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第32話 狂乱の聖女と黒き魔少女

 ゾルカ・ジェンキムが死んだ。

 事もあろうに、メイフェム・グリムに殺害されたのだという。

(見てて恥ずかしくなるくらい結束の固かった貴方たちが……仲間割れの殺し合いとは、ね)

 ブラックローラにとっては、しかしそれほど信じられない話ではなかった。

 ダルーハ・ケスナー。ゾルカ・ジェンキム。メイフェム・グリム。ドルネオ・ゲヴィン。ケリス・ウェブナー。

 どれほど巧みな離間の罠を仕掛けようと決して揺らぐ事のなかった、この5人の結束は、赤き竜という巨大なる目的があってこそのものだったのだ。

 その目的が失われてしまえば、何しろ英雄などと呼ばれるほど我の強い5名である。殺し合いの1度や2度くらいしても不思議はないと、ブラックローラは常々思っていたところだ。

 5人のうち最も人格者であったケリス・ウェブナーは、赤き竜との最終決戦で命を落とした。

 メイフェムの狂気を止められる者がいなくなり、結果としてゾルカの命も失われた。

 ドルネオ・ゲヴィンそしてダルーハ・ケスナーは、竜の御子が討ち果たした。

 文句の付けようがない実績と言っていいだろう。

 新たなる帝王が血筋だけですんなり決まるほど、魔物の世界は甘くない。

 だが御子は、自力でダルーハを倒し、父たる赤き竜の仇を討ったのだ。

 新たなる帝王として充分過ぎる実績を示した竜の御子を、しかし認めようとしない者たちもいる。

「御子は一体、何をしておられる……!」

 闇の中で蠢く者どもが、口々に不満を吐く。

「ようやくダルーハ・ケスナーを討ち取ったというのに、何の行動も起こさず……いや、人間どもを守るような行動ばかリ取っておられる。いくら何でも酔狂が過ぎようぞ」

「その酔狂を手助けしている者がおる……ブラックローラ・プリズナ。貴様一体いかなるつもりであるか」

「いかなるつもり、とは?」

 闇の中に、ブラックローラは微笑みかけた。

「ローラはただ、御子様にはお心のままに振る舞っていただきたいだけ。お心のまま我がままに振る舞う資格を、御子様はお持ちですわ……あの方は、貴方たち誰もが怖じ気づいて手も出せなかったダルーハ・ケスナーを、お1人で討ち取ってしまわれたのだから」

 微笑みが、嘲笑に変わった。

「19年間ただ闇の中に引きこもって恨み言を並べているだけ、何の行動も起こさなかった方々が、御子様を非難なさるなんて……あんまりにも滑稽で、無礼を咎める気にもなれませんわ。ローラ笑っちゃう」

「……言うものだな、元は人間の小娘風情が」

 闇の中から聞こえる声に、殺意が籠る。

「そもそも何故こやつがここにいて、我らと対等に口をきいておるのだ」

「竜の御子に媚び入って大きな顔をしておるつもりなのであろう。人間であった時の卑しさが、消えておらぬようだな」

「ええい、見ているだけで虫酸が走る。殺してしまおうか、このような小娘もどきは」

「……それは、おやめになって?」

 ブラックローラは、にこやかさを保ち続けた。

「貴方たちは、とっても不味そう……人間の何倍もの長寿をダラダラ生きて費やすだけの、粗悪な生命力。そんなの食べたら、お肌の艶が悪くなっちゃう。だから、おやめになってね」

「貴様……!」

 闇に蠢く者たちが、いよいよ殺意を抑えられなくなり始めた、その時。

「そこまで……今は、我らこそ結束を固くせねばならぬ時よ。かつてのダルーハたちのようにな」

 重い声が、ずしりと闇の中に響いた。

 この場における1番の大物が、発した声だ。

「ブラックローラ・プリズナが人間であったのは、今より500年以上も昔の、それもほんの一時期であろう。今は我らの同志として立派に魔道を歩んでいる。それがわからぬか」

「ああん、ひどいわデーモンロード様。年齢(とし)がバレちゃう」

 かつて赤き竜の腹心であった魔物に対し、ブラックローラはおどけてみた。

 闇の中で、デーモンロードは鷹揚に苦笑したようである。

「おぬしが500年以上を経た人外の者である事は、ここに集う全員が知っておる……ブラックローラだけではないぞ。人間という生き物は、意外に容易く人間ではないものへと変わる。ダルーハ・ケスナー然り、メイフェム・グリム然り、ゴルジ・バルカウス然り」

