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偶像
The Spirit Carries On (8)
 片田舎の街道は都会以上に美しく整備されていた。地元の名士、所謂“先生”が選挙での票を確保する為に山や畑の真ん中にこれ見よがしに立派な街路を作りたがる。そのくせ通行量は極めて少なく、路面の損傷も殆んど見当たらない。それ故、走り屋やドリフト族などが多く集う要因となり騒音問題にも繋がっているのだ。
 片側一車線の道路ではあるが、道幅も比較的広くアスファルトの路面状況も極めて良好である。必要以上に頑丈そうなガードレールも延々と続いていた。しかし、そんな立派な街路の所々が雀の溜まり場と化している状態はもはや笑止の至りとしか言えない現状である。
 緑色の木々が連なる山々の狭間にV6ツインターボの奏でるエンジン音が微かに響き、徐々に音量を増し轟いてくる。ドップラー効果でいうところの波の発生源が今まさに頂点に達しようとする瞬間、雀たちは一斉に飛び立った。雀たちの溜まり場であったアスファルトの上を青いGT-Rが駆け抜ける。
「…なぁ、真壁ぇ。…お前ぇ、峠攻めたことねぇだろ?」
 パッセンジャーシートに深くもたれ掛った妙典はぶっきらぼうに呟いた。
「えぇっ? …峠ですか?」
「ああ! 峠だよ。…これじゃぁ、ちっとも追いつかねぇぞ!」
「そうは言われましても、自分は暴走族でも走り屋でもありませんでしたし、…寧ろゴールド免許取得者です」
「…だろうな。…峠の走り方がまったくなっちゃいねぇ…」
 妙典はもたれ掛る腕枕の上でわざとらしくアクビをして見せた。
「で、どうしろとおっしゃるのでしょうか?」
 真壁は眉を吊り上げおどけてみせた。
「直線が速ぇーのは当たり前! …コーナーを如何に素早く抜けるかが勝負だな」
「警察学校で、その様なことは言われませんでしたが…」
 困惑した表情の真壁は木々で覆われたブラインドの左コーナーを中央線からはみ出る事なく道なりにスムーズに曲がった。
「“どうもお坊っちゃん育ちが身に染み込み過ぎる、甘いな”…だっけ? お前の尊敬するあのお方にお叱り受けても仕方ねぇぞ、これじゃぁな…。ま、これ聴いてぶっ飛ばしてみやがれっ!」
 妙典はグローブボックスからいつもの慣れた仕草でCDを取り出しダッシュボードに突っ込んだ。
「いくぜぇ。…ジューダス・プリースト “Freewheel Burning”」
 如何にもヘビーメタルという騒々しいリフレインが始まり、同じリフがハーモニックスで重なる。同様にベースとドラムも刻みだし、かきむしる様なエレキギターが乗っかった。彼方からハイトーンな叫び声が響き始めたかと思うと、ヒステリックなヴォーカルが疾走する曲の始まりを告げる。
 音楽というものは不思議なものだ。曲の雰囲気に呼応して人の心身も揺り動かされる。アクセルの踏み込みが先程よりも力強くなっており、コーナーを抜けるタイミングも心なしか早くなっている気がした。V6ツインターボの奏でるエンジン音も曲調に合わせ勇猛になっているかのようである。
「おぉ…、いい感じになってきたなぁ」
 妙典はご機嫌な様子で曲のリズムに合わせて言った。
「えっ!? 妙典さん。もしや運転の事でしょうか?」
「…いや、ジューダスの方な」
 ややむくれた様子ながらも真壁は右コーナーの進入でブレーキを小刻みに二度踏み、立ち上がったところでアクセルを小さく踏み込む。一瞬の間をあけ更に大きく踏み直した。
「ほーれ、見えてきやがったぜ。…獲物がよぉ!」
 妙典はパッセンジャーシートに座り直し、白いワゴン車に目を向けた。
