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第19話 戦乱胎動

 ゾルカ・ジェンキムの言った通りになった。

 バルムガルド王国が、ほぼ宣戦布告に等しい事を言ってきたのだ。

 前国王による正式な指名と臣民の支持を得たわけでもなく、ただ逆賊に擁立されたまま玉座に居座っている女王など、バルムガルドとしては認める事が出来ない。エル・ザナード1世は即刻退位し、正当なる王位継承者シーリン・カルナヴァートに王冠と玉座を返還すべし。血縁国ヴァスケリアに正義と秩序をもたらすため、我が国は武力の行使をも辞さぬであろう。

 などと偉そうに告げたバルムガルドの使者に、ティアンナは出来る限り高圧的にならぬよう言葉を返した。

 誰に擁立されたものであれ、国王をそう容易く替える事は出来ない。ヴァスケリアにはヴァスケリアの事情がある。他国の事情を一顧だにせず武力を振りかざし、自国の都合を押し付ける。それが本当に正義と秩序をもたらす事になるのかどうか、今一度の御賢慮をバルムガルド国王にはお願い申し上げる。と。

 それと同じ内容の書簡を使者に持たせ、バルムガルドへと帰した。

 どのような返答をしたところでバルムガルド側は、最終的にはなりふり構わず、ヴァスケリアの侵略併呑を強行しようとするだろう。

 現王エル・ザナード1世の政権を武力で打倒し、シーリン・カルナヴァート元ヴァスケリア第4王女を傀儡の新女王として擁立する。あくまでもヴァスケリア王国のため、という立て前を押し通すために。

 エンドゥール王宮の城壁に立ち、王都の街並を見下ろしながら。ティアンナは、幼い頃に王宮の一角で目の当たりにした、ある光景を思い起こしていた。

 母マグリアに様々な嫌がらせをしていた後宮の女たちの、筆頭とも言うべき正王妃が、馬車の事故で死んだ。

 その正王妃の棺にすがりついて痛々しく号泣していた、1人の幼い王女。

 ティアンナにとってはろくに口もきかぬ姉の1人に過ぎなかった、あの少女が、第4王女のシーリン・カルナヴァートであった。それを知ったのは、かなり後になってからだ。

 政略の道具としてバルムガルド王家に嫁いだあの姉が、傀儡の女王としてヴァスケリアに帰って来る、かも知れないのだ。

 足音が聞こえて来た。あまり武術武芸とは縁のない人間の、足運びである。

「復興も、だいぶ進んでおるようですな。女王陛下」

 モートン・カルナヴァート元第2王子だった。

 ティアンナと並んで城壁に立ち、王都を見下ろしている。

「……が、おかげで王宮の財政は火の車です。その上、税が5公5民などと」

 ダルーハ軍によって半ば廃墟となった街のあちこちで、民たちが忙しく活発に動き回っている。

 それを眺めながらモートンが、ぶつくさと漏らした。

「せめて6公4民にとどめておけば良いものを……」

「それでは民が、やる気をなくしてしまいます」

 最終的には3公7民くらいに税を安定させたい、とティアンナは思っている。

 民がやる気を出して働いてくれなければ、国が保てなくなる。

 そうなった時に最も困窮するのは、民ではなく、まず王侯貴族なのだ。

「それより兄上には1つ、お訊きしたい事があります」

 母親の異なる兄の方を、ティアンナはちらりと向いた。

「私の姉上……シーリン・カルナヴァート元第4王女とは、どのような人だったのでしょう。傀儡として担ぎ上げられての王位を、喜ぶような方なのでしょうか」

「あれは本当に気だての良い妹であった。お前と違ってな」

 モートンの口調が、兄としてのそれに戻った。

 彼とシーリンは同腹の兄妹。馬車の事故で死んだ正王妃の、息子と娘である。

「シーリンがこの国の王位を望んでいるのか否か、そんな事は問題ではあるまい。あれの意思など考慮する事もなくバルムガルドは、国を挙げて担ぎ上げようとしているのだからな。下りたくても、下ろしてはもらえまいよ」

