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第24話 侵攻と信仰

 ダルーハ軍に蹂躙・破壊され尽くした、王都以北の各地方。その復興が、今ひとつ進んでいない。

 それは言い訳のしようもなく自分の落ち度であるとティアンナは思う。

 戦禍の跡で困窮そのものの暮らしを強いられている民衆が、女王エル・ザナード1世による統治に不満を抱くのは当然だ。

 それに乗じる形で、唯一神教会ローエン派が、王国北部で信徒を増やし、一大勢力となりつつあるという。エル・ザナード政権に対し批判的・敵対的な勢力だ。

 調べ上げたところによると。ローエン派の聖職者たちは、戦災を被った人々に、まず食べ物や水それに仮の住まいを提供しつつ、破壊された町や村の再建にも力を尽くしているらしい。

 言葉で神による救いを語るだけでなく、物質的な支援をも実行しているという事である。

 クラバー・ルマン大司教ら、ローエン派の主だった人々の思惑はどうあれ。現実的に、民衆が助かっているのだ。

 それは良い、とティアンナは思う。

 問題は、そのような現実的な支援を行うだけの財力を、ローエン派がどこに隠し持っていたのか。という事だ。

 教会の富は、ダルーハ軍による略奪に遭うまでは、ディラム派に独占されていた。ローエン派には銅貨の1枚も流れてはいないはずだ。

 唯一神教の主流から外れたところで細々と信者を保っていたローエン派が、突然、戦災復興の大盤振る舞いを始めた理由。そのような事が可能となった原因。

 考えられるものは、1つしかない。

「バルムガルド……」

 馬上で、ティアンナは小さく呻いた。

 間違いない。バルムガルド王国が、ヴァスケリア国内のローエン派に、金銭的な援助を行っている。エル・ザナード1世に敵対する勢力を作り上げるために。

 それで我が国の戦災復興が進んでおるのは事実です、と兄モートン副王は言っていた。

 もらえるものは、もらっておきましょう。だからと言って国をくれてやる事はありません。とも言っていた。

 言われるまでもない事である。

 ローエン派が、バルムガルドの金を使って復興を進めてくれるのであれば、しばらく任せておけば良い。

 要は、戦に勝てば良いのだ。

 勝ちさえすれば、敵の政治的な調略など全く意味がなくなる。

 東国境へと向かって街道を進む、ヴァスケリア王国正規軍総勢5000人。

 その中央に、女王エル・ザナード1世ことティアンナ・エルベットの姿はあった。下着のような鎧の上から純白のマントを羽織り、白馬にまたがった姿。

 ティアンナ自身は先陣を希望し、真っ先に戦場に突入するつもりでいたのだが、他の者たちに猛反対された。

 仕方なく今こうして、5000もの兵士に護衛された、最も安全な場所にいる。

 男女問わず国王たる者、危険な場所に軽々しく身を置くべきではない。それはティアンナも、頭ではわかっている。

 だが。王族自らが剣を振るって戦わねばならない局面というものは、確かにあるのだ。それもまた先の戦で、ティアンナが学んだ事である。

 近衛騎兵が1人、馬を寄せて来て告げた。

「陛下、斥候が戻って参りました」

「報告を聞きましょう。これへ」

 目通りを許す、という偉ぶった形になってしまうのは仕方がない。

 目通りを許された斥候が、ティアンナの馬の近くで跪いた。

「申し上げます、バルムガルド軍総勢約4万! 現在、国境にてガロッグ城塞を取り囲んでおります。ラウデン侯爵が兵2000を率いて城塞を守っておられますが、このままでは落城は時間の問題かと」

 ラウデン・ゼビル侯爵は、ヴァスケリア最東部すなわち対バルムガルド最前線地域であるレネリア地方の領主で、先の戦においてダルーハ軍に対し、最も頑強に抵抗した将の1人だ。

