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第4話 悪竜転身

「王女様……で、あらせられますか?」

 村長と思われる老人が言った。その他にも何人か、村役場の主立った者たちが、ティアンナの話を聞いている。

「ヴァスケリア第6王女、ティアンナ・エルベットと申します……その身分を証明出来るものを、今は持っておりませんが」

 名乗りつつティアンナは、ちらりと周囲に視線を投げた。

 村の、広場である。

 見渡す限り散乱するダルーハ軍兵士の死体を、男たちがせっせと片付けている。

 村で暴虐を働いていた兵士たちは、それを上回る暴虐の餌食となって、ほぼ1人残らず殺害されていた。

 首の折れた者。頭が陥没して、目や耳から脳が流れ出している者。口から臓物を吐き出した者……皆、辛うじて人間の形をとどめた屍と化している。

 そんな殺戮をたった1人でやってのけた張本人が今、広場の井戸を借りて、身体を洗っていた。

 ガイエル・ケスナー。

 力強く美しい全裸の身体に水を浴びて、返り血を洗い流している。

 老若男女の村人たちが遠巻きに、彼の水浴びを盗み見ている。怪物を、恐れおののきながらも見物する目だった。

 ティアンナを助けてくれた時のような、刃のヒレを生やした魔人の姿、を垣間見せる事もなく。ガイエルは人間の外見は完璧に保ったまま、しかし明らかに人間ではないものの力を振るって、ダルーハ軍兵士たちを大いに虐殺した。素手の拳で、素足の蹴りで、兵士らの顔面や臓物を叩き潰した。

 ティアンナの足元に1つ、兵士の生首が転がっている。ガイエルが、手刀で刎ね飛ばしたものだ。

 それを村の男が、ティアンナに会釈をしながら拾い上げた。

 会釈を返しながら、ティアンナは溜め息をついた。

 結局、ガイエルの暴虐を止める事が出来なかったのだ。

(殿方に、汚れ役を押し付けてしまった……)

 結局こうなるのなら、最初から自分で兵士たちを殺すべきだった、とティアンナは思う。

 ダルーハ・ケスナーと戦うのなら、この先、ああいう兵士たちを大いに殺戮しなければならなくなるのだから。

「あの……助けて下さった事は、感謝いたします」

 村長が言った。

「……貴女が本当に王女様であらせられるのならば、早急に、お逃げになった方がよろしいかと」

「王家の人たちの首には、賞金がかかってるんだ」

 村長補佐と思われる男の1人が、続けて言う。

「もちろん、助けてくれた恩人を売ったりしたくはないが」

「……私は売られても構いません。お金を欲しがるのは当然の事です」

 村役場の人々の目をじっと見据えて、ティアンナは語った。

「ただ1つだけ、貴方がたには考えていただきたい事があります。今このままダルーハ卿による支配を受け入れてしまえば、先程のような事は、この先いくらでも起こるでしょう」

「そんな事は言われるまでもない、考えてるさ。だけど私らには戦う力がない……あんただけじゃない、生き残った王家の人たちが大々的に動き出してくれれば、協力のしようがないでもないが」

 今のティアンナがダルーハ・ケスナーと戦う、となれば。まず、ここだけではない村々や町に住まう人々……とにかく王国全土の民に協力を求める、ところから始めなければならないだろう。

