挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
ブックマークする場合はログインしてください。

少女のみたトウキョウタワー

作者:マエノヱ
 かたん、ことん――海底軽便鉄道の車両は鞦韆のように、規則的な音とリズムをもって、わたしを浅い眠りから揺り起こした。レールの継ぎ目に合わせて車輪は高鳴り、トンネルの内壁がその軋みを幾重にも反響させて車体へ返す。出発当初こそ物珍しかったこのレトロな振動も、五分を待たずに気障りなものになっていた。リニア鉄道の消音走行に慣れてしまった我が身には轍の音も睡眠を阻害するノイズでしかないのだ。
 瞼を開けると、青みを帯びたエメラルドグリーンの光が、硬化ガラス製のトンネル越しに、車窓からわたしの膝へと降り注いでいた。その光の色合いから、まだ大陸だなを走行中なんだな、とわたしは寝不足の鈍い思考を働かせる。
「トウキョウタワー」
 ひとつ前のボックス席から、あどけない声が上がった。初等学校に上がりたてくらいの幼い少女が、彼女の隣でうたた寝をしていた老婆に耳打ちをしたのだ。
「見えたよ、トウキョウタワーだよ、おばあちゃん」
「ん……」老婆が薄目を開ける。「ああ……トウキョウ……ねえ……」
 老婆はコールドスリープから覚めたばかりのように、近くも遠くもない茫洋とした海中を見つめていた。
 わたしも車窓に張り付いて車外の風景に目をやった。お世辞にも清澄とはいえない濁った海に視界を阻まれて、折角のセンチメンタルな旅情があっという間にくすんでゆく。そこへ不意にカタクチイワシの魚群が横切って、海底の澱を巻き上げ、あたりは一面のヘドロに覆われる。
「見えなくなっちゃった」と少女が申し訳なさそうに呟いた。
 少女は悪くない。この海域でトウキョウタワーが視認できるのは月に数時間あるかないかだ。

 わたしたちを運んでいる関東海底ラインが、かつて京浜東北・根岸線と呼ばれた鉄道の遺構を再利用して敷設された路線であるということをどれだけの人々が記憶しているだろうか。この広大な大陸だなの各地に設置された研究所の所員でも、関東海底ラインの由来を知るものは一握りだろう。彼らの興味は人工潮流を作って地球環境を改善する方法や、地球の八割を占める海底を利用した燃料開発に注がれている。何がこの現状に至らしめたのか、考えているゆとりはないのだ……。
 すらりと水面へ向かって伸びるトウキョウタワー。水没した過去のユートピアの象徴であり、科学がよりよい世界へのきざはしを架けてくれたと信じていた時代の墓石。大地に残った人々は動物たちと同じ運命を辿り、科学の船に乗り込んだ人々は大地へ帰ることも叶わず、地球を働かせる延命装置を保全する作業に躍起になっている。

「ほんとうに見たんだよ」
 少女は悔しげな口調で老婆に訴え続けていた。
「とっても黒くってね、たぶんあれ、さびてた」
 ――間もなく、シナガワポート、シナガワポート。空港ならびに各種路線への乗換えは改札から一番オートウォーク、シナガワポートアイランドをご利用のお客様は二番オートウォークへ。ただいま、シナガワポートアイランドでは二十一世紀トウキョウ展を開催中です。関東海底ラインの発券所にて、ポートレストランでのお食事券付きの割引チケットを販売しております。ぜひご利用くださいませ……。
 伸びやかな女性車掌の声がスピーカーから車内へ響いた。列車は進行方向へ向けて角度を上げ、わずかにスピードを落とした。トンネルの先の海面がキラキラと陽光に乱反射していて眩しい。
「ほら、また見えたよ、トウキョウタワー!」
 少女がひときわ大きな歓声を上げた。今度は乗客全員にその声が届き、にわかに車内が色めきたつ。少女の指差した先に茫洋と揺らめく黒褐色の塔。その極端に尖った三角錐は、忘れもしない、初等学校の先科学時代室にあった模型のトウキョウタワーと相違なかった。
 おもむろに乗客は席を立ち、揃って私たち側の窓を覗き込んだ。そして、携帯電話のファインダーに塔をおさめると、満足げに座席に戻ってシートベルトを装着した。
「あなたもそろそろつけなさいな、ベルト」
 座席の上に立てひざをして窓に張り付いている少女を、老婆が柔らかい声でたしなめた。少女が答えた。
「おばあちゃんはどうして見ないの」
「私はね……」老婆は一瞬だけ視線を窓に移すと、すぐに目を閉じた。「……私があなたくらいの頃に、やっぱり私のおばあちゃんと見たことがあってね、その頃の東京タワーを大事にしたいのよ」
 少女はしばらく何かを考えていたようだった。そして大人しくシートベルトを華奢な腰に巻きつけると、身体を起こして窓を覗き込んだ。老婆は何も言わなかった。水没した塔の輪郭が澱の下に霞んで、ゆっくりと消えてゆく。少女は幼いその瞳で、過去の塔をいつまでも見送っていた。
記憶と忘却、
いまここにある過去と、かつて存在した過去。
別の世界に分断されてしまいがちな心象風景の再接続を、朽ち果てた電波塔に託してみたくなりました。

いちおうジャンルとしてはSFではないのです。
時事的には洞爺湖サミットとか東京スカイツリーに影響を受けているかもしれません。

評価や感想は作者の原動力となります。
読了後の評価にご協力をお願いします。 ⇒評価システムについて

文法・文章評価


物語(ストーリー)評価
※評価するにはログインしてください。
感想を書く場合はログインしてください。
お薦めレビューを書く場合はログインしてください。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