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第36話 魔法王国の遺産

 今思えば結局のところ、羨ましかっただけなのだろう。ギルベルト・レインはそう思う。

 ケスナー家の父子を、自分はただ羨んでいた。

 彼らと同等の力があれば、腐敗しきったヴァスケリア王家を打倒し、この国を救う事が出来る。そう思ってギルベルトは、ムドラー・マグラによるおぞましい人体実験に自ら志願した。

 そうして得た力を今、振るっている。

 大型の得物を振り上げ襲いかかって来る、5匹のトロル。そのまっただ中に、ギルベルトは踏み込んで行った。

 魔獣人間ユニゴーゴンとなった青銅色の巨体が、踏み込みと同時に竜巻の如く翻る。右足が、続いて左足が、跳ね上がって弧を描いた。蹄による蹴りが、左右交互にブンッブゥンッ! と重く唸り、トロルたちの武器を打ち弾く。

 巨大な剣が2本、大斧が2本、戦鎚が1本。ことごとく蹴り砕かれ、へし折れた。

 残骸に変わった武器を手にしたトロル5匹が、唖然として固まり、立ちすくんでいる。

 蹴り終えた足で、ギルベルトは即座に踏み込んだ。

 トロルの1匹が怯え、逃げ腰になる。

 逃がさず、ギルベルトは蹴りを叩き込んだ。右の蹄が振り上がり、打ち下ろされて、トロルの片脚をへし折った。岩のような筋肉が破れ、折れた骨が現れる。

 よろめいたトロルの巨体が、腹を抱える形にズドッ! と折れ曲がる。その腹に、ユニゴーゴンの左足が打ち込まれていた。悲鳴を漏らそうとするトロルの口から、ゴボッと血まみれの臓物が吐き出される。

「駄目だな、この程度の力では……」

 自嘲しつつ、ギルベルトは右拳を振り下ろした。

 鉄槌の如きその一撃が、臓物を吐き続けるトロルの横面を直撃する。

 両の眼球をポポンッと噴出させながら、トロルは倒れた。

 頭蓋骨を叩き割った手応えを握り締めつつ、ギルベルトは自嘲を続けた。

「この程度の力で、俺は……ダルーハ様に、戦いを挑むなどと……」

 倒れたトロルの顔面を、左足で思いきり踏み付ける。金属質の蹄が、半ば叩き割られていた頭蓋骨をグシャアッと潰し砕いた。吐き出された臓物、飛び出た眼球。それらに混じって、潰れた脳がドバァーッと地面に広がった。

 片脚を折られ頭を潰された巨体が、それでもすぐには絶命せず、痙攣している。再生能力を懸命に働かせようとしながら、しかしトロルは次第に痙攣を弱め、死体に変わっていった。

 その屍を踏み付けたまま、ギルベルトは思う。たかがトロル1匹、ダルーハならば一撃で粉砕していたところだ。

 レドン地方領主としてのダルーハ・ケスナーは、仁君だった。

 領民を慈しみ、その圧倒的な暴力を、弱者の救済のためにしか振るわなかった。

 それはしかし、ダルーハ自身の意思ではなかった。領主夫人レフィーネ・ケスナー元王女が、夫をそのように操縦していたのだ。

 長くダルーハに仕えていながら、ギルベルトはそれを見抜く事が出来なかった。

 夫人が傍にいてくれる限りは眠らせておけたものを、ダルーハは、夫人の死と同時に解放した。

 金で流れ者を集めて軍団を編成し、それと同時にムドラーを使って魔獣人間の開発にも着手し、叛乱の準備を始めたのである。

 その時点においてもギルベルトは、愚かにも信じ込んでいた。竜退治の英雄が今再び、王国を救うために立ち上がるのだと。凶猛なる赤き竜から、腐敗を極めるヴァスケリア王政へと相手を変え、英雄が人々のための戦いを再び始めるのだと。

