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第14話 再会

 身体を鍛えた事など、なかった。

 まともに剣を振るった事もなく、馬にも乗れない。

 だからまず、自分の足で走る事から始めた。

 少し走っただけで心臓と肺が悲鳴を上げ、脚が動かなくなった。

 城の近くを流れる川のほとりに今、リムレオン・エルベットは倒れている。

「ひぃ、はあ……はぁ……あー……情けない」

 運動のため薄い衣服を着た身体を、弱々しく川辺に投げ出し、どうにか呼吸を整える。

 筋肉の薄い、痩せた脆弱な身体。肥満していないのが、せめてもの救いとは言える。

 リムレオン・エルベット。17歳。金髪碧眼の整った顔立ちが、余計に弱々しさを感じさせる。

 祖父レミオル・エルベット侯爵は、こんな孫とは似ても似つかぬ、勇猛な騎士として知られた人物だった。若い頃に戦功によってここメルクト地方の領主となり、妻を娶って2人の子をもうけた。

 息子のカルゴと、娘のマグリアである。

 仲の良い兄妹だった。近親相姦を疑われるほどにだ。

 不安を感じたのであろうレミオル侯爵は、半ば強引に嫁を迎え入れてカルゴと結婚させ、マグリアの方は国王ディン・ザナード3世に、側室として捧げてしまった。今から18年前。ヴァスケリア王国全体が、赤き竜による災禍から立ち直りつつあった時期である。

 別離を強いられた兄妹が、父のこの仕打ちを酷いものと感じたのかどうかは、定かではない。

 とにかくその1年後。カルゴと、強引に娶らされた妻との間に、リムレオンが生まれたのだ。

 さらにその翌年には、マグリアが王宮で娘を生んだ。リムレオンにとっては従妹に当たる、王女である。

 地方領主以上の家格を持った貴族の女性が、王家へ輿入れした場合。その女性の旧姓は失われる事なく、生まれた王子や王女にも受け継がれてゆく。その王子なり王女なりが、どういう家柄の血を引いているのか。それを明確にするためである。

 マグリアの産んだ王女は、ティアンナ・エルベットと名付けられた。

 十把一絡げな王族の1人として、いずれ政略結婚にでも使われるのだろう、と思われていたこの王女が。16歳の今は、ヴァスケリア1国を統治する女王である。

 彼女がエル・ザナード1世として即位してから、そろそろ2ヶ月。

 今や女王陛下の従兄となったリムレオンは、しかし特にそれによる恩恵らしきものを受ける事なく、地方貴族の息子として相変わらず安穏とした日々を過ごしている。

 ようやく呼吸が整ったのでリムレオンは上体を起こし、静かな川面を見つめた。

 本当に、安穏としていた。

 祖父レミオル侯爵はとうの昔に他界し、その子カルゴが侯爵となって跡を継ぎ、領主として現在メルクト地方を治めている。

 息子であるリムレオンの目から見て、父カルゴ侯爵は、まあ名君と呼んでも良い領主ではあった。

 ここメルクトでは、他の地方のように、少なくとも民が飢えて死ぬような事はない。領民の生活も税収も、安定している。領主の息子であるリムレオンも、実に安穏と暮らしていられる。

 2ヶ月前、ダルーハ・ケスナーによる叛乱の際も、王国南西部のメルクト地方には何の戦禍が及ぶ事もなかった。ダルーハが挙兵したのは王国最北端のレドン地方においてであるから、蹂躙されたのは王都以北の諸地方だけなのである。

 モートン・カルナヴァート第2王子の名において逆賊ダルーハ・ケスナー討伐令が布告された時にも、メルクト領主カルゴ・エルベット侯爵は1歩も動かず1人の兵も派遣せず、日和見に徹した。

