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第22話 青き光の少女(前編)

 女王エル・ザナード1世が直々に率いるヴァスケリア王国正規軍・総勢約5000人が、王都エンドゥールを出立し、東国境へと向かった。親征である。

 対するバルムガルド王国軍は、2万とも3万とも言われている。

 自分が王都の兵士であるならば当然、女王の親征に加わって、バルムガルドと戦ったところだ。

 が、幸か不幸か自分は地方軍の一員で、メルクト地方領主エルベット家に仕える身である。まず第一に、メルクトの領民を守らなければならない。

 民を守る。その心は、この若君も同じだろう。

 と思いながらブレン・バイアスは、後方にちらりと視線を投げた。

 ぼろ雑巾のようになった1人の少年が、杖にすがりついて歩いている。今にも死にそうな、まるで敗走中の傷病兵のような足取りである。

 領主令息リムレオン・エルベット。

 傷も癒えぬまま今日もまた訓練への参加を志願して来たので、ブレンはいつも通りに相手をしてやった。戦場では、負傷したまま戦わなければならない時もあるのだ。

 その訓練を終えた後の、練兵場からの帰り道。ブレンは、少年の死にそうな歩調に合わせ、ゆっくりと歩いていた。

 振り返り、声をかける。

「御自分の足で歩いて帰れるようになりましたなあ、若君」

「……実戦なら、僕は……何回、殺されていたでしょう……」

 以前は担架で運んでやらねばならなかった若君が、今はこうして歩きながら会話も出来る。

 やはりレミオル・エルベット侯爵の孫だ、とブレンは思う。

 自分もまた少年の頃、あの剛勇無双で知られた前領主に、死にかけるまで鍛えられしごかれたものだ。

「若君は、すでに実戦を経験なされているではありませんか」

 杖を握るリムレオンの、細い右手。その中指にはまった指輪を、ブレンは見やった。

 この指輪の中に、あの魔法の鎧とやらが封じ込められているらしい。

 それを身に着けたリムレオンが、ブレンたちを石像に変えた怪物を、1対1の戦いで殴り殺したのだという。

 信じられない話ではある。が、自分が無様にも石像に変わってしまっている間に、あの怪物が仕留められていた。のは事実なのだ。

「あんなもの……実戦、とは言いませんよブレン兵長……」

 俯き加減に、リムレオンは言った。

「戦ったのは僕、ではなく魔法の鎧……僕はただ、それを中から見ていただけです」

「恥じておられますか? 若君」

 俯き加減なリムレオンの目を、ブレンはまっすぐに見据えた。

「便利な道具を使わなければ自分は戦えない、などと思っておられるようですな。まあ、悪い事ではありませんが」

「…………」

 リムレオンが、微かに唇を噛んだようだ。痛々しく腫れ上がった顔に、苦い表情が浮かんでいる。

 ブレンは、なおも言った。

「若君、戦場ではまず何よりも力が求められます。卑怯なほどに便利な道具であろうと、邪悪で禍々しいものであろうと、力は力です。力を振るって勝利をもたらし、守るべきものを守る。それが出来なければ、自身の力のみで勇敢に戦ったとしても意味はありません」

「……開き直れ、と言うんですか……どんな力であれ、勝てば良いのだと……」

「若君のように考え過ぎる御方は、少し開き直るくらいでちょうど良いのですよ」

 タテガミのような頭髪と髭に囲まれた、厳つい顔で、ブレンは微笑んで見せた。

 リムレオンも、控え目に笑ったようである。

 もう一言二言、何か言葉をかけようとして、ブレンは顔を引き締めた。

 とてつもなく嫌な空気が、漂って来たのだ。

「……若君、御無礼を!」

 今にも倒れそうなリムレオンを、ブレンは左手で突き飛ばし、右手で戦斧を構えた。防御の形にだ。

 その戦斧に、光がぶつかった。

 リムレオンを狙って一直線に伸びて来た、光の筋。

 それはすぐに消えたが、同時にブレン愛用の戦斧も消え失せていた。一瞬にして錆び付き崩れてしまったかの如く、サラサラと塵に変わり、ブレンの手からこぼれ落ちる。

「無駄な事ぁやめた方がいいぜええ、人間が俺と戦おうなんてよおお」

 嘲笑う声と共に、ズシリと重い足音が響く。

 人間ではない大男が、そこに立っていた。重い足音を響かせる両足は、蹄だ。

 筋肉が破裂しそうに膨れ上がった全身、のあちこちに眼球が埋まっている。太股、腹筋、脇腹、両肩に前腕、胸板、恐らくは背中でも。凄まじく分厚い筋肉が、目蓋のように開いて、ギラギラと血走った眼が現れているのだ。

