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5人目の男
The Last Enemy (8)
 R35GT-Rのコクピットにいてはいけない。早く!
 信号待ちを続ける青いGT-Rのボンネットから立ちこめる陽炎を眺めた真壁は、ふとそう思った。きっと今頃は妙典から譲り受けた初回発売版ガンプラを自宅でひとつひとつ眺め入り、ネット・オークションの状況を悠々と確認していた筈である。
 急遽、馬場係長が本庁に呼び戻された。何やら重要な会議があるらしい。動かぬ国道20号線でV6ツインターボを搭載したR35GT-Rが半蔵門方面を睨み続けているのは、その為だ。日曜とはいえ、流石にこの時間帯にでもなれば行楽帰りの自家用車やタクシーが相まって交通量は格段に増える。更に、新宿四丁目の明治通りとの交差点は立体になってはいない。それ故、JR新宿駅南口を横目に眺め、渋滞の真っ只中に佇んでいるのであった。明治通りさえ抜ければ半蔵門までは片側三・四車線の広幅員道路が続き、V6ツインターボの奏でるエンジン音とともに快適な走行ができる筈…である。
 青いGT-Rの車内にはデス声とまではいかないが、唸り、吐き捨てるかのようなヴォーカルが響き渡っていた。GT-Rの運転責任者は真壁であり、監督責任者は馬場係長である。そしてBGMの選曲責任者は妙典であった。人間とは恐ろしいもので、つい数日前までは妙典の選曲に嫌悪感を抱いていた真壁もすっかり慣れ、今や当たり前の様に聴き入れていた。かといって妙典の選曲が好みと言うわけでもない。
 CDのトラックが五曲目に変わった。相変わらずザクザクとしたギター音ではあるが、どこか爽快感すら漂うリフレインが始まったかと思うと、被さるように素早いドラムとベース、リズム・ギターが鳴り響き、たちまち重くアグレッシブな雰囲気に変わる。やがて、唸り、吐き捨て、どこか無機質さも醸し出すヴォーカルが楽曲の主導権を握った。停滞するGT-Rのハンドルに手を掛ける真壁はシート脇のCDケースを横目に見やる。

“I'm The Highway”

 まさに今のこの状況を的確に表す、見事な曲名だと感心せずにはいられなかった。唸り、吐き捨てるヴォーカルも今現在の真壁の心境をこの上なく捉えている。もしや妙典の選曲センスはニュータイプ特有の予知能力に匹敵するのかもしれないとさえ真壁は思った。
「…それにしても真壁くんの言っていた五人目の社員の存在…益々、現実味を帯びてきましたねぇ」
 相変わらず狭い後部座席にちょこんと座り笑顔を振りまく馬場は切り出した。妙典は聞こえぬフリをしているのか、曲に合わせ小刻みに頭を振っている。そんな妙典越しに新宿駅南口を眺めた真壁は顔を戻し、口を開く。
「そうですね。荻窪でラジコン飛行機を飛ばして、田伏が東中野に到着するまでの所要時間は十七分。いくらなんでも車での移動は不可能だと思います。…どう頑張っても二十五分はかかりますね」
「14時35分頃、中野新井署のパトカーも山手通りを巡回していたそうですが、田伏と思しき不審人物は発見されてません。…少なからず荻窪駅近郊と東中野駅沿いの山手通りの二箇所に共犯がほぼ同時に居ないと成立しませんね。どちらかひとりが行方をくらませた久木だとしても、残りのもうひとりは誰なのでしょうね? …とても引っ掛かります」
 国道20号線・甲州街道で空ブカシするGT-Rに揺られて馬場は疑問符を発した。そして同じ疑問符を持つ真壁は次の話題に入る。
「…でも、係長。もうひとつ分からない事があります。何故、犯人達はC-4でなく火炎瓶を使用したのでしょう? …できうる憶測はふたつ。犯人達はC-4を入手していない。そして、もうひとつは…次の機会まで温存している」
