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第44話 女王逃亡

 腕に自信があったから、山賊の頭領などをやっていた。

 ガルベ一味(いちみ)と言えば、ヴォルケット州でも少しは知られた名である。

 頭領ガルベ・ジードは30歳。その巨体と風貌から「ゴズムの荒熊」の異名を取り、ヴォルケット州一帯の山賊・強盗団の中では割と大きな顔をしていられた。

 が、それも3日前にこの男がやって来るまでの話であった。

 ガルベ一味の山塞に突然ふらりと姿を現したこの男は、一味の中でも特に腕自慢の荒くれ男5名を、一瞬にして殺害した。剣も持たず、槍や斧を使ったわけでもなく、弓矢その他、武器と呼べるようなものは一切用いる事はなく。かと言って、攻撃魔法の類をぶっ放したわけでもない。

 身体から、何やらおかしなものを生やし、伸ばして、屈強な5人もの男たちを一瞬にして肉の残骸に変えてしまったのである。

 あんなものを見せられたら、頭領の地位など譲り渡してしまうより他になかった。この、人間ではない男にだ。

 ゴズム山地の、比較的なだらかな場所を通る街道である。

 ガルベ一味の新頭領となったその男が、サソリの尻尾を振るった。タコの足を振るった。ムカデに似たものを、伸ばしうねらせた。

 バルムガルド軍の騎士4名が、グシャバキッ! と馬上から叩き落とされて絶命した。全員、頭部が兜もろとも潰れひしゃげている。

「ぷぁあ……に、人間やめちまうってのぁ最高の気分だなぁオイ」

 自分がかつて人間であったかのような事を、新頭領は言っている。

 様々なものを生やした肉塊、としか表現し得ぬ姿。四肢の分かれたその体型に、人間の原形が感じられなくもない。

 この男が何者であるのか、それはガルベにとってはどうでも良い事だ。

 頭領の地位に未練がない事もないが、この怪物に一味を率いさせておいた方が、山賊として荒稼ぎが出来る。こんなふうに、王国正規軍に守られた高級な獲物に手を出す事も出来る。

 何者かは不明だが、貴人が乗っている事に間違いはなさそうな豪華な馬車が、ちょっとした部隊規模の騎兵・歩兵の一団に護衛されて、忍びやかに街道を進んでいたのだ。ガルベが頭領であった頃ならば、とても襲う事など出来なかったであろう。

「こ、このバケモノが……!」

「殿下には指一本、触れさせぬ!」

 騎兵たちが、歩兵たちが、勇ましく武器を振り立てて突っ込んで来る。

 護衛部隊の指揮官らしき1人の騎士が、馬車の近くで慌てて叫んだ。

「ま、待て! 不用意に近付いてはならぬ……」

 遅かった。

 新頭領の全身から、サソリの尻尾やムカデ、ミミズ、その他様々なものが生え伸びて鞭の如く宙を泳ぎ、騎兵を、歩兵を、打ち据える。

 歩兵の生首が4つほど、宙を舞った。騎兵が1人、馬もろともグシャグシャに叩き潰され、一緒くたに倒れた。

「お頭、馬はなるべく殺さねえで下さいよ!」

 言いつつガルベは、巨大な戦斧を振るい、歩兵の1人を叩き斬った。

「いい馬ってのぁ、下手な女より高く売れますからねえ!」

 怯み、逃げ腰になった歩兵たちを、2人3人と戦斧で打ち倒す。頭領の座を譲ったとは言え、「ゴズムの荒熊」の戦いぶりは健在だ。

 率いて来た山賊25名も、今や戦意を挫かれつつある護衛兵団に獣の如く襲いかかり、思い思いに殺戮を行っている。

「でっ殿下! お逃げ下さい!」

 騎兵の1人が、その言葉を最後にグシャリと潰れ、息絶えながら落馬した。巨大なタコの足に、殴打されていた。

 護衛部隊の指揮官が、ことごとく部下を失って青ざめ、馬上で固まっている。

 ガルベよりいくらか年下と思われる、若い騎士。殿下と呼ばれたのは、この人物のようだ。となると、馬車の中にいるのは。

「あなた!」

 馬車の扉が開き、1人の若い女が顔を見せた。身なりの質素な、だが間違いなく貴族の女だ。産着に包まれた赤ん坊を、抱いている。母子のようである。殿下と呼ばれた人物の、妻子であろう。

