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第55話 赤き者は最後に来る

 魔法の戦斧がギュルルルルッ! と回転しながら弧を描いて飛び、戦場を薙ぎ払う。

 グールトレントが4匹、ローパーゴイルとミノホルダーがそれぞれ2匹ずつ、真っ二つになって臓物をぶちまけた。

 手元に戻って来た戦斧を、ブレンは掴み止めると同時に振るった。彼の左右でスライムゾンビが2体、叩き斬られて飛び散った。

 リムレオンの近くでは、シェファとイリーナが身を寄せ合っている。

「ちょっとシェファ・ランティ、何をしているの! 早くこの怪物どもを始末なさい! そして私を守りなさぁいっ!」

 泣きそうな声で叫びながらイリーナが、青い魔法の鎧を着た少女を楯にしている。

「あんたこそ! ゾルカさんから攻撃魔法か何か、習ったりしてないわけ?」

 怒声を返しつつシェファが、魔石の杖を重そうに構える。

 その杖が微かに発電し、弱々しい電光を帯びるが、その輝きは今にも消え失せてしまいそうだ。

 デーモンロードとの戦いでシェファが魔力をほぼ使い果たしてしまったのは、間違いない。

 戦力としてはもはや何も期待出来そうにない女の子2人に、何体ものローパーゴイルが、スライムゾンビたちが、触手や腐肉を嫌らしくうねらせつつ迫る。

 ゾルカ・ジェンキムは娘たちに、攻撃魔法の教授など全く行わなかったのであろう。イリーナは、シェファの背中にすがりついて、ただ喚くだけだ。

「こっ来ないで! 嫌ッ、いやあああああっ! 助けてマディック! 私を助けなさい!」

 助けを求められたマディックは、しかしまだ倒れている。

 動かぬ彼を足元に庇いながら、魔獣人間ユニゴーゴンが、

「おい起きろマディック・ラザン!」

 松明のように燃える石の棍棒2本を、左右それぞれの手で豪快に振り回している。

 ミノホルダーが、バジリハウンドやローパーゴイルが、石像に変わりながら粉砕され、石の破片となって散った。

 その戦いを見物しているゴルジ・バルカウスの1人が、ユニゴーゴンに声をかけた。

「見間違い、ではないようだな……貴公、魔獣人間か。なかなか見事な出来ではある」

 ゴルジの手による魔獣人間ではないらしい、というブレンの報告を思い出しつつ、リムレオンは魔法の剣を振るった。

 白く輝く刃が、女の子2人を狙って群がる魔獣人間たちを一閃で切り刻む。ローパーゴイルが3匹、スライムゾンビ4匹、細切れになってビチャビチャッと飛散した。

 そんな汚らしい肉片ではなく、汁気のない石の破片を飛び散らせながら、ユニゴーゴンが会話に応じている。

「貴様がゴルジ・バルカウスか……思った通り、狂人の臭いを発してるな。俺をこんなものに造り変えた男と、全く同じ臭いだ」

「ふむ。貴殿を魔獣人間にした者の名は?」

「ムドラー・マグラという。見たところ、魔獣人間造りの腕前そのものは……貴様よりも奴の方が、少しばかり上かな」

 バジリハウンドを、スライムゾンビを、グールトレントを、燃え盛る棍棒でことごとく粉砕しながら、ユニゴーゴンはゴルジに迫った。

「とにかく俺は、貴様だけはこの世から消しておかねばならん。若君に殺される前にな……うぐっ!」

 何本もの光が、ユニゴーゴンの巨体に集中・命中した。

 5、6体ものミノホルダーが、分厚い胸板に埋まった眼球を見開き、破壊の眼光を発射したところだった。

 無論デーモンロードの炎に比べれば、大した事のない攻撃ではある。

 そんな破壊の眼光の1本が、しかしユニゴーゴンの、肩から胸にかけての灼けた裂傷を直撃していた。

 青銅色の金属甲殻に刻まれた亀裂がビキビキッと広がり、鮮血がしぶく。

「惜しいな、実に……手負いでさえなければ、貴公は本来の素晴らしい性能を私に見せてくれたであろうに」

 本当に残念そうに言いながらゴルジが何人か、枯れ木のような片手を、倒れたユニゴーゴンに向ける。

「そのムドラー・マグラなる者、1度だけ会った事がある。私の客の1人だ。ダルーハ・ケスナーと共に殺されたと聞いたが……これほどの魔獣人間を造る技術の持ち主であれば、もっと親交を深めておくべきであったな。いや、惜しい事をした」

