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第41話 独立宣言と2人の聖女

 女王エル・ザナード1世率いるヴァスケリア軍が、バルムガルドの大軍を寡兵で打ち破った……という事になっている東国境の戦。

 その戦場であったガロッグ城塞が、会談の場所に指定された。

 あの戦の折には、レネリア地方領主ラウデン・ゼビル侯爵が小兵力でこの城塞を守り、バルムガルド軍の侵攻を防いでくれていた。ティアンナが王国正規軍を率いて救援に駆けつけた時には、しかし戦は終わっていた。

 突然、戦場に現れてラウデン侯に味方した何者かが、単身でバルムガルド軍を虐殺・撃退したのである。

 その何者かに関しては、ティアンナはとりあえず考えない事にした。

 今、考えなければならないのは、ガロッグ城塞で行われる事になった2国間会談に関してである。

 3国だ、とバルムガルド側は主張するかも知れない。

 独立を宣言した北部4地方を、一国家として承認する。バルムガルドにとっては、そのための会談だからだ。

 ヴァスケリア側……ティアンナにしてみれば、承認しないための会談という事になる。

 独立を企てるガルネア・バスク・エヴァリア・レドン各地方の領主4名と、彼らを支持するクラバー・ルマン大司教、それに独立の後ろ楯であるバルムガルド国王ジオノス2世。そして彼らが傀儡の女王として擁立せんとしている、シーリン・カルナヴァート元王女。

 そこにヴァスケリア現女王エル・ザナード1世を加えた、計8名による会談である。

 場所としてレネリア地方のガロッグ城塞を指定してきたバルムガルド王国の使者に先程、了承の返事を与えたところだ。今回の使者は、あのレボルト・ハイマンではなかった。

 城壁の上から王都エンドゥールの街並を見下ろしながら、ティアンナは思う。自分以外は全て敵だ、と。

 ジオノス2世は言うに及ばず、クラバー大司教も地方領主4名も、会談に臨む者たちは全員がティアンナの敵だ。傀儡として扱われるシーリン・カルナヴァート元王女とて、仮に擁立を拒む意思があるにしても、それを表明する事など許されてはいないだろう。

 自分以外の7人を、ティアンナは言い負かさなければならない。

 もちろん言い負かしたところで、ジオノス2世も他6名も、最終的には無理矢理に4地方独立そして傀儡国家樹立を決行する方向へと事態を進めるつもりであろう。

 それがいかに無法な行いであるかという事を、外交の場ではっきりさせておく必要がある。最終的には、4地方の独立を軍事力で叩き潰す事になってしまうのだとしてもだ。

 ティアンナにとっては、そのための会談でもあるのだ。

 石畳を踏む足音が、聞こえて来た。

「バルムガルド側の思惑通り、という感じがいたしますが」

 副王モートン・カルナヴァートだった。不機嫌そのものの口調である。

「あらゆる可能性を、もちろん考えておられるのでしょうな陛下」

「あらゆる可能性、ですか」

 ティアンナは空を見上げ、考え込んで見せた。

「例えば……どのような事が起こる可能性を、兄上はお考えですか?」

「会談の場で……あるいは陛下がそこへ向かわれる道すがら、何か不幸な事故が起こる。その可能性でございますよ」

 王都から遠く離れた土地に女王を誘い出し、事故を装って殺害する。ジオノス2世やクラバー大司教でなくとも、考えつく事であろう。

「……兄上は、私を心配して下さるのですか?」

「お前の身に万一の事があれば、次は私が国王をやらなければならなくなるのだぞ」

 シーリン・カルナヴァートに王位を譲ろう、という気は、モートン副王にはないようだ。

「前にも言ったが私はな、捨て扶持をもらって安穏と暮らすのが目的なのだ。そのためには何としても、お前に国を安定させてもらわねばならんのだよ」

「私は……兄上の方が国王たる器であると常々、思っていますけど」

 ティアンナの、本音である。

「それはともかく、私の事なら心配は御無用です。会談の場へ誘い出して事故を装う、などという回りくどい事を今更するくらいなら……ジオノス2世はもっと直接的に、私の命を奪っているでしょう。私も兄上も、今頃は生きていません」

