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第48話 魔神デーモンロード

 破裂した内臓が、体内で蠢きながら修復されてゆく。

 その痛みで、リムレオンは辛うじて意識を失わずにいられた。

「唯一神よ、この御方に癒しを……」

 レイニー・ウェイル司教が祈りを呟きながら、片手をかざす。その掌が淡く発光し、リムレオンの身体を優しく照らしている。

 癒しの力、である。

「うっ……ぐぐ……」

「痛い? 領主様」

 呻くリムレオンの身体を抱き起こしながら、セレナが心配してくれている。

「ヴァレリア様がおっしゃってたわ。うちの息子は弱いくせに無茶ばっかりするって……その通りなんだから、もうっ」

「無茶したつもりは、ないよ……マディック殿が、予想以上に強かった。それだけさ……」

 と言うより、自分が弱過ぎる。リムレオンは、そう思わざるを得なかった。

「……お加減はいかがですか、御領主様」

 レイニー司教が、声をかけてくる。

 リムレオンは、セレナの腕の中から起き上がった。

 普通に動ける。痛みの余韻のようなものが、うっすらと体内に残っているだけだ。

「もう大丈夫です……ありがとうございました、レイニー司教」

「お礼は、私が申し上げなければなりません」

 レイニーが、恭しく跪いた。

「御領主様には、身を呈して守っていただく形となってしまいました……私がマディック・ラザンを怒らせてしまったばかりに、大変なお怪我を」

「それより司教殿。彼が口にしていた……ガイエル・ケスナーとは一体、何者なのですか」

 その名を口にするだけで、何故かリムレオンは禍々しさを感じてしまう。

「ケスナーという姓……あのダルーハ・ケスナーの縁者なのでしょうか」

「息子である、と本人は言っておりました。ダルーハ・ケスナーの息子として、父親の行いを後始末せねばならないと」

 ダルーハの息子。

 かの竜退治の英雄は、赤き竜に捕われていた王女を救い出して妻に娶り、側室は1人も持たなかったという。

 つまりガイエル・ケスナーとはヴァスケリア王家の血縁者、リムレオンと同じくティアンナの従兄弟に当たる人物、という事になるのか。

「……あたしも聞いた事ある、ガイエル・ケスナーっていう名前。親父が言ってた」

 セレナが、何か思い出すような仕草をした。

「何か、とにかく恐い人なんだって。その人が動き出す前に、世の中をまともにしなきゃいけないって、魔法の鎧を造ってたんだけど」

「恐い人か……確かに……」

 レイニー司教が、何やら本当に恐がっている。

「ガイエル・ケスナー……彼は、言うならば強大過ぎる正義。彼によって邪悪であると判断されたものは即、この世から消えて失せる。その光景を目の当たりにした者は、暴力に魅せられ、暴力の虜となってしまう。全てを暴力で解決しようとする人間になってしまうのです。マディックのように……」