 結果、レネリア地方は完全にはダルーハ軍の手に落ちる事なく、王都以北の各地と比べて、戦災と呼べるような害も被っていない。

 ラウデン侯爵のこの手腕に着目したのが、ダルーハ・ケスナーの片腕とも言うべき猛将ドルネオ・ゲヴィンであった。

 彼は独自にラウデンと接触・交渉し、自身を含むダルーハ軍最精鋭部隊がレネリア地方に駐屯する事を了承させてしまった。

 バルムガルド王国が、ヴァスケリア救援を名目に、軍事行動を起こしていたからである。3万の軍勢が、レネリアへと攻め寄せて来たのだ。

 ラウデン侯はやむを得ず、一時休戦のような形でドルネオ部隊の領内駐屯を認め、共にバルムガルド軍3万を迎え撃った。

 いや、共に戦うという形にはならなかった。

 ドルネオ率いるダルーハ軍精鋭部隊が独力で、バルムガルド軍を蹴散らしてしまったのだ。

 この時ドルネオは魔獣人間としての正体を現す事なく、人間の枠内に抑え込んだ武勇と巧みな用兵で、3万の敵軍を撃退した。

 こうしてダルーハ軍の力をラウデン侯爵に見せつけ、無言の恫喝とした後、ドルネオは悠々と王都エンドゥールへ引き返したのだ。

 総大将の武勇と魔獣人間の力が全てのダルーハ軍にあって唯一、まともに軍事というものを考える事の出来た将が、このドルネオ・ゲヴィンであった。

 あの叛乱が今しばらく長引いていたら、剛直なラウデン侯爵も、ダルーハの軍門に降っていたかも知れない。

 幸いそんな事にはならず彼は今、東国境の要たるガロッグ城塞で、バルムガルドの侵攻を止めてくれている。が、兵は2000人。王国正規軍がこのまま合流したとしても、7000人。対するバルムガルド軍は、4万である。

 ティアンナの周囲で、近衛兵団が微かにざわついた。

 このざわつきがヴァスケリア軍全体に広がれば、5000の兵が戦わずに逃走する事態にも繋がりかねない。何しろ1万にも満たぬ兵力で、4万の大軍に挑もうと言うのだ。

 この場で斥候に大声で報告をさせたのは、もしかしたら失敗だったかも知れない。

 が、ティアンナは言った。

「全軍に伝えて下さい。バルムガルド軍は総勢4万……ただし全て人間の兵士です。魔獣人間の類は、1匹もいません」

 ざわつく近衛兵団を見渡し、ティアンナは微笑んで見せた。

「ダルーハ卿との戦いを生き抜いた貴方がたにとって、どれほど楽な戦であるか。それは考えるまでもないでしょう?」

「……そうでした。戦は、兵の数ではありません」

 近衛騎兵たちが、口々に言う。

「我らはダルーハ・ケスナーをも打ち破った御方に率いられているのです。何の、数ばかりのバルムガルド軍ごとき!」

「エル・ザナード1世陛下がおられる限り、ヴァスケリアには勝利あるのみ!」

 歓声に近い騒ぎを始めた近衛兵たちを、ティアンナは片手を上げて静まらせた。

 彼らとて頭ではわかっている。4万の敵との戦いが、楽な戦であるはずはないのだ。

 勝てるかどうか。それ以前に、生きて終えられるかどうかもわからない戦いになる。

 だからこそ皆、エル・ザナード1世の名にすがりつかずにはいられない。ダルーハ・ケスナーを倒した、救国の女王の名に。

 真実がどうであるかは関係ない、と兄モートンは口癖のように言う。

 真実を隠したまま、人々のすがりつく対象であり続ける。

 玉座に座り王冠を戴くとは、そういう事なのだ。

(これが、私自身の戦い……)

