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第5話 挙兵

 もはや老若男女の判別すら困難な、人型の焦げの塊。

 それらが、ガイエルの視界のあちこちで、ブスブスと黒い煙を発している。

 人間だけでなく馬たちも、黒焦げの肉塊と化していた。

 近衛兵も、村人も、馬も。広場にいた者たちは、何の差別もされる事なく、全員が焼き殺されている。たった2人の少女を除いて。

 辛うじて広場から逃げ出した村人らや近衛兵たちが、あちこちの建物の陰や木陰で、青ざめて息を呑んでいる。ここが広場でなかったら今頃、大火災となっていただろう。

 その事態は免れた、とは言え一体、何人の村人が死んだのか。

 守ってやれなかった、などと思ってしまうのは自惚れか。

 考えない事にしよう、と思っても、やはりガイエルは考えてしまう。

 考えても考えなくても、冷静でなどいられない。

「全て、思い出したぞ……俺は、本当に残虐なのだ」

 小さな女の子を抱いたまま、まだ立ち上がれぬティアンナ。を取り巻いて守る形に尻尾をうねらせながら、ガイエルは低く、声を震わせた。

「ダルーハ軍、貴様らを皆殺しにする。何故なら、俺が残虐だからだ」

 紅蓮の眼光で空を見上げ、睨みつける。

 魔獣人間ワイヴァートロルが、そこにいた。広い翼を落ち着きなくはためかせ、巨体を空中にとどめている。

「うぬっ……殺せなんだか。やはり攻撃魔法ごときでは」

 いくらか狼狽しながら魔獣人間が、焼死体に満ちた広場にずしりと降り立った。

 かつて人体だった灰が、大量に舞い上がる。

 遺灰の漂う空気の中、2体の人ならざるものが対峙し、睨み合った。

 言葉を発したのは、ワイヴァートロルの方からである。

「ガイエル・ケスナー……若君よ。貴殿は人間ならざる身でありながら、人間どもの味方をなさるおつもりであるか……お父上に、刃向こうてまで」

「子は親に背くもの、と親父殿は言っておられた」

 まさに、あの父親の言った通りになった。自分は、父に刃向かおうとしている。

 否、1度は本当に刃向かったのだ。そして、叩き潰された。

 屈辱が、ガイエルの胸の内で燃え上がった。

「で……魔獣人間よ、その親父殿は元気であらせられるか?」

「すこぶる御壮健よ。ダルーハ様の御身を脅かすものなど、この世には存在せぬ。ヴァスケリアのみならず世界の全てが、いずれダルーハ様の版図となる」

 ワイヴァートロルが踏み込んで来た。

 左腕が振り上がり、猛毒の鞭が高速でうねる。

「愚かなる若君よ、お父上に従順でおれば! 全世界を支配下に置く王朝の後継者となれたものを!」

「あいにくだがな。親父殿からは、もうすでに充分すぎるものを受け継いでいる」

 無造作に、ガイエルは右手を跳ね上げた。まるでハエでも追い払うように。

 右手の甲で、バチッと衝撃が弾けた。襲いかかって来た毒鞭が、ちぎれて飛んだ。

「この暴力性、残虐なる心……それだけで腹がいっぱいだ。もう何も要らん」

 半分程度の長さになってしまった左手の尻尾から、びちゃびちゃと汚らしい血液を飛び散らせつつ、ワイヴァートロルが後退りをする。

 ガイエルは踏み込んだ。近付くな、とでも叫ぶかのように、魔獣人間が右手を振るう。

 その手首である怪物の頭部が牙を剥き、食らいついて来る。

 ガイエルは左腕で止めた。前腕から広がるヒレ状の刃が、魔獣人間の右手の牙をガチッと受け止める。

 と同時に、ワイヴァートロルの顔面が激しく凹んだ。ガイエルが、右拳を叩き込んでいた。

 巨体がよろめき、どうにか倒れず踏みとどまろうとする。

 そこを狙って、ガイエルは左足を離陸させた。凶器そのものの爪を生やした蹴りが、下から上へと一閃する。

 魔獣人間の股間から脳天にかけて、一直線に裂け目が走る。

 ワイヴァートロルの巨体が、縦真っ二つに両断された。綺麗に等分された両半身が、左右にゆっくりと倒れ始める。

 両の断面から、まるで生き物のように臓物が溢れ出す。

 断ち切られた臓物同士が触れ合い、融合し、そして引き合った。

 分たれていた左右の半身がビチャッとぶつかり合い、繋がり、股間から脳天までの一直線の裂け目が急速に消えてゆく。

「ムッ……ムダ無駄、無駄なのでござるよ若君。拙者、不死身ゆえ」

 そんな口をきけるほどに、魔獣人間の巨体は再生を終えていた。

 その左手では、切断された肉質の鞭がニョロリと生え変わって、攻撃のうねりを見せている。

「気の毒ながら貴殿の攻撃なんざァ全部無駄! おわかりかなぁー若君殿ブヒャハハハハハ! わかったら這いなされ! 這いつくばって謝りなされい! 無論許してなど差し上げませんがなアァァ……」