「マディック……そうだ、彼を止めなければ」

 領民を大量に殺す、などとマディック・ラザンは言っていた。言った事を彼が必ず実行するとは限らないが、実行しないとも限らない。

 追おうとするリムレオンの右腕に、セレナがするりと細腕を絡ませてくる。

「だから無茶しなさんなって。今ボコボコに負けたばっかりでしょ? このままじゃ何回戦っても同じ事にしかならないって事、頭じゃわかってんだよね領主様も」

「だ、だからって何もしないわけには」

「もちろん、この草食系な身体が急に強くなるわけないんだけども」

 リムレオンの細い腕や薄い胸板を、馴れ馴れしく触り回しながら、セレナは言う。

「魔法の鎧の方は若干いじる余地があるかも知んないから……ちょっと、見せてもらうね」

 言いつつリムレオンの右手を取り、竜の指輪に視線を注ぐ。そうしながらセレナは、何か念じたようだった。

 竜の指輪が、光を発した。

 魔法の鎧を装着する時の光、ではない。指輪から空中へと、何か図形のようなものが投影されたのだ。

 光で出来た、窓枠。無理矢理に言葉で表現するなら、そうなる。

 その光の窓枠の中に、同じく光で組成された文字らしきものが整然と並んで、いくつか列を成していた。

 リムレオンには判読不可能な、それら文字列の1つに、セレナが軽く指を触れた。

「ええと、性能諸元は……っと」

 もう1つ、光の窓枠が空中に出現した。その中にも、解読不能な光の文字で何かいろいろ書かれているが、当然リムレオンには読めない。セレナには、読めるようだ。

「うっわ……何このショボさ?」

 読みながら、彼女は何やら驚いている。

「親父の奴、実験の時から全然手ぇ加えてないじゃない。ちょっと戦歴も見せてもらうね……ふんふん。へええ、こんなので魔獣人間を4匹もやっつけちゃってる。まあ何かボコボコにやられてる回数の方が多いんだけど」