 いくつもの掌から、電光が迸った。そして一斉にユニゴーゴンを直撃する。

 細かな金属甲殻の破片が飛び散り、血飛沫が電熱で蒸発する。

「ギルベルト!」

 救援に向かうべく、グールトレントを1体叩き斬りながら駆け出そうとするブレン。

 そこへも、何本かの光が激突する。

 ブレンの身体が、駆け出す寸前の姿勢で硬直し、動かなくなった。

「ぐ……こ、これは……?」

 黄銅色の魔法の鎧が、半ば灰色に変色している。石の色だった。

 同じ異変が、リムレオンの身にも起こった。

 異様な衝撃が、様々な方向から魔法の鎧にぶつかって来る。リムレオンがまず感じたのは、それだ。

「うっ……」

 腕が、脚が、動かない。

 純白の魔法の鎧が、半分以上、石と化していた。

 何体ものバジリハウンドたちが、遠巻きにブレンとリムレオンを取り囲み、眼球を青く禍々しく輝かせている。

 かつてブレンを1度だけ石像に変えた、石化の眼光だった。

「やはり……な」

 ゴルジ・バルカウスたちが、得意げに語る。

「お前たちの魔法の鎧は、デーモンロードとの戦いで疲弊しきっておる。もはや魔獣人間の石化能力を跳ね返す事も出来ぬほど……」

 いくつもの仮面が、裂けて割れた。何枚ものローブが、ちぎれ飛んだ。

 ゴルジ全員がメキメキッ! と音を響かせ、枯れ木のようだった肉体を膨張させてゆく。

 出現したのは、ブレンの体格をも上回る、大柄な人型の甲虫。

 顔面は、頭蓋骨の形をした外骨格だ。

 両手の五指は、そのまま巨大な爪となっており、破壊と殺傷以外の手作業は全く出来そうにない。

 そんな真の姿を現したゴルジたちが、動けぬブレン及びリムレオンに襲いかかる。

「リム様!」

 シェファが、イリーナを放り出すようにして駆け寄って来る。

 いや、駆け寄って来ようとするところへ、人型の甲虫たちが凶暴に群がって行く。

「誰よりも放置しておけぬのはシェファ・ランティ、貴様だ」

「私を1人、殺してくれた……その礼をさせてもらうぞ」

 魔力の尽きた攻撃魔法兵士の少女に、何人ものゴルジが一斉に、巨大な爪を叩き付ける。

「やめろ……!」

 叫ぼうとするリムレオンも、しかし同じ目に遭いつつあるのだ。

 ブレン、シェファ、リムレオン。弱まった魔法の鎧もろとも3人を、巨大な爪で切り刻みにかかったゴルジたちが、しかしその時、一斉に揺らいだ。何か目に見えぬ障害物にでも、激突したかのように。