「……あの、レボルト・ハイマンとやらいう男か」

 モートンが、腕組みをした。

 東国境の戦で敗退したバルムガルド軍の司令官と同じ名を持つ、あの若者が何故、可能であったにもかかわらず、女王の命も副王の命も奪わずに帰って行ったのか。

 それを実行すれば、人間ではないものが人間の政に介入する事になる。レボルト本人は、そう言っていた。

(それは、まさに今、私がしている事……)

 人間ではない若者が、頼んでもいないのに動き回って、国内の様々な厄介事を暴力で解決してくれている。

 他国から見れば確かに、女王が人間ではないものを操って国の治安を保っている、ようにしか見えないだろう。

 同じ事をバルムガルドがやり始めている、という事であろうか。

 バルムガルド王国が、国の力を挙げて魔獣人間造りに取りかかっている、という事なのか。

 国策としての魔獣人間製造。レボルト・ハイマンは、その産物か。

 魔獣人間の製造に国の金が投じられているとすれば当然、その先にあるのは軍事利用である。

 すなわち、魔獣人間の軍勢。

 バルムガルドがそんなものを保有してしまったとしたら、ヴァスケリアを含めた近隣諸国全てが、それに対抗する戦力を持たざるを得なくなる。下手をすれば、各国で魔獣人間の開発が始まってしまう。

 やがては国家の大事が、全て魔獣人間の暴力によって決められるようになってしまう。

 そうなれば、例えば今バルムガルドがやろうとしている傀儡国家の建設などといった政治的策略は、全く無意味なものとなってしまうだろう。そんな回りくどい事をしなくとも、強力な魔獣人間を敵国の王宮に送り込んで皆殺しを実行させれば、それで終わりだ。

 レボルト・ハイマンは先日、それをやろうと思えば出来たのだ。

 人間ではない者たちは、人間に対して、そういう事が出来るのだ。

 人間の用いる回りくどい政治的手段など、彼らに対しては全く意味を成さないのである。

 政治的な事など、今は後回しにするべきではないのか。ふと、ティアンナはそう思った。北部4地方の独立を、承認するかしないか。そんな話をしている場合ではないのではないか。

 そういった人間的な政治・外交を全て無意味なものとしてしまいかねない事を、バルムガルド王国は始めようとしている。

 国家規模の、魔獣人間製造事業。

 今、最優先で行うべきは、それを阻止する事ではないのか。

 独立やら傀儡国家云々といった政治的な話は、その後ですれば良い。人間の手による政略軍略ならば、人間の力で対抗出来る。

 かつてダルーハ軍にムドラー・マグラがいたように、バルムガルド王国において魔獣人間製造の中核となっている何者かがいるとすれば、まずその者を排除するべきではないのか。

 ゴルジ・バルカウスという名を、ティアンナは思い出した。

 バウルファー・ゲドン侯爵に、魔獣人間という戦力を提供していた人物。今のところ行方をくらませている彼が、バルムガルドで同じ事をしているのか。

「ギルベルト・レイン」

 モートンが突然、人名らしきものを口にした。

「先日お話しした、逃げ回っているダルーハ軍残党指揮官の名前です。現在サン・ローデル地方に潜伏しておりますが」

 監視を付けてある、と兄は言っていた。

「この者……魔獣人間です。現在のところ、悪事と呼べるような行いはしておりません」

「現在のところは……ですか」

 悪事を働かない魔獣人間というのが、ティアンナには信じられなかった。ダルーハ軍の魔獣人間たちは1匹の例外もなく、凶悪極まる怪物としか言いようのない輩であった。

「そして……このギルベルト・レインを追って動いている、と思われる者が1匹おります。正確な所在は掴めておりませんが」

「やめましょう兄上。あの方には、やはり頼るべきではないと思います」

 この兄は、あの若者をヴァスケリア王国の戦力として利用しようと考えている。政治に携わる者としては、まあ当然の考え方ではあるのだが。

「東国境の戦において私が、あの方に助けられてしまった……それがジオノス2世に、魔獣人間製造という発想を与えてしまったのだとしたら」

「陛下、以前にも申し上げた通り……すでに有るものは、利用なさるべきです」

 モートンの口調が、強い。

「ダルーハ・ケスナーを倒し、その残党をも殺し尽くし、単身でバルムガルドの大軍を退ける……それだけの力を持つ何者かが、我が国に味方している。その事を、この度の会談においては充分に印象付けて下さい。もちろん露骨な恫喝にはならぬよう、さりげなく暴力を見え隠れさせる。外交とは、そのようにして行うものです」

