第29話 狂人たち
「うおおおおッ!」
獣じみた気合いと共に、炎の剣が一閃する。
こんな声を出すような若君ではなかった。リムレオンの心が、荒んできている。
(無理するから……っ)
魔法の鎧の面頬の内側で、シェファは唇を噛んだ。
残骸兵士の虐殺など、自分に任せておけば良いものを。女の子に汚れ役を押し付けるわけにはいかない、などとリムレオンは考えたのだろう。
魔獣人間オーガートリスの身体が、炎に包まれた。リムレオンの斬撃を、完全にはかわせなかったようである。一見すると派手に燃えているが、よく見ると全身の白い羽毛がいくらか焼けただけだ。
黒焦げになった羽が、魔獣人間の巨体から剥がれ落ち、だがすぐに新しい羽が生え変わって来る。無限に引きちぎって投げつけるための武器であろうから、この程度の再生力は持たされていて当然ではある。
そんな能力を魔獣人間に与えた張本人が、
「ぬう……やはり残骸兵士では駄目か。足止めの役にも立たぬかっ」
長剣のような5本の爪をシェファに向かって振るいながら、何やら憤っている。
「あの赤き魔物に対する戦力とは成り得ぬか……となれば、やはりその魔法の鎧をいただく! 中身を潰してなあ!」
左、右と襲い来るゴルジの両手をかわしながら、シェファは思う。この男が言っている事を理解しようという気には、やはりなれない。が1つだけ、わかってしまった事がある。
このゴルジという男は、どうやら本当に心の底から、人間という種族そのものを守ろうとしている。救おうとしている。そんな事が出来ると、本気で信じている。
「微笑ましい……って言うか、痛々しいって言うか」
兜と面頬の中で、シェファは嘲笑った。笑ったつもりだが、怒りで声が震えた。
「……あんたの、そんな救世主気取りのせいで……リム様は……っ!」
(バケモノ相手の戦いなんか、する羽目にッ……!)
その叫び声を、シェファは噛み殺した。自分はリムレオンのために戦っているなどと、大声で叫ぶ事ではなかった。
「だから彼と戦うなど、やめておけと言っているのだゴルジ殿」
この場での恐らく1番の強敵・メイフェム・グリムと睨み合いつつ、ゾルカ・ジェンキムが言う。
「魔獣人間の軍勢であろうと、魔法の鎧を着た精鋭兵士の一団であろうと……あるいは魔獣人間に魔法の鎧を着せたところで、あの若者には勝てはしないよ。彼は、そっとしておくしかないのだ。怒らせぬよう気をつけて、な」
「ふん、怪物の機嫌を取って平穏を保とうと言うのか」
牙を剥いた頭蓋骨そのものの顔で、ゴルジは嘲笑した。
「王女を人身御供としていた頃から、貴様らヴァスケリア人は全く変わってはおらぬようだな。赤き竜と戦っていながら理解出来ぬかゾルカ・ジェンキム……魔物や怪物の類はな、滅ぼさねばならんのだよ。さもなくば人間が奴らに滅ぼされる」
「ならまずアンタが滅んじゃいなさいよっ!」
語りに夢中になり始めたゴルジの顔面に、シェファは思いきり魔石の杖を叩き込んだ。バリバリと電光をまとう杖が、甲殻の頭蓋骨を激しく殴打する。
ゴルジの巨体が、感電・帯電しながら後方へと揺らいだ。
電光の杖をブンッと回転させつつ、シェファはなおも踏み込んで行く。
この男さえ滅びれば。そもそも最初から存在しなければ。いや、存在するくらいならば良い。魔獣人間や残骸兵士などを使って、くだらない事をやり始めなければ。
リムレオンは、可愛くて優しいだけが取り柄の若君として、平穏無事に暮らしていられたのだ。
その平穏な暮らしの中には、シェファもいる。