 首から上は、鋭い2本の角を生やした雄牛。その角と角の間でも1つ、眼球が見開かれている。本来の両目と合わせて計3つの眼を凶暴にぎらつかせた、猛牛の頭部。

 全身に埋まった眼球の中で、胸板中央のものが最も巨大である。

 突き飛ばされたリムレオンが、よろよろと身を起こして杖にすがりつつ、呻く。

「魔獣人間……」

「ほう。俺らの事を知ってるって事ぁ、ここの城主の息子ってのぁおめーだなああ」

 目が3つある雄牛の頭部が、人間の言葉を吐いた。

 魔獣人間。先の叛乱でダルーハ・ケスナーが使役していたという怪物。

 ダルーハの死後も何者かによって使われ、こうして領主の城に侵入して来る。

 城の防備が、やはり甘いのか。あるいは。人間の造った城で、人間ではないものの侵入を防ぐ事など、そもそも不可能なのであろうか。

「おめーをちっとブッ殺してこいって命令されてんからよおお……この魔獣人間ミノホルダー様の必殺破壊光線! ジタバタせずに喰らっとけや楽に死ねるからよおお!」

 名乗り喚いた魔獣人間の、分厚い胸板で、巨大な眼球がカッ! と見開かれる。

 先程の光は、そこから発射されたのだろう。と落ち着いて分析している暇もなくブレンは、身に着けた甲冑から短剣を引き抜き、投げた。剛力と技量を兼ね備えた、投擲。

 疾風の如く飛んだ短剣が、魔獣人間ミノホルダーの胸板の中央、破壊の光を放つ寸前の眼球に深々と突き刺さる。

「ぎゃ…………!」

 悲鳴を上げようとする魔獣人間に、ブレンは姿勢低く突っ込んで行った。

 体当たり、と同時に捕まえる。眼球だらけの怪物の巨体に、がっちりと両腕を回す。

 そのままブレンは身を反らせ、全身の力で、魔獣人間を後方に投げ飛ばした。

 後頭部から真っ逆さまに、ミノホルダーは石畳に激突した。人間ならば、生きてはいない。

「受け身の取り方が、全くなっておらん……」

 頭を抱えて苦しげにのたうち回る魔獣人間。その牛型の頭部をブレンは両腕で捕まえ、抱え込んで捻り上げた。

 捻られた首が支点となって、ミノホルダーの巨体が弧を描いて舞い、石畳にビターンと叩き付けられる。

「ぐえぇ……っ」

 苦痛に呻く魔獣人間の首を、頭部を、両腕でガッチリと捻り押さえたまま、ブレンは語りかけた。

「ろくに戦闘訓練も受けず、身体も鍛えず、魔道の類で安易に馬鹿力を身に着けた輩……それが魔獣人間というわけか」

「へ……か、身体を鍛える奴ぁバカだ……戦闘訓練だあ? んなメンドくせええ事やんなくったってなああ……」

 ミノホルダーが、首を極められながらも世迷い言を呻き続ける。

「ごっゴルジ様に、ちっとカラダいじってもらえりゃ簡単に強くなれるんだよおお」

 ミノホルダーの全身で、いくつもの眼球が怪しく輝き始める。

 先程の破壊の光、と同じようなものが発射されようとしている。

 構わずブレンは魔獣人間を、首を抱え捕えたまま振り回した。

 筋肉太りした巨体が、またしても石畳に叩き付けられる。太い首に、ブレンの力強い腕が、さらに容赦なく食い込む。

 猛牛の頭部を抱え捕えて捻り上げつつ、ブレンはさらに言った。

「目からおかしなものを出すのが貴様の戦い方……だがそれには、魔力やら気力やらを眼球に込めなければならんのだろう。首をへし折られようとしている状態で、それが出来るか?」