 だが王族を名乗るだけで1人の兵士も率いていない小娘が何を言ったところで、武力を持たない市井の人々が立ち上がってくれるわけはない。

 武力とは、協力を求める側が、ある程度は持っていなければならないものなのだ。

 今のところティアンナが持つ力は、ただ1つ。雑魚同然の兵隊とはどうにか戦えても魔獣人間には通用しない、ささやかな個人の戦闘能力のみ……

 いや。ティアンナの私有物ではないにせよ、力はある。扱いようによっては1個軍隊に匹敵するであろう、強大な、そして危険な力。

 その力の持ち主本人が、水浴びを終え、布で身体を拭っている。

 彼に何か着せてやるために、この村に立ち寄ったのだ。という事を、ティアンナはようやく思い出した。

「すみません。どなたか、殿方のお召し物を……」

 言いかけて、ティアンナは気付いた。

 村人たちが、妙にざわつき始めている。

 王都を追われた姫君と、人間ではない裸の若者。あまりにも奇怪な2人の客人を、これからどう扱うべきか、考えあぐねているのか。

 ……いや違う。馬蹄の響きが、聞こえて来たのだ。それも複数、と言うより無数。武器や甲冑を鳴らす音も聞こえる。

 軍隊が、村に入って来たのだ。ダルーハ軍の逆襲か、とティアンナは思いかけた。

 しかし村人らを押しのけるようにして広場に踏み入って来た一団は、ヴァスケリア王家の旗を掲げていた。

 少なくとも着用している鎧兜だけは立派な、騎兵・歩兵の集団。その立派な甲冑にも、王家の紋章が刻み込まれている。

 ヴァスケリア王室近衛兵団。戦場にあって、敵への攻撃ではなく王族の身辺警護を任務とする部隊である。

 つまり自分以外にも王家の生き残りがいて、その人物が村を訪れたのか。

 とティアンナが思った、その時。騎兵の隊長と思われる人物が、馬から下りようともせずに言った。

「村の長は、いずれか」

「わ、私めにございますが……」

 村長が、おずおずと進み出て対応する。騎兵隊長が、なおも横柄に告げた。

「まずは村の者どもを拝跪させよ。王家の方がお見えになられる……頭が高いと申しておるのだ」

「いずこの何様だかは知らんが」

 ガイエルが裸のまま、負けずに横柄な声を出す。

「他人に頭を下げさせたいと思うならば、頭が下がると思わせるような事を、まず何かして見せろ」

「何だ、この痴れ者……」

 近衛歩兵の1人が激昂し、ガイエルに槍を叩き付ける。

 その槍が、小枝の如く折れた。ガイエルの手刀だった。

「俺は今、記憶喪失中でな。自分が何者なのかも全く思い出せん。ただ1つ、わかっているのは」

 低い、物騒な声を出しながらガイエルが、その歩兵の胸ぐらを掴み寄せる。

「……俺は残虐である、という事だ。貴様たちのような輩の、首をもいだり手足を引きちぎったりしていると、すこぶる良い気分になる。だが悲しいかな、そういう事をすると、こちらの姫君があまり良い顔をしてくれん」

