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第101話 解き放たれる力(前編)

 手枷くらいは付けられると思っていたが、それはなかった。国王の温情、であろうか。

 粗末な囚人服を着せられた力強い身体の、どの部分も拘束される事なくブレン・バイアスは今、檻車に揺られ、運ばれている。

 そろそろガルネア地方に入る頃であろうか。真ヴァスケリアと呼ばれる地の、玄関口である。

 鉄格子の向こうに見えるのは、ほとんど岩ばかりの風景だ。所々に、葉の少ない樹木が生えている。

 そんな荒涼とした地を最低限、整備された街道が、くねくねと曲がりながら通っているのだ。

 そこを今、大司教殺害犯人を乗せた檻車が4頭の馬に引かれ、王国正規軍の一部隊に護衛されながらゴトゴトと進んでいる。

 その進みに合わせ、ブレンの周囲で鉄格子が若干やかましく揺れて鳴る。あまり頑丈な檻車ではないようだ。

 特に、扉の部分がひどい。馬が歩む度にガチャガチャと、今にも外れてしまいそうな音を発している。一応、錠前は付いているが、ブレンが思いきり体当たりでもすれば、その錠前ごと吹っ飛んでしまいそうな扉である。

 檻車の隣で軍馬にまたがった、護送部隊の指揮官と思われる1人の騎士に、ブレンは話しかけてみた。

「こんなもので囚人を運ぶなど……いささか不用心ではないのか? 俺でなくとも、少し力のある奴なら破ってしまうぞ。こんな扉」

「そう思われるなら、破ってごらんなさい」

 言いつつ、その騎士が檻車に馬を寄せて来る。

「……鉄格子の扉は、何本か螺子を抜いてあります。貴方なら、内側から吹っ飛ばせるでしょう」

「何だと……」

「私キール・ザックと申します。以前ゼクトー・ファルゴ侯爵ら南部領主連合との戦において、ブレン・バイアス殿の戦いぶりを目の当たりにいたしました」

 一介の地方領主に仕える兵隊長に過ぎないブレンよりも身分は上であろう王国正規軍騎士キール・ザックが、丁寧な言葉遣いをしてくれている。

「貴方ほどの勇士が、謂れなき罪で不当な裁きを受けるなど、我慢なりません。私を人質に取って、お逃げ下さい」

「謂れなき罪、という事はあるまい。俺は大司教猊下を殺したのだぞ」

「私は、あの場におりました。ブレン殿はただ、国王陛下をお守りしただけ……その事実を、私はこの目で見届けたのです」

 言いながらキールは、ブレンの右手を見つめた。

「魔法の鎧、でしたか……あれを、今はお持ちではないようですな」

「まあ、な」

 竜の指輪は、国王ディン・ザナード4世に預けてきた。魔法の鎧の力で脱獄をせずにいられる自信が、なかったからだ。

 恥を忍んで、外付けの力に頼ってみろ。ゾルカ・ジェンキムは死に際に、そんな事を言っていた。

 着脱可能な力。思うさま暴虐を行い、都合良く取り外して人間に戻れる力。

 魔獣人間よりもたちが悪い、とブレンは思う。リムレオンやマディックも、心のどこかで思っているだろう。

 シェファは、わからない。つまらぬこだわりは抱かずに魔法の鎧を利用しながら、その力に呑み込まれる事はない。そういう、したたかな所が彼女にはある。

 だが男と女の問題に関しては、あの少女はしたたかどころか初心(うぶ)もいいところだ。

(まったく、仲直りもせず旅になど……)