 渋滞が少し流れ始め真壁は軽くアクセルを踏んだのも束の間、新宿駅東南口と新南口に挟まれた所で、またも停車を余儀なくされた。停車する青いGT-Rに合わせて馬場は小さく前に振られ、答えを述べる。
「そのどちらも…では、ないですかね?」
「…と、いいますと? 係長?」
 真壁は聞き返した。
「本来、入手すべき数と量が揃っていない。…アカネコ・西川の持っていたC-4は少し燃やされていましたが、残りは北参道署に押収されていますよね?」
 微笑んだままの馬場は、その先を真壁に任せる。
「…サイバーワールド社員の南田と池内は妙典家の仏像に隠されたC-4を狙ったものの、妙典さんと自分に取り押さえられ、こちらも千葉県警に押収されています」
「まぁ、既にどちらも引渡依頼は出ています。…近いうちに捜査本部に届く筈です」
 馬場がそう言い終るや否や、GT-Rはじわりと明治通りに近づいた。
「しかし、係長。…サイバーワールド社からC-4は見つかっていません。犯人達はまだC-4を入手していないと考えるのが妥当かと思いますが…」
「…誰かが、持ち去った…のかもしれませんね。…たとえば、社長の佐々岡を刺した犯人とか…」
「しかし、それはまだ憶測に過ぎません。係長」
「…確かにそうです。まだ憶測には違いありませんが、可能性は大いにあると思いませんか? …何せ今回のC-4に絡む人物たちが、尽く繋がってゆきます。刑事ならば、この可能性を見過ごす筈はありませんよね、真壁くん」
 馬場係長の言うことはもっともだと真壁は思った。刑事にとって、どんな些細な可能性でも見過ごすことは許されない。例え空振りに終わったとしても、事の正否は追及せねばならない。刑事には、その義務がある。
 GT-Rのアクセルを軽く踏み込んだ真壁はまた少し明治通りに近づき、場外馬券売り場を大きく過ぎた所で止まる。
「それとここだけの話なんですが…」
 馬場が頭を掻きながら、申し訳なさ気に呟く姿を真壁はルームミラーの中に見た。
「…あくまで、私の勘というか、見立てでしかないんですが…。今日のラジコン飛行機襲撃事件には自作自演の可能性があると思っています。…とても引っ掛かる、議員と秘書のやり取りを小耳にしたものですから…」
 ハンドルを握る真壁は愕然とするあまり、思わず身震いする自分を感じた。刑事といえども、そう安々と受け入れられる話ではない。しかし、刑事の勘に長けた馬場が耳にしたという事もあるが、秘書の沢木が街宣車に上がる事を執拗に拒んだことが、それを裏付けている様に思えた。警護を必要とする程の脅迫文が届いているというにも関わらず、あの行動は不審以外の何物でもない。
「…係長。…もし係長のおっしゃる通りだとしたら、この事件…相当厄介な事態になりますね?」
「ええ、そういうことですね。…かなり厄介な事件になっていると思いますよ」
 馬場は普段通りの笑顔と何食わぬ口調で冷静に答えたものの、青いGT-Rの車内は重い沈黙に包まれた。
 五人目の男とは誰なのか? 本当の敵とは誰なのか? 最後に敵として立ちはだかるのは誰なのか? もはや真壁ですら特定出来ない状況である。動かぬ国道20号線に合わせるかの様に真壁の思考も停滞した。
 沈黙と停滞が続く中、“I'm The Highway”だけが、唸り、吐き捨て続けている。曲にのる妙典は小さく頭を振り、サイド・ドアに載せた左手だけが、忙しなく動いていた。
 場にそぐわぬ着信音が唐突に沈黙を打ち破った。妙典の左手は動きを止め、ポケットを弄り携帯を取り出す。「おもちゃの兵隊のマーチ」と言うよりも「3分クッキングのテーマ」として有名な着信音が鳴り続ける携帯を眺め、面倒臭さげに通話ボタンを押した。
『ひろみちぃぃぃぃぃーっ!! 勝ったぞぉぉぉぉぉー! うぉぉぉぉぉぉぉーっ!!』
