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第33話 狂乱の聖女と魔獣王子

 以前は、魔法の鎧が勝手に動いてくれた。

 今は、己の意思で手足を動かしているという実感がある。

 もちろんそれは錯覚で、本当は魔法の鎧がリムレオンを内包したまま、相変わらず勝手に戦ってくれているのかも知れない。

 だが動いているのは自分の手足だ、とリムレオンは感じた。魔法の鎧に取り込まれた、もう1人の自分などではない。そんなものはいない。

 戦うのも、殺すのも、そして負ければ殺されるのも、たった1人しかいないリムレオン・エルベットなのだ。

「おめえさん、メルクトのエルベット家の若君って事ぁ……あのティアンナ姫の、兄貴だか従兄だか」

 そんな言葉と共にゼノスが振るい、叩き付けて来る長剣を、リムレオンは魔法の剣で打ち返した。火花の焦げ臭さが、面頬の中にまで漂って来る。

「って事ぁ、俺にとっても兄貴みてえなもんだなぁ……兄さぁあああん!」

「わけのわからない事を……!」

 猛烈な斬撃を魔法の剣で受け流しながら、リムレオンは片足を跳ね上げた。

 その蹴りを、ゼノスは地面に転がり込んでかわし、即座に起き上がり、また斬り掛かって来る。まさに獣の動きだ。

「嫁だから!」

 謎めいた叫びと共に襲い来る長剣を、リムレオンは後退りで回避した。

 暴風のような斬撃が、目の前を激しく通過し、すぐさま角度を変え、振り下ろされて来る。

「ティアンナ姫は俺の嫁だから! そこんとこヨロシク兄さん!」

「何を……言っている?」

 第2撃、3撃。息つく間もなく閃くゼノスの長剣を、リムレオンは辛うじてかわした。

 4撃目はかわしきれず、魔法の剣で受けた。ぶつかった刀身と刀身が、甲高く音を響かせる。

 その響きが空中に残っている間も、ゼノスは獣の如く躍動し、長剣を振るい、斬撃を降らせて来る。うち何発かが魔法の鎧をかすめ、火花を散らせた。

「政略結婚でもさぁ、愛を育む事って出来ると思うわけよ」

 全く理解不能な事を口走りつつ、ゼノスが長剣を振り下ろす。

 その落雷の如き斬撃を、リムレオンは魔法の剣でガキィーン! と受け止めた。ぶつかり合った刃と刃が、そのまま噛み合い、動かなくなった。

 擦れ合う2本の刀身の向こうでゼノスが、なおも意味不明な事を言い続ける。

「そーゆうワケだからさぁ、俺が勝ったらちゃんとティアンナ姫に会わせてくれよなっ兄さん」

「お前……ッ」

 この男が何者であるのかは当然、わからない。リムレオンはただ、気に入らない、と思った。

 女王エル・ザナード1世を、ティアンナなどと馴れ馴れしく本名で呼ぶ。それが気に入らなかった。

 その思いが、口調に籠った。

「……ティアンナは忙しいんだ。お前なんか相手にするわけがないだろうっ」

「てめ……何呼び捨てにしてんだ人の嫁さんをおおおおおおおおおおおッッ!」

 ゼノスが突然、逆上した。

 と同時に、リムレオンの腹にズドッ! と衝撃がめり込んで来る。魔法の鎧でも防ぎきれない衝撃。

 ゼノスの、蹴りだった。

「うっ……く……」

 息を詰まらせ、身を折るリムレオン。

 そこへゼノスの長剣が、断頭台の刃の如く振り下ろされる。

「馴れ馴れしいぞテメエ、兄貴だか従兄だか知らねえがッ!」

 怒声と同時の斬撃を、リムレオンは倒れ込んでかわし、呼吸も回復せぬまま起き上がった。

 そして魔法の剣を構え直そうとするところへ、ゼノスのさらなる斬撃が襲い来る。

「馴れ馴れしく名前で呼び合うような関係かぁーてめえら!」

 怒りの一撃が、構えの整わぬリムレオンの両手から、魔法の剣を打ち飛ばした。感覚がなくなるほどの痺れが、リムレオンの左右の前腕を襲った。

 そこへゼノスが、容赦なく踏み込んで来る。

「まさかイトコ同士であんな事やこんなコトしたりされたりする関係じゃねーだろうなぁあああああああああああああ!」

