第40話 青銅の魔牛、黄銅の獅子
鉄槌のような蹄による蹴りの一撃で、マディック・ラザンの身体は吹っ飛んだ。
緑色の甲冑姿がへし曲がり、大木に激突し、地面に転がる。
「ぐっ……う……」
血を吐くような呻きを漏らしつつも、魔法の槍にすがりついて立つマディック。立ち上がり、槍を構える。
それを待ってから、魔獣人間ユニゴーゴンは悠然と歩み迫って行った。
苦痛の悲鳴か闘志の叫びか、判然としない声を発しながらマディックが踏み込み、魔法の槍を突き出す。
その穂先を、上半身を揺らしてかわす。下半身を捻って、蹴りを跳ね上げる。ユニゴーゴンのその2つの動きが、ほぼ同時に起こった。跳ね上がった蹄の爪先が、マディックの手元を打ち据える。
魔法の槍が、蹴り飛ばされた。
回収する暇など与えず、ユニゴーゴンが1歩踏み込んで拳を振るう。がっちりと握り固まった金属質の拳が、マディックの顔面を直撃した。緑色の面頬から、微かな血飛沫が散った。
リムレオンと同じような目に遭っている、とエミリィは思った。あの若君も、こんなふうに叩きのめされ、死にそうな目に遭いながら戦っていたものだ。
マディックも今、死にかけている。
「やめて……!」
エミリィの身体が、ほとんど勝手に走り出していた。倒れたマディックに駆け寄り、すがりつく。
「お願い、ギルベルトさん! もうやめて下さい……」
「……そうだな。叩き殺すべきは、そちらの女か」
角の生えた兜、の如く異形化した頭骨の下で、ギルベルトの両眼が禍々しく輝いた。その眼光が、イリーナ・ジェンキムの細身を射すくめる。
「ま……魔獣……人間……?」
大木にすがりついて、イリーナは震えていた。
「セレナ……まさか、貴女が造ったのではないでしょうね……絶対に手を出してはならないと、お父様がおっしゃっていた技術……」
「まあ、造ってみたいなぁーなんて思った事はあるけどね」
イリーナの、どうやら妹であるらしいセレナという少女が、軽く頭を掻いた。
「それより姉貴……絶対やっちゃいけないって親父が言ってたのは、魔獣人間造りだけじゃないよ? 魔法の鎧の大量生産に遠隔操作! ある意味、魔獣人間よりもヤバい技術だって事わかってる?」
「……軍事利用、って奴ね」
シェファが、青い面頬の顎の辺りに片手を当てながら言った。
「出来損ないでも数は揃えられる。生きた兵隊さんを、戦場に送り込まずに済む……どっかの王様とかに、売り込もうと思えば売り込めるかもねえ」
「……そうよ。まさに無限の力を持つ軍隊……」
青ざめ震えながらもイリーナは、口調に熱を込めている。
「ゾルカ・ジェンキムの名を世に知らしめる、最強の力よ! いい加減にそれを理解しなさいセレナ! ダルーハ・ケスナー1人を英雄視してお父様を正当に評価しない、名を知ろうともしない! そんな世の中の愚者どもに」
「教え込む? 親父の名前を? けど無理だって、そんなんじゃ」
嘲りの言葉と視線を、セレナはマディックに投げた。
エミリィの傍らで彼は、よろよろと槍にしがみついて立ち上がりつつある。立ち上がる事だけに、体力と気力の全てを注ぎ込んでいる様子だ。
「親父の遺した技術を使って、姉貴が世の中にバカ晒してる……そんな事にしかならないからさ、もうやめときなって」
「く……ッッ! な、何をしているのマディック・ラザン!」
怯えながら、イリーナは怒り狂った。
「立ちなさい! 立って戦いなさい! そのために力をあげたのよ、元々は何の力も持っていない役立たずの低能聖職者に! 役立たずに戻りたくなかったら戦いなさい、私のために!」
「……いい加減にしなよ姉貴。その人、死んじゃうよ?」
