第45話 暴虐貴族エルベット家
「……が、お見えになりました」
衛兵が1人、入って来て告げた。誰かが訪ねて来たようであるが、その人の名前をリムレオンは聞き逃してしまった。
人の話が、右の耳から左の耳へと素通りしてしまう状態である。
(ティアンナ……僕は、信じないよ。貴女が……死んだ、などと……)
先程からずっと回り続けているその思いが、他の一切を、頭の中から追い出してしまうのだ。
「お通しして下さい……」
とだけリムレオンは言った。言った傍から、もうその事は忘れ、1つの思いに沈んで行った。
女王エル・ザナード1世が、叛乱に遭って命を落とした。
バルムガルド国王ジオノス2世は、そう喧伝している。
本当に死んだのかどうかはともかく、行方知れずになったのは間違いないようだ。
叛乱を起こした北部4地方の領主たちは、レネリア地方領主ラウデン・ゼビル侯爵の手によって討ち取られたという。
とりあえずリムレオンは、会った事もないラウデン侯爵に感謝した。
その4領主が今なお存命であったなら、自分が手を下しに行かなかった、と断言する事がリムレオンには出来ない。躊躇う事なく魔法の鎧を装着し、4領主も彼らを守る者たちも皆殺しにする……それを実行せずにいられた自信が、リムレオンにはない。
ともかく、手を下してくれたのはラウデン・ゼビル侯爵だ。
それによって領主を失った北部4地方は、そのままラウデン侯爵が領有する形となり、バルムガルド王国からそれを支持する声明が出された。
ラウデン侯は、女王エル・ザナード1世の仇討ちを果たした忠臣である。その忠なる行いを我が国は全面的に支持するであろう。などとバルムガルド側は主張しているが、傍から見れば、ラウデン・ゼビルが仇討ちの名目で北部4地方を奪い取った、という事にしかならない。
そんな強盗も同然の行為を、今のヴァスケリア王国は、取り締まる事が出来ずにいる。何しろ国王がいなくなってしまったのだ。
その隙をついてラウデン侯爵は、北部4地方を奪取し、バルムガルドによる後ろ楯を得た。すなわち北部4地方とバルムガルド王国が、レネリア地方による中継を得て、陸続きに繋がってしまったという事である。
かくしてラウデン・ゼビルが領有する事となったレネリア・エヴァリア・ガルネア・レドン・バスク計5つの地方。面積的には、もはや1つの国に等しい。ここにバルムガルドの擁立するシーリン・カルナヴァート元王女が入って女王を名乗れば、とてつもなく巨大な傀儡国家が誕生する事となる。国王不在のヴァスケリアは、そのまま一気に併呑されてしまいかねない。
が、どういうわけかシーリン女王の即位戴冠が行われる様子が、一向に見られなかった。
5つの地方にラウデン・ゼビルが大領主として君臨し、その政権を内側から唯一神教ローエン派が、外側からバルムガルド王国が支えている、という形が続いている。
ラウデン侯が真の意味での独立をもくろみ、傀儡の女王が入って来るのを拒んでいるのか。いや、それならバルムガルドが支持を表明するはずがない。
となれば考えられる事は1つ。シーリン・カルナヴァート本人の身に、何かが起こったのだ。
同じようにティアンナの身にも、何事かが起こった。
その思いをリムレオンは無理矢理、頭の隅に押しやった。
今、自分が考えなければならないのは、サン・ローデル地方領主として何を為すべきか、という事である。一地方の民衆の命を、預かっているのだ。
なのに。頭の隅に押しやったはずの思いが、膨れ上がってはリムレオンを苛み続ける。
(何となくわかるよ、ティアンナ……どうせ何か、無茶な事をしたんだろう……)
「不用心だな、リムレオン」
来訪者が2名、衛兵に案内されて、領主の間へと入って来た。
2人とも、貴族の男性である。うち1人は、リムレオンがよく知る人物だった。
「訪ねて来た者を、ろくに調べもせず通してしまうとは……私が暗殺者の類であったら、どうするつもりなのだ?」
「父上……!」
メルクト地方領主、カルゴ・エルベット侯爵である。
「父上こそ……不用心が過ぎるのではないですか。メルクトの御領主自らが、お城を出てこんな所まで」
「私の方から出向くべきであろうよ。何しろ今は……貴殿の方が領主としての格は上なのだからな、リムレオン・エルベット侯爵閣下」
言いつつカルゴ侯爵は1度だけニヤリと笑い、だがすぐに表情を引き締めた。
「知っての通り、エルベット家の総力を挙げて対処せねばならぬ事態よ。今後の事を、我らで話し合っておかなければならん」
「そちらの方も御一緒に、ですか?」