 怯える近衛歩兵を、物のように放り捨てながら、ガイエルは高圧的に告げた。全裸のままでだ。

「つまり貴様らが今、俺に殺されずに済んでいるのは、こちらの姫君のおかげだという事だ。拝跪するべきは貴様たちの方であろう」

「おやめ下さい、ガイエル様」

 殺気立った近衛兵たちの眼前に、ティアンナは進み出た。

「王族の方がお見えになられる、との事でしたね騎兵隊長殿。私に、会わせて下さい」

「何だ貴様……」

 言いかけた騎兵隊長の顔が、引きつった。

「い、いや貴女様は……!」

「私よりも、王族としての格は上の方なのでしょうね」

 ティアンナは、にっこりと微笑んで見せた。

「貴方がたは、その御方に仕える身。ゆえに私に拝跪する必要などありません。私はただ、お目通りを願っております……第6王女たる、このティアンナ・エルベットが」

「だ、第6王女殿下……!」

 近衛兵たちの動きが、固まった。

 そこへ、どこからか、不機嫌そのものの声が浴びせられる。

「何をしておるか、お前たち……」

 聞き覚えのある声だった。この高圧的で神経質そうな声を、ティアンナは王宮で、何度も耳にした事がある。

 騎兵たちが、一斉に馬を下りた。

 そして歩兵らと共に、その場に跪いて頭を垂れる。

 現れたのは一際、豪奢な甲冑に身を包んだ、1人の騎士だった。

 否、とても騎士とは呼べないだろう。

 1人の兵士に、馬を引かせている。その馬にまたがった姿はふらふらと危なっかしく、いつ落馬してもおかしくない。

 勇壮な兜が似合っていない、むくんだ顔。小太りの身体。

 今にも鞍からずり落ちてしまいそうな、その甲冑姿の貴人が、なおも言った。

「この私に、下賎なる者どもに直接、声をかけよと申すのか?」

「はっ、も、申し訳ございません……聞け! 村の者ども!」

 騎兵隊長が立ち上がり、大声を出した。

「こちらはヴァスケリア王国第2王子モートン・カルナヴァート殿下であらせられる。我らはこの度、凶悪無道なる逆賊ダルーハ・ケスナーを打倒すべくモートン殿下を総大将に戴き、王都奪還及び臣民救済のための軍を興した。うぬら村人のうち齢15を超えたる男子全員、謹みて我が軍の兵士となるべし。その他の者には、貯えたる物の供出を命ずる」

「……そういうのを世迷い言というのですよ、兄上様」

 ティアンナが言うと、モートン王子のむくんだ顔面が強張った。

「お、お前は……生きておったのか」

「お互い、民のために命を捨てねばならぬ身でありながら、無様にも生き延びてしまったという事です……だから兄上、威張るのはおやめなさい。敗れた王族に一体、何の権威がありましょうか」

「だっ黙れ! 敗れたわけではない!」

 馬から落ちそうになりながら、モートン王子が怒りわめく。

「小賢しき逆賊めに、一時的に王宮を騙し盗られただけだ! この私が百万の軍勢を率いてダルーハ・ケスナーめを討ち滅ぼし、王都と玉座を取り戻す! ヴァスケリア王家は、少なくともこのモートン・カルナヴァートは、敗れておらぬ!」