 ティアンナは、馬上から空を見つめた。

 同じ空をどこかで見つめているかも知れない1人の若者に、かつて偉そうに語ったものである。

 今は自分自身の戦いをするべき時だ、と。



 サン・ローデル地方領主バウルファー・ゲドン侯爵の居城。

 その城壁の上をとぼとぼと歩きながら、メイフェム・グリムは思う。人間とは、哀れなほどに醜く腐敗した、もはや唯一神ですら救う事の出来ぬ存在である。と。

 神に仕える者たちですら、そうなのだ。

 ヴァスケリア国内のローエン派が、バルムガルド王国と結託し、女王エル・ザナード1世に敵対しようとしている。

 長年に渡って綺麗事ばかり言っていたローエン派が、ついに世俗の権力と結びついてしまったという事だ。

 かつてはアゼル派がそうであった。唯一神の威を借りて大いに権力を振るい、弾圧や虐殺を行った。

 そんな教会の腐敗・暴虐を憂える人々によって立ち上げられたはずのローエン派が、アゼル派と同じ道を歩み始めてしまった。

 今でこそ戦災復興に尽力して民衆の機嫌を取ってはいるが、この度の戦で、女王率いるヴァスケリア軍がバルムガルド軍に敗れでもしたら、どうなるか。

 ローエン派はバルムガルドによる後ろ楯を得て、唯一神教主流の地位を揺るぎないものとするだろう。

 やがては大司教クラバー・ルマンの意に従わぬ者を、平和主義の名の下に弾圧・迫害するようになる。

 宗教とは、そういうものなのだ。

 神の教えがどれほど崇高なるものであっても、それを掲げているのが人間である以上、宗教というものは腐ってゆく。

「唯一神よ、人間どもは腐っております……」

 城壁から空を見上げ、メイフェムは祈りを呟いた。

「貴方様はきっと、人間どもがどれほど汚れ腐っても、お許しになるでしょう。が、私は許せません……貴方の最も忠実なる下僕ケリス・ウェブナーの死を穢した者どもを」

 悲鳴が聞こえた。若い娘の、悲鳴である。

 天空を見つめていた瞳を、メイフェムは地上に向けた。

 城内の一角で、騒動が起こっている。

「いやっ、離してお願い、きゃあああああああ! 戻りたくない、もどりたくないよぉおおおッ!」

「っとと、そういうワケにゃいかねえのよお嬢ちゃん。かわいそうになあ」

「おめえらを1人でも逃がしたら俺らの責任になっちまうっての。ほれ、暴れるんじゃねえよ」

 城兵たちが3人がかりで、女の子1人を取り押さえている。

 十代後半の、そこそこは美しい少女。ボロ布よりはましといった程度の、粗末な服を着せられている。

 その服を兵士3人が無理矢理、脱がせにかかっている。

「おおい、けっこうイイ身体してんぜぇこの嬢ちゃん」

「もったいねえよなあ、この可愛い顔もオッパイも太股も、あーんなバケモノになっちまうんだからよお」

「そっその前に、俺らでいただいちまおうぜえぇ」

 地下牢に捕われている領民たちの中から、逃げ出して来た娘であろう。

 それが今、城兵に捕まり、獣欲の餌食となりつつある。

