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第37話 黄昏の魔族

 豊麗な胸から、優美にくびれた胴、そこから白桃の如く膨らんだ尻に至るまでの魅惑的な曲線は、唯一神教の清楚な法衣によって、より肉感的に引き立てられているようであった。

 そんな身体に、蜂蜜を思わせる金髪がフワリとまとわりついている。

 その美貌には、天使のような、などという芸のない表現しか当てはまらない。

 眠たげな瞳は、どこか遠くをぼんやり眺めているようでもあり、この聖堂前に集う群衆の全員を見つめているようでもあった。

 年齢は、20歳になるかならぬか、といったところであろう。

 アマリア・カストゥールという名前以外、この娘に関してアレンは何も知らない。クラバー・ルマン大司教の、秘書のような仕事をしているらしいのだが。

 そんな彼女が今、ガルネア地方の唯一神教会聖堂の露台に立ち、民衆に語りかけている。

「許す事。それは時として、何よりも難しいものです……唯一神が与えたもうた試練、と言って良いでしょう」

 大声ではない。涼やかな風のように、人々の間をよく通る声である。

「この試練を、皆様と共に乗り越えて行きたいのです……許しましょう。ダルーハ・ケスナーのために道を誤った、哀れなる者たちを」

 露台を仰ぎ見る形に集まった民衆が皆、うっとりと聞き入っている。

 聖堂近辺の町人、村人。さすがにガルネア地方の領民が1人残らず集まって来ているわけではあるまいが、それでも見渡す限りと言っていい群衆の海が、アレン・ネッドとクオル・デーヴィの周囲に広がっていた。

 その全員を優しく撫でるかの如く涼やかに、アマリアの声が流れ続ける。

「祈りましょう。彼らの魂に、貴方がたの愛する人々と同じ安らぎが訪れますように……」

 皆殺しにされたダルーハ軍残党のために、アマリアは祈っている。彼らに家族や友や恋人を殺された民衆の、目の前でだ。

 アレンは見回した。皆、アマリアに倣って両手を握り合わせ、恍惚とした表情で祈っている。

「ああ、素晴らしい……そうは思わないかアレン」

 祈りながら、クオルが言った。

「ダルーハ軍の兵士たちに愛する者を殺された人々が、その兵士たちのために祈っている……まさしく聖女アマリアの心が皆に伝わったのだ」

 1つ肝心な事をクオルは見落としている、とアレンは思った。

 ダルーハ軍残党は皆殺しにされたのだ。だから民衆も、許す気になっている。祈ってやるつもりに、なっているのだ。

 ここガルネア地方で大いに非道を働いたダルーハ軍の兵士が、1人でも生き残ってこの場にいたとしたらどうか。

 聖女アマリアが何と言おうと、その兵士は群衆によって吊るし上げられ、下手をすると殺されていただろう。

 憎い相手が、惨たらしく虐殺された後だからこそ、許す事が出来る。

 人間ならざるあの若者が大虐殺を実行してくれた後だからこそ、生き残った者たちが、こうして平和的に祈りを捧げ、聖人のような気分に浸る事が出来るのだ。

 そのようにしてローエン派が平和的に、人々の心を支配してゆく。

(それが宗教というもの、なのだろうけど……)

 思いつつもアレンは、周りに合わせて祈りを捧げるふりをした。

 それにしても。いつの間にか、聖女などと呼ばれるようになっている。

 アマリア・カストゥール。この女性が、いつからこんなふうに、まるでクラバー大司教の代理人の如く振る舞うようになったのか、アレンは思い出せなかった。

 その美貌で、戦災地の民衆の、男性のみならず女性たちの心まで掴んでしまっている。

 もちろん美貌だけではない、人の心を虜にするような何かをアマリア・カストゥールは持っているのだろうが、アレンにはわからなかった。

(エミリィの方が全然、可愛いし魅力的じゃないか……!)