「……そうだな。貴様は、敗れたわけではなさそうだ」

 ガイエルが言った。黙らせなければ、とティアンナが思った時には、遅かった。

「戦ってすら、いないのだからな。その綺麗な鎧と旗を見ればわかる」

「おっ、おのれは……ッ!」

 モートン王子のむくんだ顔が、怒りのあまり赤黒くなっている。

 なおも容赦なく、ガイエルは言った。

「あと貴様、馬に乗れないのなら下りろ。馬が迷惑をしている」

「だっ黙らせよ! これなる痴れ者を、無礼者を!」

 モートン王子が、周囲の近衛兵団にわめき命じた。

「殺せ! 私の目の前で処刑せよ!」

「やめなさいッ!」

 ティアンナは叫んだ。

 凛とした怒声が響き渡り、モートン王子が馬上でビクッと硬直する。

 王子の命令通り動こうとしていた近衛兵たちも、固まってしまう。

 じっと兄王子を見据え、ティアンナは言葉を続けた。

「ガイエル様がお怒りになれば、1人2人が死ぬ程度では済まないのですよ兄上。貴方の御命令1つで人が死ぬ。どうかそれを、おわかりいただきたいと思いますが」

「きっ貴様、妹の分際で……!」

「そこまでにしておけ、モートン王子とやら」

 恐いほど静かな声で、ガイエルは言った。

「……どうしたものかな、ティアンナ姫」

「何が、でしょうか……?」

「俺は思うのだがな。ダルーハ・ケスナーと戦うつもりなら、この無能者の王子はここで始末しておいた方がいい。反ダルーハの勢力は、貴女の下で統一するべきだ」

 赤黒く染まっていたモートン王子の顔に、さっと青さが加わった。さらなる激怒か、あるいは恐怖によるものか。

 その時。バサバサッ! と羽ばたきの音が、上空から聞こえて来た。続いて、声。

「見つけましたぞ第2王子殿下! よくお逃げになりましたなァー!」

 魔石の剣を抜いて構えながら、ティアンナは見上げた。

 ガイエルも、それに近衛兵たちも見上げている。大勢の視線が、空中の一点に集まった。

 異形、としか言いようのない生き物が、そこで翼を広げていた。

 一対の、皮膜の翼。それが力強く空気を打って羽ばたき、巨体を空中にとどめている。

 筋骨隆々の巨体だった。四肢も胴体も、膨れ上がった筋肉と固い外皮とで、まるで岩のようになっている。

 首から上も、まるで目鼻口のある岩石といった感じで、その口が大きく裂けて牙を剥き、長い舌を躍らせ、言葉を発しているのだ。

「雑兵を楯にしての、お見事なる逃げっぷり! 我ら実に感服つかまつってござる!」

 言葉と共に、異形の巨体が降下して来る。体格的に、長時間の滞空は無理なのだろう。

 そんな巨体の中で、最も異形の度合いが激しいのは、両腕だった。

 左腕の肘から先は、一言で表現するならば、鞭である。

 背びれを思わせる棘をびっしりと生やした、巨大な肉の鞭。腕から生えたものでありながら、その形状は尻尾のようだ。

 左手が尻尾なら、右手は頭だった。

 五指は無く、代わりに、牙のある怪物の大口が開いている。2本の角を生やした、爬虫類の、あるいは竜の頭部。

 うねる尻尾を左腕から伸ばし、本当に肉食の出来そうな口を右手の先端に開いた、有翼の怪物。

 何者であるのか考えるまでもなく、ティアンナは呟いた。

「魔獣人間……」

「いかにも姫君、我が名は魔獣人間ワイヴァートロル! ダルーハ様の命によりヴァスケリア王家のクソッタレども、ぐっちゃぐちゃにブチ殺させていただき申す!」

 名乗り叫びながら、魔獣人間がズシリと着地する。

 と同時に彼の左手、尻尾状の肉の鞭が、跳ねてうねった。

 近衛騎兵の1人がグシャアッ! と音を響かせて、空中に舞い上がった。重い甲冑をまとう身体が高々と宙を飛び、ティアンナの近くに落ちて来る。

