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第23話 青き光の少女(後編)

 ティアンナ女王と比べて一回りは豊かな乳房の形そのままに、胸甲はふっくらと美しく膨らんでいる。

 薄手の金属鎧が、シェファの全身にぴったりと貼り付いて、凹凸の瑞々しい体型を際立たせていた。

 首から上は細面の面頬と兜で、少女の愛らしい顔立ちが完全に隠されてしまっている。

 シェファの全身を包む、ほっそりとした魔法の鎧。青い。その青さは、空のようでも海のようでもあり、そして赤い炎よりも高熱の青い炎、のようでもある。

 そんな青色の全身甲冑の所々に、宝石状に加工された魔石が埋まっていた。腰の左右、両乳房の間、左右の肩。それに兜の、額の部分にも。

 踵の高い足甲でコツ、コツ……と規則正しく石畳を叩きながら、シェファは歩み寄って行った。ゴルジ・バルカウス、及び彼を護衛する形に群れた残骸兵士たちに向かって。

「痛いよう……いたぁい……よぉう……」

「領主様……バウルファーこう爵さまあぁ……」

 口々に呻きながら残骸兵士の群れが、長剣のような爪を振り上げる。鞭のような触手を揺らめかせる。甲殻類を思わせる大型のハサミを鳴らす。

「早く……私の息子を、返して……」

「ママ……ぼくはここだよ、ママぁ……」

「あは……くっついてる、あたし……おにいちゃんと、くっついてるよぉお……」

 様々な器官を蠢かせ、様々な言葉を漏らしつつ。魔獣人間のなり損ないたちは、襲いかかって来た。

「あんたたちを、元に戻してあげる方法……」

 襲い来るものたちに語りかけながらシェファは、魔石の杖を振り上げた。

 その先端の魔石からバリバリッ! と電光が溢れ出し、杖全体に絡み付く。

「もしかしたら、あるのかも知れないけど。あたしじゃわかんないから……殺すね?」

 稲妻の塊と化した杖を振るいながら、シェファは踏み込んで行った。

 ほっそりと優美な甲冑姿が、舞うようにクルリと躍動する。と同時に電光の杖が、雷鳴を発して縦横に唸り、左右の残骸兵士たちを殴打する。

 打撃と電撃を同時に叩き込まれた残骸兵士が、2体いや3体。ぐしゃっバキッと凹みひしゃげながらバチバチバチッ! と感電し、硬直する。痛ましいほど醜悪な肉体のあちこちが、絡み付く電撃光の中で瘤状に膨れ上がり、破裂してゆく。

「あっあああ、いいいいっ痛い、いたいイタイ痛いよぉおおお」

「ママ……まま……ぁ……」

「一緒……おにいちゃんと、ずぅっといっしょ……」

 断末魔の悲鳴が、最後の言葉が、ボン、ボボンッと肉の爆ぜる音に変わった。

(駄目……)

 3体もの残骸兵士が、電光に灼かれて破裂し、跡形もなくなってゆく様。を見つめながら、シェファは強く思った。

(絶対ダメ……こんな事、リム様にさせられない……)

 思いと共に、稲妻の杖を振るう。

 ブンッと空気を切る音と、バチッ! と電光の鳴る音が、同時に響いた。

 残骸兵士が2体、歪み潰れながら電撃に灼かれ、粉々に破裂した。

 ブレン兵長率いる歩兵隊との合同訓練で、確かに身体はよく動かす。

 が、そんなもので身に付くはずのない身体能力を今、自分は発揮している。

 まるで武芸の達人のように、身体が動くのだ。

「あんたたちを殺すのはリム様じゃなくて、あたし……」

 叩き潰す対象に語りかけながら、シェファはさらに踏み込んで行く。

 そして、電撃の杖を振るう。

 雷鳴を伴う打撃が横殴りに一閃し、また数体の残骸兵士を叩きのめす。

 元々は人間であったものたちが感電・帯電しながら吹っ飛び、倒れ、起き上がる事なく破裂して石畳にぶちまけられる。

 リムレオンが、ブレン兵長に助け起こされながら、こちらを見ていた。

 可愛い顔が、面頬の下で呆然としている。のがわかる。

 シェファの戦いぶり、と言うより殺しぶりに、呆然としているのだろう。こんな残酷な女だとは思っていなかったに違いない。

(ま……そりゃ引いちゃうよね、リム様……)