 父がもし布告に応じていたら、馬にも乗れず剣も使えないリムレオンが、下手をしたら戦場に立たなければならなかったところだ。

 草を踏む、柔らかな足音が聞こえて来た。明らかに、こちらに近付いて来ている。

「リム様」

 声をかけられた。女の子の声だ。

 いやしくも領主の息子であるリムレオンに、こんな親しげな声をかける少女など、1人しかいない。

「こんな所にいたんだ……あんまりお城の外、出ない方がいいよー? リム様、弱っちいんだから」

 などと言いながら、その少女が、馴れ馴れしく隣に腰を下ろす。

 ふんわりとした明るい茶色の髪が、微かに揺れた。

 10代の娘らしい、柔らかく瑞々しく起伏した身体を、黒いローブに包んでいる。その下には、鎖帷子を着込んでいるようだ。

 右手で携えているのは、身長ほどの長さの杖である。その先端には、魔石が埋め込まれている。

 シェファ・ランティ。17歳。1年ほど前から領主の城に仕えている、若手の攻撃魔法兵士である。その1年ほどの間に、リムレオンとはいつの間にか親しくなっていた。どちらかと言うとシェファの方から、一方的に。

 愛らしく整った顔立ちが、少々いたずらっぽく微笑み、領主令息の顔を覗き込む。

「いくら世の中、平和になったからって……リム様、弱っちい上に可愛いんだから。襲われちゃうよ?」

「世の中平和に……か」

 とりあえず微笑み返しつつ、リムレオンは呟いた。

 地理的な理由でダルーハの叛乱に巻き込まれる事なく、ここメルクト地方は確かに平和だった。

 が、あの叛乱がまだ続いていたとしたら、どうであったか。

 メルクト地方は今頃、凶猛なダルーハ軍に蹂躙され尽くしているであろうか。

 そうなる前に父カルゴ侯爵はダルーハに恭順の意を示していたか、あるいは遅ればせながらモートン王子の布告に応じて王国正規軍に与していたか。

 何にせよ、のんびりとした日和見など許される状況ではなくなっていただろう。

 結局カルゴ侯爵がいずれかの道を選ぶ前に、ダルーハは討たれ、叛乱は終息した。

 エル・ザナード1世ことティアンナ女王自らの手で、逆賊ダルーハを討ち取った。という話になっている。

 その真偽はともかく。メルクト地方の兵力など必要とする事もなくヴァスケリア王家は、かつての英雄による叛乱を鎮圧した。

 となると、問題はこの後。カルゴ侯爵をはじめ、ダルーハ討伐に協力しなかった日和見諸侯を、新女王エル・ザナード1世がどう扱うか。という事である。

「……いつもにも増して、景気の悪い顔してるわねえ」

 リムレオンの顔をじっと見つめたまま、シェファは言った。

「悩み事? 心配事? まあ悩んでる若君ってのも絵になるとは思うけど」

「……まあ確かに、心配は心配かな。僕なんかが心配しても、仕方ないとは思うけど」

 一瞬だけシェファと目を合わせ、リムレオンは答えた。

「エルベット家の……これからの事を考えると、ね」

「あたしは……間違ってなかったと思うわ、領主様のやり方。日和見して、正解だったと思う」

 シェファの口調は、力強い。自分を元気づけてくれようとしているのかも知れない、とリムレオンは思った。

「だって結局、メルクトの戦力なんて必要なかったって事でしょ?」

「まあ、結果的にはね……」

「もし領主様が日和見してなかったら、必要ない戦争で犠牲が出てたかも知れないのよ? それにリム様だって戦場に出なきゃいけなくなってたかも知れない。弱っちくて可愛いリム様がよ。兵隊に襲われちゃったらどうするの」

「ど……どうしようかな」

「……ま、その時はあたしが守ってあげるけどね。リム様の事」

 シェファは微笑み、リムレオンはただ曖昧な笑顔を返した。

 そうしながら、思う。

(守ってあげる……か)

