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第26話 魔将軍の胎動

 4万の軍勢が、全滅したわけではない。実際に殺された兵は、2000か3000といったところだ。

 それだけ殺されれば充分だった。

 たった1人の敵に……と言うより、たった1匹の怪物に、3000人近くが虐殺されたのである。

 総司令官であるレボルト・ハイマン将軍が退却命令を下す前に、バルムガルド軍は総崩れとなった。

 あの時、ヴァスケリア軍がガロッグ城塞から打って出て、追撃を仕掛けて来ていたら、犠牲は3000では済まなかっただろう。

 敵将ラウデン・ゼビル侯爵がその命令を下さなかったのは、ヴァスケリア軍にとっても想定外の事態であったからに違いない。それがバルムガルド軍にとって、不幸中の幸いと言えない事もなかった。

 とにかく、逃げた。

 退却などという格好の良いものではない。逃走、あるいは敗走だ。

 敗走し、辛うじて生き残った兵士たちは、死人のように青ざめ、あるいは起きながら悪夢を見ているかの如く視線を宙にさまよわせ、弱々しく隊伍を組んでよろめき歩いている。バルムガルド王都ラナンディアへと向かってだ。

 まるで亡者の行進だ、とレボルト将軍は思った。生き残った兵士たちは1人の例外もなく、生きながら死んだようなものだ。

 そんな亡者の行軍を馬上から指揮しながらレボルトは、あの戦とも呼べぬ戦を思い返してみた。

 思い返すほどのものなど、何一つなかった。

 怪物が現れ、バルムガルド軍兵士を大量虐殺した。ただそれだけである。

 レボルト・ハイマン。42歳。その人生の半分以上を、軍人として過ごしてきた。

 兵を指揮する身分となってからは、戦で負けた事がない。人間相手の戦ならばだ。

「どうしろと言うのだ、あのようなものを相手に……」

 レボルトは、呆然と呟いていた。

「どのように用兵し、いかなる戦術を組み立てろと言うのだ……」

 戦とは、数の力をいかに巧みに用いるかが全てである。

 数の力こそが最強であり、それを上回る個体の力など、あるはずがないのだ。あってはならないのである。

 あってはならないはずのものが今日、いきなり天空より舞い降りて、バルムガルド軍を直撃した。

 数の力を圧倒する、個体の暴力。戦術兵法の類が一切、通用しない怪物。

「終わった……終わったよもう、俺らの国……」

 声が聞こえた。

 ぶつぶつと何事か呟きながら歩いていた兵士の1人が、その呟きを叫びに変えていった。

「あのバケモノが、今度はバルムガルドに攻め込んで来る……殺される、みんな殺されちまう! 俺の親父もおふくろも、女房もガキどもも! みぃんなブッ殺されちまうグチャッてビチャアッてブチブチッてドグシャアアアアごぶっ」

 レボルトは即座に馬を駆って剣を抜き、その兵士を斬り殺した。こういう狂気というものは、放っておくと他の兵士にまで伝染しかねない。

 叫んでいた兵士が、もの言わぬ屍となって倒れる。

 他の兵士たちは相変わらず、青ざめ呆然としたまま、その屍を踏み越えて歩き続ける。

 亡者の行進は続いた。

 あの赤い怪物は、3000人近い兵を殺戮しただけではない。こうして生き残り逃げ延びた兵士全員を、生ける屍に変えてしまった。この兵士たちは当分、戦の役には立たないだろう。

 形としては、バルムガルド軍の大敗である。

 両国の民は、そのようにしか見ない。怪物が現れてヴァスケリア軍に味方した、などという言い訳を、聞いてくれる者はいないだろう。

 戦に負けた。バルムガルドの将軍レボルト・ハイマンは、4万の大軍を率いながら、1万にも満たぬヴァスケリア軍を相手に大敗を喫した。そういう事にしかならない。

 シーリン・カルナヴァート元ヴァスケリア王女を擁立し、こちらこそが正当なる女王であると声高に叫んだところで、戦に負けてしまえば意味はないのだ。大義名分とは、勝った戦にこそ正当性を与えるものなのだから。