無論ずっとではないだろう。リムレオンは領主令息。いずれはどこかの姫君を娶って、シェファになど見向きもしてくれなくなる。貴族とはそういうものだ。結婚すら、政治の一部なのである。
リムレオンも17歳。そういった縁談が、いつ持ち上がってもおかしくはない。
それまでは、彼の傍にいる。リムレオンと一緒に、平穏な日々を楽しく過ごす。そのくらいは、身分の低い攻撃魔法兵士の少女にも許されていいはずだ。
なのに、それを邪魔する輩がいる。メルクトの領民を脅かし、リムレオンとシェファの平穏な日々を乱す者どもが。
サン・ローデル領主バウルファー・ゲドン侯爵と、形としてはその手下である2名の怪物。
その片方が、喚きながら襲いかかって来る。
「小娘、貴様は! 魔法の鎧という力を持ちながら一体何のために戦っている!」
長剣のような5本の爪が、凶暴な勢いで振り下ろされる。
軽く跳んでかわしたシェファを、ゴルジが叫びながら追う。
「いや答えずとも良い、どうせ私情であろう! 小娘らしい身勝手な私的感情と欲望! 私はな、人間という種族そのものを守らねばならんのだぞ! 救わねばならんのだぞ! そのために恐ろしい敵と戦わねばならぬ私を、私欲まみれの小娘ごときが邪魔をする! これを許しておけると思うかあああああ!」
「……見てわかったろうメイフェム。いや、君ならすでにわかっているはずだ。ゴルジ・バルカウスが、単なる狂人に過ぎないという事が」
何本もの氷の槍を周囲に浮かべながら、ゾルカが言う。
「このような狂人と手を組んで、君は……一体、何をしようとしている?」
問いかけに合わせて、氷の槍たちが一斉に飛び、メイフェムに降り注ぐ。
「私は確かめたいだけよ、ゾルカ……」
答えながら、メイフェムは舞った。そのようにしか、シェファには見えなかった。
もはや嫉妬する気にもなれぬほど美しい脚が、法衣の裾を割って荒々しくあられもなく跳ね上がり、氷の槍をことごとく蹴り砕いたのだ。
「人間という生き物を、試したいだけ……知りたいのよ、私は」
氷の破片が舞い散る中、凹凸の見事な尼僧の肢体が、踊るような回転を止めずに左右の細腕を振るう。
「ケリスが一体、何を守るために死んだのか……19年経っても私、全然わからないのよね」
メイフェムの両手は、優雅に舞いながらも微かな光を帯びている。
先程の不可視の防壁と、同質の力。唯一神の力の発現だ。
「ゴルジ・バルカウスと行動を共にすれば、それがわかるとでも言うのか……」
呻くように、ゾルカが問う。
「魔獣人間による戦乱……そんなものを起こさなければ、わからないのか。ケリスが命を捨てて守りたかったものを、君は」
「わかるわけがないでしょう? 赤き竜が死んで平和になったと言うのに、人間たちは……私に、汚いものしか見せてはくれない……」
光が、メイフェムの両手から放たれた。発射された。
球形の、光の塊。それが2つ、氷の槍の返礼といった形に飛んで、ゾルカを襲う。
そして爆発した。ゾルカに命中する寸前で、何か目に見えぬ壁か楯のようなものに激突したのだ。
魔力の防壁。
それを眼前に発生させたまま、ゾルカが後退りをする。
追うようにユラリと前進しながら、メイフェムはなおも言った。
「教えてよゾルカ。汚いものを守るために、ケリスは死んだの? ……なぁんて訊いたところで貴方は教えてくれないでしょうから私が試しているの。少なくとも赤き竜の時と同じくらいの混乱と災いを引き起こして、人間どもを追い込んでみるのよ。今それが出来そうなのはゴルジ殿くらいだから」
ゾルカにさらなる攻撃を、すぐには加えようとせず、メイフェムは微笑みかけた。
