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序章 ドラゴン・スレイヤー

 左手の中で、兵士の首が折れた。

 それほど苦しい思いはさせずに死なせてやれた、はずである。

 だらりと首の伸びた屍を放り捨てながら、ダルーハ・ケスナーは戦場を見回した。

 同じように物の如く放り捨てられた歩兵たちの屍で、地面が見えなくなっている。

 戦争、とは言えないであろう。これはもはや、一方的な虐殺だ。

 構うまい、とダルーハは思う。

 この世界を、己のものとする。そのためには、このような虐殺をこれから先、いくらでも行わなければならないのだ。

 40歳である。

 武力のみで全世界を支配下に置く。そんな難業を、今から死ぬまでの間に成し遂げられるであろうか。

 やるしかないのだ。何故なら、止めてくれる人間はもういないのだから。

「レフィーネよ、見ているがいい」

 いなくなった者の名を呟きながら、ダルーハは歩み出した。

「お前の夫が魔道に堕ちる様を……ようく見ているがいい」

 鋼の脛当てを履いた足が、ずしり、と兵士の屍を踏みつける。

 たくましい身体に血まみれの甲冑をまとう、その姿が、遠巻きに群れる王国正規軍を威圧するかのように1歩また1歩と、歩兵の屍の絨毯を踏み締める。

 鎖帷子の袖が筋肉ではち切れてしまいそうな両腕に、武器は持っていない。

 敵兵たちを鎧もろとも叩き斬っている間に、戦斧は潰れ、槍は折れ、剣は欠けた。

 今のダルーハの力に耐えられる武器など、この世に存在しないのだ。

 左掌に、右拳を打ち付ける。良い音が響いた。

 そうしてからダルーハは、手甲の上からボキボキと拳の関節を鳴らした。

 やはり、素手だ。

 今の自分は、何の武器も持たずに、あらゆる物を破壊し、あらゆる命を奪う事が出来る。

 ダルーハは微笑した。品良く整えられた口髭が、ニヤリと獰猛に歪む。

 右側しかない目が、猛々しい眼光を輝かせて、王国正規軍を睨み据える。

 左目は、と言うより顔の左半分は完全に潰れて、惨たらしい傷跡となっていた。

 もう19年も前に、ある戦いで負わされた傷である。

 相手は、こんな腑抜けの王国正規軍とは比べ物にならないほど、恐ろしい敵だった。

「……本当に、腑抜けになったものよな。騎士団も」

 遠巻きに布陣したまま動こうとしない正規軍騎士たちを、ダルーハは嘲笑って見せた。

「歩兵を楯として自らは動かず……これが誇りあるヴァスケリア王国騎士団の、俺がいなくなった後の有り様というわけか」

「ほざくな逆賊!」

 司令官と思われる、少なくとも着ている鎧だけは立派な人物が、声を張り上げた。

「英雄とまで呼ばれた身でありながら、かくもトチ狂った野心を抱きおって!」

「そうとも、我は英雄……」

 自身が造り上げた屍の道を、ゆっくりと歩みながら、ダルーハは答えた。

「英雄とは、いかなるものか……腑抜けの騎士団に、とくと思い知らせてくれようか」

「貴様こそ思い知れ。国王陛下に刃を向けたる、その罪の重さをなあ!」

 司令官のその大声を合図として、黒っぽい姿が複数、と言うより無数。分厚く布陣した正規軍騎士団の中から、ぞろぞろと進み出て来た。

 軽い甲冑の上から、黒いローブを羽織っているようだ。目深にかぶったフードのせいで顔はよくわからないが、恐らく全員が男であろう。

 皆、身長よりも長い杖を両手で捧げ持っている。先端に宝石がはめ込まれた杖。

 ただの宝石ではない。魔石と呼ばれる、一種の飛び道具である。それも弓矢とは段違いの威力を発揮する。数さえ揃えれば、攻城兵器として使えるほどだ。

 城攻めと同規模の魔石が今、黒装束の男たちによって、ダルーハに向けられている。

「王国正規軍の切り札、攻撃魔法兵団である」

 鎧だけは立派な司令官が、魔石の杖を構えた男たちの背後で、尊大に言った。

 攻撃魔法兵とは読んで字の如く、魔力を用いての攻撃を目的とした兵科である。

 人間が持つ微弱な魔力を、破壊・殺傷が行えるほどに増幅強化する。そんな機能を有する物質が魔石であり、これをより効果的に用いる訓練を受けた兵士が、攻撃魔法兵なのである。

