第18話 魔少女たちの暗躍
左、右、左と、リムレオンは立て続けに拳を叩き込んだ。
子供たちを捕えているギルマン3体の、顔面にだ。
凶暴・醜悪な肉食魚類の顔面が3つ、グシャッ、バキッ! ボグッ……と拳の形に陥没する。
倒れゆく3つの屍から、裸の子供たちを引き剥がし、足元に庇いながら。リムレオンは左右の手を、虫でも追い払うように振るった。
周囲に群がるオークやギルマンが、猛然と振り回し叩き付けて来る武器……棍棒、剣、戦斧、槍あるいは銛。
魔法の鎧に包まれた両手が、それらを片っ端から打ち弾く。
棍棒が砕け、剣が曲がり、斧が壊れ、槍か銛かよくわからぬ武器がへし折れる。
武器を失ったオークの1匹を、リムレオンは蹴り飛ばした。
生きた怪物を、まるで足元のゴミのように蹴り飛ばす事が出来る。
魔法の鎧の爪先をズドッ! と腹に打ち込まれ、そのオークは身を折りながら吹っ飛んで、川面で1度跳ねた。
そして大量の血反吐を水面にぶちまけ、汚れた水中へと沈んで動かなくなる。
裸の子供3人が、身を寄せ合って怯え、泣いている。
怪物たち、ではなく自分を恐がっているのだろう。とリムレオンは思った。
「まあ今の僕は……怪物、だからなっ」
面頬の内側で苦笑しつつ、リムレオンは身を捻り、左足を振るった。
魔法の鎧を履いた蹴りがブンッと唸り、ギルマンの1匹を二つ折りにへし曲げる。内臓を蹴り潰した感触を、リムレオンは確かに感じた。
血の塊を吐き散らしながら水中に没するギルマン、の近くに、リムレオンの左足が着水する。
間髪入れず右足が、水飛沫を飛ばして跳ね上がる。
重厚な全身甲冑をまとう身体が、旋風の如く軽やかに回転し、右の後ろ回し蹴りが斬撃のように一閃した。
オークとギルマンが1匹ずつ、吹っ飛んで倒れた。
2匹とも、首がおかしな方向に曲がり、眼球が飛び出して垂れ下がっている。
着水した右足で、リムレオンはそのまま踏み込んだ。
左拳が弧を描いて唸り、ギルマンの1匹を殴り倒す。
破裂した眼球を噴出させ、川面に激突するギルマン。を一瞥もせずリムレオンは、続いて右の手刀を思いきり振り下ろした。
斧を振り上げて襲い来るオーク。その顔面が、斧と一緒くたにグシャアッと潰れ散った。
「この役立たずどもがぁあ!」
怒声と共に、衝撃がリムレオンを襲った。魔法の鎧の表面から、火花が散った。
「うっ……」
リムレオンはよろめいた。
オークやギルマンを蹴散らすように踏み込んで来たトロルが、大型剣を振り下ろしたところである。
その巨大な刃が、即座に振り上がり、別方向から襲いかかって来る。
「人間風情が! そのようなもので我らと同格の力を得たつもりかああッ!」
凄まじい剛力と技量で振るわれる大型剣が、魔法の鎧を激しく殴打する。またしても火花が散り、リムレオンの身体がよろりと回転してトロルに背を向けた。
その背中へ、大型剣の第3撃が振り下ろされる……よりも早く、リムレオンは踏みとどまって振り返った。
腰から、魔法の剣を抜き放ちながらだ。
竜の巻き付いた鞘から、光の如く白刃が滑り出し、トロルに向けられる。
「うぬ……!」
大型剣を振り上げたまま、トロルが後退りをした。
「そうさ、こんなものの力を借りないと僕は戦えない……それを笑いたければ、笑うといい」
魔法の剣を突き付けながら1歩、リムレオンは近付いた。2歩、トロルの巨体が下がった。
「何にしても、お前たちを許してはおけない……!」
「ぬっぬかせ、それはこちらの台詞よ!」
さらにもう1歩、後退して距離を取った後、トロルが一気に踏み込んで来た。
大型剣がブゥーンッと重々しく唸ってリムレオンを襲う。