 耳障りな大声を引きずりながら、ワイヴァートロルの生首が高々と宙を舞う。

 ガイエルが、左手を振るっていた。前腕から広がったヒレ状の刃が、魔獣人間の太い首を、実に滑らかに断ち切ったのだ。

 左手の尻尾が空中へと伸び、舞い上がった生首を絡め取って引き寄せる。

 首無しになっていた魔獣人間の胴体の上に、その生首が載せられる。

 頸部の滑らかな断面同士が貼り付き、融合し、醜い顔面が血色を甦らせる。そして笑う。

「無駄だというのが、おわかりいただけませんかなァー。まあ現実を受け入れたくないお気持ちはわからんでもなゴブゥえええええええッッ!」

 嘲笑が潰れ、悲鳴に変わった。

 ガイエルの蹴り。外骨格のブーツと化した右足が、ワイヴァートロルの左脇腹を深々と凹ませている。

 右の脇腹がその分、膨張し、そして破裂した。大量の臓物がドビューッと勢い良く溢れ出して宙を舞う。

「ぎゃっグエッ、おっおのれは! む、むむむ無駄だと申しておるのが」

 わめくワイヴァートロルの顔面に、ガイエルは左拳を叩き込んだ。醜い顔面がさらに無様に潰れ、左右の眼球がポンッと飛び出しぶら下がった。

「叩き潰しても死なん、叩き斬っても死なん。それがどういう事かわかるか魔獣人間よ」

 臓物と眼球を垂れ流しながら尻餅をつくワイヴァートロルに、ガイエルは容赦なく歩み寄って語りかけた。

「痛みが、苦しみが、際限なく続くという事だ……かわいそうに」

「ゲッ……ぴ……!」

 ワイヴァートロルが、潰れた口から滑稽な悲鳴を吐く。

 大量に溢れ出した臓物が、ずる……っと少しだけ脇腹の傷口に吸い込まれ、止まった。飛び出た眼球も、垂れ下がったままだ。

 再生能力が、目に見えて弱まっている。

「お……おやめなされ若君、ほほ本当に無駄なんだからヒッ! ひいいいいいいっ!」

 怯える魔獣人間に、ガイエルは穏やかに語りかけた。

「安心しろ、俺は全てを思い出したのだ。自分の、力の使い方もな」

 語りかけながら、左手を伸ばす。

 甲殻生物の節足に似た五指が、ワイヴァートロルの潰れかけた顔面を、グチャッと掴む。

 魔獣人間の巨体を、そのまま引きずり起こしながら、ガイエルはなおも言った。

「……貴様を、楽に死なせてやれるぞ」

「ひぃっ……ぐっ、なっ何故だ、何故! 拙者を殺そうとする! そんな事をして何の得があると言うのだ貴殿に一体!」

 顔面を掴まれたままワイヴァートロルが、理不尽を憤る口調で叫ぶ。

「何故ダルーハ様に刃向かう! 人にあらざる身でありながら、よもや正義に目覚めたなどと」

「はっははは、この世に正義などというものが」

 笑いながらガイエルは、左手だけでワイヴァートロルの巨体を掴み上げ、振りかぶり、そして投擲した。

 宙に臓物を垂れ流しつつ高々と空中を舞う魔獣人間に、

「……まあ、あるのかも知れんが俺にはない」

 なおも語りかけながら、ガイエルは思う。

 罪のない村人たちを大勢、焼き殺した。それが許せない。

 同じような事をダルーハ軍は今頃、王国全土、至る所で行っている。それが許せない。

 理由もなく、ただ許せない。

 自分の胸の内で今、燃え盛っているのは、そんな根拠のない個人的な思いだけである。