 携帯を耳に宛がうまでもなく、妙典の父親の雄叫びが車内をこだまする。どこか疲れた様子で妙典は携帯を耳に宛がった。
「………………………」
 妙典の大きく開いた口から声は出なかった。不審に思った真壁が問う。
「…どうしました? 妙典さん」
 妙典は少々ふて腐れた様子で左ポケットに携帯を押し込んだ。
「あの馬鹿親父…言いたい事だけ叫んだら切っちまいやがった。…馬鹿丸出しだなぁ…スコアも何も分からねぇ。…ま、今日勝って…ようやく連敗が止まったのだけは理解したがな…」
 真壁は携帯の向こうの博信の様子を想像し、思わず笑みを浮かべ叫んだ。
「妙典さん、…阪神タイガースに栄光あれぇぇーっ!!」
 妙典はグローブボックスを漁り、別のCDを取り出した。“I'm The Highway”の終わりを見計らいイジェクトボタンを押してCDを入れ替える。馴れた手つきで“I'm The Highway”が収録されたCDをケースに戻し、グローブボックスに押しやった。
 遠くに見える新宿四丁目交差点の信号が青に変わり、真壁はアクセルを踏み込む。渋滞と明治通りから、ようやく解放された青いGT-Rの車内には甲高い男声のシャウトが轟き渡った。そのシャウトに紛れるかのように、妙典は呟く。
「“Screaming For Vengeance”…馬鹿親父の雄叫びが、“復讐の叫び”…と、なりゃいいんだがな…」

 13係の三人を乗せた青いGT-Rは半蔵門を右折し、内堀通りに入った。ここまで来れば本庁までは目と鼻の先である。だが、ひとつだけ厄介事が残っていた。本庁の駐車場の入り口である。地下駐車場の出入り口は桜田通りに面している為、国会前交差点から一旦都道412号線に入り、外務省上交差点を回って桜田通りを皇居に向かう必要があった。
「あっ…ここで、いいですよ。真壁くん」
 馬場は真壁に声をかけた。
「えっ!? 係長、消防庁前でよろしいのですか?」
 真壁は消防庁の官僚を待つ黒塗りのタクシーの列をやり過ごし、赤い郵便ポストを少しばかり行き過ぎた所で左に寄せると青いGT-Rを停車させた。
「いやぁ、ここのところパソコン仕事が多かったもので、せめて消防庁、警察庁を回って本庁まで歩こうかなぁとか思いまして…。今日の妙典くんと真壁くんの動きを見て、運動不足を痛感しました。で、今流行のウォーキングというわけです」
 馬場は真壁から妙典に顔を向けた。妙典はシートベルトを少々手荒に外し、左ドアを開けると一旦外へ出る。シート肩のレバーを上げて背もたれを倒し、数歩下がって馬場を迎えた。
「馬場さーん。年寄りなんスから、あんまり無理しない方がいいっすよぉ! …それにしてもウォーキングにワーキングにご苦労様であります!」
 妙典は悪戯っぽく小さめに敬礼し、馬場の登場を待った。小柄ではあるが小太りな身体の馬場は窮屈そうにすり抜け、前屈みの姿勢で車外に足を伸ばした。
「妙典くん! 段々、私の領域に足を踏み入れつつありますね?」
 外に出た馬場は怪訝そうな妙典に告げる。
「…駄洒落です。でも親父ギャグと言われるには、まだまだ努力が必要ですねぇ」
 妙典の表情は瞬く間に怪訝から不満に変わり、鼻を鳴らした。
「へっ! 親父ギャグなんて言うつもりはありませんがねぇ。洒落た一言でもと思っただけっすが…」
「“親父”扱いされるのが、そんなに“口惜じい”ですか? …せめてこれくらい言ってもらわないと“親父”とは認められませんから、安心してください」
 笑顔を絶やさぬ馬場は背広の上着を一度脱いだものの、すぐに袖を通した。
「笑う門には“服”着たる。…じゃぁ、今日は一先ずお疲れ様」
 そう言い残し、馬場は警察庁に向かって歩き始めた。開けっ放しのドアに肘を置き、馬場の後姿を眺める妙典は呟く。
「当分…“親父”には、ならずに済みそうだなぁ…」
