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第16話 竜の指輪(後編)

 ティアンナは、確かに胸が小さい。

 その可愛らしい膨らみを精一杯、強調するかの如くキュッとくびれた胴の曲線が、本当に美しいとリムレオンは思う。

 群がる触手を軽やかにかわしながら躍動する左右の太股も、すらりと引き締まって、健康的な色香を発散させている。

 これで少しでも胸が大きくなったりしたら、この美しい均整が台無しになってしまうだろう。ともリムレオンは思った。

 そんな従兄の、いささかよこしまな視線を受けながら、ティアンナが細身の長剣を振るった。

 刀身の根元に埋め込まれた魔石が白く光り輝き、その光が細身の刃にまとわりついてバチバチッ! と音を発する。

 電光だった。

 稲妻と雷鳴を発する斬撃が、マントのはためきに合わせてティアンナの周囲を薙ぎ、嫌らしくうねる触手の群れを片っ端から切断してゆく。

 あちこちに切り飛ばされた触手たちが、パリパリと感電しながら弱々しくのたうち、干涸びて砕ける。

「ぎゃ……ヒッ……!」

 魔獣人間ローパーゴイルが悲鳴を漏らし、後退りをした。

 切られた触手の断面からバリバリと電光を流し込まれ、その異形の肉体が感電・痙攣している。

 苦しげに四肢を震わせ、背中の翼をバサバサと暴れさせながら、ローパーゴイルは呻いた。

「ぐっ……ゴルジの野郎……メイフェムのクソ女……こっこんなに強ぇー嬢ちゃんだなんて聞いてねえぞぉおお……」

「その方々に関して、もう少し詳しい話を……ね?」

 にっこりと微笑みながら、ティアンナが踏み込む。

 帯電する刃が突き込まれ、ローパーゴイルの身体のどこかを直撃する。

 電光と火花を散らせて魔獣人間が後方によろめき、大木にぶつかり、ずり落ちて尻餅をついた。

 そこへティアンナが、微笑みながら歩み迫り、電光をまとう魔石の剣を突きつける。

「お前のような、おぞましいものを造り出す研究と実験……一体どこで行われているのか話しなさい魔獣人間。黙秘は認めません」

 微笑みながらティアンナは激怒している、とリムレオンは気付いた。

 にっこりと可愛らしい笑顔が、しかし思わず怖気立つほどの怒りの生気を孕んで、凄惨なまでに美しい。

 魔獣人間というものを、リムレオンは名称だけは聞いた事がある。

 人間の肉体に、様々な怪物・魔物の細胞を植え付けて造り出す、生ける兵器とも呼ぶべき存在。

 魔法と呼ばれる一連の技術の使用法の中で、特に禁忌とされるもの。であるらしい。

 シェファなら、もう少し詳しい事を知っているかも知れない。

 そのシェファが、叫びながら駆け寄って来る。魔石の杖を構えてだ。

「リム様! 危ない!」

 何が危ないのか、わかったのは直後だった。

「男……にしちゃあ、おめえ美味そう……」

 ねっとりと生臭い息を、リムレオンは耳元に感じた。背後から、何者かが囁きかけてきている。

 恐る恐る、リムレオンは振り向いた。

 腐った顔と、目が合った。

 グジュグジュと蠢く肉の中から、眼球がギョロリと現れ、黄色い歯がニヤリと剥き出しになっている。

 大柄な腐乱死体が、フードを被ってマントを着ている。

 そんな姿の怪物が、生臭い息と共に言葉を吐く。

「う、美味かったら全部食う……マズかったら捨ててブチまけるうぅ……ち、ちょっと、しゃぶらせろやぁあ」

「リム様、思いっきり伏せて!」

 シェファが叫びながら、魔石の杖をこちらに向けている。

 向けられた魔石が赤く輝き、燃え上がる。

 言われた通りリムレオンは、頭を抱えてその場に伏せた。

 直後。シェファの構えた魔石から、球体状の炎が撃ち出される。