 心の中で苦笑しながらシェファは、電光の杖を高々と掲げた。

 魔法の鎧の所々に埋め込まれた魔石が、淡く光を発した。

 シェファの周囲、空中5ヵ所で炎が発生し、燃え上がりながら球状に膨れ上がる。

 まるで小さな太陽のような火球が5つ、魔法の鎧を着た少女を取り巻いて浮遊する。

 それらに号令を下すかの如くシェファは、電光の杖を振り下ろした。

 5つの小さな太陽が、一斉に発射され、飛んだ。そして群れる残骸兵士たちに向かって、隕石のように降り注いで行く。

 周囲5ヵ所で爆発が起こり、轟音と共に5本の火柱が生じた。

 元は人間であった者たちが、砕け散り、噴き上がりながら焦げ崩れ、灰と化す。

 5つの火球が消えた時、残骸兵士はもはや1体も生き残ってはいなかった。全て灰に変わり、漂い、石畳にうっすらと降り積もっている。

 魔力の消耗を、シェファはほとんど感じなかった。

 攻撃魔法兵士の乏しい魔力が、反則的な比率で、破壊力に変換されたのだ。

「これが……魔法の、鎧……」

 呆然と、シェファは呟いた。

 大した消耗を感じる事もなく、大量殺戮をやってのける。これが、魔法の鎧の力なのだ。

(確かに……こんなもの持たされたって困っちゃうよね、リム様……)

 あの女王から竜の指輪を押し付けられて以来ずっとリムレオンが、何やら鬱々としていた、その理由がシェファは今やっとわかった。

 大量殺戮のための力など手に入ったところで、彼が喜ぶはずはないのだ。

「……よもや、このような事になっていようとはな」

 声がした。

 残骸兵士は皆殺しにしたが、その巻き添えを上手く避けたゴルジ・バルカウスが、少し離れた所に佇んで、仮面越しにシェファを見つめている。睨んでいる。

「魔法の鎧……その装着者を、きちんと複数用意しておくとはな。ゾルカ・ジェンキム、さすが抜かりのない事よ」

「ねえ、あんた……」

 シェファは、とりあえず会話を試みた。

「御両親とか、奥さんや子供とかって、いる?」

 自分がたった今、皆殺しにした者たちには、きっといたに違いない。両親が、兄弟が、子供が。友達や恋人が。

 そういった人々の泣き叫ぶ顔を、シェファは思い浮かべた。

 泣き叫ぶ彼ら彼女らに、シェファは心の中で語りかけた。

(殺したのは、あたし……リム様じゃなくて、あたしだから)

