第54話 集う鎧たち(6)
マディック・ラザンが魔法の槍を掲げ、念じながら祈りを呟く。
彼本人の他、リムレオン、ブレン、シェファ、それに魔獣人間ユニゴーゴン、計5名の身体が、白く優しい光に包まれた。
癒しの力、である。
その効果が最も目に見える形で現れたのは、全裸であるユニゴーゴンの肉体だ。ひび割れ、血を滴らせていた青銅色の金属甲殻から、拭い去ったように亀裂が消え失せる。折れた角が、たちどころに伸びて再生する。
吐血するほどの損傷を被ったブレンとマディックの身体も、魔法の鎧の下で、それぞれ回復したようである。
主に逃げ回るくらいの動きしかしていなかったシェファの身体からも、疲労が、まるで抜き取られるかのように消えていった。
「見事な癒しだ……戦える聖職者の方が、加勢をして下さるとはな」
回復した身体で魔法の戦斧の素振りをしながら、ブレンがマディックに話しかける。
「戦いをなさる、という事は……もしやアゼル派の方か?」
「……そう見えないだろうが、ローエン派だ。とうの昔に破門された身だけどな……マディック・ラザンという」
「俺はブレン・バイアス。貴殿の助力に感謝する……助力をしてくれる、という事で良いのかな?」
「聖職者として、魔物を放っておくわけにはいかないからな」
魔法の槍を、マディックはデーモンロードに向けた。
「ローエン派とは言え、暴力を振るわなければいけない時もある……貴様らが存在するからだぞ、魔性の者ども」
「暴力……だと」
燃え盛る炎の剣を片手で構えたまま、デーモンロードは低く重く震える声を漏らした。
「人間が、この私を……暴力で排除する、と言うのか……ふ、ふふふふふ」
笑い声だった。
「人間が、我ら魔族に正面から、暴力で立ち向かうと言うのだな」
「成功した前例はありますわ。ほんの19年前にね」
ブラックローラ・プリズナが、冷ややかに嘲笑う。
「あれを全く何の教訓にもなさらない、だからこんな事になってしまいますのよ?」
白、青、黄、緑、4色の魔法の鎧を装着した者たち。それに魔獣人間が1体と、黒薔薇夫人。計6名がデーモンロードを、やや遠巻きに取り囲んでいる。
「魔物を送り込んでエルベット家の領民を脅かした罪……デーモンロード、貴方には死んで償ってもらう」
宣告しつつリムレオンが、腰の鞘から魔法の剣を抜いた。ぞっとするほど白く美しい刀身が、すらりと露わになって構えられる。
「俺たちを生かしておいたのは、愚かだったな」
ブレンが戦斧を構え、そしてユニゴーゴンがシューッ! と炎を吐き出し、石の棍棒を発生させる。
2本のそれらを左右の手で握り、魔獣人間は言った。
「下手をすると、これが俺の最後の力仕事になるかも知れん……容赦なく、いかせてもらうぞ」
「詰み……ですわねぇ、デーモンロード様」
黒いドレスをふわ……っとはためかせ、暗黒の翼を広げながら、ブラックローラが言い放つ。
デーモンロードは、何も応えない。何も言わなくなってしまった。6対1という状況に、もはや口をきく事も出来ずにいるのか。
「我……汝殺すなかれ、の破戒者とならん……」
マディックが、祈りを呟いた。
「唯一神よ、罰を与えたまえ……同時に、力を与えたまえ」
魔法の槍が、白い光を帯びた。
聖なる力を宿して輝く穂先を、デーモンロードに向けたまま、マディックは踏み込んだ。
リムレオンが、ブレンが、ユニゴーゴンが、各々の得物を振りかざし、同じく踏み込んで行く。
そしてブラックローラが、何枚もの黒い翼を、デーモンロードに向かって一閃させる。
シェファは全身に魔力を行き渡らせ、攻撃を念じた。
青い魔法の鎧のあちこちで、魔石が赤く輝く。
いくつもの火の玉が周囲に生じ、流星の如く飛んだ。
全ての攻撃が、デーモンロード1体に集中する。
