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第58話 バルムガルドに雷雲渦巻く

 バルムガルド国王ジオノス2世は、国内では名君であると言われている。今のバルムガルドは、隣国ヴァスケリアよりも平和で治安が良いなどと言われてもいる。

 メイフェム・グリムに言わせれば、そんな事は全くない。何故なら、このような連中がいるからだ。

「ひっ……こ、このバケモノぉ……」

 残り10人足らずとなった山賊たちが、怯えている。様々な武器を構えながらも、戦意を失っている。

 メイフェムは、ゆったりと歩み寄った。

 返り血で濡れそぼった法衣が全身にぐっしょりと貼り付き、凹凸の見事な身体の曲線が際立っている。

 そんな血まみれの尼僧の姿が、優雅な足取りで山賊たちに迫る。

 メイフェムたちが滞在している、ゴズム山地ふもとのこの村は、タジミという名であるらしい。

 そのタジミ村内の広場に、死体が散乱していた。

 全て男で、武装している。顔面の陥没した者、首が折れた者、口から臓物を吐き出した者……どれも辛うじて、人間の原形はとどめている。

 タジミ村に攻め込んで来た山賊たちの、成れの果てである。

 最初は100人いた山賊たちが、今や10人前後となって、メイフェム1人を相手に怯え震えていた。

「何だ……何なんだよぉ、てめえ……」

「見ての通り、唯一神にお仕えする者よ」

 散乱する屍を踏み越えながらメイフェムは、会話の相手はしてやった。

「唯一神はお忙しいの。だから私が貴方たちを裁いてあげる……全員、地獄行きよ」

 以前もこの村は、同じような山賊たちに襲われていた。

 たまたま立ち寄ったメイフェムが、それを撃退した。

 だからメイフェムは、大きな顔でタジミ村に居候をしていられるのだ。時折こうして用心棒のような事をしていれば、村人たちは何も文句を言わない。住居や食べ物の世話もしてくれる。

「待って……待ってくれ、俺たちが」

 悪かった、などと言うつもりだったのであろう山賊の顔面に、メイフェムは平手打ちを叩き込んだ。砕けた眼球が噴き上がった。

 村人たちの話によると、このゴズム山地一帯では、こういう小規模な山賊団がいくつか集まって連盟のようなものを結成し、互いの利益を守りつつ組織的に村や町を襲っているらしい。彼らと何かしら癒着しているとしか思えないほど、官憲の軍隊は全く動かないのだという。

 国内にこのような状態を放置しているジオノス2世が、名君でなどあるはずがない。メイフェムの見たところ、女王エル・ザナード1世即位後のヴァスケリアの方が、まだしっかりと治まっていた。

「ひぃ……た、助けて……」

「ゆ、許して下さい……」

 メイフェムがいなければ、この村で大いに人を殺し、物資や女子供を奪って行ったであろう山賊たちが、情けない声を発している。

 ローエン派の聖職者ならば、ここで彼らを見逃し、再び村を襲わせるような事態を作ってしまうのだろうか。

 そんな事を少しだけ考えながら、メイフェムは身を翻した。赤黒く濡れそぼった法衣の裾が、返り血の雫を飛ばして跳ね上がる。

 右、続いて左。美しく力強く引き締まった両脚が、交互に舞って弧を描いていた。

 斬撃のような蹴りを喰らった山賊たちが、逃げようとしながら、あるいは命乞いを試みながら、粉砕されてゆく。破裂した眼球が飛び散り、頭蓋骨の破片が舞い、砕けた脳髄が噴き上がる。首そのものを、切り落とされた者もいる。

 メイフェムは舌打ちをした。全員の首を、綺麗に刎ね飛ばしてやるつもりだったのだ。

 あまり綺麗ではない死体に変わった山賊たちを、メイフェムは見回した。生きている者は、1人もいない。

 隠れていた村人たちが、恐る恐る姿を現す。

「あの……お、お見事でございました」

 タジミの村長が、おずおずと声をかけてくる。

「本当に、助かります……私ども、ろくなお礼も出来ませんのに」

「私の連れが、そこそこ不自由なく生活出来るように。それだけ気をつけてくれればいいわ」

 素っ気なく応えながら、メイフェムは小さく溜め息をついた。

(何をしているの、私は……)

