俺と妹とベーシックインカムとVRMMO
「小難しい話に興味はない!」という方は、最初3分の1ぐらいを読み飛ばして、「じゃじゃーん!」から読むといいと思いますです。
高校生の俺は今、中学生の妹と二人で暮らしている。
母親は、俺が中学生のときに病気で他界。
父親は、酒とギャンブルに溺れ、毎日当たり前のように家庭内暴力を振るうクズだったから、こちらから縁を切り、妹と二人で家を出た。
当時中学生だった俺と妹が、家を出てどうにかできたのは、母方の伯父の計らいと、数年前に制定された『ベーシックインカム』という社会制度のおかげであった。
ベーシックインカムというのは、平たく言えば、国民すべてに月額7万円ほどの一律現金給付を、国が与える制度だ。
このベーシックインカムは老若男女問わず支払われ、当時中学生だった俺や妹も例外ではない。
俺と妹の二人で、合計月額14万円ほどのベーシックインカムが与えられ、それを生活費とすることで、俺と妹はクソな親父から離れ、独立することができた。
そんなことが可能なら、もっと早くからやってくれていれば良かったのにと思ったのだが、この制度を成立させるまでには様々な障害があったらしい。
高額所得者の反発やら、就労意欲の低下の懸念やら、まあ色々と。
当時の政府は最終的に、貧富問わず所得税を一律20%上乗せし、その分の税収を丸々原資として、ベーシックインカムを実現させた。
ざっくり言うと、年間の国民総所得がおよそ500兆円、それに所得税の上乗せ分である20%が原資になると考えると年間100兆円で、これを月額に直して日本の総人口1.2億人弱で割ると、およそ7万円になるという次第だった。
社会科の授業で習った内容によると、生産力の問題で言えば、もっとずっと以前から、この制度の導入は可能だったらしい。
中世以前、農業生産力が低かった時代は、農家1家族あたり1.1家族分ほどの食料しか生産できず、10件の農家があって、ようやく1件の非農家世帯──貴族であるとか、都市の住民であるとか──が存在できるというレベルだった。
この時代は、全人口のうちの実に9割が農家、あるいはそれに準ずる第一次産業の従事者だったし、そうでなければ世の中が成立しない時代だった。
しかし、時代が20世紀の後半から21世紀あたりまで来ると、先進国の生産力はもはや凄まじい水準にまで到達していた。
第一次産業の従事者が国民全体の10%もいれば、国民全員分の食料を生産することができる状態に至っていたのである。
つまり、『食べる』という本当に最低限のことだけを考えるなら、10人中9人は働かなくて済むような社会構造が、すでに出来上がっていた。
これに、最低限のインフラ整備やエネルギー生産、流通関連の従事者を含めても、全人口の20~30%もいれば事足りる。
10人中、7~8人ほどは働かなくても、社会全体という規模で見るなら、賄えるというだけの状況はできあがっていたのである。
この状況に、ロボット技術の進歩という拍車がかかって、本質的な意味で「人間にしかできない単純労働」は、世の中からほとんど存在しなくなっていた。
その状況下で人々は何をやっていたのかと言えば、「別にそれがなくてもそんなに困らない」ような、ぶっちゃけどうでもいい仕事を、日々無理やり作り出し、労働者を働かせ、給料を与えていたのである。
モノがたくさん循環することが豊かさだという想いに衝き動かされ、企業は無駄なものを次々と開発・生産し、人々は無駄なものを消費していた。
消費することが経済を活性化させ、自分たちを豊かにすることだと信じて、毎日寝る時間もないほど働きながら、本当は要らないモノをみんなで生産し、みんなで消費し続けていた。
そんな中で政府も、公共事業などで無理やり仕事を作り、失業率を減らす努力をしていたのである。
