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Cubさん。  作者: 牧村尋也
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08 雨の向こうに声を聞く

 カブさんはのんびり走るのが好き。

 相棒はホンダ・スーパーカブ90カスタム。

 田んぼ道が好きで、田舎が好き。

 コーヒーが好き。

 独りが好き。

 でも、話しをするのも好き。

 大勢の中にいると少し疲れる。

 人混みは苦手。

 忙しいのも苦手。

 いつでもノンビリと、あっちへフラフラ、こっちへフラフラしてる。

 40歳ちょっとで、現在は独り者。

 サラリーマンではなく、自営業とも違う、あえて言うなら自由業。

 ちょっと変な大人で、変なヒト。

 それが、カブさん。



 08 雨の向こうに声を聞く



 雨が降っている。

 桜の季節が過ぎ、ツツジが咲き始めたのを近所の垣根(かきね)で見かけて、バイクで家を出た。

 今はまだゴールデンウィーク前だが、来週末になればどこもかしこも渋滞の列が出来るだろう。

 ただ、走り始めて1時間ほどでヘルメットにポツポツと雨が当たり始めた。

「ありゃ? 予報では降らないって言ってたんだけどな」

 愚痴(ぐち)をこぼしながら通りがかった公園の東屋(あずまや)の下に避難し、()れたジャケットを()きながらベンチに腰を下ろす。

 ムームームー、ムームームー

「?」

 電話の着信だと気がつくまでにしばらくかかり、(あわ)ててスマートフォンを取り出す。

「はい、もしもし…」

「…もしもし、アタシ。今、平気?」

「うん」

 スピーカーを通して聞こえてきたのは、私にとって最も大切な友人の声だった。

「…元気?」

「うん。君は?」

「まあまあ…‥かしらね」

「そっか…」

「ちゃんと食べてる?」

「うん。ちょっと食べ過ぎかも」

「お腹こわさないでよ」

「はは、気をつける」

 なんともない会話。

 彼女の声が雨の向こうから聞こえ、私の声が雨の音に混じる。

 2人の会話が一瞬途切れる。

 そして、ちょっと溜息をつくような感じで、彼女はまた言葉を発した。

「ツツジがきれいに咲き始めたわね」

「そうだね、もうそういう時期なんだね」

「もう7年?」

「うん。7年になるかな」

「7年も経ったのね…」


 私達は学生時代からの友人だった。

 友人としての関係は、私が学生生活を終えて5年ほどたってから、恋人に変った。

 そして、2人が恋人からパートナーに変ったのは、今から11年前、私が32歳、彼女が30歳の時だった。

 私は照れながら、彼女は笑いながら、2人で手を(つな)つないで一緒に市役所へ書類を出しに行ったのを、今でもハッキリと覚えている。

 彼女のお腹に新しい家族が宿ったのは次の年だ。

 2人で喜び、私はタバコをやめ、彼女はそれまで以上に料理にこるようになった。

 ただ、私達は新しい家族と一緒に笑うことは出来なかった。

 死産。

 運が悪かったなどと言えばそれまでなんだけれど、当事者にとってみればそんな言葉で片付けてしまうことは出来ず、確かにそれまでそこにあったはずの命が、私達の顔を見ることもなく去っていってしまったというのは、心臓を抜き取られてしまったような、強烈な喪失感をともなった。

 特に、彼女の受けた衝撃は大きく、自分自身を()(つづ)けた。

 私も何かポッカリと隙間が空いてしまったような感覚にとらわれながらも、出来る限り彼女を気遣(きづか)って行動したつもりだった。

 ただ、私が思った以上に彼女が失ったものは大きかった。

 結果、私の気遣(きづか)いは彼女の重荷(おもに)になった。

『あなたの優しさが(つら)いのよ』

 彼女はそう言って家を出た。

 お互いにしばらく時間と距離をおくことにし、市役所に書類を出した。

 私達の関係は、パートナーから友人になった。


「…聞いてる?」

「あ、うん。ゴメン」

「来週、いつものところで良い?」

「ん。時間もいつも通りで?」

「そうね」

「わかった」

「…ねえ、怒ってる?」

「…いや、君の声が聞けてちょっと嬉しい」

相変(あいか)わらずね」

「そうかな?」

「ふふ、じゃあ来週ね」

「うん、来週」

 電話を切る。

 意識もせずに手が動き、気がつくとタバコをくわえていた。

 ライターをジーンズに(こす)って火をつける。

「ふう…‥」

 セブンスターの(から)い煙と一緒に、モヤモヤとした気持ちを吐き出す。

 私と彼女の失ったものは二度と戻ってはこない。

 それでも時間が、ポッカリと空いた穴を少しずつ()めているのも感じる。

 彼女の声は、少しだけ昔の明るさを取り戻しているように聞こえた。



『セブンスター Seven Stars』

 セブンスター[Seven Stars](一部ボックスはSEVEN STARSと表記される)は、日本たばこ産業(JT)から製造・販売されている日本の代表的なタバコ。1969年に日本で初めてチャコールフィルターを採用したタバコとして発売され、現在でも販売実績で必ず上位に入る人気銘柄である。

 セブンスターの名前の由来は、『ラッキー7』の『7(セブン)』と、発売当時、アポロの月面着陸で起こった宇宙ブームの影響を受けて『スター』を組み合わせ、名づけられたとされる。「セッタ」などの愛称で呼ばれることもある。

 タール14mg、ニコチン1.2mg、20本入り460円(平成28年現在)。

※タバコは二十歳になってから。

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