セレナの口調と眼差しにも、怒りが籠った。
「着た人が死んじゃうようなものを、親父の技術で造っちゃったわけ……だとしたら、あたし許さないよ姉貴の事」
「セレナ…………ッッ!」
恐怖と怒りでまともに口をきけなくなり始めているイリーナに、ギルベルトが1歩ずしりと迫りながら語りかける。
「お前は……俺をこんなものに造り変えた男と、同じような臭いを発しているな」
語りかけながら、巨大な拳を握る。
「魔獣人間造りと大して違わない事を、貴様はしているようだ……やはり、ここで叩き殺しておくべきか」
「…………!」
恐怖が怒りを上回った様子で、イリーナが青ざめ息を呑む。
立ち上がるのがやっと、であったマディックの身体が突然、力を取り戻した。
「……逃げろ、イリーナ!」
エミリィの傍らから跳ぶように駆け出し、構えた槍と共に突っ込んで行く。青銅色の魔獣人間へと向かってだ。
その一撃を、ユニゴーゴンが辛うじてかわした。いささか油断していたのだろう、よろめくような危うい回避になった。
言われた通り、イリーナは逃げ出していた。捨て台詞も吐かずに背を向け、木立の向こうへと走り去って行く。
その間、マディックがまたしても吹っ飛んで倒れた。ユニゴーゴンの、拳を喰らったのか蹴りを喰らったのか。エミリィの動体視力で捉える事は出来なかった。
とにかく何らかの攻撃でマディックを叩きのめしたギルベルトが、しかしイリーナを追おうとはせず、彼女の逃げ去った方向を一瞥する。
「……見捨てられたようだな、マディック・ラザンとやら」
「俺が……勝手に、この場に残っているだけだ……」
よろりと立ち上がったマディックの全身が一瞬、白い光に包まれた。
癒しの力、である。
だがギルベルトがもう少し本気で戦えば、マディックなど、癒しの力を使う暇もなく殺されてしまうだろう。素人であるエミリィの目にも、両者の戦力差はもはや明らかだ。
なのにマディックは、まだ戦おうとしている。
「さあ、勝負だ魔獣人間……」
「もうやめて、マディック……!」
魔獣人間の、禍々しいほど力強い青銅色の身体に、エミリィはすがりついた。
「ギルベルトさんも、お願い……もう、やめて下さい……」
「…………」
ギルベルトは、何も言わない。
シェファも、セレナ・ジェンキムも、黙り込んでいる。
声を発したのは、イリーナだった。1人で逃げ去りながらも、遠くから叫んでいる。
「マディック・ラザン! 何をしているの、早く来なさい!」
憎しみと怒りに満ちた声。だが、今にも泣き出しそうな声でもあった。
寂しい女性なのかも知れない。ふと、エミリィはそう思った。
「……行ってやれ」
すがりつくエミリィをやんわりと振り払いながら、ギルベルトが言う。
「何やら疲れた。本日の力仕事は、ここまでにしておく」
「……すまんな、恩に着る」
意地を張って命を粗末にする事もなく、マディックは槍を下ろしてくれた。
「ギルベルト殿、と言ったか……俺のような弱者の相手をさせて、申し訳なかった。さぞかし手応えのない戦いだったろうな」
「再び相まみえるような事があったら、少しは自分の意思で戦ってみろ」
「弱者が己の意思を押し通すのは、なかなか難しい……」
面頬の下で、マディックは苦笑したようだ。
くるりと背を向けながら、彼は言った。
「……北へ戻る気はないか、エミリィ」
「え……?」
「北の戦災地には今、聖女が必要だ……アマリア・カストゥールのような紛い物ではない、本物の聖女が」
「それ……って、あたしの事ですか……?」
というエミリィの問いには答えずマディックは、イリーナの逃げ去った方へと向かって木立に入り込み、姿を消していた。
