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第3話 暴竜、君臨す

 玉座とは、要するに飾り立てただけの椅子である。

 特に座り心地が良い、とも思えないが、いささか疲れたのは確かであるからダルーハは座っていた。

 とりあえず人間の外見を取り戻した身体に、今は新しい甲冑をまとっている。

 人間ではない姿になって暴れると、やはり少々疲れるものだ。よほどの場合の時、だけにしておいた方が良さそうである。

 そう、あの時のような。

 精悍な口髭をフッと歪めて、ダルーハは微笑した。

 あの戦いを、思い返してみる。

 勝って当然の戦いではあったが意外に手こずったのは、父親の情と呼べるものが自分の中に欠片ほどは残っていたせい、であろうか。

 とにかく、あの戦いに比べたら。その後の王国正規軍との戦など、およそ戦いとも呼べぬものであった。

「よもや、これほど容易く勝たせていただけるとは……」

 つい先程までこの玉座に座っていた男に、ダルーハは微笑みかけた。

「お優しい事でございますなあ、国王陛下」

「うっぐ……ひぃ……」

 あまり似合っていない豪奢な甲冑に身を包んだ、初老に近い男。

 玉座を奪われ、そして奪った者に対して跪く格好でうずくまり、悲鳴を漏らしている。

 ヴァスケリア国王、ディン・ザナード3世。

 20年前から全く変わっていない、とダルーハは思った。

 強欲で尊大で、しかし国王の権威が通じないほどの暴力に対しては、卑屈にしかなれない男。

 あの時は王太子候補の1人に過ぎなかったこの人物が、今では正式な国王である。国王として、大いにこの国を腐らせてくれた。

 無論、腐敗しきった現王政を打倒してこの王国を立ち直らせよう、などという理想を抱いてダルーハは叛乱を起こしたわけではない。

 ヴァスケリア王国・王都エンドゥール。

 その中心部を成す王宮の、玉座の間である。

 近衛騎士団の一員だった頃にダルーハは、幾度か足を踏み入れた事があった。

 その度に、居並ぶ廷臣らも王族の人間たちも、まるで汚らしい野良犬でも見るような目で、ダルーハを見ていたものだ。

 山猿。成り上がりの野人。

 聞こえよがしに、そんな事を囁く者たちもいた。

 その山猿が、成り上がりの野人が。今や玉座に尻を載せて、国王を眼前に這いつくばらせている。

 這いつくばる国王を、ダルーハの側近が2名、玉座の左右から冷ややかに見下ろしてた。

 右側に立つのは、いささか小太りな身体に豪壮な鎧をまとった髭面の男。

 にこにこと笑みの浮かんだその顔には、しかし隠しようもない品性の悪さと残酷さが滲み出ている。

 エドン・ガロッサ男爵。戦場では、それなりに役立つ男である。

 もう1人、玉座の左側に控えているのは、黒いローブにすっぽりと身を包んだ細身の男だ。

 これと言って特徴のない顔は老人のようであり、40歳のダルーハとさほど年齢が違わぬようでもある。

 一見、攻撃魔法兵士に近い装いだが、魔石の杖は持っていない。必要としていないのである。

 攻撃魔法兵士とは違う……本物の魔術師、であるが故に。

 ムドラー・マグラという名前以外、この男に関して詳しい事をダルーハは知らない。

 特に知りたいとも思わなかった。役に立つ。ダルーハにとっては、それだけで良い。

「ディン・ザナード3世陛下の御助命を……」

 そのムドラーが、ぼそりと声を発した。

「……とまでは申しませぬがダルーハ様。王家の人間は最低1名、生かしておくのが得策かと存じまする」

「なるほど、傀儡か」

 ムドラーの言わんとする事は、ダルーハにも理解出来る。

 自分とヴァスケリア国民との間に1人、傀儡の王を置く。面倒な政治は全てその傀儡の王に任せ、ダルーハ自身はただ搾取に励んで税収を吸い上げる。その方が何かと楽で良いのは確かだ。