 地面に激突した時には、その騎兵はもう生きていなかった。

 原形をとどめていない上半身が、白い煙を発している。

 甲冑と肉体がいっしょくたになって潰れ、溶け合い、そこから幾本もの肋骨がでたらめに突き出ているのだ。

 さらに2人の騎兵が、同じような状態になりながらグシャッ、バキッ! と落馬し、鎧と肉の溶け合ったものを地面にぶちまけた。

「さぁお逃げなされモートン殿下にティアンナ殿下! 兵隊どもを、あるいは市井の者どもを楯として! それが王族というものでござろうがぁー!」

 叫びながら、魔獣人間ワイヴァートロルが左腕を振るう。

 竜の尻尾に似た鞭が、びちゃびちゃと液体のようなものを飛び散らせながら激しくうねる。背びれ状の棘から、分泌されているようだ。

 毒液。それがティアンナにはわかった。鋼の鎧を溶かす、腐食性の猛毒。

 それをジュクジュクと滲ませた肉質の鞭が、また1人の近衛兵を打ち据える。甲冑と肉がグシャアッと溶け合い、潰れながら吹っ飛んだ。

「さあさぁお逃げくだされ王家の方々! この拙者が追いかけて、楽しく愉しく狩り殺して差し上げましょうほどに!」

 ワイヴァートロルの声に合わせ、猛毒の尻尾が超高速で宙を泳ぐ。

 近衛歩兵が2名、甲冑と肉の残骸に変わりながら飛び散った。

 村の広場は、恐慌状態に陥った。

 村人たちは逃げ惑い、近衛兵らは辛うじて応戦の構えを取ろうとしながらも、混乱している。

 人間よりも、まず馬たちが恐怖に耐えられなくなっていた。軍馬の1頭が、甲高くいななきながら竿立ちになり、騎兵を振り落としてしまう。

 落馬した騎兵の腹を、ワイヴァートロルが片足で踏みつけた。岩のような足が、甲冑をグシャリと凹ませる。

 口から臓物を吐き出しながら、その騎兵は絶命した。

「ああ、人間をやめた甲斐があったというもの……」

 屍を踏みにじりつつ、魔獣人間がうっとりと声を漏らす。

「思うがままに人間どもをブチ壊す、愉しきかな悦ばしきかなぁーッ!」

 快楽の絶叫と共に、肉の鞭が毒液を飛び散らせ、超高速でうねり狂う。

 騎兵が1人、歩兵が2人、着ている鎧と溶け合いながらグシャグシャに砕け散った。

 村長が、震えながら立ち尽くしている。そこへも、魔獣人間の毒鞭は容赦なく襲いかかる。

「危ない……!」

 声を出しながらも、ティアンナは動けなかった。両足が、震えながら固まってしまっている。恐怖心は、まず足に表れるものだ。

 そんなティアンナの代わりに、ガイエルが動いていた。村長に駆け寄り、突き飛ばす。

 もちろん彼が本気で突き飛ばしたら命は無い。充分に力加減はしているのだろう。村長は、少し離れた所へ倒れ込んだだけで済んだ。

 倒れた村長を、村人の何人かが助け起こし、引きずるように連れて行く。

 ティアンナが安堵した、その瞬間。ガイエルの身体が宙を舞った。血飛沫と毒液が、飛び散った。

 ワイヴァートロルの、左手の尻尾。村長を打ち殺すはずだったその一撃が、ガイエルを叩きのめしたのだ。

「ガイエル様……!」

 ティアンナが、叫びながら息を呑んだ。

 ガイエルの裸身が、高々と吹っ飛んで行く。

 近衛兵たちと違って、原形はとどめている。が、生死を確認している暇はない。

「ほぉう、お逃げにならぬとは……よもや拙者と戦うおつもりではありますまいなぁ、いと可憐なる姫君よ」

 ワイヴァートロルが、そんな言葉をかけてきたのだ。

 応えず、ティアンナは叫んだ。

「近衛兵団! 村の人々を守りなさい!」

 モートン王子の姿は見えない。早々と逃げたのか、あるいは近衛兵もろとも殺されてしまったのか。

 とにかく今は、自分が的確な指示を下して村人らの身の安全を守る時だ。とティアンナは思い定めた。

(ガイエル様……)