 だからこそギルベルトは、自ら進んでムドラー・マグラの実験材料となる事に、何の躊躇いもなかった。憧れの英雄に少しでも近付き、共に戦う。そのための力が手に入るのならば、人間の肉体になど何の未練もなかったのだ。

 残る4匹のトロルが、捨て台詞も吐かずに背を向け、逃走を開始していた。

 巨体に似合わぬ逃げ足を発揮しつつある彼らを、ギルベルトは足では追わず、まずは息を吸った。青銅色に金属化した巨体を反らせ、一気に前傾させながら、口を開いた。

 胸の内で燃え盛るものを、ギルベルトは一気に吐き出した。

 シューッ! と蒸気のような音を立て、だが蒸気ではないものが、ユニゴーゴンの口から放射されてトロル4匹を襲う。

 それは、炎に似ていた。青色に激しく燃える有色気体。だが熱量はない。

 偽物の炎だ、とギルベルトが常々思っているそれが、4匹のトロルを包み込んで渦巻き、消えた。

 逃走中の姿勢のまま、トロルは4匹とも固まり、静止している。

 岩のようだった巨体が、本物の石と化している。

 トロルたちは、4体の石像に変わっていた。

 何も焼き尽くす事が出来ない、対象物をただ石化させるだけの炎。

 こんなものではない、本物の炎を吐く父子がいた。

 そう思いながらギルベルトは、ずかずかと足早に歩み寄り、拳を振るい、蹄を振り上げ、4つの石像をことごとく打ち砕いた。肉片ではなく石の破片に変わったトロルたちが、崩れ落ち飛び散って行く。

 トロル程度の怪物を石に変える事は出来ても、ダルーハ・ケスナーに対しては全く効果がなかった。

 竜の血を浴びた肉体が、偽物の炎を蹴散らしながら歩み迫って来る。

 その姿が見えた時には、ギルベルトは叩きのめされていた。どのように叩きのめされたのかも、理解出来なかった。

 破竹の勢いで勝ち進みながらダルーハ軍は、王国北部の町や村を大いに蹂躙した。

 民衆が、虐殺されてゆく。

 事態がそこに至って、ようやくギルベルトは気付いたのだ。最愛の妻レフィーネを失ったダルーハ・ケスナーが、英雄ではなく魔王であった事に。

 止めなければならない、と思った。思っただけでなく、ギルベルトは行動を起こした。ダルーハの本陣に乗り込んで諫言を行い、聞き入れられずに戦闘となった。

 否、戦闘などと呼べるものではなかった。

 魔獣人間としての全力を尽くしながらギルベルトは、一方的に殴り倒され、蹴り転がされた。

 殺される寸前のギルベルトを、部下たちが捨て身で救い出してくれた。

 共にムドラーの実験材料となり、残念ながら魔獣人間には成れなかった兵士たち。100人以上はいた彼らのうち、半数はその場でダルーハに虐殺された。残った半数を率いて、ギルベルトは逃げた。逃げるしかなかった。

 その逃避行の最中、部下たちは次々と死んでいった。中途半端に人間ではないものとなった彼らの肉体は、もはや自然に寿命を重ねてゆけるものではなくなっていたのだ。せいぜい数週間か、1、2ヶ月で干涸び朽ち果ててゆく身体。ギルベルトは、どうしてやる事も出来なかった。

 せめて、安息の地を。

 そう思いながら彷徨っている間に、次々と死んでゆく部下たち。

 その最後の3名が今、この小さな森の中に横たわっている。

 トロルたちに叩き潰され、もはや何だかわからなくなった3つの屍を、2人の唯一神教徒が丁寧に横たえてくれていた。品の良い口髭を生やした男と、美しい少女。2人で屍たちの傍らに跪き、祈りを呟いている。