 空中に次々と開いてゆく光の窓枠を眺めつつ、セレナは感心していた。

「いやまあ、想像を絶する低性能。こんなので今まで戦って生きてこられたなんて……領主様、ナヨナヨ君に見えて実はすっごく強かったりする?」

「いや……そんな事はないと思うけど」

「とにかく5分くらい時間ちょうだいな。少なくとも姉貴と同じくらいの事は出来ると思うから」

 言葉に合わせて、セレナの綺麗な両手が目まぐるしく動き始める。繊細な指先が、いくつもの光の文字列を撫で、光の窓枠を空中あちこちに開いてゆく。

 それら全てに両手の指を走らせるセレナの動きは、まるで複数の楽器を同時に奏でているかのようでもある。

 と言っても、音は聞こえない。ただ光の文字列が、全ての窓枠の中で消えては生じ、生じては消えてゆく。

 真剣な眼差しで、光の窓枠全てを見据えながら、セレナは光の文字列を、楽器の鍵盤の如く操作し続けた。

 チカチカと照らされる彼女の美貌に、リムレオンは思わず見入った。こんな知的な表情が出来る少女だとは思わなかった。

「……さて、こんなとこかな」

 一息つきながらセレナは、どこからか取り出した小さな物を、右手の中指にはめた。

 指輪、である。

 竜の指輪ではない。竜ではなく、蛇が環を成した意匠である。

 それが、少女の中指で光を発した。

 空中に、また1つ光の窓枠が現れた。窓枠だけだ。光の文字は、1つも表示されていない。

「ごめん、ちょっと……情報の複製だけ、させてもらうね?」

 意味不明な事を言いながらセレナは、光の文字列の1つに指を触れた。

 空中に一瞬だけ、砂時計が発生し、消えた。

 空っぽだった光の窓枠が、いつの間にか文字列で満たされている。

 その窓枠が、セレナの右手の中指、蛇の指輪へと吸い込まれて消え失せる。

 他の窓枠は全て、リムレオンの指輪に、同じように吸い込まれて空中からは消え失せた。

「これで大丈夫……少なくとも、あのマディックさんとは普通に戦えると思う。でも勝てるかどうかは領主様次第だよ?」

「わかっているさ……ありがとう、セレナさん。何をしてもらったのか、よくわからないけど」

 礼の言葉と共に、リムレオンは右の拳をグッと握り込んだ。

 勝てるかどうかは自分次第。それは、この指輪をティアンナに投げ渡された時からの事だ。



 5人とも、そこそこ腕は立つようだ。が、ブレンがこれまで戦ってきた連中……例えばメイフェム・グリムなどと比べると、比べるのも気の毒になるような者ばかりである。

 そんな兵士5名が、一斉に襲いかかって来る。

 槍を構えた者2名、長剣を振りかざす者1名。戦斧を持った者1名。2振りの小型剣を左右それぞれの手に握った、二刀流の者1名。

 彼らによる襲撃のまっただ中へと、ブレンは徒手空拳のまま踏み込んで行った。

 歩兵用の軽い鎧だけをまとった巨体が、ゆらりと躍動して槍を、長剣を、かわしてゆく。戦斧の一撃を手刀で受け流し、続いて二刀流の攻撃をも回避する。

 一連の攻撃を全てかわされた兵士5人が、そのまま倒れた。

 ある者は気を失い、ある者は痛みに呻き、のたうち回る。

 かわしながら拳や蹴りを叩き込んだブレンの動きを目視出来た者が、この場に果たして何人いるだろうか。

「何だ……何事が起こったのだ?」

 最も偉そうな席に座ったライアン・ベルギ侯爵が、呆然としている。

 その傍らに控えた初老の男が、解説をした。

「ブレン・バイアス殿が、とてつもない早さで反撃を行ったのですよ。左の手刀に始まって、右の拳、左の肘、右の膝……最後は左の掌打。で間違いなかろうか? ブレン殿」

「……仰せの通りで」

 ブレンは跪き、恭しく頭を垂れて、緊迫した表情を隠した。

 動きを、完璧に見て取られた。武芸とは全く縁のなさそうな、いかにも文官といった感じの初老の男にだ。

 ロッド地方領主ライアン・ベルギ侯爵の側近の中で、最も油断ならないのは、やはりこの初老の下級貴族……デキウス・グローラーという男である。

 どこか闘技場にも似た趣のある、ロッド地方軍の練兵場。

 この度の徴兵・募兵によって集められた兵士たちの中で特に腕自慢の者たちによる武術試合のような催しが今、ここでは行われている。エルベット家に戦を仕掛ける、その前の景気付けのようなものだ。

 領主ライアン・ベルギ以下、ロッド地方貴族の主だった人間たちが観戦に訪れているが、その中で注意を要するのは、やはりデキウス・グローラー1名である。

「いや……見事である、ブレン・バイアスとやら」

 ライアン侯が褒めてくれたので、ブレンはとりあえず恭しい平伏を続けた。

「そなたも知っての通り、エルベット家の暴虐はとどまるところを知らぬ。エル・ザナード1世の存命中には女王の親族として専横を極め、女王亡き後は狡猾にもディン・ザナード4世の後ろ楯の地位に収まり、暗愚な新国王を傀儡として国政を私物化せんとしておる」

(なるほど……外から見ると、そういう事になってしまうのか)

 ブレンは頭を垂れたまま苦笑した。

 エルベット家が暴虐の貴族と言われるようになってしまった、その原因を作ったのは自分ブレン・バイアスである。

 主君リムレオン・エルベットが助命してしまいかねなかったバウルファー・ゲドン侯爵を、横からしゃしゃり出て殺害した。それによって空位となったサン・ローデル領主の地位にリムレオンが収まる事となってしまったのだから、これは確かに、エルベット家がゲドン家からサン・ローデル地方を奪ったという事にしかならない。

「ヴァスケリア王国の臣として……エルベット家は、討ち滅ぼさねばならぬ」

 ライアン侯爵の話を聞きながらブレンは、同じ事をここでもしなければならないか、と思った。

 領主ライアン・ベルギを始めロッド地方貴族の主だった者たちを、今ここで皆殺しにしてしまえば、エルベット家への侵攻は未然に防げる。人間の軍隊による侵攻は、である。

 ロッド地方軍には、魔物の軍勢が与力しているのだ。未然に防がなければならないのは、彼らの動きである。

「そなたのその力、戦場で大いに振るうが良い……期待しておるぞ、ブレン・バイアスよ」

「ありがたき御言葉、身に余る光栄でございます」

 適当な受け答えをしながらブレンは、素早く練兵場を見回し、偉そうに見物している地方貴族たちを観察した。

 どうにも油断ならないのは、やはりデキウス・グローラーただ1人……いや。もう1人、別の意味で油断ならない人物がいた。

「ブレン……ブレン・バイアスだと……」

 ライアン侯爵に近い、貴賓席のような場所に座った、肥満体の男性貴族。

 己のうかつさに、ブレンはつい音を立てて舌打ちをした。

 亡きバウルファー・ゲドン侯爵の遺族代表者、ガートナー・ゲドン伯爵である。

 ゲドン家の残党が、エルベット家への復讐のため、他領の地方貴族と結びつく。そのくらいの事態は当然、考慮しておくべきであった。ライアン侯爵としては、このガートナー伯爵をサン・ローデル地方の正当なる領主として担ぎ上げて大義名分を作り、エルベット家を攻撃するつもりであろう。