 弱い人々を、守っている。ヴァスケリアのサン・ローデル地方では大いに殺戮を為した、自分がだ。

 まるで19年前、正義の味方を気取っていた頃の自分に戻ったかのようだ。

 村人たちが、山賊100人の死体を片付け始めている。死体1つを数人がかりで戸板に載せ、どこかへ運んで行く。

 まとめて村はずれにでも埋めて、小さな墓標でも立ててやる事になるのか。

 あるいは熟れさせて、畑の肥やしにでもするのか。あまり豊かではない村なら、そのくらいの事をして当然ではある。

 メイフェムは思う。こんな肥料を作るような作業ではなく、戦いがしたい。

 あの者たちと、戦いたい。

 あの者たちは、しかし今、ゴルジ・バルカウスに命を狙われている。

 ゴルジがほぼ全員で、しかも魔獣人間の複製品の群れを引き連れて、ヴァスケリアへ向かったのだ。

 が、サン・ローデル領主リムレオン・エルベットが命を落としたという話は、伝わって来ない。その隣、ロッド地方の領主が死んだという話は聞こえて来たのだが。

 そしてゴルジ・バルカウスは、1人もバルムガルドに戻って来ていない。

(まさか……全滅したの? ゴルジ殿)

 もしそうなら、ゴルジには悪いが、メイフェムにとっては祝うべき事だ。

「いいわ、生き残っているのね……リムレオン・エルベット、それにシェファ・ランティ」

 つい、声に出して呟いてしまう。

 タジミの村長が、怪訝そうな顔をした。

「あの、何かおっしゃいましたでしょうか?」

「……何でもないわ」

「さようでございますか……ではその、私の方から1つ、お訊きしてもよろしゅうございますか」

 この村長が何を訊きたいのか、メイフェムには大方の予想はつく。

 予想通りの問いを、村長は口にした。

「メイフェム様のお連れの……あの母子連れの方は、一体どなた様なのでありましょうか」

 彼女らの素性に関しては、村人の誰にも語ってはいない。マチュアにも口止めしてある。知られれば、いささか面倒な事になるのは間違いないからだ。

「何やら、身分高き御方とお見受けしますが」

「まあ、そうね……やんごとなき御夫人とその御子息よ」

 メイフェムは、にっこりと微笑んだ。笑顔で、村長を睨み据えた。

「だから貴方たちは精一杯、心を込めてお世話しなければならないの。余計な詮索をせずに精一杯ね……おわかり?」

「は、はい……」

「やめて下さい、メイフェム殿」

 苦笑混じりに、声をかけてくる女性がいた。

 シーリン・カルナヴァート元王女が、息子フェルディを抱いたまま歩み寄って来たところである。傍らに1人、メイフェムとお揃いの法衣を着せられた幼い少女を伴っている。マチュアである。