森の墓所に、静穏が戻った。
セレナ・ジェンキムが、まずは言葉を発し、頭を下げる。
「どうも……うちの姉貴が、お見苦しい様を」
「貴女は、一緒に行ってあげないの?」
魔法の鎧の装着を解かぬまま、シェファが訊いた。
「姉妹、なのよね。あんまり仲良さそうじゃないのは別にいいんだけど……エルベット家の御領内で、はた迷惑な姉妹喧嘩はやめて欲しいのよね。上辺だけでもいいから、もうちょっと仲良く出来ない?」
「あんたも女の子ならわかるでしょ? 女同士ってのが、どれだけ仲良く出来ないもんなのか」
そんな事を言いながらセレナが、シェファの全身にまじまじと、失礼なくらいに見入っている。
「それにしても……魔法の鎧の完成品が動いてるとこ、初めて見たわぁ。親父の奴、女の子用の鎧なんか造ってやがったのねえ気合い入れて。いい歳こいて、生身の女より鎧の方が」
「あ、あの」
死者を、それも自身の父親を冒涜するセレナの言葉を、エミリィは慌てて遮った。
「ごっご存じかも知れませんが、ゾルカさんは……」
「ああ、知ってるよ。この村で死んじゃったんだよね」
ゾルカ・ジェンキムの質素な墓石を、セレナは叩くように撫でた。
「まったくさぁ……ねえ親父? あんたが死んじゃったせいで姉貴がバカやり始めて、止まんなくなっちゃったよ。どうしてくれるのさ」
「愛する者を失い、道を踏み外すか……まるでダルーハ様のようだ」
重々しく呟くギルベルトに、シェファが魔石の杖を向けた。
「道を踏み外しちゃってるのはアンタも同じ。わかってんでしょうね?」
「シェファさん……待って! この人は、ギルベルトさんは」
「善い魔獣人間。そう言いたいのよね」
シェファの口調には、揺らぎがない。信念に近いものすら感じられる。
「でもねエミリィさん。魔獣人間ってのは、人間が蟻んこを踏み潰すみたいに人を殺せちゃう連中なの。こいつらが道を歩いてるだけで、人が死ぬかも知れないって事。そんな生き物、リム様の御領内に放置しとくわけにはいかないから」
「ギルベルトさんは、あたしを助けてくれたんです!」
「昨日、人助けをした奴が、今日明日、人殺しをしない……とは限らない。そうよね? ギルベルトさんとかいうの」
「……全くその通りだ」
魔獣人間ユニゴーゴンが、エミリィを押しのけるようにして進み出る。そしてシェファと対峙する。
「で……俺をどうするつもりかな? お嬢さん」
「…………」
シェファは、何も言わなくなった。バチバチ……ッと帯電する杖を構えたまま、1歩も動かない。
ギルベルトの眼光が、ぎらりと強まった。
動かなかったシェファが1歩、後退りをした。
「……く……っ……」
青い面頬の下で、微かな呻き声が発生する。
さらにもう1歩、退いたシェファの背中が、誰かにぶつかった。
いつの間にかそこに現れていた、大柄な人影。軽くシェファの肩を叩きながら、ずいっと前に進み出て、魔獣人間と向かい合う。
「ブレン兵長……」
「戦えば負ける……戦う前にそれがわかるようになったな、シェファよ」
タテガミのような頭髪と髭に囲まれた顔面が、まさしく獅子の如く牙を剥いて微笑む。
「レイニー・ウェイル司教殿から話は聞いている。ここの村人を助けてくれた魔獣人間というのは……貴様か?」
「人助けをしたのは、俺ではない」
エミリィを助けてくれたギルベルトが、しかしそんな事を言う。
「……俺の、部下たちだ」
「ふん。魔獣人間にしては、奥ゆかしい事だな」
言いつつブレンが、眼前で拳を握る。
太い中指に巻き付いた竜の指輪が、淡く光を発する。
