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第28話 決別

 人間が修行や鍛錬で身に付ける事の出来る力には、限界がある。

 魔獣人間と戦う度に、ブレン・バイアスはそう思わざるを得ない。

 もちろんブレン自身、限界と呼べるような領域にはまだ達していない。35歳である。鍛え続ければ、まだ多少は強くなれるだろう。

 だが人間、いくら努力して身体を鍛えたところで、人間をやめる事など出来はしない。人を石像に変える能力など身に付かない。目からおかしな光を出せるようにもならない。炎も吐けない。指を鞭のように伸ばせるようになど、なりはしない。

 こんなふうに戦斧で頭をぶん殴っても死なない肉体など、絶対に手に入らない。

「うぐぅ……っ」

 昨日まではマルズという名の無能な隊長だった魔獣人間グールトレントが、微かな木片と腐肉の飛沫を散らせながら、よろめいている。脳天に思いきり戦斧を喰らわせてやったと言うのに、よろめかせる事しか出来ていないのだ。

 右半身が人型の樹木、左半身が腐乱死体。そんな姿の魔獣人間が、よろめきながらも倒れず、ブレンの方に向き直り、左手を振り上げる。腐肉から指の骨が露出してカギ爪のようになった左手。

 それが襲いかかって来るよりも早く、ブレンは戦斧を振り下ろした。人間ならば確実に殺している手応えが、強烈に返って来た。

 腐った肉片と木屑を飛び散らせ、グールトレントが半ば吹っ飛ぶように後退し、距離を開きつつ右手を振るう。

「きっ……さま……だけは殺すぅう!」

 木の根のような五指が、蛇の如く一斉に伸びる。

 いや、伸びかけたところでブレンは踏み込み、戦斧を叩き込んだ。腐肉と木片がグシャアッと大量に飛散する。

 グールトレントがようやく倒れ、だがすぐに起き上がって来る。憎悪の呻きを発しながらだ。

「殺す、コロス……貴様だけはぁあぁ……」

「俺1人で済ませてくれる、わけでもあるまいが」

 ブレンは苦笑した。

「その力、もう少しマシな事に使えば良いものを……殺す事しか考えられなくなるのが、魔獣人間か」

 もう1体の魔獣人間オーガートリスには、魔法の鎧を着たリムレオンが斬り掛かっている。

 炎に包まれた魔法の剣が、轟音を立てて振り下ろされ、しかし空振りをした。ひらりと最低限の動きでかわしたオーガートリスが、間髪入れずに鉄球を振り上げる。

 白い魔法の鎧が、激しく火花を散らせた。直撃。だが当たった瞬間にリムレオンが自ら後ろに跳んで衝撃を最小にとどめたのが、ブレンにはわかった。傍目には、まともに鉄球を喰らって吹っ飛んだようにしか見えないが。

 倒れたリムレオンが、しかし倒れながらも地面を転がり、鉄球の第2撃を回避しつつ起き上がる。

 リムレオンを仕留め損ねた鉄球が、深々と地中にめり込んだ。それを引き抜きながら、オーガートリスが驚き呆れている。

「あんた……ぶちのめされて倒れるのが、めちゃくちゃ上手いな」

 当然だ、とブレンは思った。

 敵の攻撃を、まず喰らわないのが理想なのだが、喰らってしまったとしても衝撃をまともには受けない事。そのための身ごなし、何としても庇うべき急所、受け身の取り方。

 それらを、この若君には徹底的に叩き込んである。

 リムレオンの次の課題は、自身の攻撃をまともに敵に命中させる事、であろう。

 一方、シェファはどうか。

「はあっ!」

 元気なかけ声と共に、小さな雷鳴が轟く。

 魔石の杖が、電光を帯びつつ横薙ぎに振るわれ、ゴルジ・バルカウスの巨体を打ち据えたところだった。

 人型甲虫の巨大な身体が、打撃と電撃を同時に叩き込まれて揺らぎ、感電する。

「ぐっ! こ、小娘が!」

 バリバリと電光に絡み付かれながらも、ゴルジが反撃をした。長剣の如き5本の爪を生やした手が、右、左と続けざまにシェファを襲う。

 ほっそりと華奢な青い甲冑姿が、くるくると舞うような回避をしながら、魔石の杖を振るった。

 ゴルジの両手が空振りをする、と同時に電撃の杖が一閃し、巨大な人型の甲虫を殴打する。

 絡み付く電撃光にバチバチッと灼かれながら、ゴルジは苦しげに後方へとよろめいた。

 いきなり大規模な攻撃魔法を叩き込もうとして失敗した昨日の戦いを、シェファはきちんと教訓にしているようであった。小刻みな攻撃で敵を徐々に弱らせる戦い方が、出来るようになっている。実戦で学んでゆく事が、この少女には出来るようだ。