 どうしても、そう思ってしまう。

「人は、許し合いながら生きてゆけるはずなのです」

 聖女アマリアの可憐な唇が、涼やかな綺麗事を紡ぎ続ける。

「それが出来ないのは、世の中が悲しい方向へと流れているから……この悲しい流れを、止めましょう? 人が許し合い、笑い合い、愛し合える世の中を作ってゆきましょう。皆さんの力で、私たちの力で……唯一神の、御力で」

「そうだ、唯一神はいくらでも力を貸して下さる。聖女と共に平和への道を歩む、我々に……」

 クオルが、うっとりと祈り呟いている。

 周りの民衆も、同じような有り様だった。男も女も老人も若者も、熱っぽく目を輝かせて露台上の聖女に見入り、その言葉に聞き入っている。

 この北の地に勢力基盤を持っていながらも普段は王都の大聖堂にいるクラバー・ルマン大司教の、戦災地における代理人を、アマリア・カストゥールは完璧に務めていると言っていいだろう。

 否。今やヴァスケリア王国北部の民衆の大部分は、大司教よりも、もしかすると唯一神よりも、聖女アマリアを信仰の対象としてしまっているのではないか。

「これで、いいのかな……こんな事で……」

 アレンの呟きを、クオルが聞きとがめた。

「何か言ったかアレン……君は聖女の言葉に耳を、心を、傾けないのか? 何故だ?」

「落ち着けクオル、君は考えた事があるのか……戦災地の民衆が、こうして呑気な祈りを捧げていられるほど急激に生活を回復させたのは何故だ。その豊かさは、どこから来ている? バルムガルド王国ではないのか」

 大国バルムガルドは相変わらず、ヴァスケリア国内のローエン派に資金を注ぎ込み続けている。

 バルムガルドがヴァスケリア征服に乗り出し、クラバー大司教や聖女アマリアがそれを容認したら。少なくともこの場にいる民衆は、あっさりと征服を受け入れてしまうだろう。

 今、聖女が優しく語り唱えている平和主義。その先にあるのがバルムガルドによる侵略・支配である事は、少し考えればわかりそうなものだ。

 そんな少しの事を考えるだけの思考力をも、アマリア・カストゥールは民衆から奪いつつある。聡明な聖職者だったクオル・デーヴィからも。

「クオル……このままではヴァスケリアは、バルムガルドに乗っ取られてしまうぞ」

「いいじゃないか、それでも」

 耳を疑うような事を、クオルはあっさりと口にした。

「国名がヴァスケリアからバルムガルドに変わるだけで、誰も困りはしないだろう? 困るのは今の女王その他、支配層の愚かな人々くらいで、民衆は普通に暮らしてゆけるさ。他国が欲しがるものは、ただ与えてやればいい。それで平和は保たれる。抗って血を流し、戦って勝利したところで、平和より素晴らしいものを得られるわけはないんだ。そうだろう?」

「クオル……」

 君はダルーハ軍残党がしていた事を目の当たりにしたのではないのか。アレンは、そう叫びそうになっていた。

 バルムガルドの兵隊が、ヴァスケリアの民衆に対して、あれと同じ事を行わないと何故、断言出来るのか。

 そう叫んだところで、しかし今のクオルには届かないだろう。

「右の頬を打たれたら、ただ左の頬を差し出せばいいのさ。それだけで平和はもたらされる……ああ聖女アマリアよ、どうか私の頬を打って欲しい……」

 熱っぽい、劣情にも似たもので、クオルの両眼は輝いている。

 アレンは天を仰いだ。唯一神ではなく、1人の若者に語りかけた。

(貴方が今この場にいたら、私たちは皆殺しにされてしまうかも知れないな……ガイエル・ケスナーよ)