「……あんたも、殺すから」

 電光の杖を、シェファはゴルジに向けた。

「あんたの子供とか親御さんが、今ここにいて泣いてたとしても……ね」

「ふん、力に溺れて外道に堕ちるか……それもまた良し!」

 ゴルジの両手が、シェファに向けられる。枯れ枝のような、青白い両手。

 それが、電光を発した。

 魔獣人間を一撃で粉砕する稲妻が、雷鳴を伴い、迸る。

 一方、シェファの全身では、幾つもの魔石が輝いていた。

 乏しい魔力が、ほんの少しだけ体外に吸い出されてゆくのを、シェファは感じた。

 目に見えぬ何かが、眼前に生じた。

 そこにゴルジの電光が激突し、飛沫の如く飛び散って消える。その激突の瞬間、楯のような壁のようなものが浮かび上がる。

 魔力の、防壁だった。

「ぬ……」

 微かに怯みを見せる仮面の男に、魔石の杖を向けたまま、シェファは魔力を絞り込んだ。貧弱な魔力を精一杯、魔石の杖へと集束させていった。

 杖の先端で、魔石が赤く激しく、輝きを強める。そして。

「……はあッ!」

 シェファの気合いと共に。その赤い光が、魔石から奔り出した。

 火炎、と言うよりも高熱そのものの凝集体。それが真紅の光の束となってドルルルルルッ! と宙を裂き、駆ける。

 そしてゴルジの眼前で、目に見えぬ何かに激突した。たった今、シェファが発生させたものと同じ、魔力の防壁。

 それが、しかし次の瞬間には砕け散っていた。

 微かな魔力の破片を蹴散らしながら、真紅の光の束が、ゴルジの身体を貫いた。

 魔術師の薄い胸から背中へと走り抜け、消えた。

「ぐっ……が……」

 ローブに包まれた細い胴体に、見てわかる大穴が穿たれている。

 その大穴の内部が、赤く輝き、燃えている。

 燃え盛る赤色が、大穴から溢れ出し、ゴルジの全身を包み込んだ。ローブも仮面も、一瞬にして焦げ砕け、灰になった。

 結局どのような素顔であったのかわからぬまま、ゴルジ・バルカウスは今、炎に包まれている。大穴の空いた人体が、燃え盛る炎の中で、消し炭に変わってゆく。

 そんな有り様で、しかしゴルジは言葉を発した。

「な……るほど、な。やはり私は、魔術師としては劣等……まともに攻撃魔法で勝負など、してはならぬという事か……」

 消し炭になりかけた肉体が、炎の中で膨れ上がった。

 500年に1度、己の身を焼き尽くし、灰の中から新たに生まれ変わるという不死鳥の伝説を、シェファは思い出した。

 だが今、炎の中から現れつつあるのは、神々しい不死鳥ではなく、おぞましい怪物である。

 まず、翅が見えた。

 それが激しく振動し、羽ばたき、炎を吹き飛ばしてしまう。

 微かな灰と火の粉を飛び散らせながら、それは姿を現していた。

 枯れ木のようだった身体は、ブレン兵長をも上回る巨体へと膨張しつつ、甲虫のような外骨格に覆われている。

 力強い四肢を備えた、人型のカブトムシ。といった感じの姿だ。

 が、角は生えていない。首から上は、まるで甲殻で出来た頭蓋骨だ。眼窩の奥で爛々と光を燃やし、唇のない口で牙を剥いている。

 その口が、言葉を発した。

「やれやれ……醜い馬鹿力を振るって戦わねばならぬ、か」

「魔獣人間……なのか?」

 リムレオンが呻く。

 肯定も否定もせずゴルジは、牙が剥き出しの口元を微かに歪めた。笑った、のであろうか。

「……違うわね」

 根拠も理由もなく、ただ感じた事を、シェファは口に出した。

「あんた、魔獣人間……じゃないでしょ」

「ほう。何故そう思う?」

「何となくだけど……出来損ない、って感じがするのよね。今あたしが皆殺しにした連中と同じで」

 残骸兵士たちの遺灰がうっすらと降り積もる光景を、シェファはちらりと見回した。

「あんた、自分を魔獣人間にしようとして失敗しちゃったんじゃない? それで他人を魔獣人間にするのに、躍起になってる」

「ふん。当たらずとも遠からず、という事にしておこうか……私のこの身が失敗作であるのは、受け入れねばならぬ事実だがな」