 ブレンは思わず、声に出して苦笑してしまうところだった。

 旅先でマディックと親密になって見せ、リムレオンをやきもきさせる。そのくらいの事が出来ればシェファも、なかなかのものなのだが。

「……まあ、そんな事はどうでもいいがキール殿。罪人の護送隊長が、罪人を逃がすなどと考えてはいかんなあ」

「ブレン殿、貴方は罪人などではない。私はそれを、この目で確認したと言っているのです」

「だからと言って、俺が逃げたら貴公はどうなる」

 自分を人質にしろ、などとキールは言うが、人質にされたからと言って許されるほど、軍規というものは甘くない。

「キール殿が、何らかの責任を取らされる事となるだろう。俺は行くあてもない脱獄囚として細々と生きながら、ずっとそれを気にし続けなければならん」

「私の事など、お気になさらずに……」

「それはこちらの台詞だ。俺の事など気にせず、護送の任務をしっかりと務め上げろ」

 口調厳しく言ってから、ブレンは少しだけ微笑んだ。

「……まあ、お気持ちだけいただいておく」

「ブレン殿……」

「そう心配なさるな。俺が死ぬと決まったわけでもなし……平和主義を唱える方々が、果たして死刑の宣告など出来るものか、行って確かめてやろうと思うのだよ俺は」

 自分が刑死する事となれば、事態はそこで終わりだ。ローエン派は、国王を政治的に攻撃する材料を失う。大司教が殺され、その犯人が処刑された、という事にしかならない。

 何も得るものがないとわかっていながらローエン派は、大司教殺害犯人の身柄引き渡しなど要求してきたのであろうか。

 ブレンの知るローエン派関係者は、エミリィ・レアやレイニー・ウェイル司教など、まあ立派な聖職者と呼んで差し支えない人物ばかりである。泣き出すと無茶をやらかすマディック・ラザンのような者も、いるにはいるが。

