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第13話 竜王の道

 どちらが正体、という事もない。

 いや、やはり醜悪な魔人の方が、本来の姿であるのか。

 右の拳を、軽く握ってみる。手首から肘にかけて広がった刃状のヒレが、ジャキッと金属的に鳴った。

 ドルネオ・ゲヴィンとの戦いで砕かれたこの武器が、今や完全に再生復元を完了している。

 同じくドルネオとの戦いで折られた翼も、元に戻っている。

 マントの如く背中から左右に広がった翼を、ガイエルは軽くはためかせてみた。動きも、問題ない。

 魔人ガイエル・ケスナー自身にも、人間を遥かに超えた肉体再生力があるのは間違いない。

 が、やはりブラックローラによる丹念な手当てが効いたのだ。

 あの黒衣の少女の思惑通りに、という事なのか。再びこの魔人の姿で、父と戦う時が来た。

 ダルーハも、やはりこちらの方が正体と言うべきか、異形のものの姿を露わにしていた。

 重厚なほど黒く、所々に溶岩のような赤色が走った、火山帯の岩石を思わせる外骨格。

 そんなものに全身を包まれていながら頑強な内骨格をも有している、凶悪なくらいに力強い肉体。

 牙を剥き出しにした、まるで悪鬼の頭蓋骨のような顔面が、左右の眼窩の片方だけで、赤い光を爛々と燃やしている。

 竜の血を引く、赤色の魔人。

 竜の血を浴びて人間ではなくなった、黒色の暴君。

 2色の異形が今、エンドゥール王宮の巨大な渡り通路の上で睨み合っていた。

「……1つ、確認をしておく」

 剥き出しの牙を開いて、ダルーハが言う。

「ドルネオが死んだ、と聞いた。貴様の仕業か」

「そうだ。安心しろ親父殿、すぐに後を追わせてやるっ」

 ガイエルの方から、踏み込んだ。

 左の拳を打ち込む。が、かわされた。続いて右拳。ダルーハの左手で、弾かれた。

 間髪入れずに跳ね上がった左足。これは、ダルーハの腹部に命中した。凶器そのものの爪を生やした蹴り。それも、この父の肉体に外傷を負わせる事は出来ない。が、

「む……っ」

 呻かせ、怯ませる事は出来た。

 よろめくダルーハを追い詰めるように、ガイエルはさらに踏み込み、立て続けに拳を喰らわせた。右、左、右。全て命中し、拳の方が砕けてしまいそうなほど強固な手応えが返って来る。