 サン・ローデル西部森林地帯は、魔物の棲む森として知られていた。

 実際オークやゴブリンの類が、山賊程度の規模で棲みついてはいるらしい。トロルやオーガーの目撃情報もある。

 森林地帯の奥深くには、もっと危険な怪物が棲んでいる。サン・ローデル西部の村々では、大昔からそう言い伝えられてきたようである。

 その怪物たちは、森の奥にある何かを守っているのだという。

 それは恐ろしい魔力を秘めた宝物である、とも言われている。魔王や邪神の類が封印されて眠っているのだ、という話もある。

 とにかく魔物の住処として、昔から恐れられている森林地帯なのである。

 だが今、ブレンの目の前に群れている怪物たちは、そんな魔の森林から溢れ出して来た者たちではなかった。

 ざっと見回して視界に入るのは、武装したオークの数個部隊。それらの隊長格と思われるトロル数体。

 報告によるとこの者どもは、西に隣接するロッド地方から、魔の森林地帯を迂回するようにしてサン・ローデル領内に入り込んで来たのだという。

 人間の兵隊であれば、ロッド地方領主ライアン・ベルギ侯爵の不穏な軍事行動という事になる。対応を誤れば、政治的な問題にもなり得る。

 が、怪物どもが勝手に動いているだけならば話は簡単だ。要は、皆殺しにしてしまえば良いのである。

 サン・ローデル地方西部に広がる平原。右方向に目を向ければ、鬱蒼と木々の連なる風景が、遠くに見て取れる。

 魔の森林地帯。

 確かにそこを避けるようにして怪物たちは、西方向から進軍して来ていた。方角的に、ロッド地方から来ているとしか思えない。

 その進軍を、ブレン・バイアス率いる20名の王国地方軍部隊が阻んでいるところである。

「……何だ? 貴様ら」

 怪物たちの指揮官と思われる魔物が1体、オークの群れをかき分けるように進み出て来た。

 ブレンを僅かながら上回る巨体である。筋骨隆々たる巨漢の胴体が、猛々しい獣の頭部を載せているのだ。

 ねじ曲がった角を生やした、凶暴な獣。強いて言うならヤギに似ている。牛のようでもある。が、言葉を発する口には、肉食獣そのものの牙が生え揃っている。

「人間どもが、なけなしの力を振り絞って我らに刃向かうか。健気なものよなあ」

 その口で嘲笑いながら魔物は、凶悪なほどに筋肉質な両腕でブンッ! と得物を振りかざした。鋭利な3本の刃を備えた、三つ又の槍である。

 その両腕とは別に、3、4本目の腕のような形で、大型の翼が生え広がっている。尻からは、蛇のような尻尾。

 デーモンである。魔物と呼ばれる者たちの中では、かなり高位の種族だ。

 そんな上位の魔物に率いられた、怪物の群れ。オークだけでも100匹は超える。対する王国地方軍部隊は20人。

 自分たちが負けるなどと、デーモンは全く考えていないようであった。

「良い良い、刃向かおうと刃向かわずとも人間どもは皆殺しと決まっておる。せいぜい健気に抗って、我らを楽しませてみよ」

「……わかった。死ぬほど楽しませてやる」

 言いながら、ブレンも進み出た。軽い革の鎧すら身に着けていない、たくましい身体に粗末な布服だけを着用した姿でだ。