 妙典は倒れた背もたれを戻し、パッセンジャーシートにゆるりと身体を滑らした。
「…で、変態オタク眼鏡小僧の真壁よぉ。…今日、予定あるか?」
 後輩という立場の人間にとって、これ以上答え難い台詞はない。
「…これと言って予定はありませんが、済ませておきたいことは山ほどあります」
「ひょっとしてガンプラかぁ? 早く持って帰って眺めてぇってか?」
「図星です。でも、それだけじゃありません。ネット・オークションの確認もしておきたいです」
 妙典はグローブボックスを漁り始める。
「今夜、ヴァンデンバーグでちょっとしたパーティーがあるんだわ。俺様らが“佐藤さんちのサウンドハウス”と呼んでる不定期で行われるメタル・パーティーなんだがよぉ。お気に入りのメタル・アルバムを持ち寄ってガンガンに騒ごうって感じなんだが、何なら顔ださねぇかぁ?」
 ハンドルに手をかける真壁は溜め息をつきつつも、どこか安心した面持ちで答える。
「妙典さん…あいにく自分には、お気に入りのヘビー・メタルのCDなんてありません。参加基準を満たしていないです」
 グローブボックスに手を伸ばす妙典の動きが止まる。
「…そうか、そりゃ残念だなぁ。…せっかくこんなCDが、あるっちゅうのになぁ…」
 妙典は真壁に一枚のCDを投げ渡す。真壁は太ももに落ちたCDケースを左手で拾い上げ、タイトルを読み上げた。
「リッチー・コッツェン、“Soldiers Of Sorrow 哀戦士 Z x R”…!?」
 “哀 戦士”。真壁にとって最上級のキラーワードが目に飛び込んできた。慌ててCDを持ち替え、ジャケットに見入る。暫らく後、裏返して収録曲のタイトルを凝視した。
「“Take Flight Gundam (翔べ!ガンダム)”!? “Blue Star (水の星へ愛をこめて)”!? …“Soldiers Of Sorrow (哀 戦士)”!? …みょ…妙典さん! このCDって…もしやガンダムのカバー・アルバムだったりしませんか?」
 CDを携え固まるも武者震いをする真壁は妙典に問うた。
「大当たりー! …ガンダムの楽曲のメタル・アレンジのカバー・アルバムだ。このリッチー・コッツェンって野郎はよぉ! 色々ビッグなバンドを渡り歩いた苦労人なんだが、見た目もいい男だし、ギターはうめぇーし、ベースも弾ければ、キーボードもドラムも出来る。おまけにヴォーカルもいけるって、一見完全無欠な奴にゃ見えるんだが、たったひとつだけ…大きな弱点があるんだわ。…曲がまったく書けねぇって訳ではないんだが、ソング・ライティング能力にイマイチ欠ける。ただ、ある与えられたテーマに見事にマッチした時には恐るべき能力を発揮する。このアルバムも当初はシンディー・ローパーで企画されたものだが、ギャラとか契約とかスケジュールの問題で暗礁に乗り上げちまった。そこでガンダム・ファンを自認するリッチー・コッツェンに白羽の矢が立ち、水を得た魚の様にあっという間に完成させちまった。そんな凄げーアルバムだ!」
 妙典の講釈など耳に入らないといった真壁は興奮気味に言う。
「妙典さん! もしや、この“The Winner”って“0083 STARDUST MEMORY”のオープニング曲ではないでしょうか!?」
 真壁の鬼気迫る食い付きに、計算通りと思った妙典は口を緩ませ答える。
「…そうらしいが、何だ?」
 真壁はCDを左手に握り締め、右の中指で眼鏡のブリッジを押し上げた。
「“哀 戦士”が表の名曲とすれば、“The Winner”は裏の名曲です。…“The Winner”を選ぶとは、このリッチー・コッツェンという男…奴は只者じゃない! そうか…。私が今この男のことを“只者じゃない”と言った」
 興奮冷めやらぬ真壁に妙典は悪戯っぽく言う。