父が伴って来た人物に、リムレオンはちらりと目を向けた。
小太り気味な男性貴族である。30歳になるかならぬか、といった辺りであろうか。
誰なのか、をリムレオンが訊く前に、その人物が名乗った。
「モートン・カルナヴァートという者だ。リムレオン・エルベット侯爵……そなたとは一応、従兄弟同士という事になるのかな」
「ではティアンナの……女王陛下の、兄君……?」
リムレオンは慌てて、領主の椅子から立ち上がった。父もそうだが、偉そうに座ったまま出迎えて良い相手ではない。
モートンが片手を上げ、苦笑気味に言った。
「ああ、そのままで良いぞ別に。無礼な態度を取られるのには慣れておる」
「は、はあ……」
うかつに肯定して良いものかどうか、リムレオンは迷った。
副王モートン・カルナヴァート。あまり良い噂を聞かない人物ではある。ダルーハ・ケスナーの叛乱を運良く生き抜いただけの無能者だの、女王の兄という立場を利用して国政にあれこれ口を出しているだのと。
そんな噂の中に1つだけ、リムレオンにとって聞き流せぬ話があった。
直接、本人に問い質してみるべきなのかリムレオンが迷っている間に、モートン副王の方から言った。
「私が言ったところで疑念が晴れるわけでもあるまいが、まあ言っておこうか……今回の一件、私があの地方領主どもを動かしたわけではないからな」
「そう……ですか」
リムレオンとしては、そう応えるしかない。
この副王が、妹から王位を奪うべく北部4領主に密命を下した。
いくら本人が否定しようが、そんな噂が流れてしまうのは、まあ当然であろう。
モートンは苦笑している。
「誰に言っても信じてもらえんのだがな、私はそもそも王位など欲しくはないのだ。そなたも領主などやっているなら、民衆の面倒を見るのがどれほど大変なのか少しはわかるであろう?」
「ええ、まあ……」
「だがこういう状況になってしまった以上、私がとりあえず即位するしかあるまい。ヴァスケリア王家の血を引く者が、もはや他におらんのだからな……いや、まあ1人いる事はいるのだが。この大変な時にまったく、どこをほっつき歩いておるのか」
ぶつぶつと言いかけて、モートンは咳払いをした。
「ともかく、ティアンナめが戻って来るまで国王不在というわけにもいかん。よって仕方がない、このモートン・カルナヴァートが臨時で王位に就いてやるゆえ……エルベット家の者たちよ、私の後ろ楯となれ」
今やヴァスケリア王国西部における最大の領袖、その上エル・ザナード1世の母方の実家でもあるエルベット家は、国王の立候補者の後ろ楯としては確かに申し分なしであろう。
だがそんな事よりもリムレオンは、今モートンが言った事の1つを確認せずにはいられなかった。
「ティアンナが戻って来るまで……そう、おっしゃったのですか」
「言った。1度で足りねば何度でも言ってやる。私が玉座になど座ってやるのは、あやつが戻って来るまでだ。そう、これも言っておかねばならんな」
本当に腹立たしそうに、モートンは言った。
「ティアンナ・エルベットは生きておる……己の意思で生死不明の行方知れずとなったのだよ、あの馬鹿小娘は」
16歳の時に徴兵され、以後20年間、ロッド地方軍で軍人として勤務してきた。
30歳になる直前くらいで分隊長の地位を得たものの、そこからは全くうだつが上がらず、ガスパー・ケルンは今日もまた若い兵士たちを引き連れて下級軍務に励んでいた。軍務と呼べるものの中でも特に嫌な仕事を、早急に片付けようとしていた。
徴兵、である。
「お、お待ち下さい隊長殿。いきなり、そのような事を言われても」
「いきなり決まった事なんだから、しょうがないだろう」
異を唱えようとする村長を、ガスパーはそう言って黙らせた。
ヴァスケリア王国ロッド地方、南東部のとある村。ガスパーは兵士50名を引き連れてここを訪れ、村長ら村の主だった者たちを相手に話をつけようとしている。各村から最低でも20名の若く壮健なる男子を、新兵として徴用すべし。領主ライアン・ベルギ侯爵のその命令を、遂行しようとしているところである。
「お待ち下さい、今この時季に男手を20人も取られては!」
「そりゃ大変だろうよ。そんな事はわかった上で来てるんだよ、俺たちは」
議論が面倒になったので、ガスパーは片手を上げて兵士たちに合図を下した。
王国地方軍50名が一斉に動き、村内の家々に強盗の如く押し入って行く。
そして、若者や少年を引きずり出して来る。
引きずり出されて来た者たちの、母親や姉妹あるいは妻……とにかく女たちが、飛び出して来て泣き喚く。
「息子を! 息子を連れて行かないで!」