炎が、ゴォオッ! と燃え上がりながら奔った。
青黒い巨体を獰猛に躍動させながら、デーモンロードが炎の剣を振るったのだ。
ブラックローラの黒い翼が、全て砕けちぎれて暗黒の飛沫と化し、散って消えた。
燃える石の棍棒が、魔法の剣が、戦斧が、槍が、炎の斬撃によって弾き返され、受け流される。
シェファの放った火の玉は全て、青黒い外皮の表面で、弱々しく砕け散って火の粉と化した。
その後、デーモンロードの巨体がどのように動いたのか、シェファの動体視力で把握する事は出来なかった。
とにかく、ブレンが吹っ飛んで城壁に激突した。
マディックがうつ伏せに倒れ、デーモンロードの左足で背中を踏み付けられている。
ユニゴーゴンは片膝をついて棍棒2本を掲げ、交差させて、炎の剣を辛うじて受け止めていた。片膝をついた青銅色の巨体が、燃え盛る斬撃によって、今にも押し潰されてしまいそうだ。
そしてリムレオンは、宙に浮いていた。デーモンロードの左手に首を掴まれ、宙吊りにされている。魔法の剣は、叩き落とされて石畳に転がっていた。
「……貴様の言う通りだな、ブラックローラ・プリズナよ」
じたばたと苦しみもがく少年の白い身体を、左手1本で吊るし上げたまま、デーモンロードは言った。
「策略を駆使した、つもりになっていた……だが結果はこれだ。個別に討ち取らねばならぬ魔法の鎧の装着者どもを、1人も倒せていないばかりか、結局はこのように集結させてしまった」
反省をしつつデーモンロードが、リムレオンの細首を左手でギリギリと締め上げる。そうしながら、左足の下で這いつくばるマディックをちらりと見下ろす。
「このような役立たずの刺客を使うよりも……何の事はない! 私が直接リムレオン・エルベットの命を奪いに行っておれば良かったのだ、このようになあ!」
「うぐ……っ! ぅ……」
魔法の鎧の上からでも首をへし折ってしまいかねない悪魔の握力の中から、リムレオンが悲鳴を絞り出す。
「リム様……!」
シェファは、魔石の杖をデーモンロードに向けた。その先端の魔石に、魔力を集中させてゆく。
魔石が、赤く、熱く、輝き始める。
その赤い光が放たれる、寸前でリムレオンは解放された。まるで物のように、シェファに向かって放り投げられていた。
白い鎧の少年と、青い鎧の少女が、折り重なって倒れた。
「リ……リム様、大丈夫?」
「うっぐ、ゲホッ……な、何とかね」
咳き込むリムレオンを、シェファは支えるように抱き起こした。
支えられながら、リムレオンは呻く。
「デーモンロード……恐ろしい怪物だ。僕は君たちを、こんなものと戦わせようなどと……」
「……あたしとブレン兵長だけで、何とかなると思ってたんだけどね」
ロッド地方に入り込んだ時には、まさかこれほど恐ろしい敵と戦う事になるとは思っていなかった。
自分の認識が甘かったのだ、とシェファは思う。断じて、リムレオンのせいなどではない。
「役立たずは貴様らも同様だ、ブレン・バイアスそれに魔獣人間! 役立たずどもは利用しようなどと考えず、ただ討ち殺しておれば良かったのだ。このように、なあ!」
デーモンロードの怒号に合わせ、マディックも解放された。彼を踏み付けていた左足が跳ね上がり、回し蹴りの形に弧を描いて、ユニゴーゴンに叩き込まれたのだ。
左右の棍棒で炎の剣を受け止めていた魔獣人間が、蹴り飛ばされて大木に激突する。その大木が折れ、ユニゴーゴンもろとも倒れ転がった。
そこへデーモンロードが、踏み込み斬りかかる。
炎の剣が、燃え盛りながらユニゴーゴンに向かって振り下ろされる……寸前で、横合いから何か黒いものがデーモンロードに襲いかかった。
ブラックローラだった。鋭利な暗黒の翼が何枚も、デーモンロードを切り刻むべく超高速で宙を裂く。