まだ起き上がれぬブレン兵長に癒しの力を施しているエミリィ・レアと、彼女を中心に身を寄せ合って怯えている村人たちに。
「あの頃の人間たちは本当に、汚いものしか見せてはくれなかったわ……でも貴方たちは大丈夫よね? これからどんな混乱や災いが起こっても、強く心清らかでいられるわよね?」
メイフェムの美貌が、にっこりと禍々しくねじ曲がる。
「ケリスが命を捨てて守った貴方たちだもの……清らかで綺麗なものを、私に見せてくれるのよね?」
「頭のおかしいバケモノばっかり……!」
ゴルジの爪をかわしながら、シェファは罵った。
「こんな奴らのせいで、リム様は戦わなきゃいけない……あんたたちみたいなイカレぽんちのせいで!」
魔石の杖が、ひときわ激しくバリバリバリッ! と電光をまとい、棒状の稲妻と化す。
それをシェファは、ゴルジの身体に思いきり叩き付けた。
「うぬっ……!」
人型甲虫の巨体がよろめき、細かな外骨格の破片を飛び散らせる。
ゴルジの全身で甲殻がひび割れており、その亀裂からしぶいて溢れ出す体液が、電熱に灼かれて異臭を発した。
が、この怪物の動きそのものは全く衰えていない。
「私情私欲でしか戦えぬ小娘が!」
怒りと憎悪を宿し振り下ろされる5本爪を、シェファは上空へと跳んでかわした。
ブンッ! と激しく空振りをするゴルジの手。その風圧に煽られるかの如く、少女の細身が空中を舞い、しなやかに宙返りをする。
着地と同時に、シェファの背中が何かにぶつかった。
魔獣人間の鉄球を、同じく後方へと跳んでかわした、リムレオンの背中だった。
「シェファ……」
「リム様……」
背中合わせの体勢で各々、炎の剣と雷の杖を構える少年少女に、オーガートリスとゴルジが迫る。
頭上で鎖鉄球を振り回しながら、オーガートリスは無言だ。
両手の爪をジャキッと威嚇的に鳴らしながら、ゴルジは相変わらず喚いている。
「私情でしか戦えぬ小僧小娘! 貴様らに力を持つ資格はない、魔法の鎧は我らがもらい受けるゆえ潰れて死ね!」
もはや会話の相手をしてやる気にもならずシェファは、背中合わせのまま、リムレオンに声をかけた。
「頭のおかしい奴しかいない、こんな戦い……早く終わらせてメルクトへ帰ろう? リム様」
「……そうだね」
答えながら、リムレオンが踏み出す。
背中が弾け合ったかのようにシェファも駆け出し、そして跳躍した。ゴルジの巨大な手が、足元を横殴りに通過して行く。
その回避と同時にシェファは、魔石の杖を空中から突き込んでいた。ゴルジの口の中へ、である。
電撃を発し続ける魔石が、甲殻の頭蓋骨の上顎と下顎を容赦なく押し開き、ねじ込まれる。
「アッ……が……っ」
「あんたの話、ちょっとだけ笑えた……けど、そろそろ黙ろっか」
シェファは杖にしがみついたまま、全身を捻った。
電撃の杖がさらにグリッ……とゴルジの口中へ、体内へと抉り込まれる。
甲殻のひび割れた巨体が、悲鳴を押し潰されたまま苦しげに反り返った。口に突き刺さった魔石の杖が垂直に立ち、それにしがみついたシェファの身体が、細い両足の爪先を天空に向ける。
倒立状態のまま、シェファは魔力を絞り込んだ。杖の先端、今はゴルジの喉を塞いでいる魔石へと向かって。
その魔石からドギュルルッ……と力が奔り出し、怪物の体内に流し込まれるのを、シェファは杖からの振動で感じた。
人型甲虫の巨体が、硬直した。その全身を走る亀裂から、赤い光が溢れ出す。
炎、と言うより高熱そのもの。赤熱する輝きによって、亀裂が押し広げられてゆく。
もはや声も出せぬ状態のゴルジが、音にならぬ断末魔の絶叫を張り上げながら、破裂した。