 対照的に完全武装した20名の兵士たちが、緊張あるいは恐怖に震えながらも槍を構えて踏ん張り、健気に隊伍を組んでいる。

 背後の彼らに、ブレンは問いかけて確認した。

「領民の被害は?」

「現在のところ、死亡者・負傷者は出ておりません。付近の村々の住民は全員、避難済みであります」

「上出来だ」

 右の拳をグッと握り込みながら、ブレンは命じた。

「お前たちは、弱って逃げ腰になった怪物だけを狙え。1匹逃せば、領民が5人殺される。そう思って皆殺しに励むように」

「は、はい」

 震える兵士たちを後方に残し、ブレンは魔物たちに向かって足を速めた。

 握り込んだ右拳の中指では、竜の指輪が淡く光を発している。

「何だ何だ、素手で我らに挑もうと言うのか? それはいささか健気過ぎるのではないか人間ごときが!」

 叫びながらデーモンが、三又の槍を振るう。

 それを合図として、怪物たちが一斉に襲いかかって来た。オークが、トロルが、凶暴な雄叫びと地鳴りを響かせ、荒波の如く押し寄せて来る。

 その様を見据えながらブレンは、右拳を天に向かって突き上げた。

「武装転身……ッ!」

 竜の指輪から上空へと、光の紋様が投影される。

 様々な記号・図形を内包した、真円。空中に描き出されたそれが雷鳴と電光を発し、ブレンに降らせる。

 落雷を思わせる衝撃と共に、ブレンの全身は魔法の鎧に包まれた。

 黄銅色の力強い甲冑姿が、押し寄せる怪物たちのまっただ中へと突入しつつ、魔法の戦斧を振るう。

 オークの生首が、臓物が、4、5匹分は宙を舞った。

 右手で戦斧を振るいつつ、ブレンは左足を跳ね上げていた。魔法の脛当てと軍靴でガッチリ固められた蹴りが、オークの1匹を粉砕する。粉砕された肉塊が、臓物を空中に垂れ流しながら吹っ飛んで行く。

 早くも怯み始めたオークたちを蹴散らして、トロルが3匹、大型の戦鎚を振り上げて3方向から突進して来る。

 うち最も足の速い1匹に向かってブレンは踏み込み、魔法の戦斧を右上から左下へと振り下ろした。

 オークとは比べ物にならぬ強烈な手応え、と共にトロルの巨体が斜め真っ二つになり、地面に崩れ落ちて臓物をぶちまける。

 再生能力を持つ怪物を倒す手段。それは一撃で絶命させ、身体機能を停止させる事。それしかない。

 ブレンは振り向きながら、魔法の戦斧を横薙ぎに一閃させた。

 振り下ろされて来た2本の戦鎚が、その一閃に打ち弾かれて跳ね上がる。跳ね上がった武器を手放すまいとして巨体を泳がせる、2匹のトロル。

 彼らの間を走り抜けながらブレンは、右に、左に、魔法の斧を叩き付けた。

 トロル2匹、それぞれの下半身から、上半身が滑り落ちた。

 逃げ腰になり始めた怪物たちに、王国地方軍兵士20名が、機を逃さず挑みかかる。

 ブレンがバウルファー・ゲドン侯爵を殺害して城壁から放り捨てた、あの時まで侯爵の護衛を投げ出さなかった兵士たちである。そこそこは精鋭で、トロルはともかくオーク相手ならば充分に戦える力を持っている。

