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第27話 救世主ゴルジ・バルカウス

 こうして見ると、リムレオンはずいぶんと痩せた。

 元々か弱い若君が、ブレン兵長にしごかれ鍛えられ、たくましくなるどころかゲッソリと肉が落ち、余計に細く弱々しくなってゆく一方である。シェファには、そのようにしか見えなかった。

(そりゃ、肥満は論外だけど……)

 そんなリムレオンが、剣を構えている。訓練用に刃引きされたものではない、当たれば斬れる本物の長剣だ。ブレン兵長の持ち物の1つで、魔法の鎧を着ていない生身のリムレオンには今ひとつ似合わぬ得物である。

「さあ若君、どこからでも斬り掛かって来られませい。シェファ、お前もだ。いつでも殴り掛かって来るがいい」

 ブレンが、リムレオンとシェファ両名に向かって、下から上へと手招きをした。それぞれ長剣と魔石の杖を構えた少年少女に対し、この兵長は素手である。背中に大型の戦斧をくくり付けてはいるが、訓練で振るうつもりはないようだ。

 早朝。ゼピト村の広場の片隅を借りてブレンとリムレオンは、城にいる時と同じような訓練を始めていた。そこに今日は、シェファも参加させてもらっている。攻撃魔法兵士として、ではない。魔石の杖を殴打用の武器として扱う、白兵戦の訓練である。

 魔法の鎧を装着すれば、どうしても白兵戦の機会が増える。

 攻撃魔法にばかり頼った戦い方では、昨日のように、魔力を収束している間に敵の攻撃を喰らってしまうのだ。

 巨大な鉄球を思いきり喰らわされた、あの衝撃を、シェファは思い返した。

 痛くはなかった。痛みなど感じる前に、全身の感覚そのものを破壊されてしまったかのようだった。

(駄目、あんなんじゃ……リム様の足、引っ張るだけ……!)

 魔石の杖をグッ……と強く握り込み、構え、ブレン兵長を睨み据える。

 隙だらけ、に見えた。

 何の武器も持っていない両腕をいくらか広げ、ブレンは無造作に立っている。

 獅子のタテガミを思わせる頭髪と髭に囲まれた顔は、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべており、その笑顔を断ち切るように走った傷跡を不敵に歪めている。

 対するリムレオンは、緊張しているようだ。抜き身の長剣を構えたまま、微動だにしない。

 いや、微かに震えている。

 可愛らしい顔は引きつり、強張り、青ざめてすらいた。

 長剣1本くらいでは戦力差の埋まらぬ相手に、リムレオンはすでに気迫で負けている。

(いつもそうやって……リム様の事いじめてっ!)

