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第42話 奇談・黒薔薇夫人

 この地方領主たちは、定期的にこうして集まり、女王エル・ザナード1世に対する不満……と言うか愚痴を、こぼし合わずにはいられないようである。

 前回の会合はガルネア地方の大聖堂で行われたが、今回はエヴァリア地方領主マギ・ハザン侯爵の居城である。

 招かれたのは、ガルネア地方領主エラン・ドグマ侯爵、ロッド地方領主ライアン・ベルギ侯爵。そして前回はいなかったレドン地方領主カナン・ファジール侯爵と、バスク地方領主ウォーケン・リズマイヤ侯爵。

 バルムガルドにそそのかされて独立を宣言してしまった北部4地方の領主たちに、ロッド地方のライアン侯を加えた計5名が、この度の会合の出席者である。

 否。会合と言うよりは、宴会であろう。

 卓上には豪勢な山海の珍味と美酒が並べられ、集まった領主5名には、金で呼ばれた女たちが、それぞれ何人かずつ貼り付いている。

 デキウス・グローラーも、ライアン・ベルギ侯爵の筆頭家臣として同席を許されていた。

 前回の会合と違って、レボルト・ハイマンはいない。クラバー・ルマン大司教もいない。あのアマリア・カストゥールという得体の知れぬ女もだ。

 デキウスは見回してみた。今回の集まりには本当に、有象無象しか参加していない。

 その1人、ウォーケン侯が言った。

「ヴァスケリア王国を正しき方向へと導き直す……その道筋くらいは、ようやく見えて参りましたかな」

「さよう。まずは我らが、率先して行動を起こさねば」

 エラン・ドグマ侯爵が、傍らの女を抱き寄せながら同調する。

「我ら4名の独立に、もう間もなくロッド地方のライアン侯が続いてくれるでありましょう。やがては王国全土の地方領主たちが一斉に蜂起し、悪逆なる女王に反旗を翻す。近いですぞ、その日は」

 ロッド地方は、北部4地方から地理的に離れており、しかも親女王派の筆頭たるエルベット家と領地を接しているため、今回の独立にすぐさま同調する事は出来なかった。領主ライアン侯としては、出遅れたような心持ちであろう。

「とにかく、エルベット家の若造が」

 とライアン侯が言うのは無論、サン・ローデル領主リムレオン・エルベット侯爵の事である。

「女王の威を借りてやりたい放題、無法な攻撃を仕掛けて来るので難儀しております。先日も、我がロッド地方から魔物どもが攻め入って来たなどと、わけのわからぬ言いがかりを」

「反エル・ザナード1世派の勢力を、手段を選ばず叩き潰しにかかっているという事です。用心せねば」

 ロッド地方からサン・ローデルへと攻め入った魔物の一隊は、魔法の鎧の力によって撃滅されたようである。

 ゴルジ・バルカウスの一派を、サン・ローデルから追い払った力。それを新領主リムレオンは効果的に運用し、自領をよく守っている。

 デキウスが調べ上げたところ判明した、魔法の鎧の装着者は、現在のところ3名である。

 サン・ローデル領主リムレオン・エルベット。その配下の戦士ブレン・バイアスと、攻撃魔法兵士シェファ・ランティ。

(まずは、こやつらを消さねばならぬ……か)

 魔法の鎧。人間という脆弱なる種族が自力で開発・入手した、魔族への対抗手段。数が揃えば、魔獣人間よりも恐ろしい力となりかねない。完成品が3つしかない今の時点で、根絶しておくべきであろう。

 そのためには装着者3名を、同時に行動させてはならない。力を合わせさせてはならない。可能な限り1人1人、個別に始末する。

 それには、人間どもを利用するのが最も効果的だ。魔族の強大な戦力をいきなりぶつけては、3人に団結行動を取らせてしまう可能性が高い。

(人間どもを、とにかく利用する事だ……我ら魔族に必要なのは、他者を利用する策略、計略。そこは人間どもを見習わねばならん。このような有象無象から学ぶべき事も……ない、とは言えぬかも知れん)