「……だがな。王族は、こやつがあらかた殺してしまった」

 玉座の右に立つエドン・ガロッサ男爵に、ダルーハは親指を向けた。

 恐縮する事もなく胸を張り、エドンが言う。

「亡国の王家は皆殺し、というのが世の常でございますからねェうっふふふふふ。政治ならアナタがおやりになれば良いでしょうムドラー殿?」

「私には他にやらねばならぬ事がある……魔獣人間はな、おぬしらで完成というわけではないのだ」

「おやおや面白い事をおっしゃるものですねぇグフフフフ。魔獣人間に、私より上の段階があるなどと」

 エドンが、耳障りな笑いを混ぜて言う。

「ンッフフフフ無駄、ムダムダ無駄なのですよぉムドラー殿。いくらアナタが研究・研鑽を重ねたところで私以上の魔獣人間など造れるはずがありません。このエドン・ガロッサこそがゲッヒヒヒヒ魔獣人間の完成形! 最強・至上の魔獣人間なのですからねェーヒヤハハハハハ」

「……出来損ないが」

 ぼそりとムドラーが吐き捨てた言葉は、エドンには聞こえなかったようである。

 魔獣人間。確かに、あると便利な戦力ではあった。

 ディン・ザナード3世王が、恐る恐る声を発した。

「か……傀儡の王をお求めであるか、ダルーハ卿」

 震えながら、ダルーハを見上げる。主に媚びる、奴隷の目だった。

「余が、傀儡にでも何でもなろうではないか。万事ダルーハ卿にとって御都合良きよう取りはからって御覧に入れるとも。無論、国民どもから搾り取ったものは全て卿に差し上げるから、だっだから、余の命だけは……」

「あれから20年」

 いくらか声を大きくしてダルーハは、国王の命乞いを断ち切った。

「陛下……いや、当時はまだ殿下であらせられましたな。殿下が私を、成り上がりの山猿よ野良犬よと罵倒しておられた頃から、はや20年……早いものでございます」

 顎髭をいじりながらダルーハは、震え上がっている国王を隻眼で見据えた。

 眼光を燃えたぎらせる右目と、完全な傷跡と化した左目。

 竜の爪で抉られたその容貌を、睨み返す事も出来ず、ディン・ザナード3世が這いつくばる。

「こ……この王国は今や、そなたのものだダルーハ卿……」

 奴隷そのものの姿勢で、国王は言った。

「だ、だからどうか余の命だけは……もちろん、助けてくれるのであろう? 余は、そなたの義兄なのだぞ」

「義兄……にございますか。ふ……ふふっ」

 笑いが漏れた。漏れた笑いを、ダルーハは止められなくなった。

「ふはっ、はっははははは、れっレフィーネはな、貴方の妹として……王族の娘として、華々しく私に嫁いで来た、わけではないのですよ国王陛下。レフィーネは、レフィーネはなあぁ……」

 玉座から、ダルーハはゆらりと立ち上がった。

 笑い声が、怒りの呻きに変わってゆく。

「……捨てられたのだよ、貴様たちに…………ッッ!」

 ダルーハは左手で、ディン・ザナード3世の首を掴んでいた。

 這いつくばった国王の身体を、無理矢理に引きずり起こす。

 青ざめ引きつるディン・ザナード王の顔を、間近から隻眼で見据え、ダルーハは言葉を続けた。

「……貴様たちヴァスケリア王家の者どもはな、あの赤き竜にレフィーネを差し出し、己の保身を図ったのだ」

 左手の中で、国王の首が折れた。

 だらり、と垂れ下がった屍に、ダルーハはなおも語りかける。

「……貴様に、我が妻を妹と呼ぶ資格はない」

 死体に変わったディン・ザナード3世を、ゴミのように放り捨てる。

 ついに、一国の王を殺害してしまった。

 これでヴァスケリア王国だけの問題ではなくなった。近隣の諸外国が、間違いなく、何らかの行動を起こすだろう。

 いや、すでに動き始めている国もある。

 東に隣接する、バルムガルド王国。ここの王家には昨年、ディン・ザナード3世の娘の1人が嫁いで婚姻同盟が成ったところであり、ヴァスケリアが外国に助けを求めるとしたら、まずここであった。