そして、ことごとく砕け散った。炎の剣で切り払われていた。暗黒の飛沫が宙を舞い、消えてゆく。
その間にブラックローラは滑るように間合いを詰め、デーモンロードの身体にするりと細腕を這わせていた。
青黒い悪魔の巨体に、蛭の如く貼り付き密着したまま、ブラックローラは囁く。
「しょうがないから吸ってあげますわ、貴方の不味くておぞましい暗黒の生命を……あぁんもう、こんなの食べたらお肌に変なシミが出来ちゃうのにぃ……」
囁きながら彼女は、デーモンロードの肉体から生命力を吸い取り始めたようだ。
この吸血鬼の少女が、かつてトロル1体を粉末状の乾燥死体に変えた、あの光景をシェファは思い出した。
が、デーモンロードの巨体があのように痩せ衰える前に、密着している黒薔薇夫人の方に異変が起こっていた。
突然、炎に包まれたのだ。
その炎の中で、黒衣の少女のしなやかな細身が、惨たらしく焼け焦げてゆく。
「我が燃えたぎる暗黒の生命……お味はいかがかな? 黒薔薇夫人殿」
デーモンロードがそんな事を言っている間に、ブラックローラは灰と化した。
身体にこびりついた遺灰を払い落としつつ、デーモンロードは語る。
「私はな、臆病になっていたのだ。力押しで人間どもを攻撃すれば、必ず手痛い反撃を喰らうと……その反撃を、私は策略で封じようとした。貴様ら人間を見習って他者を利用し、魔族の損耗を出来る限り抑える方向で事を進めようとした。だが最終的には」
ブレンが起き上がり、猛然と駆け出し、デーモンロードに斬り掛かる。
重さと速度を兼ね備えた魔法の戦斧の一撃を、しかしデーモンロードは、炎の剣であっさりと打ち弾いた。
「このような、力押しになってしまうのだ……魔族の戦いとは常に!」
揺らいだブレンに、炎の剣がさらなる勢いをもって襲いかかる。
辛うじて踏みとどまりつつ、ブレンは応戦した。魔法の戦斧と炎の剣が1合、2合とぶつかり合う。
3合目を迎える事なく、ブレンの身体から血飛沫のように火花が散った。炎の剣が、黄銅色の魔法の鎧を打ち据えていた。
吹っ飛んだブレンが、全身で石畳を擦って倒れ込む。
その間に、しかしリムレオンとシェファは立ち上がっていた。マディックも、それにユニゴーゴンも。
それぞれの武器を構えてデーモンロードに挑みかかろうとする4名を、
「何の事はない! 最初から私が自ら、力押しで貴様らを片付けておけば良かったのだ!」
炎が襲った。
デーモンロードの怒声と共に、炎の剣が鞭に変わり、大蛇の如く荒れ狂いながら4人を薙ぎ払っていた。
ユニゴーゴンが、マディックが、吹っ飛んだ。
シェファとリムレオンも、炎の鞭によって一緒くたに叩きのめされていた。
凄まじい熱量とそれを上回る衝撃が、シェファの全身を襲う。
五体がバラバラにちぎれながら焼け砕け、ことごとく灰に変わってしまった、とシェファは感じた。
辛うじて、そうはなっていない。シェファもリムレオンも、どうにか生命は保ったまま石畳に倒れている。
「シェ……ファ……」
リムレオンがこちらに向かって這いずり、弱々しく片手を伸ばしてくる。
「しっかり……シェファ……」
「大丈夫……」
シェファは応えた。何とか、声は出せる。だが身体は動かない。
他の者たちも、同じような有り様だった。ブレンも、マディックも、ユニゴーゴンも、死体のように倒れたまま、苦痛の呻きを漏らしている。
立ち上がれぬ5名を見渡し、デーモンロードは叫んだ。
「私は思っていた、魔族の歩むべき新たなる道を模索せねばならぬと! だが今気付いた。力押しで何もかも粉砕する! それ以外に魔族の歩むべき道などありはしないと!」
激怒しているようでもあり、高笑いをしているようでもある。