「因みに、“哀 戦士”だったら…アンドリューW.K.ヴァージョンのもこの世には存在するぜ。…ただし音はペラッペラだがなぁ…」
 真壁は手にしたCDをシート脇に静かに置き、正面に向き直った。
「妙典さん、シートベルトをして下さい。直ちにヴァンデンバーグに向かいます」
 妙典は慌ててシートベルトを引き締め、待っていましたとばかりにニヤついた顔を真壁に向ける。妙典の視線を感じた真壁は霞ヶ関一丁目交差点を力強く見据え、アクセルを踏み込んだ。
「真壁、行きまぁーすっ!」

 南桜公園を越えた一方通行道路のすぐ傍に、喫茶ヴァンデンバーグはある。ビジネス街のど真ん中という事もあり、日曜の夕方遅くともなれば人っ子一人出歩いてはいない。
 パトランプがダッシュボードの上でこれ見よがしに威張る青いGT-Rを残して、妙典と真壁は喫茶ヴァンデンバーグに歩を進める。
 真壁が以前訪れた時は清潔感溢れる小奇麗な喫茶店との印象であったが、今日はどうも趣が異なる。ガラス扉を開けた途端、ロック音楽が大音量で鳴り響き、屋内も幾分か薄暗かった。どうやら防音設備は相当整っているらしい。マスターの初老の紳士、佐藤さんの拘りなのであろうと真壁は思った。
「あっ!! 妙典さん! …と、誰だっけ? 妙典さんとこの若い衆っ!」
 モヒカン頭の石井が大音量の中、大声を張り上げた。横から石井に口添えする声が耳に入る。
「石井さん! エイトマンです。…彼がリアル・エイトマンですよ!」
 どこかで聞き覚えのある声とフレーズに妙典は声の主を見やる。
「お…おい! てめぇっ!? …飛田じゃねぇか?」
「刑事さん、先日の永代橋では大変お世話になりました」
 飛田はペコリと頭を下げ、礼を言った。
「御成門署からは、いつ出れたんだ?」
「あの日の次の日…金曜のお昼前には…」
「…で、あれからどうだ? ちったぁ人生変わったかぁ?」
「…お蔭様で、以前行っていた派遣先の人から、緊急で仕事を手伝って欲しいって連絡もらって、今はそこで働いてます」
 妙典は安心したように微笑んだ。
「やっぱ、飛び降りてみるもんだなぁ…」
「ええ、まぁ…」
 飛田は照れるように答えた。そこに割って入るかの様に石井が口を挟む。
「いやぁ、今日の夕方前に、ひょっこり顔を出してくれてさぁ。わざわざ“お世話になりました”と突然言いに来てくれたわけ。…で、今日この後、予定はないって言うから、色々手伝ってもらってんだよ。いやぁ、百聞は一見にしかずだよなぁ。ホント嬉しかったよ」
 モヒカン頭の石井は興奮気味に話した。対して真壁は冷静な口調で問う。
「ところで“エイトマン”とは何のことでしょうか?」
 左手をポケットに突っ込む妙典は真壁を制するように言う。
「まぁ、俺様と飛田だけの暗号だぁ…。あんまし気にすんな! てめぇは既に変態オタク眼鏡小僧だろがっ!」
「どうやら自分のことを指していると思われるのですが、是非語源を知りたいものです」
「真壁ぇ、てめぇみてぇな小僧にゃぁ分かりゃしねぇって!」
 少々むくれた様子の真壁に石井は告げる。
「ところで…妙典さんとこのあんちゃん! CDは持ってきた? メタルじゃないと土足厳禁だからな」
 真壁は自慢げに“Soldiers Of Sorrow 哀戦士 Z x R”を見せ付けた。
「ほう…、あんちゃん…なかなか渋いな。リッチー・コッツェンか…、合格っ! …で妙典さんは?」
 妙典も右手に提げた一枚のCDを石井に見せる。
「…相変わらずだねぇ、妙典さんは…。アーク・エネミーの“Rise Of The Tyrant”。じゃぁ…会費の三千円頂きまーす。席は空いてるとこ、適当に座ってよ」
 入店を許可された妙典と真壁は会費を払い、空席はないかと店内を奥に進む。途中、テーブルを寄せて出来た、ちょっとした広間があり、曲に合わせて懸命にエアギターに励む初老の男の姿が目に入った。マスターの佐藤である。もはや落ち着いた初老の紳士の雰囲気はなく、ただのロック親父でしかなかった。