 頭数で勝りながら戦意で劣るオークの群れが、人間の兵士たちの槍や長剣にかかって倒れてゆく。

 後押しを受けるようにしてブレンは踏み込み、魔法の戦斧を一直線に振り下ろした。

 トロルが1匹、頭頂から股間まで斬り下ろされて真っ二つになり、左右に倒れる。

 その向こうに、デーモンが立っていた。

「人間ごときが、邪魔をするか……!」

 三又の槍がビュンッと構えられ、穂先がまっすぐブレンに向けられる。

「デーモンロード様はおっしゃった。竜の御子の出方を見るべく、人間を殺戮してみよと……」

「教えてやれるのは、俺たちの出方くらいだなっ」

 双方、同時に踏み込んだ。

 三又の槍と魔法の戦斧が激突し、火花と焦げ臭さを発散させる。

 柄まで金属で出来た三又槍が、デーモンの剛力で回転し、ブレンを襲った。穂先が、石突が、立て続けに打ち込まれて来る。

 それらをブレンは、魔法の戦斧でことごとく打ち返した。

 打ち返された三又の穂先が、間髪入れず別方向から叩き付けられる。強烈な一撃が、ブレンの左肩をかすめた。黄銅色の肩当てから、火花が散った。

「む……っ」

 衝撃に、ブレンは歯を食いしばった。

 直撃を何度も喰らえば、魔法の鎧は無傷でも、中の肉体が無事では棲まないだろう。

 デーモンの巨体が、勢い付いたように躍動する。三又槍が、様々な角度から、まるで豪雨の如くブレンに降り注ぐ。

 それらを魔法の戦斧で弾き返し、紙なら燃やせそうな火花を飛び散らせながら、ブレンはよろめいた。半ば、わざとである。

 案の定、デーモンは突っ込んで来た。

 猛牛を思わせる巨体の突進と共に、三又の穂先がまっすぐにブレンを襲う。

 黄銅色のたくましい甲冑姿が、よろめきながら翻った。魔法の斧が斜めに振り下ろされ、三又槍を激しく受け流す。

 突進の勢いを保ったまま、デーモンの巨体は前のめりに泳ぎ、地面に倒れ込んだ。

 そこへ、ブレンが斬り掛かる。

 起き上がる暇もないまま、デーモンは左手を掲げていた。

 分厚い掌が赤く発光し、燃え上がり、その炎が球形に固まって発射された。

 魔法の戦斧で、ブレンはそれを打ち砕いた。小規模な爆発が起こった。

 爆風によろめくブレンに向かって、なおも火球を発射しながら、デーモンはゆったりと立ち上がって三又槍を右手で構えた。

 魔物の左掌から発生した炎が、塊になって3発、4発と流星のように飛び、ブレンを襲撃する。

 何発かを戦斧で粉砕し、何発かは跳んでかわしながら、ブレンは見た。兵士の1人が、トロルの大斧によって頭を叩き割られる様を。

 生き残っているトロルが2匹、ブレンを避けるようにして兵士たちに襲いかかっていた。

 デーモンの火球を砕き続ける、魔法の戦斧。振るいながら、ブレンはそれを手放した。投擲。魔法の戦斧がギュルルルルッ! と回転しながら、まるで戦場そのものを薙ぎ払うように弧を描いて飛ぶ。

 トロル2匹が、上下真っ二つになって臓物を噴き上げた。

 逃走を開始したオークたちの、生首がスパパパパパパッと宙を舞った。

 それだけの怪物たちを叩き斬って、ようやく魔法の戦斧は勢いを弱めて落下し、地面に突き刺さる。

 回収する暇など与えてくれるはずもなくデーモンが、得物を失ったブレンを狙って火球を乱射する。

 無理に武器を回収しようとはせず、ブレンは跳躍した。跳んだ足元で火球が地面にぶつかり、爆炎と土が大量に飛散する。

 爆風に吹っ飛ばされた感じにブレンは地面に転がり込み、起き上がりながら駆け出した。その足元で、またしても火球が爆発する。吹っ飛んだブレンの身体が、地面を転がりながらも徐々にデーモンとの距離を縮めてゆく。

