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第52話 集う鎧たち(4)

 鈍色の金属片が、大量に飛び散った。

 ブレンの振るう魔法の戦斧を、あるいは魔獣人間の拳や蹴りを喰らって、中身なき魔法の鎧たちが次々と砕け散ってゆく。

 イリーナ・ジェンキムが、へなへなと崩れ落ちて尻餅をついた。

 もはや恐怖に打ちのめされた段階をも通り越し、完全に心を砕かれて呆然としている彼女を、シェファが背後に庇う。

 そこへ青銅色の魔獣人間が、そしてブレンが迫る。

 大きく力強い黄銅色と、細く弱々しい青色。2色の魔法の鎧が、対峙した。

 ブレン・バイアスとシェファ・ランティが、敵同士として向かい合っている。

 そんな悪夢のような光景が今、映像となって、大広間の空間に生じていた。

 城の外で起こっている事を、ブラックローラ・プリズナが見せてくれているのだ。

「おわかりでしょう? これがデーモンロード様の御力……」

 彼女の言うデーモンロードとは時折、映像の中に現れる、青黒い巨体の魔物の事であろう。

「貴方のお仲間同士をこんなふうに殺し合わせる事なんて、あの方にとっては小手先の戯れ……魔法の鎧の4つや5つでどうにかなる相手ではないという事、いい加減わかっていただかないとローラ困っちゃう」

「わかったら、どうしろと言うんだ……」

 リムレオンは呻いた。

 映像の中では、ブレンが猛然とシェファに斬り掛かって行く。電光を帯びた魔石の杖が、魔法の戦斧を辛うじて受け流した。受け流しながら、シェファの細身が弱々しく揺らぐ。

「あんなバカ女は放っといて……ね?」

 涼やかな声が、魔法の兜に忍び込んで来てリムレオンの耳をくすぐる。

 ブラックローラが、いつの間にかすぐ近くにいた。ひらひらとした薄手の黒衣が、白い魔法の鎧を軽く撫でる。

「ローラのものに、おなりなさいな……いくらデーモンロード様でも、このお城に無理矢理、入って来る事は出来ません。ローラは貴方たちを匿ってあげられます。守ってあげられますのよ」

「僕をここから出せ」

 リムレオンは命じた。

「1度だけ、はっきり言っておく。僕は、君のものにはならない。君に守ってもらおうとも思わない……さあ、これで君が僕をここに居させておく理由はなくなったな。僕を、城の外へ追い出してもらおう。歩いて出て行けるなら、そうするけれど」

