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第35話 魔王軍、最後の戦士

 円卓である。上座というものがない。

 これの周りに座る者たちは全て平等、身分の上下など存在しないというわけだ。

 今は5名、座っている。

 ここガルネア地方の領主であるエラン・ドグマ侯爵。エヴァリア地方領主マギ・ハザン侯爵。ロッド地方領主ライアン・ベルギ侯爵。そしてクラバー・ルマン大司教。

 残る1名は、デキウスが初めて見る若い男である。

 20歳前後、であろうか。顔立ちは秀麗で優しげだが、眼光は鋭い。髪は、黒髪に近い焦げ茶色。すらりとした優美な長身は、しかし筋肉が力強く引き締まってもいる。

 こんな貴族的な正装よりも騎士の甲冑が似合いそうだ、とデキウスは思った。

 座っているこの5人の他に、立っている者が2人いる。

 1人は、恐らくクラバー大司教の秘書か何かであろう。唯一神教の法衣に身を包んだ若い娘。その豊麗な胸の膨らみも、腰から太股にかけての魅惑的な曲線も、匂い立つような色香も、法衣などでは全く隠せていない。そんな身体に、豊かな金髪が絡み付いているのだ。

 美貌は、あのブラックローラ・プリズナに匹敵する。眠たげな両の瞳からは、何の感情も読み取れない。

 もう1人が、デキウスである。

 デキウス・グローラー。今はそう名乗って、何の特徴もない初老の男の姿をしている。そしてライアン・ベルギ侯爵に執事として仕え、この会合の場にまで同行を許されているのだ。

 ガルネア地方の唯一神教会聖堂。その議事室内を、デキウスは盗み見るように見回した。

 自分以外に6人いるが、注意を要するのはその中の2名。大司教の秘書とおぼしき金髪の娘と、焦げ茶色の髪をした若い男。

 他4名は、デキウスの主であるライアン・ベルギ侯爵も含め、まあ有象無象と言っても良かろう。

 そのライアン侯爵が、まずは言う。

「女王エル・ザナード1世は、専横を極めつつあります……これはヴァスケリアという王国そのものの危機と言えましょう」

「税が5公5民などと……民から愛される慈悲深き女王のつもりでしょうが」

 エラン侯爵が、続いてマギ侯爵が同調する。

「あの小娘は何もわかっておらぬ! 民を富ませるにはまず国を富ませねばならぬと言うのに」

「しかも横暴かつ極めて戦闘的であらせられます、女王陛下は。まるで古のアゼル派の如く」

 クラバー大司教が、嘆かわしそうな声を出した。

「方々もご存じでしょう、バウルファー・ゲドン侯爵閣下の一件を」

「バウルファー侯は……やはり殺されたのでしょうか? 罪を悔いて自ら命を絶った、などという話になっているようですが」

「暗殺です。間違いはありません。女王の放った暗殺者が、バウルファー侯を殺害して城壁から放り捨て、投身自殺の状況を作ったのです」

「……? 私は、女王の伯父たるカルゴ・エルベットが刺客を送ったもの、と聞いておりますが」

「であるにしても、それは女王の意を受けてのものである事は疑いありません……エル・ザナード1世は、我らが団結する事を恐れ、先手を打ったのです」

「叛乱の罪を捏造してバウルファー侯に被せ、殺害したというわけですな……まさに横暴、いや暴虐」

「愚かなる民たちは、その暴虐を見ようともせず、ダルーハ・ケスナー討伐という一点のみを見て現女王を盲信しております。今やこの国は、ダルーハ以上の暴君を戴いてしまったと言うのに……」

 クラバー大司教も、地方領主3名も、不満を吐き出すばかりである。専横を極める女王に対し、結局どのような行動を起こすのか、具体的な話には全く触れようとしない。具体的な事など、何も出来はしないからだ。

