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第17話 武装転身

 庭園の木陰から、誰に気付かれる事もなく、戦いを観察していた者たちがいる。

「呆気ないものであったな、実に」

 仮面の内側で苦笑する男と、冷たい美貌をニコリともさせない若き尼僧。

 ゴルジ・バルカウスと、メイフェム・グリムである。

「魔獣人間2体が、ああも容易く倒されるとは……魔法の鎧に、魔法の剣か。ダルーハ・ケスナー討伐戦の際にエル・ザナード1世が使役していた怪物というのは、あれの事であろうか?」

「それはないと断言出来るわ。あんなもので、ダルーハは殺せない」

 即答しつつ、メイフェムは思考した。

 魔獣人間2体にエル・ザナード女王を襲わせてはみたものの。ダルーハを倒した怪物は結局、姿を現さなかった。

 その怪物は、少なくとも今現在は、女王の近くにいない。と見ていいだろう。

「どうしましょうかゴルジ殿。エル・ザナード1世を……今なら、簡単に始末出来ると思うのだけど」

「やめておこう。あの女王は、私が思っていた以上の英傑だ。生かしておいた方が良い」

 ゴルジの口調が、熱を帯びた。

「英傑とは、戦乱をもたらしてくれるものだからな。ダルーハ・ケスナーがそうであったように」

「……エル・ザナード女王は、ダルーハと違って平和を望んでおられるようだけど?」

「その通り。あの女王は、平和のためならいくらでも戦争を引き起こしてくれる……まあ本人にその気がなくとも、周りが放ってはおかんさ。女王の死を願う者は、多いからな」

 先代国王を含めヴァスケリア王族は、ダルーハ・ケスナーがあらかた殺し尽くした。16歳の小娘が何事もなく女王でいられるのは、そのためだ。

 その小娘の女王が、身の程知らずにも様々な改革を断行しようとしている。

 まずは税制。簡単に言えば、王侯貴族の取り分を減らして民の負担を軽くする。

 地方貴族が、国王の目が届かぬ所で不正搾取を行わぬよう、王都から徴税監査官を派遣する。

 貴族とは基本的に搾取が本能のような生き物であるから当然、反発は多い。改革に心から賛同している地方貴族など、いるとすれば、女王の伯父であるカルゴ・エルベット侯爵くらいであろう。

「メイフェム殿は、バウルファー・ゲドン侯爵をご存じか?」

「サン・ローデル地方の領主でしょう。今の女王を快く思っていない地方貴族の中では、一番の大物よね」

「あの侯爵の息子が1人、先の戦で、エル・ザナード女王自らの手討ちに遭っておる……上手く焚き付ければ、何かやらかしてくれるかも知れん」

「何か……ね」

 他に王族が1人でも生き残っていれば、その者を擁立しての内乱に、もっていけない事もない。

 無能で名高いモートン・カルナヴァート元第2王子が、捨て扶持をあてがわれて不遇をかこっている。という話は、メイフェムも聞いていた。

「バウルファー侯は、密かに国外との接触を試みている……という噂もある。バルムガルド王国だ」

「バルムガルドが……ヴァスケリア侵攻を企てていると?」

 そのため、新女王に不満を抱く地方領主を、調略で抱き込もうとしている。というのは、考えられなくもない話ではある。だが。

「……バルムガルドには、ヴァスケリアから王女が1人、嫁いでいるはずよ。血縁同盟を踏みにじってまで、戦争をやろうとするかしら?」

 そんな事をしたら、ヴァスケリアだけではない近隣の各国に、バルムガルドを攻撃する理由を与えてしまう。

 血縁同盟など、いずれは破って戦争を仕掛けるにしても。何か対外的な言い訳をする必要はある、という事だ。

「その血縁関係がな、強欲なバルムガルド国王にとっては開戦の理由となり得るのよ。まあ見ておると良い、いずれ目の離せぬ事態となる」

「戦争が起こる、というわけ?」

「さよう。エル・ザナード1世は、ヴァスケリアの平和を脅かすものとは全力で戦うであろうからな。だからあの女王を死なせるべきではないのだ。彼女が亡き者となれば、ヴァスケリアはたちどころに侵略・併呑され、そこで戦乱は終わってしまう。女王が生きて戦い続けてくれる限り、戦乱はいくらでも続き……魔獣人間の需要も、生ずる」