 ヴァスケリア王家からの正式な援軍要請を受けたバルムガルド王国軍約3万が現在、ここエンドゥールに向かって進軍中である。

 残念ながらその援軍は間に合わず、ヴァスケリア王都エンドゥールは陥落し、国王ディン・ザナード3世はこうして逆賊の手にかかってしまったわけであるが、バルムガルド軍の進軍速度は全く落ちていないという。

 王都陥落の報が、まだ届いていないのか。

 あるいは殊勝にも、他国の逆賊を打倒してヴァスケリアの民衆を救おうとでもしているのか。そのついでに国王亡きエンドゥールを制圧し、ヴァスケリアそのものを併呑してしまうつもりなのか。

 王国正規軍との戦で損耗した今のダルーハ軍なら、3万の兵力で叩き潰せるとでも思っているのか。

 再び玉座に身を沈めつつ、ダルーハは命じた。

「ムドラーよ、傀儡の件は貴様に任せる。王家の者が、まだ幾人かは生き残っておろう」

「さようでございますな……第2王子のモートン・カルナヴァート殿下が、近衛兵団の大部分を率いて逃げ回っておられます。ガルバン卿が現在、これを追っておりますが」

「ガルバンか。奴では、生かしたまま捕えるなどという気の利いた事はするまいな……他には」

「ティアンナ・エルベット第6王女の生死が、未だ確認されておりませぬ」

「……あの元気の良い姫君か」

 剣技と攻撃魔法を組み合わせた小賢しい戦闘法で、健気に戦っていた少女の姿。辛うじて、ダルーハの記憶に残っている。

 いずれ力尽きて兵士どもの慰みものとなり殺される運命であろう、と思っていたが、あの戦場からはどうにか逃げおおせたのであろうか。

「まあ所詮は傀儡。何なれば、そこいらの有象無象を捕まえて王家の血筋だとでっち上げておけば良かろう」

「御意……」

 ムドラーが、恭しく一礼した。

 兵士が2人、てきぱきと国王の屍を運んで立ち去って行く。

 入れ替わるように、別の兵士が進み出て来て告げた。

「ドルネオ・ゲヴィン卿が、お戻りになられました」

「ほう……早かったな」

 ほんの少しダルーハが驚いている間に、男が1人、玉座の間に踏み入って来た。重く、それでいて鈍重さを感じさせない、力強い足取りで。

 巨漢である。凄まじい量の筋肉を無理矢理、甲冑の中に詰め込んでいる感じだ。

 岩を彫り込んだかのような厳つい顔面には、不敵そのものの表情が浮かんでいる。短く刈り込んだ黒髪は、棘のようだ。

 ダルーハを上回るその巨体が、ずしりと跪いた。

「御大将、ドルネオ・ゲヴィン戻りましてございます。バルムガルド王国軍将兵3万、ことごとく叩き潰し、雑草の肥やしに変えて参りました」

「御苦労。だが3万ことごとく叩き潰し……は嘘であろう?」

 ダルーハが言うと、ドルネオはにやりと笑った。

「……いかにも大嘘。5、6千ほど砕き殺したところでバルムガルドの腰抜けども、いわゆる戦略的撤退に入りましてな。いや、実に見事な逃げっぷりでございました」

 吐き捨てる口調で、ドルネオが嘲る。

「やはり人間どもは腰抜けばかりでございます。あのような輩を2万3万と砕き殺したところで、弱い者いじめにしかなりませんな」

「ふむ、弱い者いじめは嫌いか」

 ダルーハが言うと、ドルネオの眼光がギラリと強まった。

「せっかく人間をやめてまで得た力、やはり強き者を相手に振るいたいものでございます……例えば御大将、貴方のような」

 その豪快すぎるほど無礼な言葉にダルーハが反応を示す、よりも早く、ムドラー・マグラが血相を変えた。

「ドルネオ・ゲヴィン……貴様、気が狂ったか!」

「不適切な発言、ですねぇンッフフフフフ」

 笑いながらエドン・ガロッサが、ドルネオに凶悪な眼差しを向ける。

「ダルーハ様に対し何たる暴言……フェッへへへへ、許すわけにはいきませんよぉドルネオ卿」

「やめておけ、2人とも」

 押しとどめるように片手を上げて、ドルネオは言った。

「ムドラー殿、貴公は俺にこの力をくれた恩人だ。砕き殺すような事はしたくない……そしてエドン卿。俺と貴殿が戦ったら、それこそ弱い者いじめにしかならぬ。だからまあ、やめておけ」