「……人として、扱ってくれるのだな」

 ギルベルトは振り返り、声をかけた。

 3本の角を生やした、青銅色の魔獣人間。そんな異形に振り向かれても、2人は恐れた様子を見せない。

「私たちに出来る事は、他にはありませんから……」

 少女の方が立ち上がり、言った。

「助けていただいて、ありがとうございます」

「人であろうとなかろうと、我らにとっては命の恩人。それだけでございます」

 口髭の男が、そう言って恭しく頭を下げる。

 この2人、もしかしたら魔獣人間の類を見たのは初めてではないのかも知れないとギルベルトは思った。

 そこそこ地位の高い聖職者であると思われる口髭の男が、人間ではなくなった兵士3名の屍を痛ましげに見下ろし、言った。

「この方々を我々の手で弔う事、お許し願えましょうか?」

「そうしてくれるか」

 ギルベルトは応え、続いて問いかけた。

「……俺は部下たちに、安息の地を与えてやりたかった。最後の最後で、その真似事くらいは出来たのだろうか?」

「死は、どれほど罪深き者にも必ず与えられる安息です。が、それは唯一神の与えたもうた生を全うしてこそ」

 口髭の聖職者が、魔獣人間ユニゴーゴンの姿をちらりと見据える。

「……失礼ながら、貴方は死に急いでおられるように見える」

「見ての通り、俺は人間をやめた。唯一神の与えたもうた生とやらを投げ出し、悪しき命を与えられた身だ。あんた方から見れば、真っ先に死すべき存在なのではないのか?」

 言いつつ、ギルベルトは背を向けた。

 部下たちは全員死んだ。弔いも任せた。もはや自分がここにいるべき理由もない。この世にいるべき理由もない。

「……とてつもなく恐ろしいものが、もうすぐ俺を殺しにやって来る。俺に死ぬ気があろうがなかろうが、そいつが俺を生かしてはおかんよ」

 あの若君が本気で暴れたら、町や村の1つ2つは容易く滅びる。人が住む場所に、自分はいるべきではない。

「その……恐ろしい方は何故、貴方を生かしておかないのですか?」

 少女の方が、追いすがるように声をかけてきた。

「悪い人……なのですか? その方は」

「悪、ではないな」

 背を向けたまま、ギルベルトは会話に応じた。

「無理矢理にでも正義と悪に分類するとしたら、そいつは正義だ。だから俺を殺しに来るのさ」

「あたし、貴方のような人を知っています。そこの樫の木の下に……眠っています」

 確かに、大きな樫の木が立っている。その根元に誰かが埋まっている、と少女は言っているようだ。

「その人は、人間ではなくなってまで、あたしたちの村を守ろうとしてくれました」

(魔獣人間……という事か?)

 ムドラー・マグラ以外にも、魔獣人間の製造を行っている者がいるという事か。

「村を守ろうとして死んだ、というわけかな」

 ギルベルトは会話を続け、少し情報を集めてみる事にした。

「俺の部下たちのように自然に朽ち果てたのか、それとも殺されたのか、気になるところだ」

「殺されました……その殺した人が結局、村を守ってくれたんです」

「ふん。何かを守ろうとする者同士が殺し合う……実によくある話さ」

「あたしは、そんなの嫌です。あたしを助けてくれた人が、そんな殺し合いをするなんて……もう絶対嫌」

 俯きながらも、少女は言葉を続けた。

「貴方の命を狙ってる、その恐ろしい方が……悪い人じゃないのなら、何とか説得を」

「おいおい、命知らずなお嬢さんがいたものだな」

 ギルベルトは思わず振り返り、人間の表情が失せた顔で苦笑した。

「あれを説得! ある意味それは、ダルーハ様に戦いを挑むより凄い事だぞ」

「……要は、命を粗末にするなという事だ。エミリィ・レアは貴方に、ただそう言っている」

 口髭の男が言った。こうして見ると、高位の聖職者らしい威厳のようなものが、感じられなくもない。

「ともあれ、部下の方々の弔いには貴方も立ち会うべきだろう。その後の身の振り方は、ゆっくり考えると良い」

「……そうだな」

 魔獣人間を造っている輩が、ムドラー・マグラ以外にもいるのなら、確かに放っておくべきではない。

 自分や部下たちのようなものが生み出される。それは、止めなければならない。

 自分を殺しに来るであろう若者に、ギルベルトは無言で語りかけた。

(すまんな若君……今しばらく、あんたに殺されてやるわけにはいかないようだ)