「なるほど、ね……魔獣人間を、戦力として売りつけようというわけ」

 確かに人間相手の戦争であれば、そこそこ使い物にはなるだろう。

 魔獣人間で、商売をする。それが、このゴルジ・バルカウスという男の目的。

 メイフェムにとっては、どうでも良い事だ。

 愚かで醜い人間どもが戦乱で苦しむのなら、ゴルジの真の目的が何であろうと、一向に構いはしない。

 人間という種族を、苦しめる事が出来るのなら。

(ケリスが死んでも……愚かで醜いまま、一向に変わろとしない人間ども……!)

 白く美しい歯を、メイフェムはギリ……ッと噛み鳴らした。

(そんな生き物を、貴方は……どこまでも守ろうとするのね、ゾルカ)



 あまり立派ではないメルクト領主の城を、丘陵の上から見下ろしてみる。

 リムレオンは今頃、両親にどのような話をしているだろうか。

 何も話さず、部屋にでも籠って1人、考え込んでいるかも知れない。

 新しい鎧を身に着け、白い馬にまたがったまま。ティアンナは、幼い頃のほんの一時期を過ごした小城を、じっと見つめた。

「お名残惜しいところでありましょうが……」

 傍らで栗毛の馬にまたがるゾルカ・ジェンキムが、声をかけてくる。

「なさるべき事が、王宮に山積しております。お忍びはここまでですぞ、女王陛下」

「ええ……わかっております」

 ダルーハの死後、女王エル・ザナード1世の名において、王国全土から広く人材を募った。

 それに応じて集まった者たちの中でも、このゾルカ・ジェンキムは、間違いなく一番の大物であろう。

 彼の造り上げた、魔法の剣と魔法の鎧。その装備者としてふさわしい人間に、ティアンナは2人ほど心当たりがあった。

 いや、1人は人間ではない。それに彼は、外付けの力など必要としてはいないだろう。

 もう1人を、試し、見定めるために、ティアンナは9年ぶりにメルクト地方を訪れた。

 あなたは、ぼくが守る。

 そう言ってくれた時と同じ心を、あの少年が、今もまだ持ち続けてくれているか。それを確かめるために。

 笑いたくなるほどに、悲しいほどに、リムレオンはあの頃から全く変わっていなかった。

 己の非力を考えず、誰かのために無茶をする。

「魔法の鎧は誰にでも、魔獣人間と同等以上の戦闘能力を与えます」

 ゾルカが語る。

「したがって、装着する者が屈強であるか非力であるかは、さほど問題ではありません。装着者に求められるのは、肉体的な力ではなく、心です。強大なる力を恐れ、危険視し、それに呑み込まれまいとする心……人は力を手にすれば、大抵の場合は暴力に溺れてしまいますからね。あのリムレオンという少年には、それがない。これはある意味、とてつもなく得難い才能です。装着者の人選を貴女に委ねて、本当に正解だったと私は思っておりますよ女王陛下」

 3日、考えて欲しい。ゾルカはリムレオンに、そう言った。3日後に再び来る。その時までに、心を決めておいて欲しい。力の所有者たる運命を、受け入れるか否か。

 受け入れるだろう、とゾルカは確信しているようだった。

「国内で蠢く魔物やら魔獣人間やらは、リムレオン殿にお任せいたしましょう……問題は国外です」

「バルムガルド王国が不穏な動きを見せている、との事でしたね」

 バルムガルドが、ヴァスケリアとの国境付近に軍を集結させつつある。それが確かな情報として伝わって来たのは、昨日である。

「姉が嫁いでいると言うのに……血縁同盟を踏みにじって戦端を開くつもりでしょうか、バルムガルド王は」

「その血縁が今回はいささか問題です、エル・ザナード陛下。お忘れかも知れませんが……貴女は、擁立された身であらせられます。暴虐無道の叛乱者ダルーハ・ケスナーによって」