 思いつつデキウスは、地方領主たちの会話に耳を傾けた。

「……ここにお集りの方々も、本当はわかっておられるのではないですか」

 そう言っているのは、エラン・ドグマ侯爵である。

「この度の会談に臨むため、エル・ザナード1世は王都を離れます。戦ではありませんから、大軍を率いる事は出来ません」

 バルムガルド国王ジオノス2世、ヴァスケリア国王エル・ザナード1世、共に会談への随伴戦力は兵士1000名以下にとどめるべし。そういう取り決めが一応、なされたようである。

「絶好の、機会……であると私は考えます。貴方がたも、本当は考えておられるはず」

「エラン侯、お言葉には気をつけられた方がよろしい……いや、何をおっしゃっているのかはわかりませんが」

 ここの城主であるマギ・ハザン侯爵が、慎重な事を言う。

 一方、エラン侯爵に同調する者もいる。

「マギ侯爵……要は、あの女王がこの世からいなくなれば良いのです」

 ウォーケン侯爵が、直接的な物言いをした。

 対して慎重なのは、カナン侯爵である。

「し、しかし、あの女王に直接的な危害など加えたら……その、恐ろしい事が起こるのでは」

 宴席が、一瞬にして静まり返った。

 誰も何も言わずとも、デキウスにはわかる。この地方領主たちが、エル・ザナード1世に対し、表立って反旗を翻す事が出来ずにいる最大の理由……それは、かの女王に与力している、恐ろしいものの存在である。

 竜の御子、などという名を無論、ここにいる者たちは知らない。

 だが東国境におけるバルムガルド軍の大惨敗を、知らぬ者はいない。

 女王エル・ザナード1世に敵対する者は、ああなる。そんな認識が、諸侯の間では出来上がってしまっている。

(何故だ……)

 デキウスは突然、己の愚かさに気付いた。

(何故、私は……今の今まで、これを思い付きもしなかったのだ)

「あるではないか……わけのわからぬ行動を取り続ける竜の御子を、支配下に置いて自在に操る手段が」

 つい、口に出して呟いてしまった。

 マギ侯爵が、怪訝そうに声をかけてくる。

「……いかがなされた? デキウス・グローラー殿」

「こ、これ! 口を慎まぬかデキウス」

 主であるライアン侯が、狼狽している。

 構わずデキウスは、諸侯に向かって声を大きくした。

「前回レボルト・ハイマン殿がおっしゃった通り、エル・ザナード1世は魔物を飼っております。その恐ろしい魔物を……貴方がたの支配下に置く事が出来るとしたら、いかがか?」

「バルムガルドの大軍を退けた、魔物をか……」

 ウォーケン侯爵が、呻いた。

「その力を、我らのものとする……そんな事が、出来ると言うのか?」

「たやすい事。エル・ザナード1世女王を、殺めるのではなく……捕えてしまえば良いのです」

 語調を強めながらデキウスは、地方領主5名をじっと見回した。全員の目が、こちらに集中しつつも呆然としている。

 しっかりと見据え、デキウスはなおも言った。

「女王を人質に取れば、かの魔物を自在に操る事が出来るのです。今回、女王が率いる兵力は1000名以下。そこへ貴方がた各々が、それなりの軍勢を率いて襲いかかれば、捕えるのは難しい事ではないでしょう。例の怪物とて、そう都合良く即座に現れるわけではありません」

 呆然としていた諸侯の目が、次第に熱っぽさを帯びてゆく。野心の、熱だった。

「単身でバルムガルド軍4万を退ける、魔物の力……それを貴方たちが意のままに操れるようになれば、この度の独立は完全なものとなります。バルムガルド王国や唯一神教会による後ろ楯など必要としない、よって彼らの干渉も受けずに済む、傀儡政権ではない真の独立国家ですぞ」