 ゴルジ・バルカウスという名を、闇の中に集う者たちは、すぐには思い出せずにいた。

「ゴルジ・バルカウス……とは、はて何者でありましたかな」

「どこぞで聞いたようでもあり……」

「あれよ。300年ばかり前に我らが滅ぼしたレグナード魔法王国の、生き残りではなかったかな」

「おう! 思い出したわい。あの出来損ないの魔術師か」

「なけなしの魔力と知識を絞り出して、100年200年と生き長らえておったようだが……何と、まだ生きておったとはなあ」

「デーモンロード様ともあろう御方が、よもやあのような者を警戒しておられるなど」

 闇の中に、いくつもの嘲笑がこだまする。それらが、

「……人間の執念を侮ってはならぬぞ。19年前、我らはそれで大いに不覚を取ったのだからな」

 デーモンロードの一声で、ぴたりと静まった。

「特にあのゴルジ・バルカウスは、レグナード魔法王国の遺産を、そのまま受け継ぎ利用しておる」

「魔法王国の遺産……例の、魔獣人間製造の技術設備その他諸々ですな」

 魔物たちが闇の中で、控え目に反論する。

「しかしデーモンロード様。出来損ないという言葉は、まさにあの魔獣人間とやらいう者どものためにこそあるようなもの。我々の力を中途半端に複製しただけの、粗悪な紛い物でございましょう? あやつらは」

「その粗悪なる複製品の1つがな、竜の御子にとてつもない苦戦を強いたのだ。ブラックローラよ、おぬしは見ていたのであろう」

「……ドルネオ・ゲヴィン殿、ですわね」

 ダルーハ配下の魔獣人間ケンタゴーレムとなったドルネオが、竜の御子を大いに叩きのめした、あの戦い。ブラックローラは鮮明に覚えている。

 大して目立たなかったとは言え、赤き竜との戦いを最後まで生き抜いた戦士が、魔獣人間となった。その力はブラックローラの見たところ、ダルーハと比べてもさほど見劣りするものではなかった。

「魔獣人間の強さは、素材となる人間次第……デーモンロード様は、そうおっしゃりたいの?」

「そこまでわかっておるなら理解出来ようブラックローラよ。少なくともドルネオ・ゲヴィンと同格と思われる素材が1つ、ゴルジの手によって魔獣人間となったのだ。楽観出来る事態ではあるまい」

 メイフェム・グリム。人間であった頃から怪物の心を持っていた、アゼル派の尼僧。

 今では肉体までもが怪物と化し、人間たちを大いに殺戮している。思わず感心してしまうほどの殺しぶりだ。

「ローラは、メイフェム殿とは仲良く出来そうな気がいたしますの。あの方は、人間であられた頃から何となく……こちら側、でしたわ」

「それを見極めねばならん」

 会議を締めくくる口調で、デーモンロードは告げた。

「今の我々には、見極めねばならぬ事が多過ぎる。ゴルジ・バルカウスが今でも我らへの復讐を考えておるのか、メイフェム・グリムはそれに手を貸すべく魔獣人間となったのか。あやつらと、戦うべきか手を結ぶべきか。ブラックローラの言う通り、メイフェムだけをこちらに引き込む事は可能であるのか」

「お待ち下されデーモンロード様、あやつらと手を結ぶ? 引き込む、ですと? 何故そのような事をする必要が」

「決まっておろう……」

 デーモンロードの声が、低く、重く、闇の中に響いた。

「我ら、事によっては竜の御子とも戦わねばならなくなる。味方は多い方が良い」

「……御子が、人間どもを守るべく我々と袂を分かつ、と?」

「それも見極めねばならぬ、という事だ」

 あわよくば竜の御子を亡き者として、自身が帝王となる。そんなデーモンロードの本心というか野心を、ブラックローラは垣間見た。

 その程度の野望は、あって当然であろう。

 配下の者たちの、そんな野心・反逆心を、赤き竜は力で押さえ込んで君臨していたものだ。

(御子様……貴方に、それが出来るかしら?)