 そして、このガートナー・ゲドンは、ブレンの顔を知っている。リムレオンの眼前で1度、手ひどくやり込めてやった事があるのだ。

「まさかと思い、見ておったが……やはり貴様かブレン・バイアス!」

 ガートナーの肥満体が怒りを漲らせ、貴賓席から勢いよく立ち上がる。

「ど、どうなされたガートナー伯爵……」

「ライアン侯爵閣下、騙されてはなりませんぞ。このブレン・バイアスなる男、エルベット家の忠実なる猟犬として様々な汚れ仕事をこなしておる者でございます!」

 決して間違ってはいない言葉と共にガートナーが、震える人差し指をブレンに向ける。

「我が父バウルファー・ゲドンも、こやつの手にかかって果てました……同じようにライアン・ベルギ侯爵閣下のお命をも狙うかブレン・バイアス! 手段を選ばぬエルベット家のやりそうな事よ!」

「な……え、エルベット家の……刺客と……?」

 ライアン侯爵が怯え、他の地方貴族たちもざわつき始める。泰然としているのは、デキウス・グローラーただ1人だ。

 兵士たちが、慌ただしく練兵場に下りて来てブレンを取り囲み、一斉に槍を突き付けてくる。

 何10本もの槍先に囲まれたブレンに、ライアン侯が怯えながら問いかけた。

「そ、それは真かブレン・バイアス……貴様、エルベット家の命を受けて我が軍に潜り込み、私に害を及ぼさんとしておるのか!」

「……それは貴方様次第でございますよ、ライアン・ベルギ侯爵閣下」

 ブレンは開き直る事にした。槍ぶすまに囲まれたまま悠然と立ち上がり、領主の席を見上げ、ニヤリと微笑む。

 傷跡のある獅子のような笑顔を向けられ、ライアン侯は慌てふためいた。

「き、貴様……!」

「落ち着きなさい御領主様。このブレン・バイアスが最初からライアン侯のお命を狙っていたのであれば……貴方は今頃すでに、この世にはおりません」

 なだめているのか脅しているのか、ブレン自身にもよくわからぬ口調になってしまった。

「まあ落ち着いてお聞きなさい。バウルファー・ゲドン侯爵を捻り殺して城壁から投げ捨てたのは、確かに私でございます。が、それはエルベット家にとって、そうせねばならぬ理由があったからこそ。ガートナー伯爵殿ならば、ご存じでありましょうが……バウルファー侯は、人ならざる者どもと手を結んでおられました。大勢の領民が、人ならざる者どもの餌食となっていたのです」

「なっ、何をわけのわからぬ事を!」

 ガートナー伯が肥満体を震わせ、叫んでいる。

「我が父を殺しておきながら、わけのわからぬ理屈で正当化を図るつもりか!」

「そんなつもりはないよ伯爵殿。俺は貴公の父君を城壁から投げ捨てた殺人者、それ以上でもそれ以下でもない。このブレン・バイアスが今ここで申し上げておきたいのは……あれと同じ事を私がこの場で行わずに済むよう、ライアン・ベルギ侯爵閣下には振る舞っていただきたいと。それだけでございますよ」

「何を……言っておるのだ……」

 集まって来た護衛の兵士たちを楯にして後退りをしながら、ライアン侯はそれでもまだブレンとの会話を続けた。

 なのでブレンも、対話の努力を捨てまいとした。

「ライアン侯、貴方もまた人ならざる者どもと手を結んでおられる。が、今のところ領民に犠牲を強いている様子はない……ゆえに助けて差し上げようと申し上げております」

 ブレンの目が、怯える領主の傍らに立つ初老の男性貴族を、ちらりと睨んだ。

 デキウス・グローラー。

 この男が、何やら奇怪な、人間とは思えないものをどこかから呼び出し、何か命令を与えている。そんな場面を見かけたという者が、シェファの話では何人もいるらしい。

 ブレンの眼光を受けても、デキウスの表情は変わらなかった。品の良い微笑みを浮かべ、穏やかな眼差しをこちらに向けている。

 睨み返しながら、ブレンはなおも言った。

「ライアン侯……貴方の身辺に、魔物どもと繋がりのある者がいるという話を聞きました。その者を、我々はこの世から消さねばなりません。どうか見て見ぬふりをしていただきたい」