 その火球が、伏せたリムレオンの頭上を通過し、マント姿の怪物を直撃した。

 直撃を喰らった怪物の巨体が、激しく燃え上がりながら後方へと吹っ飛ぶ。

「こンのっ……! リム様にっ! 手を出すなぁあーッ!」

 駆け込んで来たシェファが、リムレオンの横を走り抜ける。そして炎上しうずくまる怪物に、至近距離から魔石の杖を向ける。

「し、シェファ……あまり近付いたら」

 危ない、というリムレオンの言葉も耳に入らぬ様子で、シェファは2発目の火球を怪物に撃ち込んだ。

 燃焼、と言うより爆発に近い火力で、怪物の肉体が焼き払われる。

 灰が、舞い上がった。

 それら灰を、炎もろとも押しのけながら、何かが立ち上がった。

「あぁあぁぁ……ぬくい、ぬくいぃい……」

 大柄な、裸の腐乱死体である。

 頑強な骨格にまとわりついた赤黒い腐肉が、グジュグジュと、それ自体が不定形の生き物であるかのように蠢いているのだ。

 灰になって飛び散ったのは、着用していたフードとマントだけだった。

「この……ッ!」

 怯えながらもシェファは、気丈さと魔力を振り絞った。

 至近距離から怪物に向けられた魔石が、真紅に輝き、3発目の火球をぶっ放す。

 爆発が起こった。凄まじい爆炎が、大柄な腐乱死体を包み込み、だがすぐに弱々しく消えてしまう。

 蠢く腐肉が発する大量の湿り気が、火を消してしまったかのようだ。

「いたぁ……ここにも、美味そうなオンナの子ぉお……」

 その腐肉が、荒波の如く巨大に膨れ上がって広がり、シェファを襲った。

「しっしゃぶる、いろんなトコからジュルジュルしゃぶるぅ……こここの魔獣人間スライムゾンビがぁウジュジュジュジュジュ」

「きゃあああああああ!」

 シェファが捕えられた。

 ぐじゅぐじゅと汚らしく蠢く腐肉が、ローブの上から少女の全身にまとわりつき、細い手足を絡め取る。

 そしてティアンナより一回りは豊かな胸を苦悶に揺らす胴体へと、嫌らしく貼り付いてゆく。

「いっ嫌! いやいやいやッ! リム様あああああ!」

 波打つ腐肉の中で、シェファの身を包むローブが、ぐっしょりと湿っていった。

 瑞々しい身体の曲線が、濡れた布地をピッタリと密着させて際立った。

 濡れたローブが、少女の身体からトロリと流れ落ちる。

 シェファの全身で、服が溶けていた。ローブも、鎖帷子も、下着も。

「ひぃ……っ!」

 シェファが青ざめた。

 華奢な肩の丸みが、ほっそりとした脇腹が、柔らかな太股が。とろとろ流れ落ちる衣服の下から、露わになってゆく。

「やめろ……!」

 腐肉でシェファを捕える魔獣人間に、リムレオンは殴りかかった。

 殴りかかる以外に、出来る事など考えつかない。こういうところが、ティアンナに「弱いくせに無茶をする」などと言われてしまう原因なのだろう。

 そのティアンナが、叫んだ。

「リムレオン、これを!」

 何かが放り投げられた。キラ……ッと光る、小さなもの。

 殴りかかる動きを中断して、リムレオンはそれを掴み止めた。

 指輪だった。細長い竜が環を成した意匠、である。

 それを放り投げる際にティアンナが一瞬、迷ったのを、リムレオンは見逃さなかった。

 その一瞬が、隙となった。

 ローパーゴイルの触手が1本、高速で跳ねてティアンナを襲う。

「うっ……!」

 一瞬、反応が遅れたティアンナの手から、魔石の剣が打ち飛ばされて宙を舞い、庭園のどこかに落ちた。

「うっしゃしゃしゃ調子ぶっこいてくれたなァ女王様よぉおー!」

 得物を失ったティアンナに、ローパーゴイルが調子づいて迫る。

 襲いかかる何本もの触手を、ティアンナはとりあえず避けるしかなく、魔石の剣を探す暇もないまま後方へ跳びすさる。その足元を、ローパーゴイルの触手たちが、かすめて跳ねる。

