第102話 解き放たれる力(中編)
たくましい全身を包む、甲冑の如き青銅色の外骨格。兜のような頭部の両側面から生えた2本の角と、額から伸びた螺旋状の1本角。
岩壁の上に立つその姿を見上げ、睨み据えながら、黒騎士……ラウデン・ゼビル侯爵は言った。
「エルベット家の暴虐に関しては様々な噂を耳にするが、よもや魔獣人間を飼っていようとはな」
「……魔獣人間というものを、ご存じなのか」
リムレオンは、思わず訊いていた。自分の知る限りメルクトとサン・ローデルにしか出現していなかった怪物たちの名が、今や王国東部の地方領主にまで知られている。それほど広範囲に渡って、魔獣人間たちは出没しているという事なのか。
「知っているとも。バルムガルドで、何体かと出会ったのでな」
ラウデン侯は、答えてくれた。
「化け物ばかりであった。あれらがいずれ大挙してヴァスケリアへと攻め込んでくるとなれば……もはや暗愚なるディン・ザナード4世王になど任せてはおけぬ。だから我らに力を貸せと言っているのだ、サン・ローデル侯よ」
「僕はもうサン・ローデル侯ではない。それよりラウデン・ゼビル殿……貴方は、今のバルムガルド王国に足を踏み入れたのか」
「かの国の現状を、この目で……この身で、確認して来たのよ。魔法の鎧がなければ、出来ぬ事であったがな」
己の身を包む漆黒の全身甲冑。その胸板を、ラウデンは左手の親指で軽く突いた。
バルムガルド王国の現状に関しては、マディック・ラザンからの書簡にも記されていた。
デーモンロードが、かつてのゴルジ・バルカウスのような事を、バルムガルド全国規模で行っているという。
そのゴルジ・バルカウスは、どうやら死んだらしい。あの書簡による報告の中では唯一、朗報と呼べるものだった。もっとも魔獣人間に関する全てはデーモンロードが、より凶悪な形で引き継いでしまったようであるが。
このラウデン・ゼビル侯爵は、そんな状況を身体で確認し、生きて帰って来た。それが本当ならば、バルムガルドに関して、新たなる情報が手に入るかも知れない。
シェファ・ランティと出会わなかったか。彼女は、無事なのか。
そんな愚かな質問を、リムレオンは危うく口に出しかけ、慌てて呑み込んだ。
今更、彼女の心配をするくらいなら、バルムガルドへの調査の旅など最初から許可するべきではなかったのだ。
(……許可しなかったとしても行ってしまっただろうな、君は)
「リムレオン・エルベット、それにブレン・バイアスよ、重ねて言う。我が陣営に加わり、共に戦え」
愚かな思考に浸りかけたリムレオンを叱りつけるかのように、ラウデンは言った。
「バルムガルドの災厄は、いずれヴァスケリアにも及ぶであろう。いくらか無理矢理にでも力を結集し、立ち向かわねばならぬ段階に来ているのだ」
「だから貴様らの配下になれと、そういうわけか」
岩壁上で、魔獣人間ユニゴーゴン……ギルベルト・レインが、せせら笑っている。
「空っぽの鎧どもをけしかけて、俺の恩人である司教殿を殺そうとした。ゲドン家の残党を煽って、ろくでもない事をさせようとした……貴様らローエン派はな、俺の目に見える範囲内でも、これだけの悪さをしてるんだよ。正しい事をするから力を貸せなどと言ったところで、信じられるわけなかろうが」
「別に貴公の力を借りたいわけではないよ、魔獣人間殿」
言いつつラウデンが、魔法の鎧の背中に取り付けてあった長弓を、左手に取った。
上下の両端から、短剣よりもやや長めの刃が伸びた、斬撃にも使える長弓。その2つの刃が、白い光を帯び始める。
リムレオンの、魔法の剣と同じだ。気力が、物理的な攻撃力として発現しているのである。
「私はバルムガルドで学習してきた。魔獣人間という者どもは、大きく2つに分類出来る……人間と共闘出来る者と、出来ない者だ」
言いながらラウデンは魔法の長弓を、矢をつがえないままキリ……ッと引いた。
弦をつまむ右手の指先から、白い光が生じて伸び、矢の形に固まった。弓の両端の刃を輝かせている白色光と同じ、気力の発現。