 心の中で怒り叫びつつ、シェファは踏み込んだ。振り上げた魔石の杖を、兵長の不敵な横面に思いきり叩き込む……

 その瞬間、わけがわからなくなった。何が起こったのか、何をされたのか、シェファはすぐには把握出来なかった。

 わかるのは、凄まじく痛い、という事くらいである。

「痛……ったたたたた!」

 ブレンの力強い手が、シェファの細腕を容赦なく掴み、捻り上げていた。

 魔石の杖が地面に転がっているが、それを拾い上げる事も出来ない。

「いっ痛いッ、痛いぃ! 痛いよォーッ!」

「シェファ……!」

 泣き叫ぶシェファを助けるべく、リムレオンが踏み込んで来てくれた。素手のブレンに対し、ためらいなく長剣を突き出す。

 かわそうともせずにブレンは、シェファの腕にさらなる微かな捻りを加えた。

「いっ…………ッッ!」

 激痛に操られるようにシェファの身体は勝手に動き、ブレンとリムレオンの間で立ちすくんだ。楯、の格好である。

 ブレンを狙って突き込まれて来た長剣が、シェファの胸に触れる寸前で止まった。リムレオンが、辛うじて止めてくれた。

 息を呑んでいる若君をシェファの肩越しに見据え、ブレンは言う。

「こういう手を使う輩も当然おります。お気を付けなされ」

 突然、シェファの腕から痛みが消えた。ブレンが手を離したのだ。

 まるで放り捨てられたように解放され、よろめきながら、シェファは見た。

 ブレンの左足が跳ね上がり、リムレオンの腹にズン……ッと突き入れられる様を。

「うぐぅ……え……っ」

 後方に吹っ飛びながらリムレオンは細身を折り曲げ、腹を抱えるようにして倒れ込んだ。

 その様を、ブレンが満足げに見やっている。

「当たる瞬間に後ろへ跳んで、直撃を殺す……ようやく出来るようになりましたな、若君」

「……それでも、充分に痛いですが」

 倒れたリムレオンが、しかし意外に平気な様子で、上体だけを起こす。地面に座り込んだ格好となった。

 シェファは恐る恐る、声をかけた。

「大丈夫……なの? リム様……」

「大丈夫、我ながら上手く避けたよ。ブレン兵長の蹴りがまともに入ったら、僕なんか生きてはいないさ」

 尻餅をついたまま、リムレオンが微笑む。

 シェファは、捻られていた腕を軽く動かしてみた。痛みもなく、普通に動く。あの激痛が、嘘のように消え失せている。

 シェファは思わず、ブレンを見つめた。この兵長は昨日のように、たやすく人の腕を折る事が出来る。一方このように、ただ痛みを与えるだけの捻り方も自在に出来るのだ。

 おまけに、生身で魔獣人間と戦える。

 シェファは溜め息をついた。半ば、呆れていた。

「あたし思うんですけど……ブレン兵長が魔法の鎧を着たら、最強なんじゃないですか? そりゃもう、あたしもリム様も要らないくらいに」

「……そう見えるか?」

「見えますとも」

 答えたのは、地面に座り込んだままのリムレオンだ。

「……試してみませんか? ブレン兵長の、魔法の鎧姿。僕は見てみたい」

 己の中指から、竜の指輪を抜き取ろうとするリムレオン。ブレンは片手を上げ、それを止めた。

「やめておきましょう。その力、私にはふさわしくない」

「努力をしないで強くなってしまうような力は……やっぱり、許せませんか?」

「そうではありませんよ若君。軍人や戦士といった人種は、とにかく力を求めるものです。面倒な修行鍛錬もなしに強くなれる力なら、むしろ喉から手が出るほど欲しいところ……私はね、強くなれるのなら魔獣人間になっても良いとすら思っているのですよ」