 長剣が、まっすぐ心臓に向かって突き込まれて来た。

 リムレオンは、ほんの少しだけ右方向へと身体をずらした。魔法の鎧が、ではなく自分の身体が勝手に動いた。ブレン兵長との訓練を、肉体が覚えてくれている。

 心臓を狙っていた切っ先が、左の脇の下をかすめて通過する。

 リムレオンはそのまま左腕で、ゼノスの右腕を抱え込んだ。抱え込んだ腕に右手を添え、関節を極めた。

「ぐっ……」

 極められた右腕が、ぽろりと長剣を手放す。

 人間の腕ならば、容易く折れているところだ。が、このゼノスという男は恐らく、いや間違いなく、人間ではない。

 人間ではない男が、ティアンナを狙っているのだ。

「お前が何者なのかは知らない……けれど、野放しにはしておけないっ」

「へ……だったらどうするよ兄さん、ええおい!」

 リムレオンの視界がいきなり暗転し、その闇の中で火花が散った。ゼノスの、頭突きだった。面頬が凹んだかと思えるほどの衝撃である。

 よろめくリムレオンの腕を無理矢理に振りほどき、ゼノスは叫ぶ。

「野放しに出来ねえならブチ殺してみろ俺を、俺を! 俺をををを!」

 リムレオンの身体が物のように振り回され、近くの岩壁に激突する。

 落とした長剣を拾おうともせずにゼノスは素手で、リムレオンの頭を岩壁に押し付け、擦り付けながら走り出した。

 魔法の兜が、面頬が、ガリガリガリッと岩を削って火花を散らす。

 リムレオンの意識が遠くなりかけた。それでもゼノスの叫びは聞こえる。

「殺してみろ俺を、じゃねえとティアンナ姫が俺のモノになっちまうぞ? 毎日毎日あんな事やこんなコトしちまうぞおお? どうするどうする、どうするよ兄さあああああああああん!」

「誰がっ……兄さんなのよッ!」

 走るゼノスの前方で待ち構えていたシェファが、両手で魔石の杖を振るった。

 青い魔法の鎧をまとった細身が、柔らかくねじれる。腰の力が充分に入った、一振りである。

 パリパリと電光を帯びた魔石の杖が、ゼノスの顔面を直撃していた。噴出した大量の鼻血が、電熱に灼かれて蒸発する。

「ぐぶ……ぅ……」

 出血・感電しながらゼノスが後方に吹っ飛び、倒れ、のたうち回る。

 リムレオンも、岩壁を擦ってずり落ちながら倒れ込んでいた。

 脳が、まだ揺さぶられているような感じである。魔法の兜がなかったら、頭蓋骨を擦り下ろされていたところだ。

「リム様、大丈夫?」

「だ、大丈夫……ありがとう、シェファ」

 少女に助け起こされてリムレオンは立ち上がり、見回した。

 残骸兵士たちは1体残らず、あちこちで消し炭の塊と化し、ブスブスと煙を立ち上らせている。シェファが、またしても手を汚してくれたようだ。

「……こいつ、なめてるわね。あたしたちの事」

 鼻血を垂れ流しつつ感電し転げ回っているゼノスに、シェファは魔石の杖を向けた。

「バケモノのくせに、人間の皮かぶったまんま戦うなんて……まあいいわ。本当の姿と実力、出されないうちに片付けちゃいましょうか」

 ぼんやりと赤く輝く魔石に、魔力を集中させてゆくシェファ。

 それを妨害する形に、何か巨大なものが飛んで来た。投げ飛ばされて来たのか、蹴り飛ばされたのか。

 とにかくそれを、シェファはかわした。

 かわした少女の足元にドシャアッと倒れ込んだのは、黄銅色の甲冑に包まれた巨体である。

「ブレン兵長!」

 リムレオンは屈み込み、助け起こした。

 男2人を背後に庇ってシェファが身構え、ブレンを叩き飛ばした何者かに魔石の杖を向ける。

「本当……手こずらせて、くれるわね」

 メイフェム・グリム……魔獣人間バルロックが、血まみれで立っている。その肉体のあちこちがザクザクと裂け、とめどなく鮮血を溢れ出させていた。魔法の戦斧による傷であろう。致命傷と言えるほどの深手ではないが、軽傷でもない。