「……でしょうね、確かに」

 女王として政治を始めてから1つ、ティアンナが気付いた事がある。

 それはこの兄が、世間で言われているほど無能者ではなかった、という事だ。

 とりあえず国王補佐のような仕事をやらせている。

 伊達に王族として自分より長く生きてはいないな、とティアンナに思わせるような助言を、本当に時折にだが、してくれる事がある。

「まったくバルムガルドと言い、あのダルーハと言い、世の者どもは面倒事ばかり引き起こしてくれる……私は捨て扶持をもらって安穏と暮らしたいと言うのに」

「そのように、なめた事をおっしゃらず……兄上が王位を継いでさえ下されば、バルムガルドが妙な難癖を付けてくる理由も無くなりますのに」

 ダルーハ討伐の後から、この兄はずっと王位から逃げ回っている。

「なあティアンナよ。一国を統治する者にはな、わかりやすさというものが必要なのだ。特にこういう大変な時期においては」

 モートンが、それらしい逃げ口上を述べ始めた。

「逆賊ダルーハ・ケスナーを自ら討伐した武勇の姫君が、女王となって自分たちを導く……民衆にとって、これほどわかりやすい話はあるまい? 私では駄目だ。ヴァスケリア国民から見たモートン・カルナヴァートとは、諸侯と王国正規軍を率いてダルーハを攻めながら無様に敗れた、無能王子でしかない。そんな者が国王になったら、民は不安で仕方なかろうが」

「兄上、ダルーハ卿を討ち取ったのは私ではなく」

「真実がどうであるかは問題ではないのですよ、女王陛下」

 モートンの言葉遣いが、臣下のそれに変わった。

「国民の目にどう映ったかが全てなのです。政治とは、そういうものでありましょう……ダルーハ軍との戦において、常に陣頭に立っておられた貴女の姿を、民衆は見ております」

 常に陣頭に立って戦い、魔獣人間には勝てずに無様な姿を晒し続けてきたティアンナ。

 と同じくらいには先頭に立って戦い、その圧倒的な力でダルーハ軍を圧倒していた1人の若者。

 彼に関して、民衆は不思議なほど騒ごうとしない。

 ダルーハを討ち取ったのはティアンナである、などという話にもなっている。

 情報操作のようなものを、ティアンナは感じずにはいられなかった。何者かが、そのような噂を、王国全土に流布している。

 とすれば、それは誰か。

 いくら何でもモートンに、そのような事をする政治能力があるとは思えない。

(……貴方ですか、ゾルカ殿)

 ゾルカ・ジェンキムは今、王宮にはいない。しばしメルクト地方にとどまる、と言っていた。

 自分の作品である魔法の鎧の力を、もう少し見届けたいのだろう。とティアンナは思っていたが、そのついでに何かしら政治的な暗躍をしているのかも知れない。

 が、仮にゾルカがそのような情報工作をしているのだとしても。民衆や兵士たちの中には、あの人間ではない若者の戦いぶりを直接、目の当たりにした者もいる。

 女王エル・ザナード1世は、魔物を飼っている。女王の背後には、怪物がいる。などという噂になってしまうのは、止められない。

 モートンが1つ、咳払いをした。

「……つまらぬ事を考えておられますな、女王陛下」

「つまらぬ事……とは?」

「陛下を快く思っておらぬ者たち……特に地方領主どもは、陛下ではなくガイエル・ケスナーを畏れております。この肝心な時に行方知れずな馬鹿怪物の、幻影を」

 ティアンナは思う。もし今、ガイエル・ケスナーが傍にいてくれたら。

 自分は間違いなく、彼の力を後ろ楯として、地方領主たちに無理難題を押し付けていただろう。それこそ2公8民くらいの税制改革を強行していたかも知れない。無論その2公の中に、地方貴族の取り分などはない。

 文句を言う者がいたら一族皆殺しの上、財産は没収し、戦災の復興に充てる。

(貴方なら、そのくらいの事……頼んでもいないのに、して下さるかも知れませんね。ガイエル様)