「あがっ……! ぐ……っ」

 ミノホルダーはもはや答える事も出来ず、悲鳴を漏らすだけだ。

「眼光を武器とする化け物に、そう何度も不覚をとるわけにはいかんからな……」

 一方的に締め上げながら、ブレンは言葉を続けた。

「良い機会だ。貴様には、若君のための生きた教材となってもらおう……若君、ようく御覧なされませ。いかに馬鹿力の怪物と言えど、生き物とは、こうして首を押さえてしまえば何も出来なくなります。いかなる馬鹿力も、発揮出来なくなるのです。何故か? 生物の動きというものは、大きなものであれ小さなものであれ、まずは首の微かな動きから始まるからです。その微かな初動を、こうして封じ込んでしまう事。素手の戦いにおいては、それが肝要ですぞ」

「すごい……ブレン兵長は、やはり最強の戦士です……」

 リムレオンが、息を呑みながら感心してくれている。

「けれど……その戦い方は、1対1……限定、ですよね」

 1対1、ではなくなりつつあった。

 魔獣人間に劣らぬほど不快な気配が、のたのたと這いずるように周囲を満たしつつある。

 ローブやマント、というほど上等なものではない。衣服と言えるかどうかも疑わしいボロ布で全身を覆い隠した、人影。

 それが5体、10体、いや20体近く。城内に侵入し、ブレンに、リムレオンに、歩み迫って来ていた。猫背気味に立って歩きながらも這いずるような、ベタ、ベタッ……とした足取りでだ。