「あら……あらあらあら、おじさんもそうなの」
セレナが声を上げながら、ブレンに身を寄せて行った。
「んー……お兄さん、ってよりはオジサマよねえ完全に。ああん、でも筋肉のごっついオヤジ! 超あたし好みなんだけどぉ」
すがりつこうとする少女を、ブレンは素っ気なく振り払った。
「あと10年は女を磨け……そして貴様はここで死ね」
言葉の後半は、ギルベルトに対してのものだ。
割って入ろうとするエミリィの眼前に、シェファが立った。
「ああ、もう駄目。止めらんないから……このおっさんが、やる気になっちゃったんだもの」
「そ、そんな……」
エミリィが止められずにいる間、男たちは勝手に話を進めてゆく。
「俺はブレン・バイアス……貴様も名乗れ。名前くらいは覚えてやる」
「ギルベルト・レイン……魔獣人間ユニゴーゴン。好きな方で呼べ」
そんな名乗りと共に、青銅色の巨体は駆け出していた。
3本の角を振り立て、猛牛の如く襲いかかって来る魔獣人間に対し、ブレンは右拳を突き出す。
「武装転身!」
太い中指にはまった竜の指輪が、輝きを強めた。
その光が、大型の紋様となって、前方の空間へと投影される。様々な図形・記号を内包した、光の真円。
そこへユニゴーゴンは激突し、揺らいだ。
「む……っ」
壁の如く物理的な強度を有しているらしい光の紋様に、突進を阻まれ、よろめきながらも、ギルベルトは倒れずに踏みとどまる。
その間、光の紋様から激しい電光が横向きに迸って、ブレンの全身をバチバチバチッ! と包み込む。
そして彼の体表面で、魔法の鎧として物質化してゆく。
光の紋様が、消えた。
黄銅色の全身甲冑に身を包んだブレン・バイアスの姿が、そこに出現していた。
セレナが、嬉しそうに口笛を吹く。
「様になってるわぁ、おじさん……ちゃんとした人が中に入ると、やっぱ違うよねえ。鎧ってのはこうでなきゃ」
「ふん……確かに見事なものだ」
同調しつつユニゴーゴンが、シューッ! と息を吐いた。蒸気のようなその吐息が、燃え上がって炎と化す。
「見事な石像にしてやる。村のどこかに飾ってもらえ!」
何も焼き尽くす事が出来ない代わりに、触れたものを石に変えてしまう魔の炎。
それが激しく燃え盛り放射され、渦巻きながら、ブレンの全身を包み込む。
黄銅色の力強い甲冑姿が、しかし何事もなく、魔の炎を蹴散らし吹き飛ばして、猛然と駆け出した。
「すまんな。こいつを着ていると、そういうものは平気になってしまうらしい」
不敵に詫びながらブレンは、腰鎧に取り付けられていた魔法の戦斧を、右手で引きちぎるように握り構え、踏み込みと同時に一閃させた。
その斬撃が、豪快に空振りをした。ユニゴーゴンの巨体が、後方に跳び退っていた。
着地と同時に魔獣人間が、再びシューッ! と炎を吐く。ブレンに、ではなく己の両掌に向かってだ。寒い日に両手を吐息で温める仕草、に似ている。
魔の炎が、ギルベルトの両手で燃え盛りながら、固まって実体化した。武器として、である。
石の鎚、あるいは棍棒。そんな形状だ。棒状の石材の先端部分が、球形に大きく膨らんでいる。
それが2本、生じていた。ユニゴーゴンの両手でそれぞれ1本ずつ握られた、石の棍棒。球形に膨らんだ打撃部分が、めらめらと魔の炎に包まれている。
松明にも似た左右一対の武器を両手で構えた魔獣人間と、魔法の戦斧を構えた黄銅色の甲冑戦士。
一瞬だけ睨み合った後、両者はほぼ同時に踏み込んだ。そして激突した。
燃え盛る石の棍棒が、魔法の戦斧を受け流す。
揺らいだブレンが身構え直すよりも早く、もう片方の棍棒がブンッと唸る。
直撃した。黄銅色の魔法の鎧、その前面のどこかから激しく火花が散る。