 あらゆる物事を魔法で解決する事の出来た時代があった。

 レグナード魔法王国の時代である。

 強大な力を持つ少数の魔術師たちが為政者となって、魔力の乏しい民衆を支配する。そんな体制が、1000年近くは続いたらしい。

 それだけ続けば当然、国というものは腐ってくる。

 強大な魔術師であるはずの為政者たちは、この頃になると搾取に励み享楽にふけるばかりで魔力の鍛錬を怠り、民衆の叛逆を自力で鎮圧する事が出来なくなっていた。

 衰えた魔術師たちが、魔力に乏しいが体力に優れた平民の叛逆を抑えるために造り出したもの。それが魔獣人間である。

 この生ける凶器が大量生産され、叛乱鎮圧の戦に投入されようとした頃。魔術師たちにとっても民衆にとっても予想外の事態が起こった。

 怪物・魔物たちによる、襲撃と侵略である。その頃の彼らには、かの赤き竜のような強大なる統率者が存在せず、言わば烏合の衆に等しい状態であったようだ。

 そんな魔物たちによる侵攻に対し、魔獣人間の軍勢が実戦投入されたわけだが敗れ、レグナード魔法王国は滅びた。

 敗れはしたものの魔獣人間の軍勢は、それなりに健闘したようである。勝者である魔物たちも壊滅に近い状態に追い込まれ、結局は元魔法王国の民衆だった人間たちに駆逐されてしまった。

 その人間たちによって、様々な国が興されては滅んだ。

 その興亡と戦乱が300年ほど続いた後の現在。レグナード魔法王国の、恐らくは最も禍々しくおぞましい部分が、ここバルムガルドに生き残っている。

 王国南西部ヴォルケット州、ゴズム山脈の奥地近く。

 建築したと言うより、山そのものを彫り込んで造り上げたかのような、巨大な岩の城郭である。

 レグナード魔法王国の遺跡。

 バルムガルド王家の管理下にあった、この巨岩の城郭が、今は実質的にゴルジ・バルカウスの私有地と化している。

 ゴズム岩窟魔宮と名付けられた、この城郭の内部奥深くで発見されたもの。それらが今、メイフェムの周囲あちこちで、氷のようなものに閉じ込められ、あるいは透明な筒状の容器の中で液体に漬けられている。

 液体の中で一ヵ所の腐敗もなく、まるで水中で眠っているかのようなマンティコアやデーモンの死体。氷あるいは水晶に似たものの中に、生きたまま閉じ込められたかのようなバジリスクやキマイラ。