その白い光の矢が、岩壁の上の魔獣人間に向けられている。
「貴公は、どうやら後者だな……っ」
ラウデンが、弦を手放した。
引き伸ばされていた魔法の弓が、勢い激しく元に戻りつつ、光の矢を飛ばした。
その時にはユニゴーゴンは、己の両手に向かってシューッ! と炎を吐いていた。石化の炎。それが魔獣人間の両手で固まり、武器と化す。松明のように燃え盛る、石の棍棒。それが2本、ユニゴーゴンの左右それぞれの手に握られている。
右の棍棒が振り上げられ、飛来した光の矢を叩き払った。矢は粉々に砕け、光の粒子に変わってキラキラと舞い散り、消えた。
それとほぼ同時にギルベルトは、左の棍棒を思いきり投擲していた。
次の矢を発生させようとしていたラウデンが、それを諦めて後方へと跳躍する。
直前まで彼が立っていた地面に、岩壁上からの投擲物が激突する。
燃え盛る石の棍棒が、砕け散った。と言うよりも爆発した。炎をまとう石の破片が様々な方向に飛散し、ラウデン侯を護衛していた鎧歩兵たちを直撃する。
中身なき魔法の鎧たちが、ことごとく石像に変わった。
後方に着地したラウデンの身体にも、燃え盛る石の破片はいくつか命中した。黒い魔法の鎧は、しかしそれらを跳ね返しながら、何の変化も起こさない。
魔法の鎧を着ているわけではない生身のブレン、リムレオン、それに護送部隊の兵士たちにも、魔獣人間の棍棒の破片は容赦なく降り注ぐ。
「おい! 俺たちに当たったらどうするつもりだ!」
慌てふためく兵士たちを片っ端から突き飛ばしながらブレンは叫び、自身も辛うじて石の破片を回避する。リムレオンも、どうにか自力でかわす事が出来た。
「エミリィ・レアを連れて来てある! 当たった奴がいたら治してもらえ!」
リムレオンが耳を疑うような事を言いながら、ユニゴーゴンは岩壁から飛び降りて来た。
青銅色の巨体が地響きを起こして着地し、即座に駆け出す。右だけになった石の棍棒で、黒騎士に殴り掛かって行く。
刃の生えた長弓を、ラウデンが高速で跳ね上げる。石の棍棒は、受け流された。魔獣人間の巨体が、よろりと前方に揺らぐ。
揺らいだ身体で、ギルベルトはそのまま地面に転がり込んだ。
直前までユニゴーゴンの頭部があった辺りの空間を、長弓の刃が凄まじい速度で通過する。
空振りした魔法の長弓を、ラウデンは即座に猛回転させた。短剣よりも少し長めの刃が、白い光を帯びながら、別方向からギルベルトを襲う。
ごろりと身を起こしながら、ユニゴーゴンは棍棒を振り上げた。振り上げられた棍棒が、長弓の刃を弾き返す。
今度は、ラウデンの方が揺らいだ。黒く武装した身体が、しかし後方によろめきつつも軽やかに跳躍し、青銅色の魔獣人間との間に距離を開く。
その間合いを、ユニゴーゴンが猛然と駆けて詰めようとする。
だがその時には、ラウデンは弓を引いていた。光の矢が生じてつがえられ、そして放たれる。
ギルベルトは棍棒を振るい、かなりの近距離から撃ち込まれた矢を迎撃・粉砕した。キラキラと、白い光の飛沫が散って消える。
だが今度は、棍棒の方も砕け散っていた。燃え盛る石の破片が飛散し、ユニゴーゴンは素手になってしまった。
構わずギルベルトは踏み込み、弓矢の間合いを潰しながら右足を離陸させた。
鉄槌の如き蹄による蹴りが、ラウデンの腹部にめり込んだ。
「ぐッ……!」
黒い甲冑姿が、前屈みに折れ曲がる。
折れ曲がった身体がしかし即座に伸び、斬撃の長弓が跳ね上がった。白い光を帯びた刃が、斜め下から斜め上へと一閃する。
ユニゴーゴンの身体の前面から、血飛沫と火花が同時に散った。
青銅色の甲冑の如き胴体に、斜め一直線の傷がザックリと刻まれる。
その傷を片手で押さえ、低く呻きながらも、ギルベルトはどうにか倒れず踏みとどまった。
そこへ斬り掛かって行こうとしたラウデンが、苦しげに腹を押さえて片膝をつく。先程の蹴りが、効いている。
ラウデンはすぐに立ち上がり、魔法の弓を構え直した。そしてユニゴーゴンと対峙する。
1歩で詰められる間合いを開いたまま、両者は睨み合った。
そこへ、何者かが声を投げる。