 このような者たちに、エル・ザナード1世の政権を覆す事など出来るわけがなかった。

 何しろあの女王には、竜の御子がついているのだ。

「バウルファー侯には今少し、我らとの連携を重んじていただきたかった」

 エラン侯爵が、愚痴をこぼした。

「我ら地方領主が一致団結し、大司教猊下やバルムガルドの方々とも協力して兵を挙げていれば……逆賊ダルーハに擁立されただけの小娘ごとき、たやすく排除出来たものを」

 バウルファー・ゲドン侯爵が、ここにいる者たちとの連携を軽んじ、単独での叛乱に踏み切った理由。それは魔獣人間という戦力を手に入れてしまったからだ。

 魔獣人間の軍勢を操り、エル・ザナード1世を打倒する。それに成功すれば、手に入れた権力を、他の地方領主や大司教などといった輩に分配する必要もなく独占出来る。それがバウルファー・ゲドンの狙いであったのだろうが、女王は先手を打った。

 ゾルカ・ジェンキムが造り上げた、魔法の鎧。それを装備した少数精鋭の戦闘集団を動かし、バウルファー侯を始末してしまったのだ。大掛かりな軍事行動を起こす事もなく、叛乱の芽を摘み取ってしまったのである。

 この場にいる大司教やら地方領主やらといった者どもとは比べ物にならぬ、鮮やかな手際だった。

 そんな抜け目のない女王に、竜の御子が与力しているのである。

 デキウスは、心の中で嘲り呟いた。

(仮に我らが力を貸してやったところで、こやつらではエル・ザナード1世の打倒など夢のまた夢……それにしても)

 わからないのは、竜の御子である。

 人間の女王に懸想しているのであれば、無理矢理に奪って犯し、この王国もろとも己の支配下に置いてしまえば良いのである。彼の父親が、19年前にそうしたように。

 それが出来るだけの力を持ちながら実行せず、何やら彷徨いながら小規模な殺戮を繰り返し、遠回しに女王を援助し続ける。

 竜に人間の血など入ったせいで、全く理解不可能な怪物が出来上がってしまった。

(竜の御子よ、貴殿に我々を統率する意思がない……となれば、我らは我らで勝手にやらせてもらわねばならぬ。結果、貴殿と敵対する事になろうともだ)

 人間どもが我が物顔で歩き回るこの世界を、さしあたっては竜の御子に頼らず征服・支配する。そのために歩むべき道を模索している最中なのだが、その模索すら行き詰まっているというのが現状だ。

 ゴルジ・バルカウス一味との接触を試みたブラックローラは、試みたその場でメイフェム・グリムに倒されてしまった。

(愚か者が……メイフェム・グリムが貴様の話など聞くはずはなかろうに)

 それでも、メイフェム・グリムがこちら側に近い、というブラックローラの話は、わからぬでもなかった。

 いや、メイフェムだけではない。ダルーハ・ケスナーを筆頭とするあの5名全員、人間のために戦っていながら、人間の側にはとどめておけぬ何かを、間違いなく持っていた。

 実際あの5人のうち、人間として死ねたのはケリス・ウェブナーとゾルカ・ジェンキムだけなのだ。

(ダルーハ・ケスナー……無論、貴様は許せぬ。が、貴様が懐かしくもある……そして貴様は一体、竜の御子をどのように育て上げたのだ?)

「……方々には、お詫び申し上げなければなりませんな」

 焦げ茶色の髪の若者が、ようやく言葉を発した。

「我らバルムガルドの不手際が、女王エル・ザナード1世にここまでの横暴と増長を許してしまったのです」

 バルムガルド人、であるようだ。

 エル・ザナード1世からヴァスケリア王国を奪うための、この悪だくみの会合に、バルムガルド王国を代表し参加しているようである。

「大司教猊下……こちらは?」

「おお、ライアン侯爵にはまだ御紹介しておりませんでしたか。ウォルグ・バセット大使閣下の後任として、バルムガルドの秘密外交を担当しておられる方です」

 クラバーの言葉を受けてバルムガルド人の若者が立ち上がり、恭しく身を折り、名乗った。

「レボルト・ハイマンと申します」

「ほう……バルムガルドにその人ありと謳われし知勇の将軍と、同じ名をお持ちとは」

 ライアン侯の言葉に、レボルトと名乗った若者は無言で微笑みを返した。重く、暗い笑顔だった。

 バルムガルド随一の名将と言われるレボルト・ハイマン将軍は、ヴァスケリア東国境において、事もあろうに竜の御子と戦うなどという愚行をやらかし、3000人もの兵士を失った。形としては、ヴァスケリア軍に大敗を喫したという事になる。