 液体に漬けられた、臓物らしきものや眼球もある。五体満足では室内に収まらぬ巨大な怪物……サイクロプスやワイバーンといった生き物たちの、肉体の一部であろう。

 レグナード魔法王国の在りし時代から約300年間、この岩窟魔宮の奥深くに保存されていた、魔物・怪物たちの生体標本である。

「魔法王国の先人たちは、残しておいてくれたのだよ。魔獣人間の材料を、私のためにな」

 枯れ木のような身体をローブに包み、顔に仮面を貼り付けた男が、感慨深げに言う。

 ゴルジ・バルカウス。何人目であるのか、メイフェムは知らない。

「そうでなければ、まあガーゴイルやオーガーはともかく……バジリスクやロック鳥の細胞など、そうそう手に入るものではない」

「……まあ、そうでしょうね」

 メイフェムは見回した。

 トロル、ヒドラ、ウェアウルフ、サラマンダー、キマイラ……19年前、少なくとも1度は戦った事のある怪物ばかりである。

 彼らの見本市とでも言うべきこの岩窟の大広間に現在いるのは、メイフェム・グリム以外には3名。

 ゼノス・ブレギアス元リグロア王太子。ゴルジ・バルカウス。それに、メイフェムの法衣の裾にしがみついている小さな女の子。

 メイフェムとお揃いの、唯一神教の法衣を着せられた、幼い少女である。

「何でぇ。結局、連れて来ちまったのかい」

「仕方がないでしょう。貴方に差し上げると言ったのに、受け取ってくれないんだもの」

 ゼノスと会話をしながらメイフェムは、マチュアの頭を軽く撫でた。撫でるのではなく、頭蓋を握り潰してやる事も出来る。

 それがわかるのかマチュアは、臆病な仔犬のように怯えながらも、しかしメイフェムから離れようとしない。

 マチュアという名前と、自分の身体。命。それら以外の全てを、この小さな少女は失ってしまったのだ。

 彼女の母親はバウルファー・ゲドン侯爵の城で、魔獣人間どころか残骸兵士にすら成れずに絶命した。父親は、メイフェムが惨殺した。ついでに大勢の人間を殺して潰して引き裂いたが、マチュア1人だけが、その場にいながら運良く殺戮を免れたのだ。

 それを、この小さな愚かな少女は、助けてもらったなどと勘違いをしている。勘違いしたままメイフェムの法衣を掴み、身を寄せ、俯いて怯えている。

 そんなマチュアに対する興味を早々に失ったゼノスが、周囲の動かぬ怪物たちを興味深げに見回す。

「それにしても、こいつぁまさに壮観ってやつだなゴルジ殿……こんだけ材料があるんならよ、そこいらじゅうの人間どもに植え付けて魔獣人間の大量生産を」

「そう単純にはゆかぬのだよゼノス王子。例えばだ、ある人間にトロルとマンティコアの細胞を植え付けてみたとする。出来上がった魔獣人間が、それではトロルとマンティコアを同時に相手取って戦えるだけの力をもっているのかと言うと」

「必ずしもそうではない、というわけね」

「その通りだメイフェム殿。貴女には以前言ったと思うが、魔獣人間には適性というものがある。重要なのは、素体となる人間の質なのだよ。貴公らのような素晴らしい素材には、なかなか巡り会えぬもの」

 バルムガルド国民を使っての魔獣人間製造を、ゴルジは国王ジオノス2世から許可されたらしい。

 つい最近までヴァスケリアのサン・ローデル地方で行われていた事が、バルムガルド1国全体で行われる事となる。かつてレグナード王国の魔獣人間製造施設であった、このゴズム岩窟魔宮を中心としてだ。

「ほほう、俺たちゃ素晴らしい素材か。そうかそうか、選ばれし者ってやつだな……うん?」

 嬉しそうな声を出しながらゼノスが、何か見つけたようだ。

 マチュアの身長ほどの、岩の台座。その上に、古びた壺が安置されている。生首ほどの大きさで、陶器か金属製か判然としない。

「何だい、こいつぁ……」

「ああ触らぬ方が良いぞ。その壺の中身は、この世で最も扱いに慎重を要する物質よ。それを浴びた者は全身が灼けて溶け、跡形もなくなる。運良く一命を取り留めたとしても、人間ではいられなくなる」

「まさか……」

 メイフェムが息を呑み、ゴルジが頷いた。

「そう……竜の血だ」

 その壺の中身と同じものを全身に浴びて死にかけ、人間ではないものとして覚醒した男を1人、メイフェムは知っている。

「かの赤き竜よりも、ずっと古い時代の竜であろうな。魔法王国の先人たちが、いかにして竜の血液の採取になど成功したのかは、残念ながらわからん。とにかく魔獣人間の材料としては、禁断の切り札とも言うべき逸品よ」