 他の王族は、ダルーハがあらかた殺し尽くしてくれた。

 だから次期王位をめぐっての内紛が起こる事もなく、ティアンナがそのまま女王であり続けている。

 王位継承順位としてはティアンナよりずっと格上であるはずのモートン王子も、妹の即位戴冠を認める意思を公にしていた。まるで自身は王位から逃げるように。

 したがってヴァスケリア王国内には、新女王エル・ザナード1世の統治に、少なくとも表立って異を唱える者はいない。

 だが、国外では。

「バルムガルド国王は、言いがかりをつけてくるでしょう。叛乱者が擁立した女王など、外交的にも認めるわけにはいかないと」

 ゾルカが言った。

「かの王家に嫁がれたシーリン・カルナヴァート元第4王女様を……こちらこそが正当なるヴァスケリア女王である。と担ぎ上げて戦争を仕掛けてくる腹づもりでしょうな。バルムガルド国王は」

「擁立、傀儡政権……王族の宿命と言うべきもの、なのでしょうね」

 自身も擁立された身であるティアンナは、呟いた。

 擁立者であるダルーハ・ケスナーはすでにこの世になく、傀儡の女王だけが残った。

 操者のいない操り人形。それが、ダルーハ死後のエル・ザナード1世なのだ。

 傀儡の王から真の王者へと、自分は成らなければならない。

 思い定め、ティアンナは空を見つめた。

 ゾルカが、なおも語る。

「自国の民、あるいは外敵……何にせよ、人間を相手に政や戦をなさるのが女王陛下のお役目です。人間ではないものの相手は、あのリムレオン殿に任せておきましょう」

「そうね。私の相手は、人間……」

 人間という、ある意味では魔獣人間よりも難儀な生き物が、様々な厄介事を引き起こす。それを何とかするのが、王の使命なのだ。

 空を見上げながらティアンナは、同じ空をどこかで見つめているかも知れない若者に、心の中で語りかけた。

(貴方なら……たとえ人間相手の厄介事であろうと、容赦なく暴力で解決してしまうのでしょうね……)