「非力なる生き物の分際で、地上を我が物顔でのさばり歩く人間ども! 許しておけると思うかぁあーっ!」
「別に……」
リムレオンは魔法の剣を斜めに振るい、トロルの重い斬撃を受け流した。
「お前たちの許しを得よう、なんて思っていないっ」
受け流された大型剣が、すぐさま別角度から振り下ろされて来る。真っ正面から魔法の剣を叩き付けて、リムレオンは応戦した。
刃と刃が激突して火花を散らし、金属の焦げ臭さを漂わせる。
それが2合、3合と繰り返される。
4合目で、トロルの大型剣が折れた。と言うより切れた。分厚い鉄板のような刀身に、金属とは思えぬほど滑らかな断面が残る。
「何っ……うぐ」
微かな悲鳴と共にトロルが、首筋から血を噴いた。
リムレオンの斬撃。首を斬り落とすつもりだったが、踏み込みが少し足りなかった。魔法の剣は、トロルの太い首筋を、ほんの少し切り裂いたにとどまった。
その微かな傷の内側で、筋肉が盛り上がり、出血を止めてしまう。血の止まった傷口に、岩のような皮膚が被さってゆく。
リムレオンが書物でしか知らなかった再生能力を発揮しつつ、トロルが笑う。
「ぐっ……ふ、ふふふふ無駄よ無駄。人間の武器で俺を殺す事など出来はせングググッ!」
リムレオンは踏み込み、魔法の剣を横薙ぎに一閃させていた。慌てて後退りしつつ、トロルが悲鳴を漏らす。
その巨体の腹部が横一直線に裂け、大量の臓物がドパアァッと溢れ出した。
「……その傷も、塞がってしまうのかな」
リムレオンは歩み寄り、声をかけた。
「傷が塞がらなくなるまで、ひたすらに斬り苛む……再生しようがないほど斬り刻む。そんな嬲り殺し同然の事を……するしかない、のか?」
「ひっ……ぐ……ま、待て」
溢れる臓物を、懸命に己の腹へと押し戻しながら、トロルが逃げ腰になり始める。
逃がすわけには、いかなかった。
たとえ嬲り殺し同然に斬り刻む事になろうとも、この怪物はここで仕留めておかなければ。領内で、また人が殺される。
同様の理由でオークやギルマンも、1匹たりとも逃がすわけにはいかない。
とリムレオンが思った、その時。
「り……リム様ぁ……」
声が聞こえた。シェファだった。裸の子供3人を庇いながら、魔石の杖を落ち着きなく揺らめかせている。どの方向に攻撃魔法をぶっ放すべきか、迷っている様子だ。
生き残っているオークやギルマンが計10匹前後、シェファと子供たちを包囲し、全方向からじりじりと武器を近付けつつある。
「させるか……!」
リムレオンは地面を蹴った。跳躍、に近い疾駆。それと共に、魔法の剣を縦横に振るう。
群れるオークが、ギルマンたちが、片っ端から細切れに変わって宙を舞い、肉片や臓物を大量にぶちまける。
その間にトロルは、腹を抱えたまま背を向け、逃げ出していた。
リムレオンは追おうとして、足を止めた。
トロルも、立ち止まっていた。まるで凍り付いたように。
溢れ出す臓物を一生懸命、腹に押し戻そうとするトロル。の眼前に、その少女は立ち塞がっていた。
「……何をしておられるの? トロル族の方」
可憐な唇が、涼やかな声を紡ぎ出す。
ぞっとするほど、美しい少女だった。
艶やかな黒髪と、ひらひらとした感じの黒い薄手のドレス。闇そのものとも言えるそれらの黒色が、白い美貌と鮮烈な対比を成している。
そんな黒衣の少女に逃げ道を塞がれたトロルが、腹を押さえたまま後退りをした。
「ぶ……ブラックローラ殿……あっ貴女こそ、このような所で何を」
「はぁい、質問を質問で返さないよぉーにっ」
ブラックローラという名前らしい少女が、トロルの顔面に、優しく片手を触れた。繊細で美しい指が、怪物の固く醜悪な顔を、優しく撫でる。一見、慈しむように。
