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第53話 集う鎧たち(5)

 セレナ・ジェンキムに魔法の鎧を改良してもらってから、リムレオンは魔法の剣をまだ1度も抜いていない。甲冑の腰で、鞘に収めたままである。

 抜かぬままリムレオンは、ブレン・バイアスと向かい合っていた。

 魔法の戦斧は、少し離れた所で石畳に転がっている。

 それを、とりあえず回収しようとはせずにブレン兵長は、巨体を低くして身構えている。

 黄銅色の全身甲冑は所々が凹み、面頬の口元には、凄惨な吐血の汚れがこびりついている。リムレオンが領主の城で安穏としている間、この兵長がどれほど過酷な戦いを強いられていたのか、一目でわかる有り様だ。

「リム様、何やってんの! 剣抜いて、剣!」

 シェファが叫ぶ。

 振り返らずに、リムレオンは応えた。

「剣を抜いたら、殺し合いになってしまう。殺し合いで、僕がブレン兵長に勝てるわけがない……だから僕はただ、稽古をつけてもらうだけなんだよ」

「何……言ってんの? リム様……」

 シェファにはわからないだろう、とリムレオンは思う。愚かな領主の愚かな考えなど、シェファならずとも理解出来るものではあるまい。

「行きますよ、ブレン兵長……」

 さあ、どこからでもかかって来られませい。

 この兵長はいつもそう言って、リムレオンを容赦なく叩きのめしてくれたものだ。

 思い起こしつつ、リムレオンは殴り掛かった。

 白い魔法の手甲でガッチリと固められた右拳を、ブレンは片手で、ハエでも払いのけるように受け流した。

 流れた姿勢を即座に立て直しつつ、リムレオンは左足を跳ね上げた。その蹴りも、同じようにブレンの片手で打ち払われた。

 跳ね返された左足を着地させ、次なる攻撃に移ろうとしたリムレオンの身体が突然、ぐるりと宙を舞った。

 ブレンに、投げ飛ばされていた。

 とっさに身を丸め、受け身を取るリムレオン。背中から地面に激突し、息が詰まった。

 受け身でどうにかなるような、甘い投げではなかった。

「ぐ……っ……」

 息が止まったままリムレオンは反射的に起き上がり、だが立っていられず、近くの崩れかけた城壁にもたれかかった。

 呼吸が、少しずつ回復してゆく。

 その間ブレンは動かず、リムレオンが体勢を整える様を、じっと見つめている。魔法の戦斧を拾おうともしない。

(やっぱり、思った通り……かな……?)

