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第47話 暴虐の聖戦士

 副王モートン・カルナヴァートが、新国王ディン・ザナード4世として即位すると共に、1つの声明を出した。

 自分が玉座と王冠を預かるのは、女王エル・ザナード1世が帰還するまでの間である、と。

 ティアンナが自らの意思で生死不明の行方知れずとなった、その理由に関しては、モートン副王は何も語ってくれなかった。

 とにかく彼はヴァスケリア国王となり、王国全土の地方領主に対して、勝手な領土拡張を禁ずる布告を出した。

 ほとんどの地方領主たちは、少なくとも表面上はそれに従って、今のところ叛乱的行動を何も起こしていない。

 やはり、エルベット家による後ろ楯が効いている。

 新国王ディン・ザナード4世ことモートン・カルナヴァート個人には人望も威光も無いに等しいが、王国西部の最大領主たるエルベット家の権威には、野心多き地方貴族たちも一目置かざるを得ないようだ。

 リムレオンは思う。ティアンナは、このような事態を想定して自分をサン・ローデル領主に任命し、エルベット家の力を強めておいたのではないか、と。

「何であれ迷惑だよ、ティアンナ……」

 サン・ローデル領主の城。その城壁の上から城下の街並を見下ろしつつ、リムレオンは呟いた。

 かつて自分はこの場所で、前領主バウルファー・ゲドン侯爵を殺害した。

 実際に手を下したのはブレン・バイアスだが、外から見れば、リムレオンが伯父を殺して領地を奪った、という事にしかならないだろう。

 あの時のように実際に手を汚す仕事を、ブレン兵長には、ロッド地方でもやってもらわなければならなくなるかも知れない。

 徴兵が行われている、とブレンは書簡で報告してきた。

 ロッド地方領主ライアン・ベルギ侯爵が、エルベット家に戦を仕掛けるべく、急激な兵力増強を行っているらしい。

 その徴兵に応ずる形でブレンとシェファはロッド地方軍に潜入し、いろいろと調べてくれている。

 結果、魔物たちの発生源が、どうやら領主ライアン侯にかなり近い所にあるらしいという事がわかってきたようだ。

 何もかも叩き潰す事になりそうです、とブレンは冗談めかした書簡を送ってきたのだが、事態は冗談で済ませられるようなものではない。

 仮にロッド地方軍が大々的に戦を仕掛けてきたら、そしてエルベット家が敗れるような事があれば。

 新国王ディン・ザナード4世は後ろ楯を失って無力化し、地方領主たちの勝手な領土拡張を止められなくなってしまう。ヴァスケリア王国全土が、戦乱状態に陥ってしまうのだ。

 このような時に、エルベット家の当主カルゴ・エルベット侯爵が、自領メルクト地方を留守にしている。モートン・カルナヴァートに付き従って王宮に赴き、支持者代表として即位戴冠式に出席し、そのまま新国王の側近となってしまったのだ。

 現在メルクトには代官が置かれているわけだが実質上、リムレオンがサン・ローデル及びメルクト両地方を統治しているようなものである。

「領地を増やして、何が楽しいんだ……」

 北のラウデン・ゼビル侯爵に倣って領土拡張に走ろうとする地方貴族たちに、リムレオンは問いかけてみたい気分だった。

「背負わなければならないものが2倍、3倍になってゆくだけじゃないか……」

「得られる富も2倍、3倍……そちらの方にしか目が向かない方々が多いようですが」

 誰かが、歩み寄って声をかけてきた。

 上品な髭を生やした、法衣姿の男性。高位の聖職者である。

「レイニー・ウェイル司教殿……これは、お出迎えもせず失礼を」

「私が勝手にお目通りを願っただけでございますよ、御領主様」

 レイニー・ウェイル司教。エミリィ・レアの話によると、ローエン派の聖職者として、大司教クラバー・ルマンにかなり近い地位にまで上り詰めた人物であるらしい。

 それが、どういうわけか中央大聖堂から遠ざかり、サン・ローデル地方教会へ司教として赴任して来た。栄転と見るべきか、単に飛ばされてしまっただけなのかは、よくわからない。