「やっ! やめて、やめてッやめてーっ! 助けて誰か、だれかあああっ!」

 悲鳴が、甲高く哀れっぽく響き渡る。

 メイフェムは1つ溜め息をついてから、城壁の石の欄干に立ち、ゆらりと身を躍らせた。

 そして軽く法衣の裾を押さえながら、城兵たちの近くに着地する。

 ほとんど裸に剥かれた少女を3人がかりで押し倒す、その動作の途中で、兵士たちはギョッと固まった。

「め、メイフェム殿……あっいや、これはその」

「にっ逃げた奴にゃ、お仕置きしなきゃでしょうがああ」

「わかるっしょ? この嬢ちゃんもどうせバケモノになっちまうんだからさぁ、人間としての最後の思い出ってやつをよォ」

 少女を解放しようともせずニタニタと、卑屈な、それでいて図々しい、劣情丸出しの笑顔を浮かべる城兵3人。

 メイフェムも、とりあえずは笑って見せた。

「ふ……こんな、こんな輩を守るためにケリスは……ふっ、ふふ、うっふふふふ」

 もはや、笑うしかなかった。笑いと共に、身体が勝手に動いていた。

 法衣の裾があられもなく跳ね上がって開き、美しく引き締まった右脚が荒れ狂うように躍動して、兵士たちをめった打ちにする。

 3つの醜い笑顔にグシャぐしゃグシャッ! と足跡が刻印された。その足跡から、眼球が脳漿もろとも飛び出して噴き上がり、折れた歯やちぎれた舌がこぼれ落ちる。

 城兵3名が、顔面の潰れた屍と化し、少女の周囲でドシャドシャッと倒れた。

 もともとボロ布に近かった服をズタズタに破かれ、ほとんど裸同然となった少女が、3つの死体に囲まれ、座り込んだまま怯えている。

 人間の頭蓋骨3つを粉砕したばかりの右足を、着地させずユラユラと舞わせたまま、メイフェムは少女に微笑みかけた。

「地下牢では大勢の人たちが苦しんでいると言うのに……あなた、1人で逃げて来たのね?」

「……ぁ……ぁあ……」

 応えられぬほど怯えきっている少女に向かって、メイフェムは右足を振り下ろした。

 男ならば心動かされるであろう、可愛らしく怯えた表情に、ぐしゃ……っとメイフェムの右踵がめり込んだ。

 そこそこ美しかった娘が、兵士たちと大して変わらぬ惨さの死体となったまま、裸で座り込んでいる。

 この少女のような、いわゆる無辜の民という人々が、追い詰められると平気で他人を裏切り保身を図る。自分たちは弱いから仕方がない、という理由でだ。

 19年前も、そうだった。

 赤き竜と戦うダルーハ一行を、村人総出で歓待する。ふりをして毒を盛る。

 ダルーハたちをかくまう、ふりをして、その居場所を赤き竜配下の魔物たちに密告する。

 そんな事が続いたある日、ダルーハは言った。俺はもう我慢がならん、と。

 弱者という輩は、己が弱者であるという理由だけで、何をしても許されると思っている。実際許されてしまうのだとしても、俺は許さん。見ていろ、俺は赤き竜を倒してこの国を支配する。そして全ての弱者を大いに虐げてやる。弱い者いじめを、してやるぞ。