「これで終わりだ、逆賊。竜殺しの英雄ともあろう者が、今から屍すら残らぬ死を迎える事となる。魔法の炎に焼かれ、あるいは雷に打たれ」

 司令官の声に、笑いが混じった。

「そして私は、竜殺しの英雄を倒した……英雄を超えた、英雄となる」

「良かろう、なってみろ」

 変わらぬ足取りでダルーハは、騎士団に向かって歩み続けた。

 その騎士団を守る形に、黒装束の攻撃魔法兵たちがズラリと横長に布陣し、魔石の杖を構えている。

 その様を隻眼で見回し、ダルーハは言った。

「いかなる手を用いても、この俺の身体に傷1つ負わせる事が出来れば……貴様たちは立派な英雄だ。誇るがいい、地獄でな」

「……やれ! 逆賊を、この世から消し去るのだ!」

 引きつった声で、司令官が号令を下す。

 ずらりと構えられた無数の魔石が、一斉に光を放った。

 炎の輝き、雷の閃き。あるいは冷気の煌めき。

 部隊を成せるほど群れた攻撃魔法兵士、各人の魔力が、様々な形で発現し、ダルーハ1人に対して迸ったのだ。

 太い電光の筋が、ダルーハの頭を打つ。兜が吹っ飛び、刈り込んだ黒髪が露わになる。

 巨大な火の玉が、正面からぶつかって来る。爆炎が、ダルーハの全身を包み込んだ。左右の肩当てがちぎれ飛び、胸甲と鎖帷子が一緒くたに溶けた。

 生暖かい液体金属が、身体の上を流れ落ちてゆく。

 それを感じながら、ダルーハは歩み続ける。

 こんなもの、ではなかった。

 19年前の、あの戦い。

 竜の返り血を全身に浴びた時の、痛みと言うべきか、熱さと言うべきか。

 皮膚と筋肉が焼けただれながら溶け、溶けながら別のものに変質してゆく。あの地獄そのものの激痛と比べれば。

 人間の攻撃魔法兵ごときが浴びせて来る、この火炎の、雷の、冷気の、何と涼やかで心地良い事か。

 鎧はあらかた破壊され、溶けちぎれていた。鋼を練り固めたような胸板や肩が、剥き出しとなっている。

 その力強い裸の上半身の表面で、炎が砕け散り、電光が弾け飛んだ。

 人間が一瞬にして凍結しひび割れるほどの冷気の嵐が、ダルーハの皮膚に凍傷1つ負わせる事もなく、蒸発してしまう。

 狙いの誤った電光が、火の玉が、ダルーハの周囲で、屍の絨毯を直撃した。

 安らかなる死を迎えた兵士たちが、焼け焦げ、砕け散り、燃え盛る生首や手足となって大量に舞い上がる。

 その凄惨な光景の中を、ダルーハは悠然と歩み続けた。剥き出しになった胸板も、分厚い肩や二の腕も、全くの無傷である。

「無駄だ……竜の返り血を浴びたるこの身体、人間の魔法ごときで傷付きはせん」

 呟くダルーハの周囲で、歩兵らの屍の破片がさらに激しく、大量に飛び散り続ける。

 標的がこうして自ら近付きつつあると言うのに、攻撃魔法兵士たちの狙いが乱れ始めているのだ。

 怯えている、という事である。

「我が宿敵……赤き竜よ。貴様にもらった力で俺は、貴様よりも禍々しく忌まわしきものへと今……変わる……ッうおおおおおおお」

 失われた19年前の敵に語りかけながら、ダルーハは歩みを止めた。

 身体が痙攣し、反り返る。突き上げられた胸板が、炎を、雷を、弾き散らせる。

 メキッ……と己の肉体が鳴る音を、ダルーハは聞いた。

 19年前、竜の返り血を浴びた時と同じだ。

 皮膚が、筋肉が、いや骨格や内臓に至るまでが、メキメキッ! と音を発して変化してゆく。

 人間の肉体、ではないものへと。

 異変が声帯にまで達し、まともに声を出す事が出来ない。

 だがダルーハは無理矢理、声を絞り出した。

「悪竜……転……身……」

 一際、巨大な火の玉が、ぶつかって来た。

 人間2、3人を一瞬にして灰に変えるであろう熱量の中、ダルーハの下半身でも甲冑が融解してゆく。腰鎧も、脛当てや軍靴も。

 下着までをも失い、隆々たる男の一物を丸出しにしながら、ダルーハは再び歩み始めた。メキ、メキッ……と、全身の至る所を変化させながらだ。

 新たなる鎧が、身体の内より迫り出して来る。そんな感じだった。

 やがて爆炎を割って、ダルーハ・ケスナーの人間ではない肉体が、騎士たちの、攻撃魔法兵団の眼前に、ゆったりと進み出た。

 たくましい両肩が、胸板が、そのまま甲殻化している。

 黒い、だが所々が燃えるように赤い、火山帯の岩石を思わせる外骨格。

 表面をそんなふうに変化させながら、内部にも頑強な骨格を有する、異形の裸体。

 その姿は、禍々しい甲冑に身を包んだ、人間ならざる騎士のようでもある。

 首から上では、奇怪な仮面の如く異形化した頭蓋骨が、皮膚も表情筋もちぎり飛ばして露わになっていた。

 巨大な2本の角を後ろ向きに生やし、小さな幾本もの角を鬣の形に並べた、悪鬼の頭蓋骨。がっちり噛み合わさった牙は、唇もないのに微笑しているように見える。

 2つの眼窩は、右側のものだけが炯々と赤い光を宿している。左の眼窩は洞窟の如く、ただ暗い。竜の爪によって抉られた眼球は、肉体にいかなる変化が起ころうと、再生する事はないのだ。