 ゴルジの口調が、ねっとりと嫌な熱気を帯びる。

「だからこそ私は……成功作品を、造りたいのだよ」

「そんな事のために……どれほどの人間を、お前は……!」

 リムレオンの声が震え、詰まる。

 まるで嗚咽を漏らすように、しかし彼は怒っていた。ここまで怒ったリムレオン・エルベットを、シェファは見た事がなかった。

 その怒りをゴルジが、挑発的に受け流す。

「若君よ、言葉で怒ってみても何にもならぬぞ。先程も言ったが……力を、見せてみよ。気に入らぬ事があるならば、力でどうにかするしかないのだよ。このようになあ!」

 ゴルジが、シェファに向かって突進して来た。

 巨体に似合わぬ速度で突っ込んで来る、人型の甲虫。

 その異形に向かって、シェファは片手を掲げた。

 全身で、いくつもの魔石が輝きを発する。

 魔力の防壁が、前方に出現した。そこに、ゴルジの巨体が激突する。

 空間に亀裂が走った、ように見えた。

 続いて、微かな光の破片が飛び散り、消えた。

 魔力の防壁が、ゴルジの体当たりで粉砕されていた。

「うそ……!」

 息を呑みながらもシェファは、とっさに後方へと跳んだ。

 が、遅かった。

 ゴルジの右手が、斜め下から、すくい上げるように襲い来る。5本の長剣のような爪が、シェファの細身を打ち据えた。

 魔法の鎧から、火花が散った。

「あう……ッ!」

 一瞬、呼吸を詰まらせながら、シェファは転倒していた。魔法の鎧がなかったら、内臓をぶちまけていたところであろう。

 魔石の杖にすがりついて立ち上がったシェファを、ゴルジの左手が襲う。

 5本の刃そのものの金属的な爪が、しかしシェファに叩き込まれる寸前で、斜め上方に跳ね上がった。ゴルジがとっさに、防御の構えを取ったのだ。

 防御の形に跳ね上がった左手の爪に、魔法の剣が激突した。

 リムレオンの斬撃だった。

 壮麗な白い甲冑姿が跳躍し、空中から魔法の剣を振り下ろしたのだ。

 その刃が、ゴルジの左手の5本爪と、ぶつかり合ったところである。

 斬撃を弾かれるや否や、リムレオンは空中で身を翻した。

 重厚な魔法の鎧をまとう身体が、軽やかに回転しつつ右足を振るう。竜巻にも似た後ろ回し蹴り。

 それが、ゴルジの顔面を直撃した。

「うぬ……!」

 甲虫のような巨体が揺らぎ、頭蓋骨そのものの顔面から、鮮血と思われるものの飛沫が散る。

 リムレオンはそのまま着地しつつ、魔法の剣を、真上から真下へと一直線に振り下ろした。

 ゴルジの巨体から、大量の火花と微かな血飛沫が飛び散った。

 カブトムシのような甲殻に、外傷は見当たらない。

 それでも、自ら失敗作と言いながら、これまで現れたどの魔獣人間よりも頑強なゴルジの肉体が、よろめき揺らいでいる。

「ゴルジ・バルカウス……ッ!」

 リムレオンの怒りの呻きに合わせ、魔法の剣が、左下から右上へと一閃した。

 火花を散らせ、ゆらりと倒れそうになりながら辛うじて踏みとどまるゴルジの巨体。

 そちらへシェファは魔石の杖を向け、魔力を絞り込んだ。

「はあぁ……ぁぁああああああっ!」

 気合いと共に、集束した真紅の魔力光が、杖の先端から迸った。

 ドギュルルルルルルッッ! と宙を裂いて直進した太い赤色光が、ゴルジの胴体に激突する。

 甲虫のような巨体が、吹っ飛んだ。かなり飛んだ所で石畳にぶつかって跳ね、そのまま背中の甲殻を開いて翅を広げる。

「……ここまで、にさせてもらおう。ゾルカ・ジェンキムの作品……その力、充分に確かめさせてもらった」

 いくらか苦しげに捨て台詞を吐きつつ、ゴルジは翅を震わせ、上空へと舞い上がって行く。

 その全身で外骨格に亀裂が走り、血と思われる体液が、僅かながら滴り落ちている。

「ふ……ふふふ、魔法の鎧をまとう者たちよ。貴公らもまた英傑、世に戦乱をもたらす存在よ。せいぜい戦うが良い。おぬしらのような者どもが勇敢に戦えば戦うほど、魔獣人間の出番も増える」