その不毛さ、豊かさを求めて寝る間もなく働き続けなければならない本末転倒さに気付いていた者もいたが、そういった者たちの声は、なかなか社会には届かなかった。
だが、時代が進むにつれて徐々にそういった考え方が浸透してくると、一気に世論が動き、ベーシックインカム導入への気運が高まっていった。
しかし、ベーシックインカムの導入に際して、問題となるのは「誰が働くか」だ。
全人口の2~3割──いや、ロボットの活躍によって全人口の1割しか働かなくて済むようになったとしても、その1割、すなわち9割のキリギリスの生活を支えるための1割のアリに、わざわざなりたがる者は普通いない。
誰だって、貧乏クジは引きたくないのだ。
これに対し、ワークシェアリングで全員が働くけど労働時間を減らそう、なんていう案もあったが、これには有力な実現方法がなかった。
そして結果としては、やっぱり社会の労働力人口は基本全員が働く、というこれまでのスタンスを踏襲することになった。
ベーシックインカムを導入すると、これまで働いていた人間が働かなくなるんじゃないかという懸念があり、それは実態としても一部はそうなったのだが、それでもやはり、9割方の人々は働く道を選んだ。
これは何故かといえば、ベーシックインカムの金額設定によるところが大きい。
月7万円という額は、本当に生きるためのギリギリ最低限の額でしかなく、人並みの生活を送ろうと思ったら、ある程度でも働いた方がやっぱり何だかんだ得だ、という考えに至る者が多かったのである。
そして、人々にそう考えさせるための、ギリギリの金額設定だったわけだ。
ただ、それでも日本国民全体の総労働時間は、ベーシックインカム導入前よりも、確実に減少してきているらしい。
これは、完全に働かなくなった者以外でも、フルタイムで働く労働者が減り、パートタイムで働く労働者が増えたからだ。
国民それぞれが、自分に合った働き方を、改めて模索し始めたのである。
これに伴って日本の国民総所得も減少傾向にあるが、このことは導入段階で当然に予想されていたことであり、その分の所得税収が減ったことによる原資の充当には、ベーシックインカム導入以前に社会福祉費として使われていた税金の一部が割り当てられた。
当初からそうしなかったのは、国民の労働時間が減少するごとに所得税率が徐々に引き上げられると、国民の勤労意欲に対してさらにマイナスの影響があり、財政が破綻する可能性が高くなると考えられたからだ。
それを抜きにしても、今後も経時的に国民の総労働時間は減少を続け、それに伴って国民総所得も減少するだろうと言われているが、ただ、それも一定の水準で歯止めがかかるだろうとも言われている。
これにはダグラス・マクレガーのX理論とY理論だとかが引き合いに出されるようだが、まあそれはさて置いて。
結局、無駄なモノを生産して、無駄なモノを消費するという社会構造は、未だに続いているわけだ。
ただ、その程度がだいぶマシになった、という状態であり、またその無駄も、多くの国民の幸福に一役買う程度にまで健全なものになった。
まあつまるところ、娯楽や贅沢といった無駄は、やっぱりある程度は必要だということだ。
それはもちろん、俺や妹にも言えるわけで……。
「じゃじゃーん!」
俺は妹に、宅配で送られてきたその『無駄なモノ』を、誇らしげに見せた。
六畳一間で二人暮らしの狭い部屋に、デカい図体で鎮座していらっしゃるのは、ヴァーチャルリアリティゲーム用の筐体だ。
筐体と言っても、それは人間一人をすっぽり収納できる大きさの、近未来的なカプセル状の装置だ。
中にはふかふかのマットレスが詰まっていて、この中に横になって入ることで、ヴァーチャルの世界にログインすることができる。
そのでっかいカプセル状の筐体が、二台。
この狭い部屋の中で、大きく場所を食っている。
築60年という古い家屋内の部屋にあって、その近未来的で小奇麗なデザインは、めちゃくちゃ浮きまくっていた。