 彼の安否を無理矢理、頭から追い払いつつ、ティアンナは剣を掲げた。

 魔石が輝き、その光が刀身へと流れ込んで、雷鳴を発する。

 掲げられた刃から、電光が迸った。そしてワイヴァートロルを直撃する。

「むっ……」

 異形の巨体が痙攣し、動きを止める。一時的に感電させる、くらいの事は出来た。

 ティアンナはやや猫背気味に身を屈めながら、魔石の剣の柄を両手で握り込み、電光の刃を正面に向けた。

 刀身の根元で魔石が輝き、少女の弱々しい魔力を一気に増幅する。

 放電していた刃が、赤く燃え上がった。

 轟音を発して燃え盛る、紅蓮の炎。をまとった剣を振り上げながらティアンナは、すくんでいた両足を無理矢理に動かして駆け出し、跳躍した。

「はああっ!」

 気合いの叫びに合わせ、魔石の剣が、さらに激しく燃え上がる。

 猛る炎に包まれた刃を、ティアンナは空中から思いきり振り下ろした。ワイヴァートロルの、太い頸部を狙ってだ。

 とてつもなく強固な手応えが、ティアンナの細い両手を痺れさせた。

 振り下ろされた炎の剣が、魔獣人間の頑強な首筋を思いきり殴打し、思いきり跳ね返されていた。僅かな裂傷も火傷も、負わせる事は出来なかった。

「きゃっ……」

 痺れた手で辛うじて剣を保持したまま、ティアンナは無様に尻餅をついてしまう。小さな腰鎧があられもなく開いて、純白の下着が丸見えになった。

「ぐっふふふ……いと可愛ゆい攻撃をなさる姫君よ」

「うっく……っ」

 慌てて左右の太股を閉じながらも、ティアンナは立ち上がれない。両手のしびれと尻の痛みに耐えるのが、精一杯である。

 そんな少女に、ワイヴァートロルが右手を向ける。怪獣の頭部の形状をした手首が、牙を剥き、長い舌を躍らせた。

「さぁて、どこから喰ろうて差し上げようか……」

 愉しげな、その言葉が終わらぬうちに。ワイヴァートロルの顔面が、衝撃で歪んだ。

 ガイエルの飛び蹴り。長い左脚が綺麗に伸びて、魔獣人間の口元にめり込んでいる。

 ワイヴァートロルの巨体が揺らぎ、後退りをし、辛うじて倒れずに踏みとどまる。

 ガイエルのしなやかな裸身が、空中でくるりと回転し、ティアンナの眼前に着地した。

「ガイエル様……」

 尻餅をついたまま弱々しく、ティアンナは呼びかけた。

 ガイエルは、無傷ではなかった。肩から背中にかけて、猛毒の鞭による殴打の跡がザックリと刻印され、血を流しながらシューシューと白煙を立ちのぼらせている。

「う……っ」

 ガイエルが呻き、軽く頭を押さえた。

 傷が痛む、わけではないようだ。もしや、記憶が甦りつつあるのか。

「うぬは……何故、生きておるのか」

 ワイヴァートロルも、呻いている。

「拙者の一撃を受けて何故、死なぬ。何故、動ける。何故、原形をとどめておる」

「……そんな事、俺が知るか」

 言いつつ1歩、ガイエルは魔獣人間に歩み寄った。

 ワイヴァートロルの巨体が1歩、後退りをする。岩のような顔面が、引きつった。

「うぬは……き、貴殿は……!」

「ほう……貴様まさか、俺を知っているのか」

 低く、ガイエルが笑った。

「教えてくれんかな、頼むよ……痛めつけて聞き出す手間を、省きたいのだ」

「教えてやらん。思い出させもせぬ」

 ワイヴァートロルが右手を上げる。

 と同時に。広場を囲む家々の屋根の上に、大量の人影が現れた。

 黒色のローブをまとい、その下に鎖帷子を着込んだ、部隊規模の男たち。

 1人の例外もなく、杖を手にしている。先端に魔石がはめ込まれた杖だ。

「攻撃魔法兵士……!」

 ティアンナが息を呑んでいる間に、ダルーハ軍の攻撃魔法兵団は、一斉に杖を構えた。

 数十個もの魔石が、屋根の上から広場を囲みつつ、ぼぉ……っと発光し始める。

 その光が赤く、激しさを増してゆく。

「貴様……!」

 ガイエルが見回し、怒声を漏らす。

 ワイヴァートロルはニヤリと笑い、

「ダルーハ様は言われた。貴殿が死に損なっているようであれば殺しておけ、となぁ」

 言いながら、羽ばたいた。広い皮膜の翼がバサバサッ! と空気を叩き、巨体が高々と空中に舞い上がる。

 と同時に。広場を囲む数十本もの魔石の杖が、一斉に爆炎を吐き出した。

 攻撃魔法兵士1部隊による、全方向からの火炎攻撃。

 だがティアンナは、そんなものを見てはいない。

 今、視界の中にあるのは、1人の小さな女の子が泣きじゃくっている様だけである。

 先程、ダルーハ兵にさらわれそうになっていた女の子だ。この混乱の中で、母親とはぐれてしまったのだろう。

 村人や近衛兵、とにかく逃げ惑う大人たちに今にも蹴飛ばされそうになりながらも座り込んで、ただ泣いている。

 その女の子も、村人たちも。彼らを蹴散らすように逃げ回る近衛兵団も。ティアンナもガイエルも。

 全てを焼き尽くす勢いで、炎の荒波が、全方向から降り注いで来た。

 ティアンナは立ち上がると同時に駆け出し、泣きじゃくる女の子に覆い被さった。

 こんな事をしても意味はない。1部隊分もの攻撃魔法が、降り注いで来ているのだ。

 いくら庇い合ったところで、ティアンナもこの幼い少女も、一緒くたに灰と化す運命は免れないだろう。

 と、わかっていても。ティアンナの身体は、勝手に動いていた。

 小さな女の子を、押し倒すように抱きすくめ、もろともに地に伏せる。

 そんなティアンナの上から、さらに何者かが覆い被さって来た。

 ガイエルだった。美しい胸板が、しなやかで力強い両腕が、幼い女の子もろともティアンナを後ろから抱き包む。

(私、抱かれている……裸の、殿方に……)

