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第49話 集う鎧たち(1)

 魔法の鎧を着たブレン・バイアスが、倒れ、踏み付けられている。

 起きながら悪夢を見ているような心持ちで、シェファは立ち尽くしていた。

(ブレン兵長が……こんな一方的に、やられるなんて……)

 心の中で呆然と呟くシェファに、敵が群がった。

 人間の兵士の如く武装した、オークの群れ。槍を、あるいは剣を、鎚矛を、様々な方向から叩き付けて来る。

 魔石の杖で、シェファは迎え撃った。

 バチバチッ! と発電・帯電する魔石の杖。それが小さく跳ね上がって、最も位置の近いオーク兵士を殴打する。鎧の上からだ。

 安物の金属鎧に電光が流れ込み、オークの肉体を灼いた。

 悲鳴を痙攣させ、焦げ臭い白煙を立ち上らせながら、オーク兵は倒れた。すでに死体だった。

 感電死した屍をシェファは軽やかに飛び越え、着地と同時に身を翻した。青い細身の甲冑姿が柔らかくねじれ、電撃の杖が横殴りに弧を描く。突きかかって来たオーク兵団の槍が、何本も叩き折られた。

 愚かにも全鉄製の鎚矛で殴りかかって来たオークがいる。その一撃を、シェファは軽く受け流した。鎚矛と杖が一瞬、触れ合った。

 その一瞬の間に電光が、杖から鎚矛へ、鎚矛からオーク兵の肉体へと流れ込む。

 滑稽な感電の踊りを披露しながら、そのオーク兵士はバリバリッと死体に変わってゆく。

 男たちのように、力任せの戦いで敵を粉砕する必要はない。金属で武装した相手なら、この電撃の杖を触れるだけで死に至らしめる事が出来る。

 右に、左にと小刻みに踏み込みながら、シェファは魔石の杖を振るった。

 青色の魔法の鎧に包まれた細身が、しなやかに躍動する。その度に電光の杖が細かく動き、オーク兵士の剣や鎚矛を受け流し、鎧をつつく。

 電撃を流し込まれたオークたちが次々と、滑稽な痙攣をしながら白煙を放ち、感電死していった。

 一際、大柄なオークが、巨大な斧で殴りかかって来た。

 否、オークではなくトロルだ。魔法の鎧をも叩き潰してしまいそうな大斧が、シェファの脳天めがけて猛然と振り下ろされる。

 いや。振り下ろされる前にシェファは踏み込み、電撃の杖を突き込んでいた。放電する魔石が、トロルの顔面をグシャッと直撃する。噴き出した鼻血が、電熱に灼かれて蒸発し、異臭を発する。

 醜い怪物の顔にめり込んだ杖の先端を、シェファはさらにグリッとねじ込んだ。

 ねじ込まれた魔石が、発電の激しさを増した。

 凄まじい電撃光が、怪物の潰れた顔面から、落雷の如き勢いで流れ込んで行く。

 再生能力を有するトロルの巨体が、電光に灼かれて破裂した。大小様々な肉片が、飛び散りながら焦げ砕けた。

「加勢の必要は……なさそうだな? お嬢さん」

 ギルベルト・レイン……魔獣人間ユニゴーゴンが、軽く両手を動かしながら言った。鎧状に異形化した左右の手が、それぞれ1本ずつ、三又槍を掴み止める。デーモン2匹が、両側から突きかかって行ったところだった。

「あたしはいい……」

 応えつつシェファは、ひらりと身を揺らした。背後からの一撃がブンッ! と傍らを通過する。1匹のトロルが振り下ろして来た、巨大な剣。

 こんな力だけの敵たちと戦うのに、誰かの加勢は必要ない。

 今、最も加勢を必要としているのは、ブレン・バイアスであろう。

 黄銅色のたくましい甲冑姿は、今はうつ伏せに倒れ、地面に血反吐を流し広げている。

 彼の背中を片足で容赦なく踏みにじりながら、デーモンロードが笑う。

「そこの魔獣人間。そのような姿になってまで人間の側にいる事もあるまい? 我が配下に加われ。なに遠慮はいらん、元々人間であったという者は魔族にも大勢おる……そなたも人間どもから奪う側に立ってみよ。その力に見合った、良い思いが出来るぞ」