そして、妹はぽかーんとしながら、それらの大きな機械を見つめていた。
「えっ……お兄ちゃん、これ、どうしたの?」
「バイトで貯めた金で買った」
「うっそ!? だってこれ、一台で20万円ぐらいするんじゃなかったっけ?」
「ふっふっふ……妹よ、この1年間、俺がバイトで稼いだ金を使っているのを、見たことがあるかね?」
「ふええ~……ってことは、これのためにずっと頑張ってたんだ……。でも、何で二台あるの?」
「そりゃあお前、愛する妹と一緒にVRMMOを楽しみたいからに決まっているじゃないか」
俺がカッコつけてそう言うと、何故か妹は、その瞳に大粒の涙を浮かべた。
「ホント……? ボクのために、毎日あんなに頑張ってたの……?」
そう言って、妹は俺の胸に抱き付き、ワンワンと泣き出してしまった。
ちなみにうちの妹、リアルでは大変珍しい、ボクっ娘という人種である。
これのせいで学校ではだいぶからかわれているらしい。
ちなみに、からかっているヤツらの名前を一人残らず教えろ全員ぶっ飛ばしてやると言ったら、妹から全力で止められた。
何故止められたのか解せないが、それが妹の希望ならば仕方がない。
「別にお前のためってわけでもないぞ。俺がお前と一緒に遊びたかったんだ」
俺がそう言って頭をなでてやると、妹はさらにぎゅっと、俺に抱き付いてきた。
妹の、最近とみに育ってきた胸がこう押し付けられて、結構殺人的だ。
ボクっ娘の胸が大きいという事実に、何故だかギャップ萌えに近い何かを感じるのは、俺だけだろうか。
──俺と妹は、多分、お互い好き合っている。
お互いにあまり積極的にそういうことを言い合ったりはしないが、まあでもお互い、ただの兄妹だと言うには、ちょっと好意の度が過ぎているとは思う。
俺たちの独立を助けてくれた伯父さんは、俺たちのそういう関係を知っている。
知った上で、年頃の兄妹がこんな狭い一間で一緒に暮らすことを黙認し、後押ししてくれている。
一線を越えるのは、結婚できる年齢になってからにしろよとは言われているが、それにしたってとんでもなく寛容な伯父だと思う。
「とにかく遊ぼうぜ、な? 俺、お前と一緒にヴァーチャル世界で遊ぶの、ずっと楽しみにしてたんだからさ」
俺は妹とのイケナイ情事に突入したくなる気持ちを全力で振り払うと、知らず俺を誘惑する妹の両肩を掴んで、自分の体から引きはがす。
妹は涙をぐしぐしと袖で拭き取ると、上目遣いで俺を見ながら、こくんと頷いてくる。
この凶悪な魅力に日々耐え抜いている俺は、結構偉いと思うんだが、どうだろう。
俺は妹と一緒に一通りの説明書類を読んでから、カプセル状の筐体の中に入り、ヴァーチャルの世界にダイブした。
最初はアバターの作成。
真っ黒な世界に俺一人が浮かんでいるような情景の中で、宙空に浮かび上がるタッチパネル式の選択肢を指先で触れ、種族やクラスなど様々の要素を決定してゆく。
アバターの外見は、プレイヤー本人のリアルの外見をベースとし、それをプレイヤーが好みでカスタマイズする形で作られる。
ただ、このカスタマイズは素人が触るには結構難しく、リアルより格好よく仕上げようとしても、なかなかうまくいかないらしい。
そのため、公式ではリアルの外見をそのまま使用することを推奨していた。
ゲームを開始してから後で「整形」することも可能なので、7割のプレイヤーはリアルの外見のままでゲームを開始するという。
残りの3割は、アバター作成に数日以上をかけて、試行錯誤しながら根性で整形するらしい。
何というか、涙ぐましい努力である。
俺と妹も、ひとまずはリアル外見のまま始めることにしていた。
もっとも、妹は種族にエルフを選択すると言っていたから、それによってシステム側により外見に細かな補正は入るはずで、ちょっとは変わるだろう。
だが、お互いが分からなくなるような大幅な補正は、かからないはずだ。
アバターの設定を終えた俺は、そのままMMO世界へのログインを開始する。