 いくらかは緑のある、それでも岩場と言っていいような場所である。

 ゼピト村から領主の城までは、ここを通って行くのが最も近道であるらしい。

 年長者のブレンが、シェファとリムレオンを引率するような感じで3人、領主の城へと向かっているところだ。

 最後尾をとぼとぼ歩きながらリムレオンが、浮かない顔をしていた。妬ましくなるほど可愛い顔が、憂いに沈んでいる。

 無理もあるまい、とシェファは思う。これから自分の伯父を、恐らくは殺さなければならないのだ。

 シェファもリムレオンも、元は人間であった生き物を殺害した事はあっても、人間を殺した事はない。

 ふとシェファは、訊いてみたくなった。

「ブレン兵長は、人を殺した事……あります、よね? もちろん」

「何かの参考になるような話でもないが、聞いてみたいか?」

 ぜひ聞かせて下さい、とシェファが答えるのを待たず、ブレンは語り始めた。

「俺が初めて人殺しをしたのは、お前よりも1つか2つ年下の時……赤き竜がこの国を蹂躙しまくっていた頃だ。当時は人間の中にも、魔物どもの手下になって悪さをする者が多くてな。メルクトにもいた。で、そういう輩を討伐するための戦に、レミオル侯が俺を伴ってくれたのだ」

 メルクト地方の前領主レミオル・エルベット侯爵は、孫のリムレオンとは似ても似つかぬ勇猛な人物であったらしい。

「やっぱり戦で……殺さなきゃ自分が殺される状況だったから、殺した?」

「そう、でもなかったかな。今思うと」

 歩きながらブレンは上を向き、何か思い出す仕草をしている。

「何しろレミオル侯は、剛勇無双そのものな御方だったからな。向かって来る敵は、侯爵がお1人で皆殺しにして下さったようなものだ。俺がやった事と言えば、レミオル侯から逃げ惑って勝手に転んだり命乞いしたりする者どもを、草刈りの如く殺して回ったくらいだ。弱い者いじめと大して変わらんな」

 淡々と語るブレンに、シェファはなおも問いかけてみる。

「殺した後で吐き気催したり……その夜、眠れなかったりとかは?」

「特にそんな事もなかったなあ。晩飯をたらふく食って、ぐっすり寝た。何しろ疲れたからな」

「疲れましたか……」

「そうだ。人間を殺すと、とにかく疲れる。ただそれだけの事だ」

 自分は疲れもしなかった、とシェファは思った。あの残骸兵士たちを初めて虐殺した時、シェファが感じたのは、魔力のほんの僅かな消耗だけだ。

「……本当は、食べ物も喉を通らず一睡も出来なかった……のではないですか」

 リムレオンが、ようやく言葉を発した。

「そんな事は今さら自慢げに語るものでもないから、語らずにいるだけ……違いますか、ブレン兵長」

「それは、御想像にお任せいたします」

 言いつつ、ブレンは顔だけを振り向かせた。タテガミのような頭髪とヒゲに囲まれた顔面が、ニヤリと不敵に歪む。

「とにかく若君、これだけは肝にお銘じ下さいませよ。人など殺せたところで、偉くも何ともないのです……御自分の手を汚してこそ一人前、などという考えは、どうかお持ちになりませんように」

「僕が……そんな考えを、持っていると?」

「そのように見えてしまうのですよ、どうしても」

「……リム様、まさか」

 シェファは歩きながら振り返り、思わずリムレオンを睨みつけてしまった。

「あたしにばっかり汚れ役押し付けて……なぁんて、まだ考えてんじゃないでしょうね?」

「……僕はきっと、自分の手が汚れるのを、無意識に嫌がっている」

 リムレオンが俯き、くだらない事を言い始める。

「だから、いつまで経っても強くなれない……シェファやブレン兵長の足を引っ張るような戦いしか、出来ない」

「リム様ねえ……!」

 シェファは呆れ返るしかなかった。

 自身の伯父との戦いを憂鬱に感じているのだとばかり思っていたが、それよりもずっとつまらない事で、この若君は悩んでいたようだ。

「若君」

 ブレン兵長の力強い手が、リムレオンの細い肩をガッシと掴んだ。

 傷跡のある獅子のような顔が、ニコニコと獰猛に歪み、若君の弱々しい美貌と間近から向かい合う。

「このブレン・バイアスがどれほど容赦のない人間であるかは、ご存じですな?」

「そ、それはもう」

 リムレオンは息を呑み、ブレンは微笑んでいる。

「戦いで私の足を引っ張る者がいたら、それが若君であろうとシェファであろうと、私は容赦いたしません……魔法の鎧の上からでも、首をへし折って差し上げます。若君が本当に足手まといであられたなら、とうの昔に私はそれをやっておりますぞ」