 レボルト将軍はその後、行方知れずとなった。敗戦の責を負って処刑されたとも、獄中死したとも言われている。

 そんな悲運の名将と同じ名前を持つ若者が、一同を見回し、語る。

「この場の方々には、認識していただかなければなりません……エル・ザナード1世女王が魔物を飼っている、という馬鹿げた噂が、しかし紛れもない真実であるという事を。かの女王は、人ならざるものの力を利用し、国を治めようとしているのです」

 事情を知らぬ者が聞けば妄言としか思われぬような事を、レボルト・ハイマンは真摯そのものの表情と口調で、力強く語っている。

「それはすなわち、魔物が国を治めるに等しい事態……かつての赤き竜の如く」

「あの時代が再び来る、とおっしゃるのですか……」

 エラン侯爵が、青ざめながら言う。

「噂には聞いております。ダルーハ・ケスナーを討ち取ったのは、女王の飼い操る魔物であると……」

「そのようにしてエル・ザナード1世は、人の世の政に魔物を介入させてしまったのです」

 レボルトの鋭い両眼が、ギラリと獰猛なほどの熱を帯びた。

「赤き竜、それにダルーハ……このヴァスケリアという国は、人間ではないものによって立て続けに蹂躙されてきました。無礼を承知で申し上げますが、それは人間である貴方がたが、人ならざる者どもに台頭する機会を与えてしまっているからです。現女王が行っている事は、まさにそれであると言えます。魔物の力に頼って政治を、軍事を行う……その魔物がヴァスケリア王国を支配・蹂躙するのも時間の問題でありましょうな、このままでは。赤き竜、ダルーハ・ケスナーに続く、第3の魔王の誕生です。その脅威と災禍は、我がバルムガルド王国にまで及ぶでしょう」

 円卓の一同を見回していたレボルトの眼差しが、デキウスに止まった。睨んでいる、ような眼光である。

「人間の世に人間ならざる者の介入をもたらすヴァスケリア現政権は、何としても打倒せねばなりません。そのためならば我らバルムガルド王国、これまで通りローエン派の方々に、のみならず国を憂える貴方がた地方貴族の皆様に対しても、大いに力添えをさせていただく。とにかく人間の世界に魔物の介入など……させてはならないのですよ、絶対に」

 デキウス1人に向かって語りかけている、ようでもある。

(こやつ……見抜いておるとでも?)

 敵意に近いものを孕んだレボルトの言葉と眼光に、曖昧な微笑みだけを返しながらデキウスは、クラバー大司教の方を盗み見た。

 正確には、大司教の背後に控える、金髪の娘の方を。

 相変わらず、眠たげな眼差しをしている。はっきりと炎を燃やすレボルトの両眼とは対照的に、ぼんやりと靄がかかったような瞳。

 そこからはやはり、何の感情も読み取れなかった。



 領主バウルファー・ゲドンの死を悼む者が、サン・ローデル地方に、少しはいたのかも知れない。

 が、やはりと言うべきか喜んだ者が大半である。

 喜びの声でサン・ローデルの人々は、新しい領主を迎え入れた。

 リムレオン・エルベット。

 それが、サン・ローデル地方新領主の名である。女王エル・ザナード1世の名前で、布告が出されたばかりだ。

 前領主バウルファー・ゲドンは逆賊として認定され、ゲドン家は貴族の地位を剥奪された。

 エルベット家は、メルクト及びサン・ローデルを親子で領有する大貴族となった。

 エル・ザナード1世の母方の実家が、王国西部における最大勢力となったわけだ。政敵の多い女王が、自身の味方となり得る伯父の一族に力を持たせるべく行った人事であろう、と語る者もいる。