 ブレン兵長が魔獣人間となったら、それこそ魔法の鎧の1つや2つではどうにもならぬ怪物が出来上がるだろう。

「そのような私が魔法の鎧など身に着けたら、間違いなく力に溺れて何かろくでもない事をやらかします。あのダルーハ・ケスナーのように」

 力に溺れる、という感覚が、シェファには今ひとつ理解出来なかった。

「魔法の鎧の力は、若君が責任を持って管理なさるべきです。シェファ、お前もだぞ。魔法の鎧に振り回されない程度には、強くなってみせろ」

「……今のあたしじゃ、全然駄目ですか」

 確かに全然駄目なのだろう、とシェファは思った。

 リムレオンは先程、シェファを楯にされて動きを止め、ブレンに蹴り飛ばされた。

 今のお前は若君の足を引っ張る存在でしかないと、ブレンは言葉ではないもので教えてくれたのだ。

「やあ、お客人方。精が出ますのう」

 広場を通りかかった何人かの村人が、声をかけてきた。皆、農具を携えている。早朝の農作業に、これから向かうところか。終えて帰って来たところか。

 先程のシェファの無様な悲鳴も、この農夫たちに聞かれてしまったであろうか。

 シェファの代わりに、ブレンが詫びた。

「朝早くからお騒がせして、申し訳ない」

「何の何の。あんた昨日、あのクソッたれなマルズの野郎を痛めつけてくれたんだってなあ」

「久しぶりにスカッとする話を聞いたもんだ……何しろ嫌な話ばっかりだからなあ、ここ最近のサン・ローデルは」

 この村人たちの中にも、いるかも知れない。息子や娘や兄弟を、残骸兵士に変えられてシェファに殺されてしまった者が。

「その嫌な話というのは……御領主のバウルファー侯が人狩りをしておられるという?」

 ブレンは訊いた。少し情報を集めてみるつもりのようだ。

「うん……実は俺の甥っ子も、こないだ連れて行かれちまってな」

 その甥御も、ここにいる攻撃魔法兵士の少女によって、すでに殺されているかも知れない。

「無事でいてくれると思いたいが……どうだかなあ」

「……連れ去られた人々が、どこでどのような扱いを受けているのかは、何かご存じであろうか」

 残酷な質問だとわかっていながら、ブレンは口にしているようである。

「あんた、もしかして、さらわれた連中を助けてくれようってのかい?」

 村人の1人が、ブレンの太い腕を馴れ馴れしく叩いた。

「やめとけ。あんた確かに強そうだが、ここの領主はバケモノを何匹も飼ってやがるんだ」

 その化け物が具体的にあと何体くらいいるのか、を知る事が出来れば最良なのだが。

「なあに、あとちょっとの辛抱だ。もう少しすれば、女王陛下が何とかして下さるさ」

「そうだな。バルムガルドの連中も追い払った事だし」

 村人たちが、楽天的な事を言い始める。

「ダルーハもやっつけた、あの女王様なら、領主んとこのバケモノどもくらい何て事ないさ」

「そうだな。本当に……あと少しの、辛抱なんだ」

 否。楽天的と言うより、もはや女王にすがりつくしかないところまで、この村人たちは追い詰められているのだ。

 女王エル・ザナード1世はすでに手を打っている、とは言える。

 リムレオンに魔法の鎧を与え、人間ではない者どもと戦うように仕向けた。結果こうしてサン・ローデルの領民を救いに来る事にもなった。

 リムレオンがこういう無茶をする事を知った上で、あの女王は、竜の指輪を持ってメルクトを訪れたに違いないのだ。

(……そのくらい腹黒じゃなきゃ、きっと務まんないのよね。女王様ってのは……)

 思いつつもシェファは、己の腹の中でも何やらドス黒いものが渦巻いているのを自覚した。

「リムレオン様ぁ」

 柔らかな足音と共に、声が聞こえた。

 唯一神教の法衣をまとった1人の少女……エミリィ・レアが、いそいそと走り寄って来る。

 腹の中のドス黒いものが、さらに激しく渦巻き燃え上がるのを、シェファは感じた。

 そんな少女の醜い心根に気付くはずもなくエミリィが、無邪気に声をかけてくる。

「ブレン兵長にシェファさんも。そろそろ朝ごはんの支度が」

「おお、エミリィじゃないか。帰って来てたのか」

 村人たちが懐かしげに、エミリィを囲んだ。

「昨日、帰って来たとは聞いてたが。いやあ懐かしいなあ」

「3年ぶりか? 北の方は大変なんだってなあ」

「はい。いろいろあって……逃げ帰って来ました」

 エミリィが頭を下げた。

「ごめんなさい、昨日のうちに御挨拶出来れば良かったんですけど……昨日もまた、いろいろあって」

「知ってるよ。マルズのくそ野郎が、また絡んで来やがったんだってなあ」

「こちらの御方が、あのクソッタレ野郎をぶちのめしてくれたんだろう? いやあ世の中まだまだ捨てたもんじゃないな」

「はい、昨日は本当に、どうもありがとうございました」

 こちらに向かってペコリと礼儀正しく頭を下げながらエミリィは、地面に尻餅をついたままのリムレオンに気付いたようだ。

「リムレオン様……どうかなさったんですか? お身体の具合でも」

「ああ何でもない、全然大丈夫だから。ね? リム様」

 歩み寄り助け起こそうとするエミリィを、シェファは明るい大声で遮った。腹の中で燃え盛るドス黒いものは、無理矢理に抑え込んだ。

 そうしながら、リムレオンの片耳をつまんで引っ張る。

「ほらぁ大丈夫なんだから自力で立たないと駄目でしょう? まったくリム様ってば、女の子に甘えるのが上手いんだからっ」

「いっ痛いよシェファ。立つから、ちゃんと立つから」

「あ……あのシェファさん、乱暴な事は」

「大丈夫よエミリィさん。ちょっと乱暴にしたくらいじゃリム様、壊れないから。鍛えてるもん。ね? ブレン兵長」

「いくら身体を鍛えたところで、女難の苦労まで凌げはしないが……」

 ブレンは苦笑し、話題を変えた。

「……それよりエミリィ殿。今の話を聞いて気になったのだが、北の戦災地から1人で歩いて帰って来たのか? この時勢に、若い娘が」

「あ、いえ、腕の立つ剣士様が1人おられまして。傭兵としてローエン派に力を貸してくれていた方なんですが、その人があたしを護衛して、ゼピトの近くまで一緒に来てくれたんです」

「ふむ、ローエン派が傭兵を雇うか。復興が進んでいるとは言え、北も決して情勢が安定しているわけでは……」

 言いつつブレンは、厳つい表情を緊迫させた。

 何者かが襲って来たのだ、とシェファは思った。同じような事が昨日もあった、とも思った。

「危ない!」

 叫びながらブレンが、鬼気迫る表情で突進して来る。

 猛然たる体当たりが、シェファを、エミリィとリムレオンを、まとめて突き飛ばした。

 それまで3人が立っていた辺りで、爆発が起こった。大量の土が、火柱と共に噴き上がる。

 何者かによる攻撃魔法。それから、ブレン兵長は自分たちを守ってくれたのだ。

 それは良いとして、エミリィとリムレオンが重なり合って倒れ込んだ。リムレオンが下になって、女の子を抱き止めてあげている感じである。

 抱き止められたエミリィの身体が、少年の上に柔らかくのしかかる。法衣に包まれた胸が、リムレオンの可愛い顔をムニュッと圧迫している。

(あれ……あたしより、大きい……?)