 その殿下が、家族を守るべく、勇気を奮い立たせた。

「おのれ怪物、それに賊ども……!」

 青ざめ震えながらも、馬上で長剣を抜く。

 抜刀した瞬間、殿下は落馬した。首から上が、消え失せている。

「あぁー……つい殺しちまったよゥ……」

 左肩の辺りから伸びた巨大なミミズのようなもので、殿下の生首を絡め取ったまま、新頭領が残念そうな声を出す。

「生かしといてよォー、てめえの女房がグッチュグッチュ犯り殺されるとこ見せてやりゃあ良かったぜぇえ」

「まあまあ、お頭。ンなもったいねえ事しないで下さいよ」

 山賊たちが、馬車の中から母子を引きずり出そうとしている。

「あ、あなた! あなたァー!」

 若い母親が、赤ん坊と一緒に泣き叫んでいる。

 子供を1人生んだとは言え、美しい女だ。良い値が付くだろう。赤ん坊の方も、何らかの売り物にはなるであろうか。

「へっへへへ……貴族の若奥様だよオイ、たまんねえなあ」

 母子を捕えた山賊たちが、いつものような行為に及ぼうとしている。

「旦那の死体の前で泣かしてやンぜぇーイイ声でよぉお!」

「あのう」

 声がした。このような場には似つかわしくない、幼い女の子の声である。

「あのう……わ、悪い事は、やめて下さい……」

 お揃いの法衣を着た尼僧が2人、こちらに歩み寄って来たところだった。

 1人はすらりと背の高い、若い娘。20歳になる少し前、といったところか。

 被り物から溢れ出した銀色の髪は、見ようによっては白髪にも見えてしまう。顔立ちは、人形のように美しい。

 凹凸の見事な、まるで男にしゃぶられるためにあるような肉体を、唯一神教の法衣で禁欲的に包み込んだ、若い尼僧。

 もう1人は、そんな彼女をそのまま小さくしたような、愛らしく幼い女の子である。声をかけてきたのは、こちらの方だ。

 姉妹にしては少々、年齢が離れているようだ。が、母子と呼ぶには近過ぎる。

 何にせよ、ガルベ一味にとっては、獲物以外の何物でもない。

「おぉー、何か今日はツイてるぜええ! まさに神の恵みってヤツかぁあ?」

「な、なあ俺らを救済するために来てくれたんだべ尼さんたちよォ、おっ俺らの、年中勃ちっぱなしのコイツを慰めるためによォー」

 山賊たちにそんなふうに迫られても、年長の方の尼僧は、相変わらず人形の如く表情を変えない。

 幼い方の尼僧は、可愛らしく怯えている。怯えながらも、懸命に声を発している。

「お願いです……悪い事は、やめて下さい……」

「やめなかったら、どうなるのかなあ? お嬢ちゃんよお」

 下っ端の山賊たちを強引に掻き分けて、ガルベは迫った。

「神様の罰でも下っちまうのかなあ? ええおい」

「唯一神はお忙しいのよ。だから私が罰してあげる……」

 年長の尼僧が、ようやく口を開いた。

 その美しい顔が、凶悪に歪む。人形のようだった美貌に、獰猛な生気が宿る。

 凹凸の見事な肢体がユラリと動き、法衣の裾があられもなく割れて跳ねた。

 太股の瑞々しい白さが、ガルベの網膜に、鮮烈に焼き付いた。

(おっおおお、たまんねーフトモモ……)