「策略など不要! 策謀など無意味! 他者を利用するなど愚の骨頂! 何故なら、どいつもこいつも役立たずで利用など出来んからだ!」
マディック、ブレン、ギルベルト、の事を言っているようである。
「貴様ら人間どもの反撃など、力押しで粉砕して道を拓く。魔族の生き方など、それ以外には有り得んのだ……それを教えてくれた事、感謝するぞ貴様たち」
デーモンロードの両眼が、炯々と赤く輝いた。
「魔法の鎧に魔獣人間……貴様ら人間の、我ら魔族への対抗手段が今全てここにある。今から私が、ことごとく力押しで粉砕してくれる」
「その通り……物事とは最終的に、全て暴力で解決するもの……」
ユニゴーゴンが呻きながら、よろよろと立ち上がった。
「俺は、ケスナー家の父子からそれを教わった……貴様の暴力など、あの父子に比べれば」
「邪悪を為す者は結局、暴力で排除するしかない……俺は、ある男からそれを教わった」
マディックも、槍にしがみつくようにして立ち上がっていた。
「その教えに従い、貴様を排除する……ローエン派の教えには背こうとも」
「力押しの出来る奴が、結局は一番強いのだ。それは魔物も人間も違いはせん……」
ブレンも起き上がり、魔法の戦斧を構え、言い放つ。
「……人間の暴力を甘く見るなよ、デーモンロード」
「5対1……僕たちは、数の暴力でお前を殺す」
リムレオンも、他の男たちに調子を合わせて立ち上がり、魔法の剣を眼前に掲げた。
「それを卑怯と思いたければ思うがいい……」
右手で掲げた刀身に、リムレオンは左手の人差し指と中指をスッ……と走らせた。
白い光が、指先で塗り付けられたかのように、魔法の剣を包み込んだ。気力の光。その白く眩しい輝きをまとう刃が、ヴン……ッと音を発して揺らめく。
『あらあら……殿方が完全に、暴力主義に目覚めてしまわれた御様子』
声がした。誰の声なのかは、考えるまでもなかった。
黒薔薇夫人ブラックローラ・プリズナが、灰に変わったくらいでこの世から消滅するとは、シェファも思ってはいない。
「あんた……あのデーモンロードを、中途半端に痛めつけて怒らせて、開き直らせちゃっただけなんじゃないの? もしかして」
『最初の一撃を考え無しにブチかましたのは貴女でしてよ? おバカさん』
肉体を失ったブラックローラが、どこからか言葉を返してくる。
姿なき相手と口論をしている場合ではなかった。
4人の男たちが一斉に、デーモンロードに挑みかかったところである。
燃え盛る石の棍棒2本が、魔法の戦斧が、聖なる光をまとう槍が、気力の輝きを帯びた剣が、青黒い巨体の悪魔を4方向から襲う。
炎の鞭を再び剣の形に固め、振るって、デーモンロードが応戦する。
「あたしも……!」
男たちと共に戦うべく立ち上がり、魔石の杖を構えようとしたシェファの身体が突然、動かなくなった。
デーモンロードによる何らかの魔力攻撃か。あるいは、ブラックローラが何かシェファに嫌がらせをしているのか。
どちらも違う、と何となく感じながら、シェファはある事に気付いた。
身体が動かない、と言うよりも魔法の鎧が動かない。
青色の全身甲冑が、まるで各関節部分が凍結してしまったかのようにガッチリと硬直し、少女の身体を閉じ込めている。
何者の仕業であるのか、シェファはようやく理解した。
「あんた……!」
「大人しくなさい。今より多少なりとも、役立つ戦力になりたかったらね」
イリーナ・ジェンキムが、こちらに向かって片手を伸ばし、何かを念じている。
「お父様の作品を汚すような戦いしか出来ない、無様な攻撃魔法兵士に……仕方がないから私が手を貸してあげるわ」
「ちょっと、何を……」
シェファの文句を封じるかのように、青い魔法の鎧の全身で、いくつもの魔石が光を発した。