 ローエン派の中枢には、彼らとは違って、何を考えているのかわからぬ者が間違いなくいる。

 中身のない、鈍色の鎧歩兵たち。それにクラバー大司教が変化した、魔法の鎧の出来損ないのような怪物。

 非暴力を唱える唯一神教ローエン派が、暴力を手に入れてしまったのだ。その暴力で、何をしようとしているのか。

 探らなければならない。確かめなければならない。

「ブレン殿……」

 キールが、声をかけてきた。ブレンは応えた。

「気持ちだけもらっておくと言ったはずだ。俺は逃げんぞ」

「いえ、逃げていただかねばならぬかも知れません」

 キールが馬を止めた。檻車も止まった。

 護送部隊が、騎兵も歩兵も、慌ただしく戦闘態勢を取り始めている。

 囲まれている。不覚にもブレンは今、それに気付いた。

 周囲の岩陰から、鈍色の一団が姿を現し、こちらを取り囲んでいる。

 クラバー大司教が出現させたものと同じ、中身のない甲冑歩兵の群れである。

 生きた人間が、1人だけ混ざっていた。生命なき部隊を率いる、生命ある指揮官。

「大司教殺害犯人……ブレン・バイアス殿、とお見受けする」

 精悍な、壮年の男だった。身なりは粗末だが、騎士階級の身である事は、その鍛え抜かれた体格を見れば明らかだ。

 生半可な鍛え方ではない、とブレンは見た。鍛錬と実戦を重ねてきた、前線の武人の佇まいである。

「いかにも大司教殺しをやらかしたのは俺だが……貴公、よもやラウデン・ゼビル侯爵殿か?」

「ほう、おわかりか。会った事はないはずだが」

「北の人間は、ことごとくローエン派によって骨抜きにされてしまったと聞く。その中にあって、そこまで戦場の臭いを醸し出せる御仁……そう何人もおるまい、と思ってな」

 5つの地方を統べる大領主を相手に、ブレンは檻車の中から対等な口をきいた。

「戦う気満々で、このような者どもを引き連れ……俺ごとき一介の囚人を、どうしようと言うのかな」

「貴公に暴れられてはかなわぬ。そう思っただけだ」

 言いつつ、ラウデン・ゼビルは片手を上げた。

 鈍色の鎧歩兵たちが1歩、包囲の輪を縮めてきた。槍、戦斧、長剣といった様々な武器を、護送部隊の兵士たちに整然と突き付ける。

「こやつら……!」

 応戦の号令を下そうとするキールを、ブレンは止めた。

「やめておけ。こやつら、痛みも疲れも知らん」

「し、しかしブレン殿……」

「御苦労だったな、護送の任務はここまでだ」

 ブレンは、キールに対して微笑みかけ、ラウデン侯に対してはギラリと眼光を鋭くした。

「ここまで物々しくせずとも、俺は暴れたりせんよ。大人しく、あんたに付いて行こう……この空っぽの鎧どもを、遠ざけろ。護送部隊の者たちに手を出す事は、俺が許さん」

「ふふ……貴公が大人しく来てくれる気になったとしても、安心は出来んよ。貴公を行かせまいとする者が、いる限りはな」

 ラウデンの言葉に呼応するかの如く、馬蹄の響きが近付いて来た。

 複数ではない。たった1騎だ。通りすがりの旅人ではなく、明らかにこちらへ向かって来ている。

 地面を叩く蹄の音を聞きながら、ブレンは思った。馬の乗り方は、可もなく不可もなし。馬も、それに騎手の馬術も、普通としか言いようがない。普通に馬に乗れるところまで、最近ようやく技量を上げたという感じである。