「うぬ……っ」
呻き、よろめくブレンに、炎をまとう石の棍棒が2本、左右交互に襲いかかる。
ブレンは辛うじて片方をかわし、もう片方を戦斧で弾いた。両手で振るわれる魔法の斧が、片手で振るわれる炎の石棒を跳ね返す。
今度は、ユニゴーゴンの方が体勢を崩した。
立て直す暇を与えず、ブレンが踏み込んで戦斧を叩き付ける。それをギルベルトが、いささか不安定な姿勢のまま、左の棍棒で受け止めた。
受け止めた瞬間、石の破片が飛び散った。棍棒が、粉砕されていた。魔法の戦斧の方は、全くの無傷だ。
無傷の斧が斬り掛かって来る、よりも早く、ギルベルトは右の棍棒を振り下ろした。
その一撃が、ブレンの手から魔法の戦斧を叩き落とす。
無理に拾おうとはせずにブレンは、とどめとばかりに殴りかかって来た炎の石棍棒を、両手で受け止めた。正確には、棍棒を握るユニゴーゴンの右手首を、両手で掴み捕えた。
そして、捻り上げる。
「…………ッ」
苦痛の悲鳴を、ギルベルトは辛うじて噛み殺したようだ。捻られた右手から、石の棍棒がこぼれ落ちる。
ブレンはそのまま、捻り上げた敵の右腕を、脇に抱え込んで関節を極めにかかった。
極められる前にギルベルトは右腕を曲げ、腕力で耐えた。
それ以上、関節技にこだわろうとせずにブレンは、ユニゴーゴンの腹に右の膝蹴りを叩き込んだ。魔獣人間の巨体がズドッ! とへし曲がり、苦しげな呻きが漏れる。
そのまま前のめりに倒れかかったユニゴーゴンの首を、ブレンが太い右腕で抱え込む。
いや。その太い腕と、己の首との間に、ギルベルトは危うく両手を滑り込ませていた。
そしてブレンの右腕を強引に振り払い、上体を起こして捻り、左拳を振るう。
がっちりと握り固められた金属質の拳が、面頬の上からブレンの顔面に叩き込まれた。黄銅色のたくましい甲冑姿が、微かに揺らぐ。
間髪入れずユニゴーゴンの右足が、唸りを立てて離陸し、弧を描く。蹄で殴りつけるような、重い高速の回し蹴り。
それをブレンは、滑るように後退してかわした。
空振りした右足を即座に着地させ、身構えながら、ギルベルトが声を発する。
「……貴様に組み付かれたら、俺は何も出来なくなるな」
「組み付くような戦いはな、本来ならば避けるべきなのだ。武器を叩き落とされた時点で、戦士としては失格に等しい……」
応えつつ、ブレンが低く身構える。
そのまま、睨み合いが続いた。緊張が、静寂が、両者の間に張り詰める。
それを破ったのは、ギルベルトの方からだった。
「ブレン・バイアス……貴様、俺を試しているつもりなのか」
「まあな」
厳つい面頬の下で、ブレンは微笑んだようだ。
「人助けをした魔獣人間というのが、どういう奴なのか知っておきたかった。貴様が、魔獣人間の力で正義の味方を気取っているような男であれば……シェファと2人がかりででも、この場で殺しておかねばならなかったところだが」
「はあぁん、なるほど」
セレナが、何やら感心している。
「これってほら、いわゆるアレよ……拳で語り合ったってやつ? それでわかり合えちゃうのが男の子よねえ。まあオッサンだけど」
「何よそれ……」
シェファの声が、怒りで引きつった。
「ちょっと、ブレン兵長……」
「ギルベルト・レイン。このサン・ローデルに住むのであれば、その力いずれ役立ててもらうぞ。領主リムレオン・エルベット様の御ために、な」
油断なく、ゆっくりと後退りをしながら、ブレンは構えを解いた。
「……それまで、命は預けておく」
「ちょっと! 何しに来たんですかっ!」
シェファが、青い面頬越しに怒声を響かせた。