 幸か不幸か彼は今、王宮にはいない。

 にもかかわらず地方貴族たちは、いない者の影に怯え、ティアンナの命令に従っている。

 女王の命令に逆らったら、あの人間ではない若者を差し向けられる。

 特にバウルファー・ゲドン侯爵などは、そんなふうに思っている事だろう。

 皆、女王エル・ザナード1世ではなく、ガイエル・ケスナーを畏れている。

 女王自身には、何の威光も力も、ありはしないのだ。

「御自身には何の威光も力も無い。などと思っておられるのでしょう。そんなつまらぬ自尊心・自立心など、この城壁から投げ捨ててしまいなさい」

 妹に張り倒されて鼻血を流していた人物とは思えぬほど、モートンの口調はしっかりとして力強い。

「利用出来るものは、徹底的に利用なされば良いのです。この場にいない者の、幻影であろうと」

「ガイエル様の、幻影を……」

「女王陛下に従わぬ者は、あの怪物に殺される……勝手にそう思ってくれるなら、思わせておけばよろしい。腹黒い地方領主どもが、それで言う事を聞いてくれるのなら安いもの。いない者を役に立てる、くらいのしたたかさは、お持ちになるべきですぞ」

「……私、思います。やはり国王にふさわしいのは、兄上の方であると」

 皮肉ではなく本心から、ティアンナは言った。

 ふん、とモートンが鼻で笑った。

「馬鹿を言うな。私はただ、安穏と暮らしたいだけ……お前には一日も早く王国を立て直して税収を安定させ、私がのんびり生活出来るだけの捨て扶持を捻出してもらわねばならんのだ」