 ダルーハはそう語り、そして実行した。

 レフィーネ王女と結ばれて20年近く骨抜きとなっていた男が、妻の死と共に、かつての凶猛さを取り戻し、弱者への復讐を見事やってのけたのだ。

「貴方は凄いわ、ダルーハ……」

 尊敬の念を禁じ得ぬまま、メイフェムは呟いた。

 有言実行。あのダルーハ・ケスナーという男の、数少ない人間的美点の1つである。

 ブゥーン……と、重い羽音が聞こえて来た。

 巨大な虫が、上空から近付いて来ている。いや、虫ではなかった。

 着地か墜落か判然としない形で、巨体が1つ。メイフェムの近くにドシャア……ッと降下して石畳に這いつくばる。

 ローブも仮面も、そして人間の姿をも脱ぎ捨てた、ゴルジ・バルカウスだった。

 カブトムシのような外骨格は全体がひび割れ、所々が剥離して、赤黒い体液が滴っている。

「戻ったぞメイフェム殿……見ての通り、いささか不覚をとった」

「貴方が、その姿で? あの魔法の鎧を相手に?」

 この形態のゴルジに、ここまでの負傷をさせるなど、メイフェムとてそう簡単な事ではないのだが。

 あの魔法の鎧の力によるもの、であるならば、装着者が変わったのか。あるいはゴルジが、よほど手を抜いて戦ったのか。

「まったく、残骸兵士の10や20では準備不足であった。ゾルカ・ジェンキムの作品を相手に……よもや2対1の戦いを強いられようとはな」

「2対1……魔法の鎧が、もう1つ?」

 言ってからメイフェムは、内心で否定した。1つではなかろう。魔法の鎧が、あと2つか3つは用意されているかも知れない。

 ゾルカならば、そのくらいの手は打ってあって当然だ。

「あの男が本気で、私たちの妨害を始めたのだとしたら」

 言いつつメイフェムは、軽く片手をかざし、念じた。

 淡い光が、ゴルジの巨体を包み込んだ。

「……冗談ではなく、ゼノス王子の力が必要になるかも知れないわね」

「ヴァスケリアで面白い事が起こっている、と声をかけてはおいた。気が向いたら、来てくれるそうだ」

 光の中、ゴルジの全身で亀裂が、拭い取ったかの如く消えてゆく。甲殻の剥離した部分で肉が盛り上がり、表面が固まって、新たなる甲殻と化す。

 無傷の状態に戻った己の全身を、ゴルジは満足げに見回した。

「世話になってしまうな、メイフェム殿には」

「貴方には、借りがあるから……」

 人間ではないものの力と、その副作用たる若返り。

 それだけでメイフェムは、このゴルジ・バルカウスという男の正体や真の目的といったものへの興味を一切失った。

 こうして自分の役に立ってくれる。それ以外の事など、一切がどうでも良かった。

「……それにしても、不思議なものよ」

 頭蓋骨のような顔で、ゴルジは笑ったようだ。

「メイフェム殿に、まだこのような癒しの力があろうとは……人間をやめて魔道を歩む貴女に、唯一神の力が使えるとは」

 光を爛々と燃やす眼窩が、顔の潰れた少女の屍に向けられる。

「どれほど人の道を踏み外そうと、信仰心さえ本物ならば、唯一神はいくらでも力を貸して下さるという事か……まさにメイフェム殿はアゼル派の鑑よ。今時のローエン派の者どもと違って世俗の権威など求めず、純粋なる信仰心を抱きながら殺戮を行う。まったく頼もしい限り」

「純粋な信仰心……ね。どうかしら」

 メイフェムは天空を見つめ、心の内で語りかけた。

(唯一神よ、下僕メイフェム・グリムは確かに貴方様を信仰し、敬い奉ってございます。その一方……深く深く、お恨み申し上げてもおります)

 天を見つめる瞳が、暗く燃え上がってゆく。

(何故なら唯一神よ、貴方は私に……ケリスを、返して下さらないから……)



 大切な事は、ただ1つ。

 戦災を被った人々が、救われる事。それだけである。

 実際それが出来ているのだから、何の問題もない。クラバー・ルマン大司教のやり方は、何も間違ってはいないのだ。

 エミリィ・レアは、そう思った。思い定めた、つもりである。

 いくら思い定め、自分に言い聞かせても、しかし結局あの大司教のやり方を受け入れる事は出来なかった。

 だから今こうしてサン・ローデル地方にいる。

 ゼピト村。エミリィはここで生まれ、12歳になるまでを過ごした。

 12歳の時に、両親が病で死んだ。

 家は貧しく、教会の墓地に埋葬してやる事も出来なかった。サン・ローデル地方の唯一神教会は、ディラム派らしくと言うべきか、貧乏人の弔いなどしてはくれなかったのである。