 正義などではなく、単なる感情の昂りだ。

 昂る感情が、憎悪が、殺意が、ガイエルの胸の内で燃え猛る。もはや体内に収めてはおけないほどにだ。

 己の顔面に亀裂が走るのを、ガイエルは感じた。

 仮面のように口元を覆う顔面甲殻が、ひび割れ、砕け散っていた。

 露わになったのは、がっちりと噛み合った、白く鋭い上下の牙。

 唇のないその口を、ガイエルは上空に向けて、思いきり開いた。

 胸の内で燃え猛っていたものが、一気に迸った。

 炎、と言うよりは爆発そのものだった。

 凄まじい轟音を伴う爆炎が、ガイエルの上下の顎を押しのけるように吐き出されて空中を灼く。

 その紅蓮の爆発の中、ワイヴァートロルの巨体は一瞬にして灰に変わった。

 爆炎の吐息は、すぐに消えた。

 さらさらと、まるで粉雪のように灰が舞う。

 それを浴びながらガイエルは口を閉じ、息をついた。

「ふう……」

 顔面甲殻が失われ、牙が剥き出しになった形相。それをガイエルは、ちらりと周囲に向けた。

 広場を囲む家々の屋根の上で、攻撃魔法兵士たちが唖然・呆然としている。

 皆、起きながら悪夢を見ているような表情をしていた。

 ガイエルは軽く片手を上げ、彼らに声をかけた。

「下りて来いよ、虫ケラども……」

 微笑みかけた、つもりだが、笑顔になったかどうかはわからない。

「今の俺が貴様らを殺すと、建物まで壊してしまいかねん。だから下りて来い。誰にも迷惑をかけぬよう地上で殺してやる。楽に死なせてやるから、ほら早く」

「ひ……っ」

 悲鳴を漏らしながらも、攻撃魔法兵士の1人が、屋根の上から飛び降りて来てくれた。

 いや違う。射落とされていた。地面に激突した攻撃魔法兵士の屍には、矢が何本か突き刺さっている。

 生き残った近衛歩兵たちだった。屋根の上を狙って弓を構え、矢をつがえ、次々と放ってゆく。モートン王子の命令に従ってだ。

「射殺せ! 1兵たりとも逃してはならぬ!」

 あの混乱の中で馬を操れるはずのないモートン王子が、己の二本足で地面に立ちつつ、偉そうな声を出している。

 魔獣人間には手も足も出なかった近衛兵たちだが、屋根の上で固まっている相手に矢を当てる、程度の技量は持っているようだ。

 攻撃魔法兵士たちが、ことごとく射落とされて地面に激突する。

 それでも息のある者を、近衛歩兵たちが剣や槍で殺して回る。

 残虐なまでの、手際の良さである。

 それを村人らが焼き殺される前に発揮して欲しかった、と思いながらもガイエルは、微かな衝撃を身体じゅうに感じた。

 いや、衝撃と呼べるほどの強さはない。何やら軽い感触がコン、コココンッと全身の至る所に当たって来る。小石でも投げつけられているかのようだ。

 小石ではなく、矢であった。攻撃魔法兵団を皆殺しにし終えた近衛兵たちが、ガイエルに狙いを定めているのだ。

「撃て! 領民に害をなす魔物を討ち滅ぼすのだ!」

 モートン王子が、そんな事を叫んでいる。

 ガイエルは苦笑するしかなかった。

 魔力の尽きかけた攻撃魔法兵士たちを虐殺して、村を救った顔をする。それはまあ別に構わないにせよ、弓矢でガイエルを殺そうなどというのは、あまりにも考えが足りな過ぎると言わざるを得ない。