 あの強大極まる暴力に、自分はきっと甘えてしまう。

 あの暴力を後ろ楯にして、自分は間違いなく、好き勝手な事をしてしまう。

 ダルーハよりも悪質な暴君に、自分はなってしまう。

 だからガイエル・ケスナーが自分の傍にいないのは、正しい事なのだ。

 と、ティアンナは頭ではわかっていた。



 子供たちが、水遊びをしている。

 3人。うち1人は、女の子のようだ。

 男女仲良く裸になって川に入り、無邪気に泳いだり水をかけ合ったりしている。

 幼き日の自分とティアンナも、こんなふうに裸で遊んだものだ。

 ぼんやりと思い出しながらリムレオンは、川辺に座り込んでいた。

 子供が、こんなふうに野外で、裸で遊んでいられる。それほどメルクト地方は平和だった、という事だ。

 祖父レミオル・エルベット侯爵は勇猛苛烈なる人物で、領主となった際、兵を率いてメルクト地方全域を回り、山賊・野盗その他、犯罪者の類を殺し尽くしたらしい。

 その後を継いだカルゴ侯爵が民政に心を砕き、民の生活を安定させたので、食い詰めて犯罪に走る者も激減した。

 エルベット家の親子2代で、メルクト地方の治安向上は達成されたのである。

 が、いくら人間の生活が安定したところで、人間ではないものたちがそれを脅かすようでは、平和とは言えない。

 この川辺では昨日、オークの群れが出現し、領主令息を脅かしたばかりである。

 そんな場所で、子供たちが裸で水遊びなどしているのだ。

 領主の名において人々の外出を制限するべきだと、リムレオンは父に一応、進言はしたのだが。

 柔らかく草を踏む足音が、近付いて来た。

「こんな所に、いたんだ……」

 魔石の杖を携えた、1人の少女……シェファ・ランティだった。

「いくら平和だからって……あんまりお城の外、出ない方がいいよ? リム様、弱っちいんだから」

 言いながら、リムレオンの隣に腰を下ろすシェファ。

「あたし、守ってあげられないよ……あたしも、弱っちいんだから……役立たずなんだから……」

「シェファ……」

 そんな事はないよ、という安易な慰めの言葉を、リムレオンは呑み込んだ。

 安穏と暮らして何の鍛錬もしていない、貴族の若君とは違う。

 攻撃魔法兵士として血の滲む修行を積んできた少女が、実戦で己の力の程度を思い知ってしまったのだ。

 軽々しい慰めなど、出来るわけがなかった。

 己の右手を、リムレオンは見つめた。中指にはめられた、竜の指輪。

 修行も鍛錬もせずに手に入れてしまった、力。

 その力で昨日、魔獣人間という、元は人間であった生き物を殺害した。人を殺した、ようなものである。

 たやすく人を殺せる力をリムレオンに預けて、ティアンナはまた王都へ帰ってしまった。

 3日後に、意思を確かめに来る。あのゾルカ・ジェンキムという魔術師は、そう言っていた。

 あと2日である。それまでに、心を決めておかなければならないらしい。

 リムレオンを、リムレオンでなくしてしまう、この力を。所有するのか否か。

 暗い口調で、シェファが訊いてくる。

「リム様、それ……どうするの」

「どうしようか……」

「わけわかんないよ、あの女王様……リム様に、そんなもの押し付けて」

 シェファのこんな暗い声を、リムレオンは聞いた事がなかった。

「リム様、あたし……今から、嫌な事言うから。気ぃ悪くしたかったら、してもいいよ」

「どうしたの、いきなり……」

「あたし、あの女王様……信用出来ない。変な鎧着て怪物と戦うなんて、自分でやればいいのに。リム様よりも全然、強いんだから」

 ティアンナは、今や一国の王である。怪物との戦いに専念する事など、許されるわけがない。

 シェファとて、頭ではわかってるはずだ。

「リム様なんて、代わりはいくらでもいるって……別に死んじゃってもいいって、思ってるに決まってるわ」

 男女問わず王とはそういうものだろう、とリムレオンは思う。

 国を、民を守るため、誰かに犠牲を強いなければならない時もあるだろう。

「そう……だね」

 リムレオンは微笑んだ。

 ゾルカ・ジェンキムが健在である限り、魔法の鎧などいくらでも造る事が出来るだろう。

 装着者がいない、という事もあるまい。何しろ、リムレオンでも務まるくらいなのだ。

「確かに、僕の代わりなんて、いくらでもいる……」

「やめてよ!」

 シェファが大声を出した。

 水遊びをしている子供たちが、きょとん、とこちらを見つめる。

「あたしに……何か言う資格なんて、ないのよね」

 シェファが、いくらか声を小さくした。

「だってあたし、何の役にも立たなくて……結局、リム様に助けてもらっちゃって」

「僕は何もしていない。シェファを助けたのは……この、鎧さ」

 リムレオンは軽く右手を上げて、シェファに指輪を見せた。