 揺らぎ、倒れかけ、辛うじて踏みとどまるダルーハ。に向かってガイエルは、左手を一閃させた。刃状のヒレ。

 ガギィインッ! と、斬撃ではなく殴打の感触が弾ける。

 斬る事は出来なかったが、微かながら血飛沫が散った。

 ダルーハの身体が大きくよろめき、またしても倒れそうになる。

 ガイエルは右手を振りかぶった。刃のヒレがジャキッと広がり、構えられる。よろめいたダルーハの首筋に、狙いを定める。

 その間に、しかしダルーハは踏みとどまって体勢を直していた。

 右前腕の刃を振り下ろそうとして、ガイエルは動きを止めた。止められていた。

 とてつもなく重い衝撃が腹にめり込み、ガイエルの行動力を麻痺させたのだ。

 ダルーハの左拳。ガイエルの鳩尾に、叩き込まれていた。

「ぐっ……え……ッ」

 仮面に似た顔面甲殻の内側で、ガイエルは吐血した。血反吐の飛沫が、霧状に飛び散った。

 その霧を断ち切って、ダルーハの右拳が飛んで来る。

 ガイエルの視界が暗転し、その中で火花が散った。

 間髪入れず、ダルーハの左手が襲って来る。拳ではなく平手。凄まじい衝撃が、顔面に貼り付いて来て脳を揺さぶる。

 ガイエルの身体が回転しながらよろめき、渡り通路の欄干にぶつかる。

「ふん……」

 微かに嘲笑いながら、ダルーハが歩み寄って来る。

 ゆったりとした歩み、と見えた瞬間、その左足が石畳から離れた。ブンッ、と重々しく空気が裂ける。

 その音が聞こえた時には、ダルーハの蹴りが、ガイエルの胴体に叩き込まれていた。

 呼吸器官が一瞬、全て麻痺した。息の詰まったガイエルの背中で、渡り通路の欄干が砕け散る。

 その破片と共に、ガイエルの身体が宙を舞う。

 渡り通路の外、空中に、ガイエルは蹴り出されていた。

 止まっていた呼吸を辛うじて回復させつつ、ガイエルは羽ばたいた。翼を広げて空気を打ち、己の身体を空中にとどめる。

 渡り通路の上ではダルーハが、欄干の壊れた部分から、僅かに身を乗り出していた。口を開きながらだ。強固かつ鋭利な上下の牙を押しのけて、炎の吐息が迸る。

 巨大な火柱が、横向きに発生し、空中のガイエルを直撃した。

「ぐわっ……あ……!」

 とてつもない衝撃と熱量に包まれ、ガイエルは落下した。

 庭園の石畳にガイエルの身体が激突し、土煙が大量に舞い上がる。

 石畳の破片を跳ねのけて、ガイエルは即座に起き上がった。

 全身が、ひりひりと痛む。火傷の痛みだった。鱗の部分があちこち焼け焦げ、じっとりと血が滲んでいる。

 そんな事よりも、とガイエルは狼狽した。自分1人、落とされてしまった。渡り通路の上にはティアンナが、ダルーハと一緒に残されている。彼女の命が危ない。

 が、ティアンナなど眼中にない様子で飛び降りて来たダルーハが、ずしりと庭園に着地していた。

「貴様がドルネオを倒したなどと……信じられんな、とても」

 牙剥き出しの口元にチロチロとまとわりつく炎、を指で拭いながら、ダルーハが言う。

「何か、あるはずだ。奴の油断をついて貴様が叩き込んだ、切り札がな」

 言いながら、歩み寄って来る。

「……見せてみろ、それを」

「貴様……っ!」

 ガイエルの呻き、と共に。ひび割れていた顔面甲殻に、さらなる亀裂が走る。

 怒りが、闘志が、胸の内で燃え上がる。そして込み上げて来る。

 顔面甲殻が、砕けて散った。

 露出した牙をガイエルが開こうとする、よりも早く。ダルーハの黒い重量級の身体が、滑るように踏み込んで来た。

 重い一撃が、ガイエルの腹にズン……ッと打ち込まれる。ダルーハの拳だった。

 ガイエルは口を開き、爆炎、ではなく大量の鮮血を嘔吐した。

 それを拭う間もなく、ダルーハの分厚い平手が、ガイエルの顔面を殴打・往復する。激しく揺さぶられる頭蓋骨の中で、何本もの毛細血管が破裂した。

 血まみれの牙を食いしばりながらもガイエルは立っていられず、よろめいた。踏みとどまろうとしたところへ、

「おい……いくら何でも、もう少し頑張れぬか」

 ダルーハの、蹴りが来た。無造作に障害物を押しのけるような蹴り。

 それだけでガイエルの身体は吹っ飛び、庭園を飾る彫像の1つに激突した。

 美しい、貴婦人の石像。それが無惨にも砕けて崩れ落ちる。

 破片に埋もれて倒れたガイエルに、ダルーハがゆっくりと歩み迫る。

「これでは、あの時と同じではないか。否、あの時と違って放り込んでやる川もない……殺すしかないぞ?」

 起き上がりかけたガイエルの腹に、ダルーハの右足が打ち込まれた。

 鳩尾にズドッ! と衝撃がめり込んで来る。ガイエルは腹を抱え、うつ伏せに倒れた。