 その不可視の障壁の内側で、リムレオンとブレンの身体が一瞬、白い光に包まれた。

 半ば石化していた魔法の鎧が、元に戻った。

 目に見えぬ防壁、そして石化の解除。何者の仕業であるのかは、考えるまでもない。

「マディック殿……」

 動けるようになったのでリムレオンは、彼の方を向いた。

 倒れていたマディック・ラザンが、よろよろと立ち上がり、魔法の槍を掲げている。

「……これで、俺の気力も搾りカスだ……もはや癒しの力も使えんぞ……」

 呻きながら緑の騎士がよろめき、槍を地面について踏みとどまる。

「くそ……俺が気を失っている間に、何があった? 何なんだこの状況は……俺は、実はまだ気絶していて、おかしな夢を見ているのか……?」

「悪夢を見る事もない、安らかな眠りにつくが良い!」

 ゴルジの1体が、そんな言葉と共にマディックを急襲した。異形化した右手が振るわれ、巨大な5本爪が緑の鎧を打ち据える。

 血飛沫の如く火花を散らせ、マディックは後方に揺らいだ。

「ぐぅっ……な、何だ貴様ら、デーモンロードの手下か……」

「あやつらの手から、人間という種族を救わねばならぬ者よ!」

 自己陶酔の叫びを張り上げ、ゴルジは両手を振るった。五指の形を成す大型の爪が、左右連続してマディックを叩きのめす。

 大量の火花と一緒に、キラキラと緑色の光が飛び散った。魔法の鎧がついに限界を迎え、光の粒子に戻ってしまったのだ。

 生身のマディック・ラザンが弱々しく倒れ、動かなくなる。彼の右手中指に巻き付いた竜の指輪に、緑色の光の粒子がキラキラと吸い込まれて行く。

「本当に油断のならぬ者どもよ。私の知らぬうちに、魔法の鎧の装着者を増員しておるとは」

 言いながらゴルジが、重い左足を上げ、マディックを踏み潰そうとする。

 石化を解かれて動けるようになったブレンとリムレオン、よりも速く救出に動いた者がいる。

「馬鹿が……ようやく起きたと思えば!」

 ユニゴーゴンだった。

 その全身で青銅色の金属甲殻がひび割れ、一部は剥離して血まみれの肉が剥き出しになっている。

 そんな凄惨な姿の魔獣人間が、猛然と駆けながら、石の棍棒を振るう。松明の如く燃える、左右2本の棍棒。

 その1本が、ゴルジの巨体を直撃しながら砕け散った。

 マディックを踏み殺そうとしていた人型甲虫の身体が、よろめきながら硬直した。その全身がビキビキ……ッと灰色に固まってゆく。

 石化、だが完全ではない。半ば石像に変わりながらも、ゴルジは声を発している。

「う……うぬっ……」

 そこへ、もう片方の燃える棍棒が叩き付けられる。

 完全に石像と化しながら、ゴルジは粉々に砕け、飛び散った。棍棒の方も、砕け散っていた。

 素手になってしまったユニゴーゴンが、倒れたマディックを足元に庇って身構える。

 そこへバジリハウンドが5、6体、青く輝く眼球を向け、石化の光を発射した。

 それらの光が、全身ひび割れた魔獣人間を直撃する。が、何事も起こらない。

 満身創痍ながらユニゴーゴンは不敵に嘲笑い、

「本物の石化能力、見てみるか……?」

 シューッ! と炎を吐き出した。

 燃え盛る吐息に包み込まれたバジリハウンドたちが、黒焦げの焼死体ではなく、石像に変わった。

 マディックの身体を引きずり起こし、左脇に抱えたまま、ユニゴーゴンが踏み込んで行く。

 右の拳が、左右の蹄が、石化したバジリハウンド5、6体をことごとく粉砕した。

「つくづく素晴らしい作品だ……私の造った、この粗悪品どもとは格が違い過ぎる」

 ゴルジたちが感服しつつ、両手をユニゴーゴンに向ける。

 そのまま五指を成す巨大な爪がバチバチッ! と一斉に発電・放電し、稲妻を迸らせた。

「敬意を表し、全力で破壊してくれよう……」

 ユニゴーゴンは横抱きにしていたマディックの身体を足元に放り出し、己の全身でゴルジたちの電光を受けた。

 爆発に近い激烈な電熱が、ひびわれた青銅色の巨体を灼く。

 剥離した金属甲殻の破片が、飛び散りながら灰に変わった。

 ゴルジ・バルカウス全員によるそれらの電光は、ギルベルト1人を狙って放たれたものではない。ブレン、それにリムレオンとシェファにも向かって来る。

 マディックが最後の気力で発生させてくれた聖なる防壁が、様々な方向からの電撃光を一瞬だけ防いだ後、砕け散った。

 光の破片がキラキラと生じ、消える。

 それらを蹴散らして、リムレオンは駆け出した。

「はああああああッッ!」

 振り絞った気力が魔法の剣に流れ込み、刀身を白く輝かせる。

 ゴルジの1体が、接近戦でリムレオンを迎え撃った。

 パリパリと電光をまとう爪が、白く光り輝く刃と、激しくぶつかり合う。1合、2合。

 3合目で、電光の爪が折れて砕けた。