 思いながら、リムレオンがどうにか呼吸を回復させ身構えた、その瞬間。

 凄まじい衝撃が、全身にぶつかって来た。ブレンの体当たりだった。

 リムレオンの背中で、もたれかかっていた城壁の残骸が砕け散った。その破片と一緒に、少年の白い甲冑姿が吹っ飛んで行く。

 そして、石畳に激突した。

 その衝撃にリムレオンはどうにか耐え、地上で一転して起き上がり、だがすぐによろめいて尻餅をついた。

 受けた攻撃を軽減する身のこなしは、徹底的に叩き込まれている。が、叩き込んでくれた師匠本人による攻撃は、やはり別格だ。そう簡単に軽減出来るものではない。

 完全に崩壊した城壁を踏み越えて、ブレンが歩み寄って来る。リムレオンが立ち上がるのを待つかのような、ゆったりとした足取りでだ。

 やはりリムレオンが思った通りだった。

 今のブレン・バイアスは完全に自我を失っており、その肉体に刻み込まれた経験のみに従って動いている。

 エルベット家の軟弱な若君を苦心して鍛え上げた、あの面倒な経験に。

 リムレオンと対峙すれば、ブレンの身体は自然に、それを思い出してしまう。そのように動いてしまう。自我を失った今のような状態であれば尚更だ。

 リムレオンは立ち上がりながら、自分から踏み込んで行った。

 ブレンも歩み寄る足を速め、突進して来る。突進と共に、その力強い両腕が広がり、白く武装した少年の細身を捕えようとする。

 捕えられるよりも早く、リムレオンは右手を叩き込んだ。その手が開き、白い光を帯びる。

 気力の光をまとう右掌。その一撃が、ブレンの胸板を直撃する。

 光と衝撃が、ブレンの身体に流れ込んだ。黄銅色のたくましい甲冑姿が、後方に揺らぐ。

 そのまま倒れてくれるか、とリムレオンが思った瞬間、ブレンが踏みとどまりながら拳を振るった。

 まるで巨岩で殴りつけられたような衝撃と共に、リムレオンの視界が暗転した。その暗闇の中で、火花が散った。

「リム様!」

 シェファが駆け寄って来る。

 自分が倒れている事に、リムレオンは呆然と気付いた。

「リム様! しっかり!」

「……甘かった、かな……やっぱり……」

 シェファに抱き起こされるのを感じながら、リムレオンは半ば無理矢理、笑ってみた。

「僕が、ブレン兵長を……叩きのめして、正気に戻そうなんて……」

「そんな事……出来るんなら、あたしがとっくにやってるから!」

 怒鳴っているのか泣き叫んでいるのかわからぬ声を張り上げつつ、シェファが前に出てリムレオンを背後に庇い、ブレンと向かい合った。そして叫ぶ。

「もうやめてブレン兵長! リム様を殺しちゃったら一体どうなると思ってるんですかっ!」

 振り切った拳をゆっくりと戻しつつ、ブレンは応えない。少女の叫びが聞こえているのかどうかも、わからない。

 構わず、シェファは続けた。

「殺しちゃった後で正気に戻ったりしたら、どうするんですか! リム様はこんな性格だから許してくれるだろうし、カルゴ様もヴァレリア様も悲しむでしょうけど怒りはしないと思います……けど、あたしは許しませんよ。それに誰よりもブレン兵長が自分自身の事、許せなくなりますよ。それくらいの事、トチ狂った頭でも考えられるでしょ? ねえちょっと」

「待って、シェファ……」

 リムレオンは、シェファを黙らせた。

 ブレンが、何か声を発したように思えたからだ。

「…………」

 リムレオンの光の掌打、あるいはシェファの言葉。そのどちらか、あるいは両方が、それなりに効いたのであろうか。ブレンは立ち尽くしたまま、苦痛の呻きを漏らしている。

 いや、苦痛の呻きではないようだ。

「わ……か……ぎみ……いえ、侯爵閣下……」

 途切れ途切れながら、言葉にはなっている。

「剣を……魔法の剣を、お抜き下さい……そして、私を……」

「ブレン兵長……!」

 駆け寄ろうとするリムレオンを、ブレンは右手で押しとどめた。左手で兜を掴み、まるで頭痛を握り潰すようにしながら。

「刎ねるのです、私の首を……早く、今のうちに……!」

 何が今のうちなのか。そう思いかけて、リムレオンは気付いた。そして、この場で行われている、もう1つの激戦に目を向ける。

 黒衣の美少女と、青黒い巨体の悪魔……黒薔薇夫人ブラックローラ・プリズナと、デーモンロード。両者の間で、鋭利な闇の翼と燃え盛る炎の鞭が、何度も激しくぶつかり合っている。暗黒の飛沫と火の粉が、飛び散り続ける。

 デーモンロードの頭で怪しく発光していた2本の角が、その輝きをぼんやりと弱めつつあった。

 支配の魔力が弱まっている。ブラックローラは先程、そんな事を言っていた。

 人間を操り人形にするための魔力を、デーモンロードは黒薔薇夫人との戦いに注ぎ込まなければならない。

 支配が弱まっている、その間に自分を殺せ、とブレンは言っているのだ。

「一見、互角に戦っているようですが……私には、わかります……あの小娘では、デーモンロードには勝てません。支配の魔力は、いずれ復活します……その前に早く、私の首を……!」

「何を言っているんです、ブレン兵長……」

「お聞き下さい侯爵閣下……ロッド地方領主ライアン・ベルギは、やはり魔物どもを飼っておりました……」

 苦痛の呻きが混ざった声で、ブレンは報告をした。

「あのデーモンロードという化け物が、人間の皮を被ってライアン侯配下に潜り込んでいたのです……人間の権力者を、何かに利用しようとしていた……のでしょうな……」

「そこまで突き止めてくれたなら、後はそのデーモンロードを倒すだけです。一緒に戦いましょう」

「侯爵閣下……私は、敗れました……」

 嗚咽に近い声を、ブレンは発していた。

「戦いで打ち負かされ……心を折られ……折れた心を操られ、今こうして貴方様に害をなさんとしている……無様なる傀儡なのです、今のブレン・バイアスは……」

「……だから殺せ、とでも言うのですか」

 どのような言葉でブレンを説得するべきか、頭の中で理論を組み立てる前に、リムレオンは喋っていた。心の中にあるものが、勝手に口から出ていた。

「そんな権利は僕にはないし、勝手に死んでしまう権利も貴方にはない。何故ならブレン兵長は、エルベット家の大切な人材だから……さあ馬鹿な事は考えずに、もうひと頑張り、僕たちに力を貸して下さい」