「私はねぇグフフフフ、弱いものいじめは大好きなのですよォ」

 エドンの小太りな身体のどこかが、言葉と共にメキ……ッと鳴った。

「いじめ殺される弱い者はどちらなのかギッヒヒヒヒ、ダルーハ様の御前でハッキリさせよォーじゃありませんかドルネオ卿」

「そこまでにしておけ」

 ダルーハは命じた。

「……ドルネオよ、今はやめておけ。貴様が相手では、俺もいくらか本気にならざるを得ぬ。貴様にはまだ役に立ってもらわねばならん。殺したくはないのだ」

「御大将の本気。考えただけで身震いがいたしますな」

 ドルネオが笑いながらも、この場での荒事は思いとどまってくれたようだ。

「まあ御大将ではなくとも……せめて若君とは戦ってみたかった、と思います」

「残念であったな。あれはもう、この世にはおらぬ」

 あの時こそ本気の戦いだった、とダルーハは思い返した。

 数日前の、あの戦い。ダルーハは本気で戦った。本気で、殺しにかかった。

 父親の情など、あるはずがなかった。

 なのにドルネオが、何やら気に入らぬ事を言い始めている。

「果たして本当に、そうでありましょうかな……川に叩き落としただけ、とも聞いておりますが」

「ドルネオ貴様、ダルーハ様に対するこれ以上の無礼は許さんぞ!」

「怒るなムドラー殿。俺はな、あの若君のしぶとさをよく知っておる。万一、死に損なっておられるとしたら……我が軍にとって、大変な事となるのだぞ」

「万が一、奴が生きて姿を見せるような事があったら……俺に報告する必要はない。その場で、殺しておけ」

 ダルーハは命じ、無言で付け加えた。貴様たちに出来るものならばな、と。

 息子であろうが、部下であろうが、強い方が勝って弱い方が死ぬ。それだけだ。

 弱い者は、強い者にとっては殺戮、あるいは搾取の対象でしかない。

(それを教えてくれたのは貴様だ。我が宿敵、赤き竜よ……)

 ダルーハは隻眼を閉じ、ゆっくりと開いた。

「ドルネオは弱い者いじめが好かぬようだが、俺はそうでもない。自分が強者となれば、他の者は全て弱者となる。これはな……楽しいぞ?」

 1つしかない瞳の中で、炎が燃え上がってゆく。

「見ておれ。俺はさらなる強者となり、この世界に生きる者全てを圧倒的弱者として虐げてやる。いかなる王も勇者も……神や悪魔の類でさえも、このダルーハにとっては、弱い者いじめの対象でしかなくなるのだ」

「……それでこそ御大将でございます」

 ドルネオが跪いたまま、さらに巨体を屈し、深々と頭を垂れた。

 エドン・ガロッサとムドラー・マグラも、玉座の左右で平伏している。

「んッふふふふ、素敵ですよぉダルーハ様」

「その圧倒的なる御力こそ、まさしく我が理想……」

 人間ではない者たちが、恭しく跪いている。

 だが人間たちにとってのダルーハ・ケスナーは、拝跪ではなく恐怖と憎悪の対象となってゆくだろう。

(赤き竜よ、貴様のように……否、貴様以上に)

 永遠に失われてしまった者たちに、ダルーハは心の中で語りかけた。

(しがない田舎の地方領主で一生を終える、のも悪くはなかった……レフィーネよ。お前が生きていてさえくれれば、な)



 どこにでもあるような村である。

 そこで、どこででも起こるような事が行われていた。

「おらあ居留守使ってんじゃねえ!」

「おめえらにはなあ、納税の義務ってやつがあるんだよぉお!」

 ダルーハ軍の兵士たちが多数、あちこちの家に押し入り、隠れていた村人を引きずり出している。

「お母さぁん!」

 5、6歳くらいの女の子が、1人の兵士に無理矢理、担ぎ上げられて泣いている。

 その子の母親と思われる女性が、娘をさらって行こうとする兵士の足にすがりついた。

「お、お願いでございます! その子は、その子だけは!」

「じゃてめえが来るか? けどなぁ、ババアじゃ高く売れねえんだよっ!」

 兵士が思いきり、女性の身体を蹴り飛ばす。

「てめえら、これからはダルーハ様が守って下さるんだからよぉ。感謝の意味でも税金はきっちり払わなきゃいかんぞう? へっへへへへ可愛いお嬢ちゃんよぉ、ダルーハ様のためにも高ぁく売ってあげるからねえ」