「……まあ、気が済むまでやってみる事だ」

 ガイエルは軽く、両腕を広げた。広げた二の腕に、胸板に、その他様々な所に、無数の矢がコココココンッと当たり続ける。

 いささか鬱陶しいが、まあ矢が尽きるまでの辛抱だ。ガイエルはそう思ったが、

「やめて! やめなさいっ!」

 ティアンナが、魔石の剣を振るいながら飛び込んで来た。

 今は炎も電光も帯びていない刃が、降り注ぐ矢をことごとく切り払う。

 近衛兵たちが慌てて、矢の乱射を止めた。ガイエルも慌てた。

「お、おいティアンナ姫、危ないではないか。俺なら大丈夫だから……」

「貴方をお守りしようとしたわけではありません。私が守りたいのは王族の名誉……もうすでに、あって無きが如しとお思いでしょうが」

 細い身体でガイエルを背後に庇う、格好で立ちながら、ティアンナは言った。

「ヴァスケリア王家の名をこれ以上穢すのは、どうかおやめ下さい兄上」

「うぬ、王女の分際で! 王子に意見するか!」

 むくんだ顔を赤黒くして、モートン王子がわめく。

 ティアンナが守った小さな女の子が、はぐれていた母親と抱き合っている。

 その他の村人たちが、モートン王子の見苦しくわめく様を見物している。

 哀れみに似たものが、ガイエルの胸中に生じた。

 こんな無能な王子は殺してしまうべきだ、と先程は本気で思っていたのだが。

 自分が醜態を晒している事にも気付かぬまま、モートン王子はなおもわめき散らした。

「殺せええ! その魔物もろとも、身の程知らずの小娘を射殺せええええええいっ!」

「……それをやるなら、俺は貴様たちを皆殺しにしなければならなくなるぞ」

 そう言って動こうとするガイエルを制するように、ティアンナが無言で歩き出した。つかつかと力強い足取りで、兄王子に歩み寄って行く。

 命令通り射殺す事も出来ぬまま、近衛兵たちがうろたえ始める。

「なっ何をしておる貴様たち、射殺せぬなら斬れ! 槍で突け! とにかくその小娘を生かしておいてはならぬ」

 などと言い終えぬうちに、モートン王子は鼻血を噴いた。

 ティアンナが、拳を叩き込んでいた。ガイエルが思わず呆気に取られるほどの早技である。

 顔面を押さえ、わけのわからぬ悲鳴を上げながら、モートン王子が尻餅をつく。

「もうよせ、わかったよティアンナ姫」

 苦笑まじりに、ガイエルは声をかけた。

 このままでは、兄王子がガイエルに殺される。そう思ってティアンナは先手を打ったのだろう。

「俺はその王子を殺したりはしない。だからもう勘弁してやらないか」

「さぞかし……ヴァスケリア王族は愚物揃いである、とお思いでしょうね。ガイエル・ケスナー殿」

 言いながらティアンナが振り返り、じっとガイエルを見つめた。

「それでも私たち王族は、貴方のお父上と戦わなければなりません」

「改めて俺の正体を明かす必要はない、というわけかな」

「19年前の竜退治においてダルーハ卿は、竜の返り血を全身に浴び……人間をおやめになった、と聞いております」

 人間ではないもの、の正体を現したガイエルを、ティアンナは、少なくとも恐れているようではなかった。

「ケスナーの姓と、そして人ならざる肉体をお持ちのガイエル様が、ダルーハ卿と無縁であるとは思えませんから。やはり、御子息でしたか」

「いかにも。我が名はガイエル・ケスナー……逆賊ダルーハ・ケスナーが嫡男よ」

 ガイエルのその名乗りに、まずモートン王子が反応を示した。

 ガイエルを指差し、窒息しそうなほど鼻血を流しながら、わけのわからない叫び声を発している。

 逆賊の息子が、などとわめいているのだろう。

 ティアンナが睨みつけた。

 それだけでモートン王子は、短く悲鳴を詰まらせ、黙り込んでしまう。

「……ガイエル様は、これからどうなさるおつもりですか」