 5回目の転がり込みでブレンは、デーモンの足元に達した。

「ぬっ……」

 至近距離にまで迫られた事に気付いたデーモンが、やや狼狽しながらも三又槍を突き下ろして来る。

 それをかわしながらブレンは、デーモンの背後に回り込んでいた。

 そして右腕を、魔物の首に巻き付ける。巻き付けた右腕を、左手でガッチリと固定する。

「ぐえ……ッ!」

 魔法の鎧をまとう剛腕に頸部を拘束・圧迫されて、デーモンが潰れた悲鳴を漏らした。

 こうして完全な形で首を押さえてしまえば、魔物であろうが何であろうが、人型の生物は何も出来なくなる。

 締め上げながら、ブレンは語りかけた。

「貴様の槍さばき、見事なものだった……それに比べて、攻撃魔法の狙いは実にお粗末なものであったと言わざるを得んな」

 魔力による狙撃の正確さは、シェファの方が上だった。

 彼女がいればもっと楽な戦いになったのだが、今は別の任務に就いている。

「最後まで……槍一筋で、勝負するべきだったな」

「うぐっ……が……ッ」

 ミシミシ……ッと筋肉も声帯も気管もまとめて押し潰す感触が、魔法の鎧越しにブレンの二の腕へと伝わって来る。

 そんな状態でありながらデーモンは、ゴボッと血を吐きつつも叫んでいた。

「わ……我ら、魔族に……栄光あれ……ぇえええぇっ……!」

「良き死に様!」

 両腕で首を絞め固めたままブレンは、デーモンの巨体を思いきり振り回し、地面に叩き付けた。

 太い頸骨が折れ、強靭な筋肉がちぎれた。その凄惨な感触が、魔法の鎧を通じてブレンの腕に強烈に伝わって来る。

 デーモンの首は、ちぎれていた。

 頭部の失せた大型の屍を地面に残し、ブレンは立ち上がった。そしてデーモンの生首を右脇に抱えたまま、呼吸を整える。

 下手な魔獣人間よりも、ずっと手強い相手だった。

「これが、魔物か……」

 魔獣人間のような、作り物の怪物ではない。遥か古の時代から存在し、人間という種族を脅かしてきた、言わば本物の怪物たち。

 それが赤き竜の死後20年近くを経て今、またしても人間に対する威力行動を開始しつつある。

(こやつらに魔獣人間で対抗しよう、というのが貴様の考えか……ゴルジ・バルカウス)

 ブレンは強敵の首級を目の高さに掲げ、見据えた。

 実際に戦った今なら、わからぬでもない。本物の怪物どもから人間を守るために、人工の怪物を造り出す。そんなゴルジ・バルカウスの、最初は世迷い言としか思えなかった思想がだ。

 その思想に基づいて造り出されたのが、あのメイフェム・グリムのような輩なのである。人間を、守るどころか殺し尽くしてしまいかねない、生ける殺戮凶器。

「……駄目だな。やはり認めるわけにはいかん、魔獣人間などという手段を」

 呟きつつブレンは、己の全身を見下ろした。

 魔物たちに対抗し得る、魔獣人間以外の手段……魔法の鎧。

 ブレンは見回した。

 視界一面にぶちまけられた、トロルやオークたちの屍。それらの中で生きている者がいないかどうかを確認して回る、兵士たち。

 彼らに魔法の鎧を装着させ、部隊を形成する事が出来れば。ブレンはそう思うし、開発者ゾルカ・ジェンキムの頭にも当然あっただろう。魔法の鎧の大量生産。それを実現する前に、しかしゾルカは死んだ。