 べた……っと這いずるような足音が聞こえた。それも複数。

 とてつもなく嫌な気配を、ブレンは先程から感じてはいた。覚えのある気配である。

 出来れば2度と見たくはなかった者たちが、立ったまま這いずるような足取りで、いつの間にか姿を現していた。

「おぉあ……あうあう……」

「い……たぁい……あついよぉう……」

「さむい……よぅ……」

 どうにか人型と言える、肉塊あるいは臓物の塊。それらが、角やカギ爪や触手を振り立てうねらせながら、部隊を成している。

「残骸兵士……!」

 オーガートリスの鉄球をかわしながら、リムレオンが息を呑み、呻く。

「ゴルジ・バルカウス……! お前はまだ……!」

「使うとも。失敗作とは言え、こやつらもまた人間の可能性を追及した結果の1つ、粗略には扱わん。大切に大切に……使い捨ててやるとも」

「ゴルジ……!」

 静かに怒り狂うリムレオンを、オーガートリスの鉄球が襲う。

 ブゥンッ! と重々しく唸る一撃を、リムレオンは辛うじてかわした。かわすのが精一杯で、ゴルジに怒りをぶつける事は出来ずにいる。

 その間、残骸兵士たちは、戦ってはいない者たちへと歩み迫って行く。エミリィ・レアを中心に身を寄せ合いながら怯えている、村人たちへと向かって。

「おとうぅ……ちゃあぁん……オイラだよぉう……」

「お……おおエミリィ……帰って来たのかぁあ……」

「あなた……私よ……私はここよぉ……」

 口々に悲痛な声を発しながら、残骸兵士たちが突然、炎に包まれた。

 シェファが、魔石の杖を振るっていた。

 少女の全身で、魔法の鎧に埋め込まれた幾つもの魔石が、赤い光を発している。

 それと共に炎が発生し、渦巻いて奔り、残骸兵士たちを片っ端から呑み込んでいた。

 荒れ狂う炎の渦の中、元々は人間であった者たちが、焦げ崩れて灰と化す。

 シェファが、面頬の内側でどのような表情をしているのかは、わからない。

 確かな事は1つ。残骸兵士たちに魔力と意識を向けた、それがゴルジに対する隙となってしまったという事だ。

 長剣のような両手の爪を振り立てて、ゴルジがシェファを襲う。

 そして、吹っ飛んだ。

 甲虫に似た巨体が、必殺の爪をシェファに叩き付ける寸前で、目に見えぬ壁にでも激突したかのように後方へと勢い激しく倒れたのだ。

 その鳩尾の辺りに、白い、大型の槍のようなものが、外骨格を破って深々と突き刺さっている。

 氷だった。槍の形に固まった巨大な氷塊が、ゴルジの胴体を貫通しているのだ。

「が……ぐ……っ」

 悲鳴を上げるのもままならぬ様子で、ゴルジが弱々しく巨体を蠢かせる。突き刺さった氷の槍の周囲で、ひび割れた甲殻がパキパキ……ッと白く凍り付きながら、さらに亀裂を走らせてゆく。

 シェファの攻撃魔法、ではないようだった。魔石の杖を中途半端に構えたまま、彼女は立ちすくんでいる。目の前で何が起こったのか、わからずにいる様子だ。

 男が1人、村の広場に歩み入って来たところだった。

「貴方が本当に、私の知るゴルジ・バルカウスと同一人物であるとしたら……もうすでに、生きていてはならない年齢のはずだ」

 灰色のローブを着た、細身の中年男。穏和そうな顔立ちは、しかしどこか一癖ありそうで、今は緊迫した戦意を漲らせている。

「老いさらばえるよりも醜い生き様を晒しながら、何を企む?」

「ぞ……ゾルカ・ジェンキム……」

 ビキッ、ビキビキッと白く凍り、ひび割れてゆく身体で、ゴルジは辛うじて立ち上がった。

「貴様……竜退治の英雄、の1人ともあろう者が……赤き竜の再来とも言うべきこの事態を迎えながら何故、私に敵対する? 私に味方して人間を救おうとは、思わぬのか……!」