 妙典の姿に気付いた佐藤は、かきむしるエアギターの右手を力強く掲げた。
「よっ! 妙ちゃん! 遅かったね!」
 佐藤は汗を飛び散らせ、息も絶え絶えに叫んだ。
「佐藤さーん、いい歳なんだから、ぎっくり腰には気ぃつけなよ!」
「ありがとう、妙ちゃん! でも明日は休みだから、ノープロブレムだね!」
 妙典はCDを持った右手を軽く上げ、お大事にとばかりに店の奥に歩を進める。妙典と真壁は空いている四人掛けのテーブルを見つけ、席に着いた。
 CDをテーブルに置いた後、妙典は灰皿を手繰り寄せ煙草に火を点ける。真壁は少しばかり落ち着かない様子で問うた。
「…で、妙典さん。いつになったら、このCD…聴かせて頂けるのでしょう?」
 反り座りゆっくりと煙を吐き出す妙典は落ち着いた口調で真壁に言う。
「まぁ、落ち着けや…変態オタク眼鏡小僧。順番だ、順番。…ところで、サイバーワールドの五人目の社員の事なんだが…」
 そこへハーフボトルを提げた石井が割り込み、空いている席に座った。
「えっ? 何? 何? サイバーワールド? ロブ・ハルフォードの曲の話?」
「いや、そうじゃねぇんだ。…今、捜査してる会社の名前だ」
 妙典は少々面倒くさげに言った。
「なーんだ。ロブ・ハルフォードじゃないんだ。…で、飲み物と食い物どうする? ピザなら沢山とってあるよ。…普通のとかクワトロとか、いろいろご用意させて頂いておりやすぜ!」
「じゃ、俺様はビール。真壁は運転せにゃならんから、ソフトドリンクだよな?」
 籐椅子に反り座る妙典は真壁を促した。
「じゃぁ、自分はアイスティーで…。それとピザはクワトロにして下さい!」
 それを聞いた石井はモヒカン頭を見せ付けるかの様に横に向き叫んだ。
「飛田ぁぁー! ビールとアイスティー、それとクワトロ・ピザ持って来てくれぇぇーいっ!」
 飛田の「分かりました!」との声が聞こえ、石井は妙典と真壁に顔を戻す。
「それにしても、サイバーワールドって…いい会社名だよなぁ。ウチも店名変えるかなぁ。…例えば“スティーラー石井酒店”ってのはどう?」
「なぁ、石井…それじゃぁ、鉄骨屋か酒屋か…さっぱり分からねぇぞ!」
 妙典は煙草を咥えた顔を上に向け、呆れた口調で突っ込みを入れた。
「はっはっはっは、確かに違いねぇや!」
 モヒカン頭は大声で笑った。そこへピザの大きな箱の上に缶ビールとアイスティーを載せた飛田がおずおずと現れる。
「はい、ご注文お待たせ致しましたー」
 石井は缶ビールとアイスティーを手に取り、妙典と真壁の前に置いた。飛田はピザの箱をテーブルの真ん中に置き、問いかけた。
「クワトロに拘る理由でもあるんですか?」
 真壁はアイスティーのストローを一口啜り、答える。
「ええ…もちろん。大有りです」
「あっ!? 分かりましたよ。今このテーブルには自分を含めて四人います。…ロシアン・ピザ・ルーレットをやるつもりですね?」
 飛田も着席し、ニヤリと言った。箱の中身が見えない程度に上蓋を丸め、四人の男が箱の中のピザに手を伸ばす。
「皆さん、ピザ掴みましたね? もう変更はなしですよ。…蓋を開けたら一斉にピザを取り出してください。…いいですね? いきますよ。せーのっ…」
 飛田によってピザの箱の上蓋が開かれ、四人の男それぞれがピザを持った手を引く。真壁はアンチョビ&オリーブ、石井はミート、飛田はガーリック&トマトであった。真壁は妙典のピザは何かと思い顔を向けた。
「…なぁ、真壁ぇ、これって絶対…カレー・ピザだよなぁ?」
 引きつった表情の妙典は左手で煙草を揉み消し、ぼやいた。
「妙典さん…魔のカレー・スパイラル、ここまで続けば奇跡としか言いようがありません」