 ヴァスケリア国内の唯一神教ローエン派を、かなりの金で飼い馴らしてはある。そちら方面から政治的に、地道に陰湿に、女王エル・ザナード1世の政権を攻撃する。バルムガルドがヴァスケリアに対して行える事は、当面それしかなくなってしまった。

 それとて、あの怪物が一暴れしてローエン派を皆殺しにしてしまえば終わりである。

 怪物に対しては、人間が用いる政治的策略など、全く意味を成さないのだ。

「エル・ザナード1世女王が、魔物を飼っているという噂……どうやら本当でしたな」

 声がした。

 騎馬のレボルトを護衛する形に徒歩で隊列を組んだ、将軍直属の歩兵隊。そこに歩兵ではない者が1人、いつの間にか混ざっていた。

 攻撃魔法兵士のようなローブに身を包み、顔面には仮面を貼り付けた、奇怪な男。

「ゴルジ・バルカウス……貴様、いつからそこにいた?」

「その気になれば私はいつでも、どこにでもおります」

「……わざわざ、私を嘲笑いに来たのか」

 少しでも気を抜くと怒声になってしまいそうな声で、レボルトは呻いた。

「さぞかし勝ち誇っておろうな? 出撃前に貴様が言った通りになったわ。ヴァスケリアという国は、20年前から人ならざる者どもに魅入られている……怪物によって守られた国であるから、うかつに攻めるのはやめた方が良い。などと」

「勝ち誇っている場合ではございませぬ。かの女王が陰で使役している噂の怪物、1度は見てみたいなどと呑気な事を私も考えておりましたが……よもや、あれほどのものとは」

 陰気くさい仮面の男が、さらに陰気な声を発している。

「少なくとも1度は、はっきりと申し上げておきますぞ将軍。この度の侵攻への正当なる報復措置と称して、エル・ザナード女王があの怪物を引き連れ、攻め込んで来たら……我が国は、滅びます」

「20年前のヴァスケリアと、同じような事になるわけだな」

 あの頃のヴァスケリアは、赤き竜によって滅びの寸前まで追い込まれていた。寸前で滅びを免れたのは、英雄ダルーハ・ケスナーの偉業によるものである。

 バルムガルドに、ダルーハはいない。

 あの赤い怪物と戦えるような英雄が、都合良く現れてくれるはずもない。

 そこまで考えてレボルトは、ある事に思い至った。

「ダルーハ・ケスナーの叛乱を鎮圧したのはエル・ザナード女王自らの手によってである、とヴァスケリア人どもは喧伝しているようだが」

「十中八九、あの赤き怪物でございましょう。ダルーハを討ち取ったのは」

 確信を込めて、ゴルジは言った。

「女王の切り札というわけですな」

「……一体何なのだ、あれは」

 もはや、このゴルジのような魔道の者の知識に頼るしかないのかも知れなかった。

「貴様が常日頃言っている、魔獣人間というものか?」

「現時点では何とも……ただ魔獣人間でなければ、あれと戦う事など出来はしません。それだけは確かです」

 この男の言いたい事は、レボルトにもわかっている。

 馬鹿げた事だ。

 たちの悪い夢物語としか思えないような事を、このゴルジという男は考えている。

 今はしかし、その夢物語に可能性を見出すしかないのであろうか。

「……魔獣人間の製造に、ぜひともレボルト将軍のお力添えを」

「貴様の馬鹿げた研究に、国の金を注ぎ込める環境を作る……その手助けをしろというわけか」

 この戦が始まる前であったら、一笑に付していた話である。

「無論それが理想ではありますが、とりあえず現段階においては……私が行ういくつかの事に対し、見て見ぬふりをして下さるだけで充分でございます」

「貴様……我が軍の兵士を、魔獣人間とやらの実験に使うつもりか」

 馬上からレボルトは、亡者の行軍そのものの兵士たちの有り様を、ちらりと見渡した。

 兵としては使い物にならなくなってしまったこの者たちを、人間ではない兵として再生させる。それも1つの手段であろうか。いや、あの怪物と戦う、もはや唯一の手段と言うべきか。