「魔獣人間を大量生産して彼に戦いを挑もう、などと考えているのなら愚か過ぎる。やめた方がいいな」

 ゾルカ・ジェンキム。ダルーハ・ケスナーの、旅の仲間の1人。不覚にも石像と化してしまったブレンを、助けてくれた人物。彼が、穏やかに苦笑している。

「考えてもみたまえゴルジ殿。彼はダルーハ・ケスナーを倒しているのだよ? 竜の血を浴びた、竜殺しの英雄をね」

 ブレンは身震いをした。いくらか肌寒い。

 だが魔獣人間たちは、寒いどころではない目に遭っていた。

「こ……これは……」

「う……ぐ……ひぃ……っ」

 オーガートリスもグールトレントも、それぞれリムレオン・ブレンの眼前で、全身にうっすら白いものをまといながら硬直している。霜、である。

 その霜がビキビキッ! と急速に厚みを増して氷となり、魔獣人間2体の動きを封じてゆく。

「……凄まじいものだな、本物の魔術師とは」

 ブレンが声をかけると、ゾルカ・ジェンキムは微笑を返してきた。

「貴殿こそ。生身で魔獣人間と渡り合える戦士など、ダルーハやドルネオくらいしかいないと私は思っていた……ブレン・バイアス兵長殿でしたな。お見事なものです」

「あのお二方と並べていただけるとは、光栄だ」

 ダルーハ・ケスナー。ドルネオ・ゲヴィン。ゾルカ・ジェンキム。ケリス・ウェブナー。メイフェム・グリム。

 赤き竜と戦い続けたがために王家からも民衆からも迫害され、居場所を失っていた、この5人の英雄を、当時のメルクト領主レミオル・エルベット侯爵が自城へと迎え入れかくまっていた頃。ブレンはまだ見習いの少年兵士でしかなく、こんなふうに対等な口をきく事など出来なかったものだ。