「戦闘終了です、隊長」

 兵士の1人が報告に来た。

「敵は全滅、我が方の戦死者は2名……ノット・レジャーとスペル・アンカーです」

「そうか……」

 この20人の中では最も腕の立つ兵士、とブレンが思っていた2名である。実戦では案外、そういう者から死んでゆく。

「すまんな。俺が少し、猪突猛進し過ぎた」

「隊長のせいではありません。死んだ者が弱いのです……そういうものでしょう」

「隊長、20人で100匹もの怪物どもを退治したのですよ。大勝利ではありませんか」

「犠牲が2人で済んだのは奇跡です。隊長のおかげですよ」

 兵士たちが、続々と集まって来た。

 うち3人が、3人がかりで魔法の戦斧を運んで来てくれた。

「たっ隊長、これを……早く! 本当に重いっス!」

「おお、すまんな」

 右手で、ブレンは受け取った。

「……本当は、投げたら手元に戻って来る予定だったのだ。投げ方の修練が足りなかったようだな……俺も、まだまだだ」

「隊長がまだまだなら、俺たちは何なんですか」

「ブレン隊長は、本当にお強い。貴方がもっと昔からサン・ローデルにいて下されば、バウルファー侯も……あんな事には」

 いくらか年配の兵士が、俯き加減に言う。

「……申し訳ございません。決して、今の御領主様を否定したわけでは」

「バウルファー・ゲドン侯爵は、立派な御領主であられたようだな」

 ブレンは言いつつ、少なくとも昔は、という部分を省略した。

「そんな御方を、俺は殺して城壁から放り捨てたわけだが」

「いえ、本当は我らがやるべき事であったのかも知れません」

 兵士の1人が、毅然と言った。

「元凶は、あのゴルジ・バルカウスとメイフェム・グリム……ですが、お傍にいながらバウルファー侯をお止め出来なかったのは我々です」

「人間に止められるものではないさ。怪物どものやる事など」

 その兵士の肩を軽く叩きながらブレンは、ふと遠くに視線を投げた。

 鬱蒼と木々の連なる、魔の森林地帯。

「ところで……あの森にも、魔物どもが棲んでいるそうだな?」

「はい。ですが、ここ数年は被害らしい被害もなく……オークやゴブリンが時折、畑を荒らすくらいのものでありましょうか」

「そのオークやゴブリンどもも、いくら我々に駆逐されようと、決して森の奥深くへ逃げ込もうとはしません」

「我々が、あの森林地帯の中程の地点へと追い詰めたオークが、そこから先へは逃げ込もうとせず、斧で頭を割って自害したのを見た事があります」

「ふむ……下等な怪物どもを恐れさせるほどのものは、あるという事だな。あの森の奥には」

 それが何であるかを、ブレンとしては調査してみたいところだが、今はそんな場合ではなかった。

 現時点ではさほど実害のない、漠然と恐ろしげなだけの何かよりも、現実的に差し迫っている脅威を片付けなければならない。

 ゴルジ・バルカウス一味の魔獣人間たち。それに、赤き竜の残党とおぼしき魔物の群れ。

(やれやれ、魔法の鎧は3つしかないと言うのに……)

 つい愚痴をこぼしそうになって、ブレンは苦笑した。

 魔法の鎧も魔獣人間も使わずに、ことごとく魔物どもを退治してのけた英雄たちを、自分は知っているではないか。

 あの頃は、恐ろしくて物陰から見ているだけだった。今なら、普通に会話をする事が出来るだろうか。

 心の中で、ブレンは語りかけてみた。

(その末路は逆賊であろうと、俺の中では、貴方は今でも英雄だ……力をくれ、ダルーハ卿)



 感服するしかなかった。

「それにしても、よくやるものだ。まさか、あのような手があったとはな」

 デキウスは、つい声に出して笑ってしまった。それが主君の耳に入った。

「何だ……何がおかしいのだデキウス・グローラー」

 領主の椅子に、いささか落ち着きなく腰を下ろした、痩せ形の中年男。

 ロッド地方領主、ライアン・ベルギ侯爵である。貴族としては、まあ凡庸としか言いようのない人物だ。

 それでも形としては主君なので、デキウスは礼を失せぬよう答えた。

「……単なる思い出し笑いでございますよ、侯爵閣下。先日の会合、あれは実に面白いものでございました」

 ガルネア地方聖堂で行われた会合。確かに、笑えるものではあった。

「あの大司教猊下、地方領主の方々に対して主導権を握ろうと、一生懸命になっておられましたなあ……御自身が傀儡に過ぎぬという事に、果たして気付いておられるのやら」

「こ、これ! 何を言い出すのだ」

 ライアン侯爵が、青ざめながら椅子から腰を浮かせ、周囲を見回した。

 デキウスは、優しく声をかけた。

「ご安心を。聞き耳を立てている者などおりませんよ」

「……あの大司教がバルムガルドの傀儡に過ぎぬという事くらい、私とて知っておるわ」

 咳払いをしながら、ライアン侯は言った。

 デキウスが感服しているのは、バルムガルド王国の、そのやり方である。

 宗教勢力を利用して、出来る限り軍事力を使わずに敵国を侵略・支配してゆく。人間という非力極まる生物ならではの、巧みな戦略である。大抵の物事が力押しで何とかなってしまう魔族の者たちでは、なかなか考えつかぬやり方だ。

(……見習うべきかも知れんな、人間どものやり方を。今の魔族には、力押しが出来るほどの力はない。それは認めねばならん)