「…日産セレナ・ハイウェイスター。Vエアロセレクションか…。何気に逃げる気満々だなぁ、あいつら…」
 サイドウィンドウを半分だけ下げた妙典はルーフにパトランプを置き赤色灯を回した。赤色灯を載せた青いGT-Rに気がついたセレナは突如スピードを上げ振り切ろうと試みる。同じ日産車ではあるものの排気量から搭載されたエンジンに至るまで、あまりにも違いがありすぎる。ホワイトパールのセレナの真後ろに青いGT-Rがピタリと着いた。セレナは蛇行運転を始め、前に出させまいとGT-Rの行く手を遮る。
 ここは田舎の一本道である。一度、前に出て横向きに停車されれば完全に逃げ道は塞がれる。マシンパワーに歴然とした差はあるものの絶対に前に出す訳にはいかない。この一本道を凌ぎきり街道に出さえすれば何とか活路は見出せる筈である。色白でガタいの良い黒ぶち眼鏡の男はルームミラーに映る青いGT-Rの動きに合わせハンドルを小刻みに切り返した。
「真壁ぇ、どうするよぉ? 前に出させねぇつもりだぜ。…対向車線でも何で構わねぇから真横に着けろや!」
「た…対向車線ですか!? …もし、対向車が来でもしたら?」
「来ねぇよ。…あのなぁ、ここはてめぇの想像を遥かに越えたド田舎だぜ。…対向車なんか、来るわけねぇだろっ!」
 妙典の楽観的な意見に賛同しかねる真壁は皮肉交じりに言った。
「あの~、妙典さん。…前方のワゴン車のタイヤ…撃って頂けませんか?」
 妙典は大きく鼻を鳴らし悪びれることなく返す。
「なぁ、真壁よぉ。…お前、本気で言ってんのかぁ? …だとしたら…人見る目ねぇなぁ。…優秀な準キャリアさんにとっちゃ致命的だなぁ、おい!」
 皮肉を皮肉で返され、小さく溜め息をついた真壁は小声で詫びをいれる。
「…失礼、また後程」
 真壁の侘びを掻き消すかのように妙典は叫んだ。
「おい! 真壁ぇ! この先にブラインドの右コーナーがある。そこで一気に対向車線に突っ込めっ! いいな?」
「…了解しました。…“やれるとは言えない。けど、やるしかないんだ!”という心境で頑張ります。…ところで、妙典さん。因みに次の曲もノリの良い曲なのでしょうか?」
「…えぇ~と、次は…“Jawbreaker”だから問題ねぇなっ!! めっちゃ、かっけーアグレッシブな曲だぜっ!」
「安心しました。“Jawbreaker”…早口言葉ですか。少し無茶しますが、妙典さんこそ舌を噛まないようにしてください」
「おう! 言ってくれるじゃねぇか。…期待してますぜっ!! …優秀な準キャリアさんよぉ!」
 妙典は真壁を見やり、にやけた表情を返した。
 真壁はGT-Rを左一杯に寄せ、ワゴン車の様子を窺う。間髪いれずに左に寄るワゴン車。すかさず真壁はハンドルを右に切り、対向車線にはみ出した。すると慌てた様子でワゴン車も対向車線に出しゃばる。
「…真壁ぇ、…もうすぐだかんな。…右コーナー」
 真壁の目線の先に右ブラインドコーナーがチラついた。妙典のナビゲートに従ってハンドルを左に切り、対向車線から走行車線に戻った。思惑通りワゴン車も走行車線に戻り、右コーナーを迎える。その瞬間を逃さず、真壁はハンドルを大きく右に切って対向車線に飛び出し、アクセルを大きく踏み込んだ。
「僕が一番GT-Rをうまく使えるんだ。一番、一番うまく使えるんだっ!」
 真壁は大きく叫び、右コーナーの頂点に達した瞬間にアクセルを踏み直した。
 突如、目の前に軽トラックの姿が大きく飛び込んできた。真壁は慌ててブレーキ・ペダルに踏みかえるとハンドルを左に切り戻し、セレナの真後ろに再び舞い戻った。行過ぎる軽トラックを真壁はルームミラー越しに見やり、安堵の溜め息をついた。
 妙典はシートから身を乗り出し振り返る。