 そういった政治的な話は、しかしエミリィ・レアにとっては、どうでも良かった。

「リムレオン様……」

 呟きながらエミリィは今、村はずれの森へと向かって、ふらふらと歩いている。

 戦いが終わりメルクトへ帰ってしまった、とばかり思われていた若君が、帰らずサン・ローデルにとどまる事となってしまった。

 と言っても領主である。自分などが気軽に会えるような相手ではないと、エミリィも頭ではわかっているのだ。

 領主ともなれば、正式な夫人はどこかの名家から迎え入れるにしても側室ならば、領内の娘たちの中から選び放題だろう。

(リムレオン様のお傍にいられるなら、あたし側室でも……)

 思いかけてエミリィは、ぶんぶんと頭を横に振った。

「唯一神よ、愚かなる下僕エミリィ・レアは相変わらず未練と妄念に捕われております……どうか、罰をお与え下さい……」

 祈りを捧げながらもエミリィは、唯一神よりも自分の両親に叱ってもらいたい気分だった。だからこうして、父と母の眠る村はずれの森へと向かっている。

 思い浮かべてしまうのは、シェファ・ランティの事だ。失礼ながらどこかの貴族令嬢ではなく平民の娘にしか見えないから、彼女もまた領主の正妻となるのは難しかろう。が、傍にいられるなら側室でもいい、と考えるような女の子にも見えなかった。

 もしもリムレオンが、どこかの大貴族の姫君とでも政略結婚をする事になったら。シェファは恐らく何も言わず、ひっそりとリムレオンの傍から姿を消すだろう。エミリィはそう思う。

 だがシェファが、エミリィと一緒にリムレオンの側室になってしまうような事があったなら。

「シェファさんとも、仲良く出来る……2人でリムレオン様を愛でてあげるのも楽しいかなぁ……なぁんて、あはははは……はぁ……」

 笑いながらエミリィは溜め息をつき、俯いた。

 こんな独り言、シェファに聞かれたら殺されかねない。

 顔を上げつつ、エミリィは木陰で足を止めた。

 両親の墓の前に、誰かいる。

 エミリィと同じく唯一神教の法衣に身を包んだ、人影。墓前に跪き、ぶつぶつと祈りを呟いてるようだ。

 懐かしさが、エミリィの胸に満ちた。

「レイニー……」

 名を呼びながら、木陰から飛び出す。

 法衣姿の人影が立ち上がり、エミリィの方を向いて、穏やかに微笑む。穏和そのものの顔に口髭が、紳士的に生え整っている。

「……まずは君の御両親に挨拶を、と思ってね」

「レイニー!」

 エミリィは駆け寄って行った。

「お久しぶりです! おヒゲ……少し濃くなりました?」

「まあね。少し貫禄を出そうと思ったんだが」

 レイニー・ウェイル。エミリィの両親を弔ってくれたローエン派僧侶4名の最年長者で、確か31歳になるはずだ。

 年長者だからというわけではなかろうが立ち回りが巧みで、大司教クラバー・ルマンにかなり近い地位にまで上ったはずのレイニーが、しかし何故こんな場所にいるのか。エミリィが訊く前に、本人が説明をしてくれた。