「兄上は有能な副王であられます。捨て扶持で楽隠居など、させはしませんよ」

 にっこりと、ティアンナは苦笑した。

 そう言えば。この兄を女王補佐の地位へと強く推薦したのも、ゾルカ・ジェンキムだった。



 メルクト地方、領主の城。

 練兵場の方から、何人かの兵士が、担架を担いで和気あいあいと歩いて来る。

 皆、笑ってはいるが。カルゴ侯爵が途中で見ていられなくなるほど過酷な軍事訓練を終えた、直後なのだ。

 担架で運ばれているのは、死体、のようにも見える。死者が出るほどの訓練など、許可した覚えはないのだが。

「おう、これは侯爵閣下」

 特に大柄な壮年の兵士が、カルゴに気付いて敬礼をした。

 筋骨たくましい裸の上半身には、幾本もの細かな傷跡が、縦横に刻み込まれている。

 首から上は、まるで獅子だった。頭髪と頬髭と顎髭が全て繋がって、たてがみのように顔面を囲んでいるのだ。

 その獅子のような厳つい顔面にも、一筋の古傷が走っている。

 メルクト地方守備軍司令官、ブレン・バイアス兵長である。35歳。先代レミオル侯の頃から、エルベット家に仕えている。

 彼の部下である兵士たちも、担架を担いだままビシッと敬礼をした。

 カルゴは、とりあえず片手を曖昧に掲げて応えた。

「いやあ、若君は思いのほか頑張っておられますぞ」

 嬉しそうな声を出しながらブレン兵長が、兵士たちに身振りで指示をする。

 それに従って兵士たちが、担いでいた担架を、そっと石畳の上に下ろした。

 横たわっているのは、死体……ではなかった。死体寸前といった様子の、1人の少年である。

 見るからに鍛え方の足りぬ、か細い身体のあちこちに、包帯が巻かれている。

 娘のようでもある柔和で繊細な顔は、痛々しく腫れ上がっていた。

 リムレオンである。

 死体の如く気絶して動かぬ息子を見下ろしながら、カルゴは言った。

「……訓練の邪魔になるようであれば、放り出してくれて一向に構わんのだぞ」

「何の、邪魔なものですか。いやはや実に鍛えがいのある若君であらせられます」

 ブレンの口調も表情も、明るい。その明るさの根底に、しかし重い何かがある。

 十数名もの部下を、彼は失っているのである。

 数日前、城の近くの川で水遊びをしていた子供たちが、オークとギルマンの群れに襲われた。

 そこへブレンの配下の兵士たちが駆けつけ、勇敢に戦って子供たちを守り抜いたものの。自分たちは怪物の群れと刺し違える形で全滅し、1人も生き残らなかったという。

 リムレオンはそう語り、その場にいながら何も出来なかった事を恥じていた。

 その前日にも、似たような事があった。

 何と、城の庭園に怪物どもが侵入し、母の墓参をしていたティアンナ女王を襲ったのだという。

 ティアンナが自力でその怪物たちを倒し、リムレオンは傍にいながら何も出来なかった。

 リムレオン自身が、そう語っていた。

 息子の話には少々、怪しいところがある。とカルゴは思っている。

 が、十数人もの兵士が怪物どもに殺害されたのは事実だ。

 死んだ部下たちに関して、ブレン兵長は何も語らない。

 ただ生き残っている兵士たちに、以前とは比べ物にならないほど厳しく過酷な戦闘訓練を課すようになった。

 ここ何日かの間、守るべき領内で怪物どもに跳梁跋扈され、配下の兵隊からも犠牲者が出た。

 部下を死なせないためには、訓練を厳しくするしかない。とでも思い込んでいるのだろう。

 その訓練に、リムレオンが参加を志願したのだ。

「若君は、お強くなられますぞ」

 勇猛苛烈なる前領主レミオル侯爵に対してすら、お世辞や追従を言う事のなかったブレン兵長が、はっきりと言った。

「いかなる過酷な訓練をも、ひたむきに受け入れる強さを、若君はお持ちです。やはりレミオル侯のお孫であられますなあ」

 それに比べてレミオル侯の息子である貴方は、少しばかり頼りない。

 そう言われているような気分に、カルゴはなった。まあ、事実なのだが。

「……御苦労であった。リムレオンなど、この場に置き晒しで良い。そなたらは休め」

「いえ、これより領内の見回りに参ります。怪物どもがどこから湧いて出るのか、つきとめねばなりませぬゆえ」

 猛訓練の疲れも見せぬまま兵士たちが、ブレン兵長に率いられて整然と立ち去って行く。

 見送るカルゴの足元で、

「う……ん……」

 リムレオンが、ようやく意識を取り戻した。

「ブレン兵長……じゃなくて、あれ……父上?」

「兵長は忙しい。お前の面倒など、見ておれぬそうだ」

 担架の傍らにカルゴは屈み込んで、息子と目線の高さを近付けた。

「……なあリムレオンよ。お前、やはり強くなりたいのか?」

 愚問である事は、カルゴとて百も承知だ。

 男が、身体を鍛える。そこに、強くなりたい、以外の理由などあるわけがない。

「お前の祖父レミオル・エルベット侯爵のように……強くなりたいか、やはり」

「お爺様の事は、よく知りませんけど……」

 リムレオンの腫れ上がった顔に、いくらか困ったような表情が浮かんだ。この息子が物心つく前に、レミオル侯は亡くなっている。

 メルクト地方先代領主レミオル・エルベット侯爵は、武勇の騎士として知られた人物だった。

 物事を全て武勇で解決する傾向のある父レミオルを、カルゴは幼少の頃から、どうにも好きになれなかったものだ。

 好きにはなれないという感情が、憎悪に近いところまで深化したのは、やはり妹マグリアが貢ぎ物同然に、国王の後宮へと入れられた時である。

 とにかく、横暴な父親だった。

「お前にはな、私の父のようにだけは、なって欲しくなかった。だから武勇とは出来る限り縁のない育て方をしてきたが……」

 語りながら、カルゴは溜め息をついた。

 懸命に身体を鍛えようとして包帯だらけになっている息子の姿を見ると、本当に、何とも言えない気分になる。

「今になって、お前のそんな有り様を見る事になるのなら……やはり幼い頃から無理矢理にでも、武芸の鍛錬をさせておくべきだった、のかも知れんな。お前がそんなに、強くなりたいと思っているなら」