溢れ出した赤色光が、飛散した肉を、ちぎれ飛んだ臓物を、砕け散った甲殻を、灼き尽して灰に変える。
赤い、光の爆発が起こっていた。
それを避けるようにシェファは、空中で柔らかく身を捻り、軽やかに着地した。
その時には爆発は消え、ゴルジ・バルカウスの肉体も、跡形すらなく消滅していた。
それを確認してから、シェファは後ろを向いた。
ブゥーンッ! と唸りを発する鉄球をかわしながらリムレオンが、魔獣人間にぶつかって行ったところである。
空振りをした鉄球が、落下して地面にめり込んだ。
燃え盛る炎の剣が、オーガートリスの左胸に突き刺さり、背中へと抜けていた。
手足が動かない。
そもそも手足があるのかどうか、それすらもわからない。
己の肉体が今どのような状態にあるのか、レボルト・ハイマンは全く把握出来ずにいた。
目も見えない。が、耳は辛うじて聞こえる。
「む……」
ゴルジ・バルカウスが微かな声を漏らしたのを、レボルトは聞き逃さなかった。
「どうした……よもや、手元が狂ったのではあるまいな……?」
声も、どうにか出せる。
「御心配なく……私が1人、死んだだけでございます」
ゴルジは微笑んだようだ。
「いささか手元が狂った程度では揺るがぬ段階に、将軍はもはや入っておられます……貴方は最強の魔獣人間と成られますぞ、レボルト・ハイマン殿」
「そうか……ゴルジ・バルカウスの1人が、死んだのか……」
レボルトも笑ってみたが、表情と呼べるようなものが今の自分にあるのかどうかは不明である。
「……貴様は一体、何人いるのだ……?」
「数えた事はございませんが……今、動いているのは3人か4人といったところでありましょうか。うち1人はたった今、死にましたが」
「……大勢の貴様が、1つの目的のために動き回っているというわけだな……」
この男の目的は、人間という種族そのものを守る事である。
魔獣人間などという手段でそれが出来ると、ゴルジ・バルカウスというこの狂人は、本気で信じているのだ。
今はしかし、狂人でも何でも利用するしかない。あの赤き魔物と戦うためには、この男の力が必要なのだ。
足音が聞こえた。
その足音の主に向かって、ゴルジが恭しく跪いたのが、気配でわかった。
レボルトも跪こうとしたが、身体が動いたのかどうかもわからない。
「……そのままで良い、レボルト将軍」
いくらか息を呑みながら、その人物は言った。
「ゴルジよ、貴様は……我が国になくてはならぬ大将軍を、切り刻んで遊んでいるわけではあるまいな」
「レボルト将軍は今、生まれ変わっておられる最中でございます」
「陛下……お見苦しい様を……」
拝跪も平伏も出来ぬ身体を、レボルトは今、主君の眼前に晒している。
バルムガルド国王、ジオノス2世。
この人物が、ゴルジの今している事に、過剰な興味を示したりしたら。魔獣人間の製造に国の金を注ぎ込もう、などという気になったりしたら。バルムガルド王国は、人間ではない者どもに乗っ取られる、その第一歩を踏み出す事となる。
そんな事態が起こる前に、やっておかなければならない事が、レボルトにはある。
「敗戦の罰は、必ずやお受けいたします……その前に陛下、私にどうか雪辱の機会を……」
「軍監より報告は受けておる。人の力では抗えぬ者が出現したのであろう? それでレボルト将軍を罰する事など出来はせぬ。そんな事をしていて勝てる相手ではない……かの、赤き魔人は」
「陛下……よもや……」
国王の口ぶりから、レボルトはある事実を感じ取った。