「……確かに、恫喝以外の何物でもありませんね。あの方の存在は」

 ティアンナとて、わかってはいる。

 人間ではないものによって、人間の国家のありようが脅かされる。そんな大き過ぎる事を憂えるよりも、まずは女王として自国の国益を考えよ。

 この兄は、そう言っているのだ。



 自分が飾り物の大司教でしかない事、くらいは理解している。

 ヴァスケリア王国における唯一神教主流であったディラム派が、ダルーハ軍によって壊滅同然の状態に追い込まれた。

 その機会を逃さずにローエン派の勢力を糾合し、新たなる協会組織を立ち上げた。そして戦災地の民衆の心を掴み、王国北部における最大勢力へとローエン派を成長させた。

 それは全て、大司教クラバー・ルマンではなく、その秘書アマリア・カストゥールの手腕によるものである。

 彼女は今、北の戦災地で「聖女」と呼ばれている。聖女アマリア・カストゥール。国内の全唯一神教徒にとって、その名は今や大司教クラバー・ルマンなどよりも、ずっと絶大なものである。

 当然だ、とクラバーは思う。

 アマリアは唯一神の御声を聞く事の出来る、本物の聖女なのだ。彼女がもたらす唯一神の託宣に従ってきた結果、ローエン派の勢力はここまで大きくなったのだ。

(聖女アマリア……君なくしては、ローエン派は1日としてこの世に在る事が出来ない……この私も、また……)

 彼女の前にこうして立つ度に、クラバーは全身が震える。

 天使すら霞んでしまうほどの美貌。地上と天界の両方を見つめる、眠たげで神秘的な瞳。優美な身体にまとわりつく、光そのもののような金髪。

 その神々しさに、クラバーはいつも目が潰れそうになる。立っていられず、跪いてしまいそうになる。

 外見がそこそこ美しいだけで、内面は醜い残虐性と卑しい野心で満ちた、あのエル・ザナード1世女王とは、気高さにおいて雲泥の差であるとクラバーは常々思っている。

 今日も、城壁に立って民衆を偉そうに見下ろしている女王の姿を見かけた。

 単なる権力欲を、民を守るためなどと言ってごまかし、ヴァスケリアという国そのものを戦争そして滅亡へと駆り立ててゆく、悪しき女王。先の戦においては自ら戦場に立ち、対話による解決を最初から放棄し、話し合えば救ってやれたかも知れないダルーハ軍の兵士たちを大いに殺戮したのだと言う。

 あんな禍々しい、少女の姿をした悪魔などよりも、聖女アマリアこそが、この国の民を導くにふさわしい。

 そんなアマリア・カストゥールが、怒っている。

 眠たげな美貌は全く表情を変えていないが、その口調には、凛と張り詰めた怒りが漲っている。

「……こういう事をなされては困りますわ、大司教猊下」

 そう言われて、クラバーは平伏し、床に這いつくばるしかなかった。

 王都中央大聖堂の、大司教の私室である。

 クラバー・ルマンは日頃、権威を濫用して聖女アマリアをこの部屋に連れ込み、ふしだらな行為に及んでいる。そんな噂をしている者が、嘆かわしい事に教会内部にも少なくはなかった。

 そういった輩には神罰が下れば良い、とクラバーは思う。

 唯一神に誓って言える。自分は聖女アマリアの、その美しく繊細な手すら、握った事はない。

 何人たりとも、聖女を独占する事など出来はしないのだ。

 平伏したままの大司教にアマリアが、冷ややかな叱責の言葉を浴びせる。

「北部4地方の独立など……バルムガルドの傀儡国家である事が、誰の目にも明らかではありませんか」

「す、すまぬ申し訳ない……戦災地の領主たちが、バルムガルド側にそそのかされて勝手に独立宣言をしてしまったのだよ」

「大司教猊下は、そういう軽はずみな行いを止めなければいけない立場におられるはず。なのに、独立宣言書に教会の聖印を押してしまわれている」

 呆れたように苛立ったように、アマリアは溜め息をついた。

「真の平和。それこそがローエン派の進むべき道です。が、それはヴァスケリアがバルムガルドに併呑される事で成し遂げられるわけではありません。その辺り、どうも勘違いなさっている方々が多いようですけれど……私たちローエン派は、両国の良き橋渡しとならなければいけないのですよ? それは決して、ヴァスケリアをバルムガルドに隷属させるという事ではないのです。隷属したりさせたりするような関係であってはなりません。血を流す事なく、両国の面目も国益も保たれるよう取りはからう。真の平和とは、そのようにして実現するもの。おわかりでしょうね? 大司教猊下」