その光が、イリーナの周囲の空中に、何かを投影する。
光で出来た、長方形や正方形。まるで空中に、いくつもの窓が開いたかのようである。
それら光の窓枠の中を、恐らくは文字であろうと思われる判読不能な記号が、何列も走った。
「まったく、何なのこれは……とても魔力を扱う者とは思えない、強引で力任せな戦いしかしていないじゃないの」
シェファには読めない光の文字列の群れを、さっと見回し読み取りながら、イリーナが文句を言う。
「……まあいいわ。考え無しな戦い方でも何とかなるよう、出来るだけの調整はしてあげる」
文句を言いながらも彼女は、周囲に開いた光の窓枠に両手を走らせた。左右の五指が、まるで楽器を奏でるかのように高速で動く。
杖を握り慣れていささか固くなってしまったシェファの手指とは、比べ物にならないほど綺麗な指だった。
ブレンとマディックが、炎の剣に叩きのめされて火花を散らし、よろめいている。
その間、リムレオンは踏み込み、魔法の剣を突き入れていた。
白い気力の光に包まれた切っ先が、デーモンロードの腹部に少しだけ突き刺さった。内臓にまでは達していない。鋼鉄のような腹筋で、止められている。
「若造ッ!」
怒声と共に、デーモンロードの蹴りが来た。どっしりと巨大な右足が高速で跳ね上がり、リムレオンの腹に叩き込まれる。
直撃の瞬間、リムレオンは後ろへ跳んだ。それでも一瞬、息が詰まりそうになるほど、強烈な蹴りだった。
地面にぶつかると同時にリムレオンは受け身をとって一転し、起き上がって魔法の剣を構えた。
そこへデーモンロードの巨体が、猛然と踏み込んで来る。炎の剣が、振り下ろされる。
それをリムレオンは、魔法の剣で受け流した。
流れた剣に引きずられて、リムレオンの身体も横によろめいた。踏みとどまって受け流せるような、甘い斬撃ではなかった。
「くっ……」
よろめき、倒れ込み、立ち上がろうとするリムレオンを、炎の剣が容赦なく襲う……
その寸前、燃え盛る松明のようなものが2つ、横合いからデーモンロードに殴り掛かった。
炎をまとう、石の棍棒。
それが左右2本、青銅色の魔獣人間によって振るわれ、立て続けにデーモンロードの顔面を殴打する。
青黒い巨体が、微かに揺らいだ。
猛獣、あるいは猛禽、怪魚にも似た顔面が、少量の血飛沫を散らせながら、いくらかは苦痛に歪む。
それは即座に、怒りの歪みに変わった。
「小賢しい魔獣人間が……魔族の力を得たつもりにでもなっておるのかああああッ!」
怒りに合わせて、炎の剣が一閃する。
それを魔獣人間は、地面に転がり込んでかわした。
青銅色の巨体が、リムレオンの近くで起き上がる。
燃え盛る棍棒2本を左右の手で構え、リムレオンを護衛する格好になりつつ、魔獣人間は言う。
「暴虐で名高いエルベット家の若君というのは、あんたの事か」
「……暴虐な事が出来るような力は、ないつもりだけれどね」
「確かに……俺の知っている暴虐な若君と比べれば、全然だ」
魔獣人間は、少し笑ったようだ。
「全然力がないくせに、無茶をしたがる性格のようだな。領主様自ら、こんな化け物と戦いに来るとは」
体勢を立て直したブレンとマディックを、炎の剣で威嚇・牽制しつつ、デーモンロードは油断なくこちらを見据えてもいる。5対1という状況に、全く怯んだ様子がない。
じりじりと包囲の形を作りつつ、リムレオンは会話を続けた。
「ブレン兵長の言っていた魔獣人間というのは、貴方の事だな。レイニー司教やエミリィ・レアを守ってくれて、感謝する」
「人助けをしたのは、俺の部下たちさ」
魔獣人間は応え、そして名乗った。
「俺はギルベルト・レイン……魔獣人間ユニゴーゴンとも言う。あんたの領内に勝手に住み着かせてもらっている。すまんな、税は払っていない」