「いつぞやは……無様にも石ころに変えられてしまっていたところを助けていただき、かたじけなく」

「魔獣人間には、あのような能力を持つ者が少なくありませんからな。素手で掴み合うような戦いは、出来る限りは避けられた方がよろしい」

 語りながら、ゾルカが片手を掲げた。

 冷たい風が吹いた。

 冷気が、空中の何ヵ所かで凝集し、白く固体化してゆく。

 やがて氷の槍が何本も、ゾルカの周囲に生じて浮かんだ。

「赤き竜に対しては全く無力であった、我が魔法……だが中途半端に人間をやめた者たちを、粉砕するくらいの事は出来るぞ」

 ゾルカの声に、力がこもる。

 氷の槍たちが、一斉に飛んだ。

 白く固まり、ひび割れ、今や砕ける寸前のゴルジ。氷に閉じ込められつつある、2匹の魔獣人間。

 計3体の人ならざる者たちに、槍状の氷塊が何本も、雨の如く降り注ぐ。

 そして砕け散った。氷の槍だけが、である。

「む……」

 ゾルカが、ほんの少しだけ驚きを見せた。

 淡い光が、凍死寸前のゴルジを、氷像と化しつつある魔獣人間2体を、包み込んでいた。

「邪魔をしないでよ、ゾルカ……」

 若い女の声。柔らかな足音と、気配。

 エミリィと同じく唯一神教の法衣に包まれた、優美な姿が、そこに現れていた。

「…………メイフェム・グリム……?」

 ブレンは思わず名を呟き、そんなはずはない、と思い直した。

 メイフェム・グリムは、少なくともブレンより3つか4つは年上のはずである。

 だが今、視界の中央にあるのは、19年前と同じ、若く瑞々しく力に溢れたメイフェム・グリムの姿だった。

「貴方ね。ゴルジ殿の言っていた、生身で魔獣人間と戦える勇者というのは」

 メイフェムが微笑み、軽く首を傾げた。その仕草から、ぞっとするほど冷たい色香がこぼれ出す。

「……どこかで会ったのかしら?」

「覚えてはおるまいな。俺はあの頃、とにかくダルーハ卿が恐ろしくて、あんた方を物陰から見ているのが精一杯だった」

 ブレンは呻いた。

「だが、あんたは……貴女は、本当に……?」

「メイフェム・グリムだよ。間違いはない」

 疑問に答えてくれたのは、ゾルカである。

「……少し無理のある若作りを、しているだけさ」

「貴女は……」

 怯える村人たちを庇うように立ちながら、エミリィが声を発した。

「もしかして……アゼル派の方、ですか……?」

「見ただけでわかるものねえ、ローエン派のお嬢さん」

 人間ではない者たちを包んでいた光が、メイフェムの言葉に合わせて薄れ、消えてゆく。

 ゴルジが、それに魔獣人間2体が、無傷の姿を現していた。

 凍り付いていない、ひび割れてもいない、刺さっていた氷の槍も消え失せて穴も残っていない、完全に元通りとなった巨体を誇示しつつ、ゴルジが笑う。

「見よ、大いなる癒しの力を……今やアゼル派こそが本物の唯一神教よ。世俗の権力と結びつき腐敗の道を歩み始めた、ローエン派の者どもとは違う。真の聖女が、我らに味方をしてくれているのだ」

 魔獣人間2匹の身体からも、氷が全て砕け落ちていた。

 解放された2つの異形が、リムレオンに、ブレンに迫る。

「ふん……このクソったれ魔女に助けられちまうとはな」

 オーガートリスの鉄球が、豪快に空振りをする。リムレオンが身を屈め、かわしていた。

「ふ……ひひひひ、みみ見たか俺は無敵なのだァーッ!」

 グールトレントが、ゾルカの凍結魔法を自力で破ったかのように威張りつつ、右手の五指を伸ばそうとする。

 伸びて来るよりも早く、ブレンは駆け出し、踏み込み、戦斧を叩き付けていた。

 細かな腐肉と木片を飛び散らせ、グールトレントが後方によろめく。

 ブレンは舌打ちをした。やはり自分の力では、魔獣人間を絶命させるところまではいかない。絶命するまで、ひたすら地道に殴り続けるしかないのか。

「きゃ……っ」

 微かな、息の詰まったような悲鳴が聞こえた。

 振り向いたブレンの目に映ったのは、宙に浮いたエミリィの姿だった。その身体が、法衣もろともギリギリッ……と締め上げられている。地面から生えて蛇の如く伸びた、何本もの木の根によってだ。

「馬鹿な……!」

 ブレンはグールトレントの方に、ぎろりと視線を戻した。

 魔獣人間の、人型の樹木とも言うべき形状の右半身。その足の部分から、何本かの木の根が生え、地面に突き刺さっている。

「動くな……武器を捨てろぉ……」

 腐乱死体の左反面をニヤリと醜くねじ曲げながら、グールトレントが言う。

「さもなくば、この小娘の首をへし折る……ふ、ぐふへへへへ尻から口まで抉り貫いてやっても良い……」

 何本もの根が、エミリィの全身をなおも容赦なく縛り締め付ける。

 うち1本は、少女の細い首に巻き付いていた。

「…………ッッ!」

 悲鳴を上げる、どころか呼吸も出来ず、エミリィは表情を歪めた。愛らしい顔立ちが、恐怖と苦悶で痛々しくねじ曲がる。

 そんな少女の、たおやかな両脚を縛り束ねていた根の1本が、法衣の裾の内側へと嫌らしく忍び込んで行く。

「ぐふ、ふへへへへ尻から口までぇ」

「やめろ……!」

 ブレンは言われた通り、戦斧を放り捨てた。そうするしかなかった。

 途端、熱い激痛が体内に打ち込まれて来た。胸と腹から入り込んで、臓物に達した。

 グールトレントの右手から伸びた木の根が5本、ブレンの胴体に突き刺さっていた。分厚い胸板を、強固な腹筋を、穿ち貫いていた。

「ぐ…………ッッ!」

 ブレンは悲鳴を呑み込み、その代わりに血を吐いた。

 木の根の先端が5つ、体内で蠢いて臓物を抉っているのが、感触としてわかる。

「苦しいか……ふ、ふへへへひひひひ苦しいかぁ? 悲鳴を解放すれば少しは楽になる、そぉーら泣き喚けぇえええええ」

 グールトレントの狂喜の叫びに合わせて、木の根が5本、ブレンの体内で暴れた。

(若君……!)