 純白の光を帯びた魔法の剣が、そのまま斜めに一閃する。

 会心の手応えと、気力が一気に放出されてゆく感覚を、リムレオンは同時に感じた。

 爪の折れた人型甲虫の巨体が、斜め真っ二つになっていた。断面が、白い光を流し込まれて輝いている。

 その光が膨張し、爆発した。

 真っ二つの肉塊と化したゴルジが、白い光の爆発に灼かれ、灰も残さず消滅する。

 薄れゆく爆発の光を全身に浴びながら、リムレオンはがくりと片膝をついた。魔法の剣に宿っていた白い光が、消え失せている。

 体力も、それに気力も、限界に達していた。

 一方ゴルジ・バルカウスたちは、限界どころか1体2体死んだくらいでは減ったようにも見えず、電光の爪を振るって暴れ続けている。

「きゃっ……あ……」

 シェファの悲鳴が聞こえた。

 ゴルジの1体が、爪に電光をまとわせて振るい、彼女を殴り倒したところである。

 殴り倒された少女の細身から、青い光が飛び散った。魔法の鎧が粉砕され、光の粒子に戻ったのだ。

「リム……さま……」

 シェファの可憐な唇が、微かな声を紡ぎながらドロリと吐血に汚れた。

「シェファ……あうっぐ!」

 リムレオンも同じく、声と共に血を吐いた。全身に、衝撃がぶつかって来たのだ。

 何匹ものミノホルダーが放つ、破壊の眼光。それらが全方向から、リムレオンを直撃していた。

 白い光が弱々しく飛び散り、右手中指の竜の指輪に吸い込まれて行く。

 生身に戻ったリムレオンの身体が、倒れて石畳に激突した。

 スライムゾンビが、グールトレントやローパーゴイルが、倒れた少年少女に群がって来る。

 腐肉や木の根や触手をおぞましく蠢かせる彼らの肉体が、次の瞬間、ことごとく叩き斬られて飛び散った。

 魔法の戦斧が、回転しながら弧を描いて飛び、魔獣人間の群れを薙ぎ払っていた。

 ズタズタに砕けた腐肉や触手や臓物を蹴散らして飛んだ魔法の斧が、最後にミノホルダーの1体を直撃する。

 胸板の眼球に戦斧をめりこませてミノホルダーは倒れ、絶命した。

 得物を失ったブレンにも、ゴルジ・バルカウスの群れは容赦なく襲いかかる。

 電光を帯びた爪で殴り掛かって来た1体を、ブレンは組み打ちで捕まえた。黄銅色の太い右腕が、ゴルジの頸部に大蛇の如く巻き付く。その右手を、左手がガッチリと掴んで固定する。

 完全に首を捕えた体勢のままブレンは、ゴルジの巨体を振り回し、地面に叩き付けた。

 ブレンの腕の中で、ゴルジの首がちぎれた。

 首無しの屍と化した人型甲虫を踏み付けて立ち上がり、頭蓋骨状の生首を放り捨てて身構えるブレン。

 その背中から、大量の火花が散った。ゴルジの1体が、背後から電光の爪を叩き付けたのだ。

「ぐ……うっ……し、シェファ……若君……ッ」

 揺らぐブレンに、さらに何体ものゴルジが襲いかかる。電光をまとう爪が、様々な方向から、黄銅色の魔法の鎧を打ち据える。

 キラキラと黄色い光を散らせながら、ブレンはついに生身に戻り、倒れ伏した。

「終わり……であるな」

 まだ大量に生き残っているゴルジたちが、生身に戻った者たちにとどめを刺そうともせず、口々に言う。

「満身創痍かと思っておったが、意外に手こずった……さすが、と言っておいてやろう」

「そなたら全員、辛うじて息はあるようだな」

「こうなると、いささかもったいなくはある……その指輪は全ていただいて行くとして、そなたらをこのまま殺してしまうか」

「あるいは岩窟魔宮に運び込み、魔獣人間の材料としてみるか……」

 そんなゴルジたちの言葉など耳に入っていない様子で、叫んでいる者がいる。

「マディック! 起きなさいマディック・ラザン!」

 イリーナ・ジェンキムだった。倒れ動かぬマディックの傍らに座り込み、周囲に魔獣人間が群れている状況も目に入らぬ様子で、泣き叫んでいる。

「起きて私を守りなさい! こんな時のために貴方に力をあげたのよ? この恩知らずの役立たず! 目を開けなさいってばぁあ!」

 駄目だ、早く逃げて。リムレオンはそう叫ぼうとして、またしても血を吐いた。

(終わり……なのか……?)

 全員、このまま殺される。あるいは魔獣人間の材料にされる……まあ、殺されるようなものだ。自分も、ブレンもギルベルトも、マディックもイリーナも。それに、シェファも。

(僕は……領主でありながら、誰も……守れない……)

 魔獣人間になれるのなら、それもいい。リムレオンは、そんな気分になり始めていた。それでシェファやブレンを守る力が、手に入るのなら。

(力が……力がなければ、何も守れない……暴力が、なければ……)

 血反吐の味を、リムレオンは奥歯で噛み締めた。

(暴力を……頼む、皆を守れるだけの暴力を……誰か、僕に……)

