「警告する! 直ちに竜を解放し、投降せよ!」
意思の力を声に乗せ、放つ。一帯に響き渡るよう、この結界に閉ざされた中にも届くように。
ここに来てから数日、一定の期間をもって、通告を繰り返していたのだが、あちらから反応が帰ってきたことはない。
その間も辺りの草木は腐り果てながらその範囲を拡大し、大地には竜の呪詛が滲みこんでいるのに。この地を浄化するには、何年――何十年とかかるだろう。
あたしの眼下に広がるのは、本来なら牧草地。ここの酪農製品は、チーズが絶品でうちでもときどき仕入れてた。
だけど。もう、味わうことは出来ないだろう。
闇を刷いたように穢された町。
陽は高くこんなに明るいというのに、あたしには、周りの光景が、曇ってしか見えないのだ。
邪な魔術で乱れた理、それに、囚われた竜が吐く瘴気が混ざり合ってある種の術をなしている。
腐毒、とでもいおうか。触れるもの全てをその通り腐らせ拡がってゆく、呪術を。
あのような中で、住人はどうなっているのか。生命反応がないわけではないのに、精気を感じる事が出来ない、それがあたしを焦らせていた。
真眼を全開にしても、魂の色が感じられないなんて――レージュの人口数を考えても、ありえない。
彼らはどうなったのか。
家畜の気配すら、感じられず、ただ勧告を繰り返すことしか出来ない身が呪わしい。
ナランザ国、レージュの町の異変が緋の魔女の元に届けられてから、八日。
あたしたちが転移した時にはもう町全体がこの現象に覆われていた。
これ以上腐毒が広がらないよう、派遣された全員で町の魔術師が張ったものとは別の結界で囲み、あちらからの反応を待ったけれど。
産卵中の竜を捕らえて、邪術の糧にしようなどと考える輩が、言葉で説得できるとは考えてはいない。
事を起こした時点で、そいつが狂っている事は間違いないからだ。
町の結界をぶっ壊して、囚われた竜を解放して、魔術師を処罰する。
町をぐるりと取り囲む、これだけの緋の魔女がいればたやすいこと。
だけどそれには許可が要る。
掟に縛られているあたしたちは、許可が出るまで動けない。
力を持つからこそ、個人の感情で動いてはいけないのだ。
調停者。バランスを保つ者。世界の代弁者などと言われているあたしたち一族だが、創り主の言の葉が薄れて等しい昨今、彼の巫である緋の魔女も古のように振る舞えるわけではない。
ぶっちゃけ今回の事件で言うなら、ナランザ国のお偉いさんが国の威光だかなんだか、自国から世界の危機に関わる面倒ごとが起こっていることを認めたくないとか、現実が見えていない状態で、緋の魔女の介入を拒みやがっているのだ。
こうしている間にも、町にいる命の炎は消えているというのに。
ああ。わずらわしいこと全部投げちゃって、掟無視して突っ込みたい――
「五年前思い出すわよねー」
隣で杖にまたがったヒサメが呟く。
「それを考えたら~、少しはオトナになったのねえ~?」
うふっと無駄な色気を振りまきながら、ナギが。
それを合図にしたかのように、そこにいる全員の目があたしに集中した。
なにさ。
五年前? 五年前って……、
記憶を探って、そういや以前も似たようことがあったなあ、と思い当たる。
あれは確か、大量の人死にを贄に異界の魔神を呼び出そうとか考えた馬鹿が戦争を誘発して―――魔神どころかもっとまずい事態になるのが見えてしまったあたしが、いっぱいいっぱいになって単身突入しちゃった出来事のことか。
付随して転がり込んできた面影に、今はそんな場合じゃないのよと頭から振り落とす。
ああくそっ。
八日。八日もたっちゃたじゃないの!
「ここ来たときのカノンの不機嫌さから二日持たないだろうなぁと思って構えてたのに」
うん? 何で残念そうに言うのだ、フミヲよ。
って、さっきから揶揄されてるのはあたしかっっ!
不機嫌にもなるわよ、何でこんなときに事件起こしやがるんだとか、とっとと投降しろとか、頭の奴らいい加減にしろとか言いたくなるっての!