 さもなくば、どういう事になるか。軽く一暴れして、知らしめておく必要はあるだろうか。そう思いながらブレンは、右の拳を握り固めた。中指で、竜の指輪が微かに光る。

 その時。細身の人影が1つ、練兵場に飛び込んで来た。魔石の杖を携えた、若い娘。

「ブレン兵長! 何やってるんですか!」

 シェファ・ランティだった。何やら怒鳴りながら、こちらに駆け寄って来る。一暴れするべきかどうか、などというブレンの考えを、咎めているのか。

 いや。むしろ自分が一暴れする気満々な様子で、シェファは走り寄って来る。

「そいつ! そいつ、人間じゃありませんから!」

 走りながら叫ぶシェファの行く手を、兵士たちが阻もうとする。

 躊躇う事なくシェファは右手を振るい、身を翻した。愛らしい中指に巻き付いた竜の指輪が、キラキラと青い光をこぼす。

 それに包まれながら、シェファは叫んでいた。

「武装転身!」

 青い光が、魔法の鎧となって、少女の全身に定着する。

 それと同時に、シェファは跳んだ。

 青く武装した細身が、兵士たちを軽やかに飛び越え、空中でくるりと回転し、ブレンの傍らに着地する。

 そしてシェファは、自身が「人間ではない」と断定した者……デキウス・グローラーに、魔石の杖を向けた。

「お、おいシェファ……」

「ぐずぐずしないで! 早く魔法の鎧を!」

 ブレンに怒声を返しながらシェファは、魔石の杖に、己の魔力を集中させていったようである。

 先端の魔石が、赤く激しく輝いた。

 その輝きがドルルルルッ! と一直線に発射されて宙を裂き、デキウスを直撃する。

 傍らに立っていたライアン・ベルギ侯爵が、護衛の兵士たちもろとも一瞬にして灰に変わり、飛び散った。

 戦になれば、殺さなければならなかった者たちだ。ブレンは、そう思う事にした。

 それより問題なのは、直撃を喰らったデキウス・グローラーである。

 初老の男性貴族の、脆弱そうな身体が、炎に包まれている。立ったまま火葬されている、ように見える。

 あのメイフェム・グリムをも退却に追い込んだ、シェファの魔力光。直撃すれば人間の肉体など、炎上する暇もなく消え失せるはずだ。余熱を浴びただけのライアン侯や兵士たちは、灰と化して散った。

 なのにデキウスの肉体は、燃え盛りながら原形をとどめている。

 炎の中にうっすらと見て取れる、黒焦げの原形。

 それが気のせいか、一回り膨れ上がったように見えた。

「ブレン兵長なら、気配とかで気付いてくれると思ったんですけどね……」

 シェファが呻いた。

「あのデキウスって奴の身体から、人間じゃ有り得ない魔力が溢れ出しまくってました。あいつがその気になってたら、魔法の鎧を着てないブレン兵長なんか、一たまりもありませんよ」

「……どうやら、そのようだな」

 呆然と、ブレンは呟いた。

「何となく油断のならぬ奴、とは思っていたんだが……人間の皮を被るのが、とてつもなく上手い奴だ」

 その人間の皮を燃やされ、炎に包まれながら、デキウス・グローラーは笑っている。

「ふ……ふふふ……驚いたぞシェファ・ランティ。貴様ら人間どもが、よもやここまで痛快な力押しで来ようとはな」

 笑い声と共にバサッ! と翼がはためき、炎を消し飛ばす。

「まるで魔族ではないか……ええ? おい」

 そこに、初老の貴族デキウス・グローラーの姿はない。

 あるのは、ブレンを一回り以上も上回る巨体。

 鋼を練り固めたような筋肉は、どこか爬虫類的な青黒い外皮に包まれている。

 首から上は、肉食獣のようでもあり、猛禽あるいは怪魚のようでもあり、何かに例えるのは難しい。とにかく、気の触れた鍛冶屋が作った刀剣の如くねじ曲がった角を生やし、大きく迫り出した口吻に白く鋭い牙を見え隠れさせ、真紅の眼球を猛々しく禍々しく輝かせている。