「……苦戦しておられますか? ラウデン侯」
若い、女の声だった。
新たなる一団が、岩壁の上に姿を現している。50体近い、鈍色の鎧歩兵の群れ。
その中央に1つ、優美な人影が立っていた。
唯一神教の法衣をまとった、若い女性。霞がかかったような、どこか眠たげな目をしている。
美しい女性だ。美しさの中に、しかし何か得体の知れない、おぞましさのようなものも感じられる。
同じ唯一神教関係者の女性でも、あのメイフェム・グリムの方が様々な意味で幾分ましかも知れない、とリムレオンは感じた。
「アマリア・カストゥール……貴様、余計な手出しはするなよ」
ラウデンが言った。
「これは、私の戦いだ……」
「いいえ。私たちローエン派の戦いでもあります」
ヴァスケリアの唯一神教会を陰から動かしている、と言われる女性が、ブレンとリムレオンをちらりと見やりつつ言った。
「そのお2人は確実に、私どもローエン派の陣営へとお迎えせねばなりません」
などと喋っているアマリア・カストゥールよりも、彼女を護衛する50体近くの鎧歩兵たちの方が、リムレオンは気になった。
先程ブレン兵長にさんざん叩き壊された者たちとは、何かが違う。同じ、魔法の鎧の粗悪な量産品に過ぎないはずなのだが。
その鎧歩兵たちが、次々と跳躍し、岩壁上から飛び降りて来た。そしてガシャッ、ベシャッ、と低い姿勢で着地する。
獣の動きだ、とリムレオンは思った。
ラウデン侯が、魔獣人間との戦いを中断し、息を呑んでいる。
「アマリア貴様……! あの者どもを、連れて来たのか!」
「お下がり下さい、ラウデン侯……あとは、この聖なる戦士たちにお任せを」
岩壁の上で優美に佇んだまま、アマリアは言った。
「聖なる、戦士だと……」
ブレンが呻いている。リムレオンが今、感じている違和感と同じものを、彼もまた感じているようだ。
聖なる戦士。そう呼ばれた鈍色の鎧歩兵たちが、獣の動きで襲いかかって来た。
リムレオンは長剣を構え、迎え撃った。
獣の速度で襲来した鎧歩兵の1体がブンッ! と剣を叩き付けて来る。
その斬撃を、リムレオンは受け流した。
ガッと衝撃が起こり、少年の両手が痺れて震えた。
震える両手に握られた長剣が、半ば辺りで折れている。受け流しただけで、叩き折られてしまったのだ。
聖なる戦士の剣が、間髪入れず再び襲いかかって来る。
「くっ……!」
よろめくように、リムレオンはかわした。強烈な斬撃が、目の前を激しく通過して行く。
違う。同じ鎧歩兵でも、先程戦った者たちとは明らかに違う。攻撃の重さも速度も、違い過ぎる。
リムレオンに第3撃を叩き込もうとしていた鎧歩兵が、いきなり吹っ飛んで倒れた。
ブレン兵長が、体当たりで飛び込んで来たのだ。
「……お下がりなさい若君。貴殿の力で、どうにかなる者どもではなさそうだ」
言いつつブレンは、リムレオンを背後に庇い、岩のような拳を振るった。続いて、丸太を思わせる蹴りを突き込んだ。
聖なる戦士が2体、それぞれ直撃を喰らって後方によろめき、だが踏みとどまって各々、槍と戦斧を構えた。
体当たりを受けた1体も、何事もなく立ち上がり、剣を振りかざしている。
「くそっ……俺も、偉そうな事は言えんか」
「ブレン兵長、この者たちは……」
「うむ……中身が、入っておりますな」
聖なる戦士と呼ばれた鎧歩兵たち。彼らはどうやら、空っぽの全身甲冑ではなく、人間の兵士たちであるようだ。
量産品とは言え魔法の鎧を装着した、肉体ある戦士たちなのである。
「かくして唯一神は、我が道を示したまえり……」
その戦士たちが口々に、鈍色の面頬の下で祈りを呟いている。
「永遠の安らぎを、この地上に……」
「ローエン・フェルナスの聖なる教えに守られし、神の王国を……」
「争いなき永遠の王国を築くべく……我ら、争いを為さん」
「唯一神よ、我らに罰を……我らに、導きを……」
中には、女性もいるようだった。
鈍色の甲冑の上からでは性別のわからない聖なる戦士たちが、一斉に襲いかかって来る。
「なるほど……な。ローエン派の中でも特に信仰心強き者たちを精鋭として鍛え上げ、魔法の鎧を着せたか」