「何者……!」

 ミノホルダーの首を抱え極めたまま、ブレンは短く問いかけた。

 答える事もなく、ボロ布をまとった人影たちは、ただ呻いている。

 人間の声、であるのは間違いない。が、それを発しているのは人間……ではない。

 ブレンは直感した。あまりにも、おぞましい直感だった。

 ボロ布に身を包み、表記不能・意味不明な呻き声を発し続けている、この生き物たちは。間違いなく今、締め上げている魔獣人間などよりも、ずっと禍々しく忌まわしい存在だ。

 声がした。これは、聞き取れる言葉だ。

「何ともはや……私も、人より長く生きているつもりではあるが」

 禍々しい生き物たちの中から1人、男が進み出て来た。

 ローブに身を包み、のっぺりとした仮面を顔に貼り付けた、声からして恐らく若くはない男。

「よもや、魔獣人間を素手でねじ伏せる勇士に出会えるとは……人の道を踏み外してまで長生きをした甲斐があったというもの」

「何者だ、貴様……」

 ミノホルダーの巨体をもう1度、首を捕えたまま振り回し、石畳に叩き付けながら、ブレンは微笑んで見せた。

「こんな格好だが一応、礼儀は守っておこうか。俺はブレン・バイアス。この城で、兵隊を束ねている」

「ゴルジ・バルカウスと申す者……ブレン・バイアス殿。貴公もまた、人の道を踏み外してはみぬか」

 仮面の下で、男の目がギラリと光った。

「貴公ならば、最強の魔獣人間となれる……かのダルーハ・ケスナーにも劣らぬ怪物となれるぞ」

「ブレン兵長は、エルベット家の大切な人材……つまらない事に使うのは、やめて欲しいな」

 リムレオンが言いながら、杖を放り捨て、右拳を握った。中指で、指輪が光る。

「ゴルジ・バルカウス……魔獣人間たちを差し向け、この城でいろいろと悪さをさせていたのは、貴方なのか?」

「だとしたら、どうなさる。若君」

 ゴルジの言葉と共に、彼の引き連れて来た20数体もの禍々しい生物が、まとっているボロ布をはためかせ、様々なものを振り立てた。

 ある者は、長剣のような爪。ある者は、鞭のような触手。ある者は、毒針を生やした尻尾……

 やはり思った通り、この者たちは人間ではない。人ならざる異形の姿を、ボロ布で包み隠しているのだ。

「これだけの数の魔獣人間を、メルクト領内に持ち込むとは……」

 リムレオンの声が、震えている。恐怖。いや怒り、であろうか。

 この若君が怒ったところなど、ブレンは1度も見た事がない。

「ここへ来るまでに……領民に、何か危害を加えてはいないだろうな。ゴルジ・バルカウス」

「さあ、どうでありましょうかな」

 ゴルジが笑う。リムレオンを挑発している、とブレンは感じた。

「……我々はこのような怪物どもを、いくらでも造り出す事が出来る。おわかりか? メルクトの領民など殺し放題という事なのだよ若君。我らがその気になれば、なあ」

「伯父上の……バウルファー・ゲドン侯爵の、命令か」

 リムレオンの言葉に合わせ、彼の細い拳が……いや、その中指に巻き付いた竜の指輪が、白い輝きを増してゆく。

 リムレオンが、この脆弱なる若君が、戦おうとしているのだ。

「だとしたら……どうなさる?」

 ゴルジが、先程と同じ答え方をした。

「若君よ、そうやって言葉で問い詰めるだけでは何にもならぬ。悪しきものをどうにかしたいと思うならば、言葉ではなく力を振るわねば。その力……貴方は、お持ちのはずだ。私に見せてはいただけまいか」

 リムレオンは戦おうとしており、ゴルジは彼を戦わせようとしている。

 ブレンは、思わず叫んでいた。

「なりません若君! そのお身体で」

「心配御無用です。今の僕の状態に関係なく……魔法の鎧が、勝手に戦ってくれますから」

 リムレオンが、微笑んだ。

 これほど苦い微笑みを、ブレンは見た事がなかった。

「そんな力でも、力は力……戦場では、まず第一に必要とされるもの。ですよね? ブレン兵長」

「若君……」

「今は、どんな力でも振るって勝たなければならない時……魔獣人間に、メルクト領内で勝手な事はさせない……!」

 光り輝く拳を、リムレオンは高々と掲げた。

 ボロをまとった、人間ではない者たちが、5体。爪を、触手を、蟹のようなハサミを振り上げ、リムレオンに襲いかかる。這いずるようだった動きが、猛獣を思わせる高速の襲撃に変わっていた。

「若君……!」

 ブレンは呻くだけで、ミノホルダーを捕えたまま動く事は出来なかった。自分の力では、魔獣人間1体の動きを、こうして止めておくのが精一杯である。

 リムレオンには、自力で身を守ってもらうしかない。そのための力を、彼は確かに持っているのだから……

 禍々しいものたちによる襲撃の中、リムレオンは思いきり身を屈め、掲げていた右拳を石畳に叩き付けた。

「……武装転身!」

 白い光が、少年の拳から石畳に広がり、得体の知れぬ紋様となり、さらに激しく輝いて、リムレオンの全身を下から包み込んだ。

 襲いかかって行ったものたちが5匹とも、その光に弾き飛ばされ、倒れ込む。

 彼らの身を包んでいたボロ布がちぎれ飛び、人間ではないものの姿が露わになっていた。

 醜悪、としか言いようのない肉体が5つ。石畳の上で、おぞましく苦しげに、のたうち蠢く。

 それらに囲まれながら、1人の騎士が、石畳に右拳を打ち付けた姿勢で片膝をついていた。

 白い、壮麗なる全身甲冑に身を包んだ、堂々たる騎士姿。力に溢れている。

 リムレオンのものではない力が、リムレオンを包み込んでいる。

 仮面そのものの面頬の下で、少年は今、どのような顔をしているのか。

 先程の苦い微笑みが、ブレンの脳裏に甦った。

(……強くなりたいのですな、若君)

 心の中から、ブレンは語りかけていた。

(本当に、強くなりたいのですな……その力に、負けぬほど……)



 違う、とリムレオンは感じた。魔獣人間ではない。何かが違う。

 ダルーハ・ケスナーの死によって勢力を取り戻した、あのオークやトロルといった怪物たちでもない。

 これまで書物で目にしてきた、いかなる生き物とも異なるものたちが、5体。のた……っと身を起こしながら、触手を、尻尾を、揺らめかせる。刃物のような爪や角を、震わせる。