 それが「ゴズムの荒熊」ガルベ・ジードの、最後の意識となった。



 戦斧を持った大男が、メイフェムの足元に、沈むように倒れてゆく。潰れた顔面から、砕けた脳髄をトロトロと噴出させながらだ。

「が、ガルベの親分……!」

 下っ端の山賊たちが。早くもうろたえている。

 蹴り終えた右足を優雅に着地させつつメイフェムは、彼らを見回した。

 明らかに人間ではないものが1体いる。そこで、メイフェムの視線は止まった。

「て……てめえ、こんなとこまで……」

 サソリの尻尾やらムカデやらに似たもの、を落ち着きなく揺らめかせながら、その残骸兵士が恐れおののく。

 とりあえず、メイフェムは声をかけた。

「何をしているのかしら……いや、答えなくてもいいわ。大体わかったから」

 魔獣人間の失敗作が13体、ゴズム岩窟魔宮から脱走し、好き勝手をしていた。ゴルジ・バルカウスの管理不行き届き、と言えなくもない。

 失敗作の脱走を放置したまま、ゴルジはほぼ全員でヴァスケリアへ行ってしまった。

 別に頼まれたわけでもないのだが、メイフェム・グリムは岩窟魔宮周辺の地域一帯を探って回り、この3日ほどで12体の残骸兵士を狩り出して殺処分した。暇だったからだ。

 今、目の前で怯えているのが13体目である。

「人間でいた時には何も出来なかった輩が……ちょっとした馬鹿力を身に付けた途端、こんなふうに気が大きくなっちゃうのよねえ」

 バルムガルド軍兵士、らしき者たちの死骸を見回しつつ、メイフェムは溜め息をついた。

 別に、兵隊など何人殺されようが知った事ではない。

 だが出来損ないどもの脱走を放置しておくのは、何やら汚物を垂れ流して人目に晒しておくかのようで、あまり良い気分ではなかった。

「へ……お、俺ぁよお、ムカつく奴らァぶち殺しながら適当に生きてけるだけの力ぁ手に入れちまったんだ」

 残骸兵士が、全身から生えたものを鞭のように振るった。

「もうゴルジの野郎になんざ用はねーんだよォオオオ!」

 サソリの尻尾が、ムカデやミミズが、一斉にメイフェムを襲う。

 まるでハエでも追い払うように、メイフェムは無造作に両手を振るった。

 白く鋭利な左右の繊手が、サソリの尻尾を粉砕し、タコの足を切断し、ムカデやミミズを叩きちぎった。それら様々な肉片と体液の飛沫が、メイフェムの周囲で汚らしく飛び散る。

「ぎゃ……」

 残骸兵士の悲鳴が、潰れた。

 メイフェムの右足が、跳ね上がっていた。しなやかな脚線が、法衣の裾を割って下から上へと一閃する。

 股間から胴体そして脳天に至るまでを一直線に蹴り裂かれた残骸兵士が、左右に倒れながら干涸びてゆく。

 あられもなく高々と天空を向いた右足を、メイフェムは斜めに振り下ろした。残骸兵士の体液で汚れたブーツが、山賊の1人をグシャリと直撃する。

 飛び出た眼球を引きずりながら、その山賊は倒れ絶命した。

「ねえ……わかってるの? 貴方たち」

 馬車から引きずり出されたのであろう。貴族の若い女性が、泣き喚く赤ん坊を抱いたまま呆然としている。

 寄ってたかって彼女を押さえ込もうとしながら、山賊たちも呆然と固まっている。

 そちらに、メイフェムは声をかけながら歩み寄った。

「赤き竜による災害を私たちがヴァスケリア国内で食い止めてあげたからこそ、貴方たちはこのバルムガルドで安穏と暮らしていられるのよ……ねえ、本当にわかっている?」

 山賊の1人に、メイフェムは右の平手打ちを食らわせた。殴打された顔面がパン! と破裂した。

「安穏と暮らしながら貴方たち、一体何やってるわけ? ねえちょっと」

 白く美しい両手が、山賊たちの顔面を片っ端から張り飛ばす。

 破裂した眼球と砕けた脳をドバドバと涙のように垂れ流しながら、山賊たちがメイフェムの周囲で3人4人と倒れてゆく。

「ケリスに守られて安穏と暮らしながら、あんたたち一体何やってんのよねえ、ねえ? ねえ? ねえ? ねえ、ねえちょっとおおおおおおおおおッッ!」

 凹凸の見事な身体がギュルッと竜巻状に翻り、法衣の裾が激しく舞い跳ねる。美しく引き締まった左脚が、斬撃のように弧を描いて山賊たちを薙ぎ払った。呆然と表情が固まったままの生首が5つ、宙を舞った。

 自分の身体の動きをメイフェムが頭で把握出来たのは、そこまでだった。

「ケリスはねえ、人間は美しいものだって心の底から信じてたの! 世の中が平和になりさえすれば誰もが美しい心を取り戻すから、頑張って戦おう。なぁんて言って頑張り過ぎて死んじゃったのよアンタたちを守るために! なのに一体何てザマなの、どーゆうザマぁ晒して生きてんのよこのクソゴミどもはぁあーッ!」