「僕は……強くなりたい、というのとは、ちょっと違うかも知れません」

 痛そうに辛そうに、リムレオンは担架の上で上体を起こした。

「ただ……もう1人の僕に、あまり大きな顔をさせておきたくないだけです」

「……何を言っている?」

「僕ではなくなってゆく、もう1人の僕が……何だか偉そうにしているから」

 わけのわからぬ事を言いながら、リムレオンは苦笑した。

「……すみません父上。何言ってるのか、よくわかりませんよね」

「全くわからんな」

 それでもいい、とカルゴは思う。

 この年頃の少年は、親には決してわからないものを、見たり感じたりするものだ。

 息子の右手の中指が、キラ……ッと微かな光を反射した。

 指輪、である。小さな細長い竜の形をした指輪が、リムレオンの中指に巻き付いているのだ。

 ティアンナから贈られたもの、であるらしい。従妹である女王陛下からの、賜り物というわけだ。

 仲の良い従兄妹同士、以外の感情が、息子と姪の間にあるのかどうか。カルゴには、わからない。

 ただリムレオンが、こんなふうにして懸命に身を鍛えようとしている。その根底には、ティアンナを守りたい、という青臭い思いが、全くない事はないだろう。

 自分は、妹を守れなかった。

 あの身も心もか弱いマグリアが、父に命ぜられるまま後宮に入り、健康を損ねて帰郷し、そして死んだ。

 自分は、あの妹のために、何もしてやれなかったのだ。

 召使いの1人が、おずおずと声をかけてきた。

「領主様に若君様。御昼食の用意が、整いましてございます」

「うむ、御苦労」

 応えてから、カルゴは立ち上がった。

 リムレオンは担架の上で、まだ上体だけを起こしたままだ。

 構わずカルゴは背を向け、歩き出した。一言だけ、息子に声をかけながら。

「自力で立って、歩いて来い」

「……這いずって行きますよ」

 などと言いつつもリムレオンは、どうにか立ち上がったようだった。

 カルゴは、足を止めた。息子を、やはり待っていてやろう。と思ったわけではない。

 男が1人、前方で跪いている。恭しく、だが明らかにカルゴの行く手を阻む形に。

 粗末な服を着た、近隣の農民。に見える。勝手に城に入り込んでまで、何か陳情にでも来たのであろうか。

 跪いて頭を垂れているので、顔はわからない。若者か、中年か。

「カルゴ・エルベット侯爵様……伝言でございます」

 拝跪したまま、その男が言った。とりあえず、カルゴは応じた。

「……誰からの、どのような伝言であろうか?」

「我が主君バウルファー・ゲドン侯爵より」

 義兄の名が出た。

 妻ヴァレリアの兄。だからと言って義弟の治めるメルクトを属領扱いするような言動が多く、カルゴとしては、あまり好きになれない人物である。

 その義兄が、また何か無理難題を押し付けようとしているのか。勝手に城内に忍び込んで来るような使者を放って。

「メルクト地方の生産力を、速やかに提供すべし……逆賊に擁立されたる僭王エル・ザナード1世を討ち、ヴァスケリアに正当なる秩序を取り戻すべく……義兄と共に、戦うべし……」