「んー残念。この大広間の扉は、魔法の鎧の力くらいじゃ開きませんのよ?」

 困ったように、ブラックローラは微笑んだ。

「それにローラ……別に、貴方がたの意思を尊重するつもりはないんですの」

「ふざけた事を……」

 マディック・ラザンが魔法の槍を振りかざし、黒衣の少女に殴り掛かった。

「俺をここから出せ! 俺は、イリーナを助けに行かねばならんのだ!」

「あん……駄目ですよぉ、そんな」

 ブラックローラの細身が、ふわりと翻った。

 ひらひらとした、薄手の黒いドレス。その黒色が一瞬、膨張した。

「そんな……このお城でローラにケンカを売るなんていう……命知らずな事をなさってはぁ……」

 ドレスの一部が、巨大なコウモリの翼と化し、刃の如く一閃していた。そしてマディックを、リムレオンを、打ち据える。

 白と緑の甲冑姿が、ブラックローラの左右で吹っ飛び、石畳に激突した。

 痺れるような衝撃を全身に感じながらも、リムレオンは即座に立ち上がった。マディックは、倒れたままだ。

「貴方……」

 どこから生えているのかよくわからぬ翼を優雅に舞わせつつ、ブラックローラが少し驚いている。

「叩きのめされて倒れるのが、随分とお上手……見かけによらず鍛えておられる? ローラちょっと感心」

 直撃を喰らう瞬間に自ら後ろへ跳んで倒れ込み、受け身を取る。その動きは、リムレオンの身体に完全に染み付いている。

 それを教え込んでくれた戦士は今、映像の中で魔法の戦斧を振るい、シェファを追い詰めていた。

 苔むした城壁に背中をぶつけながらも、シェファは魔石の杖を掲げた。

 光で出来た広い楯が、少女の眼前に出現した。魔力の障壁。そこに、ブレンが魔法の戦斧を叩き付ける。

 魔力の障壁は砕け散り、光の破片がキラキラと散った。

 それらを蹴散らして襲い来る魔法の斧を、シェファが地面に転がって懸命にかわす。よろめいて転倒したのが、たまたま回避になった、といった感じの危なっかしさだ。

 角を生やした青銅色の魔獣人間は、まだ何体か残っている鈍色の鎧たちを、ことごとく殴り砕いていた。

「出せ……僕を、ここから……!」

 怒りと焦りに突き動かされてリムレオンは疾駆し、踏み込んだ。魔法の鎧をまとう拳や蹴りが、立て続けにブラックローラを襲う。

 冷たく艶やかに嘲笑いながら、黒衣の少女はひらひらと身を翻し、全てをかわした。

 その軽やかな回避に、リムレオンは執拗に追いすがる。踏み込み、身を捻り、思いきり右手を突き出す。握っていた拳を、開きながらだ。

「はぁあああッ!」

 リムレオンの気合いが、気力が、白色の光となって発現し、右掌に集中する。

 先程マディックに喰らわせ吐血させた、光の掌打。

 それが白色の輝きを強めながら、ブラックローラの細身に叩き込まれる……寸前で、止まった。

 黒衣の少女のたおやかな両手が、リムレオンの右手首を、普通に掴み止めている。白く輝く右掌が、ブラックローラの身体のどこにも触れられぬまま震えた。

 ひんやりと得体の知れぬ冷たさが、魔法の鎧の上からリムレオンの右腕に流れ込んで来る。

「いけないお手々……ローラの、どこを触るおつもりでしたの?」

 にっこりと冷たく美貌を歪めながら、ブラックローラはリムレオンの右手を、黒いドレスの胸元へと愛おしげに抱き寄せた。

 白く輝く掌が、少女の胸にムニュ……ッと押し付けられる。

 信じられない柔らかさと、骨も凍えるような冷たさを、リムレオンは同時に感じた。この世のものとは思えない2つの感触が、まるで魔法の鎧など存在しないかの如く、少年の掌に貼り付いて来る。吸い付いて来る。

「…………!」

 悲鳴が、リムレオンの喉の奥で凍り付いた。

 身体が動かない。

 白く光り輝く右手が、少女の美しい胸の膨らみに密着したまま、動かない。

 その白い光が、急速に弱まってゆく。

 リムレオンの気力の光が、ブラックローラの胸に吸い込まれてゆく。

「あ……んっ……何て純度の高い……淡白なようで芳醇な、命と魂……」

 黒衣に彩られた細身が、悩ましげに反り返る。

 黒い薄手のドレスを美しく膨らませた胸が、リムレオンの右手を密着させたまま揺れた。

 攻撃として叩き込むはずだった気力が、その右掌から少女の胸へと吸引されている。

「思っていた通り……思っていた以上……ローラ、こんなの初めて……」

 甘い吐息が溶け込んだ愉悦の声を、リムレオンは薄れゆく意識の中でぼんやりと聞いた。

 脳裏に浮かんだのは、ブラックローラ・プリズナと初めて出会った時に目の当たりにしたもの……この少女に触れられただけで乾燥死体と化し、ひび割れ崩れた、トロルの姿である。

 あれと同じ死に様を、自分は今、晒そうとしているのか。

(シェ……ファ……)

