09 小道のさき
カブさん。
年齢は40代前半。男性。現在は独身。
サラリーマンではなく、自営業とも違う、あえて言うなら自由業。
相棒はホンダ・スーパーカブ90カスタム。
のんびり走るのが好き。
田んぼ道が好き。
田舎が好き。
コーヒーが好き。
独りが好き。
話しをするのも好き。
大勢の中にいると少し疲れる。
人混みは苦手。
忙しいのも苦手。
いつでもノンビリと、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしてる。
ちょっと変な大人。
変なヒト。
それがカブさん。
09 小道のさき
そこは新緑のキレイな場所だった。
4月26日。
陽射しは柔らかで、空は青い。
私はあまり着ることのないスーツとネクタイに居心地の悪さを感じながら、ベンチに座って空を見上げていた。
「ごめん、待った?」
彼女はシックな色のスーツ姿で、走ってきたのか息を切らせながら私に聞いた。
短い髪も、ちょっと目尻の上がった大きな瞳も、昔とあまり変らない。実際の年齢よりも5歳以上若く見られるだろう。
「いや、僕も今来たところだから」
「そう、良かった」
彼女の呼吸が落ち着くのを待つ。
彼女はフーと大きく息をつくと、真面目な表情をつくった。
「ありがと。行こ」
「うん」
玉砂利が敷かれた小道を2人で並んで歩く。
毎年、こうして4月26日にはここを歩いて、その場所へ向かう。
「スーツ、似合うじゃない」
「そうかな?」
「落ち着いて見えるわ」
「いつもと変らないと思うんだけどな」
「あなた自身はね。でも服装で見た目の印象って結構変るのよ」
「そんなもんかな。…君は昔とあんまり変らないね。若く見えるよ」
「あら、お世辞なんて言えるようになったの?」
「本音だよ」
「ありがと」
並んで歩きながら、出来るだけお互いに自然に振舞おうとしている。その証拠に、こうして話しながらもお互いの顔は見ない。
相手の顔を見て、辛い表情をしていたらどうしよう、と臆病になっている。
小道の先がひらける。
きれいに手入れされた区画に整然と四角い石が立ち並ぶ景色。
霊園。
「…‥」
「…‥」
私達は言葉も無く、静かに砂利を踏んで目的の墓石の前に立つ。
花を供え、線香をあげて、手を合わせた。
2人とも無言だった。
「7年も経っちゃったのね…」
彼女がポツリと呟いた。
「7年か…」
私もまるで彼女の声につられるように呟いた。
「…私も、すっかりオバサンになっちゃったな」
彼女はまるで何かを飲み込むかのように空を見上げる。
「…君はまだまだオバサンなんていうには早いよ。今だって充分若い」
「ありがと。でも、良いんだ。オバサンになってようやく、あの時のことをちゃんと受け止められるようになったと思うの」
「…‥」
私はなんと答えるべきか迷った。無性にタバコが吸いたくなった。
彼女は空を見上げたまま、言葉を続ける。
「あなたはいつだってアタシを支えてくれたし、優しかった。それに甘えちゃってたのよね。7年も経ってようやく受け止められた。この子が小学生になる年になって、アタシに「しっかりしなさい!」って言ってくれたような気がするの」
「…うん」
私はようやく、搾り出すように一言だけ返し、頷いた。
彼女の視線が空から私に移る。
「あなたにはきっと「ありがとう」って言ってくれてるわ」
「そう…‥かな?」
「そうよ。それとも何か言って欲しいことがあるの?」
訊かれて、少し考えた。
「ん…‥しっかりしなさい、かな」
「どうして?」
「結局僕はふらふら、ふらふら、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしているだけで、大人として胸をはれるようなことを何も出来ちゃいない。こんなのがお父さんだったら困るだろ?」
私はチラリと墓石に視線をやり、彼女の顔に戻す。
「…ふふ。あなたはそれで良いのよ。あなたにはそれが必要なの」
彼女は笑いながらくるりとその場で回り、こちらに背を向けた。
「あなたは今のままで良いの。…ううん、今のあなたが良いわ」
「?」
どういう意味だろう。
彼女はただ笑って、私の先を歩き始める。
「ね、お昼ごはん食べていかない? 通りの向こうにちょっと良い感じのイタリアンがあったわ」
「イタリアンか。この格好なら本格的なフレンチだって入れるよ」
「いいのよ。ねえ、私の好きなもの、覚えてる?」
「カルボナーラ」
「ふふ、よくできました」
新緑の小道を彼女が短い髪を揺らしながら歩いていく。
私はふっと空気が変わったように感じた。
長かった私達の夜がようやく夜明けを迎えようとしている。
そうだ。
いつだって、明けない夜なんて無い。
『カルボナーラ (Carbonara)』
カルボナーラは、「炭焼のパスタ」(炭焼職人風)といわれるパスタソースの1種で、チーズ、黒コショウ、グアンチャーレ若しくはパンチェッタ(いずれも塩漬けの豚肉)、鶏卵(卵黄又は全卵)を用いて作られる。
元々はローマの料理で、パンチェッタかグアンチャーレを使用し、チーズにはペコリーノ・ロマーノやパルミジャーノ・レッジャーノを使う。パスタにはスパゲッティを使用したものが一般的で、これをスパゲッティ・アッラ・カルボナーラ(Spaghetti alla carbonara)という。
日本でも人気の高いパスタメニューである。