 拳と蹴りだけで城壁を破壊してしまえそうな四肢の他に、一対の巨大な翼と長く鋭利な尻尾を生やしたその姿は、悪魔、としか言い表しようがない。比喩表現としての悪魔ではなく、物理的・生物的な意味においての純然たる悪魔だ。

 集まった地方貴族たちが、完全な恐慌状態に陥った。そちらを一瞥もせず悪魔が、

「まったく、人間どもの中でも……王侯やら貴族といった輩はなあ」

 軽く、左手を振るった。凶悪なまでに力強い五指が、掌が、赤く発光した。

 炎。それが悪魔の左手から、鞭の如く伸びながら燃え盛り、地方貴族たちを薙ぎ払う。

 泣き喚き、我先にと逃げて行く者。逃げようとして転倒し、起き上がれずに悲鳴を垂れ流す者……その全員が、一緒くたに焦げ砕けて灰に変わった。

「見苦しく泣き喚くばかりで、我が策略においては何の役にも立たぬ」

 ガートナー・ゲドン伯爵を含む地方貴族全員を灼き砕いた炎の鞭が、悪魔の言葉に合わせて蛇の如く揺らめき……そして、今度はブレンとシェファを襲った。

 2人はそれぞれ別方向に跳躍して、炎の鞭をかわした。

 かわされた紅蓮の一撃が、練兵場を掃き清めるように一閃する。

 かわし損ねた兵士たちが、ことごとく灰に変わって舞い散った。

 吹き荒れる遺灰をまともに浴びながら、ブレンは地面に転がり込み、起き上がりつつ拳を天空に突き上げた。

「武装転身……!」

 空中に投影された光の紋様から稲妻が迸り、魔法の鎧となって全身を包む。

 その装着の衝撃を感じながら、ブレンは魔法の戦斧を構えた。

 悪魔が、ゆったりと練兵場に下りて来る。人間デキウス・グローラーではない、真の名を名乗りながらだ。

「我が名はデーモンロード……赤き竜の配下筆頭、腹心とも言うべき地位に在った者よ。だが、それも今や過去の栄光に過ぎぬ」

 名乗りに合わせて、悪魔の左手が、そして炎の鞭が、小刻みに跳ねた。大人数を薙ぎ払う攻撃ではなく、ブレン1人を狙った小規模な一撃。

 小規模とは言え、まるで凶暴な大蛇の如くうねった炎の鞭が、荒々しくも正確にブレンを襲う。

 かわさず、ブレンは魔法の戦斧を思いきり振り下ろした。

 振り下ろされた斧が、炎の鞭とぶつかり合う。

 炎を打ったとは思えない、とてつもなく重い手応えが、ブレンの両手を震わせた。魔法の戦斧を、思わず手放してしまいそうになる。それに耐えて、しっかりと柄を握り締める。

 炎の鞭は、火の粉となって砕け散り、消え失せていた。

「ほう……」

 デーモンロードが、感嘆の声を漏らす。

 その間に、ブレンは猛然と踏み込んで行った。

「うおおおおおおおおおッッ!」

 雄叫びが終わる前にデーモンロードの眼前に達し、魔法の戦斧を振るう。渾身の一撃。

 だが、それが青黒い魔物の巨体に叩き込まれるよりも早く。ブレンの鳩尾に、凄まじい衝撃が叩き込まれていた。

 黄銅色のたくましい甲冑姿が、へし曲がって宙に浮いた。その腹部に、デーモンロードの右拳が打ち込まれている。

「ぐっ……ッ……!」

 ブレンは息を詰まらせ、同時に血を吐いた。厳つい面頬から、血反吐の飛沫が飛び散った。

「ブレン兵長!」

 叫ぶシェファに向かって、デーモンロードが左手を振るう。

 新たな炎の鞭が生じ、燃え盛る大蛇のようにシェファを襲った。

 彼女がそれを上手くかわしてくれたかどうか、を確認する前に、ブレンは倒れていた。

 呼吸はすぐに回復したが、吐く息よりも吐血の量が勝った。

「うぐっ……ゴボッ……がぁ……っ」

 こんな無様な声を出したのは、レミオル・エルベット侯爵に死ぬほどしごかれた時以来かも知れない。

 などと思いながらも立ち上がれずにいるブレンの身体を、デーモンロードが片足で踏み付ける。

「我ら魔族は、新たなる生き方を模索せねばならぬ……」