「私は……任務に、失敗したのです……もはやエルベット家にお仕えする資格など……」

「任務はまだ終わってはいない! 投げ出すなブレン・バイアス!」

 リムレオンは、怒声を発していた。

「貴方はまだ生きている! 生きて任務を遂行する事が出来る、だから戦え! これは領主としての命令だ……生きて任務に復帰せよ、ブレン・バイアス」

「侯爵閣下……」

 ブレンが呻く。怒らせてしまったか、とリムレオンは思った。それならそれで構わない。折れた心が、怒りによって奮い立つのなら……

「……! 閣下、危ない!」

 いきなり、ブレンが突進して来た。先程のような攻撃の突進とは、何か違う。

 リムレオンは、突き飛ばされた。

 その直前までリムレオンが立っていた場所で、ブレンが何かに叩きのめされ、火の粉を散らせて吹っ飛んだ。

 炎の鞭、である。

 デーモンロードが振るったその一撃が、ブラックローラにかわされ、こちらに流れて来たのだ。

 その直撃を喰らったブレンの安否を気遣っている間に、リムレオンの身体は石畳にぶつかった。

 否、石畳にしては妙に柔らかい。

 リムレオンは、何が起こったのか一瞬わからなくなった。面頬越しに伝わって来る、この柔らかさと温もりは一体何なのか……

「きゃあああああああ!」

 凄まじい悲鳴が、耳元の少し上の辺りから聞こえて来た。

 イリーナ・ジェンキムだった。

 彼女の胸に今、リムレオンは顔を埋めている。

「いっいきなり何をするのよこの変質者! 早く、早く殺しなさいマディック! この男を殺しなさあああああああいッ!」

「ご、ごめん……!」

 叫ぶイリーナの上から、リムレオンは慌てて起き上がった。

 叫んでいる女の子が、もう1人いる。

「ちょっとブレン兵長! いきなり何やらかすんですか!」

 炎の鞭に殴り飛ばされ倒れていたブレンを、シェファが、抱き起こしていると言うより引きずり起こしている。

「わざと? わざとやってんでしょねえちょっとコラ、実はとっくの昔に正気に戻ってたんでしょうがこのオヤジはあああっ!」

「……何の話だ。それより任務を続行するぞ、シェファ」

 立ち上がりながらブレンは、やんわりとシェファを振りほどいた。

 そして、魔法の戦斧を拾い上げる。

「ブレン・バイアス……貴様」

 ブラックローラの黒い翼を、炎の鞭で弾き防ぎながら、デーモンロードがこちらを睨んで呻く。

 応えるように戦斧の素振りをしつつ、ブレンは笑った。

「さすがに貴様の一撃は効いたぞデーモンロードよ……おかげで完全に、正気に戻る事が出来た」

 痛々しい吐血の汚れを帯びた面頬が、ちらりとリムレオンの方を向く。

「……心に響くお叱りをいただきました、若君。いえ侯爵閣下」

「若君、でいいですよブレン兵長。偉そうな事を言ったけど……やっぱり侯爵だの領主だのというのは、僕にはちょっと」

「いえ、リムレオン様は今や堂々たる領主閣下であらせられます。カルゴ侯爵様、そして亡きレミオル侯のように」

「僕が……祖父のように?」

「レミオル侯も、昔……へこたれた私を、あのように叱り飛ばして下さったものです」

 祖父レミオル・エルベット侯爵に関してリムレオンが知っているのは、剛勇無双の騎士として名を馳せた人物らしい、という事くらいである。19年前は、ダルーハ・ケスナーの数少ない支援者の1人でもあったようだ。

「……ご自慢の策略が駄目になってしまいましたわねえ、デーモンロード様」

 優雅な嘲笑と共にブラックローラが、暗黒の翼を一閃させる。

 闇そのもので出来た巨大な刃を、デーモンロードはゆらりと後退してかわした。

 巨体に似合わぬ、その敏捷な回避に、ひらひらと舞うが如く追いすがりながら、黒薔薇夫人はなおも嘲笑う。

「貴方では無理! 人間を操り人形にして使いこなすなんて、頭の残念な御方に出来る事ではありませんわ」

「ブラックローラ、貴様……!」

「殺しておくべき相手を、何か利用出来るかも、なぁんて思って生かしておいて大失敗! 大物ぶったおバカさんが、よくやりますのよねぇそれ」

 ひらひらとした黒いドレスが、まるで少女の裸身にまとわりつく不定形の生命体のように目まぐるしく形を変え、膨張・伸長し、何枚もの翼の如く羽ばたき、何本もの剣の如くデーモンロードを襲い続ける。