「……で、何をしておられるの? こんな所で、ローラに断りもなく」
「いっ……生け贄を……」
トロルの声が震え、裏返った。
「竜の御子様に、生け贄を……わ、悪い事ではあるまい?」
「そんな事をしてお喜びになる御子様ではないと、貴方たちトロル族やオーガー族の方々には、特に念入りに申し上げておいたはず」
微笑みながらブラックローラが、トロルを見つめる。睨んでいる。暗黒の色をした両の瞳が、怯えきった怪物の顔を映し出す。
「貴方たちは、御子様のお名前を使って、己の欲望を満たそうとしているだけ……」
少女の言葉に合わせ、トロルの巨体が痙攣した。
顔面を撫でる、その綺麗な手から、何か毒気のようなものを注入されている感じである。
「こんな事をしていたら、御子様がお怒りになるわ。貴方がたトロル族はもちろん、オーガーやオーク、ギルマンも。リザードマンやゴブリン族に至るまで、皆殺し……とばっちりでローラまで殺されてしまうわ。ねえ、どうしてくれるの?」
いや違う。注入されている、のではない。むしろ奪い取られているのだ。
少女の可憐な片手によって、トロルの体内の、何かが。
岩のような巨体が、見てわかる速度で痩せ細ってゆく。
干涸び、ひび割れてゆく。
「まっ……ずぅい……」
可憐な美貌を心底、嫌そうに歪めながら。ブラックローラは、トロルの顔面から手を離した。
ひび割れた乾燥死体と化したトロルが、ザァー……と粉末状に崩れ落ちた。
「量がひたすら多いだけの、不味い生命力……あぁんもう。こんなの食べてたら、お肌の張りが悪くなっちゃう」
「……君は?」
美貌だけならシェファやティアンナを上回るかも知れない、黒衣の少女に。リムレオンは、とりあえず問いかけた。
「何者……なのかな」
「今のところは貴方たちの、敵……ではない者。とだけ申し上げておきますわね」
にこやかに答えながらブラックローラは、魔法の鎧をまとう少年の姿を、興味深げに見つめた。
「人間の方々は、ローラたちと敵対する気満々みたいですわねえ。そんなものまで造っちゃって……ふふっ、可愛い」
「君が何者かわからなければ、敵対のしようがない」
何者なのか、を教えてくれる事もなくブラックローラは、怪物たちの屍を見回しながら言った。
「ローラからのお願い。こんな輩を見ただけで、竜の御子様を判断なさらないで……ね? 人間の方々。御子様は、ちょおっと残虐だけど心清らかで正義を愛される御方。もちろん貴方がた人間たちの事も、守って下さるし助けて下さいます」
可愛らしい笑顔が、さらにニッコリと歪んだ。
「貴方たちが……見ててムカつく事さえなさらなければ。ね?」
「竜の、御子……」
リムレオンは呟いた。
跳梁跋扈し始めた怪物たちの、元締めのような存在。それが、その竜の御子なる何者かであるようならば。自分は、それと戦わなければならないのか。そのためにティアンナは、この力をリムレオンに託したのであろうか。
ブラックローラは、すでに背を向けて歩み去り始めている。その軽やかな足取りからは、体重や実体といったものが今ひとつ感じられない。
自身が一体何者であるのかを、彼女はついに教えてくれなかった。
が、ただ1つ……人間ではない。これだけは、確かであろう。
「……化け物だよ、今の女」
怯え泣きじゃくる裸の子供たち、と身を寄せ合いながら、シェファが呻く。
「ねえリム様、わかってる? そんなの着てたら……そのうち、あんなのとも戦わなきゃいけなくなっちゃう、かも知れないんだよ」
「わかってるさ……」