「あの魔物めを、ご存じ……なので、あらせられますか……?」
「ダルーハ・ケスナーを倒した怪物であろう? あの叛乱に関しては、私なりに情報を集めて分析している最中なのだよ」
ダルーハの叛乱に乗じ、3万の軍勢でヴァスケリアを併呑する。それは失敗したものの、あの国にはまだジオノス2世の放った間者や密偵が多数、潜んでいるはずであった。情報は逐一、国王の元へ届けられるのであろう。
「レボルトよ、そなたが出会った怪物は恐らく……ダルーハの、息子だ」
「何と……」
「赤き竜の返り血を浴びて人間をやめた英雄……その血を受け継いだ、生まれながらの怪物というわけだ」
ダルーハ・ケスナーが竜の血を浴びて人間ではなくなったという話は、バルムガルドにおいては、伝説・風聞の域を出なかった。
竜の血液は、この世のあらゆるものを灼き尽くす。
それを全身に浴びて死なずに耐えた者は、竜の力を受け継ぐ魔人となり、もはや人間の手で殺す事は不可能になるという。
その魔人の息子が、あの赤き怪物であると言うのなら。まさにそれは、赤き竜の再来とも言うべき事態ではないのか。
(そんなものを国同士の戦に介入させたら……事はバルムガルド・ヴァスケリア2国間においてだけの問題ではなくなるのだぞ……! 近隣諸国どこもかしこも、魔獣人間の類を造り始める。人間の軍事が、やがては政治が、人間ではない者どもに乗っ取られる……させん! そのような事は)
炎にも似た思いが、レボルトの胸の内で燃え上がる。
身体のどこかがメキッ! と震えた。
いよいよ自分は、人間ではないものに変わりつつある。それを、レボルトは感じた。
(ダルーハの息子とやら、貴様を倒せるのであれば構わん……人間ではない者に、人間の世界への介入など……させんぞ、もはや)
心臓を焼き砕いた手応えが、魔法の鎧の手甲の中まで伝わって来る。
それをしっかりと握り締めながらリムレオンは、オーガートリスの左胸から魔法の剣を引き抜いた。
その刀身から、炎が消え失せている。全て、魔獣人間の体内へと流れ込んだのだ。
「ぐっ……ち、畜生……ッ」
呻き、よろめくオーガートリス。その左胸から背中へと貫通した傷が、ブスブスと内側から焼けて黒煙を発している。
「こ……こうなった以上、あんた方に頼むしかない……こっ、この村を」
「守るさ。それは頼まれなくてもやる」
リムレオンは断言した。
「見ての通り、ゴルジ・バルカウスはシェファが倒した。あとはメイフェム・グリムさえ倒せば、この村を脅かす者は」
「ゴルジを倒した、だと……馬鹿野郎! あんた何にもわかっちゃいないな!」
オーガートリスが、何故か怒り出した。
左胸と背中の傷口から、黒煙だけでなく炎が噴き出す。
怒りに呼応するかの如く燃え上がった、その炎が、魔獣人間の全身を包み込んだ。
「アサド……!」
エミリィが、呻きか叫びかよくわからぬ声を発した。
自分は彼女の眼前で、アサドを殺害した。それだけを、リムレオンは強く思った。
炎の中、オーガートリスは黒くボロボロと焦げ崩れながらも、言葉を絞り出している。
「わかれよ、少しは……自分らの戦ってる相手が、どれだけバケモノかって事……」
消えゆく命そのものを絞り出すかのような声、と共にアサドは、
「頼むぜ、本当……もう少し気合い入れて……戦って……この村、守ってくれよ……」
ゆっくりと崩壊し、灰に変わった。
「アサド君……!」
ゴルジの死にも心動かさなかったメイフェムが、微かに、だが確かに、動揺を見せた。
直後。その優美な法衣姿が、腹を抱える形にへし曲がった。抱えられた腹から背中へと、白いものが貫通している。