「……捨てちゃいなよ、そんなもの」

 呻くように、シェファが言う。

「戦ったり、殺したりなんて……リム様、嫌いでしょ?」

「…………」

 そういう事とも少し違う、とリムレオンは思う。

 自分はそんな、心の優しい人間ではない。

 あんな魔法の鎧を身にまとい、魔法の剣を振り回しているうちに。自分はきっと力に溺れ、呑み込まれ、戦う事も殺す事も平気になってしまう。

 自分が、自分ではなくなってしまう。

 否。力に溺れて殺戮を行う、それが本当の自分になってしまう。

 それをシェファに、他人に、わからせる事が出来るとは思えなかった。

 水音が聞こえた。

 水遊びをしている子供たちに、何者かがバシャバシャと近付いて行く。川の中から、だ。

「ギッ! ギシャッ!」

「ギッシシシシ、ギシャアアアアアア!」

 明らかに人間ではないものの、声。

 シェファが立ち上がった。リムレオンも、立ち上がった。

 川の中から現れたものたちに取り囲まれ、裸の子供3人が悲鳴を上げる。

 取り囲んでいるのは全身、鱗に覆われた、人間の体型をしているが人間ではない生き物たちだった。

 所々にヒレを生やし、槍か銛か判然としない武器を携えている。

 首から上は、凶暴な肉食魚そのもので、鋭い牙と蠢く舌が、人間の子供たちの新鮮な血肉を求めているのは明らかだ。

「ギルマン……!」

 書物で得た知識を、リムレオンは口に出していた。

 昨日のオークと、同じような生き物たちである。棲む場所が陸上か水中か、違うのはそれくらいだ。

 そのギルマンが3匹、いや5匹、などと数えている間に7匹10匹と、子供たちだけでなくリムレオンそれにシェファをも標的に入れて、川辺に上がって来ている。

 子供らの悲鳴が、高まった。

 ギルマン3体が、裸の子供3人をそれぞれ1人ずつ、水掻きのある手で捕え、高々と掲げている。得物を見せびらかすようにだ。

「やめなさい!」

 リムレオンが動こうとする前に、シェファが叫んでいた。

 魔石の杖がギルマンの群れに向けられ、ぼぉっ……と赤く輝き始める。

 子供たちを捕えている3体が、いくらかは怯んだようだ。

「その子たちを放しなさいよ……放さないとぉ」

 焼き殺すわよ、とシェファが言い終えるよりも早く、多数の足音が押し寄せて来た。鎧の鳴る、物々しい響きと一緒にだ。

「若君、お逃げ下さい! ここは我々が!」

 領主の城に仕える、兵士たちの一部隊である。

 カルゴ侯爵も、領内の警備の強化くらいはしてくれたようだ。

「魔物どもを討ち尽くせ!」

「待て、その前に子供たちを!」

 日頃の訓練通りに連携し、ギルマンの群れに襲いかかる兵士たち。

 の何名かが突然、血飛沫を上げて倒れた。

 頭が兜もろとも潰れたり、眼球が飛び出したりしている。首の折れている者もいる。

 何かの群れが、彼らを背後から攻撃していた。棍棒や斧を振るって兵士らの頭を陥没させ、首を叩き折っている。

 オークだった。

 ギルマンと同じく十数匹、どこからか猛然と現れて、兵士たちに奇襲を喰らわせたところである。

 その奇襲を辛うじてかわした兵士に、ギルマンが襲いかかる。

 槍だか銛だかよくわからぬ武器に、兵士が1人また1人と刺し殺されてゆく。

 声がした。

「長かった……束の間とは言え、長かったぞ人間ども……」

 オークの群れの中から、巨体が1つ。ずしりと進み出て来た。

「束の間、貴様らに大きな顔をさせておいてやったが……それも、ここまでだ。我らの偉大なる帝王の御子が今、新たなる帝王として君臨なされる!」

 人間の言葉を流暢に喚く、だが人間ではない、オークやギルマンでもない生物である。

 全身で巨大に盛り上がった筋肉と皮膚は、まるで岩石だ。

 衣服や防具は着けていないが、腰に大型の剣を佩いている。あの魔法の剣をも叩き折ってしまいそうな、巨大な剣だ。

 岩石の大男、とでも表現すべきその怪物を、リムレオンは書物で見た事があった。

「トロル……」

 本来ならば、もう少し山深い場所の、洞窟などに棲んでいるはずの怪物である。

 その岩石のような肉体は、並の戦士が振るう武器では傷1つ負わず、仮に負傷したとしても、その傷はすぐに塞がり癒えてしまう。

 とてつもない再生能力を持ち、手足の1本くらいなら切り落とされても生えてくる、らしい。

 このようにオークなど下等な怪物を、兵隊として引き連れている事が多いという。

 全て、書物で得た知識である。自分にはこれしかないのだと、リムレオンは昨日から思い知らされ続けている。

「ダルーハ・ケスナーは死んだ! 帝王の御子が、我らの怨敵を滅ぼして下さったのだ! 今宵はその祝いの宴よ、うぬらも招いてくれようぞ……ぐっふふふ、我らの胃袋の中へとなあ!」