 真壁は妙典のカレーに対する引きの強さは馬場係長の勘に匹敵するかもしれないと感心した。
「…ったく! …俺様、前世でカレーに恨まれるようなことでもしたかぁ?」
 妙典は嘆きつつも、カレー・ピザにかぶり付いた。
「飛田ぁ、ところでさぁ。…サイバーワールドって、どう思う?」
 ピザに噛み付き引っ張る石井は飛田に問いかけた。
「えっ!? サイバーワールド? …会社ですか?」
 飛田の一言に真壁は思わず目を向けた。アンチョビ&オリーブ・ピザをゆっくりと箱に戻し、手元のおしぼりで手を拭くと口を開いた。
「…飛田さん。…ひとつ伺っても、よろしいでしょうか?」
 キョトンとした表情の飛田はピザを手にしたまま真壁に顔を向ける。
「な…何でしょうか? エイトマン…いや、誰でしたっけ?」
「真壁と申します。ロックがガンガンに流れるこの会場で、サイバーワールドと聞けば、曲名か、バンド名だと思いますよね? …普通。…飛田さんは何故、会社名だと思われたのでしょうか?」
 目をパチクリさせる飛田は少々落ち着かない様子で答える。
「あ…いや、あの…、三年前の派遣先の会社なんです。…正確には、派遣先から出向で契約社員として一年ほど勤めていた会社です」
「そりゃ、二重派遣ってやつかぁ…」
 カレー・ピザを頬張る妙典も飛田に問う。
「…ええ、まぁ…そんなとこです。…そうだっ! 名刺! 名刺持ってますよ! …三年前のやつですけど…」
 飛田はピザを箱の片隅に慌てて置き、脂ぎった手で後ポケットから財布を取り出す。無造作に紙切れが沢山突っ込まれたお札入れを漁り、一枚の名刺をテーブルの上に置いた。
 妙典と真壁は身を乗り出し、名刺を睨んだ。「取締役社長 佐々岡 昭二」との文字が飛び込む。間違いなくサイバーワールド社の名刺である。しかし、住所が異なる。江東区南砂町ではなく、荒川区王子本町となっていた。
「なぁ、…飛田ぁ。…サイバーワールドって…三年前は…荒川区に…あったのか?」
 妙典は口をもごもごと動かし、脂ぎった指をジーンズで拭いていた。
「自分がいた時は…そうだけど。…今は違うの?」
 飛田はどこか落ち着かない様子で答えた。
「飛田、この名刺ちょっと借りんぞっ!」
 妙典はテーブルの上の名刺を剥ぎ取り、携帯を片手に閑静な店外へと向かった。すぐさま真壁も後を追う。

 ヴァンデンバーグのガラス扉を閉め、妙典と真壁は表に出た。妙典は携帯を耳に宛がう。暫く後、通話を始めた。
「おい! 倉田ぁっ! ひとつ聞きてぇ事がある。…荒川区王子本町のサイバーワールドの移転前の所在地には手ぇ入ってるかぁ!? …ああ…ああ、…そうか。…今すぐ行きてぇんだが、お前も来るよなぁ? …ああ、分かった。…じゃぁ、本庁の前で待っていやがれっ! 拾ってやる!」
 妙典は携帯を切り、真壁に告げる。
「真壁っ! 今から荒川区王子本町へ向かうぞ! サイバーワールドの移転前のマンションには、まだ鑑識は入ってねぇっ! …途中、倉田を拾って現場に向う!」
 あまりにも唐突な出来事に少々面食らった真壁は冷静さを取り戻そうと鼻から大きく息を吐いた。
「おしっ! 行くぞ!!」
 妙典は叫び、青いGT-Rに駆け出した。それを引き止めるかの様に真壁も叫ぶ。
「…妙典さん、忘れ物です!!」
 妙典は立ち止り、面倒くさげに振り返る。
「あぁー? 何だぁ? 変態オタク眼鏡小僧! …もたもたすんなっ!!」
「妙典さん、CDです。…とても重要な物件なんじゃないですか?」
 真壁はそう言って、二枚のCDを妙典に見せた。
「おうっ! すっかり、忘れてたぜ! 真壁…ファインプレーだなぁ」
「…妙典さんが忘れても、この真壁は忘れはしない!」
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