「竜の力を持つ魔獣人間……確かに、恐ろしい怪物になりそうね」

「無論、素材となる人間は選ばねばならんがな。竜の力に耐えられる肉体……貴公ら2人ではどうかと悩みに悩んだが、結局やめた」

「助かったわ」

 ダルーハ・ケスナーでさえ、浴びただけで死にかけた竜の血液。自分など一たまりもなかっただろうとメイフェムは思う。

「だがな、つい最近……駄目で元々と思い、使ってみたのだよ。その壺の中身を2、3滴ほどな」

 仮面の下で、ゴルジは嬉しげに笑った。

「成功した。誕生したのだよ、竜の力を持つ魔獣人間が1人」

「ヘぇー。どんな奴よ、今ここにいんのかい?」

 ゼノスが見回した。

「俺やメイフェム殿よりもバケモノかい、そいつ」

「いい勝負であろうな。まあ近いうちに、貴公らにも紹介出来ると思う」

 竜の力を持つ魔獣人間。とは言えダルーハほどの怪物ではないだろう、とメイフェムは思う。あの男を上回る怪物が、もし存在するとしたら。

(赤き竜……やはり、お前の血筋)

「とにかく万事、私の思う通りに進みつつある」

 仮面の下でゴルジの両眼が、邪悪なほど熱っぽく輝いている。

「やはりエル・ザナード1世を生かしておいたのは正解であった。あの女王が例の怪物を操ってバルムガルド軍を撃退した、そのおかげで私は今こうして、バルムガルド一国を魔獣人間造りに活用する事が出来る」

「……例の、怪物? 何でぇそいつは」

 ゼノスの口調が、殺意に近いものを孕んだ。

「俺の嫁さんの近くに、バケモノがいるってのかい。そいつぁ捨て置けねえなぁあ」

「詳しい事はよくわからん。が、ジオノス2世陛下がおっしゃるには……ダルーハ・ケスナーの息子、であるらしい」

(ダルーハの息子……そう。そういう事になっているのね)

 あの時、救出されたレフィーネ王女が、その身に宿していた命。それが何であろうとレフィーネ王女の産んだものなら、ダルーハは己の子として育てたであろう。そういう男だった。

「……とにかく人間という種族は、一刻も早く、こやつらに対抗し得るだけの力を持たねばならん」

 動かぬ怪物たちを見回し、睨みながら、ゴルジは語る。

「魔獣人間という戦力の確保に、もう少し早く着手していれば……レグナード魔法王国が滅びる事も、なかったであろう」

 まるで自分が、300年前の魔法王国滅亡に立ち会ったかのような事を、彼は言っている。

「あ……あのう……」

 メイフェムにすがりついたままマチュアが、か細い声を発した。

「あなたたちは、何をしようとしてるんですか……? 悪い事なら、やめて下さい……」

「ゴルジ殿の考えてる事なんて、わかるわけないでしょう?」

 にこにこ笑いながらメイフェムは、唯一神教徒のベールを被った少女の頭を、少し強めに撫でた。頭蓋骨をがくがくと揺さぶられ、マチュアが泣きそうな声を出す。

 そこへ、ゴルジが声を投げた。

「私はただ、人間という種族そのものを救おうとしているだけだ。それがわからぬなら、わからぬままで良い……黙って大人しくメイフェム殿に飼われておれ。餌代くらいは我らが負担してやる」

「はっはっはーお嬢ちゃんよ。驚いた事に今ここにいる奴らの中で、人間はおめぇーだけだ」

 ゼノスが笑う。

「人間じゃねえ奴のやる事なんざ、人間の頭で理解しようとするモンじゃねえぜ? なあゴルジ殿」

「ゼノス王子、それにメイフェム殿にも言っておくがな。我々は確かに、肉体はすでに人間ではない。だが心は人間だ。人間の心を、失ってはならぬ。人間を守るのが、我らの使命なのだからな」