「奪う側にいたよ。俺も、ほんの一時期な」

 応えつつユニゴーゴンは身を捻り、掴んでいた三又槍を手放した。デーモン2匹が、放り捨てられた感じによろめく。

 その間も、魔獣人間は語り続ける。

「弱者を踏み潰し、弱者から全てを奪いながら魔王の道を往く……そんな御方に、仕えていたのさ」

 言葉と共にシューッ! と燃え盛る吐息が噴出した。

 触れたものを燃やさず、石に変えてしまう炎。

 それが固まり、2本の石の棍棒となって、ユニゴーゴンの両手に握られる。

「貴様が言うほど良い思いは、出来なかったぞ……!」

 体勢を立て直し、再び左右からギルベルトを襲おうとしたデーモン2体が、砕け散った。

 炎をまとう石の棍棒が、彼らを直撃していた。

 飛び散ったのは、しかし肉片ではなく石の破片である。

 石化の炎によって組成された棍棒。それによる殴打を喰らったデーモンが2匹とも、石像に変わりながら粉砕されたのだ。

 そんな凶器を2本、左右それぞれの手で振りかざしながら、ユニゴーゴンが猛牛の如く踏み込んで行く。ブレンを踏み付けて立つ、青黒い巨体の悪魔に向かってだ。

 デーモンロードを護衛すべく、トロル3匹とデーモン1体が、横合いからユニゴーゴンに襲いかかる。

 青銅色の魔獣人間が、蹄で地面を削りながら突然、踏み込む方向を変えた。まずはデーモン1体に向かって、続いてトロル3匹に向かって、燃え盛る石の棍棒2本を振るう。

 松明にも似た凶器が、流星の如く奔って弧を描き、怪物計4匹を直撃した。

 ユニゴーゴンの周囲4ヵ所で、石化と粉砕が同時に起こった。

 三又槍を構えたデーモンの石像が1つ、大斧を振り上げたトロルの石像が3つ、粉々に砕け散って粉塵を漂わせる。

 その粉塵の煙幕を、一筋の炎が切り裂いた。

 デーモンロードが、左手を振るっていた。炎の鞭が、青銅色の魔獣人間を狙って一閃する。

 ユニゴーゴンが、右の棍棒を振り上げた。

 松明のような石の凶器と炎の鞭が、激しくぶつかり合って両方とも砕けた。石の破片の炎の飛沫が、一緒くたに飛散した。

 その間、ユニゴーゴンは巨体を捻り、剛腕を振るい、左の棍棒を投擲していた。

「うぬ……っ」

 デーモンロードの顔面に命中し、石の棍棒は砕け散った。

 さすがに上位の魔族。デーモンロードは石化する事もなく、ただよろめいただけだ。

 そこへユニゴーゴンが、素手のまま猛然と殴りかかる。

 戦鎚のような拳と蹄が、何発かずつデーモンロードの巨体に叩き込まれた。青黒い鋼鉄のような胸板や腹筋が一瞬、拳あるいは蹄の形に凹む。

 後方によろめきながらデーモンロードは倒れず、踏みとどまった。

 同時にユニゴーゴンの巨体が、鮮血の飛沫を宙に咲かせながら吹っ飛んでいた。

 デーモンロードの右拳。魔獣人間の前進を迎え撃つ形に、叩き込まれていた。

「ぐっ……ぅ……」

 倒れそうになったユニゴーゴンの身体を、何者かが抱き止めて支えた。

 ブレンだった。

 黄銅色の甲冑姿が、デーモンロードの踏みつけから解放されて立ち上がり、ユニゴーゴンの背もたれとなっている。