 母親の細腕に抱かれながらフェルディ王子が、だぁだぁと機嫌の良さそうな声を出している。周囲に散らかっているのが人間の死体であると、わかっているのかいないのか。

 村長が慌てて一礼し、そそくさと去って行った。

 それを会釈で見送ってから、シーリンが言う。

「お疲れ様でしたね、メイフェム殿」

「大した事はないわ……」

 少しやり過ぎではないのか。命乞いをする相手まで、殺す必要があるのか。

 などと仮に思ったとしても言わないところが、このシーリンという女性の美点ではある。その手の台詞が一言でも出ていたら即、赤ん坊もろとも叩き殺しているところだ。

 そういう台詞ほどではないにせよ鬱陶しいのが、この返り血に濡れた法衣である。ぐっしょりと、全身に貼り付いて来る。

 躊躇う事もなく、メイフェムは脱いだ。

 血まみれの法衣がぬるりと流れ落ち、白い肌が露わになる。人間をやめる事によって、瑞々しく若返った肌。

 胸と腰に下着を巻き付けただけの尼僧の姿が、そこに出現した。美しく鍛え込まれた、凹凸の見事な半裸身。

 周りで死体運びをしている村の男たちが、ぎょっと固まった。ある者は目のやり場に困って顔を逸らせ、ある者は顔を逸らせながらも盗み見を試みる。

 マチュアが、慌てふためいた。

「だっ駄目ですメイフェム様! こんな所でお脱ぎになっては」

「お洗濯をしておくように。いいわね? おチビちゃん」

 メイフェムは、血まみれの法衣をマチュアに被せた。

 少女の小さな身体が、ぐっしょり重くなった法衣の下敷きになって、じたばたと弱々しくもがく。

 助けてやるべくシーリンが、赤ん坊を抱いたまま屈み込もうとする。

 そこへ1人、歩み寄って来た。唯一神教の法衣をまとった、老婆である。

「あの、アゼル派の御方……どうか、これをお召しになって」

 この村の教会に勤める尼僧であろう。丁寧に畳まれた女性用の法衣一揃いを、メイフェムに差し出して来る。

 とりあえず受け取りながら、メイフェムは訊いてみた。

「貴女は……ローエン派の方?」

「いえ、ディラム派でございますよ。お隣ヴァスケリアの影響か、最近は確かにローエン派への改宗者が増えておりますけれども」

「バルムガルドでは、まだディラム派が唯一神教の主流というわけね」

 隣国ヴァスケリアにおけるディラム派の衰亡とローエン派の台頭に、この老尼僧としては、いささか思うところがあるのかも知れない。

 とにかく彼女が、血まみれの法衣をマチュアから引き剥がしてやっている。解放されたマチュアが、半泣きで礼を述べた。

「あ、ありがとうございますぅ……」

「……お騒がせを、しております」

 シーリンも、挨拶をした。

「村の方々の平穏な暮らしを、乱してしまって……」

「御覧の通り、元々あまり平穏ではないのですよ。この辺り一帯の村々の暮らしぶりは」

 ディラム派の老尼僧が、疲れたように微笑む。連盟を組んだ山賊たちによる被害が、やはり多いのだろう。

「貴女がたのおかげで、この村は大いに助かっております……が、このような場所に赤ちゃんをお連れになるのは、どうかと思いますよ?」

「そ、そうですね……」

 シーリンが恐縮し、視界を塞ぐように息子を抱き締めた。死体だらけの光景を、赤ん坊に見せまいとしている。

 借り物の法衣を手早く身にまといながら、メイフェムは言った。

「しっかり見せておけばいいと思うわ。人間が死ぬ、というのがどういう事なのかをね」

 山賊たちの死体を、村人たちが段取り良く運び出して行く。

 人が死ぬとは、すなわち死体に変わるという事。それ以上でも以下でもない。

 ケリスは死体すら残らなかった、とメイフェムは思った。赤き竜の炎に焼かれ、死体どころか遺灰すら残らなかった。

 生き返るわけでもない死体が残るより、遥かにましだったのか。今では、メイフェムはそう思う。

 運ばれて行く死体たちに向かって、ディラム派の老尼僧が祈りを呟いている。

「……貴女には不愉快な思いをさせてしまったかも知れませんね、アゼル派の方」

 祈りを終えて、彼女は言った。

「貴女がこの村を守ってくれた事を、否定するわけではないのですよ。ただ死者には祈りを捧げるのみ……私どもは、それだけでございますから」

「……まあ、好きにすればいいと思うわ」

 メイフェムは言った。自分の機嫌が今もう少し悪かったら、この老尼僧を殺していたかも知れない。そう思いながら。

 ダルーハ・ケスナーは、唯一神教ディラム派を、ヴァスケリア国内から一掃してしまった。

 癒しの力や聖武術など、とにかく戦闘の役に立つ能力を持っているかどうか。あの男は唯一神教関係者を、そこでしか判断しなかった。何の実用性もない、口だけで救いを説く宗教というものを、とにかく毛嫌いしていた。