「…ありゃ、うちの檀家の山下さんだ。…仏壇の修繕、終わったみてぇだなぁ…」
 絶対に来ない筈の対向車が来てしまった。胸の高鳴りを抑え真壁は呟く。
「妙典さん…またやり直しですね。…もう同じ手は通用しませんよ」
 妙典はフロントガラスに顔を戻し、頭の中でこの先の道筋を辿ってみた。ヒステリックに叫ぶ“Freewheel Burning”もいよいよ佳境に迫ろうとしている。
「…真壁ぇ。…このまま真後ろにピッタリくっ付いてろや!」
「こ…このままですか?」
「ああ…このちょいとばかし先に見通しのいい緩やかな下り右カーブがある。…合図したら距離を縮めて思いっきり煽れ。相手はワゴン車だ。下りの右で煽られりゃ、嫌でも外に膨らんじまう。…そしたら今度こそ対向車線…右側に寄って、真横に着けろや!」
「わ…分かりました。…今度こそという言葉はあまり使いたくないものですが…」
 青いGT-Rはホワイトパールのセレナの真後ろにピタリとつき、妙典の合図を待った。“Freewheel Burning”の激しいサウンドが二人を包み込む。もはやヒアリング不可能なほどの早い歌い回しと破壊的なギター・サウンドが緊張感を呼び覚ました。
「…おしっ! 真壁ぇ、今だ! 踏めぇっ!!」
 妙典の合図に真壁はアクセルを踏み込んだ。前を走るセレナも速度を上げる。妙典はシートベルトを外し、サイドウィンドウを全開にした。
「みょ…妙典さん! 何をするつもりですかっ!?」
 真壁の問いに妙典は不敵な笑みを返した。
「…まぁ、黙って見てろや! 適材適所ってやつだ!!」
 妙典の意図が把握できない真壁は戸惑いながらもアクセルを踏み続けた。妙典はシートから仰け反り全開のサイドウィンドウから身を乗り出す。嫌な予感が漂いチラリと妙典の様子を窺う真壁には、先輩刑事の指示に従う以外の選択肢は残されていなかった。
 ルーフの両端を逆手で掴み、両足はウィンドウの下枠で踏ん張る。その妙典の姿たるやもはや箱乗りとは言えず、蛙飛びとでも形容したくなる態勢であった。そして下り勾配の右カーブにさしかかろうとした瞬間、真壁はアクセルを踏み直す。セレナも必死に加速を試みるが、既に蛇行する余裕などなく左側のガードレールに接触しない事に専念していた。それを見計らった真壁はハンドルを大きく右に切り、アクセルを小刻みに二度踏み込んだ。前に被さる気配が見られないセレナの真横にGT-Rはピタリと並ぶ。色白の眼鏡男がGT-Rにぶら下がる妙典の姿を再三見やり、焦りの表情が窺えた。
 妙典は膝と踵に力を込め、大きく飛び跳ねる。空中で身体を半回転捻り、ホワイトパールのルーフにうつ伏せの状態で飛び移った。左手でルーフの端を掴んだ妙典は右腕を大きく振り、下がれとの合図を真壁に送る。それを横目で見た真壁は減速し、セレナの後方に下がった。右カーブは程なく終わり、またも峠道に差し掛かかろうとしていた。ルーフにしがみ付いている妙典に気付いたセレナは大袈裟に蛇行運転を繰り返し、振り落そうと試みる。しかし妙典はルーフの端を両手でしっかりと握り締め、両足も大きく広げて踏ん張り続けた。
 根競べに負けたセレナの左サイドウィンドウの開く音がした。すると茶髪の長髪男が箱乗り状態で身を乗り出し、大きな光と音を発した。キングコブラが妙典の左手をめがけ襲い掛かる。妙典は左手を離し、半身でキングコブラの猛毒を避けたものの右腕だけでルーフにしがみ付くのは至難の業であった。攻撃をやめたキングコブラが一度首を後に引くと妙典は身体と左手を戻し、元の位置を掴み直した。飛び散る火花とともにキングコブラの猛毒が再び襲い来る。妙典はまたも既の所で大きな光と音を発する猛毒を半身になって避ける。