「どうだ……まだ戦えそうか?」

「……血反吐まみれで這いつくばっていた奴に、他人を気遣う資格はないな」

 支えるブレンの腕を、ユニゴーゴンが振り払う。

 しつこく気遣う事もせず、ブレンが魔法の戦斧を構え直す。

 黄銅色の騎士と青銅色の魔獣人間が、2対1でデーモンロードと向かい合う形となった。

「まったく……こんな力押しの戦いをしていては、魔族の未来は閉ざされたも同然だと言うのに」

 呻くような苦笑するような声を発しながら、デーモンロードが、黄銅青銅2色の敵にユラリと巨体を迫らせる。

「力に頼らず、知的に、悪辣に……他者を利用する戦い方を、我々は身に付けなければならぬと言うのに」

 2対1の戦いに、見入っている場合ではなかった。デーモンたちが、トロルの群れが、オークの兵団が、あらゆる方向からシェファに迫りつつある。

 魔石の杖を高々と掲げながらシェファは、萎縮しかけていた闘志を無理矢理に昂らせた。

 青く武装した全身で、いくつもの小さな魔石が赤く輝く。シェファの周囲に、20個近い火の玉が生じて浮かぶ。

 掲げられた杖の先端で、大型の魔石が雷鳴を発し、電光を迸らせた。

 練兵場のあちこちで、小規模な落雷が起こった。それと同時に、20個近い火球たちが流星の如く飛んだ。

 稲妻に打たれたトロルたちがバリバリッ! と感電・痙攣し、火球の直撃を喰らったオークたちが焦げ砕けて灰に変わる。

 デーモンたちは、火球や電光を浴びても怯んでいるだけだ。

 そして、彼らの統率者たるデーモンロードは。

「このような戦い……私の望むところではないと言うのに。なあ?」

 誰に同意を求めているのか、とにかくそんな事を言いながら、右手でブレンの首を掴み、持ち上げている。魔法の鎧に包まれた巨体が、デーモンロードの右手1本で宙吊りにされているのだ。

「ぬっ……ぐぅ……ッ」

 悪魔の握力と自身の体重に頸部を圧迫されたまま、ブレンが悲鳴を噛み殺す。

 彼の両手は、デーモンロードの右手首を掴みながら振りほどく事が出来ず、両足は地面から離れて弱々しくばたついている。

 その近くに、魔法の戦斧が落ちて転がっている。いつ叩き落とされたのか。

 デーモンロードの左拳は、ユニゴーゴンの腹に叩き込まれていた。魔獣人間の巨体が、苦悶に震えながらへし曲がっている。

 彼の鳩尾を左拳で押しながら、デーモンロードは1歩こちらに迫った。

 左拳だけでユニゴーゴンの巨体をへし曲げて押し運び、右手1本でブレンを宙吊りに捕えたまま、青黒い巨大な悪魔が2歩、3歩とシェファに迫り近付く。

 自分がその場にへなへなと座り込んでしまっている事に、シェファは呆然と気付いた。

 少し目を離している間に、自分よりもずっと強い男の戦士2人が、まるで大人に折檻される子供のような様を晒す事となったのだ。

「何よ……これ……」

 呟きながらシェファは、眼前に迫るデーモンロードの姿を、ただ見つめるしかなかった。

(これが……魔物……)