 自分の言葉が、愚かな人間たちの野心を煽り立ててゆく。それをデキウスは感じた。

「他国に嫁いだ王女など、呼び戻す必要はありません……貴方たちが、王となるのです」

「我々が……」

「王……」

「バルムガルドの傀儡などではない、真の独立国家の……」

 浮ついた声を漏らす地方領主たちを、デキウスは心の中で嘲笑った。

(こんなところであろう……本当にエル・ザナード1世女王を捕える事が出来れば良し。失敗したとて、こやつらが竜の御子に殺し尽くされるだけの事)

 笑いが、口から漏れそうになってしまう。

(これが、策略の快感というものか……なるほど。力押しの皆殺しで得られる快感とは、ひと味違う。これはこれで……)

 卓上の豪勢な料理に、デキウスは手を伸ばした。

 野鳥と思われるものの肉に、何やら手の込んだ味付けを施したもの。それを噛みちぎり、咀嚼してみる。

 味は悪くない、とデキウスは思った。

 だが。鍛え抜かれた人間の戦士を叩き殺し、血の滴る心臓を抉り出してかじり付く。あの味わいには、遠く及ばない。

 策略の快感は、確かに心地良いものだ。が、力押しの戦いで得られる殺戮の快感もまた、捨て難く懐かしい。

(大いに殺してみたいものよ。戦士の群れを、魔術師の群れを、聖職者の群れを……19年前のように、なあ)



 事後承諾でいいだろう、とリムレオンは思った。

 とにかくロッド地方からサン・ローデルへと魔物たちが流れ込んで来たのは間違いないのだ。地方境近辺の領民たちから、証言も得た。

 早急にロッド地方へは人を派遣し、調査を行わねばならない。

 他領を、恐らくはいささか強引に調べ上げる事になるから当然、女王エル・ザナード1世の認可は必要になる。が、彼女はすでに例の会談のため王都を出立し、レネリア地方のガロッグ城塞へと向かってしまった。

 会談が終わるのを待っていたら、その間にまたしてもロッド地方から魔物が入り込んで来るかも知れない。そして領民から犠牲者が出るかも知れない。だから事後承諾とせざるを得ないのだ。

 早急にロッド地方へと人員を派遣し、魔物たちの発生源を突き止め、これを排除しなければならない。

 誰にやらせるか。本来ならば自分が行くべきだ、とリムレオンは思う。領主たる者が自らやる事ではない、という母ヴァレリアの言葉も、しかし頭では理解出来る。

 となれば人選に関しては、もはや選択の余地などなかった。

「拝命いたします、侯爵閣下」

 ブレン・バイアス兵長が恭しく跪き、重みある声を発した。

「これよりロッド地方へ赴き、魔物どもの出所を突き止め叩き潰して参ります。万が一、領主ライアン・ベルギ侯爵がこれに関わっておられた場合は」

「出来る限り穏便に……と言いたいところですが、そうもいかないでしょうね」

 魔物たちの発生源を叩き潰しに行くわけだから、穏便に事が運ぶはずもない。

 その発生源と、ロッド地方領主ライアン・ベルギ侯爵が無関係であるならば。魔法の鎧の装着者と魔物たちが領内で派手に戦うのを、ライアン侯には黙認してもらう事になる。無関係でないのならば……ライアン侯には、バウルファー・ゲドンと同じような運命を受け入れてもらう事になる、かも知れない。