「実はこの度、サン・ローデル地方教会の司教を任される事になってね。赴任の報告を、まずは君の御両親にと思って」

「そうだったんですか……」

 大司教の側近と、地方教会の責任者。どちらの方が立場が上なのか、エミリィにはよくわからない。

 そんな事より、つもる話はいくらでもある。

「皆さんは元気ですか? アレンもクオルも……マディックは、相変わらず?」

「……ああ。消息を絶ったままだ」

 マディック・ラザンは、クラバー大司教のやり方をかなり露骨に批判し、教会を破門され、北の戦災地を1人立ち去って行方をくらませた。

「大司教猊下のなさりようは、私も確かに……ちょっとどうかな、とは思う。が、平和がもたらされているのは事実なんだ。それが何よりだ、と私は思うよ」

 エミリィも以前は、そうとしか思っていなかった。

 今はもう1つ、思う事がある。4人と再会する事があったら、ぜひ話してみたいと思っていた事だ。

「レイニー、あたし思うんです。北の戦災地に平和がもたらされているとしたら、それはローエン派やバルムガルド王国のおかげではなく、あの方の」

「そこまで」

 声を潜めながら口調強くレイニーは、エミリィの言葉を遮った。

「それ以上、言ってはいけない。我々はあの時、5人揃って夢を見ていたのだ。あんな恐ろしいものは、夢の中にしかいないんだよ」

 公に認めてはならない、とレイニーは言っているのだ。

 自分たちの目の前で大いに手を汚した、あの人間ならざる若者の存在を。

 あの時、彼はエミリィたちを助けてくれたのだ。

 彼がいなかったらレイニーもマディックも、ダルーハ軍残党の兵士たちに殺されていたかも知れない。エミリィも慰みものにされていただろうし、リュセル村の人々も食い物にされているままだった。

 1つ、エミリィが実感せざるを得なかった事がある。

 戦に敗れ、統率者を失い、破れかぶれになってしまったダルーハ軍の残党兵士たちを、説得で改心させる事など絶対に不可能であったという事だ。彼らを暴力で駆逐する。それしかリュセル村を救う手段はなかった。

 エミリィたちには不可能なそれを実行してくれたのが、あの若者なのである。

 平和をもたらすためには、誰かが手を汚さなければならない時もある。

 平和主義を掲げるローエン派の聖職者であるからこそ、その事をもっと真摯に見つめるべきではないのか。少なくとも、手を汚した誰かの存在を否定などするべきではない。

 エミリィがそう言い募ろうとした、その時。

 木が1本、凄まじい音を立てて倒れた。

「人間……ぐっふふふ人間どもォオオオオォォッ!」

 己が折り倒した大木の幹を踏みつけながら、巨大なものがそこに姿を現し、叫んでいる。

 2メートルを超える巨体は、岩のような筋肉で盛り上がっており、まるで岩の大男といった感じの姿だ。石柱でも切り倒せそうな巨大な斧を、両手で持っている。

 凶暴性以外の何も感じさせない顔面が、目を血走らせ、牙を剥き出しにして叫ぶ。

「デーモンロード様は言われた! 人間を、少しばかり殺戮してみよと」

「竜の御子が、人間どもに味方しているのであれば! 人間をいくらか殺せば姿を現すであろうと!」

 1匹だけではない。岩の大男が4匹、いや5匹、喚きながら姿を現していた。

 大斧、戦鎚、巨大剣……5匹とも、そのまま攻城兵器として使えそうな大型の武器を携えている。

「トロルだと……!」

 エミリィを背後に庇いながら、レイニーが息を呑む。

「ダルーハ・ケスナーの死後、あちこちで魔物の出現が相次いでいると聞いてはいるが……」

「ダルーハ・ケスナーはもはやおらぬ……さぁーどうする人間ども」

 5匹のトロルが各々、大型の得物を構え揺らめかせながら、ニヤニヤと牙を剥いている。

「さあどうする、不味そうな男に美味そうな娘よ」

「ほ、本当に美味そうな娘よのうグッフフフフ」

「乳と尻は俺がもらう……」

「お、俺は太股があれば良い……」

「ふん、二の腕の美味さを理解出来ぬとは味覚の貧しい奴らよグへへへへ」

 5匹のトロルが、5つの方向からにじり寄って来る。

 後退りも出来ぬままエミリィは、レイニーと身を寄せ合った。

(唯一神よ……罰をお与え下さい、とは確かに言いましたけど、でもこれは……その、ちょっと……)