しばらくの読み込み時間があって後、俺の知覚はヴァーチャル世界へと誘われた。
暗闇の中、向こうから光が急速接近してくるような視覚エフェクトの後に、視界が一気に開ける。
「おおー……」
俺は思わず、感嘆の言葉を吐いてしまった。
俺の視界に広がっていた光景は、ヨーロッパ風のファンタジー世界の街並みだった。
白い壁で、オレンジ色やライトグリーンの色の三角屋根の家々が、石畳の街道に沿って規則的に立ち並んでいる。
街道では、ファンタジー世界風の衣装を着たアバターたちが歩き回り、馬車なども走っている。
空を見上げると、夕焼けに染まり始めた赤色で、雲は少ない。
その赤色が、街並みにもほのかな朱色を落している。
俺がいる場所は、街道から続く広場のようだ。
中央に噴水のあるその大きな広場で、多くのアバターが待ち合わせなり、アイテム売買なりをしている。
俺はきょろきょろと辺りを見渡し、探し人をする。
すると、すぐ近くで目的のアバターを見つけることができた。
「お兄ちゃん!」
向こうも俺に気付いたようで、パタパタと俺の元へ駆け寄ってくる。
……ヤバイ。
何がヤバイって、俺の妹が可愛すぎてヤバイ。
俺の妹、エルフカスタムだ。
リアルでは当然に黒髪の妹は、髪型のショートカットはそのままに、色が綺麗なブロンドの金髪に変わっている。
瞳の色はエメラルドグリーンで、着ている衣服も緑を基調とした可憐なもの。
さらに、耳の先が少し尖がり、体型も少しスレンダーになっている。
元々少しぽっちゃり系のリアルの妹も、もちろん大好きなのだが。
これはこれで、かなり来るものがある。
エルフへの外見補正プログラムを作った人間に、神の称号を送りたい。
「えへへ……に、似合うかな」
俺の前に立って、もじもじとはにかむ我が妹は、俺の理性に対する破壊兵器だった。
「妹よ!」
俺はがばっと、妹に抱き付いていた。
「わっ……お、お兄ちゃん!? やめてよっ、人前だよ、恥ずかしい!」
妹から抗議の声が上がる。
おっと、いかん。
あまりにぷりちー過ぎて、良識とか何かがどこかに吹き飛んでしまった。
俺はヴァーチャルでも柔らかい妹の体を、渋々と手離す。
こっちをちらちらと見ていた通行人たちが、興味を失って視線を外してゆく。
「すまんすまん。お前が可愛いすぎて、理性が崩壊するところだった」
「もぉ~……」
そう言って頬を赤らめて睨んでくる妹を、俺は頭をぽんぽんしてなだめる。
「とりあえず、冒険者ギルドに行ってみようぜ。そこでクエストが受けられるらしい」
「……うん、そうだね」
俺が街中を歩き始めると、エルフ姿の妹が、その後をてってとついてくる。
そんな時間に、何だか妙に幸せを感じる俺だったりする。
冒険者ギルドで『ゴブリン退治』のクエストを受けた俺たちは、早速街を出て、ゴブリンの棲家である洞窟に向かうことにした。
街門をくぐって外に出ると、そこは一面の草原だった。
昼間なら一面が緑なんだろうけど、今は夕焼けの色が混じっているせいで、金色に近い色の草の海が広がっている。
そして、その一面の金色を左右に引き裂くようにして、赤茶色の街道が蛇行しながら先へと伸びていた。
俺は妹と共に、その街道をのんびりと、雑談しながら歩いてゆく。
そうやって歩いていると、街を出てしばらくしたところで、俺たちは初めての敵と遭遇した。
光の柱が3つ、草原のフィールドに現れると、そこからウルフが1体ずつ、合計3体出現したのだ。
目が爛々と赤く輝き、口からは涎をだらだらと垂らした凶悪そうなオオカミだ。
「俺が前に出る、下がってろ」
俺は妹にそう声を掛けながら前に出つつ、アイテムストレージを操作して、剣を装備する。
握り手を作った俺の右手から、棒状に光が伸び、それが剣のグラフィックへと変化する。
「うん、ボクは後ろから支援だね」
妹は同様に、弓を手にしていた。
妹はエルフらしく、アーチャーとメイジのダブルクラスを選択したらしい。