 眼光だけで兄を黙らせながら、ティアンナが訊いてくる。

「父君のもとへ戻られるなら、お止めはしません……止められるはずも、ありませんから」

「ああ戻るとも。あの男を殺しに、な」

 応えつつ、ガイエルは広場を見回した。

 村人たちが、焼死体の片付けを始めている。

 もはや性別すらわからぬ焦げの塊、の傍らで、泣き崩れている者もいる。

 一体、何人の村人が親兄弟を、息子や娘を、恋人や友人を、失ったのか。

 あの攻撃魔法兵団は、ガイエル1人を焼き殺そうとしていた。

 つまりこの惨状をもたらしたのは、他ならぬガイエル自身ではないのか。

 そんな思いが、ガイエルの胸中で渦を巻き、燃えたぎってゆく。

「……ダルーハ軍は、皆殺しにする」

 ガイエルは呟き、思う。燃えたぎるこの思いは、正義ではない。義憤でもない。

 自分はただ、ダルーハ・ケスナー及びその軍勢に属する者ども、全てが許せないだけだ。

 許せないから、皆殺しにしたいだけだ。つまり自分は、残虐なのだ。

「改めて申し上げる。俺は、ティアンナ姫に力をお貸しするぞ。たとえ貴女が大いに迷惑がったとしてもだ」

「ガイエル様……」

「姫君はただ、俺の暴力を利用なされば良い。俺は俺で、皆殺しを楽しむだけだ」

「楽しむ……のですか?」

 ガイエルを責めるでもなく蔑むでもなく、ただじっと見つめて、ティアンナが問う。

「そうとも、楽しむのさ」

 辛うじて小さな子供とわかる焼死体を抱き締めながら、1人の女性が涙を流している。

 同じような光景が、村の広場の至る所にある。

 それらを見据え、ガイエルは言った。

「……俺は、残虐だからな」



 貴族の正装をした男たちが20人、広大な玉座の間でずらりと一斉に跪き、平伏している。

 ヴァスケリア王国全土を分割統治する50数名の地方領主、のうち20名である。

 玉座の上から、ダルーハが彼らに声をかけた。

「俺に忠誠を誓う……という事で良いのかな?」

「無論でございますダルーハ・ケスナー殿……いえ、国王陛下」

 20名を代表して言葉を発しているのは、王国南部ベルムング地方の領主、エルコン・ファッド侯爵である。

「我ら地方領主一同、新たなるヴァスケリア国王への忠義と服従を、ここに誓うものでありまする……どうか、今後とも」

「諸侯はご存じであろうか? 今、このような物が出回っておるのだが」

 言いながらダルーハが、開いた巻物をぴらりと片手で掲げて見せる。

「逆賊討伐令……モートン・カルナヴァート第2王子の名前で出されている。布告と言うか、檄文だな」

 今までどこに隠れていたのか、とにかくヴァスケリア第2王子モートン・カルナヴァートが突然、己の生存を公にして布告を発したのである。

 生存が確認されたのはモートン王子だけではない。ティアンナ・エルベット第6王女が、兄王子と合流し、行動を共にしている。近衛兵団を中核として敗残兵を集め、ヴァスケリア王国正規軍を名乗っているらしい。

 それだけならば取るに足らぬ事だが、もう1人。生存を明らかにした者がいて、しかも王国正規軍に力を貸している。

(おわかりであるか、ダルーハ様……貴方の詰めの甘さが、このような事態を招いたのですぞ……!)

 主君に対し、呪詛に近い事を、心の中で呟くムドラー・マグラ。

 そんな臣下の思いに気付くはずもなくダルーハは、

「逆賊ダルーハ・ケスナーを打倒し、王国の民に安寧をもたらすべく、諸侯はモートン・カルナヴァート第2王子の下に馳せ参ずるべし……ときたものだ」

 檄文の巻物を呑気に読み上げ、笑っている。

「民のための戦、というわけか。まあ王侯貴族という輩はな、民衆のため国民のためと、とりあえず言ってはみるものだ……で、王家の名においてこのような布告が出ているわけなのだが卿らはどうする」