 魔獣人間の攻撃を自力でかわせるティアンナよりも、まず優先して助けなければならないのは。

「うぇへへへ……ま、まず服だけ溶かしてっとぉ……」

「やめて……やめて! やめてっ、やめてぇええええええ!」

 絡み付き蠢く、腐肉の群れの中。可愛らしく暴れるシェファの身体から、溶けた衣服がトロリと流れ落ちる。

 白い果実のような瑞々しい胸の膨らみが、溶解した布地の飛沫をプルンッと跳ね飛ばしながら元気に揺れる。

「シェファ……!」

 リムレオンの身体は、勝手に動いていた。

 おかしな指輪を受け取ったリムレオンが、これをどう使えば良いのか。ゆっくり説明している暇もなくティアンナは、魔獣人間の触手を必死にかわし続けている。

 指輪なら、とりあえず指にはめるものだろう。

 リムレオンは右手の中指を、その竜の指輪に差し込んだ。小さく細長い金属の竜が、中指に巻き付いている感じになった。

 全くの素手で殴るよりも、少しは相手に痛みを与えられるようになっただろう。

 指輪をはめて、殴る。他に、出来る事などない。

 リムレオンは踏み込んだ。そしてシェファを虐めている魔獣人間に、思いきり右拳を叩き付ける。

 叫びながらだ。腹の底から怒りの叫びが迸り、喉が痛くなった。これほど大きな声を発したのは、生まれて初めてかも知れない。

 無論こんなふうに叫びながら殴ったところで、非力なリムレオンの拳が、魔獣人間に痛撃を与えられるわけがなかった。だが。

 腐肉の飛沫が、飛び散った。

 白い光が、リムレオンの眼前に広がっていた。

 魔獣人間スライムゾンビの醜悪な肉体が、後方に吹っ飛ぶ。

 腐肉がちぎれ、解放されたシェファが、草むらに倒れ込んで上体だけを起こす。裸身に溶けた布地が貼り付いた、あられもない姿のまま、呆然と見入っている。

 右拳を突き出した姿勢で固まっている、リムレオンの今の有り様に。

 突き出した拳の中指にはめられた、竜の指輪。から白色の光が発生し、空中に何かを描き出していた。

 人間1人を包み込んでしまえるほどの、大型の真円。

 その中で、様々な図形・記号・文字が、整然と円形に並んでいる。

 白い光をインクとして空中に描かれた、そんな奇怪な紋様が、何やら得体の知れぬ力を発してスライムゾンビを吹っ飛ばしたのだ。

「リム様……」

 とりあえず助かったシェファが、己の裸身を隠す事も忘れ、呆然と呟いている。

 何が起こったのかわからずにいる、のはリムレオンも同じだ。右拳を突き出した格好のまま、動けずにいる。

 その拳を中心に空中へと広がった、円形の光の紋様が、白い輝きをパァッ……と強めてゆく。

「な……っ……」

 息を呑むリムレオンを、白色の光が襲う。

 竜の指輪から発生した、奇怪なる円形の紋様。それがリムレオンに覆い被さり、少年の全身を包み込んでいた。

 白い光が、消えた。

 円形の紋様が、リムレオンの身体に吸収される感じで、消え失せていた。

 代わりに。右拳を突き出した姿勢の、騎士の姿が生じている。

 白銀色の全身鎧が、リムレオンの身体を包み込んでいた。

 頭から爪先に至るまで、肉体の露出は1ヵ所もない。

 顔面も、裂け目の入った面頬で覆われている。

「こ……これは……」

 拳を突き出した姿勢を、リムレオンはゆっくりと解き、己の全身を見下ろした。

 がっしりと力強く豪壮な、金属製の全身甲冑。

 屈強な騎士でもなければ着こなせないであろう、そんなものが。屈強さとは程遠い少年の細身を、隙間なく鎧っているのだ。

 そして、それが幻影であるかの如く、重さが全く感じられない。その軽さは、不気味なほどだ。