 地面が、揺れた。石畳にビキビキビキッ! と亀裂が走った。

 このまま地が割れて、自分は地獄へ落ちる。薄れかけた意識の中、リムレオンはそんな事を思った。

「何事……!」

 ゆとりを露わにしていたゴルジの口調が、緊迫した。彼にとっても予想外の事態が、起こっているようだ。

 倒れたリムレオンの眼前に、何かがビチャアッと落下して来た。

 ミノホルダーの、ちぎれた上半身だった。

 他にもグールトレントの手足が宙を舞い、スライムゾンビの腐肉の破片が飛び散って城壁に貼り付き、バジリハウンドやローパーゴイルの生首が降って来る。

 20体近い魔獣人間が、ズタズタの残骸に変わり、石畳の破片と共に散らばっていた。

 その酸鼻を極める光景の中心で、何者かが、片膝をついてうずくまっている。砕けた石畳から濛々と立ち上る土煙が、その姿を包み隠してしまっている。

 土煙の中で、大蛇に似たものが猛々しくうねった。尻尾、のようである。

 翼がバサッ! と力強くはためき、土煙を払い飛ばした。

 どうやら上空から降下して来たらしい何者かが、ゆらりと立ち上がる。

 赤かった。

 血、よりも炎を思わせる、紅蓮の体色。

 そんな赤い身体が、鮮烈な黄金色を揺らめかせていた。髪、である。翼ある背中へと流れる、金色の髪。その中から、刀剣のような鋭い角が4本、やや後ろ向きに伸びている。

「貴様は…………!」

 ゴルジの声が、引きつった。

 応えるかのように、その赤い何者かが歩き出す。地を掴み裂くかのような爪が、ガッと石畳を踏んだ。

 たくましい肉体の所々が、鎧を着ているかの如く甲殻状に隆起している。紅蓮の色をした、外骨格。もちろん内部にも頑強な内骨格を有する、力強い長身。

 二の腕と太股それに腹部では、デーモンロードに劣らぬ鋼の如き筋肉がガッチリと引き締まっており、なおかつ鉄板のような鱗が隙間なくビッシリと貼り付いている。

 魚類の、いや爬虫類の……否、竜の鱗。リムレオンは、そう感じた。

 首から上は、輪郭の整った甲殻の仮面である。それによって鼻も口も隠され、両眼だけが露出して、真紅の眼光を爛々と燃やしている。その燃え盛る眼差しが、ギロリと周囲に向けられる。