「わかっている、わかっているとも」

 ひたすらに、クラバーは頭を下げ続けた。

 平伏を強いられる。それがクラバーにとって、屈辱ではなかった。

 自分の如き凡人が、唯一神そのものに等しき聖女に対し、跪き這いつくばるのは当然だ。むしろ誉れとするべき事だ。

(ああ……私は今、聖女の前で……まるで、汚らしい虫が這うかの如く……)

 快感に近いものが今、大司教クラバー・ルマンの体内を駆け回っていた。

「……まあ、独立宣言をしてしまったものは仕方がないとして。念のため、大司教猊下にお聞きしておきますわね」

 虫の如く床にへばりつく大司教に、アマリアが眠たげで冷ややかなる眼差しを投げる。

「まさかとは思いますけど……この機会に女王陛下を亡き者にしようなどと考えておられる方は」

「お、おらんとも。そのような者、4地方の領主たちの中にもおらぬし、私も考えてはおらん! 唯一神に誓って、そのような事は」

「そのような事があっては困ります。女王陛下に対する御無礼は、唯一神の御名において私が許しません」

 きっぱりとした冷厳なる口調で、アマリアは言った。

「私……エル・ザナード1世陛下とは、お友達になりたいのですから」

(ああ……やはり君は聖女だ、アマリア・カストゥール……)

 這いつくばった身体を震わせて、クラバーは感激していた。

(あのような、魔女も同然の悪しき女王をも、唯一神の慈悲をもって改心させようとしている……)



 生首ほどの大きさの、壺である。

 それを持ち上げて、軽く揺らしてみた。たぷ……っと重い液体がうねるのを、メイフェムは感じた。

 竜の血液。

 人間ではない今の自分なら、これを全身に浴びても生きていられるのではないか。そしてダルーハ・ケスナーのような力を、手に入れる事が出来るかも知れない。

 そう思いかけて、メイフェム・グリムは苦笑した。

「無理……に決まっているわね」

 台座の上に元通り壺を安置しながら、メイフェムは思い返してみる。

 ダルーハ・ケスナー。あの男は、人間であった時から怪物だった。

 今の自分が、魔獣人間バルロックとしての正体を晒して死力を尽くし、あの頃の人間ダルーハ・ケスナーと戦ったとしたら。

 勝てる自信が、メイフェムにはなかった。

 そんなダルーハだからこそ、赤き竜の返り血を浴びて、本物の怪物へと進化する事が出来たのである。

 悲鳴が聞こえてきたので、メイフェムは見回した。

 バルムガルド王国ヴォルケット州、ゴズム岩窟魔宮。その一室。

 怪物たちの生体標本が置物の如くあちこちに配置された、大広間である。

 そこへ小さな女の子が1人、悲鳴を上げながら駆け込んで来た。小さな身体に唯一神教の法衣を着せられた、幼い少女。

「めっメイフェム様、メイフェムさまぁー!」

 マチュアだった。追われている、ようである。

 何に追われて逃げて来たのかは、すぐに明らかになった。

「かかか可愛いお嬢ちゃんがいるじゃねーかぁオイオイオイオイオイ!」

 何日か前までは人間だった、1人の男。大柄な肉体は一応、四肢を備えて、人の原形をとどめている。

 全身至る所で臓物あるいは寄生虫のようなものが蠢いており、それが今にも一斉に伸びて、マチュアの愛らしい尼僧姿を絡め取ってしまいそうだ。

「おおおう、そこにもイカスお姉ちゃんがいるぅうう! おっお姉ちゃんとお嬢ちゃん、2人仲良くグッチュグッチュぬっぷぬっぷ可愛がってあげるからねえぇオッ俺様のコイツらでえ!」

 寄生虫に似た醜悪な器官の群れが、ゴパァッと触手状に伸び広がって、襲いかかって来る……よりも早く、メイフェムは踏み込んで身を捻った。法衣の裾があられもなく跳ね上がり、すらりと美しい左脚が、斬撃の如く一閃する。