 どれも四肢を備えた、辛うじて人間に近いと言える体型をしていた。

 何とも表現しようのない肉塊が、人型を成しつつ、触手やら角やらを生やしているのだ。

 そして、呻いている。

「あ……ぅ……あうあう……い……たぁあい……」

「いたいよう……お母ちゃあぁん……」

「が……がまん、するんだよおぉ……がまん、すれば……領主様が、お父ちゃんを……牢屋から、だして……くれるからねえぇ……」

「あっ……あぁあ……痛い、イタぁい、くるしいぃいぃぃ……」

 明らかに人間ではないものたちが、しかし人間の言葉を発しながら、一斉に襲いかかって来る。

 長剣のような爪が、鞭のような触手が、その他様々な有機的凶器が、あらゆる方向からリムレオンを襲う。

 かわし、踏み込みながら、リムレオンは左右の拳を振るった。

 ぐちゃ、ビチャ……ッと、肉質の飛沫が散った。

 肉塊、あるいは臓物の塊のようでもある身体に、拳の跡を刻印された怪物たちが、弱々しくよろめいて倒れる。そして石畳の上を這いずり、のたうち、脳漿のようなものをドロドロと垂れ流しつつ、起き上がって来る。

「いっ……たぁい……よおぉ……」

「我慢……がまん、だよぉ……ガマンすればぁ、税を払わなくてイイって領主様があぁ」

「りょうしゅ、さまぁ……ボク、いうこと……ききますから……パパとママを、かえして……」

 後退りをしながらリムレオンは、己の左右の拳を見下ろした。

 握り固められた魔法の手甲が、よくわからぬ体液でドロリと汚れている。

 あまりにも嫌な手応えが、魔法の鎧で遮断する事も出来ず、素手に染み入って来る。

 何だ、とリムレオンは思った。自分は今、何を殴ったのか。

 この者たちは一体、何者なのか。

「答えろ……ゴルジ・バルカウス……」

 リムレオンは思わず、命令をしていた。他人に命令をするなど、生まれて初めての事かも知れなかった。

「これは一体、何だ……お前は何を……メルクト領内にまで、引き連れて来たんだ……?」

「聞きたいか若君。はっきり言わねば、わからぬか」

 仮面の下で、ゴルジはおぞましい笑みを浮かべた。おぞましい笑顔であろう事は、仮面を剥ぎ取ってみるまでもなくわかる。

「これらは魔獣人間のなり損ないよ。残骸兵士、と名付けてみたのだがな……広いサン・ローデル全土から人間を掻き集めてみても、佳き素材にはなかなか巡り会えぬ。どうにか出来上がった魔獣人間も若君よ、貴殿にたやすく倒されてしまう粗悪品ばかり。というのが現状でなあ」

 嘆かわしそうに頭を横に振りつつゴルジは、ブレン兵長の方を見た。

「……ブレン殿、であったな。貴公は実に素晴らしい素材だ。私と共に来い。戦士であるならば強くなりたかろう? 修行や鍛錬では決して辿り着けぬ領域に、私ならば貴殿を導いて差し上げる事が出来る」

「……たとえ悪魔に魂を売っても、力を得る。強さを求める。確かにそれは、戦士として1つの在り方なのだろうな」

 魔獣人間ミノホルダーの首を絞め捕えたまま、ブレンは応えた。低く、そして重い声で。

「俺も今……貴様のような輩をこの世から消し去る事が出来るなら、悪魔に魂を売ってもいい。そう思い始めているところだ」

「大変お気の毒とは思うが……貴公の力で私をこの世から消す事は、出来んよ」

 本当に気の毒そうに言いながらゴルジは、ブレンに向かって両手を掲げた。ローブの袖から枯れ枝の如く伸び現れた、細く青白い、死人のような両手。

 それがバチッ! と光を発した。電光、である。

「何故なら私は、貴殿と違い……これ以上、上り詰める事の出来ぬ高みへと達してしまったのだ。努力や修行では決して辿り着けぬ領域へと、な」

 その電光が、雷鳴を立てて迸った。

 その時にはブレン兵長は、捕えた魔獣人間を引きずり起こし、振り回し、ゴルジに向かって物の如く投げつけていた。

 ブレンを直撃するはずだった電撃光が、投擲されたミノホルダーの巨体にバチバチバチッ! と絡み付いた。

 奇怪な悲鳴を上げる魔獣人間。その肉体のあちこちで、眼球が破裂する。筋肉が、血管が、破裂する。噴出した臓物が、やはり破裂する。飛び散った体液が、電熱に灼かれて蒸発する。骨格が、砕け散る。