俺は背後の妹から視線を外し、前方の3体のウルフへと注意を向け直す。
彼我の距離は、目視で20メートルほどか。
「──グァルルルッ!」
俺たちが戦闘態勢を整えたのとほぼ同時に、3体のウルフは唸り、俺たちのほうに向かってきた。
四足走行でしなやかに走ってくるウルフは、通常の感覚で言うとかなり速い。
あっという間に俺たちのすぐ近くまで駆けてきて、正面と左右の三方に散ってから、思い思いに襲い掛かってくる。
だけどプレイヤーだって、1レベル段階でも、凡人という設定ではない。
俺の体は、リアルで動くよりも遥かに俊敏に、かつ的確に動作する。
「──っ!」
俺の体は、正面から襲い掛かってきたウルフと交差するように、向こう側へと切り抜ける。
そして交差する際に、飛び掛かってきたウルフの胴に、剣による横薙ぎの一撃を叩き込んでいる。
「キャインッ!」
俺の剣撃を受けた正面のウルフは、空中でくるくると跳ね飛んで、地面にひっくり返る。
そのHPゲージが減少し、その6割ほどを失ったところで停止する。
「ガウゥゥウウウッ!」
そうこうしているうちに、左からのウルフが、攻撃後で態勢の崩れた俺に向かって襲い掛かってきた。
先の交差法で、正面と右のウルフからの攻撃は同時に回避したのだが、ワンテンポ遅れて来た左のウルフは、俺の動きを見て対応してきたようだ。
高々と跳躍したウルフが、空中から襲い掛かってくる。
回避は間に合わない。剣によるパリーも追いつかない。
俺は一撃をもらうことを覚悟する──が。
「キャインッ」
そのウルフが、空中で横手に跳ね飛ばされた。
見ると、そのわき腹に矢が突き刺さっている。
そうして地面に落ちたウルフのHPゲージは、4割ほどが失われた。
「やりぃっ!」
妹を見ると、弓を片手に小さくガッツポーズを取っていた。
妹の弓から放たれた矢が、俺を攻撃しようとしていたウルフに、見事命中したということなのだろう。
「いいぞ妹よ! あとでペロペロしてやろう!」
「えっ、ちょっ、変なこと言わないでよ! さすがにキモイ!」
だが、俺の称賛の言葉に、何故か妹はドン引きしていた。
……オーウ……最愛の妹からキモイって言われた。
鬱だ死のう。
そうして俺が凹んでいると、ウルフたちが近付いてきて、ガシガシと噛みついてくる。
ああ……HPゲージがどんどん減っていくなぁ……。
「わっ、お兄ちゃん、凹まないでっ! 戦ってよ!」
「……でも……俺、キモイし、生きてる価値ないし……」
「ああもう、ボクが悪かったからあっ! お兄ちゃん大好きっ! 愛してるっ!」
「──シャキーンッ!」
ガチ凹みしていた俺は、妹のその魔法の言葉で即座に完全復活した。
そして、なおも襲い掛かってくるウルフたちを、ばったばったと斬って捨てたのであった。
そんなこんなで敵と戦いながら、ゴブリンの洞窟へと向かった俺たちだったが。
目的の洞窟の入り口に辿り着いたときには、俺たちはすでにHPやMPといったリソースの半分以上を失い、これから洞窟探索というような状態ではなくなっていた。
ちなみに、別にふざけていたからというばかりでもない。
わりとガチでやって、こんなものだ。
ちなみに俺のクラスは、メインがソードマンで、サブがプリースト。
回復魔法は俺の担当で、ご多分に漏れずそれが生命線だったりするわけだが、その俺のMPもすでに残り3割ほどという状態だった。
「洞窟まで来たけど……一度帰らないとダメっぽい?」
「だな」
小首を傾げて聞いてくる妹に、俺が首肯する。
そんなわけで俺たちは、ゴブリンの洞窟の入り口に辿り着いたところまでで、街へとUターンした。
ここまでの戦闘でレベルも上がったし、金もいくらか貯まったから、新しい武器や防具も買えるだろう。
次はもっとうまくやれるはずだ。
そうして街に戻って、回復所を利用する。
俺はそれから、武器や防具を買い替えて再挑戦と行くつもりだったのだが、その方針は妹に反対された。