 そしてカルゴ侯爵には、若君は雄々しく戦死なされたと報告する。

 冗談抜きでそのくらいの事をやりかねない笑顔のまま、ブレンは言う。

「ですが若君はまだ生きておられる。私にも敵に殺される事なく、御自身の力で戦い生き抜いて来られたのです。もう少し自信をお持ちなされ。いくらか自惚れるくらいで、若君はちょうど良いのかも知れません……自惚れが過ぎるようであれば、私が叩き直して差し上げますゆえ」

「それは……助かります」

 リムレオンが引きつった笑いを浮かべる。暗い顔をされるよりは、まあましだ。

 シェファがそう思った、その時。

「止まれ」

 横柄な声がかけられた。

 周囲の岩陰から、武装した男たちの姿が、ばらばらと現れている。槍が、長剣が、3人に突き付けられる。

 バウルファー侯爵に仕えているのであろう、兵士たちだ。

「貴様たち、どこへ行くつもりかな?」

「見ての通り、ただ歩いているだけだが」

 ブレンが答えた。

「この辺りでは、地面の上を歩くのに誰かの許可をもらわねばならんのかな」

「ほぉーう、官憲を相手に何て口ききやがる。こいつぁますます怪しい奴らよ」

「ちょいと調べさしてもらうぜぇー。そ、そっちの嬢ちゃんからよおぉ」

 何人かがニヤニヤと劣情を丸出しにして、シェファに迫ろうとする。

 その何名かの眼前に、リムレオンが立ち塞がった。

「ちょっとリム様、また無茶して……」

「何だ、綺麗な坊やだなぁオイ。おめえのケツから調べてやるかあ? コイツを突っ込んでよお」

 槍が1本、リムレオンに突き付けられる。

 その穂先が突然、宙を舞った。柄が切断されていた。

 単なる棒と化した槍を持ったまま、兵士が呆然としている。

 リムレオンが、いつの間にか長剣を抜いていた。

 腰の鞘から抜き放つと同時に、槍を切断。魔法の鎧を着ていないリムレオンが、そんな剣技を披露したのだ。

 シェファも、呆然としてしまった。リムレオンは今、その気になれば、兵士の槍ではなく首を斬り落とす事も出来たのではないのか。

 この若君が、剣士として腕を上げている。それはシェファにとって、違和感すら感じさせるほどの事態だった。

 そんなシェファを背後に庇いながらリムレオンは、抜き身の長剣を兵士たちに向けている。そして告げる。

「貴方たちは、もう官憲ではありません。バウルファー・ゲドンは逆賊ですから……このままでは貴方たちも、討伐の対象になってしまいますよ」

「こッ、このガキ!」

 兵隊が逆上し、槍や長剣の構えを、脅しから攻撃へと切り替える。

 舌打ちをしながら、ブレン兵長が動いた。

「バカどもが……!」

 太い腕がブゥンッ! と唸りを発する。拳か手刀か判然としない、とにかく素手の一撃。

 長剣と槍をそれぞれ構えた兵士2人が、血飛沫を舞わせて吹っ飛んだ。

「若君はな、黙ってここを通してくれれば貴様たちの命を助けてやる、と言っておられるのだ」

 ブレンの重い蹴りが、槍を叩き折りつつ、兵士の腹部に打ち込まれる。

 腹を抱えて吐瀉物をぶちまけながら、その兵士は倒れて痙攣した。

「その温情を理解せぬ不届き者ども……貴様らが魔獣人間の類であれば、容赦なく叩き殺しているところだぞ」

「野郎! 叩っ殺されンなぁテメーの方だっつぅううううのッッ!」

 喚き、槍や剣を振り立て、凶暴に群がる兵士たち。そのまっただ中に、ブレンの方から踏み込んで行く。

 兵長の巨体が、まさに獅子の如くしなやかに獰猛に躍動する。岩のような拳が打ち込まれ、鉈のような手刀が一閃し、丸太で殴るような蹴りが唸る。

 槍が折れ、長剣が弾け飛び、血飛沫が散った。

 シェファが息を呑んでいる間に、立っている兵士は1人もいなくなっていた。全員、地面に倒れて弱々しくのたうち、死にかけた芋虫のような様を晒している。辛うじて1人も死んではいない。