サラサラと風に舞う、粉末状の屍……先程まで巨大なトロルであったもの、を見つめながら、リムレオンはそれだけを言った。
今この場で、あの黒衣の少女と戦っていたら。自分も、同じような死に様を晒していただろうか。
大型の怪物を、触れただけで粉々の乾燥死体に変えてしまう、彼女の力を。この魔法の鎧で防ぐ事は、出来ただろうか。
すでに姿の見えない、あのブラックローラという少女が、一体何者であるのか。
それについてリムレオンが今のところわかっているのは、1つだけだ。
「本物の、怪物……」
昨日戦った魔獣人間など、彼女と比べれば、作り物の怪物でしかない。
そして自分など、作り物の力を身にまとっていい気になっている、非力な人間でしかない。
3日後に意思を確かめに行く、とは言った。あと2日である。
が、その必要はなかろうとゾルカ・ジェンキムは思った。
リムレオン・エルベットの戦いをこうして木陰から見守っていて、確信出来た。
彼は、戦ってくれる。魔法の鎧の力を、恐れながら使いこなしてくれる。
それはそれとして、気がかりな事が1つ生じた。
「あら……覗き見ですか? ゾルカ・ジェンキム殿」
ブラックローラ・プリズナが歩み寄り、微笑みかけてくる。
19年前の戦いでは結局、彼女の命を奪う事までは出来なかった。
あの時から……いや、恐らくはそれよりもずっと前から若々しさの変わらぬ、黒衣の美少女。
ゾルカはとりあえず、会話に応じた。
「……驚いたよ。まさか君が、人間を助けるような事をするとは」
「助けたわけではありませんわ。御子様の名を汚すおバカさんに、お仕置きをしてあげただけ。人を助ける行動を取ったのはほら、あの白い鎧を着た御方」
言いながらブラックローラが、くすくすと笑う。
「……あれ、貴方がお造りになったのでしょう? 竜の御子様と、健気にも戦うために」
「結果的にそうならぬよう、祈ってはいるがね」
竜の御子、と魔物たちが呼ぶ若者に、ゾルカは1度だけ会った。
あの時、救出されたレフィーネ王女が、その身に宿していた命。それが19年を経て、若き日のダルーハと見紛うような若者に成長していた。
腐ったもの醜いものを許せない。醜く腐らねば生きてゆけぬ人間の弱さに、理解を示そうともしない。自身があまりにも強過ぎるゆえに。
あれでは、いつ父親と同じ道を歩み始めても、おかしくはないだろう。生ませの親と育ての親、2人の父親と。
「……勝てはしないよ。魔法の鎧と剣ごときでは、あのガイエル・ケスナー殿に」
正直なところを、ゾルカは語った。
「だが彼が父親と同じく、人間の世を脅かそうとするならば……戦わなければ、ならなくなる。本当にそうならぬよう、祈るしかないのだが」
「ご安心を。御子様は貴方がた人間たちにとっても、強大にして偉大なる守護者でいて下さいますわ」
涼やかな声が、ゾルカの耳元を優しく撫でてゆく。
ブラックローラが、すぐ横を擦れ違うように歩いて、立ち去りつつあった。
「貴方たちが、心優しく慎ましやかで分際をわきまえた……ローラの大好きな、可愛い人間たちであり続ける限りは。ね?」
「何故……」
心臓が凍り付いたような寒気を感じながら、ゾルカは辛うじて声を発した。
擦れ違うように、すぐ近くを通られた。ブラックローラがその気であったら今頃ゾルカも、あのトロルのような死に様を晒していたところだ。
「この場で私を、殺そうとしない……?」
不覚としか言いようがない。19年間も実戦から遠ざかって自分は、思った以上に鈍っている。
19年間も王国最強の戦士であり続けたダルーハやドルネオとは、雲泥の差だ。
「私もまた、君たちの偉大なる帝王……赤き竜の、仇の1人ではないのか」