 ともかく、17歳などという年齢で領主を務める羽目になったリムレオンにとっては、得難い助言者の1人である。

 そのレイニー司教をここまで導いて来たのは、1人の下働きの少女だった。ドレスとエプロンが混ざり合ったような服を、愛らしく着こなしている。

「探しちゃった……もう、駄目ですよぉ。領主様は、あんまり歩き回らないで偉そうに椅子に座っててくれなきゃあ」

 セレナ・ジェンキムである。

 王宮で働きたいなどと言っていたので、とりあえず王宮へ推薦出来るほどかどうか、エルベット家で働かせて試しているところだ。

 母ヴァレリアの話では、そつなく仕事をこなしてはいるらしい。

「ちょっと外の空気を吸いたくなってね……」

 セレナにそう応えてから、リムレオンはレイニー司教に問いかけた。

「……北の情勢が、御心配ではありませんか? ラウデン・ゼビル侯爵は、侵略も同然のやり方で北部4地方を制圧してしまったと聞きます」

 殺された領主4名は、ローエン派と懇意であった。と言うより、クラバー大司教にとって使い勝手の良い操り人形であった。

 その操り人形を全て叩き潰し、新領主として北部4地方に強引に乗り込んで来たラウデン・ゼビル侯爵と、唯一神教ローエン派が、果たして折り合い良くやってゆけるのか。

 4地方のあちこちで、ラウデン侯の軍兵とローエン派信徒との間の、いがみ合いというか小競り合いのような事が起こっている、という噂もリムレオンの耳には入って来る。

「今のところ、人死には出ていないようですが……」

「北は何も変わりはしませんよ、御領主様」

 城壁の上から北の方角を見つめ、レイニー司教は言った。

「こう申し上げては何ですが、北部4地方は今や私どもローエン派が完全に押さえております。ラウデン・ゼビル侯爵は、以前の領主樣方と比べて覇気のあるお人のようですが、それで脅かされるほど脆弱なるものではありません……宗教による人民の支配というものは、ね」

「支配……と、はっきり言い切ってしまうのですか」

「北部4地方では、それに近い体制がもはや出来上がっております。独立国家……に等しいものと、なりつつある。そう申し上げてよろしいかと」

 リムレオンは息を呑んだ。

 バルムガルド王国が、どういうわけか実行に移そうとしない北の独立国家建設を、この司教は語っているのだ。前女王のみならず現国王ディン・ザナード4世とも近い、エルベット家の侯爵に対して。

「……これは、折を見てエル・ザナード1世陛下に申し上げなければと思っておりました。無用の動乱を避けるためにも、速やかに北部4地方の独立をお認めいただきたい、と。北の民は、もはや王侯貴族による支配を求めてはおりません。私ども教会勢力による統治が、定着してしまっております。これを無理矢理に外から破壊してヴァスケリア王制を押し付ける。それは北の民に、かのダルーハ・ケスナーによる暴虐にも等しいものとして受け止められるでしょう」

 現在の王国北部におけるローエン派の台頭。その要因を作ったのは、ダルーハ・ケスナーである。

 北部4地方の人民は、ダルーハ軍による戦災を止められなかったヴァスケリア王国を完全に見限り、唯一神教ローエン派による新しい支配を受け入れた。

 レイニー・ウェイルは、そう言っているのだ。

「この事を直接、女王陛下に申し上げる……そのために私は、エルベット家の御領地への赴任を志願したのです。エル・ザナード1世陛下への、謁見の機会を賜る。そのための伝手が欲しかったのですよ」