 どれほど精強であろうと人間の兵隊では、あの赤い魔物に傷を負わせる事すら出来はしないのだ。

「怪物には怪物でございます、将軍」

 仮面の内側で怪しく眼光を燃やし、ゴルジは言った。

「いかにおぞましい形であれ、何かしらの結果をお出しになる事です。そうすれば陛下も、将軍をお認め下さいます」

「陛下が……」

 バルムガルド国王ジオノス2世は、こうして無様な敗北を喫したレボルトを、果たして許すであろうか。

 ダルーハ・ケスナーの叛乱の際も、ヴァスケリア救援の名目でバルムガルドは3万もの大軍を派遣した。そして負けた。ダルーハ配下の猛将ドルネオ・ゲヴィンの卓抜した武勇と用兵によって、3万ものバルムガルド軍は大いに翻弄されたのだ。

 あのドルネオ・ゲヴィンも実は人間ではなかった、などという不確かな噂が流れたが、その真偽が判明する前にダルーハ軍は滅び、ドルネオ本人も死亡した。それもやはり、エル・ザナード女王の切り札たる赤き怪物の仕業なのであろうか。

 ともかく。あの時バルムガルド軍3万を率いていた将軍は、ジオノス2世に死刑を宣告され、獄中で自害した。

 同じ罰が、レボルトにも下されるかも知れない。命は助かるにしても、将軍という地位にいられるかどうか。

「……ゴルジよ、私は戦に負けたのだ。貴様のやる事を見て見ぬふりして黙認出来るような地位になど、いられるかどうかわからんのだぞ」

「御心配なく。ジオノス2世王は英明なる御方……この度の敗戦、レボルト将軍が責めを負うべきものであるのか否か。そのあたりの事は、おわかりになりましょう」

「負けは負けだ。いきなり怪物が現れたなどと、言い訳にもならぬ」

「不可抗力というものございますよ。その不可抗力に、抗するためにも」

 魔獣人間が必要だ、とゴルジは言いたいのであろう。

 確かに、あの赤い怪物がバルムガルドに攻め込んで来たら、現時点では打つ手がない。

 人間の軍隊で防げるものではない以上、人間ではない戦力を作り上げておく必要がある。のかも知れない。

 それがジオノス2世に認められたら、どうなるか。ゴルジによる魔獣人間造りが、国の援助を得て大々的に行われるようになったら。

 そしてそれが軌道に乗り、人間ではないものたちによって軍と呼べるようなものが構成されるほどになったら。

(人間の軍は、必要とされなくなる……)

 心を折られて生ける屍となった、この兵士たちだけではない。レボルトのような将軍もまた不要となる。

 戦術戦略を必要としない怪物たちによって、国同士の戦が行われる事となる。

(わかっておるのかエル・ザナード1世。人間ではないものに戦を一任するという事は、いずれは戦以外の分野も、そやつらに乗っ取られてしまうという事なのだぞ)

 戦を担当する怪物たちが、戦の出来ない人間たちを、やがて暴力で支配するようになる。人間が、それに対抗する事は出来ない。なにしろ戦いが出来ないのだから。

 だが今は、そんな遠い未来の事よりも、隣国に存在して目前の脅威となっている赤き魔物を、どうにかしなければならない。

 ほんの一瞬だけだが深く、本当に深く、レボルトは思案した。そして言った。

「ゴルジよ、貴様のやる事を見て見ぬふりして黙認してやる。役立たずとなったこの兵隊どもを、魔獣人間にでも何でもするがいい……ただし1つ、条件がある」

「うかがいましょう……」

「貴様の馬鹿げた研究と実験には、まず最初に私を使え」

「ほう」

 仮面の下からゴルジが、ギラリと強く、眼光を向けてくる。

 馬上から睨み返し、レボルトは言った。

「あの赤き怪物めに勝てるのならば、人間である事になど未練はない……この私を、魔獣人間とやらにして見せろ」



 東国境でヴァスケリア軍が大勝した、という話は、その日のうちに王国全土を駆け巡った。

 国境のガロッグ城塞を2000の兵力で守っていたラウデン・ゼビル侯爵に、女王エル・ザナード1世自らが率いる王国正規軍5000が合流し、押し寄せる4万のバルムガルド軍を鮮やかに撃退したのだという。