 ダルーハが今もまだ生きていたとしたら、綺麗事と政治力でヴァスケリア国内に勢力を拡大しつつあるローエン派など、皆殺しにされているだろう。

 宗教など、所詮あんなものだ。ディラム派であろうとローエン派であろうと、信者が増えれば政治的・権力的にならざるを得ない。そして腐敗してゆく。

 赤き竜との戦いの後、メイフェムは教会組織に戻った。

 アゼル派に改宗した身でありながら、ディラム派の教会への復帰が認められたのである。大して活躍出来なかったとは言え、一応は赤き竜討伐の実績が考慮されたようだ。

 赤き竜亡き後の平和の中で、ヴァスケリアの唯一神教会は急速に腐敗していった。

 ディラム派の聖職者は、ほぼ全員が腐っていたと言っていいだろう。

 1人だけ、いた。腐っていない聖職者が。腐敗への流れが止まらぬディラム派にあって、純粋なる信仰心と熱い正義感を保っていた若き僧侶が。

 とある地方教会で、司祭見習いをしていた少年だった。名を、マディック・ラザンといった。

 当時どうしてそんな気になったのか、メイフェム自身にもわからない。とにかく、彼の弟子入り志願を受け入れた。そしてアゼル派の聖武術の、基礎の基礎を叩き込んだ。

 お世辞にも筋が良いとは言えぬ弟子だったマディックを、メイフェムは辛抱強く鍛え上げた。彼は、才能の不足を努力で補う事の出来る少年だった。

 あのままメイフェムが師匠を続けていれば、マディックはそれなりには強くなっただろう。彼をディラム派からアゼル派に改宗させる事も、不可能ではなかっただろう。

 それが出来なくなったのは、メイフェムが1つ問題を起こして、あの教会にいられなくなってしまったからだ。

 司教が、ディラム派の腐敗を体現するような人物だったのである。温厚な聖職者の皮を被りつつ、裏で無法な金貸しを営んでいたのだ。近辺の領民から、自殺者も出ていた。

 あの司教の下にいたのでは、純真な少年僧であったマディック・ラザンも、いずれは腐ってしまっただろう。

 だからメイフェムは、司教を殺した。

 そして教会組織に居場所をなくし、さまよっていたところを、ゴルジ・バルカウスに拾われたのである。

(マディック・ラザン……生きているなら貴方も、腐っているのかしら?)