 自分なら躊躇なく魔法の鎧を装着し、片っ端から焼き殺していただろう、とシェファは思った。

 倒れ呻いている兵士たちに向かって、ブレンは言い放った。

「その辺の村で手当てをしてもらえ……まともに手当てをしてもらえるかどうかは貴様らの、日頃の領民への接し方次第だがな」

 返事の代わりのように、悲鳴が上がった。

 倒れていた兵士の1人が、宙に浮いている。その鳩尾の辺りに、巨大なサソリの尻尾のようなものが突き刺さり、背中へと抜けていた。

「さ……せねえよ、手当てなんざぁあ……」

 声がした。明らかに人間ではなくなっているものが、無理矢理に人語を発している。

 少し離れた所に、それは立っていた。一応は人の体型をした、肉塊あるいは臓物の集合体。その左腕からサソリの尻尾のようなものが生え、触手状に伸び、兵士の身体を突き刺しながら引きずり立たせているのだ。

「うげ……げっげげげ、やっとテメエらをぶち殺せる時が来たあぁ……そのために俺ぁわざと人狩りに捕まって、ゴルジ様にイジってもらったんだよォーん」

 何者であるのかは考えるまでもない、残骸兵士である。シェファがこれまで虐殺してきた者たちと比べて、かなり魔獣人間に近いところまで達してはいるようだ。

 それが、もう1体。

「て、テメーら無能兵隊ども、いつもいつも威張りくさりやがってよぉおおおおお!」

 いや、3体、5体……10体を超える残骸兵士たちが、現れ群がって来ていた。

「おっ俺らの税金で生きてる奴らがよお、でけえツラしてんじゃねェーッ!」

「お前! せっかく高い賄賂払ってやったのに! 何の便宜も図ってくれなかったよなああああああ!」

「てめえらクソどものために税なんざ納めてられっかバァアアァアァカ」

 魔獣人間まであと少しという段階で止まってしまった者たちが、カギ爪を、牙を、触手やハサミを振るい、兵士らを切り刻み叩き潰す。

 ブレンに手加減され、命だけは助かっていた男たちが、ことごとく原形を失って空中に飛び散り、地面にぶちまけられた。

 唖然としていたブレンの表情が突然、引き締まり緊迫した。何かの気配を察知した、ようである。

「若君、危ない!」

 叫びと共に、ブレンの巨体が突っ込んで来る。容赦のない体当たりが、リムレオンとシェファをまとめて突き飛ばす。

 今回はまあエミリィが近くにいるわけでもなし、と思いながらシェファが地面にぶつかり、辛うじて受け身を取った、その時。

 直前までリムレオンが立っていた辺りで、白い爆発が起こった。何者かによる攻撃魔法、であろうか。

 ブレンが大型肉食獣の動きで地面を転がり、その爆発をかわしている。

「上手くかわすものねえ、さすがに……」

 ぞっとするほど涼やかな女の声が、上の方から降って来た。

 凹凸の見事な肢体を、唯一神教の法衣で禁欲的に包み込んだ姿が、岩壁の上に立っている。

「かわさなければ楽に死ねたものを……うふっ、ふっふふふ、あっははははは」

 白い光を発射したばかりの片手を揺らめかせ、高笑いをしているメイフェム・グリム。

 まずはブレンが、声を投げた。

「……何がおかしい」

「高い所へ上るとねえ、馬鹿笑いをしてみたくなるものよ?」

 答えつつメイフェムが、全身をメキッ! と痙攣させる。

「ほんと、笑えるくらいに醜く無様だから……ケリスの命を穢しながら、地面を這いずる者どもが……ね……」

 法衣が下着もろとも破けて散り、翼が広がった。羽毛の翼と、皮膜の翼。