「その辺りは、ブレン兵長にお任せするしかありません。どのような結果になろうと責任は、領主たる僕が負います」

 仮にライアン・ベルギ侯爵が命を落とす事になれば、それは隣の地方領主リムレオン・エルベットが刺客を放って殺害した、という事にしかならないだろう。

 ティアンナは女王としての立場上、リムレオンに何らかの罰を下さなければならなくなる。

 死刑を宣告されても受け入れるしかない、とリムレオンは思う事にした。領主として責任を負うというのは、そういう事だ。

 今はとにかく、サン・ローデル地方に今後一切、魔物たちが入り込んで来ないよう手を打つのが最優先事項なのである。

 もう1つの最優先事項であった、ゼピト村に出現した魔獣人間に関しては、とりあえず問題はなくなった。ブレン兵長がそう言っているので、リムレオンとしては信じるしかない。

 領主の椅子の上からリムレオンは、拝跪している者たちを見渡した。

 ブレン兵長の他に2人、跪いている。2人とも、女の子だ。

 1人はシェファ・ランティ。彼女にも、ブレン兵長と一緒にロッド地方へ行ってもらう事になる。

 もう1人に関しては、リムレオンも名前だけは聞いていた。

 セレナ・ジェンキム。リムレオンたちに力を預けたまま死んでしまった魔術師の、娘である。

 シェファが跪いたまま、ちらりと彼女の方を見た。

「……何であんたが、こんなとこまでついて来てんのよ」

「まあまあ、いいじゃない。あたしには、親父の遺品を預かってる人たち全員を見届ける義務があるわけで……まさかこんなナヨっちくて優しさだけが取り柄みたいな草食系が、最初の装着者だなんて思わなかったけど」

 シェファがいきなり立ち上がり、魔石の杖をセレナに突き付けて黙らせた。

「言ってる事は間違っちゃいないけど一応、領主様の御前だって事は心得とくように……ね?」

「ああ駄目だよシェファ、魔石はやたらと人に向けてはいけない」

 リムレオンは苦笑し、だがすぐに表情を引き締め、セレナに声をかけた。

「貴女のお父上には、ひとかたならぬ御恩があります。それをお返し出来ないうちに……僕たちの戦いに巻き込むような形で、お命を」

「ああ気にしない気にしない。親父は親父で、満足しながら死ねたわけだし……ほんと、満足だったと思うよ。無駄に終わったかも知れない魔法の鎧が、ちゃんと人様のお役に立てたんだから」

 突き付けられた魔石を片手で押しのけながら、セレナは言った。

「それより御領主様は……女王陛下の従兄さん、なんですよね。仲、いいんですか?」

「……まあ、普通の従兄妹同士だと思うけど」

 女王の従兄だからと、好き勝手に振る舞っている。そう陰口をきかれている事くらいは、リムレオンも知っている。

 当然だ、と思うしかなかった。政治をするような地位に就くという事は、すなわち悪口を言われるという事であり、敵を作るという事なのだ。政敵ばかりのティアンナを見ていると、よくわかる。