 ドス黒いものを相変わらず腹の中で燃やしながらシェファは、少し離れた所に1人で倒れ込みつつ、身を起こした。

 重なり合った少年少女も、起き上がっている。

「あ……ご、ごめんなさい! リムレオン様」

「……僕は、大丈夫だから。それより君は」

 大丈夫かい? などと言いかけたリムレオンの、耳ではなく頬を、シェファは思いきりつまんで引きずり起こした。妬ましくなるくらい、滑らかで柔らかな頬である。

「い、痛いよ、ひぇふぁ……」

「ちょっとブレン兵長、わざとやってるんですかっ!」

「何の話だ。それより敵が来たぞ」

 少年1人と少女2人を背後に庇い、ブレンは戦斧を構えている。

 確かに、敵としか言いようのない者たちが、広場に歩み入って来てはいた。

 3つの人影。

 うち1つは、すでに人間の姿を脱ぎ捨てている。頭に鶏冠を立て、全身の羽毛の所々から岩のような筋肉を露出させた大男。右肩に、鎖鉄球を担いでいる。

「アサド……」

 エミリィが小さく、名を呼んだ。

 アサド……魔獣人間オーガートリスは、何も応えない。

 とりあえず人間の姿をまだ保っている残り2名のうち、片方は軍装をまとった兵士である。明らかに正気を失った表情で、何やらブツブツと呟いている。

 昨日エミリィの両親の墓前でブレンに腕を折られた、マルズとかいう名の隊長だ。折られた右腕は治療を受けた様子もなく、だらりと垂れ下がっている。

 3体目の人影が、そんなマルズに片手の親指を向けた。枯れ枝のような指だ。

「一夜漬けの急ごしらえ、にしては上出来の仕上がりであると自負しておる」

 ローブに身を包んだ仮面の男、ゴルジ・バルカウスである。今の攻撃魔法は無論、この男の仕業であろう。

「だが、このような者は問題にならぬほど……やはりブレン・バイアス兵長、貴公は素晴らしい素材だ。私の下へ来い、そして最強の魔獣人間となるのだ。それに魔法の鎧をまとう者たちよ、お前たちも私と共に戦え。これが最後通告だ」

 ゴルジが何やら焦っている、ようにシェファには思えた。

「共に戦ってくれぬとあらば……我々は貴殿たちを、この場で皆殺しにしなければならぬ」



「ひいぃ……ば、バケモノ……」

 村人たちが腰を抜かして尻餅をつき、怯え始める。

 同じく怯えつつも座り込んだりはせずに、エミリィが声を発する。

「ま、待って下さい。あれは化け物じゃなくてアサド……」

「余計な事を言うな、エミリィ」

 魔獣人間オーガートリスが、少女の言葉を断ち切って言う。

「説得なんか無駄だぜゴルジ殿……って言うか、戦わなきゃ俺が手柄を立てられないだろうが」

「……聞いての通りだ、メルクトの若君。こやつは貴公らを倒す事で私に気に入られ、この村を守ろうとしておる」

 魔法の鎧の装着者を討ち取れば、お前の村には今後一切手を出さない。などとアサドは言われているのであろうが、このゴルジという男が果たしてそんな約束を守るだろうか。

「もしも貴公らがこの私に味方してくれるのであれば、我らは今後一切この村には……そしてメルクト地方にも手は出さぬ。若君よ、貴殿が我々と戦うのは要するにメルクトの防衛が目的であろう? その目的が、戦う事なく果たされるのだ。悪い話ではあるまい」