 ヴゥーンッ! と翅を鳴らし、ゴルジは一気に、空の彼方へと飛び去って行った。言葉を残し、引きずりながら。

「サン・ローデルへ来られよ若君殿! 伯父君が待っておられる!」

 甲虫のような巨体は、あっという間に見えなくなった。

 その方向……サン・ローデルの方角をじっと睨みながらリムレオンが、

「……伯父上と、戦いに行け……という事、なのか……」

 声を漏らし、そして石畳に膝をついた。

 弱々しく崩れゆくその身体が、ぼんやりと白い光に包まれる。魔法の鎧が、光に戻ってゆく。

 少年の右手、竜の指輪に、白い光は吸い込まれ、生身のリムレオン・エルベットの姿が露わになる。

 細い身体の所々に包帯が巻かれ、可愛い顔を痛々しく腫らした若君。

 シェファは溜め息をつき、軽く右手を掲げた。

 全身が、青い光に包まれる。

 光に戻った魔法の鎧が、右手の指輪に吸収される。リムレオンとお揃いの、竜の指輪。

 嬉しい気分にもなれぬまま、シェファは訊いた。

「ねえ……何やってんの? リム様」

 笑っているような怒っているような、震えた口調になった。

「そんな、ボロボロになるまで戦って……そうまでして、いい格好見せたいわけ? あの女王様に」

「……ティアンナは関係ないさ、もう。ここまで来たら」

 ブレン兵長に肩を借りながら、リムレオンが答える。

 ティアンナ、などと呼び捨てにしているのが、シェファは気に入らなかった。そんな自分が、情けなくもあった。

「何でよ……何でリム様が、バケモノと戦わなきゃいけないの……?」

 満足出来るような答えなど得られないであろう問いを、シェファは口にしていた。

「弱っちくて、可愛いだけが取り柄のリム様が……可愛い顔そんなボコボコにしてまで……何で?」

「戦う理由なんて、もうどうだっていい」

 風が吹いた。もともと人間だった者たちの遺灰が、ぶわ……っと舞い上がって渦を巻く。

 それを見つめながら、リムレオンは言った。

「戦いが始まってしまった以上……戦い続けるしか、ないんだ」

「……ならば、殺さなければなりませんぞ」

 細身の若君を支えながら、ブレンが言葉を挟む。何を殺さなければならないのか、までは言わない。

「……わかっていますよ。どう綺麗事を言ったところで、戦うというのは要するに殺すという事……僕はそれを、シェファに押し付けてしまった」

「やめて。やめてよね」

 冷たい口調を、シェファは作った。

「言ったでしょ。別にリム様のために汚れ役をやろうとか、そんなんじゃないって……あたしが、あいつらをゴミ掃除みたく殺しまくったのは……」

 一瞬だけ、シェファは考えた。思いつく理由など、1つしかなかった。

「ただ単に……あたしが、残虐だから」



 メルクト地方前領主レミオル・エルベット侯爵には結局、恩を返す事が出来なかった。

 19年前。ヴァスケリア王国全体が、赤き竜への隷属の道を歩みつつあった頃。

 その流れに逆らって赤き竜の軍勢と戦い続けるダルーハ・ケスナーとその仲間たちを、レミオル侯は地方領主という立場から、いろいろと助けてくれたものだ。

 王家からも民衆からも迫害されて居場所をなくしたダルーハ一行を、この城にかくまってくれた事もある。

 赤き竜の配下の魔物たちとは、ここメルクト地方を拠点として戦ったものだ。

 思い出しつつゾルカ・ジェンキムは、城郭の露台から見下ろしていた。先程まで激戦が行われていた、城内の一角を。

 リムレオン、シェファ。それに魔獣人間を1対1で圧倒していた、巨漢の勇士。

 彼らによる激戦に、今回はゾルカが手出しをする必要はなかった。

 シェファ・ランティは、ほぼ期待通りの力を発揮してくれた。リムレオンも、未完成の試作品に近い魔法の鎧で、実によく戦ってくれている。