「なぁんだ、あたしと同じだね。教会関係者のオジサマ」

 セレナが、恐らく今日まで面識がなかったであろうレイニーの背中を馴れ馴れしく叩いた。

「あたしもね、ここで一生懸命お仕事して、そのうち女王様にお会い出来ればいいなぁーって……でも、その女王様が」

「……お2人とも、女王陛下にお会いするのは当分無理だと思いますよ」

 リムレオンは半ば無理矢理、笑顔を作った。ティアンナが生きている、というモートン国王の言葉を、今は信じるしかない。

「それよりセレナさん……君はもしかして、王宮で働きたいと言うよりティアンナに会うのが目的?」

「おっと、女王陛下を呼び捨て。やっぱ、そういう関係なんだねぇ」

「あ……いやその」

 にんまりと笑うセレナに対し、リムレオンはうろたえた。

「そういう関係って……どういう関係なんだ。僕と彼女は、単なる従兄妹同士で」

「あたし勉強した! 王侯貴族の人たちって、兄妹同士でも結婚しちゃうんでしょ?」

 セレナが、無責任にはしゃぎ始める。

「イトコ同士なんてさ、もう生まれつきの恋人同士みたいなもんなんじゃない? ねえ」

「な……何を言っている。不敬罪だよ、女王陛下に対して」

 うろたえながらもリムレオンは、脳裏に浮かんだものを慌てて懸命に掻き消した。

 幼い頃、溺れている自分を助けに泳いで来てくれた、ティアンナの裸身。

(不敬罪は、僕の方か……)

「……まあ、それはさておき」

 セレナが突然、冷静になった。

「あたし今、休憩時間なのよね。その間にちょっと済ませときたい事が……うん?」

 セレナが怪訝そうに振り向いた方を、レイニーも見た。リムレオンも見た。

 そして3人同時に、息を呑んだ。

 何者かが、城壁の上を歩いて、こちらへ向かって来る。重々しく甲冑を鳴らし、石畳を踏む足音を響かせながら。

「うそ……何で……」

 セレナが呻いている。何者であるのか、どうやら知っているようだ。

「何で……こんな所に……」

 不審者に城へ入り込まれるのには、リムレオンは慣れている。メルクトにいた頃には、魔獣人間やらゴルジ・バルカウスやら、様々な襲撃者がいとも簡単に城壁を乗り越え、エルベット家の関係者を脅かしたものだ。

 今、城壁の上を歩いて来ているのは、しかしどうやら魔獣人間ではない。

 重厚な、緑色の全身甲冑。右手に携えた、柄に至るまでが金属製の槍。

 エルベット家に仕える兵士、ではなかった。

 リムレオンも報告だけは受けている。4体目の、魔法の鎧。

 それをまとった何者かが、声を発した。

「確認したぞ……その、指輪……」

 ギラギラと燃えるような眼光を、緑の騎士は面頬越しに、リムレオンの右手に注いで来る。

 少年の細い中指に巻き付いた、竜の指輪に。

「魔法の鎧を有する、エルベット家の若き暴君……あんたの事だな」

「暴君か……まあ、否定はしないよ」

 とりあえず会話をしつつリムレオンは両腕を広げ、レイニー司教とセレナを背後に庇った。

「自分の伯父を殺して領地を奪った、リムレオン・エルベットさ」

「そうか、人違いの心配はないという事だな……俺は、あんたを殺せばいいわけだ」

 いくらか離れた間合いで緑の騎士は立ち止まり、槍を向けてきた。

「後ろの2人、あんた方に用はないから離れていてくれ。イリーナの妹さんに……ほう、レイニー・ウェイルじゃないか」

「……マディック・ラザン? なのか……?」

 レイニー司教が、呆然と会話に応ずる。

「何を……しているんだ、君は……」

「見ての通りさ……と言ってもわからんか」

 緑色の面頬の内側で、マディック・ラザンは苦笑したようだ。

「俺は、今のローエン派に最も必要なもの……の1つを、手に入れたんだ」

「必要なもの、だと……」

「暴力だよ」

 威嚇のためかブンッ! と魔法の槍を回転させながら、マディックは言った。

「自前の暴力がなきゃ、何も守れはしない。それはレイニー、あんただってよく知ってるはずだろう……」

「何かを守るために、僕を殺すのか?」

 無駄な問答とわかりつつも、リムレオンは問いかけてみた。

「どうして僕が命を狙われているのか、そのくらいは知っておきたい……教えてくれないか、マディック・ラザン殿」

「仕事だから……とだけ言っておこう。暴力を振るう仕事さ」

 刺客、というわけだ。魔法の鎧を有する若者が、誰かに雇われてサン・ローデル領主の命を奪いに来た。

 誰なのか、までは訊かずにリムレオンは言った。

「金で殺しを請け負うような人間に、生前のゾルカ・ジェンキムが魔法の鎧を託すとは思えない……彼の研究を、歪んだ形で引き継いだ誰かがいる。マディック殿はその誰かの、実験材料か何かにされているだけじゃないのか」