 肺が引き裂かれるのを感じながら、ブレンは念じた。

(おさらばで、ございます……どうか、お強くなられませ……)

 視界が暗転する寸前、ブレンは見た。狂喜していた魔獣人間が突然、粉々に砕け散った様を。

 死に際の幻覚、ではない。腐乱死体の左半身と木製の右半身が、一まとめにグシャアッ! と叩き潰され、飛び散ったのだ。

 折れた木の根を5本、胸板と腹に突き刺したまま、ブレンは仰向けに倒れた。

 エミリィが、尻餅をついている。村人たちが慌てて駆け寄り、少女の身体から、折れて萎びた木の根を引き剥がす。

 何かが宙を舞っていた。腐肉と木屑をこびりつかせた、鉄球である。それをゆったりと振るいながら、

「ゴミクズがっ……!」

 魔獣人間オーガートリスが、吐き捨てている。

「こういうクソゴミ野郎に、人を殺せる力を持たせちまう……そんなやり方で世界を救える気になってるんだから本当おめでたいよゴルジ殿、あんたって人は」

「貴様……!」

 シェファの振るう電光の杖を、巨体に似合わぬ動きで回避しながら、ゴルジが怒りを見せる。

 怯む様子もなく、オーガートリスは言い放った。

「おめでたい奴らのイカれたお遊びに……これ以上この村を巻き込むのは本当にやめてもらうぜ? クソゴミ野郎の分まで、俺が戦ってやるからよ」

(魔獣人間の手から……魔獣人間によって、助けられるとはな……)

 思いかけて、ブレンは苦笑した。オーガートリスは別に、自分を助けてくれたわけではない。

 この魔獣人間が仲間割れをしてまで救った少女が、ブレンの傍らに膝をついた。

「あ……あたしの、せいで……」

 泣き声と同時に、微かな痛みが、ブレンの体内で疼いた。

 抉られ、掻き回され引き裂かれた内臓が、動いている。疼くようなその痛みが、急激に高まっていった。

「うぐっ……!」

 悲鳴を噛み殺しながらブレンは、薄れつつあった意識が激痛によって覚醒してゆくのを感じた。

 己の身に何が起こっているのかもわかった。昨日はシェファが、これと同じ目に遭っていた。

「本当、ごめんなさい……あたしの力じゃ、少しずつしか治せなくて……」

 泣き謝りながらエミリィが、ブレンの胸板に優しく片手を触れている。

 ちぎれた臓物が、体内でグジュグジュと蠢きながら繋がり、修復されてゆく。内側から塞がりつつある傷口が、刺さっていた木の根を5本とも、体外へと押し出す。エミリィの言う通り、本当に少しずつだ。