「あたしを女王陛下に会わせてくれる事……って、出来ます?」

 図々しいと言えば図々しい事を、セレナは言っている。

「あたし、王宮でお仕事したいなぁ……なんて。駄目? ですか?」

「駄目に決まってんでしょうが」

 リムレオンではなくシェファが、一方的に返答した。

「さあ帰った帰った。リム様だって、こう見えてもお忙しいんだからね」

「か、帰ったら姉貴に殺されちゃうんだってば」

 セレナが、悲鳴に近い声を発した。

「あたし今、あの姉貴から逃げ回ってる最中なんだから」

「何で姉妹そんなに仲悪いのか、なんてのは立ち入っちゃいけない問題なんだろうけど……」

 少々困ったように、シェファが溜め息をついている。

 セレナ・ジェンキムの姉に関しても、報告は受けている。4体目の魔法の鎧、それに魔法の鎧の量産品とも言うべきものたちに関してもだ。

「……このお城で匿ってあげてはいかがですか? 侯爵閣下」

 リムレオンが申し出ようかどうか迷っていた事を、代わりに口にしながら、1人の女性が領主の間に歩み入って来た。恰幅と血色の良い、貴族の中年女性。

 リムレオンの母、ヴァレリア・エルベットである。

「王宮で働きたいというのが本当なら、その前にここでしばらく仕事をさせてみても良いかも知れません。雑用から始める気はありますか? セレナ・ジェンキムさん」

「は、はい。女王陛下にお会い出来る伝手を作れるなら、厠のお掃除でも何でもいたします」

 心底ありがたそうに、セレナが平伏する。

 シェファが一瞬、とてつもなく嫌そうな顔をしたのを、リムレオンは見逃さなかった。

 セレナをこの城に居させるのに個人的には大反対だが、ヴァレリアの言う事なら仕方がない、といった様子である。

 そのヴァレリアが、息子リムレオンに厳しい顔を向けた。

「ところで侯爵閣下……貴方には1つ、申し上げておかなければいけない事があります」

「な、何でしょう母上」

 豪奢な領主の椅子の上で、リムレオンの背筋がピンと伸びた。

 あくまで臣下としての言葉遣いを保ったまま、母は言う。

「今月の税収に、侯爵閣下は全く手をつけておられないそうですね?」

「領主として、当然と思いますが……」

「領主という役職の正当な俸給すら、貴方は取っておられないでしょう」

「え……リム様、ただ働きしてるって事ですか?」

「何と、それは感心いたしませんな」

 シェファが、ブレンが、声を上げる。

 領主の椅子の上で、リムレオンはたじろいだ。

「いや……まあ、領主なんて衣食住は保証されているわけですし。この上、俸給なんて」

「もちろん着服は論外。ですが一定の俸給は、王国の法によって、認められていると言うより義務付けられているのですよ。領主の一存で辞退するなど許されません」

 母が、続いてブレンとシェファが、寄ってたかって領主を糾弾し始める。

「若君、いえ侯爵閣下。仕事に対する責任というものは、正当なる報酬を受け取ってこそ培われるのですぞ」

「リム様がただ働きじゃあ、あたしらだってお給料受け取るわけにいかないじゃないの」

 それに、セレナ・ジェンキムまでが加わった。

「報酬ってもんは、ちゃんともらっとかないとぉ。ただ働きの仕事だから適当でいいや、みたいな甘えが心の中に生まれて来ちゃう……もんだって、うちの親父が言ってたよ?」

「わかった。わかりましたよ」

 糾弾者4名を押し返すように、リムレオンは両手を掲げた。そして強引に話題を変えた。

「そんな事より。母上には1つ、頼み事をしてあったと思いますが」

「……西の森、の事ですか」

 サン・ローデル西部森林地帯。魔物が棲む、と領民に噂されている森である。領内に現れる魔物たちの発生源として、ブレン兵長が一時期は疑っていた場所だ。

 機会があれば時間をかけて調査してみたい、と兵長は言っていた。今はもちろん、他に調査してもらうべき場所がある。

 せめて、あの森林地帯に関して詳しく知っている人がいないか。サン・ローデル地方出身の母にそれを尋ねてみたところ、彼女の古くからの知り合いで、かつて森の奥深くまで入り込んだ事のある老人がいるという。

 もう足腰も立たぬ老人であるから、城へ招待して話を聞くのは難しい。こちらから訪ねて話を聞いてみると、この母は請け負ってくれたのだ。

「その方は昔、王都で学者をしておられました。サン・ローデルに流れて来た経緯は知りませんが、きっと何か嫌な事が王都であったのでしょうね。西の森の奥にあるものを調べ上げる事に、それからの生涯を賭けておられた方です」

 ヴァレリアが語り始める。過去形なのは、その老学者がもはや余命幾ばくもないからであろう。

「その老先生曰く、あの森の奥深くには、木々に埋もれるようにしてお城が立っているそうです。それもヴァスケリア建国以前……かのレグナード魔法王国時代にまでさかのぼるほどの古城が」