 ブレンは、嫌な予感がした。

 あの若君には、馬術の指導まではしてやれなかった。ほぼ独力で彼は、普通に馬を走らせるところまでには達していたはずだ。

 馬蹄の音が、すぐ近くで止まった。ブレンは見上げた。

 あまり高くない岩壁の上に、栗毛の馬が1頭、低くいななきながら佇んでいる。細身の騎手を、その背に乗せながらだ。

 白いマントに身を包み、フードを目深に被った騎手。顔は見えないが、誰であるのかブレンはすぐにわかった。

 マントの上から見て取れる、細い体格。いくら鍛えても目立った筋肉の付かぬ、だが見る者が見ればわかる強靭さを秘めた肉体。見間違えようがない。

「はて……どちら様か、我らに何用かは存じ上げぬが」

 ラウデンが岩壁を見上げ、呑気な声を出す。

「とりあえず、だ。そんな所では立ち話もやりにくかろう? 下りて来られてはいかがか」

「……そうさせて、いただく」

 ブレンのよく知る声を発しながら、白衣の騎手はひらりと馬を下り、着地した足ですぐさま地面を蹴った。

 跳躍。細身の姿が、白いマントをひらひらと舞わせながら軽やかに落下し、岩壁の中ほどで突き出た岩を1度蹴ってから、檻車の近くにフワリと降り立った。

 ブレンが思わず見入ってしまうほど、鮮やかな身のこなしである。

 あの戦い以降、この少年は、以前とは比べ物にならぬほど過酷な鍛錬で己の肉体を虐め抜くようになった。その成果は、間違いなく出ている。

「ラウデン・ゼビル侯爵閣下……とおぼしき御方に、お願い申し上げる」

 白衣の少年は言い、ラウデン侯は鷹揚に応じた。

「いかにも、私はラウデン・ゼビルと申す者。して、願いとは?」

「このまま何もせず、何を得る事もなく、引き返していただきたい。鎧歩兵たちは、僕が片付けておく」

「何を……言っておられる……」

 ブレンは思わず口を挟んでしまうが、白衣の少年は応えない。

 ラウデンが、考え込むような仕草を見せた。

「ふむ……私は、そこのブレン・バイアス殿を我が陣営へとお連れしなければならんのだが、それをせずに手ぶらで帰れと」

 眼光が、ギラリと強く輝いた。戦場で敵を威圧する武将の眼光だ、とブレンは感じた。

「それでは、大領主たる私がここまで出向いた意味がなくなってしまうな……」

「本当に奇遇だと思う。僕も実は、ブレン兵長を連れて行かなければならないんだ」

 ラウデン侯のその眼光を正面から睨み返しつつ、少年はフードを脱いだ。

 短めの金髪が、さらりと露わになった。

 鋭利なまでに痩せた美貌が、険しいほどの闘志を漲らせ、ラウデン侯爵にまっすぐ向けられる。

「ブレン・バイアスは、エルベット家の大切な人材……ローエン派になど、渡しはしない」

「何を……言っておられる……」

 もう1度、ブレンは言っていた。

「一体、何をしておられる……サン・ローデル領主たる御方が何故、このような所に」

「……僕に、領主の資格はないようだ」

 ラウデンと睨み合ったままブレンの方は見ず、リムレオン・エルベットは言った。

「母に言われた。サン・ローデルの民を守り、なおかつブレン兵長を助け出す……両方出来なければ、領主とは言えないらしい。僕は、片方しか出来ない」

「馬鹿な……! 貴方は、今まで何のために! 俺に殺されそうになりながら強くなってきたのだ!」

 1対1で稽古をつけていた時ですら出さなかった怒声を、ブレンは檻車の中から、主たるサン・ローデル侯に浴びせていた。

「メルクトの、サン・ローデルの民衆を、守るためではなかったのか! その民衆を自ら捨てて、どうなさる!」

「民衆は……」

 ブレンの方を向かぬまま、リムレオンは少しだけ、唇を噛んだようだ。

「領主などいなくても、生きてゆける。だけど」

「だけど何だ……まさか俺には、貴方の助けが必要だなどと……言うつもりではあるまいなあ!」

 ブレンはついに、敬語を保てなくなった。

「小僧! 貴様、俺をなめてるのかッ!」

「わかってくれないか、ブレン兵長」

 リムレオンが、ちらりとブレンの方を向いた。正面の敵から目を逸らすなと、ブレンはつい怒鳴ってしまいそうになった。

「エルベット家の政治的立場を守るために、貴方を切り捨てた……そんな棘を心に突き刺したままでは、僕は民衆に対して大きな顔が出来ないんだ。民を守る、などと恥ずかしげもなく口に出す事が出来ないんだ。気が小さいんだと思う」

「否……立派な心構えであると私は思う。同じ地方領主としてな」

 ラウデン侯が感心している。本心か皮肉かは、わからない。

「エルベット家の若き領主……サン・ローデル侯リムレオン・エルベット殿。悪逆非道の若き暴君として、御高名は北の地にまで流れ響いておる。まあ暴君かどうかはともかく、無茶をなさる若君であるのは間違いないようだな」