「うふっ……ふふふふ、あっははははははは」
足を止めず振り返りもせず、ブラックローラは本当に楽しそうに笑った。
「我が主・赤き竜は、ほとんどダルーハ・ケスナーが1人で倒したようなもの! 他の方々なんて、ほとんど何の役にも立ってなかったでしょう? まあ聖騎士ケリス・ウェブナー殿くらい、ですわね。多少なりともダルーハの手助けが出来ていたのは」
あの戦いでケリス・ウェブナーは、赤き竜の炎を浴びて、灰すら遺さず燃え尽きた。
ゾルカは、仲間を助けられなかった。
自分の魔法など、あの赤き竜に対しては、何の効果も見せなかったのだ。
「ほとんど空気だったゾルカ殿が、仇の1人だなんて。おこがましくってローラ笑っちゃう」
「……はっきりと言ってくれるものだな」
ゾルカのその呟きは、もう聞こえてはいないだろう。ブラックローラの姿は、もはや見えない。
ゾルカは息をついた。
元々はダルーハ・ケスナーを討つために造り始めた、魔法の剣と魔法の鎧である。
ダルーハを倒すためには、部隊規模の数を揃えるべきだ。
そう助言をくれたガイエル・ケスナーを倒すには、しかし部隊程度の数で足りるかどうか。
木陰からゾルカは、戦いの行われていた川辺を見やった。
リムレオン・エルベットの全身で、魔法の鎧が光に戻り、竜の指輪へと吸収される。
生身に戻った少年が、攻撃魔法兵士の少女と裸の子供3人を促し、立ち去ろうとしている。
「ガイエル・ケスナーと戦え……とまで無茶を言うつもりはない」
聞こえぬ小声で、ゾルカは語りかけた。
「だが、蠢き始めた魔獣人間どもの相手くらいはお任せしたい……頼むぞ、リムレオン殿」
「5公5民、だと……」
サン・ローデル地方領主バウルファー・ゲドン侯爵は、思わず、領主の椅子から腰を浮かせてしまった。
5公5民とは字の如く、領民の収穫物のうち5割を税として徴収、5割を民の取り分とする税率で、前国王ディン・ザナード3世の健在なる頃は6公4民、7公3民が当たり前であった。当然その6公あるいは7公には、地方領主の取り分も含まれる。
「馬鹿な……女王陛下は我ら地方貴族に、飢えて死ねと仰せられるか」
「民が飢えて死ぬようでは国が成り立たぬ。陛下は、そのようにお考えです」
王宮からの使者が、バウルファーの面前で跪きながらも、挑戦的な口調で述べる。
「お隣メルクト地方のカルゴ・エルベット侯爵様は、実質4公6民の暮らしをなさっておられます。メルクトよりも豊穣なるサン・ローデルの御領主に、それがお出来にならぬはずはございますまい」
貴族とは、領民に威光を示さなければならない。そのため、生活にも金をかけなければならない。
あの愚かな義弟はそれを全く理解せず、ただ民を甘やかしている。
18年前に妹のヴァレリアを嫁がせたは良いが、あの柔弱な割に頑固なところのあるカルゴ・エルベットは今ひとつ、義兄バウルファーの思い通りになろうとしない。
エル・ザナード1世の即位によって女王の伯父となってしまったカルゴが、この先も何かと義兄の意に反した行動を取るであろう事は、容易に想像がついた。
「御返答はいかに? バウルファー・ゲドン侯爵様」
跪いた使者が、まっすぐにバウルファーを見上げ、言った。
「4公6民、将来的には3公7民。それが国としてあるべき姿であると女王陛下は仰せです。この度の戦災からの復興も行わねばなりませぬゆえ5公5民。地方領主の方々にもぜひ御理解と御承諾をいただきたいと」
「承諾……以外の選択肢など、ないのであろう」
バウルファーは呻いた。
あの女王が、己の正しいと思った事のためならば殺戮をも辞さぬ性格である事は、身に染みている。