 同じ事を、自分も言った事がある。

 今はここにいない、もはや手の届かぬ存在になってしまった、1人の少女に対してだ。

 10年近く前……リムレオンが8歳の時だから、9年前か。

 叔母マグリアが王宮で病に倒れ、療養のためメルクト地方に里帰りして来た。7歳になる娘のティアンナを伴って、である。

 マグリアは側室として、国王ディン・ザナード3世から、それなりの寵愛は受けていたようだ。

 ゆえに正王妃や他の側室たちの妬み恨みを買い、様々な嫌がらせを受け、心労から病を得た。もともと身体の弱い女性であったようだ。

 そして療養のための帰郷を国王に命ぜられたわけであるが、それが事実上の離縁に等しい事は、ティアンナが一緒である事からも明らかだった。

 要するに母子共々、王都から追い出されたのである。後宮に波風が立つのを、ディン・ザナード王は嫌ったのだ。

 とにかく。里帰りして来た妹と姪を、カルゴ侯爵は優しく迎え入れ、本当に慈しんだ。

 叔母マグリアの、確かに田舎での療養が必要と思えるほど痛々しくやつれた、儚げな美貌もさる事ながら。リムレオンは初めて対面する従妹ティアンナの、美しい、という言葉すら軽くなってしまうほどの美しさに、まず息を呑んだものだ。

 母親と同じく儚げで寂しげな、それでいて頑ななほどの芯の強さを感じさせる、眼差しと顔立ち。

 小さくたおやか、に見えて確かな強靭さを秘めた身体つき。

 聞けば、その頃からすでに、剣士としての鍛錬を始めていたのだという。

 ティアンナ・エルベット。当時7歳。リムレオンより1つ年下でありながら、田舎で安穏と暮らしている従兄などとは比べものにならない苦難を王宮で味わい尽くし、芯の強さを育んできた少女だった。

 そんな従妹の王女と、リムレオンは一緒に、メルクトの野山を駆け回って遊んだ。

 戯れに剣の手ほどきを受けたりもした。もちろん相手になるはずもなく、リムレオンは容赦なく打ち負かされたものだ。

 あの頃のティアンナは、本当に楽しそうだった。

 儚げで寂しそうだった従妹の表情が、日に日に明るくなってゆく。それだけで、リムレオンは幸せだった。

 体力のない従兄を引きずり回すようにして野山を駆ける娘の姿、を見守りつつ、マグリアも幸せそうにしていた。

 そう。あの頃は本当に、皆が幸せだったのだ。

「ねえ、リム様」

 シェファの声がリムレオンを、思い出から現在へと引きずり戻した。

「今の女王様……エル・ザナード1世陛下、だっけ? 一体どんな人なの」

「……僕に訊くの?」

「だって、従兄妹同士なんでしょ? 女王陛下と」

 シェファが、じっと見つめてくる。睨まれているように、リムレオンは感じた。

「領主様が、おっしゃってたわ。本当に仲のいい、従兄妹同士だったって」

「また父上はいい加減な事を……」

 仲が良かったと言っても、それはお互い幼かった頃の、ほんの一時期……1年、いや半年にも満たぬ短い間だけの事だ。女王として多忙を極める今のティアンナに、リムレオンの事など思い出している暇はないだろう。

 里帰りから4ヶ月目、くらいであろうか。叔母マグリアが、療養のかいもなく帰らぬ人となったのだ。

 彼女は、生まれ故郷であるメルクトの地で、永遠の眠りについた。

 最愛の妹を亡くしたカルゴ侯爵は、いささか見苦しいほどに嘆き悲しみ、葬儀の時には参列者の目もはばからず号泣していたものだ。

 対照的に1滴の涙も流さなかったのが、ティアンナ王女である。

 母を失ったその日から彼女は、元気に野山を駆け回る事もなく、1人でじっと遠くを見つめるようになった。

 涙の1滴も見せず、誰のどんな慰めの言葉も拒絶して、ただ沈み行く夕日を見つめているだけのティアンナに。リムレオンは、声をかけた。

 あなたは、ぼくが守る。何があっても守ってあげる、と。

(……何を言ってるんだろうなぁ、僕は)