「それほどの力、ケリスの命を穢すゴミクズどもを守るために使うなんて……ああもう、許せないったら」

「別にねえ、あんたに許してもらおうって気はないのよっ!」

 シェファの怒声に合わせ、魔石の杖がドギュルルルルルルッ! と一直線に光を放った。ゼノスに向けて放たれるはずだった、真紅の光の束。

 それが、バルロックの眼前で何かに激突し、止まった。

 唯一神の加護による。不可視の防壁。

 ぶつかり合ったそれらが、もろともに砕け散った。赤と白の光の破片がキラキラと散り、消える。

 その間、バルロックの全身が、淡い光に包まれていた。

 光の中、ブレンが懸命に負わせたのであろう幾つもの裂傷が、塞がって瘡蓋となる。

 光が失せると同時に、それら瘡蓋がボロボロと剥がれ落ち、その下から魔獣人間の無傷の肌が現れる。

 癒しの力。

 このメイフェム・グリムという女は、人間をやめた身でありながら唯一神への信仰心を失っていない。強大な魔獣人間であると同時に、19年前の竜退治の時と同じ、手練の聖職者でもあるのだ。

「ちょっと、あんた……それ、ズルくない?」

 シェファが呆然と呻き、メイフェムが嫣然と微笑む。

「遠慮する事はないのよ。貴女たちも、どんどんズルをしなさい……例えば、そこのゼノス王子を人質に取ってみてはどう?」

「おっ俺なんか平気で見殺しにすんだろうがよ、アンタは」

 鼻血を拭いながら、ゼノスが立ち上がる。

 ブレンも、リムレオンの腕の中から、よろりと身を起こした。

「兵長……大丈夫ですか?」

「参りました……いくら傷を負わせても、すぐあのように回復されてしまう」

 厳つい面頬の内側でブレンが、息も絶え絶えに苦笑している。

「馬鹿げた戦闘能力のみならず、自己補給能力まで備えている……まさに1人軍隊です、あの女は」

「そう絶望する事もありませんわ」

 黒い、優美な姿が1つ、こちら側にユラリと立った。今のところ、こちら側に味方をしている形である。

「いくら癒しの力でも、流れ出た血の量まで回復出来るものではありませんから……それに唯一神の御加護と言っても、その発現は気力の消耗を伴うもの。無限に続くものではありませんわ。そうでしょう? メイフェム殿」

「ブラックローラ・プリズナ……」

 少なくとも、再会を喜び合う口調ではなかった。

「赤き竜の飼っていた牝コウモリが、相変わらず鬱陶しく飛び回っているものね。まさかとは思うけれど……人間の味方をしているつもり、ではないでしょうね? 人間を手当り次第にしゃぶって食い散らかしていたお前が」

「誰の味方をして誰を敵とするべきか……ローラたちは今、模索している最中ですのよ」

 ブラックッローラが1歩、こちら側から、メイフェムの方へと歩み寄った。

「ねえメイフェム殿……仲直り、しません? ローラは貴女とだったら仲良く出来そう」

「この私に……赤き竜の残党に加われ、と?」

「戦闘中にちまちまとダルーハの傷を治してウザい思いさせてくれた事、くらいは許して差し上げますから。ね? ローラと一緒に、竜の御子を支えてあげて下さいな」

「お前と一緒に……ふ、ふふっ……うっふふふふ、なっ何度も、何度も何度も」

 声を、身体を震わせ、魔獣人間バルロックが笑い出す。

「牝コウモリの分際で何度も何度も、ケリスを何度も何度も誘惑して……何度も何度もケリスに手を出そうとして何度も何度も何度も何度も何度もこの小娘もどきがああああああああああああああッッ!」