 映像の中でブレン兵長相手に絶望的な戦いを強いられている少女に、リムレオンが懸命に語りかけようとした、その時。

「唯一神よ……魔性の者に、罰を与えたまえ!」

 倒れていたマディック・ラザンが、起き上がると同時に祈りを叫び、跳ぶように踏み込んで来た。

 魔法の槍が、横殴りに一閃してブラックローラを襲う。

 その穂先が白く光り輝いている、ようにリムレオンには見えた。気力の光、とは何か違う。

 ブラックローラが突然、放り捨てるようにリムレオンを解放し、跳躍した。黒いドレスを羽ばたかせながらの、半ば飛翔に近い跳躍である。

 白く輝く魔法の槍がブゥンッ! と豪快に空振りをした。

 空振りした槍を即座に構え直しつつマディックが、尻餅をついたリムレオンを背後に庇って立つ。

「それは……!」

 息を呑みながらブラックローラが、少し離れた所に着地した。

 そちらにマディックが槍を向ける。穂先、のみならず長柄全体が淡く白い光に包まれた、魔法の槍を。

「俺の武術の師匠がな、基本の基本だけ教えてくれた……唯一神の御加護を、攻撃力として発現させる戦闘技術」

 マディックが語る。

「今の教会関係者にとっては、禁忌に近い技能……アゼル派の聖なる武術。実戦で使うのは初めてだ……使いたくはなかった、ローエン派の僧侶としてはな」

「……ローラは知っております。その戦い方をなさる、アゼル派の聖職者様を」

 自分も知っている、とリムレオンは思った。

「1度ローラをこっぴどく虐めて下さった方ですわ……あぁん嫌ッ、思い出させないでっ!」

 黒い薄手のドレスが、ブラックローラの身体からブワッ! と広がった。

 鋭利なコウモリの翼、あるいは闇そのもので出来た刃物。何枚ものそれらが、一斉にマディックを襲う。

 白く輝く魔法の槍を、マディックは両手で猛回転させた。

 聖なる光を帯びた穂先が、長柄が、黒く鋭利なものたちを片っ端から打ち払う。

 血のようでもある黒い飛沫が、大量に飛び散った。

「うっ……く……」

 ズタズタにちぎれた黒いものをヒラヒラと引きずりながら、ブラックローラが後退りをする。

 油断なく彼女に槍を向けながら、マディックは言い放った。

「人間の気力や生命力を吸い取る事は出来ても……唯一神の聖なる光明を吸い取る事は出来まい? そんな事をしたら、貴様たち魔性の者の肉体は内側から灼けただれる」

「マディック・ラザン……貴方は……」

 緑の騎士の背後でよろよろと立ち上がりながら、リムレオンは問いかけた。

「僕を……助けてくれるのか?」

「今は、殺し合ってる場合じゃないからな。まずはここから出て……イリーナたちを、助けに行かなければ」

「あら……ここから出られるとでも?」

 ブラックローラの声が一段、低くなった。

 艶やかな笑顔が不敵に歪み、澄んだ瞳にギラリと獰猛な光が宿る。

「ローラはね、調子こきまくりな殿方が大好きですのよ……楽しく、殺せるから」

「……もういい、やめてくれ!」

 リムレオンは、マディックの背後からブラックローラの面前へと飛び出した。

「マディック殿の言う通り、殺し合っている場合じゃない! こんな事をしている暇はないんだ! 僕たちはここを出なければならない、そして助けに行かなければならない!」

 中身なき魔法の鎧を全て破壊し終えた青銅の魔獣人間が、ブレンと一緒になってシェファに迫る。

 電光をまとう杖を弱々しく構えたまま、シェファは城壁にもたれかかり、それ以上は後退り出来ずにいる。

 その映像を睨み、リムレオンは叫んだ。

「頼む、黒薔薇夫人! 僕たちをここから出してくれ!」

 叫び、両膝をついて石畳に這いつくばり、頭を下げる。

「戦いが終わったら、貴女の言う通りにする! 僕をどう扱ってくれても構わない! だから今は戦いに行かせて欲しい、お願いだ!」