 泣き叫ぶ女の子を運んで行こうとする兵士に、ティアンナはまず声をかけた。

「お待ちなさい」

「あぁん?」

 その兵士だけでなく、村人らに無法を働いていた他の兵士たちも、ジロリと一斉にこちらを睨みつけてくる。

「何だてめえ……おおおお、こりゃまた高く売れそうなお嬢ちゃん」

「そ、そっちの兄ちゃんもよぉ、イイ身体してんぜえぇ」

「う、売り飛ばしたりしねえで俺らでいただいちまおうかああ?」

 下着のような鎧しか身に着けていないティアンナと、裸身にマントだけを羽織ったガイエル。

 そんな半裸の2人に、ダルーハ軍兵士たちのぎらついた眼差しが集中する。

 蹴り転がされた女性を助け起こしながらティアンナは、兵士らの無礼な言葉に耐えて、穏やかに言った。

「……今は、徴税の時期ではないはずですが?」

「ダルーハ様が国王におなりになった今、毎日が納税期限なんだよぉ」

「おめえにも税を払ってもらうぜ嬢ちゃん、かかかかカラダでよぉーヒヒへへへ」

 ティアンナは言葉では応えず、ただ暗い溜め息をついた。

 ヴァスケリア王家による支配も、確かにひどいものだった。

 その王家から、ダルーハ・ケスナーが政権を奪った。

 竜退治の英雄とまで呼ばれた人物が、もしかしたら民衆のための善き政治をしてくれるかも知れない。

 そんな希望のような期待のような思いが、ティアンナの胸には確かにあった。

 だが、現実として認めなければならない。英雄ダルーハは、暴君となったのだ。

 かつての英雄に王国の統治を任せ、自分はこのままひっそりと遠くへ去る。裸で目の前に現れた、この若く美しい殿方と一緒に……

 そんな夢が、胸の内で膨らみかけていたところだったのだが。

「愚かな小娘の愚かな夢、というわけ……待って! 貴方は何もしては駄目!」

 ティアンナは慌てて怒鳴った。

 獣のように駆け出そうとしていたガイエルが、震えながら動きを止める。殺意の震えだった。

 隠す事の出来ぬ凶暴性が、ガイエルの秀麗な顔に、声に、露わになっている。

「止めないでくれティアンナ姫……こやつらを皆殺しにしないと俺は、はらわたが煮えくり返って今夜ぐっすり眠れそうにない」

「おいおいおい、夢見がちなお坊っちゃまがいるぞお? 皆殺しっつったのか今」

 女の子を担いだ兵士が、へらへら笑いながら寄って来る。

 その汚らしい笑顔に、ティアンナはいきなり剣を突きつけた。

「1つ忠告しておきます……こちらの殿御を、怒らせてはなりません」

 引きつり硬直した兵士の顔をまっすぐ見据え、ティアンナは言った。

「ガイエル様が一度、お怒りになれば……この村が汚れます。貴方がたの血と肉と臓物で。村の方々の迷惑になりますから、重ねて言いますが怒らせてはいけませんよ」

「てめ……」

「まずは、その子を解放しなさい」

 引きつった兵士の、顔面から首筋へと、ティアンナは剣先を移動させた。半歩でも踏み込めば頸動脈を切断出来る位置だ。

「……ガイエル様が私の言う事を聞いてくれているうちに、です」

 兵士が何か言おうとして失敗し、息を呑み、たらたらと汗を流しながら、担いでいた女の子を地面に下ろした。

 解放された女の子が、母親に駆け寄って行く。

 泣きじゃくりながら抱き合う母子を防護する形に、ガイエルが立った。

 あちこちで村の男を蹴り飛ばし、女子供を拉致しようとしていたダルーハ兵たちが、とりあえずはその蛮行を止め、槍や剣を構えてじりじりと群がって来る。

「てめえら、どこの痴れ者か知らねえが……」

「ダルーハ様のお膝元で好き勝手やるたぁ、命が要らねえって事だぁなあ!」

「そのダルーハ卿に、お話しする事があります」

 凛と響く声で、ティアンナは言い放った。

「卿を今すぐ、ここに呼びなさい……と言いたいところですが、まあ貴方たちにも言っておきましょう。生きた人間を税の代わりにするなど、このヴァスケリアにおいては許されていません。許しはしません」