 両親の亡骸を前にエミリィが途方に暮れていた時、とある旅人の一団が、ゼピト村に立ち寄った。

 細々と布教の旅を続ける、ローエン派の僧侶たちだった。

 彼らは事情を聞くや、何を要求する事もなく、唯一神教式の葬儀と埋葬を執り行ってくれた。

 それをきっかけにエミリィはローエン派に入信し、その一団に同行して3年間、旅を続けた。

 3年目にダルーハ・ケスナーの叛乱が起こり、王国北部の各地方が戦火に焼かれた。

 大勢の人が殺され、生き残った人々も、戦災の跡地で苦しい生活を強いられる事となった。

 苦しむ人々を救うべく、ローエン派の信徒たちは志を1つにして王国北部へと集い、食べ物や水を振る舞い、町や村の再建に尽力した。

 無論ローエン派の財力で、そんな事が出来るわけはない。

 金を出してくれた者たちがいる。

 それがどういう者たちであるのかは、しかし深く追及するべきではない。

 金の出所がどうあれ、その金で実際に救われている人々がいるのだから、それだけで良しとするべきなのだ。人を救う事を、本当に第一に考えるのならば。

「……わかっては、いるのよね」

 呟きながらエミリィは、村はずれの小さな森の中を、とぼとぼと歩いていた。

 ゼピト村を出てから3年、15歳である。

 少しは背も伸びて、身体つきもふっくらと娘らしくなった。唯一神教の法衣が、少しは似合うようになったのだろうか。

「いやはや……大変な時に帰って来たものだ」

 いくらか太り気味の初老の男性が、エミリィと並んで歩きながら言う。

 ゼピトの村長である。両親が亡くなった時も、エミリィにいろいろと良くしてくれた。

「ともあれ、無事で何よりだった。ダルーハ軍に出くわさずには済んだようだな?」

「逃げ回っていましたから」

 エミリィは苦笑した。

 いくら平和主義を唱えたところで、ダルーハ・ケスナーを相手に何か出来るわけもなかった。

 ローエン派が大きな顔をし始めたのは、ダルーハの死後である。

 ヴァスケリアの敵国から金を受け取り、その金を使って派手に施しを行い、救世主のような顔をする。

 それに耐えられなくなってエミリィは、北の戦災地を去り、こうしてサン・ローデル地方へと帰って来てしまった。 

 逃げて来た、と言ってもいいだろう。

 が、人々のために使う金は充分にある。その金で人を集めるから、労働力も足りている。

 エミリィ1人の力など、あってもなくても違いはない。

 だから帰って来た。3年ぶりの里帰りである。

 真っ先にエミリィを出迎えてくれた村長が今、何やら気になる事を言った。

「あの……大変な時、ってどういう事ですか?」

「……おかしい、とは思わなかったか」

 村長が声を潜め、立ち止まった。

 森の中の、少し開けた場所である。

 小さな墓石が2つ並び、夕刻の木漏れ日を浴びていた。

 3年前にローエン派の旅の僧侶たちが作ってくれた、両親の墓。

 あの僧侶たちは北の戦災地で、クラバー大司教の派閥に取り込まれたり、逆に遠ざけられたりで、いつの間にかエミリィの周囲からいなくなってしまっていた。

 村長が、さらに言う。

「お前が帰って来たと言うのに、アサドもケイトも、ロックもカーシャも出迎えに出て来ない……おかしいとは思わなかったのか、エミリィ」

「……みんな、畑の仕事とかに出てるんじゃないんですか?」

 そうではない事を、村長の表情が物語っていた。

「……皆、領主様のお城へ連れて行かれた。アサドもカーシャも、ケイトもロックも」

「連れて行かれた……って、何か悪い事でも?」

 両親の墓前で帰郷の報告をするのも忘れ、エミリィは訊いていた。

 代わりのように村長が、2つの墓石の前で跪き、重々しく語る。

「ケイトは親父さんの病気が重くなってな。しばらく税を免除してやるから城へ来い、と言われて……他の皆も同じようなものだ。領主様の城で一体どういう扱いを受けているのか、それとなく伝わっては来るが」