「ちょっと、やめてよ! あたしたち結婚したばっかりなのよおっ!」
「いやああああああ! リゲル! リゲルを返して!」
ガスパーはうんざりした。これだから、徴兵という仕事は嫌なのだ。
自分も徴兵された身である。自分のような思いを他の者に、させてはならないという気持ちと、させずにはいられないという気持ちが、心の中でせめぎ合っている。大抵は、後者が勝ってしまうのだが。
泣き喚き、すがりついて来る女たちを、兵士らがうるさそうに振り払う。彼らも心底、嫌そうな顔をしていた。
「お兄ちゃんを返せえぇっ!」
幼い女の子が1人、どうやら兄らしい少年を引き連れて行こうとする兵士の足に、しがみついた。
舌打ちをしながら兵士が、その女の子を蹴り払う。子供に優しくなど、していられない。泣き喚く民衆を気遣っていたら、軍の仕事など務まらないのだ。
蹴り転がされた女の子を、優しく拾い上げるように抱き止めた者がいる。
「……徴兵をするな、とは言わん」
大男だった。がっしりと力強い巨体を、粗末な衣服で包んでいる。
「ただ、こんな大急ぎで新兵を掻き集めて一体どうするのか……どこと戦争をやらかすつもりなのか、という疑問がな」
武器らしきものは帯びていない。が、兵士として本格的な軍事訓練を受けた事のある男なのは間違いなさそうだ。そういう佇まいである。
ガスパーは、とりあえず訊いた。
「何者だ、貴様……」
「この村で厄介になっている旅人だよ」
答えつつ、大男がニヤリと笑う。タテガミのような髪と髭に囲まれた、獅子のような顔面である。見るからに物騒な傷跡が一筋、走っている。
兵士たちが徴兵の作業を中断し、槍や長剣を構え、その獅子のような男を取り囲んだ。
「て、てめえ……俺たちに刃向かうんじゃねえよ」
「刃向かったら、戦わなきゃなんねくなるだろうが……」
普通に訓練は受けているものの、実戦経験など欠片ほどもない兵士ばかりである。
おっかなびっくり取り囲んでくる彼らを見回しながら、獅子のような男は不敵に笑った。
「まあまあ、俺も戦おうというつもりはないんだ。人さらいのような事はやめて、ちょっと話を聞いてくれんかな」
「人さらいだと! ふざけんじゃねえ!」
「俺らだって! 好きでこんな事やってると思ってんのかああああ!」
兵士たちが、ガスパーが制止する暇もなく一斉に、獅子のような男に襲いかかる。
襲いかかった槍が、ことごとく折れた。長剣が、打ち飛ばされて宙を舞った。
獅子のような男が、巨体を躍動させて重い手刀を振り下ろし、丸太のような足を振り回している。それだけで、武器を持った兵士たちが武器を失いながら転倒し、吹っ飛び、地面に激突して転げ回る。
「あぐっ……いっ……てぇえ……」
「いてててて……痛えよぉ……」
のたうち回りつつ兵士たちは、泣き声に近い呻きを漏らしていた。深刻な重傷を負った者はいない。だが戦意の残った者もいない。
「痛いだけだ。死にはせんよ」
立ち上がれない兵士たちに声をかけながら、獅子のような男が悠然と、こちらに歩み寄って来る。
「き、貴様……」
ガスパーも長剣を抜いた。
抜いた長剣が、その場でピ……ッと折れた。切っ先が落下し、地面に突き刺さる。
折れた、と言うより切断されていた。半分ほどの長さになってしまった刀身。その断面が、ドロリと溶けかかっている。
鋼鉄の刃が、瞬間的な高熱量で焼き切られたのだ。そう言えば一瞬、何か赤い筋のようなものが一直線に走り抜けて行った、ようには感じられた。
少し離れた所に、ほっそりした人影が1つ、立っている。
「これ、人に当てないように撃つ方が難しいのよね……」
若い娘である。10代後半の健康的な曲線がピッタリと浮き出た薄手の服を身にまとい、形良い太股を、割と際どい高さまで露出させている。
彼女がその細い両手で構え、こちらに向けているのは、先端に魔石の埋まった杖だ。
「もう1回撃ったら、今度は首とか切り落としちゃうかも……だから大人しくしてよね」
攻撃魔法兵士、のようである。
素手で武装兵士の一団を叩きのめす、獅子のような男。それに、精緻極まる射撃技術を有する攻撃魔法兵士の少女。
もはや徴兵どころではなくガスパーは、呆然と声を漏らすしかなかった。
「何だ……何なんだよ、貴様ら……」
「だから旅人だよ。少し気になる噂を聞いたのでな」
獅子のような男が、言った。
「女王陛下が行方知れずとなられた……のを良い事に、北でラウデン・ゼビル侯爵がどえらい事をしでかしたろう? ここの領主様が、あれと同じ事をなさろうとしているそうな」