「いかなる場所であろうが、俺の視界の中では許さん」

 ガイエルが穏やかに言った。無理をして穏やかな口調を作っているのが、ティアンナにはわかった。

「これ以上何もせず、何も言わず、即刻立ち去れ貴様たち。さもなくば……こちらの姫君に、貴様らの汚らしい臓物やら何やらをお見せせねばならなくなる」

「このガキ、おかしな夢見てんじゃねえぞ!」

 ダルーハ兵の1人が、ガイエルに槍を突きつける。それをかわしながら、

「俺は、立ち去れと言ったのだがな……」

 ガイエルは無造作に片手を伸ばし、その兵士の耳を掴んで引きちぎった。雑草でもむしり取るかのようにだ。

「……聞く耳持たぬ、というわけかな」

 血を噴き悲鳴を上げて転げ回る兵士、に向かってガイエルは、引きちぎった耳をぴらぴらと揺らして見せた。

「ガイエル様!」

「怒らないでくれティアンナ姫、このくらいで死にはしないよ。死ぬほど痛いだけだ……本当に死ぬ前に、逃げてくれないか貴様たち」

 拳の関節を鳴らしながら、ガイエルが優しく言った。

「俺はな。頭に血が昇ると、相手が肉片になるまで止まらなくなってしまう。そうなる前に……一刻も早く、俺の視界から消えてくれんかなあ。頼むよ」

「手ぇ、上げやがったな……おっ俺らに、ダルーハ軍に」

 せっかくガイエルが殺意を抑えてくれていると言うのに、兵士たちはなおも、つまらぬ事を言い続けている。

「死んだぜ、てめえら……ダルーハ軍が、ダルーハ様が! この王国の」

「いやこの世界のどこででも、てめえらを生かしちゃおかねええ!」

「このガキども、命だきゃあ助けてやろうと思ったがもぉ許さねえ! 犯り殺す!」

 口々にわめき、槍や剣を振り立てるダルーハ兵たち。に対してガイエルは、

「……俺は、逃げろと言ったのだがなあ」

 はあぁぁ……っと、重い溜め息をついた。

 これほど物騒な溜め息を、ティアンナは聞いた事がなかった。

「貴様たちは、逃げる機会を失った。かわいそうに……綺麗な死体には、ならんぞ」



 戦場に烏が群がって来るのは別段、珍しい事ではない。

 森を貫いて流れる川の、河原である。

 戦場跡と言うか、虐殺の跡か。

 ダルーハ軍兵士の死体が、ほぼ1部隊分。ぶちまけられたように散乱し、それらをついばみながら、烏の群れがやかましく鳴きわめいている。

 烏どころか蠅や蛆さえたかっていない屍が、一体だけあった。

 それはもはや、死体ですらない。肉の残骸、と言うべきか。

 ズタズタに引きちぎられた、肉片か臓物か判然としないものが、広範囲に散らばって腐敗しながら干涸び、異臭を発している。

 それらの中には、大型の蛇の死骸、に見えるものもあった。

 見下ろしながらムドラー・マグラは、呆然としている己を自覚した。

「馬鹿な……」

 現実として認めなければならない、と頭では理解しつつも、そんな言葉をつい漏らしてしまう。

「魔獣人間は蛆も食わぬ、というわけですねぇンッフフフフ」

 エドン・ガロッサ男爵が、気味の悪い笑い声を発している。

 現実は認めなければならない、とムドラーは己に言い聞かせた。受け入れなければならない。

 魔獣人間が殺された、という現実を。

 エドン・ガロッサ1人を伴ってムドラーは今、この戦場跡と言うか虐殺跡の河原を訪れていた。連絡の取れなくなった魔獣人間1体の行方を追ってだ。

「それにしても何とまあ……美しくない殺し方ですねェ」

 原形をとどめていない魔獣人間サイクロヒドラの屍を観察しつつ、エドンが脳天気な事を言う。

「私ならばウッフフフフ、もっと美しく洗練された死に様を演出して差し上げるのですがねぇえ」