 笑いを絶叫に変えながら、メイフェムが左腕を振るう。

 背ビレのある鞭が生えて伸び、超高速でブラックローラを打ち据えた。

 ひらひらした黒いドレスに包まれた可憐なる肢体が、無惨にちぎれ飛び、陽炎の如く揺らいで消滅した。幻影、あるいは残像。

 本物のブラックローラはすでに、バルロックの背後にフワリと着地している。

 即座に気付いたメイフェムが、

「お前は! お前だけは許さない!」

 後方に蹴りを突き込みながら、振り返る。

 槍の如く突き込まれる猛禽の爪をかわしながらブラックローラは、

「あん……だって、あなたたちの中ではケリス殿が一番、美味しそうだったから……」

 微笑み、細身を翻した。ひらひらした黒いドレスの一部が、刃物のように閃いた。

 微かな鮮血がしぶいた。

「く……っ」

 メイフェムが息を呑み、後退りをする。

 しなやかに筋肉の付いた二の腕に、細い裂傷が刻み込まれていた。

 そこへブラックローラが、形容し難い動きでユラリと迫り、語りかけながら舞う。

「ねえメイフェム殿、女として忠告しますわ……ケリス殿の事なんて、もうお忘れになってはいかが?」

 黒いドレスが、羽ばたいた。

 目の錯覚ではない。それは黒い、皮膜の翼だった。

 ひらひらした薄手のドレスの一部が、そんなふうに変化し、刃の如く一閃したのである。

 後退りしながら揺らぐ、魔獣人間の身体。そのどこかから、またしても血飛沫が散った。

「死んでしまった殿方を19年も引きずるなんて……女はもっと、さばさばと生きなければ。ね?」

 材質不明の、黒いドレス。もしかしたらブラックローラの身体の一部なのかも知れないそれが、一瞬またしても刃の翼と化して閃き、バルロックを襲う。

 辛うじてかわした魔獣人間の肩から、たくましい乳房から、微かな鮮血が噴き上がり続ける。

「いい加減、新しい男を見つけた方がよろしくてよ? 何ならローラが紹介して差し上げますわ……人間じゃないのばっかりですけど」

「…………!」

「今のメイフェム殿には、お似合いでしょう?」

 ブラックローラは明らかに、調子に乗り始めていた。

 ほっそりと可憐に引き締まった身体が、ひらひらと奇怪なる舞いを続ける。黒いドレスが、時には長い黒髪の一部が、瞬間的に刃の翼に変化しては魔獣人間を切り刻みにかかる。

 バルロックは、一見すると防戦一方だ。回避・後退し、何度も浅手を負って血をしぶかせながら、しかし反撃の機会を狙っている。

 人間ではない娘たちのそんな戦いを、しかし黙って見物していなければならない理由はなかった。

 リムレオンは、魔法の剣を拾った。

 シェファは、すでに魔石の杖を構えている。

 ブラックローラ及びバルロックに向けられた魔石が、赤く熱く、輝きを強めてゆく。人間ならざる娘2人を、まとめて灼き殺す構えである。

「……させねえ!」

 ゼノスが長剣を拾い、斬り掛かって来た。肉食獣の奇襲を思わせる斬撃が、シェファを襲う。

 横合いからリムレオンは踏み込み、魔法の剣を一閃させた。

 ゼノスは舌打ちをしながらもシェファへの奇襲を諦め、長剣でリムレオンの斬撃を受け止めた。ぶつかり合った刃と刃が、火花を散らせて離れる。

 2度目のぶつかり合いが起こる前に、ブレン兵長が猛然と突っ込んで来た。魔法の戦斧が、落雷の如く振り下ろされる。

 並の魔獣人間であれば綺麗に両断されてしまうであろう、その一撃が、ゼノスを叩きのめした。

 直撃の瞬間メキッ! と音を響かせ、ゼノスの肉体が変化を起こした。

 脆弱な人間から強靭な魔獣人間へと変化を起こしかけた肉体が、しかしブレンの一撃を受けて無傷で済むはずもなく、大量の鮮血をドバァッと空中にぶちまけながら後方によろめき倒れる。