 いくらか誇張はあるだろうが、勝った事は間違いない。

 人間が引き起こす厄介事を片付ける。女王としての仕事を、ティアンナはきっちりとこなしているという事だ。

 となれば自分としては、人間ではないものたちが引き起こしている厄介事を、早急に何とかしなければならない。竜の指輪を、預かってしまった以上は。

「バルムガルドの人たちはひどいです。ヴァスケリアは今大変な時なのに、それにつけ込んで攻めて来るなんて」

 エミリィ・レアが、悲しそうに憤っている。

「そのせいで、人が……たくさん、死んでしまいました……」

「それが戦争というものだ。敵国が弱っている時に攻め入って、人を大勢殺す。攻め入った方も、大勢死ぬ」

 ブレン兵長が、言いつつ苦笑する。

「戦とは、なりふり構わず人を殺すもの。ローエン派の方々からすれば許せぬ事であろうがな。なかなか人の世からは無くならん、戦というものは」

「……あたしたちも、綺麗事ばかり言っているわけじゃありません。現実はちゃんと見ている、つもりです」

 ゼピト村の、村長の家である。勧められるままリムレオンたちは、ここに今夜の宿を借りる事にしていた。

 エミリィの家は、3年間の留守の間に権利が失われ、他人の手に渡ってしまっていた。彼女も、しばらくは村長が面倒を見る事になるようである。

 揃って先程、夕食を振る舞われたところだ。

 食事の終わったテーブルを囲んでリムレオンたちは今、あまり明るくない会話をしていた。

「それに……今のローエン派に、綺麗事を言う資格はないと思うんです」

 言いながら、エミリィは俯いた。

「いくら人々を救うためとは言っても、あんな……あんな事を……」

「ふむ……復興のための資金がバルムガルドから出ているという、例の噂か」

 ブレンが腕組みをした。

「……だが戦災を被った民衆が、実際にそれで助かっているのだろう? 金の出所はどうあれ、ローエン派の方々は北で立派な事をしていると、俺などは思うのだがな」

「そう思って下さる人は、多いでしょうが……」

 ブレンの言う「立派な事」に耐えられなくなって、エミリィは北の戦災地からサン・ローデルへと帰って来たのだ。

 ヴァスケリア国内のローエン派に、バルムガルド王国が金を流し、復興の手助けをしている。その話は噂として、リムレオンも聞いてはいた。

 何のためにバルムガルドがそんな事をするのかと言ったら、まず第一に、エル・ザナード1世と敵対する勢力をヴァスケリア国内に作り出すため。第二に、人心をエル・ザナード1世から引き離すため。

 言ってみれば、ヴァスケリア侵略併呑のための下準備である。が、この度の大敗によって、台無しに近い状態になったようだ。

 何だかんだと言ったところで結局、戦争に勝つ事で国が守られるのは確かなのだ。

 そこまで考えてリムレオンは、ふと思った。

 今は自分もシェファも、人間ではないものたちとの戦いに専念していられる。だがティアンナが方針を変え、人間相手の戦への参加をリムレオンに命じてきたら。

 人間に対して魔法の鎧の力を振るう事が、自分には出来るだろうか。

 今後バルムガルド軍が勢いを盛り返してヴァスケリア軍を圧倒し、魔法の鎧を戦線投入しなければならなくなるような事態が、起こらないとは限らないのだ。

(お前は、人間相手でも平気で戦うだろうな……もう1人の、僕よ)