「……冗談でも何でもなく、おぬしらの仕業ではあるまいな」

 ムドラーは呻いた。

「攻撃魔法の類は一切用いず、ただ物理的な馬鹿力のみで引き裂かれ叩き潰されている……魔獣人間をこのように殺せる生き物がいるとしたら、それは同じ魔獣人間のみ」

「ですからムドラー殿、私がこのような汚らしい殺し方をするわけがないと申し上げているのですよグッフフフ。ドルネオ卿ではありませんかねェ、このような美しくない仕事をなさるのは」

「……もうよい。おぬしらでなければ誰の仕業か、という事になる。魔獣人間以外で、このような真似が出来るのは……」

 心当たりがムドラーには全くない、わけでもない。

 しかし、ここまで圧倒的な力の差があるものなのか。

 確かにサイクロヒドラは、魔獣人間としては出来損ないだった。ムドラーが手掛けた作品の中では、最低の出来だったと言っていい。

 それでも、長年に渡る研究・研鑽の産物である事に違いはないのだ。

「この私が、苦心して造り上げた究極生物が……あのような、誰が苦心して造ったわけでもない、ただ間違って生まれてしまっただけの怪物に……」

 ムドラーは呻いた。呻き声が、震えた。

「敗れた、と言うのか……これほどまでに、圧倒的に……」

「まあまあ、そう真剣に目くじら立てる事もありませんよぉゲヒヒヒヒヒ。所詮こやつは出来損ないであったという事です」

 エドンの口調は、相変わらず脳天気だ。

「どこのどなたかは知りませんが、こんな出来損ない1匹を叩き潰したくらいでイイ気になってるお馬鹿さんは、私がいずれきっちりとシメて差し上げますよぉグヘヘヘヘ……最強最高の魔獣人間たる、この私がねェー」

 そんな言葉を、しかしムドラーはすでに聞いてはいなかった。

「出来損ないが……」

 呻きと共に、体内で魔力が高まってゆく。

 攻撃魔法兵士とは違う、魔石を必要としない強大な魔力。それが、

「このっ……! 出来損ないがぁあーッ!」

 怒りの叫び、と一緒に迸り出る。

 炎、と言うよりは爆発そのものが、ムドラーの眼前に生じた。

 腐敗しつつ干涸びたサイクロヒドラの死骸が、地面の一部もろとも粉々に吹っ飛んだ。

 エドン・ガロッサが、いくらか呆れたような顔をしている。

 構わずムドラーは、息荒く呻き続けた。

「出来損ないが……出来損ないがぁ……っ」

 幼い頃より、魔法を学んできた。

 その学究の過程でしかしムドラー・マグラは、魔法そのものよりも、魔法の様々な用途の中でも特に禁忌とされるものの1つに傾倒していった。

 魔獣人間の製造である。

 魔物・怪物の細胞を人間に植え付け、自然ならざる生命体を造り出す。

 自然には決して生まれ得ぬ、強大無比なる生き物を想像する。まさに、神の行い。

(そうとも、私は神……究極至高の生命を造り出す創造主。私が造り上げたものは、究極でなければならぬ。完璧でなければならぬ、最強でなければならぬ。と言うのに……)

 震え血走った眼球でムドラーは、眼前の爆発跡を睨んだ。

 このような場所であのような様を晒していた魔獣人間。

 創造主ムドラーの名を汚す、まさしく出来損ないである。

「許さぬ……」

 十中八九、間違いはない。

 魔獣人間をこのように破壊出来る者は、同じ魔獣人間でなければ、ただ1人……と言うより1体、1匹。

 誰が苦労して造り上げたわけでもない、ただ間違ってこの世に生まれてしまっただけの怪物。

 それが、創造主ムドラー・マグラの至高なる作品の1つを破壊したのだ。

「許さんぞ……ガイエル・ケスナー……!」 

 

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