「姉貴!」

 叫んだのは、セレナだった。

「いるんでしょ? 出て来なさいよ! 教えなさいよ! あんた一体何がやりたいわけ?」

「何度も何度も、同じ事を言わせないで欲しいわね……」

 背後から、声がした。

 はっ、とリムレオンが振り向くと、そこには細い人影が1つ、幽霊のように頼りなく不気味に佇んでいた。

「私たちにはね、偉大なるゾルカ・ジェンキムの力と名を、世に広く知らしめる義務があるのよ。貴女はそれを、言わないと理解しない……言っても理解しようとしない」

 ゾルカと同じような灰色のローブに身を包んだ、若い娘。容姿そのものは美しい。だがその美貌が、内面から滲み出るものによって大いに損なわれてしまっている、とリムレオンは感じた。

「馬鹿な子ほど可愛い、と言うけれど……理解力のかけらもないセレナを、お父様はよく可愛がっていたわね。私よりも、ずっと……」

 どうやらセレナの姉であるらしい娘が、にこ……っと美貌を歪めた。

「殺しなさいマディック……エルベット家の若き侯爵様もろとも、その愚かな小娘を」

「何を言うんだ、イリーナ……」

 魔法の槍を構えたまま、マディックが異を唱えた。

「俺の標的は、リムレオン・エルベット侯爵ただ1人のはずだ。それ以外の人間、ましてや君の妹を」

「殺しなさい、マディック……」

 命令を繰り返しながら、イリーナという娘は何かを念じたようだ。

「私が殺せと言った相手を、貴方はただ叩き潰していればいいのよ……お父様の、魔法の鎧でね」

「がっ……! ぐ……ッ……!」

 右手で槍を持ったまま、マディックは左手で兜を押さえた。

「愚かな者どもを無様な屍に変えて、お父様の力の証とするのよ……さあマディック、殺しなさい」

「うっぐ……ぉ……ぉおおあああああああ!」

 マディックの絶叫が、高まった。緑色の甲冑姿が、凄まじい速度で動いた。魔法の槍が唸りを発し、横殴りに襲いかかって来る。リムレオンとセレナを、もろともに撲殺する勢いでだ。