 リムレオンは苦笑した。あの時の自分を、嘲笑ってやりたい気分だった。

「どんな人かと言えば……強い人さ」

 リムレオンが守ってやる必要などないくらいに、だ。

 ダルーハ・ケスナーの叛乱を鎮圧し、今やこの国を大いなる復興へと導きつつある女王ティアンナ・エルベット……エル・ザナード1世。リムレオンごときが一体、いかなる力を貸してやれると言うのか。

 あなたを守る、などと言ったところで結局、何も出来はしなかった。

 マグリアの葬儀から数日後。王宮からの使者がメルクトを訪れ、国王の命令を告げた。

 第6王女ティアンナ・エルベットは速やかに王宮へと帰還し、リグロア王国王太子のもとへ嫁ぐべし、と。

 後宮に波風立たぬようにと追い出した7歳の王女を、国王ディン・ザナード3世は、政略結婚の道具として呼び戻したのである。

 リムレオンは憤った。憤る以上の事を、しかし何も出来なかった。

 あなたを守る、などと言ったところで、所詮はそんなものなのだ。

 かくしてティアンナ王女は、使者に連れられて王都エンドゥールへと帰って行った。

 幼い従兄妹同士の至福の日々は、大人同士の、国同士の政治的な都合で、無惨にも断ち切られて終わりを告げたのだ。

 それからしばらくリムレオンは、心にぽっかりと穴が空いたまま、虚ろな日々を過ごした。

 が、ある時。心躍る知らせが届いた。

 ティアンナ王女の輿入れがいよいよ翌日に迫った日の事である。彼女の嫁ぎ先であったリグロア王国が、隣国バルムガルドの侵攻を受けて滅亡したのだ。

 これでティアンナは外国へ嫁になど行かず、またメルクトへ帰って来てくれる。

 国が1つ滅びたと言うのに、あの頃のリムレオンは、そんな喜び方しか出来なかったのだ。

 だが結局ティアンナは、その後も王都にとどまり、リムレオンの所へ戻って来てくれる事はなかった。

 目の前を流れる川を、リムレオンはじっと見つめた。

 お互い8歳と7歳だった幼き日々。この川で、一緒に水浴びをした事もある。

 ティアンナの裸を初めて見た男は自分だ、などという、いささか情けない自慢が胸の中にはある。

「ふうん……リム様ってば、やっぱ強い女がお好みなんだ」

 そんな自慢を見透かしたかのような口調で、シェファが言う。

「弱っちい男って、そんなもんよねっ」

「な……何を怒ってるんだ?」

「別に怒ってない」

 ぷいっ、とシェファが横を向いてしまう。腹立たしげな横顔が、可愛らしくはある。

 その愛らしい表情が突然、引き締まった。

 緊迫した顔で左右を見回しながらシェファは、魔石の杖を構えて立ち上がっていた。

「シェファ? どうしたの……」

 間抜けな声を出しながら、リムレオンはようやく気付いた。

 幾つもの人影が、2人を取り囲んで立っている。