 ダルーハによる教会破壊を生き延びたのだとしたら、今頃はローエン派に組み込まれてしまっているか。そして、クラバー・ルマン大司教がもたらす腐敗に染まってしまったか。

 そうなっていて再会するような事があれば、殺すまでだ。

 そんな事を思いつつ、メイフェムは気付いた。

 村の中が、妙にざわついている。鎧の鳴る音や、荒々しい軍靴の足音も聞こえて来る。

 死体を運んでいる村人たちを押しのけるようにして、兵士の一団が、広場に踏み入って来たところだった。

 バルムガルド王国軍の、一部隊。総勢30人ほど、であろうか。山賊討伐に、まさか今頃、出向いて来たのか。

「これは……ずいぶんと人死にが出ているようだが」

 指揮官と思われる1人の騎士が、進み出て来て言った。

「一体、何事が起こったのであろうか?」

「……貴方たちの代わりに、私が仕事をしてあげたの。文句ある?」

 メイフェムは答えた。まるで、村の代表者のような形になってしまった。

「税金泥棒の方々にやってもらう事なんて、もう残っていないわ。とっととお帰りなさい……私が貴方がたを皆殺しにしてしまう前にね」

「ははは、皆殺しとは手厳しい」

 指揮官が笑った。兵士たちも、ニタニタと不快な笑みを浮かべている。

 少なくとも外見は尼僧姿の若い娘が、皆殺しなどと言ったところで、男たちとしては確かに笑うしかないだろう。

 ならば、皆殺しを実行して見せるしかないか。

「そうかそうか、山賊どもが村を攻めたのだな」

 指揮官が、にこにこ笑いながら言った。

「我ら軍の対応が遅くて難儀をしたわけだな。それは済まぬ事をした、これからは気をつけよう……ま、そんな事はさておいてだ。我々は、実は人を探しているのだよ」

 シーリンが、幼い王子を抱いたまま身を固くした。

 官憲による捜索。来るべきものが来たのだ、とメイフェムは思った。

「やんごとなき貴婦人と、赤ん坊だ。それらしき方々がこの村におられる、との情報を得たのだがな」

「……赤ちゃん連れの女なんて、どこにでもいるわよ」

「いや、まったくその通り。故に、この村の女性と赤子の全員を調べさせてもらわねばならん」

 指揮官の視線が、メイフェムの身体を一通り舐め回した後、シーリンの方へと向いた。

「いやはや実に……調べ甲斐のある御婦人がおられる事よ」

 指揮官のにこやかな笑顔が、さらにニンマリと醜悪に歪み、品性の悪さが剥き出しになった。

 嫌らしく歪みきったその顔が、赤ん坊を抱いた元王女の細身を、ギラギラと欲情丸出しで凝視する。

「ん〜良い、子を産んだばかりの若い母親……実に、私好みである事よ」

 すがりつくように我が子を抱き締めたまま、シーリンが青ざめ、後退りをする。

 マチュアが、母子の眼前にあたふたと立ち、懸命な声を発した。

「あ、あのう……悪い事は、やめて下さい……」

「悪い事ってなぁ何だオイ嬢ちゃんよぉお!」

 兵士たちが、逆上した。

「俺たちゃ仕事で来てんだよ仕事、クソめんどい人探しの仕事ォ!」

「あんまナメた事言ってんと犯っちまうぞ? 犯り殺すぞコラ」

「隊長ヤッちまいましょうよ、このオンナどもぉおおおおお!」

 メイフェムは、天を仰いだ。

(ケリス、助けて……)

 心の中から、語りかけてみる。

(誰も私に、美しいものを見せてくれない……このままでは私、本当に止まらなくなってしまう……この世の人間、全てを殺し尽くすまで……)

「……いい加減になさい、貴方たち」

 ディラム派の老尼僧が、兵士たちを穏やかに叱りつける。

「誰を捜していらっしゃるのか知りませんが、まずは村人たちに礼を尽くして協力を求めるのが道理というものでしょう。なのに、そのような無法な振る舞いを」

 とっさにメイフェムは、シーリン母子とマチュアをまとめて背後に庇い、両腕を広げた。身を呈して3人を守る格好になってしまった。何故そんな事をしたのか、メイフェム自身にもよくわからない。

 とにかく、凄まじい熱量が全身にぶつかって来た。

 借り物の法衣が、下着もろとも一瞬にして灰と化し、舞い散った。

 凹凸の見事な裸身を晒す暇もなく、メイフェムは炎に包まれていた。

 唯一神の加護を発現させて防壁を張る暇も、なかったのだ。

「あぁー……やってしまった、何ともったいない……」

 指揮官がそんな事を言いながら、口の周りにメラメラと炎をまとわりつかせている。

 その全身が、鎧もろともメキメキ……ッと震えていた。

(魔獣……人間……)

 燃え盛る炎に包まれ、立ち尽くしたまま、メイフェムは己の鈍さを呪った。炎を吐かれるまで、気付かないとは。

 シーリンが、背後で悲鳴を上げている。抱かれたフェルディ王子が、泣き喚いている。

 メイフェムの正体を知っているマチュアは、青ざめ震えながらも、あまり動揺していない。

 3人は、とりあえず無事だ。

 だがディラム派の老尼僧は、人型の焦げの塊と化し、倒れ崩れていた。彼女まで守ってやる事は出来なかった。

 まあメイフェムとしては、4人とも焼け死んでしまったところで一向に構わないのだが。

「もったいねえ! 隊長マジもったいねえッスよ、何て事するんスかあああああ!」

 兵士たちが喚きながら痙攣し、ねじ曲がったり膨張したりしている。

「おおおお、でも嬢ちゃんは無傷だぜえ」

「今から俺たちがたぁっぷり傷物にしてやンからよぉ」

「かわいそぉーなお姉ちゃんの分まで、可愛がってあげるからねェーえ!」

 鎧がちぎれ飛び、触手が跳ね上がる。角が、尻尾が、空を飛べそうもない翼が、めきめきと発生してゆく。

 残骸兵士。間違いない。魔獣人間の成り損ないとは言え、これはこれで一種の異形として完成している。

「そう……そういう事なのね、ゴルジ殿……」

 炎の中で、メイフェムは呟いた。

 この国における魔獣人間の生産状況は、メイフェムの思っていた程度を遥かに超えた段階に達している。ゴルジ・バルカウスの手は、バルムガルド軍内にまで及んでいたのだ。兵士や騎士を、魔獣人間の材料として自由に使えるほどに。