「ではローラのものにおなりなさい……と言いたいところですけれど」

 困ったように、ブラックローラは人差し指で頬を掻いた。

「そんな取引で、殿方をモノにしてもねえ……ローラの魅力で身も心も虜にした事にはなりませんし……ふう、仕方ありませんわね」

 1つ溜め息をついてからブラックローラは、疲れたように微笑んだ。

「貴方のお覚悟、しかと受け止めましたわリムレオン・エルベット様……ローラが手伝って差し上げます」

「手伝う……とは?」

 リムレオンは顔を上げた。

「僕たちに……力を貸してくれる、と言うのか?」

「貴方たちだけでデーモンロード様と戦うなんて、正気の沙汰じゃありませんわ」

 穏やかに、ブラックローラが笑う。正気の沙汰ではない行いを、嘲笑っているようだ。

「この森の中で、ローラが力をお貸しすれば……デーモンロード様を、追い払うくらいの事は出来るかもしれません」

「居留守を使っておるのか、ブラックローラ・プリズナ」

 映像の中で、デーモンロードが高圧的な声を発している。

「ここに逃げ込んだ者どもを引き渡せ、と言っておるのだ。貴様の手で始末すると言うのなら、それでも良い。リムレオン・エルベット他1名の首を、持って出て来て私に見せろ。このカビ臭い城を叩き潰されたくなければ、早くせよ」

「あらまあ何という物言いでしょう。このお城で、ローラに向かってそんな口をおききになるなんて……」

 ブラックローラの笑顔が、引きつった。こめかみの辺りにピキッ……と血管が浮かんだ。

「追い払う、だけでは済みそうにありませんわね……予定変更。ローラが貴方がたに力をお貸しするのではなく、貴方たちがローラに協力なさいな、リムレオン・エルベット侯爵閣下と他御1名様」

 少女の可憐な唇から、キラリと美しい牙が覗いた。

「……デーモンロード様には、死んでいただきます」



 イリーナ・ジェンキムを少しだけ見直す気に、シェファはなっていた。

 彼女の操る、鈍色の魔法の鎧たちが、十数体がかりで魔獣人間ユニゴーゴンの相手をしてくれていた。おかげでシェファは、ブレン1人を相手に戦っていれば良かったのだ。

 まあ戦うと言っても、シェファに出来る事と言えば、魔法の戦斧をかわし続ける事くらいなのだが。

「どうした小娘、逃げてばかりでは勝てんぞ?」

 嘲笑いつつデーモンロードが、腕組みをして立ち、この有り様を見物している。頭からねじ曲がって生えた2本の角を、ぼんやりと怪しく発光させながらだ。

「戦う気がないならば、いっそ無抵抗で殺されてしまったらどうだ? この場から逃げ出す事など、出来んのだからなあ」

 あの角を叩き折れば、ブレン兵長を正気に戻す事が出来る。そんな単純な話なのであろうか。

 仮にそうだとしても、誰がそれを実行するのか。まさかイリーナに任せるわけにもゆくまい。

 そう思いながらシェファは、ちらりと彼女の方を見た。

 もはや逃げる力も失った様子で、イリーナは呆然と座り込んでいる。

 中身なき魔法の鎧の最後の1体が、ユニゴーゴンの蹄に叩き潰されたところだった。

 次なる標的を求めて魔獣人間が、ゆらりとブレンに合流し、シェファに迫る。

 この男2人が、あるいはどちらか片方が、イリーナに攻撃を加えるよりも、ましな状況ではあるのか。半ば無理矢理に、シェファはそう思った。

「ブレン兵長……」

 声をかけてみる。

 ブレンは何も応えない。いかつい面頬の奥に殺意の眼光を点したまま、黄銅色の巨体をズシリと歩み寄らせて来る。

 シェファは後退りをしようとしたが、苔むした城壁に背中がぶつかるだけだった。

 横に逃げ道はないか。そう思って、ちらりと視線を動かす。

 ユニゴーゴンと目が合った。

 シェファの逃げ道を塞ぐ形に、青銅色の巨体が立ちはだかっている。

(魔法の鎧、脱いじゃおうかな……)