 ゴルジの実験室から逃げ出して来たのであろう男の肉体が、真っ二つにちぎれた。

 下半身が尻餅をつき、その近くに上半身が落下する。寄生虫のような臓物のようなものたちが、床にドバァーッと広がって弱々しく蠢く。そして急速に干涸び、ひび割れてゆく。

 蹴り終えた左足を優雅に着地させながらメイフェムは、青ざめ泣きじゃくるマチュアに、一言だけ命じた。

「片付けておくように」

「は……はい……あ、あり、ありが」

 何か言おうとするマチュアをそれきり無視して、メイフェムは視線をちらりと動かした。

 細い人影が1つ、広間に歩み入って来ていた。枯れ木のような身体をローブに包み、顔に仮面を貼り付けた男。

「……すまんなメイフェム殿。処分してくれたか」

 ゴルジ・バルカウスである。

「とある街で、ゴロツキどもの顔役をしていた男でな。そこそこ身体は頑丈だったので多少、期待はしていたのだが……駄目であった。魔獣人間の素材は、やはりそう簡単には見つからぬ」

「……ゴルジ殿が難しい顔をしているのは、それだけが原因ではないようね?」

「ほう、難しい顔が見えるのか」

 仮面の内側でゴルジは、どうやら苦笑した。

「何か厄介事があるなら、私が片付けてあげましょうか」

「メイフェム殿では、厄介事が片付くと言うより、ただ単に皆殺しになってしまうな……いや、最終的にはそうしてもらう事になるかも知れんのだが」

 ゴルジが息をつき、高い天井を見上げた。

「ヴァスケリアの地方領主何人かが、少しばかり私の想定を超えた事をしてくれたのだよ」

「……例の、独立宣言?」

 ヴァスケリア北部の地方領主4名が、ローエン派の支持を得て、独立の意思を公にしたのである。

 逆賊ダルーハ・ケスナーに擁立されたままの現女王を認めず、バルムガルドに嫁いだシーリン・カルナヴァート元王女を正当なる女王として迎え入れる、などと言っているのだ。

「ジオノス2世王が何やら、そそのかしたのでしょうね。きっと」

「陛下は少し、急ぎ過ぎておられる。どうもな、エル・ザナード1世女王を会談に誘い出して暗殺……などと考えておられる気配なのだ」

「そういう事をさせないために、ゼノス王子を行かせたのでしょう?」

 あの元リグロア王太子は、誰かの身を守るような仕事を、少なくともメイフェムよりは確実にこなす。自分など、少し頭に血が昇っただけで、守るべき対象をも殺害してしまいかねない。

「あの女王には、まだ健在でいてもらわねばならん……まあゼノス王子に任せてしまったのは私だ。信じるしかないか」

「それよりゴルジ殿。私が片付けるような厄介事は、何かないのかしら?」

 言いつつメイフェムは、蹴りを放った。シュッ! と高速で跳ね上がった右足が、近くにある透明の柱を叩き割る、寸前で止まる。

 水晶あるいは硝子に似た材質の柱。その内部は液体で満たされ、1匹のデーモンが、水中で眠っているかのように漬けられている。

「どうにも身体がなまって仕方がないのよね」

「だからと言って、ここにある物を壊さないでいただきたいな」

 言いつつゴルジが、その柱を軽く撫でる。

「これらは私にとって、大切な商品でもあるのだ」

「あら……ここにある物が、お金になるの?」

「ごくたまに、だがな。魔獣人間造りに取り憑かれてしまった者は、私だけではない……そういった者たちが各々の努力でこの場所を探り当て、魔獣人間の材料を買い求めに来るのだよ。デーモンやヒドラを自力で狩り殺して採取出来る者など、そうはいないからな」

「なるほど、ね。魔獣人間を造っているのは、この世でゴルジ殿1人だけではないと」

 そんな事はまあ、どうでも良かった。

「すでに死んでしまったものを叩き壊したりはしないわ。私が思いきり蹴りを入れてやりたいのは、まだ生きている連中……私と何度も戦って生き長らえている、若君と小娘と大男よ」