「御子息にこのような戦いをさせているのは、私です」

 同じ露台に立つ2人の人物に、ゾルカは振り向いて言葉をかけた。

 一組の、中年貴族の男女……メルクトの領主夫妻。リムレオン・エルベットの両親である。

「どうか、お恨みいただきたい……」

「それは違いますわ、ゾルカ殿」

 リムレオンの母、ヴァレリア・エルベット侯爵夫人が、微笑んだ。

「息子は、自分の意志で戦っております。ゾルカ殿は、それに力を貸して下さっている……そういう事なのでしょう?」

「あの魔法の鎧というものが、リムレオンを守ってくれているのでしょう。ゾルカ殿には感謝こそすれ、恨みなど」

 彼女の夫、カルゴ・エルベット侯爵も、穏やかな笑みを浮かべて言う。

 立派な領主になったものだ、とゾルカは思った。19年前、自分たちがこの城にかくまわれていた時には、本当に弱々しい若君だったものだが。

 妹を溺愛し、妹と一緒でなければ何も出来ない少年だった。

 それを心配した父レミオル侯によって無理矢理、娶らされた妻が、このヴァレリア夫人である。

 とは言えゾルカが見たところ、夫婦仲に問題はなさそうだ。

 問題があるのは、夫人の実家。サン・ローデル地方領主のゲドン家である。

「あなた……リムレオンには、領主としてお命じなさいませ」

 ヴァレリアが言った。

 息子に何を命じよと言われているのか、カルゴにも、わかってはいるようだ。

「し、しかしお前……義兄上を」

「兄が何をしているのか、あなたも御覧になったでしょう?」

 自分の兄であるサン・ローデル領主バウルファー・ゲドン侯爵を……息子に討伐させろ、と言っているのだ。この侯爵夫人は。

「あの男は、人ならざるものを使っての叛乱を企んでいるのですよ? その手始めに、メルクトを属領化しようとしているのです。そうなれば領民がどのような目に遭うか……それも、御覧になったばかりではありませんか」

「うむ……ゾルカ殿、あれらは本当に」

 言いつつカルゴが、息を呑んでいる。思い返しているのだろう。

 ゴルジ・バルカウスと名乗った男が引き連れていた、おぞましくも痛ましい者たちの姿を。

「本当に……サン・ローデルの領民であったですか、あのような……」

「間違いない、と思われます」

 魔獣人間の、なり損ないの群れ。

 このメルクト地方がバウルファー侯の手に落ちれば当然、メルクトの民衆も、同じ目に遭うだろう。

「もはや、生きて償う事など出来ない罪……」

 ヴァレリアが、天を仰いだ。

「あの男はもはや、私の兄でも、あなたの義兄でも、リムレオンの伯父でもありません。討ち滅ぼすべき逆賊です」

 逆賊。少し前まではダルーハ・ケスナーが、そう呼ばれていた。

 人間ではないものどもを率いての、叛乱。バウルファー侯爵は今、同じ事を行おうとしている。

 否。彼は、担ぎ上げられているだけだ。

 担ぎ上げている者たち。それはメイフェム・グリムと、ゴルジ・バルカウス。

 甲虫のような怪物に変化し、飛び去って行った、あの男が。ゾルカの知るゴルジ・バルカウスと同一の人物であるとしたら。

 これは地方領主の叛乱としては片付かぬ、ヴァスケリア・バルムガルド2国を巻き込んだ、とてつもない動乱になるかも知れない。魔法の鎧の1つや2つでは、いかんともし難いほどの動乱に。

 そうなれば、彼が動く。

 動乱を鎮圧する代わりに破滅をもたらしかねない、あの若者が。

 この場にいない、今はどこにいるのかわからない彼に、ゾルカは心の中から語りかけた。

(頼む、貴公は何もしてくれるなよ……ガイエル・ケスナー殿) 

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