「ごめん!」

 一言セレナに詫びてからリムレオンは、彼女を押し倒すように抱きすくめて転がり込んだ。魔法の槍が、2人の頭上をブゥーンッと通過する。

 セレナを抱きすくめたまま石畳の上を転がり、マディックとの間にいくらか距離を開いてから、リムレオンは起き上がった。

 いや、起き上がろうとするところへ、セレナの細腕がするりと絡み付いて来る。

「ナヨっちい草食系かと思ってたけど……」

 ドレスのようなエプロンのような下働きの制服に包まれた身体が、ぴったりとリムレオンに貼り付いて来る。

「何か、けっこうイイ感じに引き締まってる……ヘぇ〜、鍛えてるんだぁ」

「お、おい、ちょっと……」

 少なくともティアンナよりは肉感豊かな少女の柔らかさを感じながら、リムレオンはうろたえた。

 うろたえる少年の胸板や脇腹や二の腕に、セレナの美しい両手が、さわさわと嫌らしくまとわりついて来る。

「贅肉がすっごく綺麗に削ぎ落とされてる感じ……うん、これからだねっ。本物の筋肉が付いてくるのは」

「だ、駄目だってば、こら……」

 ブレンのように素っ気なく振り払う事が出来ず、リムレオンは慌てふためいた。

 2人まとめて叩き殺す好機だと言うのにマディックはそれをせず、魔法の槍をこちらに向けたまま呻いた。

「魔法の鎧……早く装着しろ、リムレオン・エルベット」

 槍先が、ぶるぶると震えている。

「馬鹿をやっていないで、早くしろ……俺が、お前ら2人まとめて叩き殺してしまう前にだ」

「何を言っているのマディック……」

 イリーナが苛立っている。

 彼女がさらなる殺意の念をマディックに送り込む前に、リムレオンは、

「武装転身……!」

 ようやく辛うじてセレナを振りほどきながら、右の拳を石畳に叩き付けた。

 竜の指輪から、白い光が図形状に広がってゆく。

 様々な文字や記号を内包した、光の真円。

 それが音を発するほど強く輝き、リムレオンの全身を、白い光で下方から包み込む。

 その光が、純白の全身甲冑となって固着してゆく。

「そうだ……それでいい……」

 魔法の鎧を装着し終えたリムレオンの姿に、マディックが面頬越しの眼光を向ける。面頬を内側から砕き散らしてしまいそうなほどの、烈しい眼光。

 それと共に、襲撃が来た。魔法の槍が、宙を裂いて殴りかかって来る。

 リムレオンは踏み込みながら、魔法の剣を抜き放った。

 その斬撃が、魔法の槍を受け流す。

 白と緑の甲冑姿が、微かな火花を飛ばして擦れ違い、すぐさま振り返って対峙する。

 一瞬の睨み合いの後、

「我……」

 マディックの声に合わせて魔法の槍がブゥンッ! と回転した。

 穂先が、長柄が、立て続けにリムレオンを襲う。

「汝、殺すなかれ……の破戒者とならん……」

「く……っ」

 剣で受けたら刀身をへし折られてしまいそうな槍の猛回転を、リムレオンは後退りしながら、かわし続けた。

 その回避に、マディックは執拗に槍を追いすがらせて来る。侮れない技量だった。

「唯一神よ、罰を……!」

 声、踏み込み。それと共に一際、鋭い一撃が来た。魔法の槍が、リムレオンの左胸に向かって、まっすぐ突き込まれて来る。

 穂先が、魔法の鎧の胸板を直撃した。火花が散った。

 その焦げ臭さを感じながらも、リムレオンは後ろに跳んでいた。食らう衝撃を最小限にとどめる動きが、もはや身体に染み付いている。

 着地し、魔法の剣を構えつつ、リムレオンは気付いた。魔法の鎧の左胸が、微かに、だが確かに、凹んでいる。メイフェム・グリムの攻撃に対しても無傷でいられた、魔法の鎧がだ。