 左右形の異なるそれらが、清らかなる聖女の裸身を背後から包み隠す。

「笑える……けれど、笑って許してあげる……わけには、いかないのよ」

 翼が開き、魔獣人間バルロックの姿が露わになった。

 が、それすら一瞬どうでもよく思えてしまうような事が今、シェファの近くで起こっている。

「あ……ン……押し倒されて、しまいましたわ……」

 リムレオンが、1人の女の子と重なり合って倒れている。

 ひらひらした、短く薄手の黒いドレスに身を包んだ、細身の美少女。リムレオンの身体の下で、嫌らしい身じろぎをしている。

「ローラはこれから、何をされてしまうの……?」

「ご、ごめん!」

 慌てて身を起こし離れようとするリムレオンの首に、少女の細腕がするりと絡み付く。

「すごいわ、ローラこんなの初めて……ほんの一しずくの、綺麗な生命力……」

「な……何を……」

 うろたえるリムレオンの、妬ましいほど滑らかな頬に、少女の可憐な唇が近付けられる。

「口づけだけで吸い尽くしてしまいそうな、儚くて甘美な命……魔法の鎧の下に、こんな美味しそうな殿方がいらしたなんて……」

「え……っと、君、どこかで……?」

 リムレオンが、うろたえながらも訝しんでいる。

 確かに、どこかで見たような女の子ではあるが、ゆっくりと思い出すよりも先にやらなければならない事がある。

「ねえリム様、すっ転ぶ度に女の子とぶつかっちゃうってのは一体……どーゆう特異体質なのよねえちょっとおおお!」

「そ、そんな事を言われても……」

 困っているリムレオンの首根っこを掴んで引きずり寄せながら、シェファはブレン兵長を睨み、怒鳴った。

「わざと? やっぱわざとやってんでしょオッサンこら!」

「何の話だ!」

 魔獣人間バルロックが、岩壁の上から、飛び蹴りで降って来たところである。急降下して来た猛禽の爪を、ブレンは跳んでかわしていた。

 大型肉食獣を思わせる巨体が、着地しつつ転がり込み、残骸兵士たちの触手や爪を回避する。

 起き上がる動きと共に、ブレンは右拳を、天空へと向かって突き上げた。

「武装……転身ッ!」

 太い中指に巻き付いた竜の指輪が、光を発した。

 その光が上空に投影され、輝く紋様が空中に描き出される。様々な記号を内包した、真円。

 それが、雷鳴を発した。

 降り注ぐ稲妻の中、ブレンの姿は、黄銅色の全身甲冑をまとう勇壮なる騎士へと変わってゆく。

 そこへ、魔獣人間バルロックが襲いかかる。振り上げた右手を、白く発光させながら。

「唯一神の御許へ送ってあげるわ……貴方たちだけは、この私が!」

 白い光が実体を得て長剣となり、メイフェムの叫び・踏み込みと共に一閃した。

 ブレンも、魔法の戦斧を一閃させていた。

 2つの武器が激突し、焦げ臭い火花を飛び散らせる。

「あらまあ……変わってしまわれたのねえメイフェム殿ってば」

 黒衣の美少女が、片手を庇にして見物しながら、呑気な声を出している。

「あんなんじゃあ、もう殿方は寄り付きませんわねえ……ケリス殿お1人に、操を立てていらっしゃるのねえ」

「あんた……」

 シェファは魔石の杖を、黒衣の少女に突き付けた。

 先端の魔石が、ぼぉ……っと赤く輝き始める。

「思い出したわ、もう1人のバケモノ女……リム様に付きまとってたわけ?」

「ブラックローラ・プリズナと申します。そんな、こちらの若様に付きまとっていたわけではありませんわ。ローラが付きまとって調べて見極めなければいけないのは、あちらのメイフェム・グリム殿の方……」