一瞬の隙をついてゾルカが発射した、氷の槍である。
「ゾ……ルカ……ッ!」
穿たれた腹を抱えて身をよじるメイフェム。その身体がビキビキ……ッと白く固まってゆく。
氷の槍から尼僧の全身へと、霜が広がりつつあるのだ。
その霜が厚みを増して氷と化し、メイフェムの身体を白く覆い固めて包み込む。
やがて、巨大な繭のような氷塊が出現した。その中に、身を折ったメイフェムが閉じ込められている。
ゾルカが、疲労した様子で片膝をついた。
魔法の鎧を装着したまま、シェファが面頬越しに声をかける。
「……大丈夫? ゾルカさん」
「ああ……魔力が尽きただけだ」
ゾルカは微笑んだ。どこか悲しげな苦笑だった。
かつての仲間を氷の槍で刺し殺してしまった事に、やりきれぬ思いを抱いているのか。
リムレオンは、ブレンに歩み寄った。
「兵長……大丈夫ですか?」
「お気遣いなく、エミリィ殿が治して下さいましたゆえ」
ブレンが立ち上がり、微笑んだ。こちらは明るい、頼もしい笑顔だ。
「いやはや……無様を晒した私と違って、実にお見事な戦いぶりでございましたぞ若君。それにシェファも。明日以降の訓練は、もう少し過酷なものにしても大丈夫でありますな」
「……本当に、もう少しで済むのなら」
曖昧に笑うリムレオンに、村人たちが声をかけてくる。
「……いやあ、よくわからんが凄いな、あんたたちは」
「本当によくわからんが、ありがとうなあ。領主んとこのバケモノどもを、やっつけてくれて」
俯いているエミリィの肩が、微かに震えた。バケモノ、という言葉に反応したようだ。
そのバケモノたちが……魔獣人間だけでなく残骸兵士の何体かが、かつてこの村の住人であった事を、村人たちは知らない。知らせるべきでもない。
何も知らず、村人たちはなおも言う。
「それにしてもエミリィの奴、アサドとか言っていたようだが?」
「ははは、あんなバケモノがアサドのわけないじゃないか」
「……何よ……その言い種は……」
声がした。女の声。エミリィでも、シェファでもない。
繭のような氷塊が、ひび割れていた。声は、その亀裂から流れ出ている。
「アサド君はねえ、この村を……貴方たちを守るために、戦ったのよ……人間じゃなくなってまで……それを何よ、何なのよ……ありがとうの一言もなく、そんな言い方……」
「メイフェム……!」
魔力が尽きたはずのゾルカが立ち上がり、何かしら攻撃魔法を放とうとしている。
その時には、氷の繭は砕け散っていた。
キラキラと舞う破片を蹴散らして、何かが伸び、空中を泳いだ。超高速で宙を裂く、鞭のようなもの。蛇のようなもの。
それが、ゾルカの細い身体を貫通していた。先程のメイフェムと同じく、腹から背中へと。
そのメイフェムが、ゆらりと立ち上がっていた。翼をはためかせ、氷の破片を叩き飛ばしながら。
左右それぞれ形の異なる、一対の翼。右は黒い皮膜、左はふっさりとした羽毛。
コウモリの翼と、猛禽の翼だ。
それらがメイフェムの背中から広がり、氷の破片だけでなく、法衣も下着もちぎり飛ばしていた。
欲情するよりもまず美しさに圧倒されてしまうような神々しい裸身が、そんな異形の翼を生やし、佇んでいるのだ。
氷の槍で穿たれていたはずの身体。だがその細く美しい腹部には、傷跡すら残っていない。癒しの力を、自身に施したのだろう。
「やっぱり駄目……人間は私に、汚いものしか見せてはくれない……」
声を震わせながらメイフェムは、左手を前方に掲げている。
白く優美な細腕が、しかし肘から先は黒くゴツゴツと甲殻状に変化していた。鋭利に硬質化した五指は、まるで節くれ立った刃物である。