「仮にお前がその約束を守って、メルクトに手を出さなくなったとしよう……メルクト以外の、どこに手を出すつもりだ?」

 会話の相手をしながらリムレオンは、右拳を握った。

 中指で、竜の指輪が光を発した。

「どこであろうと、お前のくだらない実験や研究のせいで人が死ぬ。それを見過ごせると思うのか」

「メルクトの若君が、メルクト以外の地を……よもや王国全土を守ろうなどという気になっているのではあるまいな」

 ゴルジの仮面、その視界確保用の裂け目から、邪悪な眼光が漏れた。

「……いささか思い上がってはおらぬか、若造」

「力があるなら戦うしかない。それを思い上がりと言いたければ言え。何もしないよりは、ずっとましだ」

「共に戦え、とか言ってたわよねゴルジさん」

 シェファが、会話に加わってきた。

「何と戦うつもりなのか、ちょっと興味本位で聞いてみたいんだけど」

「若い者たちは知らぬか。このヴァスケリアという国はな、人間ではない者どもに魅入られておるのよ。20年前からな」

 赤き竜、の話をゴルジはしているようだ。

「ブレン・バイアス殿。貴公ならば、おわかりであろう……思わぬか。あの頃、王国軍に魔獣人間という戦力があれば、赤き竜にあそこまでの暴虐を許す事はなかったと」

「…………」

 ブレンは応えない。

 ゴルジは、調子に乗ったかの如く語り続ける。

「幸いにして赤き竜は滅びた。が、その配下であった魔物どもの勢力が、この世から一掃されたわけではない。ダルーハ・ケスナーの死後、あやつらが勢いをむしろ取り戻しつつある事は、おぬしらも薄々は感付いていよう」

 ある1つの名前が、リムレオンの脳裏に甦った。

 竜の御子。

 メルクトに現れた魔物たちが口にしていた、どこか禍々しい固有名詞。

 勢力を取り戻しつつある魔物たちの、恐らくは元締めのような存在。

 それに関して、このゴルジという男は何か知っているのであろうか。だとしても友好的に聞き出してみようという気に、リムレオンはなれなかった。

「私はな、見てしまったのだよ。貴殿らの魔法の鎧、それに私の魔獣人間、とにかく人間のあらゆる叡智と可能性を開花させねば対抗し得ぬ、恐るべき怪物をな……あのようなものが現れてしまった以上、もはや一刻の猶予もない。我らが争っている場合ではないのだよ若君、王国全土を守ろうとするならば私に協力しろ。赤き竜の再来とも言うべき事態が、ヴァスケリアのみならずバルムガルドその他近隣諸国をも襲いつつあるのだ。人間という種族そのものが、人ならざる者どもによって存亡の」