キングコブラはルーフに接触し火花を散らし続けていた。それを目にした妙典は半身の体勢から力を込めた左肘を長髪の男の右手首に突き落とした。堪らず長髪の男は右手を離し、キングコブラは大きな光と音と火花を発したままルーフの上を転がり滑る。妙典は目の前に転がるスタンガンに手を伸ばし、長髪の男も被さる様に腕を伸ばした。わずかに早くキングコブラを握った妙典は大きな光と音と火花を発し続ける先端部分を上面に向ける。そこに長髪の男の手が覆い被さり、悲鳴と共に硬直した。妙典が電源を切ると長髪の男は硬直状態から開放され、痺れの残る右手を引っ込め、車内に逃げ込んだ。
 妙典はキングコブラを後ろポケットに突っ込み、振るい落とされないよう右手一本でルーフにしがみ付く。ふと顔を前に向けると急な下り坂が迫っていた。ホワイトパールのセレナは急加速する。妙典は嫌な予感がした。下り坂で更に加速したセレナから急ブレーキを踏む音が突如発せられた。妙典は慣性の法則には逆らえず、ボンネットにもんどりうって転がり落ちる。不意に左手がサイドミラーの根元を掴み、振るい落とされはしなかったもののセレナは再加速を試みた。ワゴン車のボンネットの大きさは知れたものでノーズとの表現が適切である。大人一人覆い被さるのが精一杯であった。下り坂で加速を続けるセレナはまたも急ブレーキを踏み、妙典の左手はミラーから離れボンネットをずり下がる。辛うじてエアロパーツの両端に爪先で踏み止まり、ボンネットの両端を掴んだものの、次にまた同じ事をされれば振るい落ちるのは目に見えていた。Vエアロセレクションのセレナはまたも加速を始める。
 右手一本で妙典はボンネットに掴まり、後ろポケットのキングコブラに左手を伸ばす。ボンネットの端を掴む右手はもはや限界に近付いていた。手にしたキングコブラをフロントグリルのエンブレム裏に押し込み電源を入れる。大きな光と音、そして火花がエンブレムの裏側から発せられた。空いた左手をボンネットの端に素早く戻し、両手を今一度強く握り締めエアロパーツ上で踏ん張る両足をフロントグリルに宛がう。ホワイトパールのセレナはまたも加速を始めた。握り締めた両手が汗ばみゆるゆると滑る。不意に振り向くと下り坂の先が左に折れ曲がっており、頑丈そうなガードレールが目に飛び込んできた。
「ほう、ガードレールにブチ当てようってか? なかなか、面白れぇーこと考えやがる…」
 妙典は顔を戻し、色白の眼鏡と茶髪の長髪に向ってニヤリと笑みを浮かべる。つられてフロントガラスの向こうの二人も笑みを返した。
 妙典はその微笑を見届けると両足を力強く蹴り上げる。滑りながらも両手はボンネットの端を力強く掴み、妙典の身体は一瞬だけ大きな弧を描く弓反りとなった。セレナは更に加速を続ける。色白の眼鏡男はアクセル・ペダルからブレーキ・ペダルに踏み換えるタイミングを計っていた。弓反りとなった妙典は全身の力と勢いをスパンコール輝く黒いハイカットスニーカー“Metallica”を履く両足に集中させ、フロントグリルのエンブレムの上から火花散るキングコブラを力任せに蹴り込んだ。加速度センサーが過度に反応したのか、ECUが誤作動したのか、インフレーターが誤爆したのか、セレナの車内からバン! バンっ! と複数の大きな破裂音が響く。