 何かを憂える口調で語りながら、デーモンロードはブレンの背中を踏みにじった。血反吐が体内から押し出され、面頬から地面へと流れ出す。

「策略を極めねばならぬ。他者を利用せねばならぬ……このように自ら手を汚す戦いなど、してはならないと言うのに……」

 シェファは炎の鞭を、どうやら上手くかわしてくれたようだ。

 魔石の杖をバチバチッ! と帯電させて身構える青い甲冑姿の周囲には、しかし新たな敵が出現しつつあった。

 まずは、光が生じた。

 それが、兵装をまとったオークに変わってゆく。大斧や戦鎚を持ったトロルに変わってゆく。そして、三又槍を構えたデーモンに変わってゆく。

 魔物の軍勢。デーモンロードによって、どこからか召喚されているようだ。

 これで魔物たちの発生源は明らかになった。己の血の味を噛み締めながら、ブレンはそう思った。要は今、自分を踏み付けている、この青黒い巨体の魔物を始末すれば良い。そうすれば、魔物の出現を絶つ事が出来る。

 それはわかった。それだけで、自分とシェファがロッド地方にやって来た、その目的の半分は達せられた。

 もう半分の重さでブレンを這いつくばらせたまま、デーモンロードが嘆いている。

「魔族の戦いとは、最終的には結局このような力押しになってしまうものか……嘆かわしきかなあ、実に」

 嘆きつつ、炎の鞭を振るう。

「ブレン兵長……!」

 危なっかしく転がり込んでそれを回避したシェファに、デーモンが1匹、トロルが2匹、襲いかかる。

 三又槍と大斧と戦鎚が、まだ起き上がりきらぬシェファに向かって突き込まれ、振り下ろされる……寸前。そのデーモンが、トロル2匹が、グシャッバキィッ! と血飛沫を散らせて吹っ飛び、倒れた。

 シェファが自力で何かした、わけではない。

 片膝をついて身をすくませている彼女の傍らに、男が1人、着地したところだった。

 練兵場に飛び込んで来ながら、怪物3匹に、拳を叩き込んだのか蹴りを喰らわせたのか、それはよく見えなかった。

 とにかくその男が、シェファを護衛する形に身構え、ブレンを見据える。デーモンロードの片足で踏み付けられ這いつくばった、黄銅色の騎士の無様なる姿を。

「……いい様だな、ブレン・バイアス」

 頬骨の目立つ顔をした、30歳前後の男。ブレンほど大柄ではないが、がっしりと力強い体格をしている。

 その男の憎まれ口に、ブレンは辛うじて応えた。

「……遅いではないか。臆病風に吹かれたかと思っていたぞ」

「俺はな、ゼピト村で世話になってる身だ。日々の仕事を、きっちりとこなさなきゃならん。暇じゃないんだよ、わかってるか?」

 左右から槍で突きかかって来たオーク2匹をかわし、無造作に手刀を振るいながら、ギルベルト・レインは言った。

「一方的な書簡で呼びつけて何をさせるかと思えば……何の事はない、貴様の尻拭いか」

 オークの生首が2つ、ころころと転がった。

 それらを軽く蹴飛ばしつつギルベルトは、ブレンを踏んでいる巨体の魔物と対峙した。

「ほう、魔獣人間か」

 デーモンロードが、興味深げな声を出す。

「ふむ……魔法の鎧よりも、こちらの方が貴様ら人間どもには合っておるのではないか? 我ら魔族への対抗手段としては」

「ダルーハ様がおられないからと、でかい顔をしてる奴らがここにもいるか……」

 ギルベルトの全身がメキッ! と震え、衣服がちぎれ飛んだ。

 青銅色の金属甲殻に包まれた力強い異形が、鉄槌の如き蹄で練兵場を踏む。

 3本の角を生やし、兜状に変化した頭蓋骨。その陰となった黒い顔面がシューッ! と蒸気のような息を吐く。

「いいだろう……力仕事を、やってやる」

 魔獣人間ユニゴーゴンの姿が、そこに出現していた。

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