「……私はもはや、これ以上は強くなれぬという事だ」

 電光が消えた。魔獣人間ミノホルダーも、消滅に近いところまで粉砕されて屍も残っていない。

「だが貴公ら人間たちは、無限の可能性を秘めておる。私はそれを、こうして試している最中なのだよ」

 呻き蠢く残骸兵士たちを、ぐるりと見回しながら、ゴルジは語る。

「わかってはもらえぬか? 人間という存在を、より高みへと導くのが私の使命……」

「……すまない、そろそろ黙ってもらおうかな」

 腰から魔法の剣を抜き放ちながら、リムレオンは踏み込んだ。

「いくら聞いても僕には恐らく、お前の話は理解出来ない……!」

 踏み込もうとした足が、止まった。

 ボロ布を脱ぎ捨てた残骸兵士たちが、ゴルジを護衛する形に群れ、リムレオンの行く手に立ち塞がっている。

「いたぁい……よぉ、お母ちゃあん……」

「どこ……あたしの、手……あたしの、足……あたしの、おっぱい……どこに、あるのよぉお……」

「約束、だ……早く、俺の娘を……牢屋から、出して……」

 口々に痛々しい呻きを漏らし、立ちながら這いずるように、のたのたと迫り来る残骸兵士たち。

 リムレオンは、踏み込む事が出来なくなった。

(何を……ためらっている、もう1人の僕……)

 自分の意思に関係なく戦ってくれるはずの魔法の鎧が、1歩も動こうとしない。

(元は人間だった生き物を、お前はもう……何体も、殺しているんだぞ……)

 元は人間だった者たちが今、ゴルジを警護しながら、触手を揺らし、爪や角を振り立て、脳天や腹部で口を開いて牙を剥いている。

 あの触手で、爪や角、牙で、どれほど人間を殺傷出来るのか。

 とにかく。この残骸兵士たちはゴルジの命令には逆らえぬまま、放っておけばメルクトの領民にも危害を加えるかも知れない。

 ゴルジ共々、ここで皆殺しにしておかなければならない。

 そのための、魔法の鎧と剣なのだ。

 と頭ではリムレオンもわかっている。

 身体は、しかし動かない。魔法の鎧も、動いてくれない。

「戦うのです、若君!」

 叫びながらブレン兵長が、残骸兵士の1体を投げ飛ばしていた。

「痛いよう……」

 石畳に叩き付けられた残骸兵士が、幼い女の子の声で悲鳴を漏らす。腹の辺りで開いた、割れた瘡蓋のような口でだ。

 その口をグシャリと容赦なく踏み付けながらブレンは、

「戦場で相手を選ぶ事など、出来はしませんぞ!」

 襲いかかって来た残骸兵士2体、の片方を掴んで振り回し、もう片方と激突させた。痛ましいほど醜悪な肉体が2つ、グチャ……ッと一体化し、様々な飛沫を飛び散らせる。

 まるで手本を見せてくれるかのように、ブレン兵長は己の手を汚し、戦っている。

 なのにリムレオンは、やはり動けなかった。

(動け、もう1人の僕……! お前なら、どんな残虐な戦いも出来るはずだ!)