「……もういいだろう、シェファ」

 聞くに耐えず、リムレオンは言った。

「この男の話をいくら聞いても、僕たちはきっと何一つ理解出来ない」

「あたしは、もうちょっと聞いていたいんだけどなあ。面白いし」

 言いながらもシェファは、己の眼前で軽く右手を揺らめかせた。愛らしい中指にはまった竜の指輪が、キラキラと青い光をこぼす。

「お茶でも飲みながらの、無駄話の種くらいにはなりそうじゃない? ならないかな」

「貴様ら……」

 ゴルジの両目が仮面の内側で、怒りの眼光を燃やす。

「……なあゴルジ殿。確かに俺は、力を得るためなら魔獣人間になってもいいと思っている」

 ブレンが言った。

「貴様のような輩を、この世から消し去る……そのための力が手に入るのならな」

「……交渉は決裂、というわけだな。愚か者どもが……!」

 言葉に合わせ、ゴルジの細身がメキッ! と痙攣する。

 竜の指輪を右拳で輝かせながら、リムレオンは言葉を返した。

「何が交渉だ。お前の誇大妄想を、僕たちが一方的に聞かされただけじゃないか」

「若造……ッッ!」

「僕たちは、お前が何をしているのかを知っている……」

 あの残骸兵士たちの、痛ましいほど醜悪な姿が、リムレオンの脳裏に甦る。

 右の拳で竜の指輪が、白い輝きを増してゆく。

「充分に、見せてもらった。くだらない話も聞いた……あとはゴルジ・バルカウス、お前をこの世から消すだけだっ」

 白く輝く右拳を、リムレオンは地面に叩き付けた。

 青く輝く右手を振るい、シェファが細身を翻す。

「……武装転身!」

「武装、転身……」

 2人の声が重なり、2色の光が少年少女を包み込む。

 リムレオンは白、シェファは青。

 それぞれ魔法の鎧を装着し、人間ではない者たちと対峙した。

「ふん……そう来なくっちゃな」

 オーガートリスが、鎖を鳴らしながら言う。

「物事ってのは結局、戦って解決するしかないんだよなあ……人間やめちまうと本当、それがよくわかるよ」

「そうだ……俺は、人間ではなくなった……」

 ブレンに折られた腕をぶらぶらさせながら、マルズがようやく聞き取れる声を出した。

 どんよりと濁った、ギラギラと血走った目が、ブレンに向けられる。

「貴様だよ……貴様が、俺から奪ったのだ……人間として栄達する道を、俺から貴様がああああ!」

 折れたはずの腕が、ブラブラと激しく揺れながら跳ね上がり、メキッ! と異形化した。

 指が、伸びた。

 マルズの右手の五指が、蛇あるいは鞭のように伸びつつ高速でうねり、ブレン兵長に襲いかかったのだ。

 ブレンは避けず、1歩ずしりと踏み込みながら戦斧を振るった。

 兵長の周囲5ヵ所で、衝撃が弾けた。

 大型の戦斧が一閃し、マルズの五指を全て切断していた。飛び散ったのは、しかし人間の指ではない。

 木の枝、いや根であろうか。

 マルズの右腕は、木製の義手と化していた。叩き斬られた五指が、しかし即座にニョキニョキと生え変わり、空中をうねる。5匹の蛇のように揺らめく、木の根。

 木製の義手ではなく、腕そのものが樹木と化しているのだ。根を蠢かせて人を襲う、自然ならざる樹木。

 そんなものに右腕を変化させたマルズを、ブレンが笑う。

「……良かったな、骨折が一晩で治ったようではないか」

「疼く……貴様に折られた、この腕が……うぐごごごごぁあああああああ」

 右腕だけではなく、マルズの右半身が軍装を破り、皮膚を樹皮に変えてバキバキと盛り上げてゆく。

 一方、左半身は見る見るうちに腐敗し、ただれた皮膚と肉が混ざり合ってグジュグジュと音を発する。

 顔面も、右半分が樹皮に覆われて木製の仮面のようになり、左半分は腐り溶けて眼球や歯が剥き出しとなった。

 そんな顔面が、どうにか聞き取れる人語を発する。

「貴様は殺す! 俺をバカにしている、この村の者どもも殺す! どいつもこいつも引き裂いてブチまけてくれるぁあ! この魔獣人間グールトレントがなぁああああ」

「……なあゴルジ殿。この戦いが終わったら、まずこの野郎を真っ先にぶっ殺させてもらうぜっ」

 言いながらオーガートリスは、まずこの戦いを終わらせるべく、こちらに向かって左手を振るった。

 何本もの、白い短剣のようなものが投擲された。石化能力を有する羽。

 それらがリムレオンの全身に突き刺さる寸前、シェファが魔石の杖を振るっていた。

 青く華奢な、魔法の鎧。その所々にはめ込まれた幾つもの魔石が、赤い光を発する。

 炎が出現し、リムレオンを取り巻いてゴォオッ! と渦を巻いた。

 飛来した白い羽が、全て焼き払われて焦げ砕けた。

「リム様、剣を抜いて」

 渦巻く炎に護衛されたままリムレオンは、シェファの言葉に従い、魔法の剣を抜いた。

 防壁の形に渦巻いていた炎が、リムレオンの周囲から、その抜き身の刀身へと流れ込んで行く。

「それなら、あいつを叩ッ斬っても、剣が石になったりする事はないから……」

「……ありがとう、シェファ」

 松明の如く炎をまとった魔法の剣を、リムレオンはオーガートリスに向かって構え直した。

 もう1体の魔獣人間グールトレントとは、ブレン兵長が対峙している。

 成り行き的にシェファが、ゴルジと向かい合う形となった。

「猪口才な小娘がぁあ……ッッ!」

 ゴルジの全身でローブがちぎれ、その下から甲殻がメキメキッと盛り上がって来る。仮面が割れ、牙を剥いた頭蓋骨が露わとなる。

 眼窩の奥で炯々と光を燃やす、巨大な人型の甲虫。そんな奇怪なる正体を現しながら、ゴルジが叫ぶ。

「刃向かうと言うのだな! 人間という種族そのものを救わねばならぬ、この私に! それは結果として、あの凶猛なる赤き魔物に味方し、災禍の片棒を担ぐ事となるのだぞ! それがわからぬ愚か者どもがああああああああ!」

「お前の味方をして、おぞましい研究やら実験やらの片棒を担ぐよりはましだ……そろそろ黙れ、ゴルジ・バルカウス」

 言いながらもリムレオンは、赤き魔物とやらが何者なのか、気にならない事もなかった。

 が、それを友好的に聞き出してみようという気には、やはりならなかった。

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