 平伏している地方貴族らの面前に、ダルーハは巻物を放り出した。

「それを踏みつけてまで、我が軍門に下ると。そう解釈してよろしいか?」

「申し上げるまでもなき事。我らにとってヴァスケリア王家など、もはや過去のものにございます」

 エルコン侯爵が、続いて他の領主たちが、口々に言う。

「私どもはダルーハ・ケスナー陛下に、未来を見たのでございます」

「王家の者どもにこの国を任せておりましては、我らに未来はありませぬゆえ……」

「ヴァスケリアの未来、我らの未来を、新たなる国王ダルーハ・ケスナー陛下に委ねとうございます」

 それらの言葉を受けて、ダルーハが鷹揚に頷く。

「……わかった。諸侯のそのお気持ち、実に嬉しく思う」

 などと言っているダルーハ自身、つい最近まではその諸侯の1人、ここにいる20名と同格あるいはそれ以下の地方領主でしかなかったのだ。

 ヴァスケリア王国最北部のレドン地方。19年前、当時の国王ディン・バウエル2世によってダルーハ・ケスナーは、そこの領主に封ぜられた。

 竜退治の恩賞である。厄介払い、とも言える。国王に従順ではない英雄が、体よく王都から遠ざけられたのだ。

 それから19年間、一介の地方領主に甘んじていたダルーハに、ムドラーが魔獣人間という戦力を売り込んだ。

 レドンなどという田舎でくすぶっていた、かつての竜退治の英雄を、叛乱へと駆り立てるために。

 ムドラーが見込んだ通り、魔獣人間を手勢としたダルーハ・ケスナーは、瞬く間にヴァスケリア王制を打倒してくれた。

 禁忌とされていた魔獣人間の研究・作製を、ダルーハの庇護のもとで大々的に行えるようになったのだ。

(感謝はいたします、ダルーハ様……ですが)

 暗い眼光を燃やすムドラーの目を、ダルーハはちらりと見返し、命じた。

「ムドラーよ、我々も布告を出すぞ」

「はっ……」

 いくらか慌ててムドラーは視線を外し、一礼して俯いた。

「エルコン・ファッド侯爵をはじめ、こちらにおられる方々の所領全てを、今よりダルーハ・ケスナーの直轄領とする。税はこれまでの2倍、13歳以上の男子全てに最低3年間の兵役を課す。そして地獄のように鍛え上げる……このダルーハの治世においては弱者の存在を一切許さぬと布告せよ。文面は任せる」

「御意……」

「お、お待ちをダルーハ陛下。我らの領地を没収するとおっしゃられますか」

 エルコン侯爵が慌て始めた。他の諸侯もうろたえ驚愕し、ざわついている。

 頂点に立つ者がヴァスケリア王家からダルーハ・ケスナーに変わるだけで、自分たちは今まで通り地方領主でいられる。そんなふうに考えていたのだろう。

「そ、それはあまりに御無体……」

「当然であろう。強者による支配とは、そもそも無体なるもの……貴様たちはな、戦う事もせずにそれを受け入れてしまったのだよ。あの赤き竜の暴虐にたやすく屈し、王女を人身御供とした、19年前のヴァスケリア王家のように」

 言いながらダルーハが軽く、右手を上げた。

 エドン・ガロッサ男爵が、進み出て来た。太り気味の髭面に、にこにこと残忍な笑みが浮かんでいる。

 ダルーハは、さらに言った。

「覚えておくのだな。戦わずして敵に降るとは……こういう、事だ」

 エドン男爵が、大きく口を開いた。

 その口から、いつものように不快な笑いの混ざった声……ではなく、炎が噴き出した。

 ゴォオッ! と音を立てて燃え盛る、火炎の吐息。それが、エドンの大口から迸り出て諸侯20名を襲う。

 エルコン侯爵以下、玉座の間に集う地方領主たちが、ことごとく炎上した。

 人肉の焼ける凄まじい臭いを発しながら皆、火だるまになって床を転げ回り、絶叫している。

「んん〜良い声ですねぇギッヒヒヒヒ、だけど許せませんねぇー」

 口髭にチロチロと炎をまとわりつかせながらエドンが、転げ回る諸侯20名に向かって踏み込んで行く。

「戦っても戦わなくてもどうせ殺されるんですからぁグッフフフフ、せいぜい戦って悪あがきしてくれれば楽しいものをぉおおおお」

 のたうち回るエルコン侯爵の身体に、エドンが蹴りを入れる。太い足が、焼死体寸前の人体をグチャッと蹴り砕く。

 生焼け状態の肉が、臓物が、飛び散った。

「許せませんねェ許せません、他人を楽しませようという遊び心に欠ける人たちはぁブッヒヒヒヒヒ、生ゴミに変わってしまいなさああああああいッ!」

 わめきながらエドンが、焼け死ぬ間際の地方領主たちを、同じように次々と蹴り砕き踏み潰し、半焼けの肉片をぶちまけ続ける。

 そんな光景をダルーハが、玉座の上から楽しげに見物している。

「弱い者いじめとは実に楽しいものだ。特にこのような……初めから戦いを放棄して保身を図るようなクズども。こやつらにはもはや、嬲り殺されて我らを楽しませるくらいしか存在価値というものがない。そうは思わんか、ムドラーにドルネオよ」