 それを、痛感させられたばかりである。

 謎めいた行動を取り続ける竜の御子を、おびき出して出方を見るべく、配下の怪物たちに人間の殺戮を命じてみた。

 形としてデキウスは現在、ロッド地方領主の部下であるから、領内で殺戮を行うわけにはいかない。だから隣のサン・ローデル地方に、怪物の一隊を送り込んでみたのだ。

 サン・ローデル領内に入った途端、その一隊は全滅した。皆殺しにされた。竜の御子をおびき出す暇もなく、人間たちの手によって。

 詳しい事はわかっておらず調べている最中だが、1つだけ明らかな事がある。

 力押しで人間たちを攻撃すれば、必ず手痛い反撃を喰らうという事だ。考えてみれば、19年前に思い知っていなければならないはずの事である。

 今回もまた強烈な反撃を受け、剛勇のデーモンを1体、失ってしまった。

 サン・ローデル地方領主は、リムレオン・エルベットとかいう名の少年貴族である。その若造が、魔族の侵攻に備えて何らかの手を打ったのか。

 ダルーハ・ケスナーを失った人間たちが、魔族に対する有効な攻撃手段を確立させたという事なのか。

 ゴルジ・バルカウス一味をサン・ローデル地方から追い払った、あの魔法の鎧の力であろうか。

 だとしたら、それを何としても排除しなければならない。力押しではないやり方でだ。

 力押しでは上手くゆかぬと判明してしまった以上、バルムガルド王国を見習って、他の勢力を利用するやり方で事を進めるべきなのだ。

 そう言えばバルムガルドも、力押しでヴァスケリア王国を攻めて失敗し、竜の御子によって大いに殺戮されたのだった。

(力押しで、何もかも上手くゆく。そんな生き物が存在するとしたら……竜の御子よ、貴殿くらいであろうか)

『苦労なさっておられる……みたいですわねぇ』

 声が聞こえた。人間の耳には聞こえぬ声。デキウスの心に、脳裏に、直接語りかけてくる声。

 だから口は開かず、念ずる事で、デキウスは会話に応じた。

『……念話が出来る程度には、回復したようだな』

『身体はまだ全然ぐっちゃぐちゃのバラバラですけどねぇ。まったくメイフェム殿ってば洒落が通じないんだからぁ……それよりデーモンロード様。人間相手に策略で勝負なさろうなんて、無謀が過ぎますわよ?』

『その名で呼ぶな。今の私は人間デキウス・グローラー。力押しでしか物事を片付けられぬ魔族ではない』

『うっふふふ……見る人が見れば、人間じゃないってわかっちゃいますよ?』

 先日の会合で、あのレボルト・ハイマンという男が自分に向けていた鋭い眼光を、デキウスは思い出していた。

 今ならわかる。あの男はデキウスを、少なくとも人間ではないという所までは見抜いていた。

『人間は、力の無さを悪知恵で補いつつ歴史を綴ってきた種族。力しか取り柄の無い魔族の方が、彼らを策略で打ち負かそうなんて……ローラは悪い事は言いません。お得意分野の力押しで勝負なさった方が身のためですわよ?』

「我らが帝王・赤き竜はな、力押しの勝負でダルーハ・ケスナーに敗れたのだ。それを忘れたのか」

 デキウスはつい、肉声を発してしまった。

 ライアン侯爵が、落ち着きのない表情を向けてくる。

「なっ何だ? 何か申したかデキウスよ」

「……御無礼を。単なる思索でございます」

 恭しく、デキウスは跪いて頭を垂れた。

 人間に化け、人間に仕える。こんな事をしているのも、魔族の歩むべき新しい道を模索するためだ。

(我ら魔族は、力押しの戦いで疲弊しながら歴史を綴ってきた。今や新しい在り方を見つけなければ、我らに未来はないのだ)

 念じても、ブラックローラ・プリズナは何も応えない。

 念話は、すでに切れていた。

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