 口を開いた途端、礼の言葉よりも先に悲鳴が出てしまいそうなので、ブレンは歯を食いしばったまま微笑んで見せた。

 自分の凶悪な顔が、上手く笑顔になったかどうかは、わからなかった。



「俺の仲間、なわけはないが……ま、あんた方から見りゃ仲間みたいなもんだよな」

 エミリィを助けるついで、とは言えブレン兵長を助けてくれた魔獣人間が、鉄球をジャラッと構え直しながら言う。

「とにかく、そいつが見苦しい真似をした。ま、死んじまったんだから許してやってくれ」

「君は……」

 炎をまとった魔法の剣を同じく構え直し、だが斬り掛かりはせず、リムレオンは言った。

「この村を、救いたいんだろう……それなら僕たちと」

「協力して戦おう、なんて言わないよなあ若君様」

 オーガートリスの左手がシュッと高速で動く。投擲。

 飛来した何本かの羽を、リムレオンは炎の剣で薙ぎ払った。白い羽が、黒く焦げ崩れた。

 その灰を蹴散らすようにブゥンッ! と鉄球が襲い来る。

 魔法の鎧から火花を散らせ、リムレオンは倒れた。直撃の瞬間、自ら後ろへ倒れ込んだのだ。それで鉄球の衝撃を半分以上は殺せたが、それでも全身が痺れた。

 痺れに耐え、リムレオンは起き上がった。即座に横へ跳んだ。鉄球が、魔法の鎧をかすめた。

 その鉄球が鎖で引き戻されて行く間に、リムレオンは踏み込んでいた。炎をまとう魔法の剣を、魔獣人間に向かって一閃させる。

 一閃した炎の刃が、オーガートリスの引き伸ばした鎖に激突した。

 震える鎖と、炎上する刀身。ぶつかり擦れ合うそれらを挟んで、リムレオンとオーガートリスが睨み合う。

「聞いたよ……あんた、くそ魔女のメイフェム・グリムと1度戦ったんだってなあ」

 嘲笑うように牙を剥き、魔獣人間が言う。

「……何にも出来ないでボッコボコにぶちのめされたって話じゃないか、ええおい?」

「…………」

 面頬の内側で、リムレオンは唇を噛んだ。

 確かに、何も出来なかった。メイフェムには、まるで足元のゴミのように蹴り転がされたものだ。

「それでわかっただろう、あの女は頭がおかしいだけじゃない……正真正銘の、化け物だ。俺とあんたらが手を組んだくらいで、勝てる相手じゃないんだよ」

「聞こえよがしに言うものねえ、アサド君」

 メイフェムが笑った。

 彼女と対峙しつつ、ゾルカも言う。

「要するに、私が彼女を仕留めて見せれば何の問題もなくなるわけだな? アサド殿とやら」

「仕留める……ゾルカが、私を?」

 メイフェムの微笑が、にやあ……っと歪みを増した。

「……結局、戦わなければならないの? 貴方と私は」

「私の役目だ」

 ゾルカの周囲、何ヵ所かで、空気が白く固まった。氷の槍が生じていた。

「ダルーハもドルネオも止められなかった私だが……君だけは、ここで止めてみせる」

「そう……ダルーハがいて、ドルネオがいて。貴方やケリスがいて」

 無邪気な美少女のように、メイフェムは笑っている。

「本当に楽しかったわ、あの頃は。人間は守るべき美しいものだと、心の底から信じていられた……」

 魔獣人間と得物を押し付け合ったまま、リムレオンはぞっとした。これほど邪悪で、それでいて純真無垢な笑顔を、見た事がなかった。

「潔癖なのだな、君もダルーハも……人間に美しいものを期待し過ぎるから、こういう事になるっ」

 ゾルカの声に、気合いが宿る。

 浮揚していた幾本もの氷の槍が、メイフェムに向かって一斉に飛んだ。

 かわしもせず、メイフェムが何かを念じた。

 氷の槍が全て、彼女の身体に触れる寸前で、粉々に砕け散った。

 癒しの力と同じく、唯一神の加護の具現化とも言うべき、不可視の防壁。

 魔道に堕ちた尼僧に、しかし唯一神が見離しもせずに力を貸しているという事なのか。

「仕留める……だと、あの魔女を……!」

 オーガートリスが牙を噛み合わせ、怒り呻く。その右足が、跳ね上がった。

「そんな事……出来るもんなら俺がとっくにやっている!」

 怒声と共に襲い来る蹴りを、リムレオンは後ろに跳んでかわした。

 着地し、炎の剣を構え、斬り掛かろうとするリムレオンの身体に、ベタベタッ……と何かが貼り付いて来た。

「助けて……痛い……あつぅい……」

「来てよ……誰だか知らないけどぉ、僕らと一緒においでよぉお……」

 2体の残骸兵士。リムレオンに左右からしがみつき、魔法の鎧に何本もの触手を貼り付けている。

「まだ残ってた……!?」

 ゴルジの爪を危うくかわしながら、シェファがこちらを向こうとしている。彼女の全身で、いくつもの魔石が光を発しつつある。

 自分はまた、シェファに汚れ役を押し付けてしまうのか。

「……駄目だ!」

 リムレオンは叫んでいた。

 鎖鉄球を振るおうとしていたオーガートリスが、いくらか怯んだように動きを止める。

 左右の残骸兵士を、リムレオンは思いきり振り払った。魔法の鎧に貼り付いた触手がちぎれ、痛ましいほど醜悪な2つの肉体が弱々しくよろめく。

 哀れ、という言葉すら空々しくなってしまう、この生き物たちに対し、するべき事は1つしかない。

 それは、リムレオン自身が行うべき事だ。

 自分に出来なくとも、もう1人の自分なら、やってくれる。魔法の鎧の力に溺れていい気になっている、もう1人のリムレオン・エルベットなら。どれほど痛ましい生き物であろうと、ためらいなく片付けてくれる。自分はそれを、面頬の内側から見ていればいい……

「違う!」

 叫びながらリムレオンは、炎の剣を振るった。

 横薙ぎに一直線。燃え盛る斬撃の弧が、2体の残骸兵士を薙ぎ払う。

 魔獣人間を叩き斬った時と比べて、あまりにも弱々しい手応えを、リムレオンはしっかりと握り締めた。

「戦っているのは、僕だ……殺戮をしているのは、この僕なんだ……」

 残骸兵士が2体、リムレオンの左右で、ほぼ真っ二つになりながら炎に包まれ、焦げて崩れて灰となり漂う。

 魔法の鎧にまとわりつく遺灰を振り払わず、リムレオンは炎の剣を構え直し、言い放った。

「もう1人の僕なんて、いないんだ……!」

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