息子を1人、眼前で殺されているのだ。
末子のセリウスは、確かに愚劣極まる息子だった。先のダルーハ・ケスナー討伐戦において、民にいくらか迷惑をかけた。
それはしかし金で補償なり何なりをすれば済む話であって、弁明の機会すら与えず斬り殺すなど、王族の暴虐以外の何物でもない。
あの場でバウルファーがそう声を上げる事が出来なかったのは、女王……その時はまだ第6王女であったが、とにかく彼女の近くにガイエル・ケスナーがいたからだ。
どうせ美貌と肉体で手懐けたのであろう。ダルーハの息子である怪物を傍らに置いて、あの小娘はとにかく好き放題に振る舞っていた。
それは、女王となった今も同じだ。
5公5民などという、地方貴族への嫌がらせとしか思えぬ政策に、一言でも異を唱えたが最後。ダルーハ軍を単独で圧倒していた、あの怪物がやって来て、バウルファーもゲドン家の一族も皆殺しにされてしまう。
「賢明なるバウルファー・ゲドン侯爵様の、国と民を思いやるその御心……女王陛下も御喜びになるでしょう。それでは」
使者がそんな事を言いながら、領主の間から退出して行く。
言葉もかけず見送りつつバウルファーは、ただ暗い思いを胸中で渦巻かせていた。
(小娘が、好き勝手な事を……!)
エル・ザナード1世女王自らがダルーハ・ケスナーを討ち取った。などと愚かな民衆は騒いでいるようだが、そんな事はまず有り得ない。
あの怪物にダルーハを殺させて、手柄と名声は自分のもの。
それが、王女であった頃からの、あの小娘のやり方なのだ。
「あの化け物……ガイエル・ケスナー! あやつさえ、いなければ……!」
バウルファーの独り言に、何者かが応えた。
「その怪物は、今は女王の傍にはおりません」
若い女、の声である。
領主の椅子の傍らに、いつの間にか、その尼僧は立っていた。
「が……女王の身に何事かあれば、再び姿を現さないとも限りませんわ」
凹凸の見事な身体を、唯一神教の法衣で禁欲的に包み込んだ、若い娘。
被り物から溢れ出した銀色の髪は、光の当たり方によっては白髪にも見えてしまう。が、美貌は若々しい。冷たく鋭く整ったその顔立ちは、人形のようでもある。
衛兵たちが、慌てふためいた様子で槍を構えた。
彼らに気付かれる事なく領主の間に侵入し、バウルファーの近くに立った、その若い尼僧が。人形めいた冷たい美貌を、ふっ……と微笑ませた。
「お静かに……私が領主様に害意ある者であれば、わざわざお声をかけたりはしません」
「……では、何者であるか」
バウルファーは、どうにか声を出す事が出来た。
この尼僧が、あの女王の放った暗殺者か何かであったなら。確かに自分は今頃、生きてなどいない。
「私どもといたしましても、逆賊ダルーハ・ケスナーに擁立されたる女王を認める事は出来ません……同じ心をお持ちの方々が、地方貴族の中には大勢おられます」
その豊麗な肉体を、椅子の上の領主に寄せて、尼僧が囁く。
形良い唇から紡ぎ出される声が、バウルファーの耳元を涼やかにくすぐる。
「例の怪物の事でしたら、どうか御心配なさいませぬように。貴方様のような真に王国を憂える方々のために、私どもは戦力を用意しております。怪物には、怪物……魔獣人間という、戦力をね」
「魔獣人間だと……」
先の戦で、ダルーハが使っていた怪物たちである。
その中には、ガイエル・ケスナーをかなりの所まで追い詰めた者もいた。とバウルファーは聞いている。
「そなた……一体、何者なのだ」
2度目の問いかけに、その尼僧はようやく答えた。
「メイフェム・グリムと申します……以後、お見知りおきを」