「ま、待て」

 レイニーが、トロル相手に会話を試みている。

「私は、こう見えてもけっこう美味なのだよ。だっだから、この娘は見逃して」

「ゲヘヘへヘ美味なワケなかろぉーが貴様などォオ!」

 トロルの1匹が、大型の戦鎚を振りかぶり、襲いかかって来る。

「美味い肉は喰らう! 不味い肉は叩き潰してブチまけるぅう!」

「待て……ぇえぇ……」

 弱々しい声と共に、何かが突っ込んで来た。

 牛、のように見える。声は弱々しいが、突進の勢いはかなりのものだ。

 角を振り立てての体当たりが、命中した。

 レイニーを撲殺する寸前だったトロルが、戦鎚を振り上げた姿勢のまま吹っ飛んで倒れた。

 体当たりを喰らわせた何者かも、倒れていた。

 牛ではなかった。何とも例えようのない姿をした生き物である。

 体型は、辛うじて人間に近い。四肢を備えた、人型の肉塊。その全身はカサカサに乾いて、ひび割れている。

 頭から生えた2本の角。その片方は、折れていた。今の体当たりで折れたようだ。

「ぐっ……何だ、貴様……」

 倒れていたトロルが、むくりと巨体を起こした。その脇腹に、折れた角が突き刺さっている。

 トロルはそれを、無造作に引き抜いて放り捨てた。

 脇腹に残った傷口が、狭まり、塞がってゆく。再生能力。トロルという生き物は、手足くらいなら斬り落とされても即座に繋がってしまうという。

 一方、体当たりで力を使い果たして倒れている何者かは、折れた角を再生させる様子もなく、死にかけたままである。

 角を生やした、人型の肉塊。似たようなものを見た事がある、とエミリィは思った。

 リムレオンたちが残骸兵士と呼んでいたもの、に似てはいないか。

 それが、もう2体。木陰から、ふらふらと姿を現していた。

「待て……魔物ども……」

「守る……俺は、人を守ってみせる……」

 全身が干涸びひび割れた、人型の肉塊あるいは臓物の塊。それが2体、巨大な爪とハサミを振り上げ、トロル5匹に挑みかかって行く。

 うち1匹が、進み出て大斧を振るった。

 残骸兵士らしきもの2体が、叩き斬られて飛び散った。

「……何なのだ、こやつら」

 くるりと大斧を回しながらトロルが、己の叩き斬ったものに蹴りを入れる。

 切り裂かれ、砕け崩れた肉塊が、パサパサに乾いた臓物をぶちまけながら転がった。

「よく見ると人間のようでもあり……我らの同類に、似ていなくもない」

「ふん、何にせよ不味そうな者どもよ。食えたものではない」

「こやつら……もしやデーモンロード様のおっしゃった、魔獣人間とやらいうものでは?」

「ぶっ……ははははは! だとしたら聞きしに勝る出来損ないよなぁー魔獣人間とは!」

 トロルの1匹が笑いながら、片角の残骸兵士にガスガスと蹴りを降らせる。干涸びた人型肉塊のあちこちが破け、臓物らしき乾いた有機物が溢れ出して潰れ崩れた。

「やめて……!」

 駆け寄ろうとしたエミリィの腕を、レイニーが掴んだ。

「何をしている、早く逃げるんだ」

「で、でも……」

「彼らが何者であるのかはともかく、君を助けてくれようとした事は確か……無事に逃げ延びるのが恩返しというものだ」

「おぉーっと、そうはいかぬ!」

 トロルが1匹、巨大な剣で斬り掛かって来る。

 そして、後方に吹っ飛んだ。

 何かが、エミリィたちの頭上を通過して飛び、トロルの胸板を直撃したのだ。

 1本の槍が、トロルの巨体を、胸から背中へと貫通していた。

 串刺しにされたトロルが、大量の血とやかましい悲鳴を吐き散らし、転げ回る。

「ダルーハ様がおられないからと言って……大きな顔をしない方が身のためだぞ、魔物ども」

 槍を投げた、と思われる何者かが、後方からエミリィの横をゆったりと歩き抜けて前に出る。

「ダルーハ様よりも恐ろしい怪物が今、この国をうろついているのだからな……あの若君がいる限り、貴様らが安心して悪事を働ける世の中になど絶対になりはしない」

 中肉中背、がっしりとした身体つきの男性である。薄汚れたマントの下に、軽い革製の鎧を着込んでいるようだ。旅の傭兵か何かであろうか。

 頬骨の目立つ顔つきは、獣のように鋭く、だが痛々しい憔悴をも感じさせる。