「無茶だろうが悪逆非道であろうが構わない。ブレン兵長は、返してもらう」

 リムレオンが、ばさりとマントを脱ぎ捨て、長剣を抜いた。

「剣を抜いた……すなわち戦う意思を明らかになされたと、そのような解釈でよろしいか」

 ラウデン侯の、武将の眼光が、ギロリと強まった。

「戦えば、敗れて死ぬ事もある。それを覚悟の上で、このラウデン・ゼビルに剣を向けておられるのであろうな?」

「何の自慢にもならないけれど言っておく。僕は、貴方よりもずっと恐ろしい相手と戦った事がある。その相手はまだ生きていて、いつか再戦しなければならない」

 デーモンロード。あの怪物が復活し、魔物たちを率いて隣国バルムガルドを地獄に変えているらしい。シェファとマディックが、調べ上げた事である。

「ここで貴方を退け、ブレン兵長を取り戻せないようであれば……僕に、もう1度あの怪物と戦う資格はない」

「退ける……この私を退けると、そのように申されるか。面白い、やってみろ小僧!」

 ラウデン侯の、その怒声を号令として、鈍色の鎧歩兵たちが一斉に動いた。様々な武器が、リムレオンに襲いかかる。

 このような者たち、魔法の鎧を装着したリムレオンの敵ではない。

 そう思うブレンの視界の中、しかしリムレオンは、竜の指輪をはめた拳で地面を殴ろうとせず、生身のまま長剣を振りかざして鎧歩兵たちを迎え撃った。

「馬鹿な……何をしておられる!」

 ブレンの怒声を聞き流しつつリムレオンは、鎧歩兵たちの槍を、剣を、戦斧を、長剣でことごとく受け流した。

 この少年には、とにかく防御と回避を徹底的に叩き込んである。この程度の敵、5、6体が相手であれば、少なくとも致命傷を負う事はないだろう。

 だが今、この場に群れた鎧歩兵の数は、少なく見ても100体は超えている。

「ラウデン侯、1つお訊きしたい……」

 中身なき甲冑たちが振り下ろす戦斧をかわし、槍を長剣で弾き返しながら、リムレオンは声を張り上げた。

「貴方の陣営に、イリーナ・ジェンキムという女性がいると思う。彼女に無理矢理、このような者たちを作らせているのか!」

「ほう、あの娘を知っているのか。確かに、エルベット家と何かしら関わりを持ったという話はしておったな」

 リムレオンの苦闘を興味深げに見物しながら、ラウデンは言った。

「信じないのは勝手だが、イリーナ・ジェンキムは自らの意思で我らのために働いておるのだぞ。無論、正当な報酬は与えてある。正当ではなかったのは貴公らの方ではないのか、サン・ローデル侯」

「どういう意味だ……」

 呻きながらリムレオンは、鎧歩兵の槍をかわし、それと同時に長剣を振るった。まあまあの斬撃が、中身なき魔法の鎧の一体に命中する。火花が散った。

 斬撃を受けた鎧歩兵は少しだけよろめき、だが無傷のまま即座に体勢を直して戦斧を振り下ろす。

 辛うじてそれを避けたリムレオンに、ラウデン侯はなおも言った。

「これだけのものを作り出せるイリーナ・ジェンキムの力を、貴殿らは正当に評価していなかったのではないのか? エルベット家が人材をむざむざ手放してしまった、という事でしかないと思うのだがな」

 ゾルカ・ジェンキムの長女イリーナと、ブレンは直接、口をきいた事はない。サン・ローデル地方聖堂で自分が目覚めた時には、彼女はすでに姿を消していた。セレナ・ジェンキムの話によると、決して仲の良い姉妹ではなかったようだが。

 リムレオンはもはや何か喋る余裕もなく、鎧歩兵たちの剣を、槍を、斧を、かわし続けた。

 ブレンも認めざるを得ない。この若君、間違いなく腕を上げてはいるのだ。が、生命なく痛みも疲れも知らない兵士たちを相手にするには、技量はともかく力が圧倒的に不足している。

 その力を補うための魔法の鎧、であるはずなのだが。

「若君、いえ侯爵閣下! 魔法の鎧を……」

 叫びかけて、ブレンは気付いた。

 長剣を握る、リムレオンの右手。その中指に、竜の指輪が巻き付いていない。左手にもない。取り外して、服のどこかに隠してあるのか。

 まさか携行していないわけではあるまい、と思いながらブレンは訊いた。

「閣下……竜の指輪を、どうなされました……?」

「……母に、預けてきた」

 ブレンは耳を疑った。

 鎧歩兵が突き込んで来た槍を長剣でガキッ! と受け止めながら、リムレオンはなおも信じられない事を言う。

「今ここで僕が、魔法の鎧の力でこの者たちを倒したとしても……ブレン兵長は、その檻車から出て来てはくれないだろう。それなら貴方は最初から、自分の魔法の鎧で脱獄なり何なりしていただろうから」

 それをやらないためにブレンは、竜の指輪を国王に預けて来たのだ。

 同じような事をリムレオンがやるなどとは、思ってもいなかったが。

「魔法の鎧……とは、これの事であろうか?」

 ラウデンが言いながら、軽く右手を掲げて見せた。力強い中指に、ブレンもリムレオンも見慣れたものが巻き付いている。

 竜が環を成した意匠の、指輪。

 ラウデン侯の配下にイリーナ・ジェンキムがいるならば、驚く事ではなかった。マディック・ラザンの魔法の鎧も、彼女が造ったものなのだ。

「ブレン・バイアスだけでなくリムレオン・エルベット、貴公もまた魔法の鎧の戦士であったか。私にとっては大先輩というわけだな……だが果たして、生身でどれほどの事が出来るものか」