 トロルが叫び、笑う。岩石が目鼻口を成したような顔面が、狂笑に歪みながら牙を剥き、シェファの方を向く。

「この近隣の女子供は全て我らの晩餐よ。血はすすり肉は喰らい、魂は竜の御子へと捧げ奉る! 新たなる帝王への生け贄となる栄誉! 悦ばぬかぁあああ!」

「こいつ、わけわかんない事をっ……!」

 シェファの構えた魔石の杖が、ドンッ、ドン! と火球を発射する。2発。トロルの巨体に命中し、砕け散って火の粉と化す。

 岩石のような皮膚は、火傷1つ負っていない。

「駄目……? やっぱり……」

 へなへなと、シェファが座り込む。

「……わかったわ、生け贄にでも何でもなるから……その子たちは、放してあげて」

「……何を言うんだ、シェファ……」

 呻きながら、リムレオンは。

 足元に倒れ込んで来た、1人の兵士の死体。その傍らに跪いた。

 顔を斧で叩き割られた、惨たらしい屍。

 だが、誰なのかは辛うじてわかる。領主の城に勤めていて、リムレオンとも時折話す、若い兵士。

 確か、子供が生まれたばかりのはずだ。

「僕は……何を、やっているんだ……」

 右の拳を、リムレオンはグ……ッと握った。

 細い非力な拳が、震える。中指に巻き付いた金属の竜が、禍々しく光る。

「力に溺れる……力の、操り人形になる……僕が、僕でなくなる……そんな心配をしている間に人が死ぬ!」

「何を喚く、小僧」

 トロルがせせら笑いながら、こちらに向かって来る。

 岩のような巨体が、リムレオンに、シェファに、迫る。

「聞こえておらんか? 生け贄として宴に招くは女子供のみ、と言ったのだ。男は要らぬ、ここで死ね」

「……わかったよ、ティアンナ」

 眼前に迫るトロルに、ではなく、ここにはいない少女に語りかけながら。リムレオンは、兵士の屍の傍らで立ち上がった。

「力があるなら、戦うしかない……そういう事なんだな」

「駄目……」

 シェファが、草むらに座り込んだまま青ざめ、息を呑み、髪を揺らして首を横に振る。

「駄目よ、リム様……あの女王に、いいように利用されちゃう……」

「シェファ、僕を見ていて欲しい」

 こんなに強い口調で、この少女に話しかけたのは、初めてかも知れない。

「僕が、力に溺れたりしないかどうか……見ていて欲しい。君に、頼むしかない」

「リム様……」

「僕は、今から僕ではなくなる……君に、見ていてもらうしかないんだ」

 殴れば折れてしまいそうな脆弱な拳の、中指で。竜の指輪が、淡く白く輝いた。

「何だ、その指輪は……財物を貢ぐゆえ命だけは助けてくれろと、そういう事か」

 トロルが笑いながら、腰の大型剣を、威嚇するかのように仰々しく抜いて構えた。

「無論、財物はもらう。命ももらう。女子供も、何もかももらう……うぬら人間どもの全てを奪い尽くし、偉大なる竜の御子様に捧げてくれよう!」

 トロルのずしりとした足取りが、速まった。

 大型剣が振り上がり、岩のような巨体が踏み込んで来る。

 リムレオンは逃げず、かわさず、その場で思いきり身を屈め、地面に右拳を叩き付けた。

「武装……転身……!」

 自然に、声が出た。

 右の拳を中心に、地面に白い光が広がり、紋様を描き出した。様々な図形・記号・文字を内包した、光の真円。

 それが、白く燃え上がるように光り輝き、リムレオンを下から照らす。

 照らしただけでなく、包み込む。地中から噴き上がるような激しい白色光が、屈み込んで地面を殴る少年の全身を。

「ぬっ……」

 光に圧されたトロルが、大型剣を振り上げたまま、よろめいた。猛然と踏み込む動きが、とりあえず止まった。

 光が消えた。白く輝く紋様も、消え失せた。

 地面に右拳を打ち込んだ、白い騎士の姿が、そこに出現している。

 脆弱な細身を、豪壮な全身甲冑で包み込んだ、リムレオン・エルベット。

(やっぱり……僕、じゃない……こんなものは……)

 全身に漲る力を感じながら、リムレオンはゆらりと立ち上がった。

 リムレオンのもの、ではない力……魔法の鎧の、力。

「僕が、僕ではなくなる……それが、どうしたって言うんだ……」

 もはや1人も生き残っていない兵士たちの屍を、リムレオンは1度だけ見回した。

 ここで自分が戦わなければ、子供たちが、シェファが、同じ事になる。

「人が、死ぬ……それに比べたら! 何だって言うんだ!」  

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