「……貴様の真の父親のもとへ送ってやる、しかなくなってしまうぞ。ほれ、もう少し気張って見せんか」

 後頭部を踏まれた。ダルーハの片足が、脚力が、体重が、頭蓋骨を容赦なく圧迫する。

 顔面を石畳に押し付けられたまま、ガイエルは呻いた。

「お……俺の、真の父親……だと……」

 先程、吐き出し損ねたものが、また込み上げて来る。それをガイエルは、口を半開きにして少しだけ解放した。

 顔面の周りで石畳が大量に砕け散る、のをガイエルは感じた。

 半開きの口から爆炎を噴射しながら、ガイエルの頭部が跳ね上がり、ダルーハの片足を押しのける。

「ぬっ……」

 よろめくダルーハに向かって、ガイエルは思いきり口を開き、体内に残っていた爆炎を全てぶちまけた。

 火炎、と言うより爆発そのものが噴火の如く吐き出されて、ダルーハの身体を灼きながら吹っ飛ばす。

 大量の石畳が砕けて舞い上がり、幾つもの彫像が粉々に飛び散った。

「……親父殿は、言っておられたな」

 爆炎を吐き出し終えて息をつきながら、ガイエルは言った。

「男にとって父親とは、最大の障害であると。己の道を往こうと思うならば、殺してでも打ち倒さねばならぬ存在であると」

 父に聞こえているのかどうかわからぬ言葉と共に、歩き出す。

「そういう意味で、俺の真の父親は……すでに死んでしまった怪物などではなく、あんただよダルーハ・ケスナー」

 めくれ上がって砕けた石畳、崩れた石像。そんな破壊の痕跡が、まるで道路の如く続いている。

 その半ばで、ガイエルは立ち止まった。

 道路状に伸びた破壊の痕跡の、その先で、ダルーハが立ち上がったからだ。

「己の道を……往こうとする、我が子を……」

 瓦礫を押しのけて立ち上がったダルーハの全身で、黒い外骨格がひび割れ、所々が剥離して肉の赤さが露出している。体内が発熱・発光しているかのような、鮮やかな赤さだ。

「力で、叩き潰す……それが父親よ」

 彫像の生首を踏み砕いて、ダルーハが歩き出す。

 ガイエルの胸の内で、またしても熱いものが燃え盛る。

 それが爆炎として吐き出せるほどに高まる、のを待っていてくれるはずもなく、ダルーハが踏み込んで来る。すでに眼前にいる。

 拳で、ガイエルは迎え撃った。右拳。ダルーハの顔面に、命中した。

 一方、ガイエルの口元にも、ダルーハの右拳が叩き込まれる。

 牙を食いしばって耐えながらも、ガイエルはよろめいた。ダルーハの身体も、揺らいでいる。

 双方、辛うじて倒れずに踏みとどまる。

 次の動きに入るのは、ガイエルの方がいくらか早かった。ダルーハの首筋を狙って、左前腕を振るう。

 刃のヒレが一閃し、だが止まった。恐ろしく固い手応えが、ガイエルの腕の骨をも震わせる。

 刃のヒレが、ダルーハの首筋に、ほんの少しだけ食い込んでいた。筋肉で止められている。微かな鮮血が、小さな噴水の如くプシューッと噴き出しているが、致命傷には程遠い。

「この……ッ!」

 父の首筋に食い込んだ刃に、ガイエルは腕力と体重をかけていった。が、強固な筋肉の感触が返って来るだけである。食い込んだ刃で、押し斬る事も引き斬る事も出来ない。

 頸部の傷口でガイエルの刃をガッチリとくわえ込んだまま、ダルーハは笑った。

 表情筋のない、悪鬼の頭蓋骨そのものの顔面が、ガイエルの眼前で確かにニヤリと歪んだのだ。

「弱者が懸命に振るう刃……心地良きものよなあ」

 言葉と共に、衝撃が来た。ダルーハの左拳。喰らう瞬間だけ目視出来たが、かわせるものではなかった。

 ギュルルルルルッ! と豪快な錐揉み回転をしながら、ガイエルの身体が庭園に叩き付けられる。石畳が砕けて舞い上がり、降って来る。

 それを浴びながら、ガイエルは弱々しく上体を起こした。それが精一杯だった。

 下半身が痺れ、痙攣している。立ち上がれるようになるまで、いささか時間がかかるか。

「ダ……ルーハ……ッ」

 呻くガイエルにダルーハが、親愛の情を示すかのように両腕を広げて歩み寄る。

「もっとだ、息子よ……もっと健気に無様に、蟷螂の斧を振り回せ。そして父を楽しませるのだ」

 首筋から流れ出す鮮血は、今にも止まってしまいそうだ。出血を、首の筋力で無理矢理に止めている感じである。

「それが貴様に出来る、せめてもの孝行よ……」

「…………!」

 ガイエルは牙を食いしばりながら、見上げた。ダルーハではない何者かの視線を、感じたからだ。

 渡り通路の上から、ティアンナが、じっと見下ろしている。

 目が合った。

 怯えを押し殺した、強く清冽な眼差し。可憐な唇を微かに噛んだ表情。ガイエルの視力で、はっきりと見える。

(逃げて……くれんか、やはり……)