 作り物の怪物である魔獣人間とは違う。遥か古の時代から人間という種そのものを脅かしてきた、生ける災厄とも言うべき生物群。

 この者どもに対抗するべく、人間は魔獣人間という手段を持たなければならない。そんな事を言っていた者がいる。

「何が出来るってのよ……こいつら相手に、魔獣人間なんかで……」

 この場にいないゴルジ・バルカウスを、シェファは呆然と嘲笑った。自分自身をも、嘲笑った。

「何が出来るのよ、魔法の鎧なんかで……あたしなんかに、何が出来るってのよォ……」

「シェファ……何を、している……っ……」

 デーモンロードに締め上げられながらも、ブレンが辛うじて聞こえる声を漏らす。

 そうだ、とシェファは無理矢理に心を奮い立たせる努力を試みた。

 こんなふうに座り込んでいる場合ではない。自分も、戦わなければ。魔物どもから、エルベット家を守るために……

 だが、次の瞬間。ブレンが、耳を疑うような言葉を漏らした。

「早く……逃げろ、シェファ……」

「ブレン兵長……!」

 何を言ってるんですか、とシェファは叫びそうになった。が、ブレンは言わせてくれなかった。

「侯爵閣下に、お伝えし……早急に対策を立てるのだ……その間この化け物は、俺たちが食い止めておく……」

「俺たち……だと……」

 デーモンロードの左拳に鳩尾を圧迫されたまま、ユニゴーゴンが呻く。

「俺もか、貴様……」

「当然だ……せっかく、こんな所まで来たのだからな……」

 デーモンロードの握力の中から、ブレンが必死な、だが不敵な声を漏らす。

「……もう少し、格好をつけてゆけ」

「まったく……貴様らになど関わったばかりに……ッ」

 ぼやきつつユニゴーゴンが、へし曲がった身体を起こし、腹にめり込んだ悪魔の拳を振り払い、地面に倒れた。

 そして即座に起き上がりながら、ブレンの足元から魔法の戦斧を拾い上げる。

「おい早く逃げろ、お嬢さん!」

 叫びつつユニゴーゴンは魔法の戦斧を振りかぶり、デーモンロードに斬り掛かった。

 そこへ、ブレンの身体が放り捨てられる。

 黄銅と青銅、2色の巨体が重なり合って倒れ、微かな血飛沫を散らせた。

「逃げたければ逃げて良いぞ、シェファ・ランティ」

 絞め殺す寸前でブレンを解放した右手を、デーモンロードは少女に向けた。

「私としては、取り残されたブレン・バイアスを落ち着いて仕留めるまで……貴様たち3人を個別に討ち取る、我が完璧なる策略に綻びはない。今頃はリムレオン・エルベットも」

「リム様が……!」

 シェファは、呼吸が止まるほどに息を呑んだ。

 自分たちを今、力で圧倒しているだけではない。この恐るべき魔物は、孤立したリムレオンに対しても、何か仕掛けているのか。

「貴様ごとき小娘、後で狩り出して始末するのは容易い事……さあ、逃げたければ逃げるが良い」

 デーモンロードの禍々しいほど力強い五指が、掌が、赤く燃え上がった。

「……逃げぬのならば、ここで死ね」

 炎の鞭が発生し、赤い大蛇の如く伸びた。

 それをシェファは、跳躍してかわした。

 そして着地と同時に、駆け出していた。デーモンロードに背を向けてだ。

「リム様……!」

 彼を、助けに行くのか。彼に、助けを求めに行くのか。

 とにかくシェファは、練兵場の外へと向かって走った。

 その行く手を、魔物たちが阻んだ。デーモンが、トロルたちが、オークの群れが、様々な得物を振り立ててシェファに追いすがり、襲いかかって来る。

 思わず立ちすくんでしまった少女を、ブレンが怒鳴りつけた。

「止まるなシェファ!」

 立ち上がりつつ、ギルベルトから魔法の戦斧を受け取り、それを構えながら身を捻るブレン。

 黄銅色の豪腕が唸り、魔法の戦斧が投擲された。

 シェファの周囲で、オーク5匹が上下真っ二つになり、トロル3匹の生首が宙を舞い、デーモン1体が血飛沫を噴き上げた。

 ギュルルルッ! と回転しながら彼らを薙ぎ払い、魔法の戦斧が弧を描いて飛ぶ。そしてブレンの手元に戻った。

 戻って来た武器を掴み止め、振りかぶり、デーモンロードに挑みかかるブレン。

 シューッ! と石の棍棒を発生させて両手に持ち、同じく悪魔に殴りかかって行くギルベルト・レイン。

 両者の方をもはや振り返らず、シェファは走っていた。練兵場の外、サン・ローデル方面へと向かって。男2人を、恐るべき魔物の前に放置したまま。

「リム様を、助けなきゃ……」

 呟きかけて、シェファは頭を振った。走りながら、声を震わせた。

「違う……あたしは、ただ逃げるだけ……!」



 1つ、気に入らぬ事がある。

 逆賊として死んだはずのダルーハ・ケスナーが、未だ英雄として扱われている事だ。

 ダルーハ軍による直接的・壊滅的な被害を受けた北部4地方ではともかく、特に戦禍を被っていない南部・西部の各地方においては、ダルーハの叛乱を肯定的に見る者が少なくなかった。

 腐敗しきったヴァスケリア王政を打倒するための、必要悪であった。誰かが、立ち上がらなければならなかったのだ。竜退治の英雄が、ヴァスケリア王国のために、あえて泥を被り手を汚してくれたのだ。