「魔獣人間を生かしといたら駄目でしょうが! リム様の御領内で!」
「危険だから、か?」
ブレンの全身が、光に包まれた。黄銅色の魔法の鎧が、光に戻りつつある。
「しかしなあシェファよ、それを言うなら俺たちも同じようなものだぞ。実に手軽に、魔獣人間と同等の力を得る事が出来る……」
その光がキラキラと、竜の指輪に吸い込まれてゆく。
そうして生身に戻りながら、ブレンは言った。
「都合のいい時に、こうして人間に戻る事も出来る。ある意味、俺たちの方がタチが悪いと言えるかも知れん」
「それは……そうかも知れませんけど……」
言いつつもシェファは、魔法の鎧を脱ごうとはしない。魔獣人間が近くにいるのだから、当然と言えば当然だ。
生身になったブレンを攻撃しようとはせずギルベルトは、それでも敵意漲る口調で言った。
「気のせいかなブレン・バイアスよ……貴様の今の言い種、何やら俺を哀れんでいるように聞こえなくもなかった。気に入らんな」
「魔獣人間に気に入られようとは思わんよ」
ブレンは笑った。シェファは、ニコリともせずに言う。
「……しばらく生かしといてあげる代わりに、教えなさい魔獣人間。ゴルジ・バルカウスは今どこにいるの」
エミリィは一瞬、わけがわからなくなった。ゴルジ・バルカウスはこの村で、シェファ自身が討ち取ったはずではなかったのか。
表情のわからぬ魔獣人間ユニゴーゴンが、それでも怪訝そうな顔をしているようだ。
「ゴルジ、だと……?」
「すっとぼけてんじゃないわよ。あんたもどうせ、あいつが造ったバケモノなんでしょうが」
シェファが、魔石の杖をギルベルトに向けた。
淡く物騒に輝く魔石を突きつけられたまま、しかし動じる事なくギルベルトは答える。
「俺を魔獣人間にしたのは、ムドラー・マグラという男だ。が、ゴルジ・バルカウスという名も最近ちょくちょく耳にはしている……死んだ、と聞いていたがな」
ギルベルトにそう教えたエミリィが、おずおずと会話に加わった。
「あの……もしかして生きてる、んですか? ゴルジさん……」
「どうもな、その気配が濃厚なのだ」
ブレンが力強い両腕を組み、難しい顔をする。
「奴がこのサン・ローデルでやらかしていた事が、またどこかで行われるかも知れん。すでに行われているかも知れん」
「そうか……魔獣人間を造るような狂人が、まだ生きているというわけだな」
兜状に変化した頭骨の下で、ユニゴーゴンの両目が燃え上がる。
その目を見据えて、ブレンが問う。
「貴様を人間ではなくした……そのムドラーとやらは?」
「死んだ。エル・ザナード1世女王によってダルーハ様共々、討ち取られたと聞いている。まあ女王自身の手によるものかどうかはともかく……ダルーハ様を倒した怪物が、ムドラーを生かしておくはずがない」
「そうか、貴様はダルーハ軍の魔獣人間か……女王陛下が、ダルーハ卿を討伐なさるのに怪物だか魔物だかをお使いになったという話は、やはり本当なのだな」
「まさしく怪物だ。俺などとは比べ物にならんほどな」
ダルーハと同じケスナーという姓を持つ、ある1人の若者の事を、エミリィは思い出した。まさしく怪物、とはまさに彼のためにあるような言葉ではないか。
「ゴルジ……ゴルジ……バルカウス、ねえ」
セレナが、ぶつぶつと何か呟いている。
「生きてたって話……本当だったんだぁ」
「知ってるの?」
シェファが、構えた魔石の杖もろとも、セレナの方を向いた。
「何か知ってるなら、話してくれると助かっちゃうんだけど」
「お、落ち着いて。魔石は人に向けちゃいけないって教わんなかった?」
おどけたように両手を上げながら、セレナは愛想笑いを浮かべた。