 15、6人であろうか。いや、人ではなかった。人の体型をした、だが明らかに人間ではない生き物たちである。

 粗末な腰布を巻いただけの、筋肉太りした男の身体。だが首から上は、豚である。牙を剥き、目を血走らせた、肉食の豚。

 各々、何かしら得物を手にしている。大半は棍棒の類だが、剣を帯びた者も3、4匹はいる。戦場跡で拾ったもの、であろうか。

 この世界には、魔物とか怪物とか呼ばれる危険な生命体が数多おり、その大部分が人間に害をなす。

 そんな有害な生き物たちの中でも、特に低級でありふれた存在なのが、この豚の頭の男たち……オーク、と呼ばれる生物である。

 彼らが人間に対し、どのような悪事を働くのかと言えば、まあ少し前のダルーハ軍と同じような事だ。殺し、奪い、女は犯す。

 そんな凶行の餌食に、リムレオンとシェファは今、なろうとしているのだ。

「こいつらっ……こんな、お城の近くに出て来るなんて……!」

 シェファが息を呑んだ。

 確かにオークなど、メルクト地方でもめったに見なくなって久しい。リムレオンも、2、3匹が畑の作物を荒らして兵隊に捕えられたのを見た事があるくらいだ。

 聞くところによると20年前、かの赤き竜が健在であった頃には、オークたちはその尖兵として、大いに人間を殺戮していたらしい。

 赤き竜がダルーハに討ち取られると同時に、オークのみならず怪物・魔物の類は勢力を失い、今に至るまで20年近くもの間、完全に鳴りを潜めていた。

 それが今このように、領主の城の近くで徒党を組むほどに、動きが活発化しつつある。

 原因があるとすれば、考えられるものは、ただ1つ。

(ダルーハ・ケスナーが、死んだから……?)

 などと考えている場合ではなかった。

 10数匹ものオークが、一斉に襲いかかって来る。

「ブヒッ! ブキャアアアアアッ!」

「ブキキキッ、ギヒィーッ!」

 鼻息荒く喚き、目を血走らせ、棍棒やら剣やらを振り上げる。そしてリムレオンに、シェファに向かって、殺到する。

 殺到して来るオークの群れに、シェファが魔石の杖を向けた。

「リム様、逃げて!」

 叫びと共に、杖の先端の魔石が赤く発光し、その光が火炎に変わり、球形の塊となって撃ち出される。

 1つ、2つ。流星のように飛んだ火球が、オークたちを直撃し爆発する。

 3、4匹のオークが、吹っ飛びながら焦げて砕けて灰に変わった。

 が、3つ目の火球は出なかった。杖の先端の魔石が、赤い輝きを弱めてゆく。

「あ……れ……? そんな……」

 その杖にしがみつきながらシェファが、へなへなと地面に座り込んでしまう。魔力が尽きた、ようである。

 そもそも人間の持つ魔力などたかが知れており、攻撃魔法兵士というのは数を揃えてこそ真価を発揮する兵科なのだ。大勢を並べての火球や電撃の一斉射で、敵部隊を短時間で殲滅する。それこそが攻撃魔法兵士の正しい運用である。