 怒声に合わせて、手足が勝手に動く。その度に山賊たちが、破裂し、裂け、潰れ、ぶちまけられる。

「ああもう、こんな事なら赤き竜なんか放っといてケリスと駆け落ちでもしてれば良かったあ! ケリス、ケリス! ケリス! ケリス! ケリスうううううううっっ!」

「メイフェム様、メイフェム様。赤ちゃんが恐がってますから」

 誰かが、メイフェムの法衣をくいくいっと引っ張った。マチュアだった。

 彼女の言う通り赤ん坊が、若い母親に抱かれたまま泣き続けている。

 乱れた呼吸を整えながら、メイフェムは見回した。

 生きている山賊は1人もいない。全員、死体と呼ぶのもためらわれる死に様を晒している。

 メイフェムの法衣は、返り血やら何やらでグッショリと汚れていた。まあ、こんなものはマチュアに洗濯をさせれば良い。

「あ……」

 泣き喚く赤ん坊を弱々しく抱いてあやしながら、貴族の若い女性が声を漏らした。か細く頼りない、辛うじて聞き取れる声。

「貴女は、一体……?」

「……通りすがりの魔獣人間よ」

 一言だけ答えつつメイフェムは、相手の女性を観察した。

 20代の前半、というところであろう。

 壊れ易そうな美貌に細い身体。体力どころか気力にも乏しそうな、深窓の姫君がそのまま母親になったような女性である。こんな状況でもしかし赤ん坊を投げ出そうとしないあたりは、まあ見上げたものだ。

 彼女に子供を産ませた男は、屍となって倒れているこのバルムガルド騎士たちの中にいるのであろうか。

 泣いている我が子を、ただ抱く事しか出来ない若い母親。

 護衛の男たちを皆殺しにされ、こんな所に放り出されたままでは、もはや何も出来ずに母子共々、野垂れ死にをするだけであろう。

 が、それはメイフェムの知った事ではなかった。

 ゴルジの実験場から脱走した残骸兵士13体は、これで全て始末した。こんな所に長居をする理由はない。

 背を向け、歩き出そうとするメイフェムの法衣の裾を、しかしマチュアがきゅっと握ったまま離そうとしない。

「あのう、メイフェム様……」

「なあに? おチビちゃん」

 にっこりと、メイフェムは笑って見せた。

「言っておくけど、捨て犬みたいに拾ってあげるのは貴女1人でおしまいよ?」

「そ、そんな事おっしゃらず、助けてあげて下さぁい……マチュアはこれからも、メイフェム様のために何でもしますからぁ……」

 返り血まみれの尼僧を見上げるマチュアの瞳が、うるうると波打った。

「お掃除もします、お洗濯もします。お料理を一生懸命覚えて、ごはんも作ります。お化粧のお手伝いもします。お風呂もご一緒してお背中流しますし、お毛のお手入れも」

「……そんな事までしなくてよろしい」

 メイフェムはマチュアの首根っこを持ち上げ、黙らせた。

 まるで仔猫のようにつまみ上げられたまま、マチュアが小さな両手を握り合わせ、大きな瞳を潤ませている。

「メイフェム様……」

「……赤ん坊の世話は、貴女がするように。いいわね?」

 邪魔になったら、母子共々殺してしまえば良い。それはいつでも出来る、とメイフェムは思った。



 情報が錯綜していた。

 女王エル・ザナード1世は、乱戦の最中に討ち死にした、とも言われている。

 狂乱した兵士たちに犯された挙げ句、バラバラに切り刻まれて死体も残っていないのだ。などと語る者もいる。

 辛うじて戦場から脱出したものの、女王という役職に嫌気がさして、そのまま行方をくらませた。という話も聞こえて来る。

 確かな事は1つ。ヴァスケリア女王エル・ザナード1世は、兵1000人を率いてガロッグ城塞に向かう途中、北部4地方の領主たちによる叛乱・襲撃に遭い、姿を消した。当然、会談の場には現れず、王都にも戻っていないという。

 生死不明の行方知れず、であるなら死亡したものとして話を進めるべきであろう。ジオノス2世は、そう思う。

 真実であろうが嘘であろうが、とにかく話を押し通してしまった者が、政治の世界では勝者なのだ。

 25歳で、バルムガルド国王として即位した。以後、今日に至るまでの34年間、権謀術数に長けた野心家の国王として、悪口を言われ続けてきた。

 そんな悪名高き国王の代で、しかしバルムガルド王国は飛躍的に版図を拡大したのである。前代からの課題であったリグロア王国併呑を成し遂げ、ヴァスケリア王国相手の政略戦においても優位に立ちつつある。