 声帯をおかしな具合に痙攣させながら、その使者はようやく顔を上げた。

 人間の顔、ではなかった。

 血走った両眼は赤く燃え上がり、顔面の下半分は、獣の鼻面の如く張り出して牙を剥いている。

 その牙の間からは、目に見える赤色の吐息がチロチロと漏れ出していた。

 炎、である。

 犬のようにハッハッと息荒く炎を漏らす、その口が。牙を剥き出しにしつつも、流暢な人間の言葉を吐く。

「女王の伯父たる貴方であれば、担ぎ上げるに申し分なし……」

「侯爵閣下、お下がりを!」

 兵士たちが、どかどかと駆け戻って来ていた。

 先頭に立つブレン兵長が、カルゴを押しのけるようにして突っ込んで来る。

 そして、大型の戦斧を振り下ろす。巨体の兵長にふさわしい、豪快な武器だ。

 その重く鋭い一撃を、しかし獣の顔をした男は、跳躍してかわしていた。

 くるくると宙返りをしながら、その身体が空中で一回り近く膨れ上がり、衣服をちぎって飛び散らせる。

 着地した時、その男はもはや完全に、人間ではなくなっていた。

 全身、ザラザラとしていながらも滑り気を帯びた、爬虫類的な皮膚に覆われている。

 脚は2本だが腕は6本、それぞれ鋭いカギ爪を生やしており、人間など容易く引き裂いてしまえそうだ。

 首から上だけは、爬虫類ではなく、哺乳類の猛獣。両眼を爛々と赤く輝かせ、炎の吐息を漏らし続ける、魔獣の頭部である。

 6本腕のその巨体は、いくらか前屈みで猫背気味だ。その体型は、蜘蛛のようでもある。

 食事の時間を告げに来た召使いが、腰を抜かして悲鳴を上げた。

 リムレオンがよろよろと立ち上がり、彼を背後に庇おうとする。

 何も出来ないのに、無茶をする。この息子には昔から、そういうところがあった。

 怪物が、名乗った。

「我が名は魔獣人間バジリハウンド……バウルファー侯の義弟殿、貴公をお迎えに参った」

「魔獣人間、だと……」

 その名は、カルゴも聞いた事があった。先の戦でダルーハ・ケスナーが使っていたと言われる、怪物である。

 それが何故か、バウルファー・ゲドン侯爵の名を口にしているのだ。

「私を旗頭に担いで、女王陛下に反旗を翻そうと。そのようなおつもりか、義兄上は」

「専横を極めたるエル・ザナード1世女王のために、忠心を持って戦う者などおらぬ……バウルファー侯と貴殿が力を合わせ、我ら魔獣人間を率いてお起ちになれば、必ず勝てる。さあ、共に来られよ」