 そんな事をティアンナがつい思ってしまった瞬間。様々な方向から降り注いで来た火炎が、荒々しく広場に満ちて渦巻いた。

 凄まじい熱量が、轟音を立ててティアンナを包み込む。

 自分もガイエルも、一瞬後には灰に変わる。

 そう思いながらティアンナは、名も知らない小さな女の子の身体を、思いきり抱き締めていた。

 空耳、であろうか。ガイエルが、何事か呟いたようである。

 ティアンナの耳元で、だが何か語りかけてきたわけでもなく。謎めいた呟きを、ガイエルは確かに漏らした。

「悪竜……転身……」



 自分の周囲で一体何人、人が死んだのか。

 それをガイエルは、ひとまず考えない事にした。冷静でいられなくなるのは間違いないからだ。

 村の広場で吹き荒れていた炎の嵐は、ひとまず止んでいた。

 ゆっくりと、ガイエルは翼を広げた。

 ワイヴァートロルのものとほぼ同じ大きさの、皮膜の翼。背中から、マントの如く広がっている。

 同時にガイエルは、巨大な蛇のようなものを伸ばし、うねらせた。

 棘状の鋭利な突起を多数、背びれの形に生やした、それは尻尾である。

 自分に翼と尻尾がある事を、ガイエルは本当につい先程、思い出したのだ。

 長い尻尾に巻かれ、その上から広い翼に包まれ、炎の嵐から守られていた者たちが、姿を現した。

 身を寄せ合う、2人の少女。

 ティアンナと、名も知らぬ幼い女の子である。

 人の前腕の形をした奇怪な甲殻生物、のような両腕に抱かれ包まれたまま、ティアンナは呆然としている。自分たちが生きている事に、まだ気付いていない様子だ。

「…………ガイエル……様?」

 泣いている女の子を抱きすくめたまま、ティアンナが呟く。

 ガイエルはゆらりと両腕を広げ、少女たちを抱擁から解放した。

 甲殻化し、なおかつ刃のようなヒレを生やした、まさに凶器そのものの左右の前腕。こんな両腕で抱かれていて、少女2人はさぞかし恐い思いをしていた事だろう。

 同じく甲殻化し、刃に似た幾本もの爪を伸ばした、外骨格のブーツとも言える両足。今は、地面に片膝をついている。

 先程はこの両手両足で、魔獣人間を1体、惨殺してのけた。

 あの時とは比べ物にならないほどガイエルの肉体は今、異形化を遂げていた。

 赤い。血、よりは炎に近い、真紅の身体。所々に、黒い筋が走っている。

 両手両足のみならず両肩、胸板、腰周りまでもが、鎧の如く外骨格化していた。

 それ以外の部分……たくましい二の腕、引き締まった腹部、力強い左右の太股は、鎖帷子に似た鱗で覆われており、もはや剣や槍の類では傷を負わせる事が出来そうにない。

 少し長めでいくらか女性的でもあった赤い髪は、眩しいほどの黄金色に変色しながら、さらに長く伸びていた。

 翼ある背中を撫でて揺らめく、どこか炎にも似た金髪。それと共に4本の角が、後ろ向きに伸びている。

 呆然と見上げてくるティアンナの瞳、に映った己の容貌を、ガイエルは観察した。

 全体が外骨格化した顔面。まるで、甲殻で出来た仮面である。形整った輪郭に、人間ガイエル・ケスナーの面影が、辛うじて残っていなくもない。

 そんな甲殻の仮面の中で2つ、烈しい光が爛々と燃え盛っている。炎、そのものの眼光。

「ガイエル様……なのですか……?」

「そうだ。我が名はガイエル・ケスナー」

 改めて、ガイエルは名乗った。外骨格の仮面に覆われた発声器官が、言葉を発する。

「……全て……思い出した……」  

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