 宗教勢力を抱き込み、その伝手で何名かの地方領主をも傀儡とした。

 傀儡でしかないはずの者たちが、しかし思いがけない事をやってのけたのだ。

 女王エル・ザナード1世に対する直接的な叛乱、そして弑逆。

 ジオノス2世が、そそのかしたわけではない。

 そそのかした者がいる事は、間違いなさそうである。あの領主4名全員、自分で考えて何か出来るような者たちではない。

 何者による叛乱教唆を受けたのか、とにかく彼らは大それた事をしてくれた。

 結果、女王エル・ザナード1世は行方不明となった。

 4領主の叛乱によって死亡、という話にしてしまうのは、さほど難しい事ではない。

 後は、叛乱者である領主たちを正義の名の下に処刑する。その後、当初の予定通りシーリン・カルナヴァート元王女を新女王として即位させれば、ヴァスケリア併呑は成ったも同然……なのであるが。

「うまくゆきかけた物事が、思わぬ要因で頓挫する……まあ、よくある事よな」

 ジオノス2世は苦笑した。

 傍らに控えるレボルト・ハイマンは、何も言わない。元々、お追従を言うような男ではなかった。今も無駄口は一切きかず、凛々しく若返った顔に何の表情も浮かべず、ただ見据えている。

 石畳にへばりついて頭を下げた、中年貴族3名の惨めな姿を。

 エヴァリア地方領主マギ・ハザン侯爵。レドン地方領主カナン・ファジール侯爵。バスク地方領主ウォーケン・リズマイヤ侯爵。

 この度エル・ザナード1世に対する直接叛乱を決行した地方領主4名のうち、3人である。残る1人エラン・ドグマ侯爵は、女王を守る近衛兵団の反撃を受けて戦死したらしい。

 数日前に会談が行われる予定だった、レネリア地方ガロッグ城塞である。

 あの時、定刻通りにこの会談の場へと姿を現したのは、本来の出席者8名のうち2人だけだった。バルムガルド国王ジオノス2世と、ヴァスケリア唯一神教会大司教クラバー・ルマン。

 女王エル・ザナード1世は、ここへ来る途中で叛乱に遭って死亡。

 会談の主役とも言える北の地方領主4名は、その叛乱を実行したものの、女王の反撃によって大きな痛手を被り、1人は死亡、他3人は命からがら己の領地に逃げ帰った。

 一方バルムガルド側からも、ある意味では最重要人物たるシーリン・カルナヴァート元王女が出席出来なくなっていた。表向きは、体調不良という事にしてある。

 もし何事もなく会談が行われていたら、独立国家の女王となるべき人物が不在という、バルムガルドにとって不利な展開となっていたところだ。

 とにかく日を改めて、こうしてガロッグ城塞に呼び出したのである。エル・ザナード1世を弑逆してのけた、地方領主3名を。

「……困った事をして下さったものよな、貴公らも」

 穏やかに、ジオノス2世は声をかけた。

 対照的に、怒りを露わにしている者もいる。

「貴様ら……どの面下げて我が前に!」

 甲冑の似合う、壮年の騎士。ヴァスケリア東国境を守るレネリア地方領主、ラウデン・ゼビル侯爵である。

 ここガロッグ城塞を寡兵で守り、バルムガルド軍を大いに苦しめてくれた名将だ。

 今回の会談では場所の提供者として、様々な準備や交渉事に忙殺されていた。

 その隙をついて北部4領主は、レネリア地方に軍隊で乗り込み、女王を襲撃するなどという凶行をやらかしたのである。

 レネリア領主としては当然、許せるものではないだろう。

「私の領地に勝手に軍を入れ……あまつさえ! 事もあろうに! 女王陛下への叛逆を行うとは!」

「わ、我々とてそんな事をするつもりではなかったのだ!」

 カナン侯爵が、蒼白になった顔を上げ、必死の弁明を始める。

「そそのかされたのだよ、ロッド地方のライアン侯爵に! いや、その配下のデキウス・グローラーという男に」

 皆まで言わせず、ラウデンがいきなり剣を抜いた。抜いた、と見えた時には斬っていた。

 カナン侯爵が血飛沫を上げて倒れ伏し、動かなくなる。

「この国はな、ようやく立ち直るところだったのだぞ! エル・ザナード1世陛下のお導きによって!」

 ラウデン侯の怒声と斬撃が、同時に起こった。

 ウォーケン侯爵が、何を言う暇もなく、青ざめた顔面を叩き斬られて絶命する。

 残る1名マギ・ハザン侯爵が、

「わわわ……じ、ジオノス2世陛下! どうかお助けを」

 こちらに助けを求めようとしながら、斬殺された。首の後ろから背中に至るまでを、ラウデン侯爵の剣が強烈に走り抜けていた。

 さすがに剛将と名高い人物だけあって、鮮やかな手並みである。

「見事……」

 ジオノス2世の傍らで、レボルトがようやく声を発した。

 ラウデン・ゼビルとレボルト・ハイマン。両者は、かつてこのガロッグ城塞を、守る側と攻める側に分かれて戦った間柄である。

 今、ジオノス2世の傍に控えている若者が、そのレボルト将軍と同一人物であるとは、しかし恐らく気付いてはいないまま、ラウデンはその場に跪いた。そして、血染めの長剣を眼前に置く。