女王エル・ザナード1世が、北部4地方の領主たちによる叛乱に遭って、行方不明になったと言うより命を落とした。ガスパーは、そう聞いている。
その仇討ちを名目に、ラウデン侯爵が4領主を殺害し、彼らの領地を奪ってしまった。
そのせいで王国内の地方領主たちの間では今、やってしまった者の勝ち、という風潮が出来つつある。皆、ラウデン侯と同じ事をやろうとしている。ガスパーの主君であるライアン・ベルギ侯爵もだ。
「女王がいなくなった。それでまず標的となるのが、今まで女王の親族という事で大きな顔をしてきたエルベット家よ」
獅子のような男が、なおも言う。
「ここの領主様は、エルベット家を戦争で討ち滅ぼし、メルクトもサン・ローデルも奪ってしまおうとしている。そのための徴兵と軍備増強……そういう話を聞いたのだがな」
「……だとしたら何だ、どうだって言うんだ」
否定も肯定も、ガスパーはしなかった。
ロッド地方が巻き込まれる事もなく、ダルーハ・ケスナーの叛乱は終息した。
一生、実戦など経験せずに平時の軍人として適当に生きてゆける。ガスパーがそう思っていたところ、ライアン侯爵がいきなりエルベット家に戦を仕掛けるなどと言い出したのである。
命令だから仕方なく、こうして徴兵などという仕事をしている。この先、エルベット家の軍勢を相手に、実戦の殺し合いもやらなければならなくなる。
何しろエルベット家と言えば、バウルファー・ゲドン侯爵を殺害してサン・ローデル地方を奪い取り、女王の親族という事でそれを正当化してしまった無法貴族である。いずれはロッド地方に対しても、同じ事をするかも知れない。軍の増強くらいは確かに必要かと、ガスパーも思わざるを得ない。
「……俺たちが徴兵に応じよう。こやつらの代わりに、連れて行ってくれんか」
不安そうにしている村の若者・少年たちに片手の親指を向け、獅子のような男は言った。
「こやつらを新兵として1から鍛え上げるよりも、俺たち2人を軍で雇ってくれた方が……いろいろ、安上がりだとは思うぞ」
「……貴様ら、仕官が目的か」
確かに、これほどの戦士は、そうそういるものではない。それに貴重な攻撃魔法兵士も1人、獲得出来るとなれば。新兵の2、30人を連れて行くよりも、ガスパーの評価はずっと高まるだろう。
「良かろう……俺はロッド地方軍分隊長ガスパー・ケルンという者だ。お前たちの名前は?」
「俺はブレン・バイアス。あちらは……そうだな、俺の娘で」
攻撃魔法兵士の少女が、ブレン・バイアスによるその紹介を断ち切った。
「……すいません。それ、勘弁してくれませんか」
「そうか? ……それではまあ、俺の妹で」
「やめて下さい。自分が一体、何歳だと思ってるんですか」
「わ、わかったよ……ああ俺の姪っ子で、シェファ・ランティという。あまり怒らせないようにしてやってくれ」
「だから別に、血縁者を装う必要なんか……」
シェファ・ランティが、ぶつぶつと文句を言っている。
間違いなく親子でも兄妹でも叔父・姪の間柄でもないであろう2名を、ガスパーはじっと見比べた。
旅人などと言っていたが、あからさまに怪しい。
シェファという少女はともかく、ブレン・バイアスの方は、どこかで何かしでかして流れ者とならざるを得なかった、という感じがある。間違いなく、人間を何人かは殺しているだろう。名のある賞金首か何か、かも知れない。それでもまあ、得難い戦士であるのは確かだ。
「ところでガスパー隊長殿、ちょっと訊きたい事がある。今日から俺の職場となる、ロッド地方軍に関してだ」
獅子のような獰猛な顔を、ブレンがずいと近付けて来た。
「魔物がいる、という話を聞いた。ライアン侯が、自軍の戦力として魔物どもを飼っているとな」
「何の話かな……」
ガスパーは声を引きつらせ、顔を逸らせた。
このブレンという男は、ロッド地方軍の、触れてはならない部分に触れようとしている。
「つい最近も、魔物の集団がサン・ローデルに攻め入ったそうではないか。あれは一体、何だったのだろうな」
「知らないな。全くわからん。貴様が何を言ってるのか」
「……なるほど。触れてはならん闇の部分、というわけだな」
ブレンの巨大な手が、ガスパーの肩を軽く叩いた。
「まあいいさ、教えてもらえぬ事は自分で調べ上げるまで……俺の働く職場は、闇の部分などない、明るい場所にしたいからな」
その気になれば自分の首など容易くへし折ってしまう手だ、とガスパーは感じた。
そんな凶猛な手に、指輪がはまっている。細長い竜が環を成したような指輪だ。
よく見るとシェファ・ランティも、同じ指輪をしているようだった。