 もう遅い、とメイフェムは思った。人間の心など、自分はとうの昔に失っている。

「……それでゴルジ殿。人間を守るために、私たちはこれからどう動けばいいのかしら?」

「エル・ザナード1世女王を、守らねばならん」

 ゴルジは即答した。

「ヴァスケリア国内で、赤き竜の残党どもが蠢いておる。奴らは女王に叛意を抱く地方貴族どもに接近し、何やらそそのかしている様子……どうせ叛乱やら国家転覆の類であろうがな」

 人間を使って、人間の世に混乱をもたらし、それに乗じて覇権を狙う。小賢しい手段であると言える。暴力のみで人間を制圧しようとして失敗した赤き竜を、反面教師にでもしているつもりであろうか。

「何にせよ、エル・ザナード1世には健在でいてもらわねばならん。魔物どもの暗躍に足元をすくわれ、不慮の死を遂げる……ような事など、起こってはならんのだ。あの女王は生かしたまま、出来れば我らの側に取り込みたい。そうすればヴァスケリアでも、大々的に魔獣人間を造れるようになるかも知れん」

 ゴルジの仮面が、ゼノスの方を向いた。

「我らの中で、かの女王といささかなりとも縁のあるゼノス・ブレギアス元リグロア王太子。貴殿に、エル・ザナード1世女王との接触と彼女の護衛を頼みたいが」

「せせせせ接触? イイんだな? そりゃもういろんなトコ接触しまくっちゃうよぉー何しろ俺の嫁さんだからなああ、旦那として当然の権利を行使しまくっちゃうぜぇ俺ぁよおおおおおおおおおおおお!」

 ゼノスがのけ反り、驚喜し始めた。

「護衛だって任せとけ。やっぱ自分(てめえ)の嫁さんは自分(テメー)で守らねえとなああ。守って守って守って守って俺のモノにする! そうすりゃ自動的にコッチに取り込める事にならぁなああ、そうだろゴルジ殿!」

「……貴方にそれが出来るなら、ね」

 ゴルジの代わりに答えながら、メイフェムは溜め息をついた。

「ねえゴルジ殿……大丈夫なの? こんな事をゼノス王子に任せてしまって」

「メイフェム殿よりは適任だ。貴女では、些細な事に逆上して女王を殺してしまいかねん」

「……確かに、ね」

 マチュアの頭を荒っぽく撫で回しながら、メイフェムは苦笑するしかなかった。

 ゴルジが、さらに言う。

「とにかく、エル・ザナード1世女王には生きて戦い続けてもらわねばならんのだ。彼女が健在である限り、今回のような恩恵が、これからも我々にもたらされるであろう」

 殺すのは、いつでも出来る。ゴルジは、そう言っているようであった。

 そんな思惑とは無関係にゼノス王子が、舞踏か演武かよくわからぬ動きをしながら喜び回っている。

「いえぇぇえい嫁嫁嫁ヨメ俺の嫁! 結婚だよ結婚結婚! いいんだよ政略結婚でもよォー、そっから愛を育んできゃイイんだからなっお嬢ちゃん。結婚にゃあ夢を持たなきゃダメだぜぇー?」

「は……はい……」

 困惑しているマチュアの頭をガクガクと撫で回しながら、メイフェムは思う。

 ヴァスケリア王国に、かつての赤き竜に勝るとも劣らぬ危機が迫りつつある。

 バウルファー・ゲドンなどという小物を始末しただけで、あの者たちは魔法の鎧を脱いでしまうのか。否、そんなはずはない。そんな事は絶対にさせない。

 彼らの戦いは、むしろこれから始まるのだ。

(戦いなさい、命を賭けて……そして、私に見せてちょうだい。ケリスが命を捨てて守った、美しいものを……) 

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