 竜の血を全身に浴びたる者の、真の姿。

 それを目の当たりにして、最前列の攻撃魔法兵たちが、まず恐慌状態に陥った。

 悲鳴を上げ、魔石の杖を捨てて尻餅をついてしまう者もいる。喚きつつ、火の玉や電光を、あらぬ方向へ乱射し始める者もいる。

 最も多いのは、背を向けて逃走を始めてしまう者たちだ。

「逃げるなよ、虫ケラども……」

 表情の失せた顔で微笑みつつ、ダルーハは口を開いた。

 噛み合っていた上下の牙が離れて、その隙間からボォッ……と赤い輝きが漏れ始める。

 ダルーハの体内で、赤く燃え盛っているもの。それが、迸った。

 炎、である。ダルーハの口から溢れ出し、攻撃魔法兵士たちを一気に包み込む。

 広範囲に渡って燃え猛る赤色の中、攻撃魔法兵が少なくとも十数人。焼死体という段階を一瞬にして通過し、灰に変わった。

 燃やすものを失い急速に弱まってゆく炎を、突っ切って来た者たちがいる。

 王国正規軍の騎士。6、7騎はいるだろうか。

「この化け物!」

「竜殺しの英雄が、魔物と化したか!」

「地獄へ堕ちろ怪物!」

 口々に叫びながら馬を走らせ、その鞍上で、槍を構えたり斧を振りかざしたりしている。

「そうだ……それで良い、逃げるなよ」

 迫りつつある騎士たちを励ましながら、ダルーハは軽く、右手を振るった。仲の良い友人の肩でも、叩くようにだ。

 人の前腕の形をした奇怪なる甲殻生物、のような右手が、軍馬の太い首を殴打する。

 騎士が馬上から振り下ろす戦斧が、ダルーハの身体のどこかをかすめる、よりも早く。馬の首がパァンッ! と爽快な音を立ててちぎれた。

 鼻面に馬具をはめられたままの頭部が、高々と宙を舞う。

 首の失せた馬の屍が倒れ、騎士の身体がグシャッと地面に投げ出されて動かなくなる。

 そんな様を一瞥もせずに歩みつつダルーハは、

「英雄とはいかなるものか、ようく見せてやる。逃げるでないぞ」

 同じように、左手を振るった。

 パンッ! と馬の生首が舞い上がり、騎士が重い甲冑姿のまま落馬して、惨たらしい骨折の音を立てる。

 変わらぬ速度でゆったりと歩を進めながら、ダルーハは両手を交互に動かし、馬たちの首を叩き続けた。人間の乗り物にされている彼らを、いたわるように。

 3つ、4つと軍馬の生首が宙を舞い、重装備の騎士たちが次々と投げ出されて地面に激突。そのまま首の骨を折って絶命してしまう者もいる。

 10頭近くの馬が、首無しの屍に変わった時点で、騎士たちはようやく戦法を変えた。

 騎馬での突撃をやめて馬を下り、徒歩で槍や戦斧あるいは長剣を構えつつ、じりじりとダルーハを包囲しようとする。

 腑抜けと思っていた王国騎士団を、ダルーハは少しだけ見直す気になった。軍馬を無駄死にさせまいとするのは、騎士として実にまともな判断である。

「褒美だ……英雄たる者の力、もっともっと見せてくれよう」

 徒歩の踏み込みで突き出されて来た槍を、2本、3本。ダルーハは、蠅でも追い払うように叩き折った。