「……どういう扱いを受けてるんですか、みんな」

 エミリィの問いには答えず、村長は言った。

「とにかく、お前の両親に帰って来た挨拶をしろ。それが済んだら、すぐサン・ローデルを出て行った方がいい……今この地方では、人が狩られているのだよ」

「人が……狩られて……?」

 この村長は何を言っているのだ、とエミリィは思った。冗談だとしたら、面白くなさ過ぎる。

 ケイトもカーシャも今頃どこかに隠れていて、久しぶりに帰って来たエミリィを驚かそうとしているだけだ。そうに決まっている。

 足音が複数、聞こえて来た。

 両親の眠る、この静かな場所に、ずかずかと横柄に踏み入って来た者たちがいる。

 槍と鎧で武装した、5人の男。兵士である。うち1人は、いくらか身分が高そうだ。

「探したぞ村長。このような場所に、まさか隠れようとしたわけではあるまいな?」

「……何用ですかな、マルズ隊長」

 エミリィを庇うように立ちながら、村長が低い声を出す。

「言っておきますが、ゼピト村からはもう人は出せませんぞ。これまでに連れ去られた者たちが、1人でも帰って来ない限りは」

「連れ去られたなどと人聞きの悪い。皆、領主様のもとで元気に奉公しておるとも」

 マルズ隊長と呼ばれた、身分の高そうな兵士が、高圧的に告げた。

「ついては、あと5、6人。若く壮健なる男女を奉公人として差し出せと、領主様のご命令だ。うち1人は、うむ、その娘で良かろう」

 下っ端の兵士4人、のうち2人が、左右からエミリィを捕えた。

「ちょっと、何するんですか……」

「お城で働かせてやるっつってんだよ。おおお、けっこうカワイイなあこの嬢ちゃん」

 兵士たちが下品な笑みを浮かべながら、意味不明な事を言う。

「もったいねえよなぁー。こんな可愛い嬢ちゃんも、あんなんなっちまうのかぁー」

「ど、どういう事ですか……」

 図々しく腕を掴んでくる男たちの力に、懸命に抗いながら、エミリィは叫ぶように訊いた。

「ケイトやロックは……ねえちょっと、アサドとカーシャは? どこにいるの、どういう事になってるんですか!」

「来ればわかる……村長、こうして一応は話を通してやったのだ」

 マルズ隊長が言った。

「村人をもう4人ほど、こちらで選んで連れて行くぞ。文句はあるまい?」

「もはや1人も連れて行かせんと言っておる!」

 エミリィを捕えている兵士たちに、村長が挑みかかった。そして殴り倒された。

「てめえのようなジジイやオヤジに用はねえよ。若い奴を連れて来いって言われてるんでなあ」

「へへ、若ぇオンナだけ連れてってよお、何人かは俺らでいただいちまおうぜえ?」

「まっまず手始めに、この嬢ちゃんをよぉお……」

 兵士が4人がかりでエミリィを捕え、ニタニタと獣のように笑う。

(父さん……母さん……)

 弱々しく抵抗しながらエミリィは、男たちの醜い笑顔で占められつつある視界に、小さな2つの墓石を必死にとどめた。

(何? どういう事……? 何が起こってるのか、教えてよ母さん……助けてよ、父さん……)

「……すみません、道を教えていただきたいのですが……」

 何者かが、控え目に声をかけてきた。

 旅人、であろう。マントとフードで身を覆った人影が3つ、近くの木陰に立っている。

 その3人のうち、声をかけてきた1人が、おずおずと進み出て来てさらに言った。

「この近くに、ゼピトという村が……」

「……何の御用ですかな」

 殴り倒されていた村長が、口元の血を拭いながら言う。

「御覧の通り今、我らの村は大いに難儀をしております。旅の方々をおもてなし出来るような状況では」

「そろそろ日も暮れますし、一夜の宿をと思ったのですが……」

 困ったように言いながら、その細身の旅人がフードを脱いだ。

 エミリィは、思わず息を呑んだ。

(綺麗……!)