 メイフェムの知らぬ所でも、魔獣人間造りは着々と行われている。

 自身の力のみで、ゴルジはそこまで物事を進めてしまったのだ。

 今までゴルジ・バルカウスの片腕のように振る舞っていたメイフェムではあるが、しかし思わざるを得ない。あの男は、片腕や腹心など必要としていないのではないかと。自分も、それに恐らくはゼノス・ブレギアスも、彼にとってはそこそこ良く出来た作品の1つ2つでしかないのだと。

(まあ……それはそうよね、ゴルジ殿)

「ああ、教会関係者の方々を死なせてしまった……だってババァがウザい事言うからぁ」

 着ている鎧を内側から破壊しつつ指揮官が、声をおかしな感じに痙攣させている。

「これは……レボルト将軍に、揉み消してもらうしかないなァアアア」

 破裂した鎧の下から、とてつもない量の筋肉が盛り上がって来る。

 あのブレン・バイアスをいくらか上回る裸の巨体が、そこに出現していた。いささか不格好なほど隆々と盛り上がった筋肉を、鱗のある爬虫類的な外皮が包んでいる。

 首から上は、まさに爬虫類そのものだった。大型の口吻からは、鋭い牙と、そしてチロチロと燃えくすぶる炎が見え隠れしている。

 その口が、人語を発した。泣き喚くフェルディを抱いたまま青ざめ固まった、シーリン元王女に向かってだ。

「さぁーて若奥様、旦那様はどこにおられますゥ? いや私はねえ、貴女のようなお美しい方を、旦那様が見ている前でグッチョぐっちょ犯り殺すのが大好きなのですよぉお。お子様をバリバリかじりながらねえ……さあ、そんな地獄のような天国のような目に遭わせて差し上げよう。この魔獣人間ギガンテドレイクが」

「……誰も、貴方の名前など訊いてはいないわ」

 炎の中から、メイフェムは声をかけた。

 そこでようやく魔獣人間ギガンテドレイクは、炎上中のこの尼僧が生きている事に気付いたようである。

「貴様は……」

「ゴルジ殿が、また失敗作を放置している……」

 メイフェムは背中の翼を羽ばたかせて、全身の炎を吹き飛ばした。左は羽毛、右は皮膜と、左右で形の異なる翼。

 所々に衣装的な羽毛を生やした、黒く(つや)やかな外皮。筋肉が盛り上がっていながらも、しなやかな女の曲線を失わない身体。

 魔獣人間バルロックの姿が、炎の中から現れていた。

「処分しておけ、という事なのね……まったく」

「魔獣人間だと……!」

 ギガンテドレイクが、口元で炎を燃やしながら憤っている。

「ゴルジ・バルカウスめ、我らの知らぬ所でこのような……ふん、まあ良い」

 その口元がニヤリと歪み、牙と牙の間から炎の息が漏れ続ける。

「たまには人間ではない女をいじめ殺してみるのも一興よ……ぐふ、ぐふふふ。おぬしゴルジ・バルカウスに身体をいじられた際、ついでにあんな事やこんなコトもされたのではないかぁあ?」

 それはない、とメイフェムは断言出来る。あの男が女性の身体に性的な興味を見出す事など、有り得ない。

 男であろうが女であろうが人体とは、ゴルジ・バルカウスにとっては、切り刻んで造り変える対象物でしかないのだ。

 メイフェムがこれまでに身体を許した事のある男は、ただ1人。

(ケリス、私を見て……)

 天を仰ぎ、語りかけてみる。

(貴方は、こんな女と愛し合っていたのよ……ふふっ、おぞましいでしょう?) 

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