 ゼノスがいかなる姿に変化しつつあり、どれほどの傷を負ったのか、ゆっくりと確認している場合ではなさそうだ。

 ブラックローラの細い身体が、吹っ飛んでいた。

 黒いドレスがズタズタにちぎれ、布地の細切れが空中を漂う。大量の臓物と一緒にだ。

 ブラックローラの身体は、半ば真っ二つにちぎれていた。今度は残像でも幻覚でもない。

 可憐なる肉体が、無惨な状態で宙を舞い、地面に激突し、びゅるびゅると臓物をぶちまける。血は、あまり出ていない。

「ひらひらと……相変わらず、鬱陶しい事」

 嘲りながらバルロックが、左足を優雅に着地させた。猛禽の爪に、ちぎれた臓物の一部が絡み付いている。

 それを踏みにじって立つ魔獣人間の全身は、血まみれではある。が、先程ブレンが負わせた傷とは比べようもない軽傷ばかりだ。

 そんなバルロックに向かって、シェファの杖が、光の束を発射した。

 高熱量そのものの凝集体である真紅の光がドギュルルルルルルッ! と直進し、魔獣人間に激突する。不可視の防壁を張る暇も与えぬ、鮮やかな直撃だった。

「うぐぅ……ッ!」

 光の束は砕け散って消え、バルロックの身体は吹っ飛んで転げ回った。

 これを喰らってゴルジ・バルカウスは跡形もなくなったが、メイフェム・グリムは、少なくとも原形はとどめている。焦げ臭い煙を発して転げ回るその肉体が、どれほどの損傷を受けたのかはわからない。かなりの深手ではあろうが、絶命には至っていない。