 他人が聞いても理解出来ないであろう事を、リムレオンはつい口に出して呟いてしまいそうになっていた。

 魔法の鎧を着て魔法の剣を振り回し、その力に溺れかけているもう1人の自分は、しかし最近はあまり大きな顔をしていない。

 メイフェム・グリム、ゴルジ・バルカウス、それに魔獣人間オーガートリスと、一筋縄ではゆかぬ強敵が続いているからだ。特にメイフェムには、全く歯が立たなかった。

「それに、バルムガルドと繋がってるだけじゃありません。クラバー大司教は、恐ろしい事を……」

 エミリィの声が震えた。

 クラバー・ルマン大司教。現在のヴァスケリア唯一神教会の頂点に立つ人物で、およそ100年ぶりくらいに現れたローエン派の大司教であるらしい。

 その大司教が何か恐ろしい事をしていると、エミリィは言っているようだ。

「いくら人々を助けるためでも、あんな……恐ろしい人と……」

「エミリィ……?」

 村長が怪訝そうな声を出す。エミリィは、黙り込んでしまった。

 無理に話の続きをさせるべきではないかも知れない、とリムレオンは思った。

 このエミリィ・レアという少女は、北で、何かとてつもなく恐ろしいものを見たのだ。

 忘れてしまいたいという思いと、誰かに話したいという気持ちが、彼女の中では、せめぎ合っているのだろう。

 ともかく北で恐ろしい目に遭った少女が、サン・ローデルへ帰って来て、そこでもまた魂が潰れるような目に遭った。

 幼い頃から仲の良かった者たちがいなくなり、その1人が魔獣人間となって姿を現したのだ。

 夕食の席では誰も触れしようとしなかったその事に、今になって触れようとする者がいる。

「……ま、北のお話はとりあえず置いといて。あのアサドって奴の事なんだけど」

 今まで黙っていた、シェファである。リムレオンは思わず慌てた。

「シェファ……!」

「触れないようにしてたって意味ないでしょ。あたしたち、あいつと戦わなきゃいけないのよ?」

 恐いくらいに真剣な目で、シェファが睨み返してくる。

「リム様とあたし、2人がかりでも勝てなかった……あのバケモノと」

 エミリィのいる所で容赦なくシェファは、そんな事を言っている。

「ねえ村長さん。あのアサドって奴、親御さんとかはいますか? この村に」

「……おりません。父親も母親も、アサドを助け出し連れ戻そうとして、領主様の兵隊に殺されました」

「ひどい……!」

 エミリィが青ざめた。

「どうして……サン・ローデルは、こんな事になっちゃったんですか……?」

「わからん……バウルファー侯爵様も以前は、領民をそれなりには大切になさる御方であったのだが」

 そんなバウルファー侯に悪しき変化が起こったのは、メイフェム・グリムとゴルジ・バルカウスが原因であろう。あの2人にそそのかされ、担ぎ上げられているのだ。

 魔獣人間や残骸兵士で人ならざる軍団を組織し、女王エル・ザナード1世に反旗を翻す。その叛乱の総大将として、バウルファー・ゲドンは擁立されている。

「ふうん……それじゃエミリィさん」

 青ざめ俯いているエミリィに、シェファは容赦なく告げた。

「あなたにだけ断っておけばいいわけね。あたしたち、あのアサド君を殺すから」

「シェファ……」

 自分が言わなければならなかった事ではないのか、とリムレオンは思った。

 自分はまた、シェファに汚れ役を押し付けてしまったのではないのか。

「あたしには、何も出来ません……だから何を言う資格も、ありません」

 俯いたまま、エミリィは言った。

「……アサドを……楽にして下さる、んですよね……?」

「そういうのじゃないから。リム様はどうか知らないけど、あたしはね……あの魔獣人間って奴らが気に入らないから、皆殺しにする。ただそれだけ。あたしは、そういう奴だから」