 呆然と、シェファは思った。生身の状態で、この2人どちらかの攻撃を喰らえば、痛い思いをする暇もなく死ねるだろう。

 また1歩、シェファに迫りながらブレンが、魔法の戦斧を振り上げた。

 もはや避ける気力もないまま、シェファはとりあえず言った。

「あたしを殺したら、ブレン兵長……正気に戻ってくれたりします? 駄目? ですよね……」

 笑い出したい気分だった。自分は結局このまま、無様なまま、死ぬのだ。

「それじゃ、あたし……無駄死に、って事ですか……?」

「君は死なないよシェファ。それに、ブレン兵長だって正気に戻る」

 声がした。

 戦斧を振り下ろそうとしたブレンの動きが、止まった。殺意の眼光を内包した面頬が、近くの城壁へと向けられる。崩れかけつつ様々な植物に覆われた、暗緑色の城壁。

 その上に、白い騎士が立っていた。眩しいほどに純白の、甲冑姿。

「リム様……?」

 自分は夢を見ているのか、とシェファは思った。

 こんなに都合良く何度も何度も、リムレオンが助けに現れてくれる。これではまるで、安っぽい吟遊詩人の歌ではないか……

「ブレン兵長……久しぶりに稽古をつけて下さい、お願いします」

 夢の中の声ではない、現実の肉声を発しながらリムレオンは、城壁の上で僅かに身を屈めた。

 白い魔法の鎧が、さらに白く光を発する。

「貴方がいないせいで僕はすっかり、なまってしまった……」

 淡い白色光を全身にまとったまま、リムレオンは跳躍した。蹴られた城壁がビキビキッ! とひび割れて、細かな破片を飛び散らせる。

 空中でリムレオンの身体が、くるりと回転しながら輝きを強めてゆく。

 少年の気力が、魔法の鎧によって、物理的な攻撃力へと変換され発現しつつあるのだ。

 その白い光が、リムレオンの下半身に、右足に、集中して行く。

 激しい光を帯びた右足を、リムレオンは空中から、ブレンに叩き込んだ。飛び蹴り、である。

 それをブレンは、魔法の戦斧で防御した。白く輝く右足と黄銅色の戦斧が、激突する。

 白い光が、爆発した。

 その爆発が、ブレンの右手から魔法の戦斧を吹っ飛ばした。

 黄銅色のたくましい甲冑姿が後方に倒れ、ごろりと受け身を取って即座に起き上がる。

 リムレオンは、シェファの眼前に着地していた。少女を背後に庇い、ブレンと対峙する。

 見物し、角を発光させつつ、デーモンロードが言った。

「ふん、ようやく引き渡す気になったか。ブラックローラめ」

「勘違いをなさっては駄目……」

 聞き覚えのある女の声が、涼やかに流れた。

「リムレオン・エルベット侯爵閣下及び他1名様には、今からローラのお手伝いをしていただくのですわ……」

 霧が出て来た。リムレオンが連れ去られた時と同じ、まるで白い不定形の生き物のような、濃密過ぎる霧。

 それが、デーモンロードの青黒い巨体にまとわりついている。

「立ち去れ……」

「黒薔薇夫人は、貴様を招いてはおられない……去れ」

 霧が、声を発した。

 リムレオンをここへ運び込んだように、デーモンロードをどこかへ運び去ってしまおうとしているようだ。この霧を操っている、何者かが。しかし。

「ふん、小賢しい真似を……」

 デーモンロードが軽く左手を振るっただけで、霧は飛び散り、消滅した。微かな悲鳴が聞こえた。

 青黒い悪魔が、せせら笑う。

「あまりに小賢しいゆえ大目に見てやろうブラックローラよ。つまらぬ事をするのは、もうやめておけ」

「……今のは最後通告でしたのよ、デーモンロード様」

 黒い、優美な人影が、いつの間にかそこに立っていた。

 ひらひらとした薄手のドレスを身にまとった、黒髪の美少女。

 間違いない、ブラックローラ・プリズナである。

 この人間ならざる娘が、黒薔薇夫人であったのか。リムレオンをさらって、何をしようとしたのか。もしかしたら、すでに何かしてしまった後ではないのか。

 睨みつけるシェファを気にした様子もなくブラックローラは、デーモンロードと不穏な会話をしている。