「怪物風情が、世迷い言を!」

 ブレン兵長が再び戦斧を掲げ、魔獣人間に挑みかかる。

 バジリハウンドがそちらを向き、口を開く。

 漏れ続けていた炎の吐息が、膨張し、迸った。

 筋骨たくましいブレンの身体が、戦斧を構えたまま石畳に転がり込み、炎をかわす。

 巨体に似合わぬ敏捷さでブレンが再び立ち上がった、その時には。

 兵士たちが槍を構え、長剣を抜き、魔獣人間バジリハウンドを取り囲んでいた。

「鬱陶しくも群れおるわ……いくら鍛えたところで、大して強くもなれぬ! 脆弱な人間どもがぁあーッ!」

 わめき声と共に、バジリハウンドは炎を吐いた。

 全方向に吐き散らされた火炎の息を、兵士たちが巧みにかわす。

 かわしながらも猛然と踏み込んで行く者がいる。

「もはやメルクトで好き勝手はさせぬ! 怪物どもがあああああっ!」

 ブレン兵長だった。

 熊を思わせる重量級かつ高速の踏み込み。と共に、大型の戦斧が振り下ろされて魔獣人間の頭を殴打する。

 ガスッ……と、微かな血飛沫が散った。人間であれば脳漿が飛び散るであろう一撃でだ。

「うぬ……っ」

 バジリハウンドが怯み、よろめきつつも踏みとどまり、ブレンに逆襲して行く。

 6本腕の魔獣人間と、巨漢の兵長。2つの巨体が、ぶつかり合った。

 ぶつかり合った瞬間、バジリハウンドは投げ飛ばされていた。

 6本腕の巨大な異形が、豪快に宙を舞い、真っ逆さまに石畳へと叩き付けられる。

 人間であれば、首の骨が折れているか、頭蓋骨が割れているであろう。魔獣人間は、ただ倒れて呻くだけだ。

 そこへブレンが、思いきり戦斧を振り下ろす。

 兵士たちも、倒れた魔獣人間に容赦なく殺到し、槍や長剣を突き込んでゆく。

 めった刺し、めった斬りが行われようとした、その時。

 仰向けに倒れたバジリハウンドの、赤く輝いていた両眼が。色を青に変えつつ、さらに激しく輝いた。

 青く燃え上がる眼光が、魔獣人間の顔面から溢れ出し、迸り、殺到する兵士たちに浴びせられる。

 今まさに戦斧を振り下ろす寸前で、ブレン兵長が動きを止めた。

 兵士たちも、槍や長剣を振りかざし振り下ろそうとする姿勢のまま、硬直した。

 皆、凍り付いたように固まってしまった。

 いや、凍り付いたのではなく……石化、している。

 ブレンも兵士たちも、石像と化していた。得物を振り上げた姿の、猛々しい戦士たちの石像だ。

「……と、まあ。このような事でございますよカルゴ侯」

 石の戦斧や槍、長剣をくぐり抜けるようにして、バジリハウンドが起き上がる。

 青く燃え上がっていた両目の色は、落ち着いたように赤色に戻っていた。

「人間ごときが我ら魔獣人間に刃向かうとは、すなわち! こういう事……おわかりいただけたなら、さあ共にバウルファー侯のもとへ参りましょうぞ」

「義兄上が……」

 声が、表情が、震え引きつってゆくのを、カルゴは止められなかった。

 ブレン兵長と兵士たちは、石像となって絶命したのか。生きたまま元に戻す事は、出来るのであろうか。

「お前たちのような怪物を……配下にしておられる、と言うのか……」

「……数日前……叔母上の墓前に現れたのも、この魔獣人間という者たちです」

 よろよろと立ったまま、リムレオンが言う。

「ティアンナとシェファを脅かした、怪物たち……その背後に、まさか伯父上が……」

 そんな事はどうでも良い、何故さっさと逃げておらぬか。

 そう怒鳴ろうとするカルゴに、リムレオンが、苦しそうに微笑みかける。

 そうしながら、右の拳を握る。竜が巻き付いたような指輪を中指にはめた、華奢な拳。

 その指輪が、キラリと光った。

「見せたくないけど……お見せしますよ、父上。偉そうに大きな顔をしている、もう1人の僕を」

「何を……言っておる……」

 息子が恐怖のあまりおかしくなってしまった、とカルゴは思った。

 構わずリムレオンが、わけのわからぬ事を言い続ける。

「僕ではなくなってゆく……もう1人の、僕を」

「ふむ、御子息か」

 魔獣人間の注意が、ついに息子にも向けられてしまった。

「すなわちエル・ザナード女王の従兄……利用価値があるかも知れぬ。貴公にも御同道願おうか」

「僕になんか……何の、価値もない……」

 弱々しく微笑みながらリムレオンは、がくりと膝から崩れた。

 崩れ落ちるように身を屈めながら……右の拳を、足元の石畳に打ち下ろす。

「……武装転身……ッ」

 リムレオンの、謎めいた呟きと共に。竜の指輪を中指に巻き付けた拳が、石畳を殴る。

 その拳から、指輪から、光が広がった。

 白い、光のインク。それが、石畳の上に、円形の紋様を描き出す。

 よくわからぬ文字・図形・記号などを内包した、光の真円。

 それが、燃え上がるように白色の輝きを強めてゆく。

 片膝と拳をついたリムレオンの身体が、下方から強烈に照らされながら、白い光に包まれる。

「む……?」

 魔獣人間バジリハウンドが、その光に圧されて、少しだけ後退りをした。

 白い光は、すぐに消えた。石畳の上に出現していた。光の紋様もだ。

 そして、リムレオンの姿も消えていた。

 代わりに。1人の騎士が、その場に跪いて、右拳を地面に打ち付けている。

 白い、豪壮な全身甲冑に身を包んだ、仮面の騎士。

「お前たち魔獣人間に、1つ訊いてみたい……与えられた力を振りかざすのは、そんなに楽しい事か?」

 面頬の内側から発せられる声は、紛れもなく、息子リムレオンのものだった。

「僕も、この力を振るっているうちに……お前たちのように、なってしまうのか?」

 

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