「君は……あの時の……」

 リムレオンも、思い出したようである。

 トロル1匹を、触れただけで粉々の乾燥死体に変えた、少なくとも人間ではない少女。

 人間ではあり得ない魔的な美貌が、リムレオンに向かってニッコリと妖しく歪む。

「でも何だか、メイフェム殿の事なんてどうでも良くなってしまいましたわ……だって、こんな美味しそうな若様とお近付きに」

「お近付くんじゃないってのよ、バケモノ女がリム様にっ」

 怒りの魔力が流れ込みつつある杖を、シェファはさらに突き付けた。

 赤熱する魔石をかわしつつ、ブラックローラがおどけている。

「ああん駄目、貴女の生命力はとっても不味そう……この世で一番不味いもの、それはドロドロした女の情念。そんなの食べたら、お肌の年齢が100歳くらい上がっちゃう」

「その綺麗なお肌……ひん剥いてやる! どうせその下に、魔獣人間と同じようなゲテモノの身体! 隠してんでしょーがぁああッ!」

「だ、駄目だよシェファ。落ち着こう」

「リム様もっ! 何でゲテモノ女なんか庇ってんのよ!」

「か、庇ってるわけじゃ……」

「ふふっ……竜の御子様みたいな俺様系の方も素敵だけど、お尻に敷かれ気味な殿方も……ローラは嫌いじゃありませんのよ?」

「誰もアンタの好みなんて訊いてない! バケモノ女はバケモノの牡とくっついてりゃいいでしょうがああああああああッッ!」

「おおい、まだかかりそうか」

 ブレン兵長が、いささか切羽詰まった声を出している。

 豪雨の如く切りかかって来るバルロックの長剣と、時折一閃する猛禽の爪。それらを魔法の斧でことごとく弾き返しながらも、ブレンはじりじりと後退を強いられている。

 残骸兵士たちが遠巻きに群れながらも、メイフェムに加勢する機会をうかがっているようだ。

 防戦一方のまま、ブレンは辛うじて声を発した。

「取り込み中すまんが、そろそろ戦ってくれんかな」

「あ……す、すみません!」

 リムレオンが右拳を握り、屈み込んで地面を殴った。その地面に、光の紋様が広がった。

「シェファ、行くよ……武装転身!」

「そうね、バケモノ女は2匹とも始末しないと……武装、転身」

 右手をかざし、身を翻す。竜の指輪からキラキラとこぼれ出た青い光が、シェファの全身にまとわりつく。

 リムレオンの全身は、すでに白色の魔法の鎧に包まれている。

 颯爽たる白騎士の姿が、ブレンに加勢するべく風のように駆け出した。

 残骸兵士が3体、その行く手を阻んで、カギ爪と触手とハサミを振るう。

 それらを擦り抜けて、リムレオンは駆けた。疾駆に合わせて、左右の拳が放たれる。魔法の手甲をまとった拳。残骸兵士が2体グシャッ、バキィッ! と吹っ飛びながら破裂し、脳だか臓物だかを噴き上げる。

 それと同時にリムレオンは、半ば跳躍するように片足を跳ね上げていた。下から上へと一閃する、斬撃にも似た蹴り。3体目の残骸兵士が、噴き上がるように飛び散って原形を失った。

 蹴り上げた足で即座に踏み込み、ブレンの加勢に向かおうとするリムレオン。

 その近くに、何者かが着地した。着地と同時の、襲撃だった。

 甲高い金属の激突音が、響き渡る。

 リムレオンが、いつの間にか魔法の剣を抜いていた。その刃に、同じく抜き身の長剣がぶつかったところである。

「く……っ」

 面頬の内側で歯を食いしばるリムレオン。魔法の鎧を着ていながら、1人の生身の剣士に押し込まれている。

「ほう……鎧の頑丈さに頼らず、ちゃんと剣を抜いて防御するじゃねえか」

 顔立ちの整った、見るからに不敵そうな若い男。リムレオンと剣を押し付け合いながら、牙を剥くように微笑んでいる。

「メルクトの若君ってのはアンタだな……気に入った。仲良く出来そうだ」

「ゼノス王子! 手を出さないで!」

 魔法の戦斧による反撃をかわしながら、バルロックが叫んだ。

「魔法の鎧の装着者は、3人とも私の獲物! 私が決着をつけなければいけない戦い! そう言ったでしょう!」

「なあメイフェム殿。美味しいモノの独り占めは、唯一神の教えに反するんじゃねえのかい」

 どこの王子かは不明だが、とにかくゼノス王子と呼ばれた男が、交わる刃と刃を挟んでリムレオンと睨み合いつつ、ニヤリと笑みを深くする。整った口元で、白い牙が光った。

 歯と言うより、間違いなく牙だ。

「1人くらい俺によこせ……復讐なんぞより、ずっと美味しい思いが出来そうだぜえ」

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