「あたしだって、大した事知ってるわけじゃないよ。ほとんど親父の受け売りになるんだけど」
「構わん、ぜひ聞かせていただきたい」
セレナに向けられた魔石の杖を、ブレンが片手で無理矢理、押し下げる。
「有益な情報ならば、金で買わせてもらう」
「お金もらうような話じゃないけど……ゴルジ・バルカウスってのは、親父の世代の魔法関係者にとっちゃ伝説みたいな名前でね。何でも、魔法王国の生き残りだって話だよ」
「レグナード魔法王国……」
シェファが呻き、セレナが頷く。
「そう。300年くらい前に魔物の群れに攻められて滅んだっていう、あのレグナード王国よ。魔獣人間ってのは元々、その魔物どもと戦うためにレグナード人が造り始めた兵隊でね……ま、結局は負けちゃったわけだけど」
「つまり魔法王国滅亡時から300年を生き長らえている、人外の者というわけだな。あのゴルジ・バルカウスは」
ブレンが言った。
「魔物どもを倒すために魔獣人間を造っている、などと奴は言っていた……すなわち復讐か、奴の目的は」
「魔法王国滅亡みたいな悲劇は2度と起こしちゃいけない……ってな使命感も、あるかも知れないわね。あの救世主気取りのバケモノには」
シェファが、嘲笑った。
「自分は正しくて、何やっても許される。そう信じて疑ってないみたいだったから」
「このところサン・ローデルを脅かしているのは、しかし魔獣人間ではなく純然たる魔物どもだ。その背後にゴルジ・バルカウスの影は、今のところは見えない」
難しい表情のまま、ブレンは空を見上げた。
「奴をとりあえずサン・ローデルから追い払っただけで、状況は大して良くなってはおらん……若君、いや侯爵閣下も、御苦労が絶えぬ事だ」
(リムレオン様……)
苦労の絶えぬ若き領主の、儚げな美貌を、エミリィは思い浮かべた。
ゲドン家の悪政によって疲弊したサン・ローデル地方を、彼はまず立て直さなければならない。5公5民という税率を守りながらだ。
その上、これからの状況の変わり方次第では、あの白い魔法の鎧を身にまとって自ら戦いに赴かなければならなくなる、かも知れないのだ。
新領主リムレオン・エルベット侯爵の暮らしぶりは、伝え聞く限りでは、極めて質素で慎み深いものだ。朝早くに起きて夜遅くまで床に就かず、遊ぶ暇もなく政務をこなしているという。
貴族の殿方というものは、そういった苦労を、派手な女遊びなどで紛らわせるもの。エミリィは、そう聞いていた。
リムレオン侯爵は、まあ豪遊など出来るような性格ではないにしても、何人か適当に女の子を囲うくらいなら許されるのではないかとエミリィは思う。それだけの事を、あの若君は、サン・ローデルのためにしてくれたのだから。
(お妾さんの募集とか、してくれれば……あたし、応じちゃうのに)
エミリィが思った、その時。バチッ! と短い雷鳴が轟いた。
電光をまとい、くすぶらせる魔石の杖。それを握ったまま、シェファがこちらを見ている。殺意と紙一重のものを孕んだ眼光が、魔法の面頬でも遮られる事なく、じっとエミリィを突き刺している。
「し、シェファさん……あの、何か?」
「……気のせい、かしらね」
ぞっとするほど静かな口調で、シェファは言った。
「何かこう、ものすごい邪念と言うか妄念と言うか、よこしまな欲望と言うか。そんなのを感じたような気がするんだけど……気のせいよね、きっと」
「は、はい。あたしもそう思います……」
懸命な愛想笑いを浮かべながら、エミリィは思った。
(やっぱり駄目よマディック、あたし聖女になんてなれません……こんな、よこしま極まる女が聖女になんて……)