 ……というのは全て書物から得た知識であり、リムレオン自身が戦場に出て確かめた事ではない。戦場になど、出た事はない。

 戦いなど、した事はないのだ。

 怯んでいたオークたちの中から、特に大柄な1匹が、ニタニタと笑いながら進み出て来る。

 劣情に血走ったその目は、シェファに向けられていた。

 ローブの上から見て取れる瑞々しい曲線を、オークが視線で舐め回す。

「な……何よ、ちょっと……」

 座り込んで立てないまま、シェファが後退りをする。

 可愛らしく怯えたその声が、リムレオンの身体を、勝手に動かしていた。

「やめろ……ぉ……!」

 精一杯の声を絞り出し、大柄なオークへと突進して行く。戦った事のない自分に出来る戦いなど、これしかない。

 貴族の少年の細い身体が、オークの巨体に激突する。

 いや。リムレオンの体力では、激突などという激しい形にはならず、何やら抱きついたようにしかならない。

 あっさりと、引き剥がされた。オークが馬鹿力でリムレオンの細身を、衣服を掴んで振り回し、放り捨てる。

 掴まれた衣服が、破けた。

 上半身裸になったリムレオンの身体が、草むらに倒れ伏す。

「リム様!」

 シェファが悲鳴を上げた。

 彼女を襲おうとしていたオークが、とりあえずそれを中断し、リムレオンの方に歩み寄って来る。筋肉の薄い少年の、ほっそりした裸の上半身に、ギラギラと見入りながらだ。

 先程までシェファに向けられていた欲情の眼差しが、今はリムレオンに向けられていた。

「お……男でも、いいのか? 僕でも、いいと言うのか……」

 リムレオンは草むらの上でなよなよと上体を起こし、薄い胸板を、小さな乳首を、オークの劣情の視線に晒した。

「それなら僕を……す、好きにするといい。その代わり、シェファに手を出すな」

「ちょっと何言ってんの!」

 座り込んだままシェファが叫ぶ。が、彼女とて他人の心配をしている場合ではなかった。

 他のオークたちが、いくらかは攻撃魔法を警戒しつつも、じりじりとシェファに群がりつつある。豚の顔面に、下卑た欲望の笑みを浮かべながらだ。

「やめろ!」

 リムレオンは叫んでいた。

「僕が、お前たち全員の相手をしてやる! その……満足、させてやるから! シェファに手を出すな!」

「駄目! そんなの! 絶対ダメぇえええっ!」

 シェファの絶叫に応えるかの如く、その時。

 馬蹄の響きが、近付いて来た。

 しゃっ……と刃が鞘走る音も、聞こえた。

 聞こえた、と思った瞬間。白い光が一閃した。

 リムレオンに迫っていた大柄なオーク。その首が、高々と宙を舞った。

 小柄な人影を乗せた白い馬が、この場に突っ込んで来たところである。

 2つ、3つと、オークの生首が宙を舞う。首の失せた屍たちが、よろめき倒れてゆく。

 馬が白ければ、騎手も白い。純白のマントに、小柄な細身をすっぽりと包んでいる。

 そのマントが馬上で軽やかにはためく度に、同じく白いものが、弧を描いて閃いた。

 長剣だった。細い両刃の刀身が、白く発光している。その白色光が、たやすく折れてしまいそうな細身の長剣に、人間大の生物を叩き斬れる強度を与えているようだ。

 光り輝く斬撃。オークたちが棍棒を振るう暇もなく1匹また1匹と倒れ、倒れた身体からコロコロと生首が分離する。

「あの光……攻撃、魔法……?」

 シェファが呆然と呟いた。

 尻餅をついた彼女の近くで、白馬が蹄を止める。

 オークたちは、もはや1匹残らず死体に変わっていた。

 白衣の騎手が、ふわりと馬上から下りて着地した。純白のマントが舞い広がり、隠されていた身体が露わになる。

 若い娘だった。少女、と言っていいだろう。

 青い、まるで下着のような鎧を、胸と腰に巻き付けた半裸身。細い。が、ただ痩せているだけのリムレオンとは違う、しなやかに鍛え込まれた女剣士の肉体だ。

 白く輝いていた長剣から、ゆっくりと光が失せる。

 単なる細身の刀身に戻ったその刃を、少女剣士がスラリと鞘に収めた。柄と刀身の間に、魔石がはめ込まれているようだ。

「弱いのに無茶をする……のは相変わらずね、リムレオン」

 そんな言葉と共に、フードの中からサラサラと光が溢れ出す。

 金髪だった。光をまき散らすかのような、金色の髪。

 見た事がある、とリムレオンは感じた。この幻惑的な金髪を、自分はかつて見た事がある。

 フードの下から現れた、眼差しと顔立ちもだ。

 儚げで寂しげな、それでいて頑なほどの芯の強さを感じさせる美貌。

 今はそこに、一筋縄ではゆかぬ、したたかさのようなものも加わっている。

「……ティアンナ……?」

 この国の女王である人物を、リムレオンは思わず、呆然と呼び捨てにしてしまった。

 そうしてから、自分の姿に気付いた。たくましさの欠片もない、貧弱な裸の上半身。

 あなたを守る、などと言っておきながら、鍛えてもいない身体。

 細い両腕で肩を抱くようにして、リムレオンは己の裸身を隠した。9年ぶりに会う従妹と目を合わせる事が出来ず、俯いた。

「隠す事はないでしょう、リムレオン」

 ティアンナは微笑んだ。

 非力な従兄を引きずり回して野山を駆けていた頃と、全く変わらない笑顔だった。

「誰かを守ろうとする、殿方の裸……とっても素敵よ?」

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