 としか言いようのない美少年の容貌が、フードの下から現れたのだ。

 その美しい少年が、兵士たちに、恐れげもなく声をかける。

「事情は知りませんが、貴方がたが何か乱暴な事をしているのはわかります……やめて下さい」

「んッッだこのガキはよおおおおお!」

 兵士の1人が少年を、いきなり槍で殴り倒した。微かな血飛沫が散った。

 悲痛な呻き声を漏らしながら、地面に倒れ込んだ少年。その痛々しいほど細く頼りない身体に、2人の兵士がガスガスと蹴りを入れる。

「事情知らねえんなら出て来んじゃねえよクソが! 正義の味方のつもりかあ? おう! おう! おう!」

「あぁー顔の綺麗な男ってのぁムカつくなあ、掘っちまうかあ? んん?」

 聞くに堪えない罵声と共に、兵士2人分の蹴りと踏みつけが、容赦なく際限なく少年を襲う。

 もう2人の兵士に左右から押さえられたまま、エミリィは叫んでいた。

「やめて! やめて下さい!」

「……そうだな。そろそろやめておけ」

 重みのある男性の声。

 と同時に、エミリィの左右で兵士たちが倒れた。

 何が起こったのか全くわからぬまま、エミリィはとりあえず解放された。倒れた兵士2人は、微動だにしない。

「何だ、一撃で気を失うとは」

 木陰にいた、もう2人の旅人。その片方が、いつの間にかエミリィの傍に立っていた。

 偉丈夫である。

 マントの下にあるのは、大柄で力強い、鍛えられた肉体。フードの下から現れたのは、頭髪・頬髭・顎髭がタテガミの形に繋がった、獅子の如く精悍な容貌。

 その厳つい顔には傷跡が走っており、見るからに凶暴そうではある。だが、

「隊長は貴公か。部下の鍛え方が、まるでなっていないようだな」

 マルズ隊長に話しかける、その口調は穏やかで物腰も柔らかい。

「統制も取れていない。こんな兵隊では、いざ戦となれば略奪に走るばかりで戦おうとせん。使い物にならんという事だぞ」

「……何だ、貴様」

 マルズが、獅子のようなその男に槍を突き付ける。

 その槍が、掴まれた。

 マルズの身体が、ぐらりと前方に傾く。獅子のような男に、掴み寄せられていた。

「うかつに槍を突き付けるのは、やめた方が良い。こうして掴まれ……捕獲される」

 軍事教練か何かのような口ぶりと動作で、獅子に似た男が、マルズ隊長を捕まえて転がす。

 転がされたマルズが、起き上がれずに倒れたまま、片腕を押さえて悲鳴を上げる。その腕が、おかしな方向にねじ曲がっていた。

 骨が折れた、ようであるが、どのように折られたのか、エミリィには全く見えなかった。

「なっ……」

「何だ、てめえ……」

 残る兵士2人が、少年を蹴り転がす動きを中断し、怯えたじろぐ。

 そこへ獅子のような男が歩み寄り、何かをした。何をしたのか、エミリィの動体視力では、やはり捉えられない。

 とにかくその兵士2人が、悲鳴を上げた。1人は右腕を、1人は左腕を、だらりと変な感じにぶら下げている。折れた、ようである。

「バウルファー侯の軍勢は弱兵揃いと聞いてはいたが……これほどとはな」

 獅子のような男が呆れつつ、小さな2つの墓石を見やった。そして言う。

「おい、やめておけシェファ。ここはどうやら、血で汚してはならん場所のようだ」

「血なんか出ません……灰になるだけです」

 3人目の旅人が木陰で、そんな物騒なことを言っている。

 エミリィと同じ年頃の、女の子だった。

 先端に魔石が埋まった杖を、構えている。その魔石がぼんやりと、赤く発光している。

 攻撃魔法兵士、のようである。

 フードに囲まれた顔立ちは、可愛らしい。が、険しい。兵士らを睨む眼差しには、本物の殺意がある。

 エミリィは、ぞっとした。この攻撃魔法兵士の少女は今、本気で、兵士たちを殺そうとしていた。

 獅子のような男が苦笑し、なだめる。

「灰もやめておけ……なあ、貴様たち」

 その苦笑が、倒れ泣き喚くマルズ隊長に向けられた。

「ここはどうやら誰かの墓前、戦場にしてはならぬ場所よ……お互い、ここまでにしておこうではないか」

「うっぐ……き、貴様ぁ……」

 逃げるようにマルズは起き上がり、折れた腕を押さえて後退りをした。

「こっこのような、バウルファー侯爵閣下の直属たる我らに! このような無礼を」

「……腕ではなく首を折ってやる事も出来た。それは、わかるな?」

 獅子のような男が、牙を剥くように言う。

 マルズ隊長が、それに腕の折れた兵士2人が、捨て台詞も吐かずに逃走して行く。

 気を失った2人の兵士が、残された。

「置いて行かれても困るのだがな……」

 一言ぼやいてから、獅子に似た男は、暴行されていた少年に声をかけた。

「……いや、それにしても若君。殴られ蹴られるのが実にお上手になられましたな。受け身の取り方、急所の庇い方、申し分なしでございましたぞ」

「……ブレン兵長の拳に比べれば、ね」

 大して痛みを感じている様子もなく、少年は起き上がった。

 綺麗な顔が、それでも少し腫れ上がっている。微かな流血と痣で、痛々しく彩られた美貌。

 エミリィの胸の奥で、心臓がトクン……ッと跳ねた。

(やだ……もっと綺麗……)

「墓前を騒がせてしまって、申し訳ない」

 呆然としているエミリィに、少年が頭を下げる。

「このお墓……赤の他人である僕たちが祈りを捧げる事は、許されるだろうか?」

「あ……は、はいっ。父も母も、喜ぶと思いますっ」

 両親の墓参を、エミリィはすっかり忘れていたのだった。

 それを咎めるかのような視線を、エミリィは感じた。

 シェファと呼ばれた攻撃魔法兵士の少女が、こちらをじっと睨んでいた。 

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