 この場から逃げてくれない。それはつまり今ここでガイエルが殺されれば、ティアンナも殺されるという事だ。

「本当に、この姫君はっ……要らん重圧を、かけてくれる……!」

 力の入らぬ両脚で、ガイエルは無理矢理に立ち上がった。下半身が痺れて立てない、などと言っている場合ではなかった。

「それが貴女の言う、己自身の戦いというやつか……ええい、たちが悪いっ!」

 父に対する殺意と闘志、それにティアンナへの腹立たしさが幾分混ざり込み、全て一緒くたになって胸の内で燃え盛る。

 激しく体内を駆けるその熱さを、ガイエルは右前腕へと凝集させていった。

 ダルーハが、すでに踏み込んで来ている。人ならざる父の姿が、視界の中で巨大に膨れ上がる。

 しっかりと見据え、ガイエルもまた石畳を蹴り砕いて駆け出し、ダルーハへと向かった。

 父の拳が、視界を占める。

 先程は、ここまで見えてかわせなかった。2度目ともなれば、見える、以上の反応が出来なければならない。

 踏み込みながら、ガイエルは身を低くした。

 ダルーハの右拳がブゥンッ! と重い唸りを発して、ガイエルの頭をかすめる。

 微かな衝撃があった。角を1本、折られていた。

 と同時にガイエルは、父と擦れ違う形に、右腕を振るっていた。

 刃のヒレが、ジャキィッ! と音を立てて大型化しつつ、燃え上がる。

 炎、と言うより高熱そのものが目に見える輝きとなって発現したかのような、真紅の光。

 それを帯びた大型の刃が、横薙ぎに一閃する。

「ぐっ…………ッ!」

 ダルーハが呻き、後退りをした。

 その腹部に横一直線、赤く輝く筋が刻み込まれている。

 ガイエルは間髪入れず、右足を離陸させた。蹴りで切断するための爪が、高々と天空を向く。

 その爪が、右前腕の刃と同じく、赤く熱く発光している。

 踵落としの形に、ガイエルは右足を振り下ろした。縦一直線の、足による斬撃。

 ダルーハの頭頂部から股間にかけて、赤い光の線が走った。

 赤色に輝く、横線と縦線……赤熱する光の十字を刻まれたダルーハの身体が、揺らぎながらも声を発する。

「ぐっ……く、っくくくく、無駄だ若造。貴様がいくら蟷螂の斧を振るったところで、俺を……楽しませこそすれ、殺す事など……」

 最後まで言わせずガイエルは、右足の着地と共に踏み込んでいた。

 そして身を捻り、左の拳を叩き込む。父の鳩尾、光の十字の交差部分にだ。

 決定的な手応えを、ガイエルは感じた。一瞬、時が止まったようにも感じた。

 低い姿勢で、ダルーハの鳩尾に拳をめり込ませたまま。ガイエルは声をかけた。

「……おふくろ様に、詫びてこい」

「ふ……死ねば、レフィーネに会える……などと、思っておるのか……」

 ダルーハが呻き、笑う。

「死んだ者には、どうやっても会えはせんよ……死ねば一緒になれる、などというのは女子供の夢想に過ぎん。だから俺は生きた。口うるさいレフィーネから解放されて、やりたいように生きたのだ……おい、勘違いするなよ小僧。俺はな、レフィーネに死なれてトチ狂ったわけでは断じてないぞ」