 今、後ろへ跳ぶのが一瞬でも遅れていたら。魔法の槍は鎧の左胸を貫通し、リムレオンの心臓を抉っていたのではないか。

 セレナが、レイニー司教にすがりついたまま声を漏らす。

「ちょっと姉貴……こないだより、強くなってない?」

「当然よ。たかが魔獣人間1匹に、あれだけ無様に負けたまま……私が、何もしていないとでも?」

 イリーナが、せせら笑った。

「基礎を開発したのは、お父様。そこへ私が常に改良を加えてゆく……魔法の鎧は、そうやって無限に強くなっていくのよ。中身がいくら無様であろうと、ね」

 無様と言われて傷付いた様子もなく、マディックが槍を休め、声をかけてくる。

「受け方とかわし方は……上手いようだな、エルベット家の若君。だが攻撃はどうなんだ……かわしてばかりでは、俺を殺す事は出来ないぞ……」

「僕には今のところ、貴方を殺す理由がない」

 凹んだ胸板に左手を当てたまま、リムレオンは右手で魔法の剣を構える。

「理由がないうちに、貴方が僕の殺害を諦めてくれれば……と思っている」

「そうだ、マディック……馬鹿な事はやめないか」

 レイニー司教が言った。

「ローエン派に暴力が必要だなどと……一体、何を考えている? どうしてしまったんだ、君は一体」

「それはこっちの台詞だよ、レイニー・ウェイル……あんたほどの聖職者が何故、今のローエン派を肯定する?」

「……ローエン派の導きで、北の民衆は安らかに暮らしている。それを何故、否定しなければならないのだ」

 リムレオンの頭越しに、聖職者2人が口論を始めてしまった。

「いくらか不健全なものであろうと、平和は平和だ。民衆が平穏に暮らしてゆける。それに勝るものがあろうか」

「その平穏は、どうやって保たれている……」

 マディックの声が震えた。嗚咽か、怒りか。

「バルムガルドが援助を打ち切れば、あっさり消え失せる平和だぞ……援助を打ち切られないよう、媚を売り続けるのか」

「それで平和が保たれるのなら……」

「リュセル村から目を逸らせ続けるつもりかレイニー!」

 まずい、とリムレオンは思った。このままではレイニー司教が、マディックに殺される。

「あそこの村人たちは、ダルーハ軍の残党どもにずっと媚びへつらっていた! 命令されるままに物を差し出し、女を差し出し! それで平和に幸せに暮らせていたのか、リュセルの村人たちは!」

「やめろ、マディック……」

 レイニーが怯え始める。が、それはマディックに対してではないようだ。

「君は今、触れてはならないものに触れようとしている……やめるんだ……」

「見て見ぬふりをするなよレイニー……真剣に考えてみろ……いや、考えるまでもない事だな。あの村人たちを救ったのは誰だ? 北の民衆が平和に暮らしていると言うのなら、その平和の基礎を作ったのは一体誰なんだ?」

「やめろマディック……やめてくれ……」

「ダルーハ軍の残党を片付けて、北部4地方を綺麗に地ならししてくれたのは誰だ? クラバー以下ローエン派の平和主義者どもが北で救世主面していられるのは一体誰のおかげだ?」

「全ては唯一神の御心によるもの……それだけなんだよ、マディック」

「唯一神ではない! ガイエル・ケスナーだ!」

 マディックの叫びが、リムレオンの心に禍々しく響いた。

 ガイエル・ケスナー。

 何者であるのかは、わからない。ただひたすら禍々しく響く、固有名詞である。

「全ては彼が、暴力によって成し遂げてくれた事! あれだけの暴力がなければ何も守れはしない、誰も救えはしないという事! 何故それを直視しない? 何故わかろうとしない!」

「わからない。君が何を言っているのか、私には全くわからない!」

 レイニーが、両手で己の耳を塞いだ。

「我々はあの時、皆そろって悪い夢を見た……君だけがまだ、その悪夢を見続けている。それだけの事だよマディック……」

「レイニー・ウェイル……ローエン派の恥部が服を着て歩き回っているような男に、成り下がったか……!」

 マディックの口調に宿る殺意が、確固たるものになった。

「あの愚かなクラバー大司教よりも……いかさま聖女のアマリア・カストゥールよりも……貴様は度し難いクソ野郎だレイニー。駄々をこねる子供みたいに平和主義にしがみついて、他の何を見ようともしない……」