「……まあ、こやつらがクズどもであるのは確かですが」

 エドンが繰り広げる虐殺を、いくらか苦々しげに見やりながら、ドルネオ・ゲヴィンが応える。

「やはり、私の性には合いませんな……おいエドン卿。楽しむのは結構だが、後片付けは貴公がしておくのだぞ」

 そんな言葉など聞いていない様子でエドンは、焼けただれた地方貴族の1人を、楽しそうに引き裂いている。大量の臓物が勢い良く飛散し、その一部がムドラーの足元の床にビチャッと広がった。

「出来損ないが……!」

 それを片足で踏みにじりつつ、ムドラーは小さく毒づいた。そして思う。

 自分が造りたかったのは、こんなエドン・ガロッサのような醜悪な生物ではない。

 自然には決して生まれる事のない、高度な知識と技術によってのみこの世に出現し得る、生ける芸術品。

 魔獣人間とは、そういう美しいものであるべきなのだ。

 この世で最も強く、最も美しくなければならない魔獣人間。

 だが実際に出来上がってしまうのは、醜悪な上にたやすく殺されてしまう出来損ないばかりである。

 自分の技術は完璧だ、とムドラーは確信していた。

(素材だ……素材が、優秀でなければ)

 ダルーハが権力を握ってくれたおかげで、魔獣人間の材料となる人体の調達には苦労しなくなった。

 だがそれでも、これはと思えるような素材には、なかなか巡り会えるものではない。

(……素材! 佳き素材さえ手に入れば、あのガイエル・ケスナーなど問題とせぬ魔獣人間を造り出せるものを……!)

「どうなされた、ムドラー殿」

 ドルネオが、声をかけてきた。

「何やら、御大将に申し上げる事があったのではないのか?」

「……そうだな。やはり申し上げておくべきであろう」

 ムドラーは跪き、報告した。

「ダルーハ様……若君が、生きておられます」

「ほう……」

 平静を装っていたダルーハの表情が一瞬、強張ったのを、ムドラーは見逃さなかった。

「モートン・カルナヴァート第2王子を追っておりましたガルバン卿……魔獣人間ワイヴァートロルが、若君の御手にかかりまして」

「若君がヴァスケリア王家の人間を助けた、という事であるか? ムドラー殿」

 ドルネオが、嬉しそうな声を出している。

「あの若君が生きていて、なおかつヴァスケリア王家に味方して我らの敵に回ると。そういう解釈で良いのだな?」

「ムドラーよ、はっきりと言ったらどうだ」

 左半分が傷跡となっている顔面をニヤリと歪めながら、ダルーハが言った。

「俺があやつを仕留め損ねたせいで、大切な魔獣人間が2匹も死んでしまった……とな」

「……死んだ者どもが出来損ないであった。それだけの事でございます」

 跪いて表情を隠したまま、ムドラーは応える。

 言葉そのものに嘘はない。殺された魔獣人間を惜しむ気持ちなど、ムドラーの心の中には一片もないのだ。

 心の内にある思いは、ただ1つ。

(出来損ないどもが……! 私の作品でありながら、あのガイエルごときに……!)

 至高の作品でなければならないはずの者たちが。誰の作品でもない、ただ間違って生まれただけの怪物に、立て続けに敗れ去ってしまった。

 これも素材が悪いせいだ。

(素材だ。佳き素材が、手に入りさえすれば……)

「俺にいささかの甘さがあった、のは認めざるを得まいな」

 ダルーハが言った。

「次は殺す……だがその前に、貴様たちの手で殺せるようであれば、殺しておけ」

「無論そうさせていただきます。御大将に、いくら何でも御子息の返り血を浴びさせるわけには参りませんからな」

 ダルーハとドルネオの会話など聞かずムドラーは、主君の隻眼の容貌を盗み見た。睨み据えた。

(素材さえ優秀ならば、私は……ダルーハ様! 貴方をも上回る、最強の魔獣人間を造り出す事が出来る……!)


 

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