賊たちは、跡形もなくなっていた。全員、紫色の稲妻に灼かれ、灰と化している。
「……やはり、俺が殺してやるべきだったな」
ガイエルは呻いた。ゴルジ・バルカウスたちが、笑った。
「そう、貴様は殺すしか能のない怪物よ……それが似合わぬ情け心を出して、小物どもを見逃すなど」
「このような集落で、人間を守って暮らすなど……笑止の極みよ」
「人間を守るのは、この私……人間という種族そのものを、貴様の手から守らねばならん」
「上手い具合に手負っているようだな。あやつらを目覚めさせた意味が、少しはあったという事か」
あやつら、というのは、あのベヒモスワームやゴブリートといった魔獣人間たちの事か。
「……あれは貴様の手の者どもか、ゴルジとやら」
「いささか大言は過ぎるが、そこそこ役に立つ者どもよ。こうして貴様を、弱らせておいてくれたのだからな」
ゴルジ5名の身体が、めきめきと痙攣した。
ローブが、ちぎれて飛んだ。枯れ木のようだった肉体が膨張し、甲冑の如き外骨格が盛り上がって来る。
仮面の下から現れたのは、頭蓋骨の形に固まった頭部甲殻だ。
「……貴様たちか」
ガイエルにとって見覚えのある異形が5つ、そこに出現していた。両手に巨大な爪を生やした、大柄な人型の甲虫。ヴァスケリアのサン・ローデル地方で、これと同じものたちを確かに虐殺した。
「あの時と同じと思うなよ……この5体はな、貴様にとどめを刺すべく私が特別に調整して仕上げた、強化分身体よ」
凶器そのものの爪を備えた計10本もの手が、紫色に輝いた。バリバリバリッ! と轟音を発する、紫の電撃光。
「魔獣人間よりも人間から遠い怪物が、人間の皮を被って、人間に混じって暮らす……人間を守ってでもいるつもりか?」
人型甲虫たちが、一斉に襲いかかって来た。
「人間を守りたいのならば、まずは貴様が死ね!」