「竜殺しの英雄とは……」

 呟きつつ、右手を無造作に振るってみる。

 騎士が1人、甲冑もろともグチャリと原形を失い、吹っ飛んで行った。

「……竜よりも禍々しく忌まわしく、悪しきもの」

 軽く左手を伸ばし、指先に触れたものを掴んでみる。

 大柄な騎士の身体が1つ、掴み寄せられてきた。その頭部に、ダルーハの左手がメキメキと食い込んでいる。

 甲殻類の節足にも似た五指が、喚く騎士の頭を、鋼の兜もろとも凹ませてゆく。

「……それを、思い知るが良い」

 痙攣する騎士の身体を左手で引きずりながら、ダルーハは少し大股に歩を進めた。

 外骨格でガッチリと重く固まった足が、逃げようとして転倒した騎士の身体を、踏みつける。

 鎧と肉と骨それに臓物を、一緒くたに押し潰す感触を、ダルーハはグシャアッ! と踏み締めた。

 右後方で、攻撃の気配が膨れ上がった。

 ダルーハを上回る巨体の騎士が1人、高々と戦鎚を振り上げ、襲いかかって来る。

 振り向きつつ、ダルーハは左手を振り上げた。掴まれている騎士の屍がブンッ! と弧を描き、戦鎚を構えた巨体と激突する。

 重い甲冑をまとう2つの人体が、激しくひしゃげながら一体化した。

 2人分の鋼と肉の残骸が、一緒くたの塊となって転がって行く。

 そちらの方向で、豪奢な馬甲を着せられた1頭の軍馬が、竿立ちになっていた。

 騎手が振り落とされ、無様に尻餅をつく。立派な鎧をまとった、だが中身の体格はあまり立派ではない人物。

 先程ダルーハと少しだけ会話をした、司令官である。

「ひ……ひいぃぃ、ままままま」

 待ってくれ、とでも言いたいのであろう。歩み寄るダルーハに向かって、しきりに手を振っている。

 その手を、ダルーハは掴んだ。そして引き抜いた。まるで雑草のように。

 元々ろれつの回っていなかった司令官の悲鳴が、さらに痛々しく、ダルーハの耳には心地良く、響き渡る。

 ダルーハは思う。弱い者いじめとは、本当に楽しいものだ。

 この楽しみを、かつて独占し大いに堪能していた者がいた。

「見ておれ、我が宿敵……赤き竜よ」

 泣き喚く司令官の、身体のどこかを掴んで引きちぎりながら、ダルーハは語りかけた。この場に、この世に、いない者たちにだ。

「俺はこの世に、貴様以上の災いをもたらして見せる。全ての弱き者を支配し、虐げ、あらゆるものを搾取してくれよう……そして見ておれ、レフィーネよ」

 血が、脳漿が、臓物の汁が、噴き上がる。悲鳴はすでに止まっていた。

「お前の夫は、この世で最も忌み嫌われ、恐れられる存在となる。ようく見ているがいい……ふ、ふっふふふふふ、ふぁはははははははははははは!」

 笑いが止まらない。何故なら、自分は解放されたのだから。

 ダルーハが何をしようと、止めてくれる者はもういない。

 それは、解放されたという事なのだ。

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