 腰には、長剣が吊られている。

 指輪と同じく、細長い竜が巻き付いている感じに彫り込まれた鞘。に、両刃と思われる刀身が収まっている。

 完全武装の、騎士の出で立ちである。

「何……なんだ、これは……」

 リムレオンのそんな疑問に、答えてくれる者はいない。

 答えではなく、小さな悲鳴が聞こえた。

「きゃ……あッ」

 ティアンナだった。

 ローパーゴイルの触手が一閃し、彼女の胸元を打ち据えたところである。

 下着のような胸鎧が、ちぎれて飛んだ。

 小さいながら形良く丸みを保った左右の膨らみが、一瞬だけ露わになる。

 ティアンナが、両腕で己の胸を隠した。

 気丈な闘志に満ちた美貌に、初々しい赤みが昇る。

 ローパーゴイルが狂喜した。

「おおおおオッパイおっぱい、夢にまで見た可愛いオッパイ! 先っちょクリクリッてしてやんぜぇえええ!」

 狂喜に震える触手の群れが、一斉にティアンナを襲う。

 ……よりも早く、リムレオンは駆け出していた。

 地面を蹴った、その直後には、ローパーゴイルの顔面に拳を叩き込んでいた。

 醜い顔に拳の跡を刻印された魔獣人間が、ギュルギュルッと何回転もしながら派手に倒れ込む。

 叩き込んだばかりの己の拳を、リムレオンは呆然と見つめた。

 力強い、甲冑の拳。

 だがその中身は、人を殴った事もない、細く非力な片手なのだ。

 甲冑の重さを全く感じられない、どころではない。

 戦闘訓練などした事もない身体が、信じられないほど軽やかに動く。それでいて、とてつもなく重い攻撃を放つ事も出来る。

 目のやり場に困る姿になってしまった従妹の方を見ず、リムレオンは訊いた。

「ティアンナ……これは、何……?」

「魔法の鎧と、魔法の剣……本来ならばダルーハ卿に対する戦力となるはずだった装備よ」

 羽織っていたマントを、自分も裸であるにもかかわらずシェファに着せかけてやりながら、ティアンナが答える。

「ダルーハ卿との戦いには間に合わなかったけれど、無駄にはならずに済んだようね……無駄に終わった方が良いと、それを造った方は言っておられたけれど」

「何故……僕に?」

 女王という身でありながらティアンナが単身、この地を訪れたのは。魔法の鎧とやらをリムレオンに着せるため、なのであろうか。非力な貴族の少年などよりも、ずっと屈強な兵士や戦士が、王国正規軍にはいくらでもいるであろうに。

 何故、リムレオンでなければいけなかったのか。

 ティアンナがそれを語り出す前に、ローパーゴイルがむくりと起き上がった。

「こォのガキ……男なんざぁイジメ殺しても面白くねえから生かしといてやろぉーと思ったけどよォオ!」

 怒声に合わせて、何本もの触手が鞭の如く宙を裂き、リムレオンの全身を殴打する。

 魔法の鎧の表面あちこちが、ぺちぺちと鳴った。

 中にあるリムレオンの肉体には、痛みどころか、微かな衝撃すら伝わって来ない。

「なっ……何だテメエ……!」

 ローパーゴイルが、怯え始める。

 上半身にシュルシュルと巻き付いて来る触手たちを、無造作に引きちぎりながら、リムレオンは踏み込んだ。

 何はともあれ今は、ティアンナを脅かす魔獣人間を排除する、のが先決である。

(ティアンナを……)

 心の中で呟きながら、拳を叩き込む。

 ローパーゴイルの顔面がグシャリと歪み、折れた牙が血飛沫と共に舞い散る。

(守っている……のか? 僕は今……)

 あなたは、ぼくが守る。

 幼き日の、今なら歯の浮くようなその言葉を今、自分は実行しているのであろうか。

(……違う……!)