 前面と側面から一気に膨張したエアバッグがフロントガラスの向こうにいる男たちの姿を瞬時に覆い隠した。驚いたセレナは減速することもできず、急ハンドルを切り横転する。妙典は咄嗟にエアロパーツを蹴り、ホワイトパールのセレナから飛び離れた。アスファルトの上をゴロゴロと横向きに転がる妙典。やがて転がる勢いはおさまり、大の字で空を見上げた。ホッとする妙典の耳に金属の擦れる嫌な音が急速に近付いて来る。横転したセレナはホワイトパールのルーフを妙典に向け、火花を散らし下り坂を急速に滑り落ちてきた。妙典は慌てて立ち上がり、坂の下のガードレールに向かい全力で駆け出す。徐々に迫り来るホワイトパール。妙典に振り向く余裕などなく、ガードレールを凝視し一目散に走った。ガードレールは目の前に迫っていたが、肥大化を続けるアスファルトを削る金属音が背後から劈く。一点だけをただ見つめ、極度の疲労を感じるものの妙典は最後の力を振り絞り、“レッド・スター”赤星の鋭い盗塁の如くガードレールの下をスライディングし潜り抜けた。緑が生い茂る草むらに飛び込んだ背後でVエアロセレクションのセレナがガードレールに激しく激突する金属音を感じた。

 妙典は草むらに大の字で寝そべり、夕焼け迫る流れゆく雲を見つめていた。大粒の汗が顔全体から流れ落ち、息を切らし大きく呼吸を続ける。やがて落ち着きを取り戻し、這いつくばった体勢から起き上がると激突により、ひん曲がったガードレールを目指して歩を進めた。もはや走行不可能となったセレナ・Vエアロセレクションの前で青いGT-Rは立ち塞がるかのように横向きで停車している。余程焦っていたのだろう。真壁にしては珍しく運転席のドアが開いたままになっており、ジューダスの“Jawbreaker”が漏れ伝わっていた。まだ前輪がカラカラと回る横倒しのセレナに真壁は乗っかり半開きのサイドドア越しに叫んでいた。
「あなた方は黙秘権を有します。あなた方が供述したことは裁判にてあなた方に不利な証拠となりうります。弁護士と相談する権利、並びに取調べに際して弁護士を立ち会わせる権利も有します。ご自分で弁護士を雇うことができない場合は、公費で弁護士を雇うことも可能です。あなた方はこれらの権利を放棄致しますか!?」
 音楽というものは凄いと思った。これだけの台詞をひとつも噛まずに早口で捲くし立てる真壁に少し感動を覚えた。妙典はガードレールを跨ぎ、腰を掛け事の成り行きを静かに見守る。
 サイドドアとエアバッグの狭間から長髪の男が顔を出し、左腕を突き出した。真壁も顔の右横で銃を構え、常時応戦できる状態にあった。真壁は茶髪の長髪男の左腕を引き上げ、横たわったホワイトパールのセレナにしゃがみ込ませた。長髪の男は境内で一戦を交えた時の威勢のよさはすっかりなくなり、疲れきった表情でセレナ・Vエアロセレクションからゆらりと飛び降りた。着地して間もなくガードレールに腰を掛ける妙典と目が合ったが、肩掛け鞄を提げる長髪の男は目を逸らした。妙典は長髪の男にそこに座れと合図をし、男も大人しくガードレールを背にしゃがみこむ。ホワイトパールのセレナの上では色白のガタイのいい男が真壁に引き上げられていた。ご自慢の眼鏡はエアバッグの衝撃でどこかへ吹き飛んだらしい。色白の男は横たわったセレナにしがみ付くかのようにアスファルトの上に降り立った。妙典は顎をしゃくり長髪の男の方に顔を向ける。ガタイのいい色白男も無言で茶髪の長髪男の隣にしゃがみこんだ。それを見届けた妙典は自慢げに呟く。
「茶髪のあんちゃんに、色白のデカブツ…。やっぱ俺様のラッキーナンバーは2だったなぁ」
 真壁はスーツの下のショルダーホルスターにニューナンブM60をしまい、Vエアロセレクションのセレナから飛び降りた。妙典と目が合い真壁は小声で言う。
「安心しました! 妙典さん! …やはり、あなたは“不死身”…かもしれません」
「ふっ…若造の言う事かぁぁっ!?」
 妙典の思いがけない一言に真壁は微笑んだ。
「…クラックス・ドゥガチ。…ご存知ないですよね?」
「ドゥカティなら知ってんぞ!」
 真壁はご自慢のジオン仕様携帯を内ポケットから取り出し「1」 「1」 「0」と続けて押した。