 動かぬ魔法の鎧を動かそうとする、のに精一杯で、リムレオンは気付かなかった。

 残骸兵士たちの後方からゴルジが、こちらに向かって片手を掲げている事に。

 その枯れ木のような片手が、光を発した。電光だった。

「ぐあっ……ぁああああああッッ!」

 絶叫を痙攣させながら、リムレオンは倒れていた。

 全身にバリバリッ! と電撃光が絡み付いている。

 衝撃が、魔法の鎧の内部にまで流れ込んで来る。

 魔獣人間を一撃で粉砕した電光。魔法の鎧がなければリムレオンも、先程のミノホルダーと同じ死に様を晒しているところだ。

「ふむ……戦いを躊躇うような者に、戦う力を託すとはな。ゾルカ・ジェンキム、一体何を考えている」

 倒れ、のたうつリムレオンに、帯電する片手を向けたまま、ゴルジが呟く。

「まあ良い、こうなればメイフェム殿がやり損なった事をやるまでよ……魔法の鎧はいただいてゆく。中身を潰して、な」

「ぐっ! ぐぇええ……ッ」

 バチバチと執拗に絡み付く電光に苛まれ、リムレオンは石畳の上を無様に転げ回った。魔法の鎧が、起き上がってくれない。

 立ち上がれぬリムレオンの傍らに、人影が立った。ほっそりと可憐な、頼りない人影。

「無理です、ブレン兵長……」

 シェファ・ランティだった。いつものように、魔石の杖を携えている。

 だが身に着けているのは攻撃魔法兵士のローブではなく、健康的な太股を剥き出しにした短衣である。

「こんな連中と戦うなんて、リム様に出来るわけありません。無理に戦って、こいつら皆殺しにでもしちゃったら……リム様、後悔して立ち直れなくなります。うじうじ悩んで何にも出来ない駄目人間になっちゃいます。あたしは別に、それでもいいんですけどね」

「シェファ……」

 駄目だ、来るな。逃げろ。そう叫ぼうとしてリムレオンは失敗し、珍妙な悲鳴を漏らした。絡み付く電流で、声帯がおかしな感じに痙攣してしまう。

 代わりにブレンが、残骸兵士の1体を殴り倒しながら叫んでいた。

「何をしているシェファ! 帰れ、逃げろ!」

「逃げるくらいなら、最初から出て来ませんよ……」

 言葉を返しながらシェファは、軽く右手をかざした。

 リムレオンは、己の目を疑った。

 少女の繊細な中指に、小さな竜が巻き付いている。ように見えたのだ。

 自分が中指にはめているものと同じ、竜の指輪……いや、そんなはずはない。自分は今、電撃に苦しめられて幻覚を見ているのだ。

「ほう、それは……」

 ゴルジが、興味深げな声を出す。

 ゴルジの興味が、シェファに向けられてしまった。

 感電・痙攣する喉から、リムレオンは絶叫を絞り出した。

「だ……めだ、シェファ……にげろぉおおおおおおおッッ!」

「それはこっちの台詞。戦えない人には、とっとと逃げちゃって欲しいのよね」

 竜の指輪が、シェファの右手で、淡く光を発し始める。

「逃げないんなら、せめて目ぇつむってて……それか、見て見ぬふりして見てなさいよ。あたしが今から、ちょっと残虐な事やらかすから」

「シェファ……!」

 リムレオンは悟った。

 この少女は今から、手を汚そうとしている。

 手を汚す勇気のない、臆病な若君に代わってだ。

 自分はシェファに、とてつもない汚れを押し付けようとしているのだ。

「駄目だ……そんな……!」

「よく見ててね。残虐な事をやるのは、リム様じゃなくてあたし……軽蔑したかったら、してもいいよ」

 軽蔑されるべきは僕だ。

 そう叫ぼうとするリムレオンを背後に庇い、シェファは立った。

 ゴルジ、それに残骸兵士たちと、対峙した。

 少女の右手の指輪が、輝きを強めてゆく。清かな、青い光だった。

「勘違いしないでね。リム様のために汚れ役を引き受ける、なんてのとは全然違うから……あたしはただ、お城のゴミ掃除をするだけ。領主様から、お給料いただいちゃってるからね」

 苦笑めいた言葉と共にシェファは、舞うように身を翻し、愛らしい右手を振るった。

 竜の指輪から青い光がキラキラとこぼれ出し、軽やかに舞い回る少女の細身にまとわりつく。

 その煌めきの中で、一言だけ、シェファは呟いた。

「武装転身……」

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