「では、この戦いが終わったら何か正式な仕事に就いてもらおう。何か出来るだろう、その力で」
「まさしく……力仕事しか能がなくてなっ!」
言葉と共にギルベルト・レインが、蹄で石畳を蹴って駆け出した。
角のある青銅色の巨体が、まさに猛牛の如くデーモンロードに向かって突進し、松明のような棍棒を振るう。
別方向からブレンが魔法の戦斧で斬り掛かり、マディックが魔法の槍で突きかかる。
3方向からの攻撃を、デーモンロードは炎の剣で迎撃した。紅蓮の刃が、燃え盛りながらゴォオッ! と横殴りに一閃し、魔法の戦斧と石棍棒2本を打ち払う。
その一閃をかいくぐって、マディックが姿勢低く踏み込んだ。
白く輝く魔法の槍が、デーモンロードの脇腹に突き刺さる。
聖なる白色光を帯びた穂先が、悪魔の肉をジューッと灼きながら、ずぶりと埋まって行く。
「うぬ……っ」
脇腹から体内奥深くに入り込もうとする槍を、デーモンロードが左手で掴み止める。
その時には、リムレオンは跳躍していた。ユニゴーゴンの巨体を、飛び越えるような形になった。
白く輝く魔法の剣を、空中で高々と振り上げる。そして、落下に合わせて振り下ろす。
とてつもなく頑強な手応えが、リムレオンの両手を震わせた。
魔法の剣がデーモンロードの頭蓋骨を殴打した、その感触である。
気力の光を帯びた切っ先が、しかし悪魔の頭蓋骨を叩き割る事は出来ず、頭皮から顔面の肉だけを切り裂きながら滑り落ちる。
上から下へと剣を振り抜いた姿勢で、リムレオンは着地した。
「ぐぬぅ……ッ! 貴様らっ……!」
顔面からドス黒い鮮血を迸らせながら、デーモンロードが牙を剥く。
その形相の左半分がザックリと裂け、左目は完全に断ち切られていた。
「この程度で、私に……勝てるつもりか人間どもがああああああッッ!」
デーモンロードの左手で炎が燃え上がり、もう1本の剣となって振るわれる。
直撃を喰らったマディックが、火花を散らせて吹っ飛んだ。魔法の槍が、デーモンロードの脇腹を切り裂きながら抜けた。
マディックだけでなく、リムレオンも吹っ飛んでいた。凄まじい熱と衝撃が、全身を襲う。
「ぐぅっ……あ……ッ」
悲鳴を噛み殺し、辛うじて受け身をとりつつリムレオンは、視界の隅に捉えた。ユニゴーゴンが炎の斬撃に打ち据えられ、倒れる様を。
左右2本になった炎の剣で、デーモンロードは3人を叩きのめしたのだ。
リムレオンは立ち上がろうとして失敗し、片膝をついた。
両腕両脚の感覚がない。全身が、魔法の鎧の中で大火傷寸前まで熱され、かつ衝撃で麻痺している。
まるで五体がバラバラにちぎれて焼かれ、灰になってしまったかのようだ。魔法の鎧がなければ、本当にそうなっていただろう。
マディックも、それにギルベルトも、同じ痛手を被っているようだ。魔法の鎧を着ているわけではない魔獣人間の肉体は、青銅色の金属甲殻が肩から胸板にかけて裂け割れ、露出した肉がブスブスと焼けて焦げ臭さを発している。
そんな裂傷と火傷を同時に負いながらも、ユニゴーゴンがよろりと立ち上がる。立ち上がるのが精一杯という様子である。
マディックは、倒れたままだ。
デーモンロードは、左手を背後に回していた。炎の剣で背中を掻くような動きだが、無論そんな事をしたのではなく、背後からの攻撃を防御したのだ。
ブレンの、魔法の戦斧。
背後からデーモンロードの首筋を狙ったその一撃が、炎の剣とぶつかり合う。
もう1本の炎の剣を、デーモンロードは右手で逆手に握り、背後へと突き込んだ。
それを、ブレンが跳びすさって回避する。
追いすがるようにデーモンロードが振り返り、斬り掛かって行く。炎の剣が左右2本、立て続けにブレンを襲った。
「ぐっ……貴様、つくづく化け物……!」