迎撃の構えを取りながら、ブレンが呻く。
が、生身の彼が迎撃をする必要はなくなった。
「精鋭として鍛え上げ、だと……本気でそう思っているのかブレン・バイアス」
魔獣人間ユニゴーゴンが、殴り込んで来てくれた。青銅の塊のような拳が、鉄槌の如き蹄が、中身ある鎧歩兵たちを片っ端から叩き潰す。
「貴様……あれから少し、おめでたくなったな。ええおい?」
叩き潰す、としか言いようのない有り様だった。魔法の鎧の量産品が3体、5体と、装着者もろとも破裂し、ひしゃげてゆく。凹み破けた金属から、血まみれの肉が、臓物が、ビチャビチャと溢れ出す。
溢れ出した臓物が、地面でのたうち回った。まるで蛇のように、虫のように……いや、それらは本当に人間の臓物なのか。
「これは……!」
ブレンが息を呑んだ。
リムレオンは、彼ほどには驚いていない。ただ、最悪の予想が的中しつつある、と思うだけだ。おぞましく冷たい感覚が、胸の内をじわじわと満たしてゆく。
「かくして唯一神は……我が道を……」
聖なる戦士の1体が、祈っている。祈りの言葉と共に、何かが面頬の隙間から溢れ出した。
蛇のようなもの、虫のようなもの。あるいは百足かミミズか、形容し難い異形の器官。
同じようなものを面頬から、そして全身の鎧の隙間からニョロニョロとはみ出させながら、中身ある鎧歩兵たちは口々に祈り続ける。
「地上に……永遠の、安らぎを……」
「人々に平和を……ローエン・フェルナスの、聖なる教えを……」
「そのために我ら……教えに背き、戦わん……」
「唯一神よ……我らを導きたまえ……」
「聖なる、万年平和の王国へと……」
祈りに合わせ、肉か臓物か判然としないものたちが、魔法の鎧から溢れ出して蠢き続ける。
リムレオンは呟いた。この世で最もおぞましく痛ましい、魔獣人間よりも忌むべき生き物の名を。
「残骸兵士……」
「あら。貴方たちは、そんな呼び方をなさっていますの?」
岩壁の上で、アマリア・カストゥールが涼やかな美声を発した。
「それは、あまりにもかわいそう……彼らは今この地上にあって、唯一神に最も近い戦士たちであると言うのに」
「……これはどういう事だ、ラウデン・ゼビル」
アマリアのおぞましい美声をとりあえず黙殺し、リムレオンは言った。
「この者たちは、貴方が守るべき領民だろう……」
「領民である前に、神の下僕よ。そのような生き方を、自ら選んでしまった者たちなのだよ」
いくらか嘲りを含んだ口調で、ラウデンは言った。
「貴公に殺されたバウルファー・ゲドン侯爵は、自領の民を強制的に狩り集めて魔獣人間を造っていたらしいな。私はそのような事はしておらん。この者どもは自ら望んで、聖女アマリアの行っておる研究に身を捧げたのだ」
「研究だと……」
何の研究だ、などとリムレオンは訊かなかった。訊くまでもなかった。
「……なるほど、研究か」
重く暗く笑いながらギルベルトが、中身ある鎧歩兵たちに、拳を、蹄を、叩き付ける。
口々に唯一神の御名を唱えつつ、聖なる戦士たちは破裂し、潰れて飛び散り、臓物か肉かわからぬものを弱々しくのたうち回らせ、死んでいった。
それらをグチャリと踏み付け、ユニゴーゴンはなおも呻く。
「同じような研究をしていた奴らがいた。ムドラー・マグラ、ゴルジ・バルカウス……貴様は3人目というわけか、アマリア・カストゥールとやら」
「私はただ、バルムガルドの魔物たちから、この国の人々を守りたいだけ……」
アマリアの美声がリムレオンの耳を、心地良く、おぞましく、くすぐった。
「サン・ローデル侯にブレン・バイアス殿。貴方たちならば、おわかりでしょう? 魔法の鎧を装着なさった貴方がたの力をもってしても、デーモンロードを倒す事までは出来なかったのです」
この聖女が何故、それを知っているのか。そんな事は、どうでも良かった。
この女を黙らせなければ。リムレオンはただ、そう思った。
「あの怪物が勢力を回復し、ヴァスケリアへと攻め込んで来る前に、私たちは戦力を整えなければなりません。ローエン派の教えには背こうとも、魔物たちとは戦わなければならないのです」