 悪魔の巨体から、細かな血飛沫が飛び散り続けた。筋肉で膨れ上がった青黒い外皮のあちこちに、浅い裂傷がいくつも刻まれてゆく。

 デーモンロードが怯んでいる、ようにリムレオンには見えた。

「ねえデーモンロード様。貴方みたいに頭の残念な御方は、さっさと潔く死んでしまわれた方が……おバカを晒して生き続けるよりも、まだ格好良さを保てますわよ?」

 ブラックローラが調子に乗っている、ようにもリムレオンには見えた。

 全身にまとわりつく不定形の暗黒を、翼のように刃のように振るいながら、黒薔薇夫人は優雅に舞い、口調軽やかに嘲り続ける。

「おバカな殿方は、おバカなりに可愛いものですけど、貴方はただ目障りなだけ。さっさと死んでおしまいなさいな……」

 ブラックローラの言葉が、炎の轟音に断ち切られた。

 彼女の肉体そのものも、断ち切られていた。

 ほぼ真っ二つとなった少女の細身が、炎に包まれている。溢れ出た臓物が焦げ砕け、灰となって舞う。

「小娘もどきの老いぼれ魔女が……!」

 怒り嘲りながらデーモンロードが、その力強い右手で構え、揺らめかせているもの。それは炎の鞭が、燃え盛りながら棒状に固まった武器である。炎の棒、と言うよりも剣。

 その斬撃を喰らったブラックローラが、黒焦げの斬殺死体と化して倒れ、大量の灰を石畳にぶちまける。

 もはや美しい少女の面影もないその屍に、

『おお……黒薔薇夫人……』

 目に見えぬ、得体の知れぬものが集まって行くのを、リムレオンは感じた。

『麗しき御方に、我らの力を……我らの命を……』

『その麗しさ……我らと共に、永遠なり……』

 城全体、いや森全体から、目に見えない何者かの群れが、声を発しながら流れ集まって、無惨な黒焦げの死体に吸い込まれて行く。流れ込んで行く。

 叩き斬られ、焼かれ、もはや男女の判別すら困難な有り様となっていた黒薔薇夫人の肉体が、ふわりと浮かぶように起き上がった。黒焦げの肉片が、完全な灰となってサラサラとこぼれ落ちる。

 その下から現れたのは、白く美しい少女の裸身だった。

「ふ……ふふふ、やっぱり力押しの戦いの方がお得意ですのね」

 どこからか暗黒が生じ、ブラックローラの裸身にまとわりついて、黒い薄手のドレスと化す。

「けれども無駄……ここはローラに身も心も捧げてくれた大勢の殿方の、血と肉と魂で育った森。ここでは、あらゆるものがローラの味方……この森の中でローラを殺すなんて、竜の御子様でもなければ絶対に無理というものですわ」

「だが貴様がデーモンロードを殺すのも無理、という戦況だな」

 ブレンが言いながら、黒薔薇夫人の前に出てデーモンロードと対峙した。

「あらあら、元に戻りましたのねえ。メイフェム殿と良い勝負をなさっていた、お強い御方が」

 ブラックローラが嬌声を上げる。

 油断なくデーモンロードを見据えたまま振り向かずに、ブレンは応えた。

「……まさか貴様が、悪名高き黒薔薇夫人であったとはな」

「ご存じとは光栄ですわ……レグナード魔法王国にはおられなかった、肉体派の勇者様」

 ブラックローラが、ブレンに背後から擦り寄って行く。

「ローラは殿方を分け隔ていたしません。リムレオン閣下のような草食系の方も、貴方のような肉食系の方も……」

「悪いが俺は、女を分け隔てする方でな」

 言いつつブレンが素っ気なく、黒衣の美少女を振り払う。

「まったく……伝説に残るほどの悪女が、こんな小娘とはな。俺はもっと大人びた魔性の女を期待していたのだ」

 ブレン兵長が完全に正気に戻ってくれた、とリムレオンは思った。



 緑色の鎧の騎士と、青銅色の魔獣人間。

 両者の間で、白い光を帯びた槍と、炎に包まれた石の棍棒が幾度もぶつかりあい、無数の火花を咲かせる。

 松明の如く燃え盛る2本の棍棒を、左右の手で豪快に、かつ狙い正確に振るう魔獣人間ユニゴーゴン……ギルベルト・レイン。さすがに凄まじい技量である。

(先生に匹敵する……か?)