「大人しく運ばれて森から出て行って下されば、これ以上、事を荒立てる必要もありませんでしたのに……」

「……事を荒立てようと言うのだな? この私を相手に」

 デーモンロードが、左手を掲げた。

 凶悪なほど力強い五指が、掌が、炎を発する。

「そのためにリムレオン・エルベット他1名を引き連れて、城から出て来たと。そういうわけか」

「ローラが捕まえた殿方を横取りしようとするおバカさんに、ちょっとわからせて差し上げますわ……リムレオン・エルベット侯爵閣下と他1名様の力を、お借りしてね」

「……貴様ら、いい加減にしておけよ」

 他1名が、緑色の鎧をガシャッと鳴らし、進み出て来た。

 マディック・ラザン。その右手に握られた魔法の槍が、淡く白い光を帯びている。

 デーモンロードの眼光が、ぎらりと彼の方を向いた。

「よもや、とは思ったが……貴様であったか。私が依頼した仕事を、ものの見事にやり損なってくれたというわけだな。この役立たずが」

「貴様は……デキウス・グローラーか」

 緑色の面頬の中で、マディックは暗く微笑んだようである。

「なるほど、な……俺は、魔物の言いなりになって、サン・ローデルの領主様を殺してしまうところだったのか……まあ今は、そんな事よりも」

 マディックは見回した。

 面頬越しの視線が、イリーナ・ジェンキムに止まった。

「……無事だったか、イリーナ」

「マディック……」

 イリーナが、か細い声を震わせた。

「遅いわ……一体、何をしていたのよ……」

「まだ何もしてはいないさ……俺が何かをするのは、これからだ」

 見回すマディックの視線が、今度は青銅色の魔獣人間に止まった。

「ギルベルト・レイン……自分の意志で戦ってみろと言っていた男が、何という様を晒しているんだ」

 白く輝く魔法の槍が、ユニゴーゴンに向けられる。

「俺があんたを叩きのめして、正気に戻してやるしかないのか……あんたを叩きのめす自信など、あるわけがないのに」

「無駄なあがきはやめておけ、人間ども」

 デーモンロードが、燃え盛る左手を振るった。

 その炎が、鞭のように伸びて、この場にいる全員を薙ぎ払う……

「私が力を振るわねばならなくなるではないか。自ら手を汚す戦いなど、してはならんと言うのに……うぬっ?」

 否。赤い大蛇のような炎の鞭が、振るわれると同時に砕けちぎれ、弱々しい火の粉と化した。

 黒い巨大なものが激しく羽ばたき、デーモンロードの攻撃を迎え撃ったのだ。

 火の粉を払い散らして羽ばたいた、黒いもの。それは大型の翼のようでもあり、黒い巨大な刃でもあった。ブラックローラの身体から、伸び広がっている。

「他者を利用し、策略に生きる……そんな似合わない事、もうおやめなさいなデーモンロード様」

 薄手の黒いドレスが、闇そのものの如く膨張し、少女の細身から溢れ出して、巨大な翼と化したもの。それがブラックローラの言葉に合わせて一閃し、デーモンロードを襲う。

「貴方には無理……魔族の中でも特に頭の出来が残念なデーモンロード様が、策略やら策謀なんて」

「貴様……ッ!」

 青黒い悪魔の巨体から、黒っぽい血飛沫が飛び散った。分厚い胸板に、斜め一直線の鮮やかな裂傷が刻まれた。

 この怪物が傷を負う。傷を負わせられる者がいる。それが、シェファには信じられなかった。

「本当に、残念な頭ですこと……この森の中で、ローラに喧嘩を売るなんて」

 暗黒そのもので組成された翼あるいは刃を揺らめかせながら、ブラックローラが優雅に嘲笑う。

 そして、命令を下す。

「デーモンロード様は、今からローラと戦わなければなりません。その間、支配の魔力は弱まります……操り人形の殿方お2人を、早く正気に戻してあげて下さいな」

 命令口調ではないものの、それは明らかに命令だった。今デーモンロードと戦っている者4名の中で、最強の戦闘能力を持つ者としての命令。

「……6対1の戦いで、デーモンロード様に死んでいただきますわよ」

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