「魔法の鎧の、装着者どもか」

 一瞬、ゴルジは何かを思案した。

「メイフェム殿には……あの者どもを討ち取る事が、出来るのか?」

「……どういう意味かしらね、それは」

 辛うじて、メイフェムは微笑みを保った。

 実際、あの3名に撃退されてヴァスケリアを出て来たのは事実であるから、ゴルジに何か文句を言われても仕方のないところではある。

「私の気のせい、ならば良いのだが……」

 と、ゴルジは前置きをした。

「あの者どもに、メイフェム殿が何やら普通ではない思い入れのようなものを抱いている……ように私には見えてしまうのだよ。戦いでなかなか勝てぬ相手、自分が倒すべき相手、というもの以上の思い入れをな」

「…………」

 メイフェムは黙り込んだ。ゴルジは、言葉を続ける。

「私は、魔獣人間という手段で、人間という種族そのものを救わねばならぬ。が、あの者どもは命ある限りそれを妨害しようとするであろう。ゆえに消さねばならん。今から私が直々に、あの3名の命を奪うべくヴァスケリアへ赴く。が、メイフェム殿を伴う事は出来ん。貴女はその謎めいた思い入れゆえに……意識せずとも私の足を引っ張り、あやつらを助けてしまうかも知れぬ」

「……謎めいた思い入れ、ね」

 マチュアが、ぼろぼろに乾いて崩れた残骸兵士の屍を、箒と塵取で掻き集めようと悪戦苦闘している。

 それを見つめながら、メイフェムは言った。

「結局あの3人に負けて逃げ帰って来た私に、何か言う資格はないわね。ゴルジ殿の好きなようにやればいいわ。ただ……彼らを甘く見ないように、とだけは言わせてもらおうかしらね」

「もとより、侮るつもりなどない」

 声がした。眼前のゴルジが発した声ではない、しかしそれは紛れもなくゴルジ・バルカウスの声である。

「メルクトの若君……否、サン・ローデル地方領主リムレオン・エルベットと、それに与する者ども」

「侮る事なく、全力で亡き者としてくれよう」

 美しいサキュバスが眠ったような状態で閉じ込められた、巨大な氷塊のようなもの。その陰から人影が2つ、ゆらりと歩み出て来た。仮面とローブに包まれた、細身の姿……2人のゴルジ・バルカウス、にしか見えない。

「この私の、全力で」

「ゴルジ・バルカウスの、全力をもって」

 竜の血が封じ込められた壺。それが安置された台座の近くにも1人、ゴルジが立っている。

 いや。サイクロプスの眼球と思われるものが液体漬けにされた巨大な容器の、傍らにも。

「滅ぼす……わが理想を阻む者どもを」

「我が理想を理解せぬ、愚者どもを」

「滅ぼす……私が」

「我らが」

「我ら……ゴルジ・バルカウスが」

 枯れ木のような身体をローブに包み、顔に仮面を貼り付けた男。それが10人、いや20人以上、広間のあちこちに立っている。

 マチュアが掃除の手を止め、目を見開いた。

 メイフェムも、息を呑むしかなかった。

 どれが本物・偽物という事もない。全て、ゴルジ・バルカウスなのである。

 その全員が、今からヴァスケリア王国サン・ローデル地方へと向かう。魔法の鎧の装着者たちを、皆殺しにするために。

 ゴルジの言う通り、自分が行かないのは正解かも知れない、とメイフェムは思った。自分は確かに、足を引っ張りかねない。どころか、このゴルジ・バルカウスを何人か殺害してしまうかも知れない。

 魔法の鎧を着た、あの3人を、助けるために。

 サン・ローデル新領主リムレオン・エルベット。その配下の戦士ブレン・バイアスと、攻撃魔法兵士シェファ・ランティ。

 この3名に対する、思い入れ、のようなもの。ゴルジに指摘された通り、確かにメイフェムの心の中にはある。

 白と青の魔法の鎧に身を包んだ、少年少女。非力ながらも健気に庇い合い、力を合わせて懸命に戦うその姿が、メイフェムの心には焼き付いている。

(ケリスが命を捨てて守った、美しいもの……あの子たちなら、見せてくれるかも知れない……)

 まだだ、と、メイフェムは思った。もう少し追い込んでみないと、人間の本当の姿というものはわからない。

(私自身の手で、もっともっと追い込まなければ……そのためにも勝って生き残りなさいリムレオン・エルベット、それにシェファ・ランティ。そして私に、もっと美しいものを見せなさい……)

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