 自分に戦いを教えてくれた尼僧の事をふと思い出しながら、マディックは踏み込んだ。魔法の槍が、まっすぐにユニゴーゴンを襲う。

 白く輝く穂先が、しかし魔獣人間の喉元に届く事なく急停止した。

 燃え盛る2本の石棍棒が、交差し、穂先の根元を挟み込んでいる。

 ユニゴーゴンはそのままグイッと巨体を捻り、挟み込んだ槍を引きずり寄せた。

 長柄を握ったままマディックは引きずり寄せられ、前方によろめく。

 前のめりに倒れかかったマディックを迎え撃つ形に、ユニゴーゴンの左足が跳ね上がって伸びた。

 鉄槌のような蹄が、魔法の鎧の腹部にズドッ! と突き込まれて来る。

「ぐえ……ッ……」

 リムレオンに叩き込まれた光の掌打に勝るとも劣らぬ衝撃が、マディックの鳩尾を襲う。魔法の鎧で、かなり軽減されてはいるのだろうが。

 腹を抱えて身を折り曲げながら、マディックは倒れた。魔法の槍は、手放してしまった。

 棍棒2本で挟んで奪い取った槍を放り捨て、ユニゴーゴンが容赦なく踏み込んで来る。

 辛うじて上体だけを起こしたマディックに、炎をまとう2本の棍棒が振り下ろされる。

「唯一神よ、護りを……!」

 マディックの祈りに応じ、光が生じた。

 立ち上がれぬ緑の騎士の全身を、白い光が膜状に包み込む。唯一神の加護が、光の防壁という形で発現したのだ。

 そこに、2本の石棍棒が叩き付けられる。

 防壁と棍棒、その両方が砕け散った。きらめく光の飛沫と燃え盛る石の破片が、飛散する。

 その間に、マディックはよろよろと立ち上がった。

 立ち上がるのを待ってはくれずにユニゴーゴンが、素手のまま踏み込んで来る。

 斜めに打ち下ろすような拳の一撃が、マディックの顔面に叩き込まれた。

 全身が、回転しながら石畳に叩き付けられる。その衝撃をマディックは感じたが、痛みはなかった。痛覚そのものを粉砕するような、強烈な一撃だったのだ。

(つ……強い、やはり……)