その掌の根元、掌か手首か判然としない部分から、蛇のような鞭は生えていた。細かな刃に似た鋭い突起を、根元から先端に至るまで背ビレの如く並べた、生体の鞭。
それが、ゾルカの身体を刺し貫いている。
穿たれた腹と背中からの出血は、驚くほど少ない。その代わりのようにゾルカの口から、大量の鮮血が溢れ出す。
かつての仲間の、そんな様を見つめながら、メイフェムは呻く。
「ケリスが命を捨ててまで守ろうとした、美しいもの……今度こそ、見られると思ったのに……特にそこ! そこのあんた! アンタがもっと悲しんであげなきゃダメでしょうがあああああああああああッッ!」
呻きが叫びに代わり、眼光がゾルカからエミリィへと向けられる。
呆然としているエミリィを、ブレンが背後に庇った。
「やめろ……もうやめてくれ、メイフェム……」
血を吐きながらゾルカが、辛うじて聞き取れる声を発する。
「その狂気おもむくままに、これまで大勢の人間を殺してきたのだろうが……私で、最後にしておけ。そして引き返せ……今なら、まだ君の……一生をかけて、罪を償う事が出来る……」
「ねえゾルカ、こうなる事はわかっていたのでしょう?」
左右形の異なる翼を広げ、左手からは鞭を生やし……人ならざるものとしての正体を少しずつ露わにしながら、メイフェムは笑っている。
「悔しいけれど魔法の勝負は、私よりも貴方がほんのちょっと上……でも私は」
「もちろん、わかっていたさ……もともと素手の戦いならダルーハにもそう引けを取らなかった君が、人間をやめてしまったのだからな……こんなふうに魔法以外の戦い方をされたら、私なんかが君に勝てるわけがない……」
「それがわかっていながら、貴方は……こんな人間どもを守るために、私と戦って……」
笑いながら、メイフェムは涙を流していた。
「私……ダルーハやドルネオを見て、男って本当バカな生き物だって思ってたわ……だけどゾルカ、貴方はましな方だとも思ってた。なのに……実は、貴方が一番おバカさん…………ッッ!」
泣き笑いながら、メイフェムは左腕を動かした。背ビレの生えた鞭が、荒々しくうねった。
ゾルカの身体は真っ二つにちぎれ、血よりも大量の臓物をぶちまけた。
下半身はそのまま膝をつき、少し離れた所に上半身が落下する。
「さようならゾルカ……貴方の仲間だったメイフェム・グリムは、ここでお終い……」
涙に濡れた尼僧の笑顔が、白く神々しい聖女の裸身が、左右形の異なる翼でフワリと覆い隠される。
皮膜の翼と、羽毛の翼。
それらがバサッ! と開いた時、そこに人間メイフェム・グリムの姿はなかった。
形良く膨らんだ胸と、美しく引き締まった胴。そこから尻・太股にかけての魅惑的な広がり……その曲線に、名残はある。
だが体格は一回り大型化して筋肉を盛り上げ、胸も尻も太股も、たくましく肉感を増している。
白い美肌は、黒く滑らかな外皮に変わっていた。所々が、羽毛で衣装的に飾り立てられている。
左右の前腕は、指で物体を切断出来そうな甲殻の手甲と化しているが、鞭を生やしているのは左手だけだ。
力強い両の美脚の末端は、地面を掴み裂いてしまいそうな爪を伸ばした、まさに猛禽の両足である。
首から上も、猛禽類の頭部だった。
顔面の上半分では、大型のクチバシが庇の形に張り出している。
下半分は、口元と顎の綺麗な人間の美貌で、そこにも聖女メイフェム・グリムの面影が残ってはいる。
その美しい唇が、言葉を紡いだ。
「これからの私は、アサド君の言っていた魔女……化け物……魔獣人間バルロックよ」