「そのための魔法の鎧であり……聖なる戦士たちである、というわけか」
ブレンが言った。
「なるほど。貴女は貴女で、この国の民を守りたいと純粋に偽りなく思っているのかも知れんな聖女殿。だがな、純粋であれば何でも許されると思うなよ……この国の国王陛下は、それはそれは不純極まる御仁ではあるが、それでも貴様らよりはましなやり方で、この国の民をしっかりと守っておられるのだからな」
「笑わせるな。あの無能王に何が出来る」
黒い面頬の下で、ラウデン・ゼビルが嘲笑う。
「ヴァスケリアの支配者にふさわしき御方は、エル・ザナード1世陛下ただ御1人よ」
「お前ごときが、ティアンナの名前を口に出すな……!」
リムレオンは叫んでいた。
「今の僕に言える事ではないかも知れない! だけどラウデン・ゼビル、お前は領主として最もしてはならない事をした! 領民を……領民を、このような!」
「聞けリムレオン・エルベット。この者たちはな、ダルーハ・ケスナーの叛乱で全てを失ったのだ」
怒鳴り返す事もなく、ラウデン侯は語る。
「働く気力を失い、税も納めず、もはや神の教えに逃げ込むしかなかった者どもを……政治の力で救う事など、出来はせん」
「だから、見捨てたのか……」
「この者たちを見ろ、リムレオン・エルベット」
黒い鎧をまとう腕を振るって、ラウデンは聖なる戦士たちを指し示した。
「迷いなく、死を恐れる事もなく戦い、そして唯一神の御下へと召されてゆく……これほど幸福な者たちが、今この国にいると思うか? こやつらのためにしてやれる事など、何もありはしないのだよ」
ラウデンの言葉通り、と言うべきであろうか。聖なる戦士たちは、迷いなく恐れもなく魔獣人間ユニゴーゴンに挑みかかり、そして粉砕されてゆく。
拳を振るい、蹄を蹴り上げ、青銅色の全身にドス黒い返り血を浴びながら、ギルベルトは黙々と己の手を汚し続ける。
「自分の陣営に加われ、と言ったなラウデン・ゼビル……」
汚れ役を他者に押し付けるしかないまま、リムレオンは言った。
「デーモンロードと戦うためならば、それもいい。先程までは、そんな思いもなくはなかった……だが今なら、はっきりと言える。僕には、お前たちと共に戦う事は出来ない。狂人の研究を黙認して民を犠牲にしている、そんな領主の陣営になど加わる事は出来ない!」
「ふむ。ならばどうする?」
「戦うしかないだろう! デーモンロードを倒すのに、お前たちの力は必要ない!」
怒声と共にラウデン侯へと向かって走り出そうとするリムレオンの腕を、何者かが掴んだ。ブレン兵長、ではない。弱々しい、柔らかな力である。
「いい加減にして下さい! 魔法の鎧も持たないで無茶ばっかり!」
エミリィ・レアだった。セレナ・ジェンキムもいる。2人がかりでリムレオンを、檻車の陰まで引きずって行く。
「な……ど、どうして君たちが……」
「ギルベルトさんに連れて来てもらったの。まったく、こんな考え無しな領主様だったなんてねえ……男は筋肉だけど、脳みそまで筋肉でどうすんの」
セレナは呆れ、エミリィは怒っている。
「一体、何やってるんですか……シェファさんと仲直りする前に死んじゃったら、どうするんですかっ!」
シェファは関係ない、などとは言わせてくれそうにない剣幕である。
セレナが、溜め息をついた。
「ま、強くなったのは認めるけど……生身の人間じゃどうにも出来ない相手っての、たくさんいるんだよ? だから、うちの親父は魔法の鎧なんてもの造ったわけで」
言いつつセレナが、柔らかな両手でキュッ……とリムレオンの右手を握った。
何かを、右手の中に握り込まされた。固い、小さなもの。
「というわけで……ヴァレリア様からの、預かり物」
「母上から……」
「伝言もあるよ。大勢の領民と1人の家臣、両方守れなきゃ領主とは言えない……だから片方ずつ、しっかり守りなさいって」
母親の言葉をセレナの口から聞きながら、リムレオンは己の右手を開いた。
母に預けてきたはずのもの……竜の指輪が、そこにあった。