 魔法の槍が、リムレオンからレイニーに向けられた。

 耳を塞いだまま青ざめている司教には、セレナがすがりついたままだ。

「どけ、お嬢さん……俺はリムレオン侯爵もろとも、その腐れ聖職者を叩き殺す……巻き添えになるぞ、早くどけ」

「……いい加減にしなさいマディック・ラザン。私は、その小娘も殺せと言っているのよ……ッッ!」

 イリーナ・ジェンキムの殺意の念が、緑色の魔法の鎧へと、強烈に流し込まれて行く。それが、リムレオンにはわかった。

「始末する相手を選ぶ事など、貴方には許されていないのよ……さあ! 全員を殺しなさい!」

「ぐっ……だ、駄目だイリーナ……っ」

 苦しみながらもマディックは、イリーナの念に逆らっている。

「きっ……君の、妹だろう……がっ……」

「……微笑ましいわマディック。貴方、家族というものに幻想を持っているわね」

 イリーナは笑ったが、目は笑っていない。

「姉妹でなければ……赤の他人なら、ここまで憎しみを抱く事もなかったかも。ね? セレナ」

「姉貴……」

 セレナが小さく呟く。それは、しかし即座に掻き消された。マディックの絶叫によってだ。

「ど……け……ぇええええええッッ!」

 などと言いつつも、どく暇を与えず、緑の騎士が踏み込んで来て槍を振るう。レイニーもセレナも一緒くたに叩き潰す勢いの、横殴りの一撃。

「やめろ……!」

 割って入るように、リムレオンは斬り掛かった。

 マディックの身体が、急停止してこちらを向いた。レイニー・セレナを撲殺する寸前だった魔法の槍が、急激に角度と方向を変えてリムレオンを襲う。

 攻撃のために振り下ろすはずだった魔法の剣を、リムレオンは防御に用いなければならなくなった。

「く……っ」

 防御の形に構えられた魔法の剣が、リムレオンの手から叩き落とされた。

 拾う暇など与えてくれるはずもなくマディックが、続けざまに魔法の槍を突き込み、あるいは叩き付けて来る。

 穂先による斬撃が2度、3度とリムレオンの身体をかすめた。白い甲冑の肩当てが、胸板が、微かな火花を散らす。

 その火花が消えるよりも早く、長柄の一撃が、リムレオンの胴体をへし曲げていた。

「ぐ……ぇえ……ッッ」

 面頬の内側で、リムレオンは吐血した。大量の血飛沫が、兜の周りに飛び散った。

(……駄目だ……)

 己の全身が石畳に叩き付けられるのを呆然と感じつつリムレオンは、声にならぬ呻きを漏らした。

(ブレン兵長がいないから……僕は間違いなく、なまっている……)

 倒れ、辛うじて上体だけを起こしたリムレオンに、マディックが槍先の狙いを定める。

「ま……待ってよ、ねえ」

 セレナが、飛び込むように駆け寄って来てリムレオンにすがりついた。

「困るなぁ……目の前で領主様を殺されたら、あたしの責任になっちゃうかも知れないじゃない」

「どけ……と言っている……」

 セレナの言葉など聞く耳持たず、マディックは言った。

「見ての通り、俺は……そろそろ、暴力が止まらなくなってきている。早いところ視界の中からいなくなってくれないと……君まで、殺してしまうぞ……」

「だから殺せと……!」

 イリーナが逆上し、殺意の念をさらに強めようとしている。

 それを送り込まれるよりも早く、マディックは動いた。

「な……何をするのよ!」

 緑の騎士の左肩に、イリーナの細身が荷物の如く担ぎ上げられていた。

「放して! 下ろしなさい! 一体何のつもりなのッ!」

「君が何と言おうと……君の妹を、殺すわけにはいかない……彼女がどいてくれないから、俺がとりあえず立ち去るしかない」

 じたばた暴れるイリーナを左腕で担ぎ、魔法の槍を右手に持ったまま、マディックは背を向けた。そして顔だけを、ちらりと振り向かせる。

「俺を追って来い、リムレオン・エルベット……そこの腐れ聖職者のせいで俺は今、暴力を止められない状態だ。野放しにしておくと……人を、殺すぞ。サン・ローデルの領民を、大量にな」

「お前は……っ!」

 怒声を上げようとして、リムレオンはまたしても血を吐いた。

 揺らぐ上体を、セレナが細腕で支えてくれている。

「どこか適当な、人気のない場所で相手をしてやる……いいな? 必ず追って来いよ……」

「マディック・ラザン! 貴方は何を勝手に……」

 喚き続けるイリーナを担いだまま、マディックは城壁の外へと跳躍した。

 イリーナの悲鳴が、遠ざかってゆく。

「ま、待て……」

 セレナの両腕を振りほどくようにしてリムレオンは立ち上がり、駆け出そうとして失敗し、石畳の上に突っ伏した。

 倒れた身体から、キラキラと光の粒子が剥離して宙を漂い、右手の指輪へと吸い込まれて行く。

 うつ伏せに倒れたまま、リムレオンは生身に戻ってしまっていた。

 顔面が、何やら生暖かい。石畳に、血反吐がゴパァーッと流れ広がって行く。

「ちょっと無茶しないでよね! 目の前で死なれたら、まずあたしが迷惑するんだから!」

 などと言いながらもセレナが、倒れた少年の細身を抱き起こそうとしている。

(口の悪さは……シェファと、いい勝負……かな……)

 ゴプッ、と吐血の咳をしながら、リムレオンはそんな事を思った。

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