 眼光に圧され、後退りをしつつも、ゴルジたちが声を発した。

「まさか貴様……ひ、東国境と、同じ事を……」

「ここで、我らを相手に行うつもりではあるまいな……!」

「何故だ、貴様……」

「エル・ザナード1世女王の命令で、リムレオン・エルベットの命を守ろうとでも」

「貴様、魔物でありながら人間の女王に味方し、一体何を為さんとしておる? 何が目的なのだ?」

「い、いや何が目的であろうと関係ない! 貴様のような者から人間という種族を守るため、私は戦っておるのだからなぁああああああ!」

 竜の鱗と甲殻をまとう赤色の魔人が、ゴルジたちの言葉には何も応えず、悠然と歩いた。

 真紅のマントのような翼を生やして背負い、赤い大蛇にも似た尻尾を伸ばしうねらせる、紅蓮の色の魔人。

 ゆったりと歩みながら、彼は右手を軽く掲げ、拳を握った。手首から肘にかけて生えた鋭利なヒレが、ジャキッ! と金属的な音を発し、広がった。

 それは外骨格が武器状に進化した、生体の刃であった。

 同じものが、左の前腕にも備わっている。

 何匹ものバジリハウンドが、何体ものミノホルダーが、一斉に眼光を発射した。石化の光、破壊の光。

 それらが全て、赤い魔人の体表面で弾けて散った。真紅の甲殻も竜の鱗も、全くの無傷・無変化である。

 無謀にも触手や木の根で格闘戦を挑もうとしたローパーゴイルやグールトレントが、砕け散って肉の飛沫と化した。

 魔人の尻尾が、鞭の如く一閃していた。棘状の背ビレを有する長大な尻尾が、魔獣人間の臓物や肉片をまとわりつかせたまま宙を泳ぐ。

 それと共に、赤いマントのような大型の翼が羽ばたいていた。スライムゾンビ数体が、その羽ばたきに打ち据えられて破裂し、跡形もなく飛び散った。

 手も足も使わずに魔獣人間の群れを虐殺し続ける赤き魔人。

 その凶悪なほど力強い姿に、ゴルジたちの放った電光がバリバリバリッ! と集中してゆく。

 マントのような翼が、魔人の身体を包み込んで閉じた。そこへゴルジの電撃光が、様々な方向から激突し、弱々しく散って消える。

 無傷の翼をバサッと開きながら、魔人は右腕を振るった。刃のヒレが、一閃した。

 電光の爪を振りかざして魔人に襲いかかったゴルジの巨体が、裂けながら潰れ、砕け、原形を失った。

 刃のヒレの一撃。それは切断でありながら、粉砕でもあった。

 間髪入れず、魔人の左手が動く。

 まるで人の前腕の形をした奇怪な甲殻生物のような左手が、がっちりと拳を握り、2体目のゴルジに叩き込まれる。

 頭蓋骨の形をした頭部甲殻が跡形もなく潰れ散り、首無しとなった人型甲虫の屍が、魔人の足元に沈み倒れた。

 それをまたぐ形に、魔人の片足がひょいと跳ね上がる。凶器そのものの爪を生やした蹴り。

 電光の爪を構えたゴルジ・バルカウスが1体、グシャアッ! と蹴り裂かれ、様々な有機物の残骸となって飛散する。

(何だ……これは……)

 ここはやはり地獄なのだ、とリムレオンは呆然と思った。地獄の悪鬼が、暴れているのだ。

(僕は、今……一体、何を見ている……?)

 魔人が、翼をはためかせる。尻尾を振るう。それだけでバジリハウンドが、ローパーゴイルが、破裂して肉片の飛沫と化す。

 魔人が、ハエでも追い払うように手を振るう。それだけでスライムゾンビが、ミノホルダーが、潰れ飛び散ってゆく。

 刃のヒレが、地を掴み裂くような足の爪が、一閃する。その度にゴルジ・バルカウスが1体また1体と、縦に叩き斬られ、横に裂けちぎれ、斜めに両断されて、挽肉同然の残骸と化す。

「力……これが、力……」

 血の味がこびりついた口の中で、リムレオンは呟いていた。

「これが……暴力……皆を、守れるだけの……」

 その声がヒクッ、と痙攣した。嗚咽だった。

「シェファを、守れる……ブレン兵長も、父上も母上も、みんな守れる……メルクトの、サン・ローデルの民衆を……あらゆるものを、守る事が出来る……」

 リムレオンは、涙を流していた。

「欲しい……この力……この暴力……僕も、欲しいよう……」

 立ち上がれぬまま1人、静かに泣きじゃくる非力な少年。

 そんな無様なるものを一瞥もせずに真紅の魔人は、虐殺の跡地に佇んでいる。

 もはやゴルジ・バルカウスも魔獣人間も、1体も生き残っていない。

 否。魔獣人間は1体だけ、辛うじて生き残っている。

 全身ひび割れ、金属甲殻の剥離した部分で焼け焦げた肉を露出させたユニゴーゴン……ギルベルト・レイン。

 死体寸前の有り様ながら、彼は声を発している。

「……遅かったな……若君」

 若君と言っても、リムレオンの事ではないようだ。どうやら、赤い魔人に話しかけている。

「部下たちは全員、死んだ……あとは俺1人を殺せば……ダルーハ軍の後始末は、終わりだ……」

「……殺すかどうかは、あんたを見てから判断するつもりだった」

 魔人が、ようやく声を発した。意外に若い声である。

「だから、見に来たのさ」

「……では見ての通りだ……今の俺は、無様なるボロ雑巾よ……あんたの手で、とどめを刺してくれ」

 事情を、リムレオンは何も知らない。わかるのは、この恐るべき赤い魔人とギルベルト・レインが、どうやら旧知の間柄であるという事。そして、このままではギルベルトが殺されてしまうかも知れないという事。

「やめろ……」

 リムレオンは声を発したが、魔人の耳に届いているかどうかはわからない。

「ギルベルト・レインは、今や我が領民……殺させは、しない……やめろぉ……」

 などと命じたところで意味はなかった。この魔人がギルベルトを殺す気になれば、今のリムレオンでは止められない。いや、体調万全なリムレオンが魔法の鎧を装着したところで、止められる相手ではない。

(僕は……誰も、守れない……)

 リムレオンの意識が、闇に沈んでゆく。もはや声を発する事も出来ない。

(暴力が、なければ……何も、守れはしない……)

 その思考を最後に、リムレオンは気を失った。

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