「ジオノス2世陛下に申し上げる……この度の会談が不成立となりましたるは、領内にて愚か者どもの軍事行動を許してしまった、このラウデン・ゼビル個人の不手際によるもの。ヴァスケリア王家の外交的落ち度ではございませぬ。どうか、我が首1つにて」

「まあまあ、落ち着かれよラウデン侯爵殿。軽々しく命を投げ出すのは、決して美徳ではない」

 ジオノス2世は、鷹揚な口調を作った。

 今や死体となって転がっている領主3名、女王弑逆の大罪人として公に処刑したいところであったが、殺されてしまったものは仕方がない。

 こうなれば生きているラウデン・ゼビル侯爵を、最大限に利用するべきである。

「責任を感じておられるなら、むしろ生きられよ。偉大なる女王が亡くなられてしまった今、貴殿のような人材を死なせるわけにはゆかぬ。ヴァスケリア・バルムガルド両国のために」

 ラウデンが、血相を変えた。

「女王陛下は亡くなられてなど……!」

「ラウデン侯よ。歴戦の軍人たる貴殿ならば、おわかりであろう。戦場における行方不明とは、すなわち戦死に他ならぬ」

 たたみかけるように、ジオノス2世は言った。相手に、考える暇を与えてはならないのだ。

「大逆無道を働いた者どもは今、ラウデン侯の正義の刃に倒れた。だがそれによって、ヴァスケリア北部4地方が領主を失い、法なき地となってしまった。民衆が不安を感じておろう。安心させねばなるまい、武威と慈悲をもって」

 ラウデン侯の肩に、ジオノス2世はポンと片手を置いた。

「エヴァリア、ガルネア、レドン、バスク。これら各地方に法と政をもたらす者を、早急に決めねばならぬ。決定を下すべき女王陛下が亡き者となられた今……貴公が名乗りを上げるしかあるまい、ラウデン・ゼビル殿」

「何を……仰せられる……」

 ラウデンの声が引きつり、震えた。

「この私に……北部4地方を、奪えと……?」

「奪うのではない、正式に領有するのだ。バルムガルド王国は、全力を挙げて貴公を支援するであろう」

 ここレネリア地方がジオノス2世の支配下に加われば、バルムガルド王国とヴァスケリア北部4地方は、完全な陸続きとなる。

「新女王シーリン・カルナヴァートが、やがて保証するであろう。ヴァスケリア東部北部計5つの地方を統べる大領主の地位を、貴殿にな」

「大領主……5つもの地方を、この私が……」

 ラウデンが、息を呑んでいる。

 エル・ザナード1世に比較的忠実な地方貴族であったようだが、貴族とか領主とかいった類の人間に、野心が全くないわけはない。

 とにかく今は、このラウデン・ゼビルのような有力な地方領主を1人また1人と、こうしてバルムガルド側に取り込んでゆくしかない。

 本来ならば、領主のいなくなった北部4地方に、今こそシーリン・カルナヴァート本人を送り込んで女王として即位させ、当初の予定であった傀儡国家を完成させるべきなのだ。エル・ザナード1世のいない今こそが、好機なのである。

 ジオノス2世は、ラウデンにわからぬよう舌打ちをした。

 シーリン・カルナヴァート王女を、3男ボセロス王子の嫁として迎え入れたのは、昨年である。

 ボセロス・バルムガーディ第3王子は、ジオノス2世の幾人かいる息子たちの中では、特に出来が良い方でも悪い方でもなく、大勢に好かれる人格くらいしか取り柄のない王子であった。政略結婚で迎え入れた他国の王女を、とりあえず宛てがう。そのくらいしか人材的な使い道がなかった。

 シーリン王女も気立ての優しい嫁で、まあ政治的にも無害な夫婦であった。

 そんな息子夫婦が、連れ立って王宮から出奔し、行方をくらませたのは、2週間ほど前の事である。


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