「……わかっている。おふくろ様は、あんたを束縛していた」

 そしてダルーハは、その束縛を暴力で振りちぎろうとは決してしなかった。暴力も憎悪も、眠らせておく事が出来たのだ。

 レフィーネが、生きている限りは。

 ガイエルの拳に中心を押されて、赤色光の十字が輝きを増した。

 光る真紅の十字が、そのまま裂け目に変わってゆく。

 そんな状態で、ダルーハは無理矢理に笑った。

「……ガイエルよ。貴様がその馬鹿力で、何か……大いに残虐な事をしでかす、のを俺は見る事が出来ん。それが、いささか未練ではある」

「……あんたのように、か」

 ガイエルは、己の脇腹に肘を打ち付けるようにして拳を引いた。

「俺以上の事を、だ……何しろ貴様は、俺よりも……あの赤き竜すら問題にならぬほど……残虐、だからな……」

 ダルーハの身体が、4つに割れた。計8つの断面に、赤い光が塗り広げられている。

 もはや声など出せる状態ではない。だがガイエルは、父の言葉を確かに聞いた。

「この世に災厄をもたらしながら……まあ、己の道とやらを往くがいい……」

 4つの断片が、赤い光に灼かれて爆発した。

 4カ所からの爆発光に照らされながら、ガイエルは振り向いた。

 ティアンナが、いつの間にか渡り通路から下りて来て、そこに立っていた。

「ガイエル様……」

「礼を言わなければならんかな。貴女が重圧をかけてくれたおかげで、俺は勝てた」

「……お礼を言わなければならないのは、私の方です」

「そんな事より、これからどうするのかを訊いても良いだろうか」

 ガイエルの方は完全に、これからやる事を失ってしまった。

「ティアンナ姫は、王族としての務めを充分に果たした。玉座などモートン王子に譲って、これからは自由に生きてみてはどうだ。もし望むなら」

 ある期待を込めて、ガイエルは言ってみた。

「……貴女が欲しがる物は全て、俺が集めて差し上げる。俺のこの力があれば姫君よ、富貴栄華は王族以上、それでいて王族の責任義務などは伴わぬ生活を、貴女にさせてやれるぞ」

「……それでは、ダルーハ卿と同じではないですか」

 ティアンナが苦笑した。

 幼い頃のガイエルも、よく馬鹿な事を言っては、母レフィーネにこんなふうに苦笑されたものだ。

「殿方のそういう単純な思考を私、時々本気で羨ましく思います……まあ、それはそれとして」

 こほん、とティアンナは咳払いをした。

「この度の戦で、ヴァスケリア王国は大いに荒れ果てました。王位をどうするかはともかく……私には、生き残った王族として為さねばならない事があります」

「……そうか」

 ガイエルは、ティアンナに背を向けた。

「では俺は……もはや、貴女の傍にいるべきではないな。権力の近くに、俺はいない方がいい」

「……そうですね」

 沈んだ口調で、ティアンナが同意する。

「私はきっと、ガイエル様に頼り過ぎてしまいます。貴方はきっと、何でも暴力で解決して下さるでしょうから……」

「するとも。俺は、残虐だからな」

 ガイエルは歩き出した。とりあえず今は、ここにいる理由は何もない。

「俺は当分、この国にはいる。政情を見て、暴力でしか解決出来ん事態であると判断したら……また貴女のもとへ馳せ参ずるとしよう。迷惑であろうが、な」

「正直言って、貴方を野放しにしてはならないという気もしますが……くれぐれも、どうか血生臭い事はなさらずに」

 ティアンナの、声だけが追いかけて来る。

「心穏やかにお過ごし下さい、ガイエル様。貴方のその力で、平穏な暮らしを手に入れる事も出来るはずです」

「俺は平穏な暮らしなど望んでいない。俺が望むのは」

 1度だけ、ガイエルは振り返った。

「今はこんなふうに格好をつけて立ち去ろうとしている俺だが……いつか気が変わって、貴女を奪いに来るかも知れんぞ」

 ティアンナが傍にいてくれれば、自分はいくらでも平穏に暮らせる。荒ぶる残虐性を、いくらでも眠らせておける。

「……竜は姫君をさらうもの、だからな」

「ガイエル様……」

 何か言おうとする少女の方をもはや見ず、ガイエルは歩き続けた。

 馬鹿な事しか言わない男だ、などとティアンナは思っているに違いなかった。



 庭園にティアンナ女王を残して1人、歩み去るガイエル・ケスナー。

 こうして楼閣の上から見下ろし見送る1人の少女の姿になど、気付いてはいないようだ。

 ひらひらとした黒い薄手のドレスを風にはためかせて佇む、黒髪の少女……ブラックローラ・プリズナである。

「ローラは今……猛烈に、感動しております……」

 微笑みながら、ブラックローラは涙を拭った。

 こんなふうに心の底から嬉し泣きをしたのは、何百年ぶりであろうか。否、生まれて初めての事かも知れない。

「滅びました……ダルーハ・ケスナーが滅びたのですわ……若君が、貴方様の御子が、やり遂げて下さいましたのよ……」

 死んだ者は、何もしてくれない。悲しみもしないし、喜びもしない。

 最も憎むべき敵ダルーハ・ケスナーがこうして滅びたところで、あの偉大なる御方が喜んでくれる事など、もはや有り得ないのだ。

 それでもブラックローラは語りかけていた。永遠に失われてしまった偉大なる存在に向かって、熱っぽく。

「どうか御覧になって。ローラは必ず、御子様を導いて差し上げます。貴方様と同じ……貴方様以上の、災厄と混沌の道へと……まずはダルーハの最期をお喜び下さいな。そして御子様をお誉めになって……我が主、赤き竜よ……」

 

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