 ラウデンが嘲笑う通り、リムレオンの戦闘能力はそろそろ限界に達していた。突きかかって来た槍を長剣で弾き、振り下ろされて来た戦斧をかわす。だがその時には、別の鎧歩兵が1体、リムレオンの背後に回り込んで長剣を構えていた。切っ先が、少年の首筋を狙っている。

 後ろ、などと叫ぶ前にブレンは、鉄格子の扉を思いきり蹴飛ばしていた。

 キールの言う通り螺子の緩んでいた扉は、容易くちぎれて吹っ飛んで行った。そして、リムレオンを背後から狙っていた鎧歩兵を直撃する。中身のない甲冑が、ちぎれた扉と一緒くたに倒れてバラバラになった。

「ブレン兵長……」

「身の程知らずの若造が! 魔法の鎧も持たずに、何が出来ると思ったかッ!」

 怒鳴りつつブレンは、リムレオンに斬り掛かろうとする鎧歩兵の1体を掴んで振り回し、別の1体に叩き付けた。

 兜に胸甲、手甲に脛当て……バラバラの部分鎧が2体分、ドグシャアッと派手にぶちまけられる。

「以前、言ったはずだな! 戦場では何より力が求められると! 卑怯な力であろうと、使って勝たねば意味はないと!」

 怒声に合わせてブレンの拳が唸り、蹴りが跳ね上がる。

 中身なき魔法の鎧が1体、2体、吹っ飛びながらバラバラに壊れ散った。

「生身で格好を付けたところで、何も出来ないのでは意味なかろうが!」

「……生身で格好を付けているのは、貴方も同じではないのか」

 リムレオンが言った。ブレンは、何も言えなくなった。

 確かに、竜の指輪を国王に押し付けて来てしまった自分に言える事ではなかった。

 魔法の鎧の濫用は、魔獣人間の量産にも等しい愚行。そんなものはブレン・バイアス個人の、勝手な思い込みに過ぎないのかも知れないのだ。

「……くそっ!」

 八つ当たりのように、ブレンは鎧歩兵2体を左右それぞれの手で掴み寄せ、グシャリと鉢合わせを喰らわせた。2体分の様々な部分鎧が、弱々しく崩れ落ちてゆく。

「なるほど……な。アマリア・カストゥールが、大司教を使い捨ててでも欲しがるわけだ」

 ラウデン侯が、感心している。

「ブレン・バイアス……使い物にならぬ大司教猊下の命で、貴公ほどの戦士が手に入るとは。これこそ、まさに唯一神の聖なる恵みというわけかな」

「黙れ……ブレン兵長は渡さないと言っている!」

「リムレオン・エルベット、おぬしもまた類い稀なる剣士の原石よ。ブレン・バイアスと共に我が陣営に加わり、さらなる鍛錬に励むが良い」

 ラウデンが言いながら、ゆらりと両腕を掲げた。

「クラバー大司教には感謝せねばならんな。あの猊下のおかげで魔法の鎧の戦士を2人、我が配下に迎え入れる事が出来る……両名とも、どうやら魔法の鎧を持って来てはおらぬようだが構わん。イリーナ・ジェンキムに、より性能の良いものを造らせれば済む事」