「そろそろログアウトしないと……ご飯仕掛けて、夕飯の準備しないとだよ」
めちゃくちゃ世知辛い理由だった。
だが時計を確認すると、確かにもう夜の6時半だ。
でもなぁ……もうちょっと遊びたいぞ。
「……お弁当買ってくればいいんじゃね?」
「だーめ! お弁当がいくらすると思ってるの? そんな贅沢はできません! 昨日買って来たもやしだって残ってるし、食べないとダメになっちゃうよ」
俺がちょっと堕落した発想をすると、やはり世知辛い理由から、妹に却下されてしまった。
でも確かに、弁当を買ってくると1人分500円ぐらいはかかるところ、自炊をすれば1食あたり200円ぐらいの材料費で、同等以上のおいしいご飯が食べられる。
基本がベーシックインカム頼りの生活では、食費に使えるのは1人あたり月2万円ほどが精々だから、1月が30日として、1日あたり666円、1食あたりでは222円が予算いっぱいになる。
つまり、1食あたり500円なんて金額設定は、とんでもない贅沢なのだ。
そしてこのあたりの切り盛りに関しては、俺よりも妹の方がよっぽどしっかり者だ。
「……むぅ、確かにお前の言う通りだ」
そんなこんなで、妹の正論に従って、俺たち二人はゲームからログインしたのだった。
ファンタジー世界から離脱し、現実の六畳一間の狭い部屋へと戻ってきた俺は、カプセル状の筐体から抜け出して、ぐるぐると腕を回したり、伸びをしたり、軽く体を捻ったりする。
ゲーム中、本体はずっと同じ姿勢でいるもんだから、体が凝り固まってしまうな。
一方、もう一つの筐体から出てきた妹は、同じように体を動かしてほぐしてから、すぐにご飯を仕掛けに入った。
米櫃から米を1合半、手鍋に移して、流しで米をとぐ。
水がだいたい澄むまで替えて、その水も捨てて、改めて計量カップで水を計って手鍋に投入。
その状態にしてから、1時間ほど浸水させる必要がある。
「失敗した……。ログインする前に、お米だけ仕掛けておけばよかったな」
妹が悔しそうに言う。
確かに、今から1時間浸水して、そこから炊き始めて蒸らし時間まで考えると、夕食にありつけるのは8時を過ぎてしまう。
その頃には、お腹がすっかりぺこちゃんだろう。
「っていうか、炊飯器が欲しいよな。種類によっては浸水時間と蒸らし込みで1時間ぐらいでメチャ旨のご飯が炊けるらしいし、何より火の前に付きっきりじゃなくて済むのが凄い。……欲望に負けてゲームを優先しちまったが、優先順位間違ったか。ごめんな」
何しろ、現在のこの家に家電と言えるようなものは、伯父がプレゼントしてくれた小型の冷蔵庫ぐらいしかない。
炊飯器もそうだが、洗濯機、エアコン、電子レンジなど、欲しいものはたくさんある。
そういった5桁の金額で買える大事なものを後回しにして、6桁金額のゲームを優先したのは、今日までは無我夢中だったが、今冷静になって考えれば、ただのアホだ。
だが、俺のその言葉を聞いても、妹はぷるぷると首を横に振る。
「何言ってるの、そんなことないよ。ボク、お兄ちゃんと一緒にVRMMOで遊べて、すっごく嬉しいよ。それに、お兄ちゃんが稼いできたお金なのに、その使い方でボクにごめんだなんて、そんなのおかしいよ」
ああ……これだもんな。
さすが我が天使、マイスゥイートシスター!
「ああもう、抱きつきたいっ!」
「──わっ! ちょっ、ちょっとお兄ちゃん! 実際に抱きつきながら言うセリフじゃないよね、それっ!?」
「そう言えばまだペロペロしてなかった。よし今からペロペロするぞ、ペロペロペロペロ……」
「うわああああん! バカっ! 変態っ! だ、誰か助けてぇええええ……」
それからしばらく後、調子に乗ってはっちゃけ過ぎた俺は、妹の前に正座させられ、小一時間説教されることになったのであるが。
そんな時間も、俺にとっては、幸せな時間の一つなのであった。