 などと、したり顔で語る者が多いのである。

 そういう愚か者たちの目にも、しっかりと焼き付けてやらなければならない。偉大なるゾルカ・ジェンキムの力をだ。

 ダルーハ・ケスナーなど、ただ暴力に秀でただけの無頼漢に過ぎない。ゾルカによる支えと導きがなければ、英雄などと呼ばれる前に、単なる無法者として果てていたに決まっている。

 イリーナ・ジェンキムは思い返していた。叛乱者と化した朋友ダルーハと戦うため日夜、魔法の鎧の開発に励んでいた父ゾルカの姿を。そして常に、最も有能な助手として彼の傍にいた自分の姿を。

 あのまま事態が進めば、魔法の鎧の力がダルーハを討ち滅ぼしていただろう。開発者ゾルカ・ジェンキムの名は、王国全土に響き渡っていた事だろう。救世主の名として、真の英雄の名として。

 そうなる前に、ダルーハは死んだ。ヴァスケリア王家によって、殺されてしまった。

 女王エル・ザナード1世が自ら討ち取った、と言われている。女王が何やら恐ろしい魔物を飼い操ってダルーハを殺させたのだ、などという噂もある。

 何にせよ、ヴァスケリア王族を許しておく事は出来なかった。

 偉大なるゾルカ・ジェンキムの名を、永遠に闇に埋もれさせてしまったエル・ザナード1世。彼女は叛乱に遭って死んだ、とは言われている。もし生きているなら、探し出して殺すまでだ。

「お父様の……魔法の鎧の、力で……!」

 魔法の鎧。その力が、愚かなる者どもを雑草の肥やしへと変えてゆく様を、イリーナはじっと睨み据えた。

 サン・ローデル西部、ロッド地方との境界辺りに広がる原野である。

 すぐ近くには、黒々とした森が生い茂っている。レグナード魔法王国の悪名高き女性貴族……黒薔薇夫人が眠っている、と言われている森である。

 彼女への生け贄か何かのように、武装した男たちの屍が多数、散らばり横たわっていた。

 頭の潰れた死体、上下真っ二つにちぎれて臓物をぶちまけた死体……人間の五体をとどめていないものが大部分である。

 数分前までは皆、下品なほどに元気良く生きていた。下品な笑い方をしながらイリーナを取り囲み、迫って来ていた。

 そんな輩を率いていた男が、今や最後の1人となって立ち尽くし、怯えている。

「ひぃ……あわわわ……」

 そこそこは立派な鎧に身を包んだ、剣士である。このような強盗団の頭目にまで身を落とす前は、それなりに身分のある騎士か軍人だったのだろう。長剣を構えるその姿は、まあ様になってはいる。

 が、この虐殺の光景を作り出した張本人に、勝てるわけはなかった。

 緑色の全身鎧を返り血でドス黒く汚した、1人の男。同じく血まみれの槍をブンッと構え直しながら、強盗団の頭目に歩み迫る。

 マディック・ラザンという名の中身を内包する、魔法の鎧。

 中身など誰であろうと、この程度の殺戮は容易くやってのける。それが魔法の鎧の力だ。

 この強盗どもの無様な屍もまた、偉大なるゾルカ・ジェンキムの力の証なのだ。

「汚らしく腐っていきなさい。出来る限り大勢の人間の目に触れながら、ね」

 吐き捨てながらイリーナは、殺戮の最終段階に見入った。

「ま……ままま待て、勇者殿。貴公の力は、ようくわかった」

 元々は騎士階級の軍人だったのであろう男が、へらへらと卑屈に、マディックに笑いかける。

「貴殿にも、そちらの御婦人にも、危害を加えるつもりはなかったのだ……私は、実はゲドン家に仕える者。なあ勇士殿、貴公のその力、ここサン・ローデルの正当なる領主のために振るってはみぬか」

 ゲドン家の残党が、ならず者を集めて不穏な動きを見せようとしている。そんな話は、イリーナも耳にしていた。

「もっもうすぐ、もうすぐなのだ。ゲドン家は、ロッド地方領主ライアン・ベルギ侯爵と同盟を結んだ。ライアン侯の後ろ楯としては北のローエン派が、そしてバルムガルド王国が在る……無法なるエルベット家を打倒し、サン・ローデル領主の地位をゲドン家が取り戻す! その日はもうすぐなのだよ! だっだから勇士殿、私と共にゲドン家にお仕えするのだ」