「…こちら警視庁捜査一課の真壁と申します。…電話番号で照会して下さい。…はい、そうです。…警視庁捜査一課の真壁伸一巡査部長です。只今、当方にてウカンムリ二名の身柄を確保。…場所は…はい、そうです、GPSで表示されている通りです。…ワゴン車が一台横転しておりますので、消防の手配もお願いします。…では、お疲れ様です」
 真壁は携帯をパタンと閉じると内ポケットにしまい、妙典に告げる。
「10分で到着するそうです」
 妙典は腰を上げ、ガードレールに沿ってしゃがみこむ男達に声をかけた。
「おい! 茶髪のあんちゃん。…その肩掛け鞄、こっちに渡せや!」
 茶髪の長髪はゆっくりと妙典を見上げ、もはや観念した様子で肩掛け鞄をゆるりと手渡した。半開きの鞄から猛虎復活の願いの込められた木彫りの仏像が顔を出している。丁寧に引き抜くと鞄の底にドシリとした重みのある感触があった。妙典は仏像を手に取り見回す。すると木彫りの仏像の底に穴が開いており、中は空洞になっていた。鞄の底には木彫りの像の裏蓋らしきものと見覚えのあるブツが転がっている。
「…これが目当てだったか? …お前ら、何者だぁ?」
 茶髪と色白の男はしゃがみこんだまま俯き、口を噤んだ。
「妙典さん。何です? …何があったのです?」
「…C-4だ」
 妙典は真壁の目を見据え静かに言った。
「C-4って、まさか?」
「そういや、昨日アカネコの西川も言ってなかったか? …木彫りの像からC-4が出てきたってなぁ」
「ええ、確かに言っていました。…何かの関連でしょうか?」
「さぁな! …後はこいつらがじっくり県警にお話してくれるだろうよ」
 妙典はそう言いながら携帯を取り出し電話をかけた。呼び出し中の携帯電話を真壁に投げ渡す。受けとめた真壁は妙典の携帯を耳に宛がい、声の主を待った。
『…はぁ~い♪ 妙典さ~ん、何か、あたしに御用かしら~?』
 声の主は鑑識の倉田勝則巡査長であった。携帯を押し付けられた理由に真壁は納得した。
「あ…もしもし、…真壁です」
『あら!? 真壁くん? …これ妙典さんの携帯でしょ?』
「…いや、ちょっと渡されまして…」
『あら、そう? …で、何の御用かしら?』
「昨夜、北参道署で連続放火犯が逮捕されています。…その押収品に木彫りの像はありませんでしたか?」
 暫しの間があり、倉田は口を開く。
『でも、その前にやっておく事があるでしょ?』
 また例によって倉田検定のようである。真壁は黙って携帯を握り締めた。
『まぁ、電話口だから手身近にいくわよ。…ガルマって何故、死んだのかしら?』
 携帯を耳に宛がったまま真壁は思案に耽る。そして何らかの答えを導き出した。
「倉田さん、ガルマ・ザビが死んだ理由。それは…“坊やだからさ”…です」
『…ふ~ん、流石ね。…真壁くん♪ …で、木彫りの像だったかしら?』
「ええ、そうです」
 ツーン♪ と吸い込む倉田の鼻息が聞こえ、手元のマウスを小刻みに動かす物音が窺える。
『…うん♪ あったわ。…まだ、画像だけだけど…。確かに木彫りの像に違いはないはねぇ。…でも、これって…仏さまよね? …きっと』
「やはり、ありましたか。木彫りの仏像」
『なるほど…これにC-4が隠されていたのね? …で、これがどうかして?』
「今、こちらでも同じ物を見つけました」
 電話口に暫しの沈黙があり、倉田のマウスを動かす音だけが微かに伝わった。
『…なんかコレ、重要物件っぽいわね。…雷門管理官名義で証拠品引渡依頼が出てるわ』
「えっ!? 雷門さんが!? …ひょっとして南砂町の事件でしょうか?」
『う~ん。ここからは、ひ・み・つ♪』
「…しょうがないですね。守秘義務がありますから…」