 否定しながらもリムレオンは、片足を蹴り上げた。

 脆弱そのものの脚力が、魔法の鎧によって別人あるいは別生物の如く強化され、ローパーゴイルを打ちのめした。

 魔獣人間が、まるで競技の球のように蹴り飛ばされて大木に激突し、ずり落ちた。

(違うよ、これは僕じゃない……今ティアンナを守っているのは、僕……じゃない……)

 ローパーゴイルが、よろめきながら背を向ける。

 その背中で、皮膜の翼が忙しなくはためいた。空を飛んで逃げるつもりか、あるいは空中からの攻撃を企んでいるのか。

 どちらもさせずリムレオンは踏み込み、手を伸ばし、羽ばたこうとする翼を掴んだ。

「こんなものは……僕じゃない……!」

 心の中の呟きを口に出しながらリムレオンは、ローパーゴイルの身体を掴み寄せ、左膝を叩き込んだ。

 魔獣人間の肉体が苦しげにへし曲がり、汚らしく血反吐を吐き散らす。

 へし曲がったままのローパーゴイルを、リムレオンは物のように、両手で頭上に持ち上げた。

 もう1体の魔獣人間……スライムゾンビが、のたのたと起き上がってシェファを狙っている。

「あぁああ……な、何だぁ、何が起こったぁ、ぉおおおおお」

 座り込んで、マントにくるまって怯えるシェファ。の前にティアンナが立ち、両の細腕で己の胸を抱き隠しながら、スライムゾンビを睨み据える。

「おおぉおぉお俺もらう、2人とももらうしゃぶるう! ハダカの女の子2人まとめてジュルジュルぬっぷぬっぷってウジュジュジュジュジュジュジュ」

 狂喜した魔獣人間が、全身で腐肉を波打たせ、裸の少女2人に迫って行く。

 そこへリムレオンは、ローパーゴイルの身体を、思いきり投げつけた。

 2体の魔獣人間が激突し、一固まりになって倒れ込む。

 少女たちを襲うはずだった腐肉が、ローパーゴイルに貼り付いてジューッと白い煙を発した。

「ぐっ! ぎゃああああああ溶ける、溶けるぅうう! なな何しやがんだテメェー!」

「うじゅ……ま、不味ぅい……オマエ何やってんだよぉおお」

 一緒くたに転がりながら罵り合う、2体の魔獣人間。に向かって、リムレオンは駆けた。

 重厚な甲冑姿が、軽やかに地面を蹴って、風の如く疾駆する。

 疾駆の最中リムレオンは、腰の長剣に手をかけた。左手が鞘を、右手が柄を握る。

 竜の巻き付いた鞘から、両刃の刀身が走り出す。発光しているかのように白い、眩しいほどに鋭利な刃。

 それが、リムレオンの疾駆・踏み込みに合わせて一閃した。横薙ぎの斬撃。

 ローパーゴイルとスライムゾンビが、2体まとめて真っ二つになった。

「違う……!」

 リムレオンは振り返りながら、魔法の剣を斜めに振り下ろした。

 血飛沫と腐肉が、噴き上がり、飛び散った。

 魔獣人間の肉体を、2つまとめて叩き斬る。それは、異様としか表現し得ない手応えだった。

「これは……こんなものは、僕じゃない……!」

 もう一閃。左下から右上へと、魔法の剣を振り抜きながら。リムレオンは全身で、少女たちの方を向いた。

 背後で、細切れの肉の残骸に変わった魔獣人間2体が、ビチャビチャと降り注いで地面に広がる。

 叔母マグリアの墓前を、人間ではないものの屍などで汚してしまった。

 裸の少女2人が、身を寄せ合いながら息を呑んでいる。

「リム様……」

 シェファの口調も表情も、何か良くない夢を見ているかのようである。

 リムレオンを恐れている、のは間違いないだろう。

 魔法の剣を腰の鞘に収めながら、リムレオンは、もう1人の少女に問いかけた。

「ティアンナ、僕に……こんなもので、何をしろと……?」

「……まずは貴方に、お礼を言わなければね」

 はぐらかすように、ティアンナは言った。

「助けてくれて、ありがとう」

「僕は、何もしていない……」

「いいえ、貴方が助けてくれたのよ」

 目のやり場に困る格好のままティアンナは、じっとリムレオンを見つめた。恐ろしい力をもつ魔法の鎧、に取り込まれた従兄の姿を。