防戦するブレンの手から、魔法の戦斧が打ち飛ばされた。
「ブレン兵長……!」
リムレオンは立ち上がろうとして、またしても立てず、前のめりに倒れ込んでしまった。両脚の感覚が、まだ戻っていない。
ユニゴーゴンも、よろめきながらブレンの方へと踏み出そうとして、倒れてしまう。
誰の援護も得られず立ち尽くすブレンに、デーモンロードが左右の燃え盛る斬撃を叩き込む。
いや、叩き込もうとしたその瞬間、真紅の光が奔った。
炎、と言うより高熱そのものの凝集体である赤い光が、太い束となってドギュルルルルルッ! と一直線に宙を裂いたのだ。
その直撃を喰らったデーモンロードが、後方に吹っ飛んだ。
青黒い悪魔の巨体が、城壁に激突する。
もともと崩れかけていた城壁が完全に崩壊し、倒れたデーモンロードを瓦礫で埋める。
「あまり調子に乗らない事ね、シェファ・ランティ」
イリーナ・ジェンキムの声が聞こえた。
「魔法の鎧の出力が、いくらか上がっただけ。攻撃魔法兵士の貧弱な魔力が強大化したわけではないのよ」
「わかってる……一応、お礼言っといてあげるわ」
シェファが、魔石の杖をデーモンロードに向け、立っていた。
「……どうも、ありがとね」
青い魔法の鎧の全身で、魔石が赤く、熱く、発光している。
「こっ……小娘……ッ!」
城壁の残骸を押しのけて、デーモンロードがよろりと立ち上がる。
その分厚い胸板に、隕石跡のような凹みが生じ、じくじくと血をにじませている。膿、かも知れない。
とにかく、そんな深手を負った悪魔の巨体が、しかし炎の剣2本を構えて戦いの姿勢を見せている。
「……一撃じゃ死んでくれないわよね、やっぱり」
呟きつつ、シェファが魔石の杖を掲げる。
彼女の周囲に炎が生じ、燃え盛りながら球形に固まり、いくつかの火球となった。
小さな太陽のようなそれらが、一斉に飛んだ。そして炎上する隕石の如く、デーモンロードにぶつかって行く。
2つ、3つと炎の剣で火球を打ち砕くデーモンロードに、4つ目の火球が激突した。肉の焦げる異臭が生じ、大量の火の粉が飛散する。
怯んだデーモンロードに、5つ目以降の火球が全て命中した。
青黒い悪魔の巨体が、炎に包まれた。
「とどめ……!」
炎上するデーモンロードに、シェファが魔石の杖を向ける。先端の魔石に、少女の魔力が集中して行く。
そして、放たれた。
真紅の魔力光がドギュルルルルルッ! と魔石から奔り出し、一直線にデーモンロードへと向かう。
2本の炎の剣が、交差した。
生きながら火葬されつつあるデーモンロードが、防御の構えを取ったのだ。
交差した炎の剣に、真紅の光の束が激突する。
「うぬっ……ぐ……ぅぉおおおおおあああああああああッ!」
極太の赤い魔力光を、炎の剣2本で受けながらも押され、デーモンロードは叫んでいた。
強靭極まる青黒い外皮が、炎の中で焦げ砕けてゆく。燃え盛る全身からボロボロと灰がこぼれる。
そんな状態で、しかしデーモンロードは怒りの叫びを放っているのだ。
「貴様ら、この場は痛み分けと認めてやる! 貴様たちが我ら魔族にとって、かつてのダルーハ・ケスナーと同等の脅威であるとも認めてやる! ゆえに次は滅ぼす! もはや策略も小細工も使わぬ、力押しで皆殺しにしてくれるぞリムレオン・エルベット! シェファ・ランティ! ブレン・バイアス! ギルベルト・レイン! マディック・ラザン! イリーナ・ジェンキム! そしてブラックローラ・プリズナ! 私の傷が癒えるまでの間が、貴様らの残り寿命だ! せいぜい思い残す事なく過ごすのだな!」
炎の剣が2本とも砕け散り、火の粉となって散り消えてゆく。
それを蹴散らしながら、真紅の光も細く消えてゆく。
デーモンロードの姿は、どこにもなかった。