 力強い左右の前腕が、ラウデンの眼前で交差する。

「手っ取り早く確実に、貴公ら両名を捕えさせていただく……武装、転身」

 竜の指輪が、ラウデンの右手で禍々しく光った。

 その禍々しい光が周囲に広がり、円形を描いてラウデン侯の身体を囲む。様々な文字や記号を内包した、光の真円。

 その中でラウデン・ゼビルは、いつの間にか鎧を装着し終えていた。

 頭から爪先に至るまで一ヵ所の露出もない全身甲冑。黒い。暗黒そのものを材料として鋳造したかのような、闇色の鎧である。

 イリーナ・ジェンキムが造り上げたものであろう、黒い魔法の鎧。その背中には、弓が背負われていた。上下の両端から、短剣よりも少し長めの刃を生やした、異形の長弓。

 ブレンは、皮肉と賞賛を込めて言った。

「さすが……前線で戦っておられた御仁は、手段を選ばぬものよな」

「先程おぬしが口にした通りだブレン殿。卑怯な力であろうと、使って目的を果たさねば意味はない」

 黒騎士とでも呼ぶべき漆黒の甲冑姿が、1歩ずしりと近付いて来る。

「刃向かうな。大人しく私に従え。そして、共に戦うのだ……無理矢理にでも力を集めて団結せねば、あの者どもには勝てんのだよ」

「ローエン派の手先が……さも正しい目的のために動いているような口をきくな!」

 声がした。ブレン、リムレオン、ラウデン、3人が同時に見上げた。

 岩壁の上に男が1人、立っている。身なりは粗末で、大柄ではないが、がっしりと力強い体格をしている。

 何より目を引くのは、頬骨の目立つ精悍な顔立ちだ。

「貴様らが、なりふり構わず暴力を振るう、健全な圧力団体に生まれ変わったのは知っている。いくら綺麗事を口にしようと、もはや誰も騙せんぞ」

「ギルベルト・レイン……!」

 リムレオンが呻き、叫んだ。

「付いて来いと命令した覚えはない!」

「その通り、あんたにはもう命令する権利がないんだよリムレオン・エルベット殿。何しろ、もう領主じゃないんだからな」

 ギルベルトが、岩壁の上からリムレオンを睨み据える。

「こんな馬鹿をやらかしといて、これからも領主でいられると思ってるわけじゃあるまい?」

「……無論だ。そのつもりで、ここまで来た」

「魔法の鎧も、持たずにか」

 ギルベルトはいらいらと、睨む視線をブレンに移した。

「この若君が、こんな馬鹿をしでかしたのは……貴様のせいだぞブレン・バイアス、何もかも貴様が悪い」

「……言われるまでもない。大司教を殺したのは、俺だからな」

「俺が言ってるのは、そんな事ではない。大司教を殺したのなら何故、その暴力を最後まで押し通さなかった? ガタガタ騒ぐ輩を皆殺しにして、大司教殺害を正当化する。そのくらいの事は出来たはずだろうに何故、自ら捕われるような事をした? 何故、魔法の鎧で脱獄をして来なかった?」

 詰問の言葉に合わせ、ギルベルトの全身がメキ……ッと痙攣した。

「エルベット家の立場を、守るためか? それなら……貴様は、戦うべきだったのだ……!」

「何だと……」

「大司教殺害を口実に、エルベット家を潰そうとする輩がいるのなら……魔法の鎧でも何でも使って、そいつらを皆殺しにするべきだったんだ貴様は! それもせず、あろう事か魔法の鎧を手放して自分から罪人に成り下がるとは! そんな中途半端な事をしているから、こんな面倒な事態になってしまうんだろうがああッッ!」

 ギルベルトの全身で、服が破けた。

 強固な筋肉が、青銅色の外骨格と一緒に盛り上がって来る。

「力というものはな、使わなければ意味はないんだ……魔法の鎧であろうが、魔獣人間の力だろうが」

 シューッ! と蒸気のような呼吸をしながら、ギルベルト……魔獣人間ユニゴーゴンは言った。

「俺が今から、力の使い方を見せてやる。見て、貴様も思い出せ」

「ふん……力仕事、というわけか」

 このギルベルト・レインという男が元ダルーハ軍である事を、ブレンは久しく忘れていた。 

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