 必死な頭目の言葉を、マディックは聞いてなどいない。 

「唯一神よ、罰を与えたまえ……」

 祈りつつ、魔法の槍を無造作に動かす。

 その無造作な一撃で、頭目の首から上が砕け散った。首から下の屍が、弱々しく崩れ倒れる。

 イリーナは、苛立たしげに溜め息をついた。

「こういう連中は平気で殺せるくせに、セレナ・ジェンキムは殺せない……何故なのかしらね? マディック・ラザン」

「……君の、妹だからだ」

 何度問いかけても、この答えしか返って来ない。

「イリーナ、君は俺に力をくれた。その恩を仇で返すような事は、したくない」

「何よ、それは……」

 イリーナは、返り血まみれの緑の騎士を睨みつけた。

「あの愚かな妹を始末する事が、私にとって仇となるとでも?」

「俺には、そうとしか思えないんだよ」

 マディックが面頬越しに、じっと見つめ返してくる。

「君は今、自分の妹を憎んでいる。その憎い妹が死んでしまったら、君の心は救われるのか? 俺はそうは思わない。君の心は、憎しみよりもずっと暗い闇へと沈んでしまう……」

「……貴方がローエン派の聖職者だという事、すっかり忘れていたわ」

 イリーナは嘲笑った。持てる限りの悪意を込めたつもりである。

「これだけの殺戮を行い、血まみれの鎧に身を包んだまま、人の心の救いを語る! さすがとしか言いようがないわね!」

「臆面もなく、それが出来るようになれば……俺も、ローエン派の僧侶として一人前なんだがな」

 マディックが、穏やかに苦笑している。

 一瞬、気を失いそうになるほど、イリーナの頭には血が昇った。

 悪意の念を送ってやる、と思った。この無礼な男の人格が壊れるほどに激烈な、憎悪の念を。

 イリーナがそれを実行しようとした、その時。

 人影が1つ、よろよろと頼りない足取りで近付いて来た。ロッド地方の、方角からである。

 鎧を着ていた。肉体の露出が一ヵ所もない、青色の全身甲冑。中身が女性である事は、その体型から明らかだ。

 間違いない。1度マディックと戦った、攻撃魔法兵士の少女。確かシェファ・ランティという名前だった。

 ゾルカ・ジェンキムから魔法の鎧を託された1人。

 それが、しかし何という弱々しい足取りで歩いているのか。

「何よ……それは……」

 イリーナの声帯が、怒りで痙攣した。

「何なの……その様は……」

 そんなイリーナの様子にも気付かぬまま、シェファ・ランティはよろよろと歩いている。

「お、おい……」

 マディックが声をかけた。

 それでようやくシェファは、かつて戦った事のある緑の騎士に気付いたようだ。

 青い細身の甲冑姿が、立ち止まり、立ち尽くす。ここまで歩いて来た事で力を使い果たしたかのように。

 魔法の鎧を着ていながら、何という弱々しい様を晒しているのか。

 足早に近寄ったマディックの腕の中に、シェファは倒れ込んだ。緑の魔法の鎧が、青い魔法の鎧を抱き止めた。

「お前、確か……シェファ・ランティ、だったな」

 腕の中の少女に、マディックが優しく問いかける。

「一体どうした。何があった?」

「…………た……」

 シェファが、何か言った。か細い、今にも消え入りそうな声。

「……たすけ……て……リム様を……ブレン兵長を……おねがい……たすけて……」

「何だって? おい……」

 マディックが、詳しい事を聞き出そうとしている。

 聞き出す必要などない、とイリーナは思った。何があったのかは、この様を見れば明らかだ。

 シェファ・ランティは、魔法の鎧を装着していながら戦いに敗れ、無様に逃げ帰って来た。

 ゾルカ・ジェンキムの名を、汚したのだ。

 処刑する理由としては、充分過ぎる。

 イリーナは、命令を呟きながら念を送った。

「……その小娘を殺しなさい、マディック・ラザン」

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