『で! …でぇっ♪ 早く妙典さんに変わってくれる?』
 真壁は無言で携帯電話を妙典に手渡す。受け取った妙典も口を噤んだまま容赦なく電話を切った。
「…で、何か言ってたか? アキバ二丁目」
 妙典は携帯をジーンズのポケットにしまい、何食わぬ顔で真壁に問うた。
「重要物件らしいです。…雷門管理官が証拠品引渡を依頼しているそうです」
 ポケットに両手を突っ込んだ妙典は空を見上げ呟いた。
「…何か嫌な予感…するよなぁ?」
 真壁も黙って頷く。そんな折、峠道の彼方から悲鳴にも似た喚き声が聞こえてきた。二人は声のする方向に顔を向ける。
「ひ…ひろみちぃぃぃぃぃぃーっ!!」
 虎縞法被を翻し、猛スピードの原付バイクに跨る博信の姿であった。青いGT-Rの傍らで急停車し、慌てて駆け寄る博信。
「た…大変じゃー! 阪神が…阪神が、また負けおったわいっ!!」
 呆れた面持ちの妙典はポケットに両手を突っ込んだまま俯いた。
「…で、戦評は?」
「能見が…代打の金城に走者一掃のタイムリー二塁打を打たれおった。…4対0。…今日も打線の援護なしじゃぁーっ!!」
 溜め息をついた妙典は博信に向き直った。
「…ところで、これで間違いねぇだろ? 猛虎復活の仏像ってのは…」
 博信は大きく両手を広げ、喜びの気持ちを身体一杯に表現した。
「おおっ! それじゃ、それじゃよ。博道。…流石はわしの息子じゃ。悪党どもから取り返してくれおったか…」
「…すまねぇが、親父。…ちょっくら借りることになりそうなんだわ」
「な…何と!? …それは、我が阪神タイガースに死ねと申すのかっ!?」
「ちょっと…重要な証拠みたいなんだわ。…事件が納まったら、ちゃんと帰って来るからよ」
「…博道ぃっ! …それは何年後じゃ? 何年後になるんじゃ!? …また二十年も待たねばならんのか?」
「いや、流石にそこまでは掛かんねぇとは思う。“The Spirit Carries On” …天に召されたと思って我慢してくれや。…輪廻転生、死んでもまた生まれ変わってくんだろ? …仏の教えって?」
「…おう! その通りじゃ、博道。…ようやく悟りを開き始めたようじゃのぉー」
 照れたのか、呆れ果てたのか、妙典の心中は定かではないが、はにかんだ様子でガードレールにしゃがみ込む二人組みを手で示した。
「紹介するぜ。こっちの茶髪のあんちゃんが昨日のコソ泥。…もう一人が共犯」
 博信はしゃがみこむ二人組みを見やり説法を始める。
「…良い行いをすれば良い報いが訪れる。悪い行いをすれば悪い報いが必ず訪れるのじゃ…以上!」
 博信の極端に短い説法が終わり、遠くからサイレン音が聞こえてきた。
「ところで親父よぉ。お前、ノーヘルだろ?」
「何を言うかっ! この馬鹿息子っ!! …この立派なスキンヘッドを見よ。これぞ、どう見てもヘルメット。…心が清らかな者にはそう見えるのじゃ!」
 妙典は肩をすくめ博信の足元を見やる。
「…それと、その雪踏。…完全に道交法違反だからな」
 博信は我が息子を優しい眼差しで見つめる。
「分かった。すまんかった。見んかったことにしてくれ! わしは今すぐ帰るっ! …後は任せたぞぉ!!」
 博信はペルセウスブラウンメタリックのディオ・チェスタに虎縞法被を翻して駆け寄り颯爽と帰って行った。
「何が良い行いだぁ? あの馬鹿親父がっ!」
 妙典は呆れ果てた面持ちでディオ・チェスタを見送った。
「…いいじゃないですか」
 妙典の肩越しで真壁はアムロの様に呟く。その二人の背後には千葉県警の数台のパトカーがパトランプを回し近づいていた。
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