あたしは唸り声を漏らしてもう一度息を吸った。
「――警告する! 直ちに術の行使を止め竜を解放し、投降せよ!」
「カノンっ」
言い終わるより先に、こちらへ向かって何かが放たれた。
標的は――あたし。
空気を裂いて飛来する風の矢。あたしはそれを防ごうと手を上げ――後方にいた仲間の動きに、途中で力の方向を変えた。
矢が放たれた方向、魔力の流れ、残思を読んで射手を見定める。構成を組むまでもなく、そいつはすぐに見つかった。
術をまとって姿を隠しているけれど、あたしにはそこに人がいることがわかる。唇を小さく動かして、呪言を紡いだ。
そうする間に接近した鋭く尖った毒ある害意は、あたしに触れる刹那、カイラとマオの障壁に阻まれ、消し飛ぶ。
全て一瞬のこと。
文字通り一矢報いたと先走り、愉悦の笑みを浮かべていた男の顔が歪む。
その隙を逃さず、あたしは組み上げた術を発動した。
結界の内側、男の周りに張り巡らされていた不可視の魔術が、破裂するような音と共にあたしの力に解される。
勢い余って力の一部が男の頭を掠めたのはちょっとしたご愛敬。ワザトジャナイデスヨ。
街の北側、鐘楼の天辺に、くたびれ果てた王立魔術士の外套を羽織った人物が突如としてその場に姿を現す。
自分の結界内にこちらの魔術が届いたことが信じられないのか、バーリドは落ち窪んだ目を見張り、身体を見回していた。
はいはい、バッチリ見えてます。
もう一度、声を投げた。
「――元ナランザ王立魔術士、バーリドに相違ないな? 今すぐ禁術の行使を止め、投降せよ」
「小娘が……! お前のような子どもに私の偉大なる術の価値がわかってたまるか!」
ピクリとこめかみがひきつる。
あ~あ、と溜め息を吐いたのは誰か。全員か。
「……言っちゃった……」
「禁呪よりも禁句なのに……」
「バーリドって確か、十九で最年少王立魔術士になって六年……」
「今二十五歳?」
「……………」
あたしは妙に静かな頭で全身に力を巡らせ溜め置き、同時に思考を練り上げて行く。
ソロリソロリと周りの仲間たちが後退するのに気づいたが、無視して。
その時を待つ。
――感じる。
あの男が立つ鐘楼の背後の岩山から、今にも拘束の鎖を振り切って外へ出ようとする、怒りに包まれた存在の、声。
一呼吸するたび、鼓動が一つ脈打つたび、憤怒と憎悪と周りのものすべてを呪詛する、竜の波動が、ここまで響いてくる。
道を外れた魔術士を捕縛するなら、緋の魔女がこれほど集まる必要はない。
一人、確実性を重視するなら二人で充分。
なのに何故、街の上空を覆うまでにあたしたちが集まっているかと言うと――囚われた竜のせいだ。
竜とは古き力持つ生き物。
その昔、神代には創り主に従属し、一の座を担っていた種族。いわば、あたしたちの同胞。
時が流れ、数を減らし希少種となった今も、その内包する魔力は緋の魔女長を軽く凌ぐ。歴代長随一と言われている母様が五人いてやっと対等ってくらいの力があるのだ。
解放するだけならまだしも、こうまで我を失った竜を押さえるのに、魔女一人二人じゃとても足りない。
だから今、ここに次世代を担うあたしたち全員が揃っている。
早く。早く早く早く――――、
あたしの急いた願いが通じたものか、すぐ側の空間に転移陣が開く音がする。
交渉のためにナランザ王城を訪れていたカイリが姿を現し、待ちに待った言葉を発した。
「是認された! バーリドを捕縛せよ!」
カイリの声に術を放つと同時にあたしは急降下。予想していたのかもちろんみんなは止めない。
バーリドはこっちに任せたとばかりに、それぞれが力を行使していた。
ミヅホとハヅキが街に張られた結界を解き、カイラとマオ、イザヤとカグヤが立ち込める瘴気を抑え、ココノエとイツハが浄化を行う。
ヒサメとナギが続いてあたしを追ってくるのも感じていたけど、とりあえず、まず。
「誰が小娘で子ども、だッ! あたしはっ、人妻だ――――!!」
魔術衣の守りもバーリドがとっさに構成した障壁も蹴散らして、あたしはヒールの踵を野郎の顔にめり込ませた。
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