 年齢はレイニーと同程度、30歳前後といったところであろう。

 叩き斬られ、砕かれ、潰されて死にかけた残骸兵士たちが、声を発する。

「た……隊長……」

「無様なところを……お見せして……」

「……先走り過ぎだ、馬鹿者どもが」

 隊長と呼ばれた男が、呻くように言った。

「俺は、お前たちを……死なせるために、引き連れていたのではない」

「見ての通り、我らの肉体はもはや限界を迎えておりました……」

「朽ち果てる前に……1度は、せめて1度だけは……人を守るための戦を、したかったのです……」

 消え入りそうな声を発する残骸兵士に、エミリィは駆け寄り、屈み込んで片手をかざし、祈った。

 癒しの力。少女の小さな五指と掌が淡く光を発し、干涸び崩れた無惨なる肉体を照らす。

 が、照らしただけだった。何も起こらない。

「唯一神よ、癒しを……どうか、お願い……」

「無駄だ……我々はもはや、神の御加護を受けられぬ身体……ありがとう、お嬢さん」

 残骸兵士は、微笑んだようだ。

「その優しいお気持ちだけを……いただいて行く……」

「隊長、おさらばです……貴方の部下で、本当に……良かっ……た……」

 残骸兵士たちが、それきり何も言わなくなった。

 もの言わぬ、黒ずんだ屍と成り果てた彼らを、トロルたちが蹴り砕く。

「……よくわからぬ輩がおるものよ。クズ肉の分際で、我らに刃向かうとは」

「ぐっ……に、人間どもがぁあ……」

 串刺しにされていたトロルが、折れた槍を胸と背中から引き抜きながら、怒り狂っている。

「貴様らがいくらイキがったところで無駄、我らの再びの台頭を妨げる事など出来はせぬ! ダルーハを失った貴様らにはなぁあ! わからぬか、それがッ!」

「わかっておらんのは貴様らの方だ。人間はもはや、ダルーハ様を必要とはしていない……殺戮しか出来ぬ英雄に頼らずとも人間は、貴様たちになど負けはしない」

 隊長の身体がメキッ! と痙攣した。

「そうとも……こんな力など、人間には……必要、ないのだ……ッ!」

 薄汚れたマントと革鎧が、ちぎれて飛び散った。

 新たな鎧が、筋肉もろとも盛り上がって来ていた。鉄か、青銅か。

 全身甲冑のように見えるが、それは皮膚が金属質に変化した、全裸の肉体であるようだ。

 首から上では頭蓋骨が、青銅色の金属兜に変化し、3本の角を生やしている。左右の側頭部からは1本ずつ、湾曲した猛牛の角を。そして額からは1本、螺旋状に捻れつつまっすぐに尖った角を。

 その1本角から頭頂、後頭部にかけては、燃え盛る炎にも似た、豊かなタテガミだ。

 顔面は、兜の下で黒い陰となっている。よくは見えないが、人間の顔面ではなくなっているのは間違いない。

 その異形の顔面が、シュー……ッと蒸気のような吐息を漏らしつつ、言葉を発する。

「魔獣人間が出来損ない……貴様たち、そう言っていたな」

 青銅色の全身鎧と化した巨体が1歩、トロルたちに迫る。その足は、まるで鉄槌のような重く力強い蹄である。

「出来損ないが、どれほどのものであるのか、今から貴様らに見せてやるとしよう……この魔獣人間ユニゴーゴンがな」

(アサド……)

 近くに立つ、樫の巨木。その根元に眠る1人の少年に、エミリィは心の中で語りかけた。

(貴方と同じ人が、ここに……)

 人間ではなくなってまで、何かを守ろうとする人がいる。今は、エミリィたちを守ろうとしてくれている。

「魔獣人間……だと……」

 トロルたちが各々、大型の得物を構え、5対1の戦闘態勢を作りながら言った。

「デーモンロード様がおっしゃった。魔獣人間などという作り物の怪物どもを従えてイキがっておる……確かゴルジ・バルカウスとやらいう愚物がおると。貴様、そやつの配下か」

「ゴルジ……? 知らんな、そのような者」

 魔獣人間ユニゴーゴンが、言葉と共にシューッ! と蒸気のような息を吐く。

「俺をこのようなものに造り変えたのは、ムドラー・マグラという狂人だ……まあ志願したのは俺の方から、だがな」

 

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