 待ってくれ、とリムレオンは叫んでしまいそうになっていた。

 魔獣人間を人間に戻す手段が、全くないと確定したわけではない。例えばゾルカ・ジェンキムならば、その方法の手がかりくらいは知っているかも知れない。

 だからアサドを殺すのはやめよう。

 その言葉を、リムレオンは辛うじて口には出さず、呑み込んだ。

 これまで何体もの魔獣人間を殺害して来た自分に、言える事ではなかった。



 魔獣人間オーガートリスが、なかなか器用な事をしていた。

 兵士が3人、怯え青ざめながらも、その場から逃げられずにいる。

 3人とも、両脚が石化していた。ズボンや軍靴の隙間に、何本もの白い羽が突き刺さっている。

 下半身のみが石像と化した3人の兵士に、オーガートリスは重々しく語りかけている。

「調べはついているんだよ……俺の親父とおふくろを殺したのは、お前らだろう?」

「ヒッ……あぅわわわ……」

「た……助けて、メイフェム殿……」

 1人がメイフェムに気付き、助けを求める。

 バウルファー侯爵の居城、その中庭である。すでに夜分遅く、あちこちで篝火が焚かれている。

 半石化した3人の兵士に、メイフェムはとりあえず歩み寄った。

「……何をしているのかしら?」

「み、見ての通りですぅ……俺ら殺されちまう、助けて……」

「放っておいてもらおうか」

 人間であった時は単なる村人の少年に過ぎなかったオーガートリスが、恐れげもなく言った。

「あんたに俺を止める資格はないよメイフェム殿。そうだろう?」

「そう……ね」

 メイフェムは苦笑した。確かに自分も、この城で何人もの兵士を殺している。大した理由もなしにだ。

 魔獣人間となれば、その程度の無法は許されてしまうものである。

「まあ、そんな事はどうでもいいけれど……アサド・ラグ。貴方には1つ、訊いておきたい事があるのよね」

 この魔獣人間が人間であった時の名を呼びつつメイフェムは、少し強めに睨みつけてみた。

「貴方……あの魔法の鎧と戦ったそうね?」

「戦い、ってほどのもんでもなかったけどな」

 答えつつオーガートリスは、動けぬ兵士の頭部を1つ、右手で果物のようにもぎ取った。

 魔法の鎧の装着者たちが、バウルファー侯の命を狙ってサン・ローデルに入り込んで来ているらしい。という話は、メイフェムも聞いている。

「あれは一応、私たちの敵という事になっているのだけど……仕留め損ねた、という解釈でいいのかしら」

 自分にそれを咎める資格がない事くらいは、メイフェムにもわかっている。魔法の鎧を、中身を潰して持ち帰る事に、自分も結局は失敗しているのだから。

「私たちの敵を、貴方がわざと仕留め損ねて帰って来たのか……それとも実力で負けて撃退されて来たのか、それだけでも教えてくれないかしらねえアサド・ラグ殿」

「奴らと戦う前に、あんた方の言質を取っておきたかった」

 2人目の兵士の腹にズブリと左手を突っ込み、無造作に臓物を引きずり出しながら、アサドは言った。

「俺が奴らを倒したら……ゼピト村にはもう一切、手を出さないでもらいたい」

「あら……」

 メイフェムは、少しだけ驚いた。なかなか新鮮な驚きだった。魔獣人間が、これほど真摯な眼差しと口調で物を言う事が出来るとは。

「あの村から人狩りでさらった奴が、俺の他にもまだ生きているのなら全員、帰してもらいたい。あんた方がこの先何をしたいのかは知らんが、何をやらかすにしても……俺以外のゼピト村出身者は、1人も巻き込まない事。それを約束して欲しい」