 シェファが、魔石の杖にすがりつくように、へなへなと崩れ落ち座り込んでしまう。

「ごめん……これ、1日に2発か3発ぶっ放すのが限界みたい」

「いや、よくやったシェファ。若君、あとは我らで」

「……はいっ」

 ブレンと共に、リムレオンは駆け出した。

 とどめを刺す。

 魔法の戦斧と魔法の剣で、魔獣人間とは言え重傷を負った女性を、絶命するまで切り刻む。

 これがすなわち実戦というもので、リムレオンが、いもしないもう1人の自分などに押し付けず、やらなければならない戦いなのだ。

 躊躇いを捨てて踏み込み、魔法の剣を振り上げながら、しかしリムレオンは横目に捉えた。

 血まみれで倒れていたゼノスが、むくりと上体を起こしながら、こちらに向かって吼える様を。

 もはや半ば人間ではない姿である。具体的にどういう姿形であるのかを把握している暇はないが、牙を剥いて吼えるその様は、まさに獣としか表現のしようがない。

 獣の如く吼えるゼノスの口から、紅蓮の炎が吐き出され、横合いからブレンとリムレオンを襲った。

「ぬ……」

「うあ……っ」

 魔法の鎧が、凄まじい勢いで熱を持った。火傷を負う一歩手前の熱量が、リムレオンの全身を包み込む。

 感覚としては、熱風に近い。魔法の鎧がなければ2人とも、一瞬にして焼死体と化しているところであろう。

 吹きすさぶ熱風のように渦巻く炎の中、ブレンもリムレオンも切り刻む対象を見失い、よろめいた。

 荒れ狂う炎の轟音の中から、声が聞こえる。

「逃げるぜメイフェム殿! こいつら相手に4対2ってのは、いくら何でも無謀が過ぎらぁ」

「くっ……あ、貴方に借りを作ってしまったというわけ?」

「借りは返さなくていいからよ、ここで1発決め台詞。こないだ教えたやつ」

「……今日のところは、これで勘弁してあげるわ!」

「そーゆう事。じゃあな兄さん、また会おうぜっ!」

 ブレンとリムレオンの周囲で渦巻いていた炎が、消えてゆく。

 ゼノスとメイフェムの姿も、消えていた。

「……逃げられました、な」

 苦笑混じりに、ブレンが言う。

「ここで討ち取れるほど容易い相手ではなかった、と思うしかありません……すまんなシェファ。無理をして魔力を振り絞ってもらったのに、逃がしてしまった」

「いえ、あたしが1発で仕留められなかったから……それにバケモノがもう1匹、出て来ちゃいましたからね」

 あのゼノスという男。魔獣人間としての正体を完全に現す事なく、去って行った。

「……あの男も、ゴルジ・バルカウスの手による魔獣人間なんだろうか」

 リムレオンは呟いた。

「でもまあ、そのゴルジはシェファが倒してくれた。これ以上、魔獣人間が増える事はもう」

「あ……ン……駄目ですよぉ、そんな考え無しな事をおっしゃっては……」

 半ば真っ二つになったブラックローラが、まだ生きて声を発している。

「ゴルジ・バルカウスを倒すなんて、魔法の鎧の2つや3つでは絶対無理……あの男は300年くらい前に、もう人間をやめているのだから……」

 苦しげに喋りながらブラックローラは、さらさらと灰に変わりつつあった。

 無惨にちぎれた身体も、溢れ出した臓物も、まるで目に見えぬ炎に焼かれ火葬されているかのように焦げ崩れ、灰となり、風に舞った。そんな状態でも、声は出ている。

「ローラってば調子こき過ぎました……これでは元に戻るまで何週間もかかりそう。その間に貴方たちが、何か面白そうな事してくれそうなのに見れない……ああん残念っ……」

 戦いで力尽きると灰に変わり、だが時を経て元の姿と力を取り戻す。不死、と表現しても過言ではない怪物。

 リムレオンが書物で得た知識の中に、それは確かにいる。

「君は……吸血鬼か?」

「ローラは血なんて吸いません……そんなには、ね。血……って、とっても不味いんですのよ……」

 声を発しながらもブラックローラは、今や完全に灰に変わり、サラサラと風に乗って飛んで行く。いや風など吹いていない。灰と化した吸血鬼の少女が、己の意思で空を漂い去りつつあるのだ。

 厳密に言うと灰ではなく、吸血鬼の肉体と魂を組成している、悪しき粒子、としか言いようのない物質であるらしい。

 それらが1粒残らず、空の彼方へと消えてゆく。最後に1つだけ、言葉を残しながら。

「ローラからの忠告……くれぐれも竜の御子様にだけは、逆らわないで……ローラこんなんだから、何かあっても取りなしてあげられませんわよ……」

 竜の御子。またしても、その名前が出た。

 が、そんな会うかどうかもわからぬ何者か、などよりも肝心な事を、リムレオンはついに問い質せなかった。

「ゴルジ・バルカウスが……生きている?」

 ブラックローラは、そう言っていたようだ。

「だけど、あの男は確かにシェファが……」

「……やっぱり、ね。そんな感じがしてたのよ」

 当のシェファは、何やら納得している様子だ。

「殺したって言うより、人形を1つぶっ壊しただけ……そんな手応えだったから」

「人形が、まだ何体も残っているという事か」

 言いつつ、ブレンが腕組みをする。

「……これは、サン・ローデル以外の地方でも行われているかも知れませんな。魔獣人間造りの、くだらぬ実験が」

 領民を惨たらしい残骸兵士に変えてしまう実験が、ヴァスケリア王国のあちこちで……あるいは他国でも行われているとしたら。

 これはもう、魔法の鎧の2つや3つではどうにもならぬ事態が起こっている、と言うべきかも知れない。

 人間が引き起こす厄介事には女王たるティアンナが、人間以外の者どもには自分たちが対処する。リムレオンはそう思い定めていたのだが。

(僕の力では、どうにもならないかも知れない……ティアンナ、僕は貴女の期待に応えられない……のか……?)  

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