「逃げられた……か」
ブレンが、がくりと片膝をついた。
「残念がるよりも、安堵するべきだろうな」
「殺しときたかった……」
シェファが、へなへなと弱々しく座り込んでしまう。今の攻撃に、魔力の全てを注ぎ込んだのだろう。
「あんなのが生きてるんじゃ、どこにいても安心出来ない……エルベット家の御領地が、また脅かされる……」
「まったく……俺なんかとは違う、本物の怪物だったな」
ユニゴーゴンが、肩から胸板にかけての裂傷だか火傷だかを押さえながら、大木にもたれかかる。
傷を治す事の出来るマディックは、まだ倒れたままだ。
『……よく頑張りましたわね、皆様』
ブラックローラの、声だけが聞こえる。
『開き直ったデーモンロード様が、まさかあんなに手強かったなんてローラ予想外……2回も灰にされてしまいました。元に戻るまで、どれだけかかりますやら』
「……案外すぐ復活して来そうな気はするけど」
シェファの言葉に同感しつつリムレオンは、まず言わなければならない事を口にした。
「貴女には助けてもらった、それだけは間違いない……どうもありがとう、黒薔薇夫人殿」
『あぁん残念、このまま貴方をローラのものにしてしまいたいとこなのに……もうそんな体力、残っておりませんわ……』
声が、遠く、細く、小さくなってゆく。
『今の戦いで、この森の力を使い過ぎてしまいました。もう貴方がたを助けて差し上げる事は出来ません……ので、ローラからの最後の忠告……早くお逃げなさい。森に、何か……良くないものが、入って来ております……』
「良くないもの……?」
『あっ……残念、もう間に合いませんわ……ああん、ローラの森がまだ荒らされちゃうぅ……』
声が消えた。
交代するように、男の声が聞こえて来る。
「安心せよブラックローラ・プリズナ。事はすぐに済む」
聞き覚えのある声。リムレオンの耳に、禍々しくおぞましく届く声。
「お前は……!」
ゆら……と視界の中に現れた姿を睨み、リムレオンは息を呑んだ。
枯れ木にも似た痩躯をローブに包み、のっぺりとした仮面を顔に貼り付けた男。
それが1人ではなく2人、3人と、木陰から、あるいは朽ちかけた城壁の陰から、現れつつある。
「ゴルジ・バルカウス……!」
呻きながらブレンが、魔法の戦斧を拾い、よろよろと立ち上がる。
「貴様……いや貴様たちと言うべきかな。この機会を、狙っていたのか」
「黒薔薇夫人は眠りについた……デーモンロードとの戦いで満身創痍となったそなたたちを、助ける者はもはやおらぬ」
得意げに、ゴルジたちが語る。
「生きておる限り我が理想を阻む事しかせぬ愚か者ども……我が力、我らが力で、せめて楽に死なせてやりたい。ゆえに抵抗はするな」
少なくとも20体以上ものゴルジ・バルカウス……だけではない事に、リムレオンは今気付いた。
明らかに人間ではない姿が、わらわらと群れて来つつある。
「抵抗するならば……こやつらの力で、お前たちを嬲り殺さねばならぬ」
リムレオンは目を疑った。自分は今、戦いで気を失い、悪夢を見ている最中なのではないかと思った。
ローパーゴイルがいる。それも10体近く。
スライムゾンビが、バジリハウンドがいる。それも各々5、6匹ずつ。
ミノホルダーが、グールトレントがいる。それぞれ4、5匹ずつ。
これまで戦った事のある魔獣人間たちが、製造者ゴルジ・バルカウス本人と同じく大量生産され、視界を満たしているのだ。
「無論、生き返ったわけではないぞ。全て自我を持たぬ複製品だ」
ゴルジの口調は、勝ち誇った者のそれである。
「もう1度、あえて言う。抵抗はするな……お前たちは魔族の重鎮デーモンロードを長期の活動停止に追い込んだ殊勲者、苦しめたくはない。無駄な抵抗はやめて……安らかに眠れ、勇者たち」