「貴方……自分の村を守りたいのね? 魔獣人間になってまで」

 懐かしい、とメイフェムは思った。このアサドという少年は、人々を助け守ろうとしている。かつてのダルーハや自分たちのように。

「そう、守りたいの……ふ、ふふっ、守りたいのねえ。うっふふふふふ」

「何がおかしい……!」

 オーガートリスの、右手で生首が、左手で臓物が、グチャグチャッと握り潰され破裂した。

 どろりと汚れた両拳を震わせて、アサドは呻き、叫ぶ。

「……俺が! どれだけ! 貴様らをぶち殺したいか! わかってんのかああああッ!」

「まあまあ落ち着いて。気持ちはわかるけれど、それは無理なのだから……ね?」

 にこやかに、メイフェムはなだめた。

「そう、せめて自分の村だけは守りたいのねえ貴方……そのお願い、私は別に聞いてあげてもいいけれど。ゴルジ殿は何と言うかしらねえ」

「……良かろうアサド・ラグ。魔法の鎧の装着者たちを、倒して見せろ」

 篝火の明かりが届かぬ闇の中から、ゴルジ・バルカウスが歩み寄って来た。

「それが出来たら、貴様の願いを全て叶えてやる。ゼピトの出身者は全て村に帰し、今後一切手は出さぬ。何かあれば、我らの力であの村を保護してもやる。バウルファー侯に掛け合い、ゼピト村からはもはや税も取らせぬ……メルクトの若君たちとの戦いで、貴様が充分に手柄を立てさえすればな」

 ゴルジの様子がおかしい、とメイフェムは感じた。

 死にかけて逃げ帰って来た時でさえ、どうにか精神的な余裕を保っていたこの男が、今は何やら焦っている。

「……何かあったの? ゴルジ殿」

「現れたぞメイフェム殿……エル・ザナード1世の飼っている、怪物がな」

 1度は見てみたい、と言っていたものを、ゴルジは見てきたのであろうか。その割には、少なくとも嬉しそうではない。

「私は、人間には無限の可能性があると思っていた。それを時間をかけて見極め、追求してゆくつもりであったが……今やそんな悠長な事はしておれん。人間の持つ可能性というものを、一刻も早く、魔獣人間という形で開花させなければ」

 一刻も早く1人でも多くの人間を魔獣人間にしなければ、とゴルジは言っているのだ。

「人間は、滅びる……奴らに、滅ぼされてしまう」

「ゴルジ殿……?」

 この男が何を言っているのか、メイフェムにはよくわからない。が、何となくわかった事が1つだけある。

 戦乱を起こして魔獣人間の需要を増やし、自分の研究で商売をする。それがゴルジの目的であるとメイフェムは今まで思っていた。

 が、その裏にもう1つ何かがある。ゴルジ・バルカウスなりの、高尚な目的と言うべきものが。

 それを聞き出してみようとは、しかしメイフェムは思わなかった。この男の真の目的など、どうでも良い。

 そんな事よりも興味深い何かを、アサド・ラグが見せてくれるかも知れないのだ。

「ぐずぐずしてはおれん。我らの邪魔をする者は、早急に滅ぼさねばならぬ。ゾルカ・ジェンキムの作品であろうと何であろうと」

 ゴルジのその言葉に、グチャリと凄惨な音が重なった。

 魔獣人間オーガートリスが、3人目の兵士の顔面に拳を叩き込んだところだった。

「早急に滅ぼせばいいんだな、あの魔法の鎧を着た奴らを……鎧はともかく、中身を潰すのは難しい事じゃない」

 潰れた眼球が貼り付いた拳を震わせ、アサドは言った。

「さっきの言葉……忘れるなよ、ゴルジ殿」

「アサド・ラグ。お前は人間の可能性を大いに開花させた、言わば選ばれし者だ。これからも役に立ってもらわねばならん……約束は、守るとも」

「頑張ってね」

 メイフェムは、魔獣人間の少年に微笑みかけた。

「応援しているわ……本当に」

「馴れ馴れしくするな、くそ魔女が」

 ひどいことを言われたが、メイフェムは気にならなかった。

 このアサドという少年は、人間ではないものに変わってしまってまで、自分の村を守ろうとしている。

(魔獣人間こそが、人間の本性の露わなる姿……なのだとしたら)

 メイフェムの心は震えていた。感動、に近いものだった。

(美しいものを見られる、かも知れない……ケリス、あなたが命を捨てて守ろうとしたものが……)

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