「魔法王国の遺跡、という事でございましょうか」

 ブレンが言った。

「魔王・邪神の類が封じ込められている。あの辺りの領民には、そう噂している者もおります」

「恐ろしいものが眠っている、とは言っておられましたね老先生は……黒薔薇夫人、と古の時代から呼ばれている恐ろしい存在が」

「黒薔薇夫人……それ、親父から聞いた事ある」

 セレナが反応した。

「魔法王国史上、最大の悪女って言われた人でしょ? 男を取っ替え引っ替えしては殺しまくったっていう」

 リムレオンも、書物で読んだ事はある。

 黒薔薇夫人。何やら長ったらしくややこしい本名を有する、レグナード王国の女性貴族。

 魔法王国の貴婦人らしく、強大な魔力と絶大な美貌を併せ持っていたようである。そのせいか性格は極めて残忍、少女の頃から大勢の男を誘惑しては飽きるまで愛し、弄び、飽きたら殺し、また別の男を誘惑して飼い始める。飽きたら殺す。それを老婆と呼べる年齢になるまで続けたらしい。だが容色は一向に衰える事なく、誘惑されてしまう男が跡を絶たなかったという。

「……まあ、その男たちは幸せだったのでしょうなあ」

 ブレンが、呑気な事を言っている。

「それほどの女なら、会ってみたかったような気もいたします」

「このオジサマってば、年増が好みなのねえ……ま、いい歳して10代の女の子にしか萌えない変態中年男よりは全然マシだけどぉ」

 すり寄ろうとするセレナを、ブレンはさりげなくかわした。

「それでヴァレリア様。その黒薔薇夫人とやらが、あの森の奥深くで……レグナードの魔女らしく、生きているやら死んでいるやらわからぬ状態で眠っていると?」

「老先生は、そう言っておられました。現在ではメルクト及びサン・ローデルと呼ばれているこの辺り一帯は、魔法王国時代には黒薔薇夫人の所領であったそうです。その全域から彼女は男性を狩り集め、愛玩動物のように扱っては惨殺し……その屍と血で育ったのがあの森であると、そういう伝説もあるようですが、何しろ魔法王国時代のお話ですからね。面白おかしく尾ひれがついた部分もあるでしょう」

 黒薔薇夫人が結局、晩年はどうなったのか、どのような死を迎えたのか。それは、はっきりしていないようである。だから魔物の棲む森の奥で眠っている、などという伝説も生まれてしまうのだろう。

「とにかく、西の森に関してはそんなところです。気をつけるような事ではないでしょうが……あの森の近くを通ってロッド地方へと向かわれるなら、気をつけた方がよろしいかも知れませんねブレン兵長」

 ヴァレリアが、からかうように微笑んだ。

「黒薔薇夫人は、貴方のようなお強い殿方を、特に好んでおられたとか」

「……充分、気をつける事にいたします」

 ブレンが、まじめくさって敬礼をしている。

 彼とシェファが、自分1人を置いてけぼりにして戦いに行ってしまう。ふとリムレオンは、そんな事を思ってしまった。

「結局……いくらかは事を荒立てなければいけなくなってしまったのですね」

 ヴァレリアが、溜め息をついた。

「他領へ殴り込むような事は、出来る限り控えて欲しかったのですけど……戦わなければ解決しない問題というものも、確かにあるようですね」

「でもさ……2人だけってのは、いくら何でもちょっと無謀過ぎない?」

 セレナが口を挟んだ。

「まぁもちろん、あたしなんかが行っても役に立たないだろうけど……」

「2人ではない。3人だ」

 ブレンが言った。

 もしかしたら自分も同行させてくれるのか、とリムレオンは一瞬期待したが、そんな事があるはずもなかった。

 シェファが、息を呑んでいる。

「兵長、まさか……」

「もちろん、嫌とは言わせんさ」

 傷跡のある獅子のようなブレンの顔が、ニヤリと不敵に歪んだ。

「……こういう時のために、生かしておいてやったのだからな」

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