「魔獣人間を倒し、私たちを守ってくれたのは、紛れもなく貴方なのよ。リムレオン・エルベット」

「僕であるものか……!」

 眼前で、リムレオンは右の拳をグッと握った。

 全身が、淡く白く輝いた。

 魔法の鎧と魔法の剣が、白い光に戻り、リムレオンの全身から剥離して、指輪の中に吸収されてゆく。

「やっと、僕に戻れた……」

 恐ろしい力をもった鎧と剣が封じ込められた、竜の指輪。

 己の右手の中指で禍々しく輝くそれを、リムレオンはティアンナに向けた。女王に拳を突き付ける、ような形になってしまった。

「そろそろ本当に、教えて欲しい。ティアンナ……こんなもので僕に、何をさせたい? 何故、僕でなければならない?」

「赤き竜の残党勢力、だけではないわ。魔獣人間を造り出すような者たちまでもが、動き始めている……ダルーハ卿の死後も、この国の民は、まだ様々なものに脅かされているのよ」

 じっと見つめてくるティアンナの瞳が、憂いを帯びた。

「お願い……戦って、リムレオン。この国の平和のために」

「僕は……」

 平和のために戦う。そのための力が、この指輪……魔法の鎧と、魔法の剣。

 こんな恐ろしい力を持つ者が何故、リムレオンでなければならないのか。その問いには、ティアンナはまだ答えてくれていない。

「貴女が何と言おうと、僕は今……僕では、なかった。魔法の鎧が僕を、完全に呑み込んでいた……僕を、操っていた」

 もはや死体とも呼べぬ有り様で散らばりぶちまけられている魔獣人間2体を、リムレオンはちらりと見やった。

「ティアンナ、貴女は僕に……恐ろしい力の、操り人形になれと……?」

「……合格」

 突然の声。と共に、近くの木陰から男が1人、姿を現した。

 父カルゴ侯爵と同年代と思われる、中年の男。父よりはすっきりと引き締まった身体を、灰色のローブに包み込んでいる。

 穏やかな顔に、しかし何か一癖ありそうなものを感じさせるその男が、なおも言った。

「女王陛下のお目に、狂いはなかった。この少年こそ魔法の鎧の装着者にふさわしいと、私も思います」

「誰……ですか、貴方は」

 リムレオンの問いに答えたのは、本人ではなくティアンナだった。

「ゾルカ・ジェンキム殿。魔法の剣と魔法の鎧を、お造りになった方よ」

「リムレオン・エルベット殿、でしたか」

 魔法に関係する技術者なのであろう、そのゾルカという男が。穏やかな、しかしやはり何か油断のならない笑みを浮かべる。

「王国の平和のために戦って欲しい、という女王陛下のお言葉に、貴方は迷いを示された。迷わず安請け合いをなさるようであれば……貴方を殺してでも、その指輪を取り戻さねばならなくなるところでしたよ。軽々しく正義の英雄になってしまうような方に、力を託す事は出来ませんからね」

 生身に戻った今のリムレオンなら、簡単に殺せるだろう。

「強大なる力の所有者とは、強大なる力を恐れる者でなければなりません。リムレオン殿、貴方のように」

「重ねてお願いするわ、リムレオン……この国の平和のために、戦って」

「ティアンナ……」

 この国の平和のためになど戦えない、とリムレオンは思った。

 魔法の鎧を着て、国の平和のためになど戦ったら。それこそゾルカの言うような、軽々しい正義の英雄になってしまう。

 力に溺れて英雄気取りの殺戮を行う……魔獣人間と大して変わらぬ存在に、なってしまう。

(国ではない、貴女のためになら……僕は、いくらでも戦うのに……)

 私のために戦って、とティアンナは何故、言ってくれないのか。

 その一言だけで自分は、力の操り人形となる事であっても、受け入れられると言うのに……

 シェファが、裸身にマントを羽織ったまま、こちらを見つめている。

 リムレオンを、ティアンナを、じっと見つめている。

 睨んでいる、ようでもあった。

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