 飛びそうになった意識を、マディックはそう思う事で懸命に繋ぎ止めた。

 魔法の鎧をイリーナに改良してもらった、くらいで勝てる相手ではない。

 そんな恐るべき敵が、しかし何やら苦しげな様子を見せている事に、マディックは気付いた。

「……ぐ……ぅ……っ」

 角を1本折られた頭を片手で押さえ、ユニゴーゴンは呻いている。

 ほんの一瞬だけ、マディックは視線を動かした。

 ブラックローラ・プリズナとデーモンロードが、暗黒と炎をぶつけ合っている。

 黒薔薇夫人との戦いに魔力を割かねばならないデーモンロードの頭で、発光していた2本の角が輝きを弱めていた。

 支配の魔力が弱まっているとすれば、ギルベルト・レインに正気を取り戻させるのは今しかない。

 だが、ギルベルトは言った。

「マディック・ラザン……とか言ったな、貴様……何をしている、今のうちに俺を殺せ……」

「……俺は、あんたを殺すために戦ってるわけじゃないぞ」

「……まさかとは思うが、俺を……助けてくれようとしている、つもりか……」

 頭を押さえながら、ユニゴーゴンは苦笑した。

「無駄な事はやめておけ……ここで俺が正気に戻ったところで、再びデーモンロードに叩きのめされ……また操られるか、今度は殺されるか……」

「デーモンロードを倒せばいいだろう。ここにいる全員で力を合わせ」

 言いかけたマディックに向かって、ユニゴーゴンの眼光がギラリと怒りで燃え上がる。

「戦ってもいない奴が、軽々しい口をきくなよ……6対1程度の人数差で勝てる相手なら、苦労はない……!」

 青銅色の巨体が、よろめくようにマディックに迫る。

「夢を見ていないで、早く槍を拾え……そして俺を突き殺せ……さもなくば貴様、死ぬぞ。俺はデーモンロードに、魔法の鎧の装着者は全員殺せと言われてるんだ……」

「安心しろ、今のあんたに俺は殺せない」

 怒りの眼光を正面から受け止めながら、マディックは言い放った。虚勢である事は充分、承知している。

「自分の意志では戦えない、魔物の操り人形ごときに殺されるほどには、俺は弱くない……と思う。全力でかかって来い、魔獣人間」

「ほぉーう……ぬかしたな貴様……っ!」

 よろめくようなユニゴーゴンの動きが、そのまま踏み込みになった。

 光の防壁を発生させる暇もなく、マディックの身体がグシャッ! と後方に吹っ飛んで大木に激突する。

 魔獣人間の拳。豪快に弧を描いて、マディックを殴り飛ばしていた。

「確かに、1度は貴様を見逃してやった……」

 大木を背もたれにして立つのが精一杯のマディックに、ユニゴーゴンがゆらりと歩み迫る。

「だがな、それは別に俺が心優しいから……ではないんだ」

 ユニゴーゴンの左足が、高速で離陸してブンッ! と唸り、マディックの腹に叩き込まれる。

 緑色の甲冑姿が、前屈みにへし曲がった。その背中で、大木の幹が破裂した。

 折れた大木もろとも、マディックの身体が地面に横たわる。

 止まった呼吸が、少しずつ回復してゆく。それと共に身体の奥から、血の味が込み上げて来る。

「うっぐ……ゲボッ……」

 胃液混じりの血反吐が、面頬から流れ出して石畳にドバァーッと広がった。

 そんなマディックの無様な姿を見下ろしながら、ユニゴーゴンはなおも言う。

「なめた口をきかれてまで、貴様を生かしておく理由はないんだよ。わかってるか?」

「だから……殺すか、俺を……」

 吐血の不味さに染まった喉から、マディックは震える声を絞り出した。

「それなら……正気に戻ってくれよ、ギルベルト殿……俺はな、魔物の操り人形に成り下がったあんたに殺されたくはないんだ……」

 絞り出した声が、嗚咽になった。

 立ち上がれぬままマディックは顔だけを上げ、間近に立ちはだかるユニゴーゴンの巨体を見上げた。

 青銅色の魔獣人間の姿が、潤んでぼやける。

 面頬の下で、マディックは涙を流していた。

「自分の意志で戦って見せろ……!」

「お前……」

 かつてマディックに対して言い放った言葉をそのまま返され、ユニゴーゴンが絶句する。

 嗚咽を押し潰して、マディックはなおも言った。

「俺を殺すなら……己の意志で戦う戦士に戻ってからにしてくれ……頼むよ、ギルベルト殿……」

「…………」

 ユニゴーゴンが、固まったように動きを止めてしまう。

 その時、悲鳴が聞こえた。

「きゃあああああああ! いっいきなり何をするのよこの変質者!」

 イリーナだった。リムレオンに、押し倒されている。

「早く、早く殺しなさいマディック! この男を殺しなさあああああああいッ!」

「ご、ごめん……!」

 リムレオンが、慌てて起き上がる。転んだか何かして偶然、イリーナの上に倒れてしまったのだろう。

 リムレオンが身体の上からどいても、イリーナはまだ泣き叫んでいる。

「マディック! 何をしているのマディック・ラザン! 早く私を助けなさいよォ!」

 ユニゴーゴンが、1つ溜め息をつきながら、マディックの身体を引きずり起こした。

「……行ってやれ」

「ギルベルト……あんた」

 正気に戻ってくれるのか、というマディックの言葉を封じるように、ギルベルトは言った。

「正気になど戻らんぞ。正気の沙汰ではない大変な力仕事を、これから始めなきゃならん」

 兜状の頭部甲殻の下で眼光が燃え上がり、デーモンロードの方を向く。

「あの化け物ともう1度戦う、という……な」

「私に刃向かうのか、魔獣人間」

 燃え盛る炎の剣で威嚇の一振りをしながら、デーモンロードが言った。

「貴様はレグナード末期に大量生産された魔獣人間どもよりも、遥かに出来が良い。ゆえに生かして、我が配下として使ってやろうとも思うのだが……刃向かうならば死あるのみだ。命が惜しくはないのか?」

「俺はな、かつて貴様など問題にならんほどの怪物に仕えていた事がある」

 言葉と共にユニゴーゴンが、シューッ! と蒸気のような息を吐く。

「その御方をも上回る怪物が、もうすぐ俺を殺しにやって来る。命など惜しんだところで……俺はもう、あと何日も生きてはいられんのだよ」

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